平成15年12月14日(日)
小田急高座渋谷駅からスタート地点の上飯田町のいちょう団地までは少し距離がある。
7時30分 いちょうの落葉が舞う上飯田せせらぎ緑道を進む。いちょう小学校。
バス道に飯田神社。風土記稿には「飯田神明社 鯖明神とも唱ふ」とある。神社の前に庚申塔が並んでいる。そのひとつに「北八王子道 西安ツ木道」と刻まれているのが読める。
澄み切った青空だ。真っ白な、まさに秀麗な富士山が右手に大きく見える。
ところが、この素晴らしい景色に大きな鉄塔や大きな建物が無遠慮に割り込んでいる。
わが国への海外からの観光客の数が減り続けて、ついにマカオへのそれを割った。
日本の景観が独自性を喪い魅力をなくしてきたことにあるらしい。
伝統的な景観を壊して今なお容赦なく壊し続けている日本とは違い、欧米は古い町並みの保存・復元にとりくんできた。
だから日本人は古い町並みを見たくなると欧米に出かけるという奇妙な行動をとる。
しかも景観を壊しただけでなく、古い生活様式や風俗習慣までも壊してしまい、日本人の心にまで荒廃が広がっている。
下飯田町に入るとバス道から右斜めに細い道を進む。小川沿いに屋敷が並ぶ。右手に畑が広がる。農村風景と古道が時間が止まったように残っている。立派な門構えの美濃口家からは江戸中期の俳人春鴻が出たという。しかし私はこの人を知らない。バス道を跨いで続く。イチョウの大木の下に左馬神社の赤っぽい社殿がある。
山崎
「・・・境川筋に十一社ありますね、サバ神社が。
それで神社名鑑によると全部祭神は源義朝になっているんです。・・・」
小川
「・・・七サバ神社参りっていうのがあるんです。つまり、はしかとかほうそうとかをよけるに、おばあさんが子供をしょってね、一日、弁当を持って境川べりの七つのサバ神社をお参りするとその難からのがれる・・・久田それから下和田、七ツ木神社、今田、向っ側へ渡って下飯田、それから中村ですか、あの飯田神社でしたかね、それと佐馬社、七つこれを歩くとちょうど一日かかるんだね。」
(大和市史資料叢書「わたしが知っている郷土」より)
相鉄いずみ野線、続いて横浜市営地下鉄の高い架道橋をくぐる。橋脚の間に富士山が覗く。
小公園に富士塚城趾の碑が立っている。頼朝の危機を二度も救った飯田五郎家義の館跡だそうだ。
公園にいた老人は、この一帯が宅地開発された際に住民達が石碑を立てたと言う。なるほど、250名ほどの住民の名前が彫られている。
琴平神社。隣り合って巨木山東泉寺、イチョウの巨木がある。
横浜市戸塚区
平成14年に閉園した横浜ドリームランドのあった丘の麓を進む。当時営業していたホテルの塔が丘の上に異様に高くそびえている。
車の行き来が激しい県道に出たところに観音堂がある。
大正地区歴史散歩の会が立てた案内板によると、反源氏を貫き通して、加賀・篠原で義仲と対戦し壮烈な最期をとげた俣野五郎景久の守護仏の観音像が祀られているらしい。
しかし、この街道を歩き始めたときから携えているテレビ埼玉編集の「鎌倉街道夢紀行」には、俣野景久の守護仏と言われている石像がこの先の龍長院の地蔵堂に安置されていると書かれている。戦乱期に生きた武将は観音にも地蔵にも縋ったということか。
若者の元気な掛け声が飛び交う明治学院戸塚グラウンドに沿ってぐるりと廻るように進み、宇田川を渡って、丘にやや上ると龍長院。境内のもみじは今まさに真っ赤な葉を落とそうとしており、良寛の辞世の句が掲示されている。
「うらを見せ おもてを見せて 散るもみぢ 良寛詠」
この寺の前に戸塚観光協会が旧鎌倉街道の道筋を案内している。
龍長院を南へ行くと東俣野町の鎮守八坂神社があり、その鳥居を左に折れ堂坂を上り「旧東海道を横切って影取町に入り、大船方面へ通じている。」
「かまくら道」と刻んだ庚申塔が八坂神社の鳥居の脇に追いやられている。堂坂以下の説明がよく分からないし、「・・・」書きの意味も解せないので、道なりに進む。
農業専用地区から住宅が立て込む地域に進む。車が増えて国道一号線藤沢バイパス出口に出た。旧東海道である。
鉄砲宿を左に入る。旅人を捕えてその影を飲み込む大蛇を、鉄砲で撃ち殺したことに地名の由来があり、大蛇が棲んでいた池を影取池、撃ち殺された辺りを鉄砲宿と呼ぶようになったという。
藤沢市
大鋸地区を下るが、この辺りの道筋は判然としない。
その東の柄沢地区に入る。鬱蒼とした木立の中の柄沢神社の横を鎌倉街道は通っていたらしい。
「柄沢村」
・・・建久四年四月右大将頼朝武州入間野に刈りせし路次当所を歴て武州関戸宿に到りし事「重須本曽我物語」に見えたり、今も武州多磨郡木曽町辺へ通ぜしといふ、鎌倉古道村内に係れり、蓋し此道なるべし・・・
(蘆田伊人校訂「新編相模国風土記稿」より)
県道に出て、渡内バス停を右に曲がり、直進すると道が細くなる。日枝神社の脇の庚申塔には「左 かまくら道」と刻まれている。この辺りには珍しく双体道祖神がある。
坂を下る途中で村岡城址公園に立ち寄る。ここに坂東平氏の祖、村岡氏の居城があった。石碑に村岡城址と書いたのは東郷平八郎である。一組の家族連れが弁当を開いていた。
武田薬品湘南工場に突き当たって、東海道線の線路をくぐる。神戸製鋼藤沢工場と油研工業の二つの大きな工場の間の日の当たらない細い道が街道だろう。町屋橋を渡る。
鎌倉市
上町屋天満宮。JR東日本鎌倉総合車輌所に沿って進む。深沢市営住宅。
頭の上を湘南モノレールが走る。
左に少し上がると須崎古戦場の碑があり、鎌倉幕府の執権赤橋守時以下90余人ガ新田義貞ト激戦ノ末自刃シタルことが刻まれている。
古戦場も今は家が建て込んでいる。
後醍醐天皇に裏切られて斬られた忠臣日野俊基を祀る墓と葛原岡神社。散策する人の姿が多い。化粧坂はところどころ岩肌が見える急峻な坂。老いも若きもおっかなびっくり、へっぴり腰で下っている。
道は一旦横須賀線のガードをくぐる。
岩船地蔵堂には、義仲の息子義高との幼い恋が悲しい結末に終わった大姫の守り本尊が祀られているらしい。
左に入ると浄光明寺の手前に作家里見クの旧居がある。
今年は映画監督小津安二郎生誕百年だが、この二人のコンビで「彼岸花」と「秋日和」が生まれた。
秋子 「――ねえアヤちゃん、
あなた、お母さんが再婚すること、きたならしいって、そう云ったわね」
アヤ子 「――? ううん、もういいのよ、そんなこと。――
ごめんなさい、つまんないこと云っちゃって」
秋子 「ううん、ほんとはお母さんもそう思うのよ」
アヤ子 「――?」
秋子 「お母さんやっぱり一人でいるわ」
アヤ子 「だってお母さん・・・・」
秋子 「ううん、わたしお父さん一人で沢山。これからもずっとお父さんと二人でいきてくわ。
お母さん、もうこれでいいのよ。今さら、またもう一度、麓から山へ登るなんて、もうこりごり」
アヤ子 「だってお母さん・・・・」
(原作 里見ク 監督 小津安二郎 配役 秋子・原節子 アヤ子・司葉子「秋日和」より)
閑静な旧居の前の道は小津監督の映画に出てきそうである。
・・・汝佐野にて申せしよな 今にてもあれ鎌倉に御大事あるならば ちぎれたりともその具足取って投げ懸け 錆びたりともその長刀を持ち 痩せたりともあの馬に乗り 一番に馳せ参るべき由申しつる 言葉乃末を違へずして 参りたるこそ神妙なれ・・・(謡曲「鉢木」より)
―了―