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浦頭(うらがしら)の埠頭 第2次世界大戦後、東アジア各方面に展開していた日本軍の兵員や、日本人移民・開拓民が続々と日本へ帰ってきた。いわゆる復員や引き揚げ者である。 舞鶴港の「岸壁の母」が有名だが、舞鶴は軍艦傾斜のみで、民間の引き揚げ者の多くは佐世保港に帰ってきたという。 浦頭に検疫所が置かれ、現在のハウステンボスにあった、海兵隊施設を引き上げ援護局としたという。 詳しくは こちらのページを (勝手リンクごめん) |
| ハウステンボスに行く時、平和を考える学習も是非して欲しいものだと思った。 個人的な話だが、ぐれの父は、この引き揚げ船の乗組員として、船乗り生活を始めたらしい。米軍払い下げのLST(上陸用舟艇)に乗り込み、機雷をかき分けるようにして、命がけの航海だったと話してくれたことがある。 |
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せっかく日本まで引き上げてこられながら、途中力つき、故郷まで生還できなかった方々を葬ったのが釜墓地です。 |
| フィールドワークへの参加記が「歴史地理教育」に掲載されました。 編集に出した原文2パターンをお目に掛けます、(^^;; ヒヤアセ |
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初日いきなり着いたのが意外にも瀟洒なホテル。佐世保港が眼下に一望できる絶好の位置。強襲揚陸艦ベローウッドが横腹を見せる。海自のイージス艦はちょうかい1隻。 |
| 翌朝、展望台から説明の後、《医療倉庫》見学。揚陸艦内の300もの病床を支える倉庫を見てどれだけの流血を想定しているのか考えると恐ろしくなる。船で西海町横瀬西へ。途中エセックスの隣を通りその迫力に圧倒された。横瀬は揚陸艇LCACの基地予定地である。4人の方からお話を伺う。我々が乗ってきた瀬川汽船の社長は何十回と出入りする汽船とLCACが交差し、安全上の不安があること。佐世保は要塞地区として発達し、横丁の歴史が記録されないできた。これからも続くのかと話された。 MさんはLCAC基地の騒音問題を「一丁目から三丁目に持ってきた」やり方を批判された。 F夫妻は農民の立場からと町議として、国の補助金をあてにしている町に対して、本当の地域振興とは何なのか、環境も平和も生活全体で考えなくてはならないと話された。 豊かな海を前にして農水産では生活ができないといわれた時、この国はどうなってしまったのだろうと考えさせられた。 虚空蔵山展望台から湾全体を見渡し、弾薬庫、貯油場、日米の艦船を見た時、ここまで戦争準備が進んでいるのかと驚かされた。 浦頭引揚記念館・釜墓地を訪れて、ハウステンボスが旧軍の海兵団跡であり戦後の引揚援護局跡であることを知った。米軍住宅と隣接する大遊園地を見たとき複雑な思いが深まった。ガイド役の先生方に感謝して、佐世保駅で解散した。 |
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ハイライトは、ホテルから眺める佐世保港とLCAC基地移転で揺れる横瀬地区での現地の方との交流、そして釜墓地・浦頭引揚記念館であった。 高台から眺める佐世保港では強襲揚陸艦ベローウッドとエセックスそして海自のイージス艦が周囲を威圧していた。渡船からエセックスを間近に見た時、その戦う姿が想像され、暗澹たる気持ちになった。 |
| 横瀬地区では4人の方に話を伺った。我々が乗ってきた瀬川汽船の社長は「汽船とLCACの航路が交差し、安全上の不安がある。佐世保は要塞地区として発達し、横丁の歴史が記録されないできた。これが続くのか。」と話された。Mさんは騒音などの問題を持つLCAC基地を「一丁目から三丁目に持ってきた」やり方を批判された。F夫妻は農民の立場からアメリカと地元への説明を使い分ける政府の姿勢を批判し、町議としての反対運動の経緯をを話された。また国の補助金をあてにしている町に対して、本当の地域振興とは何なのか、環境も平和も生活全体で考えなくてはならないとも言われた。こんな豊かな海でも農水産では生活ができないといわれた時、日本の豊かさとはと考えさせられた。 浦頭引揚記念館・釜墓地を訪れて、ハウステンボスが旧軍の海兵団跡であり戦後の引揚援護局跡であることを知った。引揚げ途中に亡くなった方が眠る釜墓地から少年兵の碑と米軍住宅越しに大遊園地を見て、戦争と今の生活の距離を考え、今度生徒と修学旅行に来たとき、この話をして見ようと思った。 |
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