被爆60周年を前にして関千枝子 近影

―原爆で死んだ級友たちとともにいま考えたいこと―

   『広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち―』の著者  

関千枝子さんに聞く

  ―過去・現在・未来―  



 194586日の広島。9000名もの子どもたちの動員学徒としての被爆死を見つめ、2004の広島。私たちは再び子どもたち未来への希望を語りたい。

※広島平和記念資料館にて企画展「動員学徒―失われた子どもたちの明日―」開催中

日時  20041120()  午後130分〜4

場所  国立広島原爆死没者追悼平和祈念館  研修室(100名)
             広島市中区中島町16号 Tel 082-543-6271
           (平和公園内)※広島平和記念資料館と間違えないように

資料代 500

主催 広島県歴史教育者協議会(連絡先 gure2525hotmail.com)

後援 広島市

ひとつひとつ、一人ひとりに歴史がある。それを大切にすると未来を感じることができる。

関 千枝子さん 経歴               
広島第二県女
214歳のとき広島で被爆

毎日新聞記者を経て、現在全国婦人新聞勤務

関 千枝子さんの著書               
 広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち―(ちくま文庫)

この国は恐ろしい国―もう一つの老後―(農山漁村文化協会)
      若葉出づる頃―新制高校の誕生―(西田書房)


リンク       靖国神社参拝違憲訴訟
       今 被爆体験を語ると言うこと
       真の国際貢献



私の自分史めいた書き方ですが、「教育基本法」見直しの報に怒り、教育の混乱は「戦後教育」が悪かったのではなく、それを歪めてきたものにあるという思いで書きました。

もちろん私たちばお国のため゙と信じ、炎天下、夏休みも日曜も返上して懸命に働いた.。友は自らを゙小さな兵隊゙とよび、「君が代」を歌い、゙天皇陛下がいらっしゃるから敗けない゙と信じて死んだ。しかし、私たちの世代の゙少国民゙は、軍国少女(少年)になるべく、日夜教育されていたのである.。私たちのクラスの大部分は昭和六年か七年の生まれである。六年ば満州事変゙の起きた年。つまり、生まれてから平和な日を一日も知らない世代である。私自身、゙聖戦゙を信じて疑わなかった。
だが、いま私は激しい悔恨と憤りを覚える。それは、私たちが゙お国のため゙と信じていたことがはたしでお国のため゙になっていたのかどうかということである。逆に゙お国゙を不幸にし他国を侵略する片棒をかついでいた。子どもながらも、加害者の一端につながっていたという怒りである。」(下の著書より)

『広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち―』
ちくま文庫 1988(もとは1985)の紹介

広島第二県女二年西組は爆心地から1キロの雑魚場町で建物疎開の作業中被爆する。生徒たちはわけがわからぬまま教師に引率されて、死の町と化した広島を歩く。38人の生徒と3人の教師はその後二週間のうちに亡くなる。生き残ったのは一人だった。本書は、その日学校を休んだため助かった作者が級友たちの死を克明に追った記録である。
変わり果てた娘の最後の願いの水を飲ませた母、水を飲ませなかったことを悔いる母、
泣く母を励まし、「うちが死ぬのも名誉の戦死じゃ」と君が代を歌って死ぬ少女、うわごとに「天皇は現人神です」といい、死ぬ前には「7月の夜の月は、見よ、ポプラアの林に熱を病めり…」と光太郎の詩をつぶやいた少女。遺品をひとつ残らず焼いた父、39年目にようやく遺骨の戻った友、最後まで教師としての責任で教え子を病院に運び、死んだ担任の姿。現在まで続く家族の悲しみと怒り、読むものに迫力を持って深く鋭く語りかけてくる。
 昭和38年、級友たちは靖国に合祀された。犬死でなくなったと喜ぶ遺族も多い。しかし、それでよいのかと作者は問う。「軍国主義推進の精神的中核として、戦争の本質を考える理性を奪った靖国に個人の意思とは関係なく祀られる恐ろしさ、原爆の死者は犠牲者であって侵略の守護神ではない」と。戦争の本質に触れる執念に満ちた迫真の書である。

 (子どもの本を検証する読書研究会編『1800冊の「戦争」』かもがわ出版1991年をもとに) 

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