英語学習方法についての  
私の疑問


このページでは
よく言われている「英語勉強方法」について私なりの意見を述べてみたいと思います。

その1.赤ちゃんは文法なんて考えなくっても、
また、覚えようとしなくても自然に言葉を身につけました。
だからこそ、
これこそが英語を勉強する一番の方法なのです。?!


「覚えようとする苦労も無く、文法何か気にしなっくっても・・・・」何ともいい響きですよね。
では、日本語のネイティブスピーカーである皆さんにいくつか質問します。
ちょっと考えてみてください。

@あなたの一番最初に発した言葉は何でしたか?
Aその言葉を発するまでに、何時間のインプットが必要でしたか?
Bあなたは、日本語を今現在のレベルにするまで、どれだけの時間をかけてきましたか?
Cあなたは日本語が話される環境に24時間とは言わないにしても、最低10時間程度は何年
 もいたのではないですか?
Dあなたは人と話す時に、常に日本語を使ってきたのではありませんか?
Eあなたは「国語」「算数」「理科」「社会」・・・数々の教科を「日本語」で受けてきたのではあり
   ませんか?
F本や新聞、見るもの、聞くものすべてが「日本語」ではありませんでしたか?

私が伝えようとしている事がお分かりいただけたでしょうか?
「苦労することなく、我々は日本語を学んだ」のでしょうか?
私はこの「赤ちゃん理論」の事を間違っている、とか言うつもりはありません。
むしろ、これこそが「語学の王道」であり、最も自然な方法です。
しかし、これをそのまま私たちが自分の英語の勉強方法として取り入れるには以下の問題点
があります。

ア)私たちが赤ちゃんでない事
イ)ネイティブスピーカーが得るであろう、インプット・アウトプットの量―言語的体験を
  日本で得ようとすると、
  ネイティブにとってのたった1年分の体験をする為にも
  数十年(数百年?)かかるであろう事が容易に想像できる事
ウ)日本国内では
  「英語圏」のように英語が忘れる事が出来ないくらいに周りで話されていない事

私はこの方法の最大の問題点は、
安易に「母国語の習得過程」と
「第2言語」(留学せず日本で英語をやるなら「外国語」というべき)の習得過程を
一緒にしている事にあると思います。
再度申しますが、この方法こそが、最も「自然に言葉を学ぶ」過程です。

でも、実はこの考え方こそが、
「日本人がこれほど英語に熱を上げても、英語が上手くならない」
最大の理由だと私は思います。

私の疑問
1.果たして、
  「日々の生活で必要性がそれほどない英語を、日本で勉強する事」
  のどこが自然なのでしょうか?
  そして、それをやっていこうとするときに、
  なぜ「自然な方法」でなくてはいけないのでしょうか?

2.なぜ、
  「日本で英語を学ぼうとしている人達」に
  「英語圏でESLに通っている留学生達と同じようなレッスンが行われている」のでしょうか?

3.「語学の天才」で無い限り、
  5歳の子供の会話をする為に5年かかっても仕方の無い方法が
  「英語の日常の無い日本で」適用されているのでしょうか?

あなたは3ヶ月間ぐらい英語圏に行けば
ご自身が思っているくらい「英語が上達している」姿を想像できますか?
私は長く英語教師をしておりますが、そういった例は全く知りません。
3ヶ月間英語圏にいる
―ということは24時間とは言わないにしても、最低1000時間くらい
「英語に触れている」状況を作る事が出来ます。
そして、これと同様な事を日本国内で行おうとしたら、
たった3ヶ月分の英語に接する為にも、
一体何年間英会話学校に通わないといけない事になるでしょうか?


日本人が日本語を学ぶ事に工夫は要りません。
外国の方が日本語を学ぼうとするからこそ、そこに工夫が必要なのです。
自然でない事をしようとするからこそ、
そこに「少しでも時間を短縮しよう」とする方法論が必要なのです。



その2.英語は英語で考えなくてはいけない?!
 
Tom君は日本語を学んでいるアメリカ人です。
そんなTom君に
「あなたが日本語が上手くならないのは、日本語で考えてないからよ!!」
と言っている人がいるとしたら、あなたはどのように感じられるでしょうか?
日本の「英語教育」に対する熱の強さのせいからでしょうか?
こんなちょっと「哲学的」な言い方がされるようになっているのは。
私の周りにも「日本語を外国語として学んでいる」人達がいますが、
彼らはそんな哲学的な悩みなんかもっていません。
自分の母国語と日本語を上手く利用しながら、確実に日本語を上達させていっています。
ちなみに私が日本語を教えていたあるアメリカ人の方に言わせると、
『「日本語で物事を考えられるくらいの日本語能力がある」なら勉強なんかしないよ』
と言われました。
まあ、誰がこんな言い方をしたのかはわかりませんが、
これも、英語を学んでいる人に誤解を生んでいる
英語の学習方法に関する「〜しなければいけない論」の一つです。

これもその1と同様、全くもって前提が違う話をしているのです。

「英語」となったとたんに、何か不思議な考え方をする癖のある我々ですが、
落ち着いて考えてみてください。

「まずは日本語の日常会話を」と日本語を学んでいるジョン君に、
「日本語で考える事」を要求できるのでしょうか?

イタリア語を学ぶ際、語彙や概念が日本語でしかインプットされていない人、
或いはイタリア語を使われている状況を「絵」として、
毎日のように使われている場所を見ることの困難な人に、
「イタリア語で考えろ!」などという技が出来るのでしょうか?

 もう一点付け加えさせていただければ、
果たして
「母国語と同じ時間だけ接し、努力を注ぎ込む事」無しに、
本当の意味で、「その言葉だけで考える事が出来るのか?」ということなのです。

私が英語教師としてではなく、
日本語のネイティブスピーカーとして日本語を外国人に教えた経験、
又、私が学んだ比較文化の観点から言っても、
例えばfamilyという単語に関しても、日本語で「家族」と訳される事の多い単語ですが、
10年以上の在日経験のある相当な日本語の使い手であっても、
「家族」という言葉に、
「family」の持つ意味合いを込める事は仕方の無い事なのです。

同様に、
「rice」という単語を私達が聞いた時も、
日本語の「米、ご飯、飯・・・」等の概念が一緒になって私達の頭の中に「絵」が浮かぶ事は
ごくごく自然な話なのです。

つまり、
比較文化の中に出て来る
いわゆるShared assumption(共有認識、暗黙の了解とされる事柄、とでも訳しましょうか・・・)
まで、吸収する事は、恐らく非常に難しい事だと言えます。

私の日本語の意味の取り方に問題があるのかも知れませんが、
「英語は英語で考える」とは、
何十年と積み重ねられた、その言語的体験を通してしか吸収されないものであり、
私は純粋な意味で「そんなことができるのだろうか」と疑問すら感じています。

少なくとも「英語を英語で考える」のは、英語を使える自信がついてからでも遅くはないし、
同時に、「英語を英語だけで考えていないから」といって悩む必要など無いと、私は考えます。



その3.意味などわからなくってもいいから、
                  ひたすら「英語漬け」になれ!?
 
 私が以前担当した事のある生徒さんのことです。
その方は、私が担当になる前、すでにその学校で3年以上勉強をされていたのですが、
一向に伸びが感じられない、とおっしゃっていました。
実は彼女は真面目な方でした。
とっても。
彼女のノートには、英単語と、その意味が英語でぎっしりと記されていました。
また、彼女は
最低でも1時間は英語を3年間聞いた、ともおっしゃっていました。
それでも彼女は「超初心者」の域から出られずにいたのです。

なぜでしょうか?
初めてお会いした時にお話を聞いて、私はすぐにその理由がわかりました。

そう、彼女は前の先生の教えに忠実に従い、
「英英辞典」のみを使い、
「毎日英語を耳に通す」練習をしていたのです。
問題はここにありました。
私は彼女に言いました。
「この方法は10年くらいは続けていけば、成果が見られるかも?という方法です。
しかし、同時に「語学の王道」で、最も美しい英語が身につく可能性もあります。」

 「英英辞典」を使え、「英和は使うな!」
 「意味がわからなくてもひたすら聞き続けろ!」
 「英作文なんかするな!」
 「文法をなんかやるな」!
 「単語の暗記なんかするな!」

皆さんもどこかで聞いた事のあることばではないでしょうか?
とにかく何の工夫も無く、「英語に浸かっていれば」
―という理論が、この国には蔓延しているのですが、
私は次のような理由からであろうと考えます。

理由@恐らく同じ状況を得る事が出来れば、
    誰もが英語がうまくなったであろう環境で英語を学んだ人達が、
    「同じ環境を得る事がむづかしい」人に対して、
    「英語の勉強法」をアドバイスしている事。

「10年以上、アメリカに住んでいました」
「アメリカ育ちです。」
「生まれた時から英語に囲まれていました」
・・・・例えば、こんな状況があなたに与えられるのだとしたら、
逆に「英語を話せない」可能性があるのでしょうか?
これは「当たり前の出来事が、当たり前に起こった」だけではありませんか?

 一方、英語を「苦労して学んだ」人達というのは、「不自然極まりない」努力をするのです。

「文法は絶対大切」とか、
「音読をする」とか・・・そんな事を言うのです。
同じ英語教師とはいえ、議論がかみ合わないのは当たり前なのです。
一方では「当たり前の結果としての英語の習得」であり、
他方はそこに「何とかして工夫を」としているのですから・・・・。

「今は仕事もあり、家族もあり、留学などしていられない」
「私はそこまで英語に時間を取られる訳にはいかない」
「そこまで英語に熱くなれない」

―だからこそ、日本で英語を何とかしようとしている人達に、
「留学しなさい」と言わんばかりの
「ひたすら英語に浸かっていればいい」的な勉強方法が薦められているのです。

 私はこれは非常に贅沢であると思います。
100パーセント「自然な形」で英語を学ぶのなら、
当たり前のように5歳の会話をするのに、5年かけるべきなのです。

恐らくどこかで妥協して、「不自然で結構」と、ある意味開きなおれないのなら、
逆にそんな早い進歩は望むべきではありません。

「私は自然な形で英語を学びたい」―大いに結構だと思います。
それなら、ネイティブスピーカーがその言語レベル習得に費やした時間と同等量の英語に
「浸かっていこう」とする覚悟が必要です。
一日1時間程度のペースなら50年かけるべきです。


理由A苦労して英語を学んだ人の中にも、
    相手を考えずにアドバイスしてしまう事があるから。
 
中には、ご自身が「当たり前の結果としてではなく、苦労して」英語を学ばれた先生方にも、
「自分が通ってきた過程をすっ飛ばして」
アドバイスしている方がいらっしゃる、ということです。

例えば、ロングマンという出版会社の出している「英英辞典」なども、
限定2000語という単語だけを使って、辞書にあるすべての単語の意味を説明する―
という見事な仕事をやり遂げているものですが、
先程の生徒さんに私は使い続けることをお薦めする事は出来ませんでした。

なぜなら、その限定2000語すらわからないレベルだったからです。
英英辞典のみを使って英単語を調べていた彼女は、
ひたすら「わからない」を繰り返していたことでしょう。
ひたすら「わからない」英語を聞いて、「わかるようになる」―その日を待ち続けたのでしょう。

英語教師の中にはこのタイミングを考えない人がいます。

多くの英語教師に薦められる「英英辞典」のみを使うというアドバイスも、
それこそ自分は英和をぼろぼろになるくらい使いまくってから、
英英辞典を使い始め、
英英辞典を使うと効果的だな、と感じておきながら、
その途中の過程をすっ飛ばしてアドバイスしてしまうのです。
「英英辞典以外は使うな」と。

日本でそれこそ、語彙力や文法を中心にやりそれなりに自信があったが、
留学してすぐにコミュニケーションの問題に遭遇する→
「自分が日本でやってきた勉強」が無駄だったと感じる→
その後毎日英語に触れていく事によって英語が上達する→
そして日本に帰ってきてからこういうのです。
「文法や単語などやっても無駄ですよ!」と。

これも「途中経過ぶっ飛ばし型」です。
自分が語彙や文法等がしっかりしていない状態で留学していたら、
今のレベルにならなかったであろう、ということを想像もせずに、
又自分が現在使っている語彙の多くが、
日本で努力して覚えた語彙に支えられている、
という事実も無視しているのです。


1,000人以上の私のデータからはじき出されるものは、決して不思議なものではありません。
Aさん、Bさんという人がいて、
Aさんは文法や単語の「お勉強型」、Bさんはそういう観点から言えばはるかに劣ります。
しかし、話す事、聴くこと、となると、Aさんは苦手で、
「英会話の学校」では同じクラスにいたとします。

AさんとBさんが同じような環境の元、一年間の留学のチャンスが得られた場合、
100%Aさんが英語を大きく伸ばして帰ってきます。
性格によっても異なるだろう、
と思われる方も多いかもしれませんが、私のデータでは例外はいません。
でもこれは、決して言語発達学や、その他の専門家のデータを借りる必要も無いくらい
いたって当たり前のことなのです。

「英語」となったとたんに、
他のフランス語、ドイツ語、韓国語、中国語、日本語、等を外国語として勉強している人達が、
考えもしない「哲学的な悩み」をする必要はありません。

考えてみてください。

あなたは日本人のネイティブスピーカーです。
そして、あなたの友人の日本語のネイティブスピーカーと話す事ができます。

その為に、「おしゃべり練習学校」に行く必要がありましたか?

違うのです。

お互いが、日本語を外国語として捉えた場合、
外国人が「到達しうる最高レベル」に近い、
語彙力、文章力、発音力、リスニング力を持っているからこそ、
会話が成立するのです。

うまく表現できているかわからないのですが、
ご本人の
「英語発信タワー」
「英語受信タワー」を鍛える前に、
さあ、「会話の練習だ」、
とするから、遅いのです。

それはまるで、
ピアノの自分のパートを自信をもって弾ける力をつける前に、
オーケストラと演奏しようとしている人のようなものです。
人と演奏をともにした時
「いいハーモニーが出来上がらないかなー」といいながら、
いつも途中でつっかえて、「ごめんね」と連発している人のようなものです。

自分に必要な単語も知らない、
文章も一定の法則を持って出てこないなら
「ああ、俺は才能が」なんて悩む必要も無いのです。
順序が逆なんですから。

1.国境を越えたとたんに「単語力」が増える、なんてこと事はありません
2.知らない単語は、いくら聞いても「知らない」の繰り返しです。
  (日本語でも意味を聞かない限り同じはずです。)
3.会話の練習の中では、「自分が自信をもって使えるもの」しか出てきません。
4.会話の途中で、あなたが忘れなくなるくらい嫌がらずに5回、6回と繰り返し発音してくれ  
  る人はまれです。
5.会話の中で、1回、2回しか出てきてない単語・表現をその場で覚えられる人は
  スーパーマンです。

「知っているだけの」物が、
練習によって「知っていて、且つ使える」物に変っていく以外に順序は無いのです。

アメリカに行き、その空気を吸った瞬間に、
「知らない単語が意味を持って聞こえてくる」
なんてことは無いのです。

年数をかければ、そして且つ毎日遭遇する目に見えた日常的やりとりは別ですが、
恐らく一年ぐらいの留学経験の中で達成できるのは、
「自分が今までに習ったすべての単語が、自分の話す文章の中で使えるようになる」
ということなのです。

我々の母国語の日本語でも同じです。
外国語ではないので、変な例えですが、
例えばむづかしい四字熟語等を自分の会話の中で使おう、とするとき、
「その意味のわからない」人が使えるはずがないのです。
使える可能性のある人は、知っている人だけです。
そして、そうなった人は、先程言った、
「知っているだけもの」が「使えるようになる」過程を踏んでいるはずです。

「日本人が英語が話せないのはシャイだから」とか、
「英語で考えていないから」とか、そんなレベルの高い事ではありません。
単に「自分に必要な英語を知らない」からです。


その4.学校での英語の勉強は無駄?

文法や、単語の勉強なら、あれほど中学、高校でやってきたではないか!
そしてそれでも話せるようになっていないではないか!!
とおっしゃる方がいらっしゃるはずです。
私もそう思います。

でも、果たして本当に
「俺は英語をコミュニケーションの道具として使いこなすぞ!!」
という目標で英語を勉強されていたかどうかです。
多くの方は、
「学校の受験に合格しさえすればそれでいい」と思っていたのではないでしょうか?
簡単な手紙を書く練習をしていたのでしょうか?
日記を英語でつけていたのでしょうか?
どれだけの英語をご自身の口から発したのでしょうか?
「英語をコミュニケーションの道具に使えるようになるぞ!」と練習をしたのでしょうか?

往々にしてそうではありません。
目標にしていなかったものが、達成できなかったからといって、
自分を責めるべきでもありませんし、それを学校英語のせいにするべきでもありません。
むしろ、学校英語の中で残ったご自身の英語を、
「使えるように変換していく」ようにするべきなのです。
また、そこから発展する英語の世界を楽しむようにしていけばいいのです。
何も学校英語のすべてが悪いわけではないのですから。

私が学生だった十数年前でも、こんなことはよーく言われていました。
そして、まるで「学校英語」を批判してさえすれば、
さもそれが素晴らしい勉強方法かのように宣伝され続けました。

で、結果は?

日本人の英語力は、過去十年で平均でこんなに上がった!という報告がされたでしょうか?
「英語でファーストフードを注文する」というレベルを卒業し、
「英語で議論する」練習をするのが「英会話学校」の意義
という風に変ってきているでしょうか?

そうではないようですね。



その5.論理を欠いた「英語学習ノウハウ」に関する議論」

学校英語の得意な人でも、
「話せる」「聴ける」とは限らない―という議論も成立します。
そうです。
私も同感です。
ただ、同感なのはこの文章に関してだけです。

「英語勉強方法」という点で話すと、
訳のわからない論理展開になっていることがあるのですが、
「資格試験の高得点者だからといって、英語が話せるとは限らない」
―ということに賛成する、ということは、
「資格試験は意味がない」―に賛成するということとは違います。

「我々日本人は日本語をこんなに上手く使っている」ーに賛成する事は、
「よって、外国人も我々と同様な言語上達の経緯をたどるべきだ」
ということに賛成する事とは違います。

「単語や文法を勉強したが、話せるようになっていない」
「よって、英語の学習に語彙力増強や、文法理解など不要である」―とはならないのです。

まさしく理論が破滅しています。
もし英語で同じような理論をすれば、
恐らくそういう主張をされている先生達も理論が成立していない事にすぐ気がつくでしょう。

「中学、高校だけで英語が身につかなかった」ということは
「言葉はウイルスのように人から人へうつるのです。」
ということを証明する理由には100%なりません。

むしろ聞かなければいけません。
「あなたが英語習得に費やした時間と同じものを日本で再現しようとしたら、
何年かかりますか?」
「なぜ、同じ環境にいない我々に、
同じ方法で英語が身につくと考えておられるのですか?」と。



その6.日本には英語「ペラペラ」「マスター」が氾濫しすぎ!!

「私はこの方法で英語をマスターした」
「30日であなたもペラペラ」などという表現が、いたるところで聞かれます。
日本人の英語レベルをまさに「ペラペラ」なものにしている元凶です。
恐らくそう言ってらっしゃる方も、masterという単語を使ってYou can master Engllish this way!
などとは言わないと思いますが・・・。
そう、日本には「たったの数年」でも信じられないのに、
30日で英語をマスターしてしまう人がいるそうです。

不思議なものが好きなのは皆同じです。
「きっとどこかに、楽な方法があるのだ!」と皆思ってしまうのです。
問題は、
「冷やかし好きだけど努力はしたくないタイプ」の人だけでなく、
「少しはやる気をもった人」でさえも、
「楽な方法」と聴いた瞬間に、今の努力が無駄なもののように感じてしまうからです。

「マスター」という単語が英語のmasterと同等の意味をもって使われているのであれば、
「恐らくネイティブスピーカーが恥ずかしくなるほどの言葉の達人である事」が想像されます。
masterというのは名詞で言えば、
例えば、聖書でキリストの弟子達が師匠の事を呼ぶ時に使う言葉です。

我々の母国語である「日本語」。

「私は日本語をマスターしています」って言えますか?

多くの英語の先生達でも
I've mastered English this way!
という表現は余り使わないのではないでしょうか?

それ程多くの英語教師でも使わない表現が、日本ではいたるところで使われるのですから、
「英語をマスターするのは簡単な事に違いない」と多くの方が思うのも仕方が無いでしょう。
「マスター」など最初から、出来ないもの、とした方が健全。
そう思うのは私だけでしょうか?





その7.頑張ってネイティブになろうとする日本人?

「英語はこんなに簡単ですよ!」というものがあったかと思うと、
「日本人は英語の心がわかっていない」
「英語の価値観がわかっていない」
「この文章は文法的にはOK。でもネイティブはそうは言わない」・・・など、
まるで
「英語のネイティブスピーカーの言葉を神の言葉とし、それ以外のものはダメ!」
と言わんばかりのものもあります。

うーん―というのが私の感想です。

仮に、日本語が国際舞台で使われる便利な言語になったとしましょう。

そうなった場合、
日本人のネイティブスピーカーが話している「日本語」は、
「世界の中で使われている数多くの日本語の一種」となるはずです。

我々日本人からすれば、
「私」「僕」を省略しない、外国人の方の日本語は変に聞こえるかもしれません。
日本語のネイティブスピーカーは言いたくなるかもしれません。
「友達に対して、「本当ですか?」なんて言わないよ!「マジ?」の方が普通だよ!・・・・」

どうでしょうか。
「少なくとも聞き手、読み手を困惑させない程度の違いであればOK」としてみては?
「自分がこれから話す相手によって、言葉を変えていけばいい」としてみては?

私は幸運にも今までに
「英語を母国語としていない人達」とも「英語で話す」機会に多く恵まれました。
どうも、そういう時は
お互いにほとんどのイディオムやスラングといった知識を使わずにいるような気がします。
そこには「国際語としての英語」が存在するような気がします。

「アメリカ人だけに通じるスラングやイディオムを学ぶ前に、
あなた達にはもっとやるべきことがあります。」
―と言っていた私の先生の言葉を思い出します。




その8.英語教師の本音?

「英会話学校はエンターテイメントですから」

これまで私は、学生時代にバイトでやったツアーガイド等を含め、製造業、医療機器等の翻訳
の仕事や、貿易、通訳等の仕事をしてきました。はっきり言って、美味しい仕事です。

1.自分の仕事自体が、自分の勉強になる
2.自分の頑張りがそのまま形となって見える

しかし、「人を上達させる事」が仕事、となるとそうはいきません。
相手は様々な性格の持ち主であり、
同じ言葉を言ったとしても、それぞれの方によって取り方も違います。
また、自分で意識していないと
英語のレベルをアップする事は前の職業に比べてむづかしいです。
自分が頑張って英語を磨いていけば、
そのままそれが生徒さんに乗りうつるのであるならば、これほど楽な事はありません。

そう、私が日本語のネイティブであると言う事が、
即私の生徒さんの上達を保障してくれるのなら、
私は数年で「伝説の日本語教師」になっていたはずなのです。
しかし、そうではないのです。

そんな私が、自分の会社を辞め、
これは自分でやっていくしかないな―と思ったエピソードがあります。

それが、「英語教師の本音」。

私は、その日ある教師の会議に参加していたのですが、
そこで、ある先生が立ち上がってこうおっしゃったのです。

―「私達が、何年もかけて実際にその国に暮す事によって学んだ英語を、
どうして日本で週2時間程度のレッスンで吸収できるのでしょうか。
できません。どうせ無理なんです。
だから、私は、生徒さんが来たときに、
「楽しい」という感覚を感じてもらう事に集中しています。
まあ、ある意味「エンターテイメントに徹する、ということですかね。」

まさしく「本音」です。
紛れもない「本音」です。
私は言葉を失いました。
言っている事があたっているだけに、「言葉がなかった」のです。

そう、語学の才能など、そう人によって差があるわけではありません。

誰もが、5年、6年と英語圏で暮す経験が出来るのなら、
そんなに「あがく」必要は無いのです。時間もたっぷりあります。

でも、私は考えます。
そういう「圧倒的不利な状況」で英語を教えている教師が、
「何とかしなきゃ」という感覚を」失ったらどうするのでしょうか?
もし、エンターテイメントとして「英語」を捉えるなら、
私だったら、友達と飲みに行くのを選びます。
映画を見ているほうがいいです。
サッカーの試合を見に行っている方がいいです。

確かに、私が知っているだけでも、「英会話学校」の教師をやっている人達の多くが、
「留学経験者」であり、「帰国子女」です。

日本にいながら「英語を」とやっている人達には経験する事が
「非常にむづかしい」恵まれた環境で英語を学んできた人達ばかりです。

そう、それと同じだけの言語的体験を日本で得ようとすれば、
「不可能」と言い切ってしまった方がいいでしょう。

「楽しく、自然に言葉を学んでいこう!さあ、子供のように!」
「文法なんていいから、単語なんて覚えなくてもいいから」
ーこう言われて嬉しくないはずがありません。

そういうニーズがあることも確かですし、
「やはり、習うなら自然に!」
と思われるのが正論です。
しかし、それならば「10年やっても伸びないではないか?」
などと思わない事です。
週2回程度の英会話の時間に10年通った所で、それは1000時間にもなりません。
英語圏に住んでいるたった3ヶ月にも及びません。

「自然に言語を学び、ネイティブスピーカーと同じ経路で英語をやっていきたい」
のならば、
振り返るべきです。
「3ヶ月程度英語に接している程度では、上達できない方が自然である」
「別におかしくは無いんだと」



私がこのサイトをオープンしようと思った理由はここにあります。

「日本で英語を頑張ろう」としている人達には、
それと同じ、あるいは近い経路で上達していった方々の方法論こそが必要、
と考えたからです。
そして、それをもっと改良していけば、
それこそが「日本で英語を頑張ろう」としている方々には有益である、
と考えたからです。



その9.日本人なのに漢字を知らない?!

参考になるかどうかわかりませんが、
ここでは「大人の方」を対象に問題提起をしたいと思います。

「日本人に生まれた」=「日本語は出来て当たり前」と思われていないでしょうか?

私も職業柄、多くの父兄の方にお会いしてきました。
特に中学生、高校生のお子さんをもたれた父兄の方々というのは、
ご本人より真剣に相談される事が多かったです。

ここで、一般的に問題提起されないことですが、
「帰国子女」などと言われる方のことについて記したいと思います。
「日本人なんだから、日本語は読み書きできて当然!」
といった安易な考え方が未だにあるのだなあ、と私はよく考えさせられます。

「帰国子女」といわれる方々は、
一時期多くの場合中学や高校のクラスのヒーローになる事が出来ます。
そう、発音はいいし、会話も出来る、リスニングの問題も難なくこなしていけます。
そして、その結果だけを見て、親は満足してしまうわけです。

しかし、ご本人の中に、
「日本語の漢字がしっかり書けない、読めない、文章が書けない」
といった問題を抱えられている事が多い事を周りはあまり知りません。

日常生活が日本語で支障なくやっていけるので、
日本語の読み書きも当たり前に出来る、と思ってしまうわけです。

しかし、bilingual であるということは、
必ずしもbiliteral とでも言いましょうか、読み書きもしっかり出来る、
という意味ではないのです。

技術系の科目に本当は興味があり、大学でもやっていきたい、
でも、日本語の読み書きに不安がある。
そして仕方なく日本の大学に入る際に「英語専門」にならざるを得ない
―というような例を私は数多く知っています。
極端な事を言うと、英語圏でそのままいれば技術系の科目を取っていたであろう人が、
「英語科」等に行かざるを得なかったりするわけです。

就職となると事態はさらに深刻です。

英語は話せて当たり前、というような会社に行ったとしても、
やはり日本人として「英語が出来る」ということが最大の力を発揮するのは、
日本語が出来て、且つ英語が出来る、
日本語の文章が読めて、書けて、さらに英語ができる、という時であるからです。
もちろん、英語圏で一生暮しているのなら、こんな事は悩む必要は一切ありません。
ですが、日本に帰ってきてからのこともしっかりと考えておくのなら、
やはり中学、高校レベルの読み書きまではしっかりやっておくべきであり、
英語圏に住んでいる間であっても、日本語の読み書きの練習は必要です。


日本では現在「英語の早期教育」といった傾向が非常に歓迎されています。

「国語の時間と体育の時間以外は全部英語で教える」という小学校もあるようです。

でも思い出してください。

何気なく新聞等にも出てくる多くの用語は
「国語の時間」だけでカバーされていない事を。
二酸化炭素、細胞、社会主義、・・・。
知らない事柄を百科事典等で調べる際でさえも、
やはり最低限の日本語の読解能力が必要であることを。
そして、「日本人として生まれた」=「日本語は読めて書けて当たり前」では無い事を。

子供達は言葉を学ぶ天才だと言われているけれども、
決して読み書きを練習する必要が無い程―そこまでは天才でないという事を。

「国語の時間と体育の時間以外は全部英語」という小学校
―きっと「英語をネイティブスピーカーと同等に使えるように」なることでしょう。

でも、これは「当たり前のことが、当たり前に起こった」だけであり、
その取り組みを「おおすごい!」などと言っている方もいらっしゃいましたが、
私は
「子供が英語を話している―という姿を今すぐに見て喜びたい」
―というだけの大人中心の考え方ではないかと思います。


だから私は思います。
日本国内に必要なのは、
@英語を母国語として学ぶ方法、でも無く
A英語圏で留学生が取るべき方法、でも無く、

第3の方法であるのではないかと・・・・。

ネイティブスピーカー並みの英語力で無かったとしても、
普通に日本語の力を伸ばしながらやっていこう、という方法ではないかと。
中学生、高校生、社会人といった、普通に日本語の生活を送ってきた人が、
「日本国内で英語を伸ばせる」方法でないかと。
「周りに英語が話されている事が当たり前」というものを前提にしないもの、ではないかと。

それが、私がこのサイトをオープンした最大の理由です。

 
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