平成21年9月14日(月)
7時30分 JR
震災で壊滅した大正筋商店街は、広くて明るい商店街になり、元気大作戦を展開中。
そのまま南に下ると今日のスタート地点の駒ヶ林だ。
(主な見どころ)
海泉寺、駒ヶ林神社、魚市場の前にあり漁民の崇敬篤い駒ヶ林蛭子神社、幸殿社、
路地の奥まったところにある平忠度腕塚と少し離れて胴塚、亀の子寺と呼ばれる満福寺。
駒ヶ林は古くからの漁村らしく、今も漁港がある。
魚市場もあり、セリの真っ最中で、タチウオやタコが取引されていた。
ザーッと焼夷弾が降ってくる音がした。また火の雨は、この辺一帯に投げ網を投じたように被さってきた。走っている前や後ろの地面にズバ
ッ、ズバッと音をたてて突き刺さった。Hは落下する焼夷弾の直撃が怖かったが、走り続けた。
熱風と息切れで苦しかった。後ろを振り向くと、母親が遅れていた。Hはちょっと足踏みして待ったが、また走り出した。塀沿いの溝を隔てて右側は長楽六丁目である。走り抜けてきた七丁目はもう完全に町全体が燃えていた。火の手は高く、音をたてて家が倒れ、そのたびに、火柱と火の粉が舞い上がっているのが見えた。
(妹尾河童著「少年H」より)
少年Hの家があったのは神戸野田高校の2ブロック西で、昭和20年3月、米の大空襲の下、Hは母親と逃げまどった。
今は事業所や民家が建て込む地域で、近くに女子寮でもあるのだろうか、通勤(学)途中の若い女性が2、3人連れで通りかかる。
国道2号線を渡ると、鷹取の野田北地区。ここも空襲に遭ったが、震災でも手痛い目に遭った。
カトリックたかとり教会内の震災資料室で復興の過程を知ることが出来る。
若宮川に突き当たり、国道に出ると須磨海浜水族園があり、松林を抜ける。一旦須磨寺に向い、国道に戻り、海岸沿いを進む。
(主な見どころ)
若宮神社、旧和田岬灯台、綱敷天満宮、この神社の諏訪が地名の須磨になまったともいわれる諏訪神社、
平重衡とらわれの松跡、頼政薬師、須磨寺、
須磨の関跡といわれる現光寺、関守稲荷神社、琵琶塚、村上帝社。
山陽電車とJR山陽本線に挟まれた国道2号線を進む。JRの線路の横は須磨海岸。
(主な見どころ)
戦の浜碑、安徳帝内裏跡伝説地、みどりの塔、敦盛塚。
安徳帝内裏跡は一の谷の西側、須磨浦公園の東端にある戦の浜碑から北に急坂を上がる。見晴らしのいいところで、近くに鈴木商店の大番頭が屋敷を構えていたのも肯ける。
安徳帝を祀った祠が小さいことと、祠の前にモルガンおユキが献納した2基の燈篭があったのには驚いた。
敦盛蕎麦を食べる。長塚節が「不味いこと甚だしい」と言ったのと同じ蕎麦だろうか?
境川の細い流れがある。摂津国と播磨国の境で、今は須磨区と垂水区の境界になっている。
塩屋を過ぎてさらに海岸を進むと垂水だ。
(主な見どころ)
皇大神社、海神社。
海神社の筋向かいに筒井康隆が「頓馬な泥棒だと、金持の家と思って盗みに入るかもしれない」と書いた洒落た木造の西洋館の垂水警察署があったらしいが、老朽化のため別のところに建て直したので、今は駐車場と交番があるだけ。
垂水漁港に出て、土産にちりめんじゃこを買う。
マリンピア神戸を過ぎると、明石海峡大橋がどんどん近づいてくる。
(主な見どころ)
孫中山記念館、明石海峡大橋、木槌で叩きながら願掛けすると叶えてくれる延命地蔵、旧舞子集落の六神社。
晴れた日に、須磨、舞子あたりからのぞむ明石海峡と淡路島北端は、なぜか都会と調和という感じで美しい。島につきものの文明との隔絶の感じはここにはなく、悠々と海峡を往来する船も大型船が多い。海の色は、両岸側がやや暗いメタル・グレーで、中央、潮流のはげしいあたりが帯状にリアル・ブルーである。
(阿久悠著「淡路島」より)
14時50分 山陽電車西舞子駅 32734歩
西国街道だと29キロの道のりだが、38キロ歩いた。まわり道した分、随分多くのものを見た。
震災が神戸の景色を変えていた。以前よりも恰好いい建物が増えた。そのことが無性に悲しかった。(了)