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時事評論の広場




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(08年6月5日)輸入餃子食中毒事件に関する第三者検証委員会の最終報告書を読んで
ー生協運動の基本的価値と機能にもっと着目せねばならないー
藤原邦達


東大の吉川泰弘教授を委員長として、研究者3名、地域生協連合会役員2名、放送関係者、行政関係者、消費生活アドバイザー各一名からなる通称第三者検証委員会は、2月22日の第一回から5月29日の第9回まで、今回のCOOP輸入餃子食中毒事件に関して、精力的に検証作業を進められ、4月10日の中間報告に引き続き、5月30日には最終報告書を発表された。
本稿ではこの報告書についての評価を示すことにする。

1 委員会のご尽力に心から感謝申し上げる
第三者としての公正、中立的な立場にあって、各委員が短期間に精力的に取り組んでいただいたことに感謝申し上げる。最終報告書にまとめられた内容は日生協ならびに会員生協として大いに参考とされ、今後の施策に活用されるであろうことを確信するものである。

2 残された課題について
(1) 今回のような事態の発生を許してしまったことの原因に関わって、生協の政策執行の責任を持つ理事者、役員やひろく組合員、職員の商品の安全確保に関わる意識のありかたや取り組みのための熱意、対策への期待の程度などの現状を基本的に問題にせねばならない。
3−1項の、「この提言をまとめるにあたって」に、この委員会の生協や組合員についての基本的な認識のありようが示されている。
そこでは組合員、消費者は生協に「期待する」実体として取り扱われているが、実はその組合員が「期待する」事項、内容、あるいは期待の程度などに関して、生協の大規模化に起因する価値観の多様化、複雑化が急速に進行している現状に着目せねばならなかったはずである。
商品については、とくに90年代後半以降において、利便性、経済性を重視するような考え方が有力になってきた。安全性の確保を商品政策上の最優先事項として位置づけることを強く「期待する」職員や組合員の実数が減ってきたのではなかったか。教育、学習などへの取り組みに対する熱意の低下も疑われねばならない。こうした現実を踏まえた上で対策を検討することが必要であったと思われる。
生協では事業の推進に関わるあらゆる仕組みの整備は組合員の要求、期待の程度に即して行われる。この点が一般の企業とは本質的に相違している。安全性の確保のための対策を考える場合には、このような生協の生活協同体としての特徴を確認しておかねばならない。
第三者検証委員会が組合員を「期待する」存在としてのみ位置づけて、組合員のあり方に関してそれ以上の考察を加えなかったことには問題がある。

(2) 生協が事業体であるとともに運動体でもあるという視点が強調されねばならない。
委員会の報告書ではさまざまな提言や対策が示されているが、それらを実践するための、生協の紛れもない主人公である組合員の運動体としての実勢や機能が健全、堅実であるかどうか、またそれらをどのように育成しようとしているかを問題にせねばならない。
商品の安全性を確保するためには基本的に国や自治体の行政や法規、条例などが整備されていなければならない。輸入食品の安全性の確保のためには生協だけの取り組みでは限界がある。今回の報告書では生協の運動体としての機能のありかたについてもほとんど触れられていない。

(3) 生協固有の教育、学習機能の重要性が強調されねばならない。
上記の(1)の生協の組合員の安全性の確保に関わる意識を高揚するためにも、(2)の運動機能を活性化するためにも、生協固有の教育、学習機能が大きな役割をはたすことになる。今回の報告書では生協の組合員を、保護される、受身の主体としてのみ位置づけているが、いわゆる一般の企業や事業体での消費者と生協の組合員は同一ではないのである。
日生協と地域の生協との関係は、たとえばスーパーの本部と支部地域店との関係と全く異なっている。日生協は全国各地の生協の連絡協議の場であって、指揮権限を持つ存在ではない。日生協自体には組合員は存在しない。商品の安全性を確保するために最も重要な役割を果たす組合員や職員の教育、学習機能が地域の生協にのみ存在していることを忘れてはならない。
今回の検証委員会が日生協の事業活動のあり方だけを考察し提言するのであればこれでよいだろう。しかしひろく生協の課題として商品の安全確保の在り方について論じるのであれば、組合員、職員の安全確保意識の振興や運動の活性化について、そしてそのための教育、学習の必要性について全く触れないというのは間違っている。
この委員会の報告書で挙げられた多数の対策事項を推進するためのエネルギーはいったい何処から由来するのであろうか。それは組合員、職員の教育学習によってのみ生み出すことが出来るのである。
学習、教育活動によってこそ、政策を考え、発言し、時には批判することが出来るようになる、生協の基本的価値に関する学習、教育を重視することによって、安全、安心を最優先する生協らしい組合員を育てることができるのである。

(4) 日生協が生協のすべての商品を供給しているのではない。地域の生協では独自の取り組みを必要とする。
今日、各地の生協ではたしかに多種、大量の日生協のCOOP商品を導入して事業を行っている。今回の検証委員会の提言が日生協のCOOPブランドについての安全対策に関してだけ言うのであればこれでよいのかもしれない。しかし各地域の生協では、実際に多種多様な自主開発商品を取り扱っていることを忘れてはならない。
たとえばその規模が世界有数のものとされているコープこうべなどでは多種類の自主開発商品を保有しており、それらは近隣の生協は言うまでもなく、広く全国の生協に流通している。
筆者は定年後にコープこうべの技術顧問として15年間にわたって商品検査センターに在職したが、このセンターでは、当時、中小県の自治体の衛生研究所なみの約30名の 、日生協の商品検査センターに匹敵する多数の職員がいて、多様なコープこうべブランド商品の品質検査に当たっていた。
さらに生協の組合員は生協の商品以外の一般企業の商品も購入しており、生協が組合員の健康、安全を守るためには、相当規模の品質管理、商品検査体制を必要とすることになる。したがって輸入、国産に関わらず、生協の商品の安全対策について考察し提言するのでれば、以上のような膨大な負担を支えるために、広く全国の地域生協での品質管理活動を振興することが必要であり、したがってそのための組合員、職員の意識化、教育、学習の必要性を前提とした取り組みが肝要であることを強調せねばならなかったはずである。
今回の委員会の報告書での提言は、全国約500もの地域生協のすべての商品の安全、安心を確保するためのものではない。各地域の生協では、日生協とは別に、この際、独自に、商品の安全、安心のための対策を講じることが求められている。

3 各地域の生協の取り組みこそが重要である
検証委員会では有事に際しては、「会員生協が日本生協連を司令塔として受け入れること」をすすめているが、実務、権限、責任などに関わって、実際的にはさまざまな問題点が考えられ、この点は今後大いに論議する必要があるだろう。
前項で示したように、今回の検証委員会での提言、対策は日生協の、主として、いわゆるCOOP商品の品質管理体制について示されたものであり、いずれにしても、各地域の生協では独自に以下のような取り組みを行うことが求められている。

(1) 日生協に積極的に協力する。同時に日生協に安易に依存しない。生協間の連携に配慮する。
いうまでもなく生協では、何事であれ、全国的な連帯、協力を重視する。
今回の輸入餃子食中毒事件はその必要性を強く訴えるものであった。

(2) 各生協では独自に品質管理体制の強化をはかる。
自主開発商品を中心に品質管理を徹底する。検査室を整備し、検査員を補充し、品質管理マニュアルを更新する。

(3) 各生協では品質管理強化委員会を立ちあげる
各生協では組合員、理事、外部学識経験者を交えた委員会を立ち上げて管理体制、管理マニュアルなどの整備、更新を行う。

(4) 学習、教育体制の強化を図る
最近の事態を受けて、組合員、職員、理事、役員の、商品の安全、安心体制の強化のための意識化、そのための教育、学習体制の再構築に努める。

(5) 品質管理地域生協全国協議会を立ち上げる
日生協を中心に、各地域生協間の意思疎通を図るために、この際常設の全国規模での協議会を発足させる。食中毒事故の予防や事故発生時の連絡、通報、処理、組合員への情報伝達の迅速化など、緊急に必要とされる協議事項が多数存在している。

4 生協の運動機能を活性化する。国や地域社会との連携を密にする。
商品の安全、安心は生協の努力だけで確保できないことは明らかである。輸入に関わる現地での対応、検疫、流通などの複雑な経路を経て商品は生協直轄の管理責任圏に入ってくる。この過程における食品衛生法などに基づく国、自治体の監視体制や検査体制の強化がなければ、日生協や地域の生協の努力だけで組合員の安全を守ることが出来ないことは明らかである。したがって生協は組合員による要請、請願などの運動機能を活発化して対応する必要があることに留意せねばならない。検証委員会の報告書ではこの点での生協や組合員、職員の役割については全く触れられていない。
自治体の衛生研究所、保健所などとの関係を日常的に密接化するとともに、研究、検査の担当者や食品衛生監視員などとの交流を重視するべきである。さらに地域の大学や研究機関の学者、研究者から必要に応じて必要な情報が得られるようにしておくことも必要であろう。

5 結び
本稿では、通称第三者検証委員会の中間、最終報告書についての見解を示した。
その概要は以下のとおりである。

(1) 検証委員会が示された指摘や対策には今後大いに参考とするべきものが数多く見られる。委員長はじめ、各委員のご尽力に感謝申し上げる。

(2) 他方で、大多数の委員が生協の部外者であり、当然のこととして生協の基本的価値、地域の現場における生協の実態などについての理解が不十分であったためか、その日生協のCOOP商品を要求し、購買し、利用する実体である生協の組合員のあり方の重要性についての考察が不完全であることを指摘しておかねばならない。
   具体的には以下の事項に留意する必要がある。

1)  生協の組合員は一般企業のいわゆる消費者そのものではない。生協の組合員は、考え、主張し、行動する消費者でもある。
組合員はCOOP商品を含む生協の商品を期待し、受け取る存在であるだけではなく、要求し、作り出す存在でもある。生協の商品について論じる場合にも生協の組合員の本質に関わる視点を見失ってはならない。

2)生協の大規模化に伴う組合員意識の多様化、変質を問題にせねばならない。
 組合員はよりよいCOOP商品をつくるために学習し、教育し、実践する主体的な消費者である。日生協のCOOP商品に関する考察に際しては組合員の本質に関わる生協の学習、教育機能のありかたを無視することは出来ない。

3)現場で商品を実際に取り扱う地域の生協の役割を重視せねばならない。
 組合員はCOOP商品を含む生協の商品だけで生きているのではない。日生協の商品規制の体制がどのように精緻に作られても、これを受け入れる地域の生協のあり方に問題があれば安全性は確保されない。

4)生協は運動機能を有する消費者の組織である、という視点をもっと鮮明にするべきである。
 商品の安全性をめぐる社会システムを改変しなければ、COOP商品だけが安全、安心であるということはできない。生協が国や自治体に対して要求する、行動性をもった組合員によって支持されていることに留意せねばならない。

生協の主人公、主体者である組合員の意識的実態が生協の規模の拡大に伴って多様化し、変質し、たとえば非生協的な方向に傾斜して、経済性や利便性などを過剰に要求するようになれば、生協の商品の安全性確保に関わる取り組みが最優先されることはないであろう。
さらに商品の安全確保に関わる施策を強力に推進するためのエネルギーは、生協の主体者である全国の組合員の、安全確保に関わる期待にとどまらず、安全確保意識の高揚によって充足されることを強調したい。
そして、その意味では生協固有の機能である教育、学習活動の活性化が重要な意味を持つことは明らかである。
組合員の消費生活の安全、安心を確保するためには生協だけの対応には限界がある。国や自治体の法規、条例を改善し、食品衛生などの行政のありかたを変革することが必要である。そのために生協の運動機能が重要な意味を持つ。
今回の第三者検証委員会が示した多数の示唆に満ちた提言を生かし、施策を実践するためには、生協運動固有の基本的価値に着目することが肝要である。

筆者は80,90年代に日生協から3冊の食品の安全性に関する著書を刊行したが、その基調は本稿のものといささかも変わっていない。
生協の商品の安全性の確保に関わる論議は古くて新しい。この報告書をめぐる今後の論議に大いに期待するものである(完)、


(5月28日)品質保証体系の構築を支えるエネルギーは充足されているのか
―輸入餃子事件:対策はこれでよいのか―
藤原邦達


1 生協は何を「お侘びせねばならない」のか
本年4月に日生協は山下俊史会長名で、「「CO・OP手作り餃子」重大中毒事故のお詫びと今後の対応について」と題する文書を公開した。その冒頭にはつぎのように書かれている。
「「CO・OP手作り餃子」での重大な中毒事故により、皆様に多大なご心配とご迷惑をおかけしましたことをあらためて深くお詫び申しあげます。」
しかしこの序文は極めて不正確である。生協がお詫び申し上げねばならないのは、皆様に多大なご心配とご迷惑をおかけしたことではない。生協の責任者がお詫びせねばならないのは以下の点についてである。
(1) 初めて、CO・OP商品によって複数の組合員に食中毒被害を発生させたこと
(2) 結果的に、生協の本質に関わる、これまで大切に守り育ててきた、CO・OP商品の安全、安心に関わる信頼性を著しく傷つけたこと
 心配や迷惑をかけたこと以上に、生協の歴史始まって以来の重大な事態を引き起こしたことについてこそ陳謝せねばならないのである。

2 責任をとらねばならない
 以上のような事態が発生した原因はどこにあるのか。またその原因を作ってきた、あるいは欠陥状況を放置してきた責任はどこに、そして誰にあるのか。最近よくある一般企業での不祥事の場合のように、生協でも当事者、役員が頭を下げればそれでよい、のであろうか。
生協はロッチデールの精神を持ち出すまでもなく、倫理感、責任感の特別に厳しい特異な組織体であったはずである。今回の事態の処理の過程で、責任の取り方についても、生協がスーパーでもコンビニでもない、消費者の共同体である、ということが証明されねばならない。

3 原因は正確に究明されねばならない
何事であれ、原因究明に失敗すれば対策が正確であることは出来ない。今回の事態がなぜ発生したのか、については前回のHPで述べたとおりであるが、筆者が朝日TVのなかでも言及したように、最近における生協組織の大規模化という事実に最も着目せねばならない。組織、売上げ規模の拡大は結果的な状況であり、確かに生協の努力の成果であって、生協に対する社会的評価の現われであるということも出来よう。しかし生協の組合員2500万人、事業高3兆円という規模拡大に伴って、組合員意識の多様化、事業対応の複雑化という事態が必然的に発生してきたことに注目せねばならない。
生協の主人公である組合員の意識のなかに、商品のあり方に対する要求が多様化して、たとえば経済性、利便性、安全性などの位置づけをめぐる考え方の濃淡が必然的に出現してきた。輸入食品の場合でも、検疫などでの管理、規制や商品の基準、規格、表示などについての関心もさまざまに異なるようになってきた。商品のあり方に関しても一般企業の商品に対するのとさほど変わらない要求しか持ち合わせない組合員も見られるようになってきた。
ずいぶん以前のことではあるが、安全、安心に配慮した生協のすぐれた洗剤が種々ある中で、ある生協でライオン社のLAS 系の合成洗剤を店頭に置くことになったことが問題になった。その理由を聞いてみたところ、担当者の職員が、主人公である組合員が要求する商品を置くのは生協として当然です、と答えたことを思い出す。
組織規模の拡大、組合員意識の多様化に伴って、生協らしくない考え方や質の低い要求なども必然的に出現してくるだろう。問題はこの状況をどうするかである。特に安全、安心の確保に関わって、優れた政策を選択し、実施するためには、組合員の生協らしい要求を育て上げ、生協らしい意識の水準を高めることを、そしてそのための日常的な取り組みを怠ってはならないのである。
筆者は以前の論文で、教育、学習の重要性、必要性を強調しておいた。リスクマネージメントを本気でやろうとすれば、そのことが本当に必要であるとする生協の意識人口が圧倒的に多数でなければならない。
生協は今回の事態の原因究明にあたって、以上に示したような理事、役員、職員、組合員の意識的な構造、水準のありように関する考察を怠ってはならない。一言で言えば商品の安全、安心確保に関わる熱意の低下、モチベーションのゆるみの所在を広く深く究明すべきである。
今回のような異常な事態の発生を許した安全、安心システム上の欠陥は、より完璧な仕組みを構築しようとする理事、役員や広くその生協の組合員の意欲、意識の水準に問題があったからであることを認めねばならない。

4 女性役職員の現状には問題がある、
 日生協をはじめとして、各地の生協の常任執行機関での女性役員の割合が異常に小さいことによって、生活や商品に対するきめの細かい、そして同時に厳しい女性、主婦の感覚が政策に反映しがたいことも危惧される。これも意識構造問題の一環であり、この際配慮すべき課題のひとつであるということが出来る。
産み育てる母親の、家族の生活を預かる主婦の、安全、安心に関わる要求が生協の政策執行機関において、より強く生かされることが必要であろう。

5 意識改革を重視しない構造改革はありえない
 生協の今後の対応に関して、日生協は本年4月に「品質保証体型の再構築を通して、再び信頼される生協をめざします。」とするパンフレットを配布している。そこには周到な多数の対案が示されてはいるが、それらの対案を支持し推進するための理事、役員、職員、組合員の安全、安心に関わる意識改革については全く触れられていない。
日生協の内部強化委員会の検討事項の中にも、技術的、システム的な対策は仔細に示されていても、生協をあげての意識改革への取り組みにはノータッチである。さらに外部の有識者に委嘱して急遽立ち上げられた第三者検証委員会の中間報告でも、さまざまな技術的なリスク対策事項が指摘されてはいても意識改革問題には全く言及されていない。
今回の事故の原因究明や今後の対策に関する既往のあらゆる取り組みが、まるでこの事故がスーパーなどの一般企業で発生したのと同じ立場と視点でしか考察されていないことに注目せねばならない。重要なことは消費者の人間的な共同体である生協の視点で考察することである。時代の変化に相応する体制の変革、対策の実施、技術の推進を怠った、あるいは後れを取った、生協という組合員によって構成され、組合員によって支持され推進される組織の安全性最優先の意識形成での不完全性を究明し、指摘して、その是正を最優先するような考え方こそが重要なのである。

6 どのように意識改革を進めるのか
安全、安心の生協はそれ以前に教育、学習の生協であることによって支えられてきた。生協が今日のような大規模化に成功したのは、まさしく戦後の、とくに70、80,90年代を通しての、他のいかなる企業、事業体よりも徹底した教育、学習活動を進めてきたからである。生協のあらゆる安全対策は組合員のすぐれた安全性重視の意識の構造と意識の水準によって充足されてきたのである。
しかしながら、残念なことに、今日の生協では学習、教育活動が活発であるとは言い難い。したがって安全性に関する意識の水準が高められているとはいえない。たとえば輸入食品の激増というような客観情勢の変化に対するリスクマネージメントについて、生協の政策や組織対応での時代不適合性が露呈するのはまさしく必然であり、自明のことであったといえるだろう。
商品の安全、安心に関わる教育、学習に当たっては一般に以下のようなカリキュラムが考えられる。
(1) 生協運動の本質を学ぶ
(2) 安全、安心の意義に学ぶ
(3) 生協の安全、安心対応の歴史に学ぶ
(4) 最新のリスクアセスメントに関する考え方を知る
(5) 危害事例に学ぶ
(6) 今日的な表示、規格、基準、規制などの体系を学ぶ
(7) 世界的な食料、食品事情を知る
(8) 自給率の実態と輸入食品問題を理解する
(9) 品質管理、検査体制を考える
(10) 所属する生協の安全政策の実情を知る
(11)日生協のCO・OP商品の安全、安心確保の体制を知る

7 意識改革を怠れば事故の再発を許すことになる
今回の餃子事件に関わる日生協や各地域生協ならびに第三者検証委員会などの今後の対策に関わる文書には品質保証体系の再構築のためのさまざまな対案、提言が盛り込まれている。しかしそのような対案や提言を支持し推進するためのエネルギーが生協の現場の中に枯渇しておれば実効性を期待することはできないだろう。
今回のような事故を引き起こした生協の組織的、政策的な欠陥を是正するために、全生協をあげての、安全、安心に関わる意識の徹底的な向上、改革が組合員、特に理事、役員、執行関係者の最大課題として捉えられないのであれば、やがて必ず今回のような事故の再発を許すことになるだろう。
生協は「一人は万人のために、万人は一人のために」安全、安心な商品を供給するのである。大規模化した生協が大規模な偽装や食中毒を引き起こさないために、万人の生協組織、一人の組合員個人にとって、今やなすべきことが数多くあることを再確認しようではないか。(完)


(08年04月30日)生協の再生、強化のために
ーCOOP商品輸入ぎょうざ被害事件の再発をどう防ぐのかー
藤原邦達


 最初にぜひとも言っておかねばならないことがある。この事件の原因究明をめぐって日中両国の捜査当局の見解が対立し、結果的にわが国は捜査を中断することになったという。
しかしこれはおかしい。犯罪が日中のどちらで行われたにせよ、それが人為的であることがはっきりしている以上は、この事態を放置していると、再度同じ犯罪が繰り返されて、被害が発生する恐れがあるからである。これは単なる汚染レベルの問題ではないのである。これまでに検出された農薬の濃度レベルは発症量に近いことを忘れてはならない。また同じ農薬が使われるとは限らない。致死量に達するような農薬あるいは農薬以外の薬物が使用される可能性があるのである。
にもかかわらず、日中両国の政治的な配慮から捜査を中断するというのはまさしく国の行政側の不作為による犯罪行為ではないのか。消費者は危険にさらされている。黙っていてはならない。検察当局は原因究明を精力的に続行し、中国側にも捜査を要請し、最終的に犯人を明らかにすべきである。そして再犯が防がれて消費者の不安が除去されるべきである。
現政権は消費者行政に熱心であるというが、消費者のさしせまった安全を守れないようでは論外である。
消費者はもっと怒るべきである。

ー生協の仲間へー
先日来、中国輸入ぎょうざ食中毒事件の解明は進まず,事態はこう着状態に入った感がある。なぜ高濃度の農薬が包装内部のぎょうざに付着していたのか、人の被害が実際に発生したという事実があり、放置すれば再発の可能性もあるだけに、日中両国は面子を捨てて真相の解明のために取り組まねばならない。
ともあれ、この事件の関連で、筆者も各社からの取材を受けてきたが、そのなかでとくに注目したいのは、これまで最も安全であったはずの生協のCOOP食品で被害が発生したことを重視した朝日放送が「生協はこれでよいのか」とする視点で私の見解を聞いてきたことであった。
もとより今回の事件は生協関係者にとっては極めて衝撃的であったし、各地の生協、日生協などでは、これから特に総会に向けて徹底した論議が行われるであろう。
私は、研究所を定年退職した後、いくつかの大学や短大(註1)で講義をするかたわら、長年食品の安全確保の分野で日生協(註2)や各地の生協(註3)の技術的な顧問役をお引き受けして協力してきた。朝日放送はそのような私の立場に即して、研究者としての客観的な見解を聞きたかったのであろうが、短時間のテレビ画面の中では言い切れなかった部分が多々あった。
この小論は改めて現時点での私見をまとめたものである。
(註1:大阪大學、山形大学、立命館大学,光華女子短大 註2;日生協学者専門家懇談会幹事、食品添加物規制Zリスト委員会委員、 生協総研評議員 註3:安佐市民生協、栃木県民生協、大分県民生協、コープこうべ、おおさかパルコープ、ならコープの技術顧問、いずみ市民、ならコープコープしが各生協の食品添加物等自主規制委員)
生協はこれまで食生活のあり方について、とりわけ食品の安全分野に関する意識の水準が特別に高い消費者の組織であるとして社会的に認知されてきた。
その生協の現場において今回まぎれもないCOOPマークのついた商品で高濃度の農薬の混入が発覚し、これに起因すると考えられる被害者が出るというような未曽有の事態が発生した。たとえばならコープの現場では事件当時連日百本を越す苦情や問い合わせの電話が殺到して対応に追われるようになったという。 また2月10日の日刊ゲンダイ紙には「生協お粗末!今度は赤飯の製造年月日誤る」という記事が出た。生協がついに食品偽装にもかかわっていた、というのである。そして見過ごせないことに、最近では「企業もコープも結局同じなのね」というような会話が主婦たちの間で聞かれるようになっているという。このようなCOOP商品による被害およびCOOP商品に対する信頼の失墜という異常な事態を受けて、生協の組織としての責任の取り方および今後の対応のあり方が非常に注目されているのも当然のことであると思われる。
この際、組合員の目に見えるような周到な対処が行われることが必要であり、万一にも生協としての責任の取り方が不十分で、対処のあり方が不完全であるような状況が発生すれば、社会的にもこれまで先輩たちが営々として築き上げてきた生協の安全、安心のイメージと組織に対する信頼を大きく損なうことになるであろう。 現時点において、生協の既存の体質に関しての反省が十分に行われて、二度とこうした事態を発生させないために、組織、機能の変革が周到に実施されねばならない。 この5月、6月に開催される各地の生協、日生協の総代会に向けて、以上の課題についての論議が徹底して行われることが期待される。

1 責任の重視、体制の刷新を
生協の理事、役職員は今回の事態を発生させたことに関して、当然なんらかの形での責任を取るべきである.COOP食品による食中毒被害の発生、C00P商品に対する疑惑、ひいては生協の安全、安心政策への不信感のひろがりというような、生協始まって以来の事態を偶発的なものであるとして、役職員がなんら責任を取らないというような結果に終わらせてはならない。
今回の事件は現在日中の警察当局による捜査下にあり、我が国の警察では中国に於ける犯罪的行為によるものであるとしているが、いずれにしても単純な農薬による汚染問題ではないとされている。したがって我が国での、受け入れ側にあった関係する企業や生協などの責任を問うのは酷であるとする様な考えかたがあるかも知れないが、少なくとも、一般の企業以上に安全、安心を標榜してきた生協として、以下の点での責任を自覚することが必要であろう。
(1) 組合員にCOOP商品による健康上の被害を発生させた。
(2) 行政への事故の届出が遅れ。自前の検証が周到でなく、他生協への通報連絡も遅れて、風評被害をふくむ被害の続発、影響の拡大を許した。
(3) 輸入食品では安全、安心対策までも輸入関連企業に大きく依存して、生協独自の検証を行わず、安全、安心業務での、所謂「丸投げ」的な状況を認めてきた。
(4) 組合員に対する周知が不完全で、回収その他の対策が遅れた。
(5) 生協商品,COOPブランドへの信頼が傷ついた。
この際二度とこうした事態を発生させないために、同時に生協に対する社会的な信頼を回復するために、食の安全、安心確保の体制と品質保証関連人事の抜本的な刷新を行なうべきである。それは組合員に対する礼儀であり、組織の秩序に対するけじめであるというべきである。当事者は言い訳に終始せず、このような事態を招いたことについての責任を自覚して対処せねばならない。全国の2500万人の組合員が事態のなりゆきに注目していることを忘れてはならない。同時に広く社会的に生協のモラルの水準が問われようとしていることにも配慮すべきであろう。

2 組織規模の拡大よりも組織内容の充実を
全国規模で、3兆円にも達した生協全体の事業高をこれ以上増大させる必要があるのか、日生協という組織にとって規模の拡大の意味するものをこの際十分に検討せねばならない。
地域の生協の経営的な体質を健全化して、組合員のニーズに応えられるような組織を維持することは必要である。
生協は一般企業、株式会社並みの利潤追求体であることは許されない、そのような条件下に生協が安定的な経営を維持するためには、一般企業で言えば顧客に相当する組合員の実数を増やして、すなわちその地域における生協の組織率を拡大して、すぐれた商品の購買、普及によって、適正な収益をあげることが必要であるといえよう。そのためには生協への加入の動機となるような商品の安全、安心の確保に全力を尽くすことが求められ、同時に生協がそのために機能している事業体であることを地域的に周知することが求められる。
以上のような理由から組織部門という生協本来の基本的機能の強化が強く要請されることになる。
組合員の生協らしい要求に基づく生協らしい健全な事業の結果としてのみ生協の事業高は認められる。事業規模の大きさ自体は問題ではない。

3 組織機能の強化を
 前項に示した組織率の拡大のために働く組織部門の重要性はいまさら言うまでもない。生協が一般企業と本質的に異なるのは、消費者としての要求を生協自体に対してだけではなくて、生協外の社会に向かって提起して、そのために活動する、いわゆる要求、運動機能を保有しているという点にある。食生活の安全、安心を実現するためには、基本的に国や自治体による法的、行政的な規格や規制が必要であり、たとえば食品添加物の安全性は国の食品衛生法で定める表示や規格、基準の水準が高く、同時に行政の管理、監督が適正で、一般企業がこの規格、基準を遵守することが必要になる。組合員は生協の食品だけで生活しているのではない。
生協における組織規模の拡大は必然的に組合員の多様多数の、そして複雑多岐にわたる要求を生み出すことになる。したがってそれらの要求の質的水準や重要性、緊急性などについての組織内部での整理や評価、検討並びに決定の多無の取り組みが必要となり、そのための生協の組織ぐるみの日常的な学習、教育、情報の開示などが徹底して行われていなければならない。
しかしながら規模の大きい生協ほど組織ぐるみの取り組みは困難であり、とくに組織にとって最も重要な教育、学習の課程に一握りの理事や職員だけしか関与していないとすれば問題である。組合員の圧倒的な多数を占める女性、主婦などの、いわば家事や消費生活の専門家たちに教育、学習の機会を提供し、そのうえで組合員の意見を誠心誠意、徹底して聞かないで、たとえばほとんどが男性の理事で占められている常勤理事会などと呼ばれている組織が事実上生協での政策提起ならびに一般実務の執行機関としての役割を果たしているというような現行の構図には非常に問題があり、このさい再点検を必要とする。
組織部門の充実のために努力しないで組織規模を拡大するのは生協の非生協化を促進することになるであろう。それは極めて危険で致命的な状況であるといわねばならない。

  4 学習、教育機能の活性化を
質の高い消費者、組合員をふやす。質の低い要求を持ち出さない組合員をより多く育てる、そうすることによって組織の自浄、自活作用を活性化する。組織規模の拡大によって必然的に発生する要求の多様化、複雑化に即して、どのような政策を提起するかが問われてくるが、このような自浄、自活作用の活性化はより水準の高い政策を採用する上で貴重な役割をはたすことになるだろう。
生協の主人公は組合員である。だからといって組合員が要求するものはなんでも受け入れて、商品を供給するというのでは本当の意味での安全、安心を確保することはできない。学習教育の軽視は民主的な体制作りにとって大きなマイナスの要因となることは明らかである。
最近、学習会が持ちにくくなった理由として、組合員の少子高齢化、共働きによる昼間の主婦不在状況の一般化などがいわれるが、これらの悪条件とどのように取り組むかが問われている。
それにしても、80,90年代の生協は学習、教育に熱心だった。職員,組合員の学習会は真剣だった。特に食品の安全、安心を求めるエネルギーは強烈だった。
ならコープはその当時から学習熱心な生協として全国的によく知られていたが、現場の主役であるパート職員さんの学習会を数回に分けて実施した。講師を引き受けた筆者に対する質疑応答も盛り上がって素晴らしい学習会であった.
組合員だけでなく職員の学習会も重視された。私は全国各地での講師をお引き受けしたが、特に印象に残っているのは旭川のマイナス17度Cの夜に行われた学習会であった。1980,90年代の生協での活発な学習活動はその後の
生協発展の基盤を作ったのだと思う。特に安全、安心の生協の定評を社会化する上で大きな役割を果たしたのは確かだと思われる。
他方で、生協は国の食品衛生法の水準を越える自主的な食品などの安全基準を確立することに取り組んだ。
これは3年前の実例であるがいずみ市民生協では筆者らが協力してつくりあげた食品安全のための自主規格基準の組合員に対する周知をはかるために、約1年にわたって100回をこえる学習会を実施した。もちろん今時以前のように一つの会場に50名、100名単位での参加者が集まるはずがない。その実情は、2名でも3名でも聞く意志のある組合員がいる限り組織部門や品質保証部門の職員が各地域に出向いてする、いわば出前学習会とでもいうべきものであったという。
教育、学習のテーマを適切に選ぶことも肝要である。今回の中国ぎょうざ事件の根底には輸入食品に依存せねばならないわが国の農業の現状や自給率の極端な低さなどの諸問題がある。また国民の食生活のありかた、とくに輸入量とほぼ等しいといわれる残食量の多さや美食、飽食のような風潮が一般化していることについても学ばねばならない。食生活の安全、安心が日々の家庭での食材の購買、調理、食事のありかたに深く関わっていることを、さらに生協がその食生活のありかた、特に食品の安全、安心に深く関わってきたことなどを、きめの細かい学習、教育、情宣を通して組合員に伝えていかねばならない。
現状において、各地の生協や日生協での学習、教育の不足、不振が認められるとすれば、今回の事態との関連で大多数の組合員、役職員、理事者にとって大きな反省材料になると思われる。
学習、教育機能が不完全なままでの組織規模の拡大は最終的に非常に危険な状況を招くことに気づかねばならない。同様な事業体でもある生協と企業スーパーなどとを峻別するものは学習、教育活動の有無であることをこの際深く自覚する必要があるだろう。(註4)
(註4:藤原邦達著「生協運動に科学とロマンを」、「生協運動と食生活の安全性」いずれも日生協出版部刊)

5 品質保証、検査機能の充実を
 今回の事態を受けて、生協は現状の品質保証、検査部門のいっそうの充実をはからねばならない。特に地域の生協ではその一部に見られる日生協依存の体質を改善して、自前の堅実な品質保証、検査体制を構築せねばならない。もちろん地域規模での生協にできることには限界がある。規制対象となるすべての農薬の検査を個別の生協で実施することはたしかに困難である。その場合には信頼できる地元の検査研究機関に依頼して自前のデータを得るようにする。そのための予算を確実に用意する、そのような自主的な品質管理の体制を準備するべきである。日常的にどのような食品のいかなる項目での点検が必要なのか、そのスケジュール表さえも持ち合わせていない「安全、安心の生協」なるものの存在はナンセンスである、いや、それ以上にそれは偽善でさえあるというべきだろう。
 さらに肝要なのはこの際品質保証関連の専門的な職員を具体的に増員することである。安全、安心の生協などとはいいながら、食品関連学部の新卒1名の採用でさえも渋るというようなことではいけない。都道府県市の衛生研究所の定年退職者は豊富な検査技術を保有している。最近そのような専門家を嘱託などとして迎える生協が現れるようになったことにも注目せねばならない。
つぎに品質保証の水準を向上させるために、商品の製造加工や輸入を委託している企業との協力関係を強化する必要がある。今回のケースでは、生協が輸入食品の生産、加工や輸入での安全管理を企業に「丸投げ」していたなどと批判されているが、製造や輸入の現場にも積極的に関与して組合員の信頼に値するようなすぐれた効果を生み出さねばならない、そのためのいわば生協の輸入Gメン制度とでもいうべきものの新設、そのための要員の確保にも努める必要があるだろう。
安全管理のために不可欠なのは検査、調査の体制である。現在生協では全国的に検査室関連の職員を約400名保持しており、いかなる全国規模の巨大スーパーなどにも見られないような検証能力を発揮しているが、それでも各地域の生協単位では事務職員を含めて数名の規模で品質保証業務が行われており、このままでは供給商品の安全管理が十分であるとはいえない。
現在日生協などを中心に相互の連携を強化し、資質の向上を図るために全国規模での検査関係者の研究会などが持たれているが今後は日生協の商品検査センターを中心に新規な調査、研究活動にも積極的に取り組んで、我が国を代表する商品特に食品の権威ある品質検証機関となることが期待される。
 各生協の現場では、日生協や拠点生協への依存を改めて独自に品質管理、検査、調査にかかわる資質や能力の向上に努める必要がある。
ならコープの品質保証、検査部門では月一回輪番制での文献抄読会が持たれているが、品質管理、検査室などの職員が関連の情報を共有し、他方で文献の精読、発表能力を向上する上で大きな効果があると思われる。
 品質管理関連機器の購入もこのさい断行するべきである。ならコープでは一昨年PCR装置を導入したが、遺伝子解析が今後の微生物、ウイルス、生物分野での必須の検査手法となることが予想されており、時宜に適した妥当な措置であったといえよう。

6 学者、研究者の協力体制の構築と整備を
 日生協には総合研究所が付設されており、これまでに、生協運動関連の貴重な成果をあげてこられた。しかし、これは実質的に文科系の生協関連の学者、研究者の組織であるために、筆者は生協の独自のイメージであり、モットーでもある安全、安心の確保に関わる自然科学者を併せて結集するように主張した。しかし、この提案は結局受け入れられなかった。
筆者は、今回の事態を受けて、わが国の自給率の低下、輸入食品の激増、農業の再生などの深刻な課題や、あるいは食品の表示、品質保持、遺伝子組み換え食品、BSE問題などを生協、消費者の視点でどのように取り扱うべきか、などの諸課題との関連で生協総研に理科系の研究部会を設置することを改めて提案したい。
80年代から90年代の生協の発展期に、多数の自然科学系の研究者が、食品添加物、農薬関連の安全、安心確保のために協力したことはよく知られている。安全、安心の生協というような社会的な評価をかちえたことが生協の組織的、事業的な発展、拡大に大きく寄与したことを疑う人はない。当時の日生協や地域生協の役職員は学者、研究者の協力組織を作ることに非常に熱心であった。
生協は学者、研究者の協力を必要とする。今回の事態を受けて、せっかく評価されてきた安全、安心の生協のイメージを放棄するような結果に終わらせてはならない。
各地域の生協でも地元の大学や研究機関との関係を密接にするための努力が必要である。有事に際して助言指導を得ることが出来る体制は何よりも職員や組合員の間に信頼と自信をもたらすところとなるであろう。
このような困難な国際的、国内的な環境の中で、食品の安全、安心を組合員に保障するためには専門家の協力は不可欠である。生協はこの際組合員とともに積極的に支援を要請すべきである。

7 情報の伝達、流通機能の活性化を
今回の被害が発生した要因のひとつは最初の被害発生の時点で当該生協からの届け出、連絡が日生協や他の生協に早急に行われず、そのことがその後の各地での被害発生を防止することにつながらなかった点にある。
この際日生協に食品被害専用のサイトを設置して各生協からの関連情報をリアルタイムに知ることが出来るような全国の各生協、役職員、組合員に完全に公開された仕組みを作るべきである。このサイトにリンクしさえすれば、常時、危害、容疑の概要、特に容疑商品の名称、出所、数量、価格などを知ることが出来、専門家の助言も読み取ることが出来るようにする。
各生協の内部でも危害ないし容疑情報の周知のための類似の地域的なネットワークを構築することが望ましい。
電子技術の進歩によって、情報の伝達流通機能は画期的に向上している。問題はこれに相応した仕組みを準備するつもりがあるかどうかである。
保健所や行政側の保険衛生関連機関のほか、農水省などの規格基準関係機関、大学などの研究機関との日常的な連携についても配慮する必要がある。今回の事態から学ぶべきことは多くある。

8 各地域生協の主体性の確立を
今日、日生協全体での購買を主体とする事業高は3兆円を超える規模に達している。これはわが国のいかなるスーパーよりも大きく、驚異的であるなどといわれるようになっており、いわゆるCOOP食品の供給元である日生協の事業体としてのあり方が注目されている。日生協の直接の対象は組織としての個別会員生協であって、一般の生協での組合員と直接接触する機会はほとんどない。すなわち日生協は、残念なことに、その実は生協運動の紛れもない主人公であり、生活の専門家である組合員、主婦たちの苦情や要求をリアルタイムに、生々しく受け取ることの出来る場所にはいない。したがって日生協では商品、価格、経営すなわち経済、事業、収益優先の傾向が生じる危険性が付随していることにたえず留意していなければならない。
ここ数年の間に、筆者は近畿の3箇所の生協での食品関連の自主規格基準の制定のための委員会に専門家の一人として参加したが、選ばれて委員となった理事、組合員主婦たちの活発な意見に非常に感銘した。家庭を預かり、育児に取り組む生活者としての、特に女性、母親としての食の安全に対する要望が生協運動の実務的な推進にとって如何に重要であるかを思い知らされた。日生協は会員生協の理事や役職員だけでなく、直接一般組合員の声を聞く機会をもっと頻繁に持つべきである。今回の事件は日生協が提供したCOOP商品によって発生していることを関係者は銘記するべきである。日生協こそが被害者の前で直接頭を下げるべき事態であったのである。
 3兆円の売り上げは大規模事業体日生協の独力によって実現したのではなくて、コープこうべやこーぷ東京などを含む、地方の大中小規模の生協の現場、売り場での組合員の日常的な買い物によって実現したのである。それは購買者としての主婦たちの日常的な生活要求の経済的な集約であるといえるだろう。
生協が生活現場の現実から乖離しないためには地域の生協の主体性を重視することが必要である。生協の大規模化、事業体化の弊害を防ぐためには生協の基本的な路線である組合員による運動と事業を両輪とする組織の発展を目指す必要がある。商品、事業に根ざした連帯ではなくて組合員の生活に基づいた団結こそが問われている。質の高い組合員の要求に支えられた生協であるために学習や教育を重視する組織であることが求められている。そのような地域の草の根的な生協の発展にしっかりと支えられているかぎり、全国的な組合員数や事業高の総計がどのように大規模化しても問題はないのである。
生協を取り囲む資本主義的な経済環境の中で実際に生き延びるためには、確かに経営、事業を軽視することはできない。生協が赤字を出して破産状態になれば組合員にすぐれた商品を供給することはできない。社会的な運動を維持していくことも不可能である。そのときにどれほど安全、安心を唱えてみても無駄である。事業に失敗すれば生協は消滅する。その意味において生協にとって事業は確かに不可欠であり重要である。
しかし生協は利潤を追求する企業のような事業体ではない。組合員が支持する限り購買事業に失敗することはない。問題は組合員の支持のあり方、支持の水準にある。組合員の信頼が得られる限り経営優先志向は必ず克服できる。小さくても地域の生協が健闘しているかぎり生協運動は不滅なのである。

9 この際女性役職員の増員を
日生協をはじめとして各地の生協でも常勤の理事役職員の大部分は男性で占められている。女性が生協の実務的な管理、運営の責任者として登用されている事例はあまり多くない。周知のとおり組合員はすべて女性であるといってもよく、生協ではこのような実務的に管理、運営するものとされるものの性的な偏向が今日でも温存されている。生協の主人公は組合員であるが、結局、その主人公が実務的に管理される存在として位置づけられている。周知のとおり、生協では総代会が意思決定の機関であり、そこで組織の方向性が決められる。組合員の意思はこの場に反映する。しかし問題はその総代会の決定を実行するための実務の実際にある。例えば食品の安全、安心の徹底という方針が総会できまったとしても、そのことを実務的に推進するための取り組みに問題があれば、組合員の期待に反した結果となる。実務的な運営、管理の重要性はそこにある。
 筆者が定年後に家庭の中にいる時間が長くなって痛感したことは、衣食住の生活が大きく女性、主婦によって支えられていて、男性の自分がいかに消費生活の実際に関して無知、無力であるか、ということであった。たとえば、食だけに限っても食材の購入、調理、食器の出し入れ、廃棄物の処理、整理、整頓、清掃というような一連の基礎的、日常的な生活作業について、男性である自分がいかに現実から遊離した、どちらかといえば、わかったふりをしている生活音痴とでもいうべき存在であるか、ということを痛感させられた。
 日生協では07年11月に「コープ商品の品質確保の取り組み」という20ページ立てのパンフレットを発行している。その内容は理論的には、ほとんど完璧といっても良いような水準の高さであり,COOP商品の安全、安心はいかにも疑いのないものとして書かれている。しかし皮肉なことに、このパンフレットの発行直後に発生した輸入ぎょうざ事件ではCOOP商品そのものによる被害が発生して、[COOPの商品も企業の商品も結局同じことなのね]などといわれるようになった。そして生協は中国の生産企業に直接ほとんど関与せず、輸入企業に安全管理を「丸なげ」していたのではないか、とまで批判されるようになった。
なぜこのようなことがおこるのか、それは今後の反省課題であろうが、ひとつだけいえることは、所詮そのみごとなパンフレットは役職員男性の発想で書かれたものであって大多数の組合員女性の認識からは遊離していたのではないか、ということである。たとえば06ページに「海外輸入食品について」というコラムがあり、そこには「自分の目で確かめる」と書かれている。もしもそのとおりであれば今回のようなCOOP食品による被害は発生していなかったはずである。生活感覚が抽象的、観念的になりやすい男性の発想ではCOOPの輸入食品には問題がない(はずだった)のである。
しかし生活感覚が現実的、即物的で鋭敏な女性の発想では、はたして日生協の職員が外国の生産工場に行って実際にどのような監視活動をしているのか、中間の輸入企業の安全管理はほんとうに大丈夫なのか、あるいはこれらに企業に全面的に依存しているのではないか、などという素朴な疑問が容易に生じるはずであり、結局、日生協はこのパンフレットの作成に当たって、女性、組合員の認知、承認、ダメ押しが得られるような重要な過程をほとんど踏んでいなかったのではないか、といわざるをえないのである。
「生協は少数の男性役職員による大多数の女性組合員の支配のための組織である。」などと悪口を言う手合いがある。しかし、もしもそういわれるようになるような悪しき風潮が現実に少しでも見られるのであるならばこの際猛省を要するだろう。
重要なのは常勤役職員の少なくとも半数に女性を登用して、常勤理事会での、実務的な段階での基本的な論議が生活感覚から遊離していないような、緻密で生活実感に裏付けられた原案を提起することである。そのうえで、十分に論議し、決定し、実行する。そのような本来の生協らしい組織運営の推進を目指すべきである。
繰り返しになるが、生協の組合員である大部分の女性は、子を産み、育て、衣食住をあずかり、家計をやりくりして、生協の正式名である消費生活協同組合の「消費生活」のまぎれもない当事者であり専門家なのである。

10 国、自治体に対する要請行動の強化を
こうした状況を打破、改善するためにこそ生協では購買機能と並んで運動機能が重視されてきた。この点がスーパーの顧客と生協の組合員とでは本質的に異なっている。生協では運動や要請活動を可能にすることが出来るためにも購買事業活動の成功が必要である。生協とはそのような組織である。
80年代から90年代にかけての生協は事業と運動の両立のために精力的に取り組んだ。そして結果的に今日のような事業と組織の大規模化を実現させた。
しかし今日ではそのような大規模化に伴う問題点が噴出するようになっていることを自覚せねばならなくなった。紛れもない安全、安心のCOOP食品であったはずの輸入ぎょうざによる食中毒事件はそのような諸問題の象徴的な事例であった、ということができる。この事件は生協にとって今後のあるべき姿を真剣に検討することの必要性を示したものと受け取るべきである。
生協は「一人は万人のために、万人は一人のために」存在する生活者の組織である。自分ひとりだけがよければよいような組織ではない。この事件を頂門の一針として、新しい世紀の初頭にあって、役職員、組合員が一体となって食の安全、安心を目指した生協の変革と発展のために取り組まねばならないだろう。(完)


(08年02月07日) 生協はこれでよいのか
−中国産輸入ぎょうざ食中毒事件に関して−
藤原邦達


今回の中国輸入ぎょうざ食中毒事件では生協のCOOP商品でも被害が発生した。これまで安全、安心を標榜して大きく発展してきたこの組織に対する信頼が傷ついて、生協は今非常な困難な状況におかれている。
今日では主婦の間に「生協も普通の企業と同じなのね」というような会話が飛び交うようになっている。
なぜこのような事態が発生したのか、どうすれば生協はこのような状況を抜け出すことが出来るのか、ここに若干の考察を試みることにする。

この問題を考える上で、はじめにそもそも生協とはどのような組織なのか、ということを理解しておくことが必要になる。
 生協の歴史的な由来についてはここには触れないが、一般に「一人は万人のために、万人は一人のために」機能するための組織体であり、したがって特に商品の品質管理には古くから厳しい対応が行なわれてきた。

更に具体的にいうならば、生協とは次のような組織である。
(1) 生協は消費者、組合員の要求、たとえば安全、安心を追及するために活動する組織体である。同時に、そのような理想を実現するための、失敗することの許されない事業体でもあるといえよう。
(2) 生協には、自らの組織体としての実体を取り囲む資本主義社会の中で、さまざまな困難を乗り越えながら、事業体としても生き残るために試行錯誤を重ねながら存在することが求められている。
(3) 生協は企業ではない。組合員の出資金によって運用され、企業のような株主もいない。利潤追求は行わない。事業による収益は完全に組合員に還元される。
(4) 生協の方針、政策は消費者組合員の厳格な一人一票制のもとでの民主的な総意によって決められる。

今回の中国産ぎょうざによる食中毒事件では、以上のような本質を持っている生協が、その規模の拡大から生じた消費者の多様な要求にこたえるために輸入ぎょうざを導入したことによって被害を発生させることになった。
生協が従来の国産食品の育成、愛用の方針を堅持する中で、たとえば自給率40%といわれるような、わが国の異常な現実をふまえて、選別された一般企業の商品や輸入食品を組合員に供給する方針を採用せざるをえなかったことに注目せねばならない。
中国産ぎょうざによる被害や社会的混乱は深刻である。この際生協は被害を受けた組合員に陳謝せねばならない。同時にJTなどの関連企業とともにこうした事態を発生させたことについての責任を痛感すべきである。そして同時に二度とこうした事態を引き起こさないために、いったい現状のどこに問題があったのか、今後どのように対処することが正しいのか、ということについてこの際真剣に考えることが求められている。

以下、取材側(朝日放送)の質問事項に即して述べることにする。

Q1 生協はこれまでどのように安全安心を担保してきたか

A1 生協が戦後、安全、安心の旗幟を鮮明にして、消費者運動を先導し、あるは、下支えしてきたことについては、周知されているので改めて言うことはない。
戦後から一貫して問題になってきた食品添加物、農薬による食品の汚染を防ぐために、国や自治体に対する要請を強化し、自前の商品の供給に際しては行政の規格基準よりも厳格な自主規制を行い、研究者の協力を得て独自の総量規制の原則の下で、食品に対する化学物質の汚染を最小限にする運動を実施してきたことはよく知られている。輸入食品に対しても、国の検疫体制の強化を要請し、安全、安心な食品の確保のために尽力してきた。そのために、以下のような実践がなされてきた。
(1) 全国各地の生協では、食品の安全、安心確保のために、国や自治体の規制水準を上回る独自の規格基準を制定し、運用してきた。
(2) 供給商品の安全確保のために、品質保証体制を重視し、各都道府県の生協では独自の検査室や検査センターを設置して機能させてきた。全国の生協での検査担当者の総数は300名を越す規模に達しており、これらの検査機能の全国的な連帯による安全、安心の確保のための取り組みが行なわれている。
(3) 生協総研、学者懇談会,Zリスト(食品添加物規制)委員会などを設置して研究者の協力を得るための取り組みが行われている。
、 (4) 運動面では、各地の市民、消費者による消費者団体連絡組織の中核として生協は活動している。行政に対する要請を強化する中で、最近では国会での食品安全基本法の制定あるいは国の食品安全委員会の設置を実現するために貢献したことも周知されている。

Q2 組合員が増加していく中で、商品開発や商品検査の分野に変化が出てきたか。とくに一般企業の商品や輸入食品を導入するようになって安全管理面で変化がでてきたか。

A2 以下の面で大きな変化が認められるようになった。
(1) 加入する組合員が増え、500を越える購買生協が誕生し、生協の組織が大規模化することによって、多様で多数の組合員の要求に対応せねばならなくなった。今日我が国の生協の組合員総数は2500万人を越え、売上高も3兆円を上回るようになっている。
(2) 特に食品の分野では、国産食品の自給率が異常に低い中で、輸入食品や企業経由の一般食品の導入を必要とするような情勢が生まれてきた。すなわち多様な商品の安全性の確保が求められるようになっている。
(3) したがって安全、安心の確保のために商品の開発、流通、供給に当たっての品質への配慮や商品検査の必要性を重視せねばならなくなっている。、
(4) 生協の組織内での努力には限界があり、組合員が生協の商品だけで生活しているわけでもない。従ってグローバル化の進行に伴ってテ一般に、国の食品食料政策、特に検疫、検査、監視機能の充足を求めることが必要となり、そのための運動を強化せねばならなくなっている。

Q3 生協は以上のような環境情勢の大きな変化に今後どのように対処せねばならないのか

A3 今回の中国産ぎょうざ事件は生協が前項で示したような大きな環境情勢の変化に十分に対応できていなかったことのまぎれもない証左であった。現時点において、大きな反省を必要とすることは明らかである。
 その上で以下のような対策を緊急に実施せねばならない。
(1) いっそうの組合員の安全、安心についての意識向上につとめる。
安全、安心の確保のための、学習、教育体制の確立、強化が基本的に必要である。この際従来を上回るようなエネルギーの盛り上がりが期待される。
実際、生協の大発展期であった1980年代などに比べると、最近の生協での学習、教育活動は低調であることは否定できない。とくに若い世代の学習参加が困難な事情をどうするかが問われている。
 学習教育活動の進展によって、安全、安心意識の向上と食生活の質的向上がはかられ、食品の安全、安心に関る社会的体制確保のための運動が活性化されることになるだろう。
 組合員の意識が向上することによって、誤った大規模化至上主義やコスト優先主義、などが是正されるような、いわば内部的な自浄作用の増大が期待される。このことは安全、安心の生協の本来のイメージの回復につながるだろう。
 今回の事態をふまえて食料の自給率の回復、地産地消、国産食品の優先利用、などの従来の政策にさらに拍車がかかることが期待される。
 また組合員の食生活の見直しがすすみ、飽食、美食、残食などの誤ったあり方が是正され、いっそうの安全、安心指向が顕在化して、それぞれに政策に反映されることも望まれる。
(2) 品質管理体制の充実に努める
 今回の事態にかんがみて、品質保証に関わる部局の機能をいっそう活性化する必要があることがはっきりした。従来対応が不完全であった加工食品の安全管理体制を充実せねばならない。特に各地域の生協の現場で品質検査室を整備し、検査要員を増やして、水準の高い管理マニュアルを作成し、検証能力を充実して、組合員の目に見えるような具体的な対処がなされることが望まれる。
日生協への依存傾向を戒めて各地域の生協での品質保証機能の向上に努め、相互の連携を強化し、情報の流通を活性化して今回のような事態を未然に防止することを可能にせねばならない。
(3) 行政に対する要請を強化する
 たとえば輸入食品の安全、安心の確保のための企業や生協の取り組みには限界があり、国や自治体の法的、行政的な体制の整備を基本的に必要とする。その意味での消費者組合員の要請活動が強化されることが絶対に必要である。

 今回の中国産ぎょうざ事件には現在のところ犯罪的な色彩が濃厚であり、完全に予防することは非常に困難であったことは事実であろう。しかし、輸入、仕入れ相手方の選別、輸入後の外箱開封後、陳列直前の時点での商品の観察、点検によって外装の異常が発見された可能性もある。また組合員の購買時での異常の発見と届出を奨励し、クレームなどの緊急情報の全国的な周知のために日生協の果たすべき役割も強化されることが期待されるだろう。
 生協が消費者の食生活の安全、安心確保の要であるためには、なすべきことが非常に多い。今回の事件はその意味でも非常に多くのことを教えているといえよう。(完)


 
(07年10月23日)赤福は直近の不二家問題から何を学ぶべきであったのか


赤福事件の最新の報道では、赤福本社が、商品の再使用をやめたのは一月に不二家の偽装問題が発覚したことに危機感をもったからだとする主旨の説明をしているという。
そこで本当に不二家問題から何を学ぶべきであったかを以下に示しておこう。
なお以下に示す小論は「食べもの通信」誌の6月号に掲載されたものである。

不二家問題から学ぶものは

藤原邦達


今回の不二家の事件は単なる表示の偽装に止まらず、安全確保体制の杜撰さを示すものであり、特にこの企業が原料として卵やクリーム類を多用することを考えると、このままの状況を放置しておいた場合には、近々食中毒被害を発生させる可能性があったことは明らかだといわねばなりません。
こうした事態を発生させることになった理由としては、この企業の、特に経営責任者の、製品の安全性確保についての、
@ 認識の不足
A 社会的趨勢の軽視
B 消費者の期待への無関心
C 同業他社の規範や体制整備の事情などへの調査の不足
などが基本的に指摘され、
したがって、安全性に関わる、
@ 体制整備の不徹底
A 安全関連予算の支出不足
B 社員教育の低調
などの諸事情の発生があったと思われます。
特に不二家の場合には、幼児用食品の代表的なメーカー として、著名なマスコットネーム等に恥じないためにも、表示や安全性の確保には特別の自覚が必要とされていただけに、今回の事態が社会的に大きく注目されたのも当然のことでありました。
 2000年には雪印食品の低脂肪乳食中毒事件が発生し、2002年には同じ雪印食品の牛肉表示偽装事件が発覚して大きな社会的反響を呼びました1。不二家はそれらの教訓を全く学んでいなかったといえます。結果的にこのような事件を引き起こして、再起不能に近い経営的な危機を発生させ、全国のフランチャイズ関連各企業を含む多数の職員やパート従業員を路頭に迷わせかねないような事態を招いてしまったのも雪印の場合と全く同様でありました。
 この際、すべての食品関連企業では、このような事件が発生した理由を自らの社内事情にあてはめて厳しく考察、検討し、至急に体制的、組織的な欠陥を補正することが必要です。
@ 法令の遵守
A 社員教育の徹底
B 社訓、社是と営業マニュアルの確立と遵守
C 施設、備品の整備
D 安全関連予算の充足
などが優先的に実施されることが求められます。そして何よりも消費者の信頼を確保することの出来るコミュニケーション能力のレベルアップに全力をつくす必要があることはいうまでもありません。(完)

老舗赤福が不二家問題から学んだものは、本質的には何もなかった、といえる。かえって関連書類を破棄して、証拠の隠滅をはかるなど、悪質な立ち回りに終始したのではなかったか。赤福300年の歴史に照らして恥ずべきことである。


07年10月22日

「赤福」事件を受けて、食品表示偽装問題を考える

藤原邦達(食品衛生学・医博)


 2002年1月の雪印食品、同6月の日本食品、7月の日本ハム、04年のハンナン、07年になって1月の不二家、6月のミートホープ社、7月の丸亀三豊社、8月の石屋製菓(白い恋人)の表示偽装事件、9月の宮崎(うなぎ)その他の各地の企業での産地偽装事件などの後を受けて、10月12日には老舗「赤福」による製造年月日表示偽装事件が発覚した。その後の詳細は報道に示されているとおりであるが、ここでは、これらの多数の事例を通しての、率直な印象と総括的な問題点、対策などについて指摘しておくことにする。

1 赤福問題発覚時点での率直な印象
(1) 偽装事件の性懲りもないくりかえし、またかの感慨
(2) こうした杜撰なやり方で、よくぞ食中毒が発生しなかった。
(3) 名門、老舗企業のおごりなのか、社是「赤心慶福」の皮肉
(4) 食品業界のモラル低下の実感ここにきわまる。
(5) 事件関連企業の経営者には弁解とうそが多すぎる。
(6) 氷山の一角、他も押して知るべしなのか、という疑惑と懸念の発生
(7) 消費者の不信感と怒りは極限に達している。しかし馴らされるよりもましかもしれない。
(8) このままでは中国をはじめとする他国の食品事情を批判できない。現状はまさしく国家的な恥辱そのものである。

2 食品偽装事件の問題点
(1) 当該企業にみられる問題点
1) 経営者と役職員の姿勢
* 同族、老舗経営への安住
* 社内で提起された問題の放置と無視
* 内部告発に到るまでの無為、無策
* 社会的責任とコンプライアンス意識の希薄
* 食の安全についての時代的認識の欠如
* 今日的な消費者ニーズへの無知
* 最新の安全管理システムと社内学習体制構築への無関心
* 食品衛生管理者制度の軽視
* 調査、検査、監査体制整備への無関心
* 行政、保健所などとの日常的な連携の不足
* 他社の事例を他山の石としていない。
* 露見すれば経営危機を招くことへの認識の不在

2) 当該企業の職員と職員組合の姿勢
* 内部告発以前の社内論議と交流調整の不足
* 社内安全体制の構築に関する経営者への要請の弱さ
* 食の安全、安心問題に関する学習の不足
* 老舗、同族経営などの保守的社内風土への埋没

3) 関連業界団体のありかた
*  同地域、同業者の組合、団体、協会などでの加盟企業への食の安全体制構築のための指導、助言、学習活動などの不在
(たとえば地域の食品衛生協会や酪農組合などの対応のありかたが問われている。)

(2) 食品関連行政の問題点
 * 保健所、食品行政、農水関係職員の職務意識の不足
(内部告発者などへの対処のあいまいさ、知らないふりをしていて積極的に動こうとはしない。21日の朝日新聞によれば、赤福の場合、3年前に大阪市への偽装疑惑の調査依頼があったという。)
* 食品企業に対する日常的な調査、検査、監視、指導体制の不完全性の放置
* 食品衛生監視員、農水行政職員などの人員の決定的な不足
(監視回数が法定数を下回ることが常態化しており、農水省関係には厚労省の食品衛生監視員に相当する食品監視のための役職は存在しない。)
* 予防体制の不在、事後処理体制の温存
* 営業停止などの行政権限行使への逡巡
 続発する偽装事件が単なる経済事犯であるかにみなされて、国や自治体の政治や行政当局が抜本的な対策に乗り出す積極的な姿勢を見せていないことは問題である。食の安全、安心に関わる不信感の社会的な広がりは決して放置されてもよいことではない。

(3) 食品関連法規の問題点
1) 表示監査制度確立の必要性
2) 表示監視員制度新設の必要性
3) 原材料、中間製品、最終製品についての表示義務を整備、確立する必要性
4) 罰則強化の必要性
(現行の罰則は軽すぎて再犯防止のためにはほとんど役に立っていない。)
 企業の自由裁量に任されている現行の賞味、消費期限設定方式を改めて、食品表示全般に関する行政の認可、調査、監査、監督権限を抜本的に強化することが必要である。

(4) 消費者のあり方に関する問題点
 類似事態の再発、繰り返しを許さないために、
1) 食品の安全、安心を最優先する考え方を徹底する必要性
2) 消費者による自主的な表示監視の必要性
3) 問題企業に対する不買運動提起の必要性
 あきれて、驚いて、怒っているだけではいけない、結局は消費者が立ち上がって、当該企業に対する不買運動を展開するまで徹底してやらないと、この種の問題の再発は防げないのではないか。

3 対策
(1) 表示偽装商品の安全性の点検
 偽装を行うような、杜撰な商品管理を行っている問題企業では、当該製品に起因する食中毒の発生が危惧される。たとえば売れ残りの商品を再利用したような場合には細菌数が異常に増加していて、安全基準を越えるような場合がおこりうる。
(21日の報道によれば、赤福では、店頭の売れ残り商品を回収して、あんともちに分け、一部は冷凍しないで再利用していたという。20日の記事では製造年月日を翌日付にすることがあったとされている。)
1) 当該企業のすべての商品の食品衛生水準の緊急点検
2) 当該企業の食品衛生検査、調査、監査体制の緊急点検
(2) 上記2項で指摘された多数の問題点の克服、是正と対応の必要性の確認および当該企業、国、地方自治体の行政にとって必要な対策の実施>BR>
(3) 企業、行政と消費者のコミュニケーションの確立
(4) 第三者社外委員を加えた食品安全監査委員会を社内に新設する
。 (5) 同業他社の商品表示、安全管理体制に学ぶ
。 (6) 問題発生企業での従業員の生活を保全するために尽力する。

4 結語
類似事件の再発を防止するために、関係者は全力を傾注して対応せねばならない。とりわけ食品関連企業には社会的責任を痛感して社会的使命を遂行するために努力することが強く求められている。
表示偽装問題に見られる企業の経営姿勢の弛緩、欠陥は、本文に示したように、最終的に食中毒事件などによる消費者の被害に直結することにもなる。食の安全、安心を確保することは国家的、国民的な威信をかけた究極のテーマであり、特に政治、行政の今日的な重要な課題のひとつでもあることを忘れてはならないだろう。(完)


(07年6月27日6
ミートホープ社の食肉偽装事件を考える
藤原邦達


(東京新聞に一部掲載)

1 率直な印象をいえば
 昨今、ミートホープ社による、およそ食品にかかわる偽装、欺瞞などのあらゆる不正行為が次々に暴露されて報道されつつある。この企業が行った数々の不正の内容にはまったく呆然とさせられるばかりで、怒りさえ忘れてしまうほどである。特にこの企業の責任者である社長の行為や発言はわが国の食品衛生史上類例の無いほど低次元で悪質なものであるといえるだろう。
 今日、わが国では、中国での食品汚染や同国からの輸入食品の表示の偽装などを非難する論調がまかり通っているが、今回わが国でミートホープ社のような企業が長年にわたって存在し、一流のスーパーや生協の商品までもが偽装されていたとすれば、他国のことをあれこれといえないことも明らかになった。

2 行われていた事実の本質
表示、品質偽造はもちろん、それ以前に素材自体の偽造が行われていた。鶏、豚などの利用、着色、牛肉への偽装が巧妙に行われて、プロであるスーパーや生協でも見抜けなかった。ミートホープ社はまさしく食品業界のプロを欺く超プロのテクニシャンであったといえる。しかも偽装が問題化した場合の苦情処理のための保険までもかけていたということにはまったく驚かされる。この偽装保険とでも言うべきものはおそらくわが国での最初の食品犯罪事例であったといえるのではなかろうか。

3 7年前からの偽装行為
 ミートホープ社の偽装行為は7年前から行われていたという。(6月22日、北海道新聞)また、本日付(6月26日)の朝日新聞によれば実は24年前から日常的に不正を行っていたという。これは2000年、2001年当時に、同じ北海道で発生した雪印乳業の食中毒事件や雪印食品の牛肉偽装事件などの教訓や当時の厳しい世論をこの企業がまったく学んでいなかった、むしろ完全に無視していたとしかいいようがない。(参考、藤原邦達著「雪印の落日」緑風出版刊、2002年)最近の不二家の表示偽装事件の教訓もまったく生かされていなかった、ということである。

4 酪農地域である北海道でのくりかえされる偽装
 またしても北海道の酪農企業での偽装事件であったことに、ショックを感じる。これは酪農王国北海道の名誉にも関わることである。今後北海道の行政や業界、道民は信用回復のために相当に努力せねばならないだろう。

5 当事者企業の問題点
(1) 風通しの悪い社内風土
 社長の独断、鶴の一声ですべてが決まり、他方で内部告発者が存在し、補正、正常化機能が全く働かなかった事実に注目せねばならない。
(2)チェックシステムの不在
食品衛生法では食品企業には食品衛生管理者を置かねばならないことになっている。この企業では食品衛生管理者の権限が社長によって無視されていた。また社内的なチェックシステムが不在で、不正を予防し、不正を回復することができなかった。
 とくに今後、最高責任者としての社長や役員のありかたについての検証が必要となるであろう。
(3)倫理観の欠如
 ミートホープ社での、社長だけでなく、不正を日常的に実行していた関係従業員をふくめて食品企業としての倫理観が全く欠如していたことは疑いようも無い。その手口はあまりにもあくどいものであった。
(4) 法令の無視、コンプライアンスの不在
 JAS法や食品衛生法などの法令が無視されていたことは明らかである。社長の責任も明確である。企業でのコンプライアンスの尊重などという最近の世論の動向にも無関心であった。大手企業や生協などに原料製品を供給するミートホープ社のような基幹企業のありかたが非常に大きな影響を及ぼすことを思い知らされた。
(5) 同業、関連他社への背信
 関連する同業各社の商品の賞味、消費期限や品質表示などの正確性が疑われる事態は避けられない。今後当分は加ト吉や生協の商品の品質に関する信用は回復しないであろう。
(6) 消費者への欺瞞、裏切り
 この社長は自社の消費者への欺瞞行為を棚に上げて、「少しでも安い買い物をしようとする消費者にも問題がある」などと語っている、消費者の権利を尊重しようとする態度が全く見られない。

6 農林、食品衛生行政の問題点
(1) 農政の出先機関への通報の無視、あいまいな処理
 一年前、一説では7年前から、一部役員などによる内部告発が農政局の出先機関に対して行われていたが、行政側はとりあげなかったといわれている。雪印事件の教訓から企業の内部からの告発を重視すべきであるという世論が厳しくなっていた中で、今回の事態はまったく理解しがたいことである。今後詳しく行政側の不作為に関する事実調査が行われるべきである。
 告発がうやむやにされた、という説以外に、立ち入り調査を行ったという説もあるが、いずれにしても犯罪行為は見抜けなかった。また農水省が調査を依頼した文書を道庁側では受け取っていないといっているがこれも全く奇怪なことである。
(2) 食品衛生行政当局の機能の空転
本来は農政側が食品衛生当局と連携して、農林職員や食品衛生監視員などによる調査、検証を直ちに行うべき事態であったのに、それをしなかった。結果的に、蓄肉類での偽装処理であっただけに、このまま放置しておけば食中毒事件に発展する可能性もあったことに注目せねばならない。ここでも雪印事件などの教訓はまったく生かされていなかった。
(3) 監視、検査体制の不在
 7年間にもわたる長い期間にあって、さまざまなうわさが飛び交っていたといわれているなかで、この企業の商品の異常や不正を見抜けなかった行政の責任が問われる。日常的な行政側の監視、検査機能の不在、低調がこの事件でも指摘されねばならない。消費者はやはり保護されていなかった。

7 関連企業の問題点
関連企業は長い期間の間に、ミートホープ社の不正行為を本当に見抜けなかったのか、異常に気づかなかったのか疑問が残る。従業員からの情報も本当にキャッチすることができなかったのであろうか。
(1) 関連食品製造企業での不正行為の発覚
報道によれば北海道加ト吉の工場長が本来は廃棄すべき余剰コロッケをミート社に格安で販売していた。ミート社は安値で仕入れた上表示を書き換えて転売していた。道警は工場長が偽装牛ミンチと知りながら仕入れていた疑いがないかについても調べる方針だ、といわれている、(6月22日、北海道新聞記事)
(2) 食品販売企業、事業体での対応の不在
 全国の主要なスーパーや生協でもミートホープ社由来の製品を長期間にわたって販売していた。ここでもなぜ異常を見抜けなかったのか、疑問が残る。消費者は安全、安心を無視されていた。場合によっては食中毒の犠牲者にされていた可能性もある。全国的に商品を展開している企業は責任を感じないではおられないだろう。プロはプロらしく万全を期してもらいたい。

8 今後の対策のための提言
 現時点で最も重要なのは同種の事件を予防するための対策のありかたである。
(1) 原因と経過の正確な究明
 同種事件の再発を防ぐために、なぜこのような事態が発生したかが明らかにされねばならない。
(2) 行政の対応のありかた
 表示などの偽装を防ぐための関連行政の監視、検査体制が強化されねばならない。それ以前に農林と厚生行政当局の連携を強化する必要がある。具体的に予算や人員の増加が求められる。
(3) 同業協会、組合、業界の対応のありかた
 酪農関連の同業者、企業などの組合や食品衛生協会では、今回、傘下の企業での不正行為を業界として全く把握できなかった、したがって不正を予防できなかったことを反省せねばならない。今後、同種事態の再発を防ぐための具体的な対策が打ち出されねばならない。
(4) 検査、監視体制の実効性の確保
 国、自治体、企業、生協などでは従来食品添加物や農薬などの検査に重点がおかれていた。したがって今回のような事態を見抜くことができなかった。今後は素材自体の偽装、偽和を見出すためのDNA検査などを必須、義務的なものとして安全確保のためのマニュアルの中に取り入れねばならない。
農水省、厚生労働省はこの際酪農製品などの全国規模でのDNA検査を実施するべきである・
(5) 従業員の生活保障
 ミートホープ社では早速、26日付で全従業員を解雇したと報じられている。社長、役員の不正の犠牲者として路頭に迷わねばならない従業員があることを放置していてはならないであろう。
(6) 罰則の強化のための立法処置の必要性
 現行のJAS法、不正競争防止法、食品衛生法等の違反に対する罰則は軽すぎる。企業倫理の重視がいわれるなかで、同種の不正行為が一向に後を絶たない現状において、コンプライアンスの徹底を期するためには、罰則を強化するしかない。
(7) 消費者による監視の強化
 最終的に、食品を購入し摂食するのは消費者である。安全、安心を確保するために消費者は今回のような事態を決して容認することはできない。消費者の権利は擁護されねばならない。消費者の行政や企業に対する監視や発言を強化することが必要である。
 内部告発によって明らかになった今回のような事態はまさしく氷山の一角にすぎないのではないのか、とする、わが国の食の安全体制を基本的に揺るがすような不信感が定着することを防ぐために、この際消費者もまた改めて食の安全、安心確保のために真剣に取り組むことが求められている。(完)


(07年6月24日)食の健全性の確保と生産者、食品企業の役割

(アジェンダ誌07年6月号に掲載)
 藤原邦達


 食の安全確保のために生産者や食品企業が重大な責任を有していることはいうまでもない。しかし食の安全は食の健全性の一部分であり、食の安全を完全に守るためには、社会的、構造的に国民、消費者の食の健全性を確保することが重要であり、そのためには生産者や食品企業の努力だけでは足りないことも明らかである。従ってこの小論では。はじめに食の健全性に関わる基本的な課題と現状での問題点及び対策のありかたについて考察し、その上で食品の生産、加工、販売にあたる企業が食の安全性を守るためにどのような役割を果たすべきかを考えることにする。

T 食生活の意義と現状での問題点の確認
1 食生活の意義と安全性の位置付け
 食生活は、人の、@身体の素材を提供する、A活動のエネルギーを提供する、B人間関係の構築に寄与する、C文化、風土の形成に役立つ、という基本的な意義を有している。
人の食生活の健全性を確保するためには、@栄養、A衛生、B安全が総合的に確保されていなければならない。さらにC嗜好、D経済などの要因も重視されねばならない。このような人の存在や活動にとって重大な意義を有する食生活は基本的に安全であり、安心できるものでなければならない。
2 食生活の現状での問題点
(1)問題状況が存在している
 前項において示したような基本的な意義を有する食生活の今日的な状況の中に以下に示すような多数の問題点が色濃く認められるようになっている。これらを正しく認識して、適切に対処することが求められている。
1)食の供給者での誤食の状況
 1に示した食の健全性を逸脱する場合を誤食と呼ぶことにするが、今日、我が国では食の供給者である生産者、食品企業において以下のような誤食の状況がひろく認められるようになっている。
@ 法規、条例の軽視と違反、A表示の偽装、B食品添加物の多用、C農薬、重金属、問題化学物質による汚染、D細菌、ウイルスなどによる汚染、さらに最近では、E遺伝子組み換え食品やBSEなどでの容疑事例なども問題にされるようになっている。
2)食の消費者での誤食の状況
他方で国民、消費者の場合には以下のような事例が認められるようになっている。
?飽食、?美食、?残食 C偏食 D孤食、E欠食 
 一部の地域や民族、難民たちが食料の不足、飢餓的状況にあることを知りながら、あるいは道義的、倫理的な観点から明らかに望ましくないような飽食、美食、残食などの実態が一部に見られる。あるいは医学的、栄養学的に問題があるような偏食や欠食の形態が次第に広がっているような我が国の現実を直視せねばならない。他方で、人間関係の形成と深い関係にある食生活が孤食、個食の様式をとるような傾向が見られることにも注意せねばならない。朝食を食べないで登校する発育期の子供たちも相当の割合にのぼるといわれている。
(2)問題状況を放置するとどうなるか
 食生活は人の数ある営為の中で、最も日常的、長期的、反復的に続けられねばならない基礎的な必須の営みである。だからこそその食生活に社会的、経済的、あるいは家庭的、個人的に、前項に示したような誤食の状況を形成させることによって、必然的に、容易に、@心身の維持や発育の阻害、A活動力の低下、B知能の発育不全、C心理的不安定、D生活習慣病などの疾病への接近、E食中毒、食品被害などの否定的な状況が発現することになる、
  食品の生産、保存、輸出入、輸送から販売に関わる生産者、食品関連企業によって、食品の品質の劣悪化、表示の偽装、情報の捏造が行なわれた場合には、人の被害、危害の前提条件をつくることになる。
食品を単なる利潤追求のための媒体とみなすことは許されない。生産者、食品関連企業は基本的に以上に示したような誤食の状況を助長、拡散させるような役割を果たしてはならない。

U 誤食的状況が発生する原因と対策のありかた
 誤食的な状況、すなわち食生活の欠陥について対策を講じる場合、それらの欠陥を生じせしめる原因、理由を正確に把握しておかねばならない。
1 誤食的状況が発生する理由
(1) 国や自治体が本来の役割を果たしていない
 食品の生産、加工、販売、利用に関わる国や自治体の法規や条例が適正、周到でないことによって、あるいはそれらの法規を遵守、執行する責務を有する行政の対応に問題があることによって食品に起因する被害や異常が発生する。特に食の安全に関わる対処のありかたは科学の進歩や時代の要請に即して適切に定められていなければならない。国内に止まらず、国際的な輸出入を含めて、食をめぐる社会的、経済的な状況が数多くの問題を発生させ、その状況の変化に即応できないことによって問題はさらに深刻の度合いを加えることになる。
(2) 生産者、食品企業の対応が不当で不公正である
 農畜水産物の生産者や加工、製造、輸出入、販売に当たる食品企業が食品を利益追求の媒体と見なしたうえで、品質、表示の偽装を行い、消費者を欺瞞する、あるいは行政的な規制、規格、基準を無視、軽視することによって問題が発生する。たとえば農薬や食品添加物を違法に使用した食品や汚染物質を含む食品などの事例が多数見られてきた。
(3)マスコミの対応に問題がある
最近では商品情報面での一部のマスコミの対応に問題事例が散見されるようになっている。効果効能などの過剰な強調や時には捏造、操作によって、たとえば、通販、広告、映像などでのフードファディズム的なコマーシャル効果を狙うような場合が認められるようになってきた。テレビやインターネットの普及に伴う粗悪な情報の氾濫によって、正確な食品情報の選択がかえって困難になりつつあることにも留意せねばならない。
(4)家庭的、家族的状況が変質してきた
食生活の主要な現場である家庭自体や家族の状況も時代とともに大きく変化して、健全な食生活を維持するのが困難になってきたことも認めねばならない。たとえば。家族の食生活の質的水準をレベルダウンさせている要因として以下のような事情をあげる事が出来る。
@ 食意識の軽視、A食管理者の多忙、B調理技術の低下、C家族関係の希薄化、E食情報の氾濫、F外食の普及
質の高い食卓環境を形成する家庭、家族での責任者である父母、とくに主婦の共働きを含む社会参加が当然のこととなった事情も考慮せねばならなくなった。高齢化、核家族化が進行して、地域的な食文化や調理技術の伝承も困難、不完全となり、いわゆるおふくろの味も次第に失われる趨勢にある。またその功罪は別としても、氾濫する加工食品、調理済み、半調理食品の利用の普及が関連していることも事実であろう。
 食卓をかこむ条件の変化の中で,個食、孤食のような現象が現われたのは時代的な家族の人間関係の変化に起因していることは明らかである。放置しておけばそのような問題事例が増加していくことは避けられないだろう。
(5)食教育が目的を達成していない
 食生活の健全性を維持するための社会的な仕組みや取組みを正常化することを目指した教育的な状況が不完全であることが指摘できる。国民世論の形成はいうまでもないことだが、具体的には生産者、企業での規範意識を高めたり、科学的な対処を求めたり、家庭での食生活の重要性を定着させるための社会教育や学校での家庭科教育のありかたなどを再検討する必要がある。特に小中校での学校給食が健全な食生活のための教育的な現場としての役割を十分に果たしているとはいえないことを反省せねばならない。
2 現状での被害、影響、問題事例
 家族、個人では食中毒事件の犠牲者となることがあり、企業が食品化学物質の使用を偽り、あるいは誤り、結果的に食品汚染や化学公害事件を発生させた事例も多数ある。最近では遺伝子組み換え食品の利用をめぐる問題や環境ホルモン、PCB、ダイオキシンなどの汚染課題が多発し、他方でBSEの病原体として、DNAとは無関係に感染源となりうるプリオンのような高分子蛋白様物質の存在が指摘されるようになってきた。
 食品の品質を保証するための、産地、消費、賞味期限などの表示の偽装事件も続発し、今日的な課題となっている。
誤食的な状況の結果として、国民、消費者の場合にさまざまな被害、影響が生じていることも明らかであるが、とくに栄養学的な欠陥を主因とする生活習慣病の予備軍、あるいは患者が高い比率で存在していることも無視できない事実である。
3 対処のありかた
(1)食生活の健全性を守る世論と仕組みをつくる
健全な食生活を維持、確保するための社会的な対処のありかたは以下の3点に尽きる。@歴史的体験の重視、A健全な世論の形成、B食の健全性保持体制の確立
 一昨年には食の安全確保のために食品安全基本法が制定され、食品安全委員会が設置された。これに関連して、とくに、Bの安全性の確立については、1)リスクアセスメントシステムの実効性を高める、2)食品安全委員会のあるべきかたちを追求する、3)食品安全委員会の今後の取り組みのために(図1)の事項が重要である1。
昨年の国会では食育基本法が制定され、食育の重要性が再確認されたが、問題はこれらの法律の実践であり推進の実をあげることである。
(2)学校での食教育を充実する
生産者、企業の関係者や消費者、国民が健全な食の社会的な体系を形成し維持するためには、教育、学習に努めねばならない。学校において魅力ある家庭科教育を実践し、とりわけ学校給食の現場を活用することが望ましい。
(3) 家庭での食教育に重点を置く
 食育基本法では家庭教育の重要性を強調している。家庭は国民が健全な食生活を構築するための、プライマリーで基礎的な現場である。親子,兄弟、家族の最も緻密な人間関係の中で、健全な食意識が形成され、食習慣や食技能が定着する。また食品の品質に関心を持ち、安全に配慮する態度が定着する。そのためには親の責任が最も重く、家族の協力が必要であることは言うまでもない。乳幼児期にインプリントされた食感覚や食習慣は人の生涯を支配するといわれる。

V 食品の生産者と関連企業の対応のありかた
1 対応の基本的なありかた
生産者と食品関連企業には、国民、消費者と国、自治体とともにひろく食の健全性を維持するために貢献する社会的な責任がある。特に生産する食品での危害、偽装などに関しては、歴史的な体験を学習し、法令遵守の徹底はいうまでもないが、実務的には消費者、顧客の安全だけではなく、満足、安心を目指した技術、社是、営業マニュアル等の整備と社員への周知徹底が必要である。そのための社員教育と訓練を徹底するとともに、以上のような施策の実施に当たる予算の支出や社内機構、体制の整備に努めねばならない。先例に見られたような事故発生の代償が余りにも大きかったことを考えると、これらの予防的な対策を強化するのは当然のことであるといわねばならない。日常的な消費者とのコミュニケーションにも留意すべきである。叉地域の食品衛生行政との連携の強化も必要である。内外の安全関連情報の収集も欠かすことは出来ないだろう。
2 雪印乳業や不二家でみられた被害発生の例証
 おわりに、食品企業の安全確保にとって反面教師となりうる雪印乳業、雪印食品や最近の不二家の事例についてのべる。雪印の場合については拙著2に詳しく解説したが、最近になって発生した不二家の場合では、事件は単なる表示の偽装に止まらず、安全確保体制の杜撰さを示すものであった。特にこの企業が原料として卵やクリーム類を多用していることを考えると、そのままの状況を放置しておいた場合には、近々重大な食中毒被害を発生させる可能性があったことは明らかである。
こうした事態を発生させることになった理由としては、この企業の、特に同族経営に安住してきた責任者や役職員の、製品の安全性確保についての、@認識の不足、A社会的趨勢の軽視、B消費者の期待への無関心、C同業他社の規範や体制整備の事情などへの調査の不足などが基本的に指摘され、したがって、安全性に関わる、@体制整備の不徹底、A予算の支出不足、B社員教育の低調などの諸事情の発生があったと思われる。特に不二家の場合には、幼児用食品の代表的なメーカーとして、著名なマスコットネーム等に恥じないためにも、表示や安全性の確保には特別の自覚が必要とされていただけに、今回の事態が社会的に非常に注目されたのも当然なことであった。
なお企業にとって安全性の確保と関連するISOなどの国際標準規格の取得は望ましいことだが、不二家のISO取得工場で今回のような事態が発生したことは企業がISO取得などの格付けに安住して日常的な対策努力をおろそかにしてはならないことを教えている。
 2000年には雪印乳業の低脂肪乳食中毒事件が発生し、2002年には同じ雪印食品の牛肉表示偽装事件が発覚して大きな社会的反響を呼んでいた。不二家はそれらの教訓を全く学んでいなかったといえる。結果的にこのような事件を引き起こして、再起不能に近い経営的な危機を発生させ、全国のフランチャイズ関連各企業を含む多数の職員やパート従業員を路頭に迷わせかねないような事態を招いてしまったのも雪印の場合と全く同様であった。
 この際、すべての食品関連企業では、このような事件が発生した理由を自らの社内事情にあてはめて厳しく検討し、至急に構造的、組織的な欠陥を是正するために努力することが必要だろう。(完)


(07年2月28日)第3回 食の安全・安心を考えるシンポジウムでの基調講演の予告
―食の安全・安心を確保する社会システムの構築に向けて―
会場 滋賀大学彦根学舎  午後1時

基調講演概要
よりよい食生活をつくるために
講師 藤原邦達


1 食生活の意義を再確認する
(1) 身体の素材を提供する
(2) 活動のエネルギーを提供する
(3) 人間関係を構築する
(4) 文化、風土を形成する

2 食生活の5大要因に配慮する
(1) 栄養
(2) 衛生
(3) 安全
(4) 嗜好
(5) 経済

3 今日の食生活をどう見るか
 (1)誤食の拡散
  1)飽食
  2)美食
  3)残食
  4)偏食
  5)孤食
  6)欠食
 (2)放置するとどうなるか
  1)心身の発達阻害
  2)活動力の低下
  3)知能の発育不全
  4)心理的不安定
  5)生活習慣病への接近

4 なぜ欠陥が生まれるのか
 (1)社会的経済的状況
 (2)マスコミ的状況
   1)コマーシャリズムの弊害
   2)一点強調傾向の危うさ
 (3)家庭的状況
   1)食意識の希薄化、軽視、無関心傾向
   2)食管理者の多忙
   3)調理技術の低下
   4)家族関係の乖離
 (4)教育的状況
   1)家庭科教育の空白化
   2)学校給食の不活用

     5 現状には問題が山積している
(1) 生活習慣病
(2) 食中毒被害
(3) 安全課題
(4) 複合影響
(5) 食料危機

6 どう対処するかを考えよう
(1)歴史的体験を重視する
琵琶湖のPCB汚染 図1
(2)社会的な規制体制の充実
(3)食の安全保持体制の確立
 1)リスクアセスメントシステムの実効性を高める 図2
 2)食品安全委員会のあるべきかたちを追求する 図3
3)食品安全の今後の取り組みのために 図4

  (4)学校での食教育の振興
 1)魅力ある家庭科教育を
 2)学校給食を食育の場に
(5) (家庭での食教育の強調
  1)親の責任
  2)家族の協力
  3)早いほどよい
(6)生協、農協などの生産者、消費者のとりくみの重要性
 1)コープ滋賀の食品添加物自主規制
 2)JA滋賀の婦人部の生活改善活動

7 自分自身の食生活の欠陥を見つけて取り組もう
(1)最も身近にあるものの責任は最も重い。
  (2)若者と高齢者の食生活はこれでよいのか
  (3)取り組まなければ成果はあがらない
  (4)おいしく、楽しい食事づくりを
   1)調理技術の向上を
   2)食卓環境をよくする

8 食生活を正しく位置づけよう
(1)総合的な対応への自覚を
(2)睡眠、休養、運動も適正に
(3)人類社会の実情にも関心を
(4)環境、食料問題にも配慮を
(5)WHOの健康の定義をかみしめよう


(07年2月8日)不二家食品表示偽装事件その5

―食品企業は自社製品の品質格差を至急に点検せよ―

藤原邦達


品質管理に失敗して、世論、消費者の信頼を失った企業がどのような結果を招くかということについては、これまでに多数の事例があるが、特に食品関係企業が今回の不二家の事件から学んだ教訓は決して少なくはなかったと思われる。

1 不二家が再審査の結果、品質管理の是正を求められた事項とは
 不二家は経済産業省の指示に基づいて、自社の3工場が取得していた国際規格ISOの認証についての再審査を受けた。同社としてはこれに合格して製造再開、経営再建への足ががりにしたいという思惑があったと思われる。しかし次の7項目についての是正報告を求められ、認証は保留された。
(不二家の1月31日発表、朝日新聞2月1日記事による)
(1) 管理責任者の権限が不明確。従業員と意思疎通が図られていない。
(2) 不良品が適切に処理されていない。
(3) 品質マニュアルを含む文書管理、記録に不備がある。
(4) 従業員教育が不十分
(5) 取引先の選定基準があいまい
(6) 製造工程の検査態勢が不適切
(7) 内部監査が徹底されていない。

2 ISO國際認証の是正要求事項を重視する
 以上のように、ISOを取得していた不二家の工場が再審査の結果非常に重大な品質管理関連の事項で不合格、再検討を求められたという事実は、ISO取得企業であるからといって無条件に信頼することが出来ない、ということを意味している。結局はその企業の地道な自社管理の実態こそが問題なのであって、ISOのレッテルをまるで優良品質の証明のように使っている企業を信頼してはならないことを教えている。今回の事態は國際認証審査機関の側としても、各企業にISO取得後の定期的な再審査を義務付ける必要がある、ということを示している。
 今回の不二家の表示偽装が発覚していなければ、不二家はISO取得の優良格付け企業として、そして食中毒などの大事故をおこすまで平然とまかりとおっていたことであろう。恐るべきことである。

3 自社の実態についての再点検を急げ
 この際ISO取得の有無に関わらず食品関連の企業としては以上の7項目に関して至急に自社の実態を調査点検するべきである。他社との間に大きな品質格差を残したまま漫然と営業を続けておれば、いつか必ず以下の3つの場合において、製品に起因するトラブルが発生して大きな打撃をうけることになる。
(1) 内部からの告発による問題の浮上
(2) 外部からの摘発による問題の発覚
(3) 製品による食中毒などの事故の発生
 今日の社会では、社内情報といえども完全に隠しおおせるとは限らない。特に食品関連企業の場合には社内管理の欠陥がその商品に刻印されて社外に出る。このことは雪印事件や今回の不二家事件によって正確に証明されてきたことである。特に(3)の場合は深刻である。死者を発生させた場合には企業には致命的な責任を問われることになるであろう。不二家が表示偽装事件で済んだことは不幸中の幸いであったといえるのかもしれない。
 自社の実態に関する2の7項目に関する調査は急がねばならない、激しい経済環境の中で生き残るためには、他社との間に品質格差を残したままであることは許されない。

4 厳しい自主基準をつくろう
 我が国の消費者による生活協同組合である生協では商品の供給時点での安全性を確保するために、厳格な品質管理を行なっている。たとえば食品添加物の場合には、国の基準を上回るような厳しい自主基準を設定して対応している。
 今回の不二家の場合には、事件発生後の報道では、たとえば細菌汚染の場合に、国の食品衛生法で定める基準よりも緩い自社基準で運用が行なわれていたといわれている。ISO取得の工場でのこのような実態には改めて驚かされるが、この機会に各食品関連企業では以下の諸事項について、自社工場、製造現場の工程、製品の既存の管理方式や品質基準などを厳格に再点検すべきであろう。
(1) 自社製品の賞味、消費期限の妥当性
 既存の賞味、消費期限の設定時点が古く、設定頭時から設備、工程が変化しており、仕様も微妙に変えられているのに、その商品の賞味、消費期限の年月日がそのままになっていないだろうか。
 設定当時の安全性に関する証明に無理があることが判明しているのに再検討を行なっていない場合があるのではないか。関係専門家や保健所の食品衛生監視員などの意見を聞いて追試、再設定を行なうべきである。
(2) 製造工程の衛生学的な妥当性
 製造工程が原料、中間製品、最終製品に関して正当に管理されているか、再点検を実施するべきである。たとえば抜き取り検査を行なって,細菌数が一定値以下でなければ次の工程に移行してはならないようにする。
(4) 製品の品質管理方式の妥当性
 最終製品の品質管理は最も重要であり、たとえば酪農関連製品の場合、国の規制では検査が要求されていないエンテロトキシンなどの新規な項目での検査を自主的に行なえば製品による食中毒事故などは完全に防止することができる。雪印乳業では食中毒事故の発生後にエンテロトキシン検査を実施するようになった。
(5) 社内情報システムや社員の意見集約システムの妥当性
 社内での情報の流通がスムースであることが要請される。内部告発によって外部にマイナス情報が漏洩することによる混乱は極力回避するべきである。社員からの苦情、意見は社内的に正確に受け止めて真摯、早急に対処するべきである。そのための情報流通システムを構築することは急務である。
(6) 他社の管理方式、品質基準などとの対比
 同業他社の類似製品の管理方式や品質基準などは原則的に秘密非公開であると考えるべきである。それらは長年のノウハウを積み上げた一種の知的財産であると考えてもよい。しかし、幸運にも同業他社の好意によって、管理方式や品質基準に関する情報を入手することが出来る場合もあるだろう。また市販されている他社製品の検査、評価をとおして相当な情報を得ることができる。それらとの対比の上で、自社の方式、基準が優るとも劣ることのない水準にあることを確認するべきである。
(7) 学識経験者との連携
 日常的に、あるいは非常事態に際して、質問や相談に乗ってくれる学識経験者、専門家の協力を得る事が出来るようにしておくべきである。これらのスペシャリストとの連携は品質管理の効率を向上させることに役立ち、社員、従業員の業務遂行に関する自信を持たせることにも貢献する。
(8) 所管保健所などとの連携
 品質管理に直結する保健所の食品衛生監視員等との日常的な関係にも配慮せねばならない。食品衛生に関する情報の入手源としての保健所の価値を軽視してはならない。保健所は取締機関として、一概に敬遠されるべき存在ではない。食品関係企業に置くことが定められているは食品衛生管理者の任務を再確認するべきである。
(9)従業員教育体制の整備
 従業員教育の重視をとおして、表示や品質管理の重要性を社内に徹底することができる。コンプライアンスに関わる幹部、役員の教育、訓練はいっそう重要である。
(10)PR媒体の管理
 企業の社内的な品質管理に関する情報は社内、社外に知られることが必要である。機関誌、情報誌を発行して、企業の方針、実務の状況などが理解されるようにすべきである。
(11)消費者、顧客との関係のありかたの改善
 消費者対策は今日の企業の取り組みの最重要事項である。消費者の権利を尊重するために、特に安全管理に熱心であることは社外にも知らされねばならない。日常的に消費者の工場見学を受け入れて,PRに努める企業が多くなってきたのは好ましいことである。

以上の各事項についての再点検を行なった上で、他社製品よりも確実に優れた品質を確保した商品を製造するための、レベルの高い自主基準を作製することが望ましい。

5 むすび・品質格差を放置するな
 自社製品が過去に事件を発生させた多数の企業並みの品質しか持ち合わせていないのであるならば、とりわけ安全対策などが放置されているのであるならば、かっての雪印乳業や今回の不二家のような、企業の存立にも関わってくるような悲劇の発生は時間の問題であるといっても差し支えないだろう。
 國際規格ISOの取得企業であろうとなかろうと品質管理の実態を再点検してみれば、問題が出てくる可能性がある。今回の不二家の事件はそのことも併せて教えてくれた。これは重大で貴重な事実であった。要するにレッテルだけでは信用できないということである。

私たちはこれまでに食中毒や表示偽装などの多数の事件を経験してきた。それらはまさしく貴重な他山の石、反面教師であった。今こそ品質管理の仕組みについての再検討に熱心な企業であるかどうかが問われていることを忘れないでいたいものである。(完)


(07年2月4日)不二家食品表示偽装事件その4
―マスコミによるバッシング行き過ぎ論はおかしい―

藤原邦達


昨今の不二家事件に関するHPやブログなどの論説や発言の中に、最近の不二家に対するマスコミの報道が行過ぎている、とするものが散見されるようになっている。しかしこの行き過ぎ論は誤りである。私の知る限りのNHKや各民放、新聞各社の不二家事件に対する論調は妥当であり、決して不当なバッシングなどではない。  不二家事件の問題点についてはすでにこのHP上で3回にわたって私見をのべてきたが、改めてここではバッシング行き過ぎ論に的を絞ってのべることにする。

1 バッシング行き過ぎ論の概要
 バッシング行き過ぎ論では、要約すれば、つぎのようなことを問題にしている。
(1) 単に食品の表示を偽装しただけのことであって、雪印乳業のように食中毒を発生させたわけではない。
(2) 家庭では消費期限の一日、二日の無視は普通に行なわれている。
(3) 世論を刺激することによって、不二家の経営が困難となり、再建が困難になり、リストラせざるをえなくなり、結局従業員が路頭に迷うことにもなる。

2 バッシング行き過ぎ論に対する反論
(1) 不二家の食品表示偽装の意味するものを正確に理解しよう
 最初に不二家がどのような企業として存在してきたかを想起せねばならない。それはブランドイメージの鮮明な幼児、子供向け食品の代表的な企業であり続けてきた。そのような企業であるだけに、杜撰な品質管理の実態がより大きく注目され、報道されているのである。
 消費期限の定義では、食品衛生法において「消費期限とは、定められた方法により保存した場合において、腐敗、返杯その他の品質劣化に伴い、安全性を欠くことになるおそれがないと認められる期限を示す年月日をいう」とされている。
 すなわち、食品の消費期限を偽装することは、食品の「安全性を欠くことになるおそれ」を生じることになると言う事実に注目せねばならない。バッシング行き過ぎ論では、単なる日付の偽装であって、食中毒患者を発生させたわけではない、とのべているが、こうした偽装を許すような放漫な経営が続けられたとすれば、いつか必ず食中毒患者を発生させる可能性があったのである。今回の不二家事件はそのような不二家製品の愛用者である子供たちのなかに死者さえ発生させたかもしれない食中毒事件を未然に防ぐことができた、あるいは事故の直前に発覚した、と見るべきではなかろうか。
 不二家の品質管理には問題が多くあった。食品衛生法に違反するような社内規定に基づき、場合によってはそれすら無視して、相当に恣意的な解釈や従業員の勘による判断に基づいて製造、加工が行なわれてきたことがその後の調査によって判明してきている。
 食品衛生対策の基本は、食品被害の予防ということに尽きる。患者、死者が出ていないから問題がない、のではなくて、被害者を発生させる可能性があるからこそ問題であり、被害者を発生させないために、警告し、対策を講じる必要があるのである。「たかが表示の偽装程度のことで」という考え方はしないのである。農薬や食品添加物、ダイオキシンなどの残留が大きな問題にされてきたのも事故の未然防止、予防衛生の考え方に基づいている。規制や基準そして正確な表示はそのために必要であり、企業がそれらの規則を遵守することが厳しく求められてきたのである。

(2) 家庭と企業の違いは何か
 家庭では消費期限の無視、軽視は普通に行なわれているのに、不二家の場合を手ひどくバッシングするのは行き過ぎだ、とする考え方は一見道理であるかのように見える。
 しかし、企業は基本的に法令を遵守することが義務づけられた存在である。それは公定の基準、規則以上に、可能な限りの安全対策を実施して事故の発生を防止する社会的な責任を有する存在であり、その見返りとして、はじめて一定の利潤を得ることが許されているのである。
 家庭では、たとえば主婦の自己責任において食生活が営まれる。勿論消費期限を無視することは好ましいことではない。家庭内食中毒の原因をつくることは避けねばならない。しかし家庭と企業の性格は全く異なるのである。
 もうひとつ、何故企業の場合が問題であるかといえば、被害が発生した場合の規模が非常に大きいからである。マスコミがこうした問題を厳しく捉えるのは当然極まりないことなのである。決して騒ぎすぎなどではない。歴史的な食品被害事例を正確に理解せねばならない。企業の法規違反、安全性の軽視などの杜撰な運営によって、どれほど重大な事態が発生したかを想起するべきである。数千名あるいは1万名を越す被害者を出した過去の事例を忘れてはならない。

(3) 経営危機とリストラについて
 経営危機はマスコミの過剰な追求によって生じるのではなくて、会社自身の、もっと正確に言えば経営者、幹部の過失、怠慢、無責任の結果として発生するのである。
 経営責任は会社自身にある。食品の安全保持に関わる表示違反を行い、しかも公表を2ヶ月も怠り、マスコミの追求がなければこのままほおかぶりで済まそうとしたとしか思えない会社幹部の責任は重い。経営危機という社会的、経済的な結末は甘んじて受けねばならない。これだけのルール違反をしながら経営に何の支障もないような国家、社会こそ最も恐るべき存在である。
 不二家の経営危機は直近の雪印乳業の教訓を学ばなかったことによって生じている。むしろ自業自得であるとしか言いようがない。
経営危機は銀行,友好企業の支援や協力によって救済されることがある。しかし、そういうことにまで立ちいって、不二家の経営とは無関係な評論家や市民がマスコミのバッシングの行き過ぎ云々などを論じる必要はないだろう。
 ただ従業員に及ぶ影響には心がいたむ。リストラもあるかもしれない。経営危機を打開するために、経営者が自らの責任を棚上げして従業員、社員に犠牲を押し付けようとしないように監視せねばならない。報道機関もその意味での取組みを強化してほしい。国や自治体、そして関連企業も従業員の再雇用に配慮していただきたい、間違ってはならないのは、報道の行き過ぎがリストラを招いたのではないということである。

(4) マスコミの報道のありかたについて
 不二家事件に関するマスコミの報道のありかたがはたして興味本位であっただろうか、危機感の過剰誘導であったのだろうか。私は週刊誌、新聞の全部を読んだわけではないので,なんともいえないが、おおむね偽装の事実を指摘したうえで、細菌数の基準無視などの食品衛生法の違反、品質管理体制の欠陥等を丹念、正確に記事にしていたように思われる。利潤追求組織である企業のルール違反を暴くことは報道機関として当然の社会的な使命であり、場合によっては食中毒のような犠牲者を出す可能性があるような企業の行為を非難することは、資本主義社会における法令遵守、ルール尊重のための世論形成をはかるうえで当然のことであり、報道が「行き過ぎ」などと言われる理由はないのである。

3 むすび・すべては類似事件の再発を許さないために
 今最も重要な事は、表示偽装、法令違反のような国民、消費者の食生活の安全性を危うくすることになる危険な行為を企業が繰り返さないようにすることである。今回の不二家の事件は氷山の一角だ、などと言われるような実態が隠されたままであることが最も恐ろしい。行政側の食品表示問題に対する取り組みが極めてお粗末で、今回のような事件を引き起こしうる基本的な理由になっていることもこのHPの前回までの論説において示したとおりである。既存の食品衛生監視員制度と双璧となりうる食品表示監視員の制度を新設せよ、との私の意見ももっと知らせねばならたい。
 表示は消費者の知る権利の象徴である。表示違反を摘発するのはマスコミの本来的な当然の任務である。(完)


 
(1月31日)不二家表示偽装事件その3・信頼される食品表示制度を確立するために

−食品表示監視員制度の新設を提案する−

藤原邦達


1 現状を正しく認識する
 先年の雪印乳業、雪印食品に引き続いて発生した今回の不二家の食品表示偽装事件によって明らかになってきたのは以下の各事項である。
(1) 企業の食品表示に対する姿勢の甘さ
 特に不二家が幼児、子供向けの食品を主要商品にしていながら今回つぎつぎに判明してきたような杜撰な対応をしてきたことは雪印食品などの一連の教訓がほとんど学ばれていなかった事を示している。今回の事態は氷山の一角であって、表示の偽装以前に表示自体が法に定められたとおり科学的に公正に設定されているのか、制度、規定が社内的に正確に運用されているのか、食品企業一般に疑問がもたれるような状況が生じている。
(2) 内部告発でなければ違法、偽装が判明しない
 非常に不幸なことではあるが、現状では表示の違法、偽装は社内の当事者にしかわからない。部外者には知る手段がない。従って今回の不二家の場合のように、内部告発というような非常に不正常な手段によってしか発覚することはない。このような状況は対応の遅れを招き、製品の使用者一般に重大な被害をもたらす可能性があり、消費者にとっても企業にとっても一刻も早く是正されねばならない。
(3) 行政側の監視、指導機能がないに等しい
 食品表示の監視、指導については、厚生労働省と農林水産省が食品衛生法とJAS法に基づいて分担している。しかしその実効性については極めて疑わしく、業界側の食品衛生分野のまとめ役である日本食品衛生協会の玉木武氏は次のようにのべている。
「「農林物資の規格(JAS)は別として、「品質表示」に関しては――――科学的にチェックの方法がなく」、「監視などチェックを行なう人材も都道府県には配置されておらず、その運用効果は絵に描いた餅と一般的には危惧されており」,[JAS法に関する監視の取り締まりはほとんど行なわれていないといっても過言ではなく、品質表示は営業者の善意を期待しただけの法体系になっているとマスコミ等は指摘しています。](平成14年6月15日、HP、「食品表示に関する私見」)
 自治体の消費現場での監視、指導についてはたとえば名古屋市中央卸売市場での監視指導に関して次のように書かれているように、食品表示のための行政側の対応が非常に弱いことは明らかである。
「平成十四年11月1日から、当検査所食品衛生監視員が農林推参部の兼務職員として,JAS法による食品表示の確認作業を行ない、流通食品の安全、安心の確保に努めている。」  つまるところ、国も自治体も食品衛生監視に精一杯であって、食品表示は企業の善意を信頼して特別に監視、監査を行なうつもりはなく、必要な人員を増やして対応することができるような状況にないのが現状である。
農水省では全国に約1000人の消費者モニターを配置して表示などのチェックを行なっているが、行政的、法的な根拠に基づいた収去や指導などの権限を与えていない現状では、ほとんど実効性がないに等しい。
(4)消費者の食品表示に対する信頼感が揺らいでいる
 以上に述べたような食品表示をめぐる状況は食品表示制度が定められて以来ほとんど変っていない中で、雪印事件等牛肉関連の大規模な産地表示偽装事件が発生し、我が国を代表するような企業でさえもそうであるなら、その他は押して知るべしだ、などといわれてきた。そこに今回の幼児食品メーカーとして著名な不二家で、しかも安全性問題に直結する消費期限の偽装事件が発生して、わが国の消費者は全く唖然とさせられた。まさしくこれらの事件は氷山の一角であって、その他の企業の表示も怪しいのではないかといわれるようになった。即ち、食品表示制度自体の信頼性が大きく揺らぐような現状になっている。

2 現状を放置することはできない
食品表示を企業の善意、良心にのみ委ねて、行政側が監視指導をほとんど行なわない、結果的に消費者が表示を信頼しない、というような現状を放置することは許されない。その理由は以下のとおりである。
(1) 虚偽、偽装表示は社会的公正に反する
 営利のために商品の品質や特性を偽ることは商業道徳に反することはいうまでもない。企業の善意に依拠した現行の食品表示制度は制定以来の実情を見る限り、このままでは社会的公正に反するような実態にあると見なされるようになりつつある。
(2) 内部告発以外に偽装を発見する方法がない
 内部告発は本来営業者および組織の職員にとって好ましいことではない。現状を放置すれば、疑心暗鬼のような異常な状況が企業内で定常化するおそれがある。
(3) 虚偽、偽装表示は食品の安全性に対する脅威となる
消費期限表示の定義において、それが「腐敗、変敗その他の品質劣化に伴い、安全性を欠くこととなる恐れがあると認められる期限」を示す表示であるとされているように、消費期限に関する偽装が食中毒事故の発生につながる可能性が大きいことは明らかである。虚偽、偽装表示が蔓延するような状況を放置することは極めて危険である。
 BSE関連の輸入牛肉での産地偽装や月齢の偽装、検査証明の虚偽記載などが問題にされたことも記憶に新しいところである。これらはいずれも安全性問題と深く関連している。
(4) 虚偽、偽装表示は国際的な信義に反する
 食品の輸出入の国際化が常態化している今日、信頼性を欠く商品が排除されねばならないことはいうまでもない。我が国の食品表示が疑惑視されるような状況を放置してはならない。

3 食品表示の客観性、正当性の保持のための方策
(1) 企業側の良心、善意を信頼して、公正、良心的に表示が設定されるようにする。社内的なコンプライアンス体制の確立や教育体制の整備に努めるように指導する。
(2) 食品表示を届出制とする。届出内容を客観的に審査して許認可する。認可、証明のマークの添付を義務づける。
(3) 食品表示検定、検査センターを新設して、個別企業が設定した消費期限などの表示の科学的根拠を検証し、他方で随時定期的に抜き取り検査を実施して、その結果を公表する。そのほか国際的な表示制度の調査や偽装表示などの確認を行う。検定、検査関連業務は行政側だけでなく食品衛生協会や民間の検査センターなどにも委嘱する。
(4) 以上の業務を推進するために、次項に示す食品表示監視員制度を新設する。

4 食品表示監視員制度の新設
 食品表示に対する国民、消費者の深刻な不信感を払拭することは商業倫理や国民経済の立場から、食品企業側にとっても緊急を要することである。
 食品の安全性の保持に関してはすでに食品衛生監視員の制度があり、全国に約8000名規模の資格保有者が配置されていて必要な業務を行なっている。しかし、別の拙著などに示したように、輸入食品の激増、新規加工食品の氾濫、多様な食品関連営業施設の激増、遺伝子組換え食品などの新規食品の出現や学校、工場などの給食施設の増加などのさまざまな理由から、食品衛生監視員の業務は非常に過重となっており、法で定められた臨検、監視回数を達成することさえ困難な現状にあり、輸入検疫や自治体業務関連の増員要求も満足に認められていないことは周知のとおりである。
 こうした現状のなかで、食品表示に関する新規な業務を食品衛生監視員に兼務、委嘱させることは困難であり、このさい国は現状を放置しないために、以下の方策を講じるべきである。
(1) 食品表示監視員制度を新設する。必要な法的措置を行なう。食品の安全保持、品質管理は既存の食品衛生監視員制度と併せて食品表示監視員制度を新設することによって格段の成果を期待することが出来るようになるだろう。
(2) 前項の(3)に示したとおり、表示検定、検査センターを設置して食品表示監視員がその業務を担当する。昨今問題の多い牛肉などの輸入食品の表示も併せて検定、検査する。年間の抜き取り検査件数を予告し、検査結果を公表する。
(3) 食品表示監視員は表示設定や運用に関して必要な教育、研修を行い、消費者の食品表示に対する信頼感の回復、高揚をはかる。
(4) 表示の違反、偽装に関する罰則を強化する。

 今回の不二家の表示偽装事件が教えたものは非常に重大である。雪印食品や多数の有名企業に続いて不二家の事件が発生し、国民、消費者は現行の表示制度自体に不信感を抱くようになっている。今後ともこうした事件が続発することを防ぐために、この際、以上に示したような抜本的な対策が実施されるように強く要請するものである。(完)


 
(07年1月28日)地域生協での品質管理について

このHPの閲覧者の中には生活協同組合(生協)の関係者や安全性などに関心の高い消費者の組織である生協に関心を持っておられる方々が多いであろうと思われる。時あたかも不二家の品質偽装が問題になっている昨今、全国各地の生協では品質管理の厳格化を目指した作業が熱心に行われている。ここではこうした取り組みに80年代から協力してきた私の現時点での考え方を示しておくことにする。

藤原邦達


 私は1980年から90年代にかけて京都市衛生研究所の主幹、大阪大学の講師(非常勤)として研究に従事するかたわら、日本生活共同組合連合会(日生協)の食品添加物の安全性の確保にかかわる通称Zリスト委員会、食品添加物検討委員会の代表委員の一人としての職責をはたしてきた。また2000年代に入ってからは、大阪いずみ、ならコープ、コープしがの3つの近隣生活共同組合(生協)から委嘱されて食品添加物などの自主基準を制定する委員会の座長、委員などを勤めさせていただいた。
 以上のような体験をふまえて、ここでは今日の地域の各生協(単協)での規格、基準の制定や品質管理のあり方に関して必要とされる基本的な考え方について私見をのべることにする。

1 検討委員会に組合員理事たちが参加することの意義について
 自主基準の制定や品質管理にかかわる検討委員会では学識経験者とともに、組合員を代表する理事や一般組合員から選ばれた委員の参加を必要とする。その理由は次のとおりである。
(1)生協では組合員こそが主人公である
 組合員が生協の商品をつくり、育てる、という原則に忠実でなければならない。商品の価値、格付けなどを決定する場に組合員の代表は必ず立ち会っていなければならない。検討委員会では専門的な知識、経験を有する職員、学識経験者が主であって、組合員理事が従であるというような関係は正しくない。生協では組合員はスーパーなどでの顧客以上の存在である。
(2)生協では組合員こそが商品の最終的な購入者となる
 組合員の商品の品質に対する期待はもっとも尊重されねばならない。自主規制という規格、基準,仕様に関する約束事を決定する過程で、利用者の立場から自由に希望を述べて、専門家の論議に委ねることには大きな意義がある。
(3)組合員には論議と決定の過程を確認する権利と義務がある
 品質管理のあり方が経営者側の閉じられた密室の中で決められて、その結果が顧客に押し付けられるのではなくて、生協では組合員が合議過程のすべてを実際に見届けることによって、その商品の品質を確認し、その商品を身近に感じることの出来る関係が常に存在していることが必要である。
(4)組合員の利用者としての情報と経験が豊富にもたらされる
 組合員は衣食住の生活の専門家である。特に主婦組合員は豊富な生活体験を保有している。その商品を実際に購入して利用する立場の組合員の経験とそれに基づく組合員からの情報は極めて貴重である。たとえば市場にある一般企業の類似の商品との比較に関する情報が品質、価格、使い良さなどの諸点で豊富に供給される。
(5)組合員が最も忠実で効果的な伝達、宣伝媒体となる
 委員会の現場に立ち会った組合員代表の理事たちは、生き証人として、評価された商品を積極的に仲間に知らせる役割を担うであろう。その効果は絶大である。

2 商品の普及性を保証しながら、品質を確保するための現実的な取り組みについて
(1) 生協は特殊な少数者のための組織ではない
 たとえば、生協は、ごく少数の特権的な階層の人々のために、多数の使用人の手作業で害虫を取り除いた、極めて高価につく無農薬野菜を供給するための組織ではない。それは、普及性のある価格で、可及的、大多数の人々にとって、利用可能な商品でありながら、安全性を確保するための期待にこたえねばならない事業体なのである。組合員に供給される時点で、評価される商品であるためには、生産、輸入、加工、製造段階はもちろん、流通、販売、供給のすべてのプロセスにおいて、あらゆる関連要因をとおして、普及性のある価格と高い水準での品質をともに確保するための工夫が凝らされていなければならない。その意味ではおよそ最高水準の科学的、論理的な考察に基づいた最高レベルの手段が検討され、準備されるべきであり、とくに供給側と消費側の協力と合意形成が絶対的な必要条件となる。形状の大小や不そろい、曲直の混在、多少の虫食いがあったとしても、無農薬栽培のキュウリという商品が供給可能な状況がつくられるためには、供給側の企業や職員、購入、利用側の組合員に対する教育と学習、情宣というような、いわゆるリスクコミュニケーションにかかわる生協特自の取り組みが必須である
といわばならない。
(2) 極端に情緒的な安全性願望には妥協してはならない
 安全性願望はすべての消費者に固有の、極めて自然で人間的な心情であって極力尊重されねばならない。しかし他方で余りにも極端で情緒的な判断や行動が問題状況をつくる場合があることにも留意するべきである。その時点での最新の情報に基づいた安全性の知見を尊重して、客観的で冷静な判断とこれに基づいた理性的な行動がなされることが望ましい。
(3) 総合的な健康への寄与効率に配慮する。
 食品の最終的な価値は、その食品を摂取する時点で、どのように健康保持に寄与するかで決定される。したがって単に組成的に安全であるだけでなくて、どのように栄養学的に、衛生学的にすぐれているかもあわせて問われることになる。安全と衛生と栄養の3つの要因での総合的な商品価値を高めるための取り組みが求められる。品質管理はそのような商品の総合的な動態を把握して対応してこそ可能となる。
 生協の商品の仕入れから、保管、配送、供給のすべての課程を正しくコントロールすることが品質管理でなければならない。そのためのトータルなコストを可能な限り引き下げるための運営側の努力が組合員に高く評価されて、普及度の向上が期待されるような商品作りであることが求められる。生協では、その商品自体の安全性を確保するために無限大のコストを支払うような商品作りではなくて、栄養と衛生と安全の総合的な健康寄与度を高めることをめざした商品作りと商品の供給、利用と消費が総合的に行なわれねばならない。
(4) 事業体として、経営的な失敗は許されない
 生協は経済的、金銭的な利益、利潤を追求する事業体ではない。商品を販売して得られたあらゆる利益は、さまざまな形で、完全に組合員に還元される。組合員の生活に寄与するための永続的な利益が保証されるためには、今日的な資本主義時代での競合のさ中にあって、赤字を出して倒産に追い込まれるようなことは許されない。経営的に失敗するような商品供給は行なわない。
 普及性に配慮しながら、品質を確保するためのコストは一般の企業よりも高いであろうが、そのようにして供給される商品の基本的な価値に対する信頼,共感が普及度を高めて、最終的に経営的な安定性をもたらすことが期待される。生協の経営的な安定性は生協のもうひとつの使命である消費者の権利擁護のための運動機能を維持発展させるためにも重要である。商品の安全性は、一事業体である生協の能力だけで確保できるのではない。それは検証、監視、予防、規制などについての社会的な仕組みが適正に準備されていてこそ可能になるのであって、そのための生協の運動機能の維持、向上は不可欠のことであるといわねばならない。

3 品質管理のための総合的な取り組みの必要性について
(1) 品質の検証をどの時点で、どの項目について行なうか、について
 商品が事業体に入荷して、組合員に供給されるまでの、いくつかの時点で品質が検証されねばならない。より優れた商品を入荷させるために、契約に先立って、商品の栄養、衛生、安全についての検証を行なわねばならない。契約が成立して商品が入荷した時点での、さらに実際に店舗に保管された状態での、最終的に組合員に購入された時点および組合員に供給された以後の任意の条件下での品質の点検が行なわれる必要がある。
 生協の一部には独自の食品製造、加工分野を持っている事例があるが、最近の一部企業での高度な品質管理体制に学ぶことも必要である。
 たとえば、日本ミルクコミュニティーkkでの牛乳加工工程では、次のような品質検査体制をとっている。ちなみに同社は、雪印乳業が低脂肪乳食中毒事件をおこした後、全農と協同で設立した、元雪印乳業の職員が約7割を占める新会社である。
@ 受け入れ原料乳検査
 風味,色択、組織、乳濃度、乳脂肪分、無脂乳固形分、酸度、比重、抗生物質、総菌数、体細胞数、アルコール検査
(1) 調合工程
 風味、色択、組織、温度、乳脂肪分、全固形分(比重)
(2) 殺菌前
風味。色択、組織、温度
(3) 殺菌後
風味、色択、組織、温度、乳脂肪、脂肪球、全固形分(比重)
(4) 充填後
表示、容器包装外観、シール性、セジメント(除、牛乳)、量目
B 出荷前検査
(1)官能検査  風味、色択、組織
(2)成分検査  比重、酸度、乳脂肪分、全固形分
(3)微生物検査 細菌数、大腸菌群
(4)エンテロトキシン毒素検査 定期検査、トラブル時検査
 以上のような、国の規制にはないような、およそ乳製品製造メーカーとしては完璧な検査項目と、検査時点での品質管理が行なわれている。とくにエンテロトキシン検査は雪印食中毒事件の教訓を生かした取組みであると思われる。
 原料の入荷時点、製造の各時点、出荷時点だけでなく、出荷後の流通、消費課程にある各時点での品質管理が行なわれて、食中毒の発生を未然に防止するための企業の責任が全うされることが期待される。
 事業体としては、@検査基準、A表示基準、B回収規定、C危機管理規定などを独自に整備して、総合的な品質管理体制を確立することが期待される
。 大部分の地域単協のように、製造現場を持っていない事業体の場合でも、可及的に以上のような検査、管理の体制を整備することが求められる。
(2) 人的要因の重要性について
 品質管理のシステムがどのように完備していても、これに関与する職員の士気が低調で、システムを円滑に運用するための能力に欠陥があれば、商品の安全性は確保できない。組織としても業務完遂のために必要な要員を揃えて、必要な作業を実施できるようにせねばならない。同時に教育、学習体制を整備して、最新の知見を習得するための日常的な研鑽が必要になる。
(3) 事業体の責任者のあり方の重要性について
 品質管理計画を作成し、これを実行するための総合的な責任はその組織の管理者、役職員、幹部、理事者に帰属する。
 地域単協での品質管理は日生協の場合と異なり、店舗や共同購入のための供給、販売の現場において、組合員という商品の利用者と直結して行なわれる。日生協の場合には、品質管理は、たとえばその食品添加物の使用の可否を示すZリスト、管理食品添加物のリストを示すだけでよいであろうが、地域の生協では入荷、出荷、店頭、配送等の時点での品質管理が総合的に行われることが求められる。したがってその事業体の運用過程の全体を通して、どのような品質管理の体系を具体的に策定して、検査、調査、記録を行うかについての全体的、総合的な責任を担わねばならない。とくに品質管理にかかわる人事、予算などについて、誤りがないようにすることが必要である。
 生協が商品、特に食品の安全にかかわる事故、事件を発生させることは致命的な結果をもたらすであろう。

4 地域連帯での共通規制について
 たとえば近畿地区には6つの生協が各府県に置かれている。近年では個別の商品展開だけでなく、地区全体で連帯して商品の製造、販売などの事業化を行うことが必要になってきている。これに伴って商品の規格、基準の統一のための取り組みが行われており、その論議のあり方や成果が注目されている。

5 品質評価を周到に行うことについて
(1) 評価の項目についての緻密な設定
 食品、食品添加物、農薬、食品化学物質などの品質を評価する場合には、本来は以下のような項目について、ひろく検討する必要がある。
@有用性、A必要性、B安全性、C嗜好性、D倫理性、E文化伝統性、F経済性、G入手可能性、H経営寄与性
 たとえば、有用性に乏しく、必要性があるとは思われないものについて、安全性を仔細に検討する必要はない。また誰のために有用であり、必要であるのかという判断も重要である。科学技術の進歩という前提があって、新しい遺伝子組み換え食品が登場し、あるいはPCBのような新しい熱媒体が登場してきたが、それらの有用性や必要性が必ずしも消費者のためであるとはいえないまま、製品化されて広範に使用されてから、改めて安全性が問題になるような事例がこれまでに多数見られたが、新開発の時点で、有用性、必要性、安全性の検討がそれぞれ仔細に行なわれることが必要であった。
食品添加物の場合でも、有用性、必要性が疑われるものが相当にあると考えられる。たとえば、いわゆるダイエット用甘味料なるものは、大部分の糖尿病の患者や治療が必要な一部の肥満患者にとっては必要であろうが、一般の健康な消費者にとっては、必ずしも有用、必要であるということは出来ない。日常的な食生活や運動等に配慮すれば、ダイエットすることは十分に可能なのである。ダイエット甘味料入りのジュースを飲みながら、ケーキをひとつ余分に食べている漫画的な情景をあちこちに繰り広げながら、一部の企業がダイエット甘味料の砂糖と競合するような売上の増加を目指している、とすれば、食品添加物本来の意味さえ、疑わせるものであるといわねばならない。一部のダイエット甘味料は医薬部外品として位置づけるほうがよいという考え方もある。
 もちろん、以上のような評価項目は相互に、矛盾、対立する場合もある。たとえば伝統的な食材の中には、微量ではあっても有害な成分を含む場合がある。伝統的な食文化の場合では科学性とは一部相違する判断がなされることもある。また余りにも厳しい評価を行なえば、そもそも食品、食材そのものの入手が困難になるような状況を容易につくりだしてしまうような場合もある。ケース、バイ、ケースでの、慎重な判断が求められる。 (2) 優先的な評価順位の決定
 前項で示した多数の評価事項のうち、実際的にはどの項目を優先するか、の判断が必要である。試行錯誤を繰り返しながら、今日まで伝えられてきた伝統的な食材の多くは、有用であり、必要であり、安全であるとみなすことができるかもしれないが、食形態が変化した今日時点での既存添加物などの安全性を再評価することには意味がある。
 既に市場にある食品化学物質などの場合には、国際的、国内的な安全性についての評価が行なわれている場合が多いといえるであろうが、安全性以外の項目については、個別の企業、事業体、消費者が独自に評価して、一定の判断を下すことが望ましい。もちろん安全性の場合でも、表示などに配慮して微生物学的な危害発生の可能性を出来る限り排除する必要があることはいうまでもない。
(3) 許容量、基準、規制値の正確な設定
 毒物学的な研究にもとづいて決定される利用可能な食品化学物質の種類や許容限界を示すADI(一日摂取許容量)などは一応の安全性の目安となる。また規格、基準、規制値も尊重されねばならない。しかし、これらの数値はその限度内なら許容される、と理解せず、次項に示す総量規制の原則に基づいて、食品中の含有量を、可及的に最小化するために努力する必要があるものと理解するべきであろう。
(4) 総量規制の論理に関する正確な理解
 今日的な食品添加物や農薬の許容量、耐容量などの規制値は、その問題化学物質単品での動物実験によって算出した最大無作用量に、慣例に基づいた安全率(普通は100分の1)を乗じて、人の一日摂取許容量としたものである。しかし実際の人の食生活では多数の食品添加物や農薬、医薬品や環境汚染物質等が多種多様に摂取されており、それらの総合的な安全性の程度が問題になるのであるが、これらの諸物質の複合的な毒性を科学的に計測することは現状では不可能に近いことであるといわねばならない。したがって生協では、食品化学物質の利用に際しては、それらのADIの大きさにかかわらず、利用する種類、量、回数、摂取量を可及的に最小化する方向で努力する、いわゆる総量規制の論理が重視されている。
(5) 独自の品質評価組織を設定することの必要性
 相当規模の事業体では、取扱い商品の入荷、出荷に際して、独自の評価を行なう専門的な組織を設置することが望ましい。評価の尺度に相当する自主基準に即して、より優れた商品群を選別して組合員や顧客に供給するための積極的な姿勢が必要になってくる。
(6) 品質評価組織の常置性
 各地域の単協では数年おきに自主的な規格、基準を改定するための検討委員会が設置される場合が多く見られる。しかし突発的に食品添加物に関する事件が発生したり、安全性についての疑惑が発生する場合があり、他方で世界的な専門家の委員会であるJECFAやコーデックス委員会などで、ADIその他の安全性に関する評価に変更がみられる場合があるので、各単協では自主的な品質管理、自主的な規格、基準を再検討するための常設的な委員会組織を常置していることが望ましい。このような周到な対策は組合員の生協に対する信頼感や帰属意識を高めるのに大いに貢献することになるであろう。
(7) 検証、検査体制の維持
 品質管理のための取り決めが文書として如何に正確に行われていたとしても、その規格や基準が実際にどのように現実の商品において実現され、維持されているかが問題になる。そのためには適時抜き取り検査を行って品質の正当性を確認することが必要になる。
 日生協に加盟している全国の生協では規模の大小はあってもそれぞれ検査センター、検査室などが設置されており、全体で300名を超える検査担当者が活躍しており、常時情報交換などが行われているが、この事実はあまり知られていない。
(8) 学習、教育体制の確立
 組合員の意識水準が低ければ、その生協ではそれに相応した水準での安全政策が実施されることになる。食品の安全性を確保するためには、生協の真の支え手であり、主人公でもある組合員の食品の安全性に関する緊張感が絶えず維持、高揚されていることが必要になる。その意味において、生協が職員や組合員に対する学習、教育について熱心であるのは当然のことである。

 大阪いずみ生協、ならコープ、コープしがでの食品添加物自主基準検討委員会ではいずれも約半年以上にわたって論議が続けられた。委員会の構成では必ず組合員を代表する委員を相当数参加させた。委員会の結論は理事会に答申され、総会で了承された。これらの取り組みが今後とも大きな成果を発揮することが期待される。
以上

参考資料:コープしがの食品添加物自主基準検討委員会での講演レジュメ(食品添加物を正しく理解する、06年8月22日)


 
(1月26日)不二家食品表示偽装事件(2)
―食品の賞味、消費期限と安全性の関係について―

藤原邦達


この事件の発端時点では、当然のことながら、不二家の賞味、消費期限の偽装だけが問題とされて批判の対象となっていた。しかし私は、当時から取材各社に対して、たかが食品表示の偽装問題と考えるべきではない、それは結局、必然的に安全性問題に発展しうるものとして重要視すべきであることを強調してきた。
不幸なことに、そして私が予想していたように、その後の調査では不二家の安全管理体制にも非常に欠陥があることがつぎつぎに明らかにされるようになっている。
ここでは賞味、消費期限の管理と安全性の確保との関係について、ひいては、このままでは、不二家では食中毒事件を誘発する可能性があったことについてのべることにする。

1 賞味、消費期限の定義と安全性との関係について
 平成15年7月に従来厚生労働省所管の食品衛生法と農林水産省所管のJAS法で用語の文言に若干の相違があった点を改めて賞味、消費期限の定義は次のように統一された。
「消費期限とは、定められた方法により保存した場合において、腐敗、変敗その他の品質劣化に伴い、安全性を欠くこととなる恐れがないと認められる期限を示す年月日をいう。」
「賞味期限とは、定められた方法により保存した場合において、期待される全ての品質の保持が十分に可能であると認められる期限を示す年月日をいう。ただし、当該期限を超えた場合であっても、これらの品質が保持されていることがあるものとする。」
 即ち、賞味、消費期限を偽装することが「品質劣化に伴い、安全性を欠くこととなる恐れが」大きくなることは明らかである。
 実際、消費期限は製造日をふくめておおむね5日以内に品質が急速に劣化する食品で、食中毒が最も起こりやすい、弁当、惣菜、調理パン、生菓子類、食肉、生めん類などに表示されている。

2 不二家の賞味、消費期限の偽装について
 以上のような定義で定められた消費期限を不二家では原料、工程、製造物、商品において、担当者の一存で、あるいは上司の了解、あるいは場合によっては指示に基づいて恣意的に変更していたことが明らかになった。
 また泉佐野工場と埼玉工場の間で、消費期限をつけない取り決めを行なって、原料の融通を行なっていたと報じられている。
 このような事態が長年行なわれていながら雪印乳業のような大規模な食中毒事件が発生しなかったことは、幼児、子供向け食品の製造メーカーとして全く不幸中の幸いというべきであっただろう。
 ただし同社は1995年に小規模ながら食中毒事件を発生させていた事実があることも判明している。

3 社内基準のありかたについて
 賞味、消費期限の偽装を安易に行なっているような企業の社内基準である製造マニュアルあるいは自主基準が安全性確保の点で問題があることは容易に想定できる。
 1月25日に判明したところでは、不二家の社内マニュアルでは、大腸菌と黄色ブドウ球菌について、一応「陰性であること」と記載したうえで、別の項目に、大腸菌群の場合、「1グラムあたり1千個未満なら製造現場に注意、改善の指導をする」、「1千個超なら工場長に報告し、対応を検討」と規定し、1万個を超えた段階で「回収を要する」とされていた。黄色ブドウ球菌でも同様の規定が見られた。
 また洋生菓子では、食品衛生法で定められた一般細菌数の基準は「1グラムあたり10万個以下」だが、同社の社内基準では「1グラムあたり100万個超」で回収すると規定している、
 以上のような社内マニュアルは本社が作成し、洋菓子5工場、サブフランチャイズ2工場で使われていたということだが、安全性が重視される今日、各社が自主規制を厳格に行い、たとえば各地の生協のように、国の基準を上回るような自主的な食品の規格、基準、マニュアルを作成しているような時代に、不二家が以上のようなルーズな社内基準のもとで、しかも子供向けの食品を製造、販売していたことはまことに驚くべきことであるといわねばならない。

4 社内規定の運用、管理状況について
 安全性に関わる社内規定の運用、管理は厳格でなければならない。しかし不二家では基準の10ないし64倍もの細菌数が証明された商品を製造し販売していた。すなわち、ずさんで不完全な社内マニュアルですら無視するような場合があったということになる。
 製造管理の詳細がどうであったかは今後の調査で明らかになってくると思われるが、アルバイト職員に重要な判断を委ねていたなどと報じられていることが真実であるとすれば、チェック機能がほとんど正常に働かない、杜撰な管理システムが存在していたということになる。
 こうした状況が放置されておれば、いつかは大規模な食中毒事件を発生させる事態になるのは目に見えている。前項で示した黄色ブドウ球菌は雪印乳業食中毒事件での原因菌であり、場合によっては死者を出する場合もある。不二家が幼児向けの食品を製造する代表的な企業でありながら、雪印事件のあとでそこからなんら教訓を学んでいなかったことは驚くべきことである。犠牲者を出すような事態が発生する前に今回の偽装事件が発覚したことはむしろ非常に幸いなことであった。不二家は内部告発を行い、本件を社内の会議に持ち込んだとされる当事者を会社の救済者として表彰するべきであろう。

5 問題商品の公表と回収について
 不二家の回収基準は前記したように国の基準の10倍も緩い。そのような質の低いマニュアルに即して、今時回収などという外部から注目される「社会的な」行為が可能であると思っていたとすれば非常識極まりないことである。むしろ国の基準よりも厳しい線引きをするのが今日的な企業の姿勢でなければならない。
 不二家は95年の食中毒事件の際にも問題商品の回収はしなかった。そして今回も昨年11月の偽装発覚時点で回収を行なわなかった。勿論いずれの場合でも事件の公表を怠った。
 公表と回収が行なわれなかった場合には被害者が出ていても正確に把握できない場合がある。少なくとも対応が決定的に遅延し不完全になる。こうしたことは雪印食中毒事件の事例に待つまでもなく過去の多数の食中毒事件から知ることが出来たはずである。
 あるいは不二家にいわせれば、95年の場合は規模が小さく、今更公表も回収も必要がなかった、叉今回の場合もたかが表示の偽装であり、法に触れるものとは考えられなかった、のかもしれない。しかしそのような考えかたが非常に危険であることは以下に示す理由から明らかである。

6 被害発生の可能性の推測
 発生する被害や影響の大きさは、違反、偽装、管理不十分などの企業としての対応水準の低さAと回収、公表の有無と遅延の有無、あるいはその程度Bの積であるABによって決定される。今回不二家は幸いなことに食中毒被害こそ出さなかったが、食品企業としての信用の失墜、業績不振、株価の低落というような非常に甚大な影響、ダメージをうけとらねばならなかった。
 職員の規律、モラルなどは日常的な教育、訓練によって涵養される。教育体制の不完全さもこのような結果に終った原因のひとつに数えられよう。
 賞味、消費期限は冒頭に示した定義に従って各企業の責任で商品ごとに決められる。企業の姿勢が厳正でなければ、賞味、消費期限自体がその商品の品質や安全性に影響を与えるものとなる。
 また食品衛生法やJAS法に従って管理、監視する行政側の体制や人員も十分であるとはいえないから企業の責任はいっそう重くなる。

 外部社会が消費者の権利を尊重する方向に向けて大きな変貌を遂げていることを、あるいは食品の安全性を最重視する世論が支配的になっていることを社長や幹部職員十分に理解していたかどうかが改めて問われねばならない。
 今回の不二家での食品表示偽装事件は賞味、消費期限の設定と管理が企業にとって非常に重要な任務であること正しく教えているといわねばならない。(完)


(07年1月25日)不二家の食品表示偽装事件の問題点と対策について

藤原邦達


 本年1月早々に発覚して大きく報道されるようになった不二家の食品表示偽装事件に関して私のところにも早々と複数のマスコミ各社からの取材があった。
 私には、専門である食品衛生や安全分野での若干の著作があるが、特に、食品の表示や管理体制などの不備や対応の誤りが企業の命取りにもつながった雪印乳業や雪印食品事件の経過や顛末を解説した「雪印の落日」(緑風出版刊)が今回の事件とのかかわりで関係者に読まれるようになっているのだと思われる。

今回、不二家の食品表示偽装事件の問題点と今後の対策のありかたなどについて若干の考察を行なったので、以下に示すことにする。

1 不二家は過去の事件から多くを学んでいなかった。
不二家の食品表示偽装事件は過去の多数の食品被害事件は勿論、直近の雪印食品や雪印乳業などの各種の食品偽装事件を反面教師として正しく学んでいなかったことによって発生している。

2 不二家は内向きの経営に終始していた。
不二家の同族経営、社長世襲体制などが社内的な緊張関係を弛緩させる方向に走って、内向きの経営姿勢をとりがちであり、外部社会での大きな変動に対処することを困難にしていた。とくに顧客、消費者を巡る社会的な体制、法規等の変化についていけなかった。情報の正確な開示や安全性の関する厳しい対応を求める今日の消費者の意識について正しく理解していなかった。これらのことは社内的な管理体制や従業員に対する教育体制が極めて不完全であったことから明らかであるといわねばならない。

3 不二家の情報開示に対する姿勢は極めて不当であった。
 雪印乳業の場合は食中毒事件であった。したがって事態の確認や公表、回収が一刻を争う状況にあった。この点での会社側の対応が適切でなかったことが強く批判された。このような事例から得られた教訓を不二家は全く無視していた。
 すなわち、不二家の表示偽装は昨年11月には社内的にはすでに明確になっており、「このままでは雪印の二の舞になる」などという意見が社内の会議などで実際に飛び交っていたといわれる。こうした状況について社長を始めとする幹部役員なども周知していたはずであり、回収、公表などの措置がただちに取られるべきであった、しかし実際にはマスコミの追求をうけて、もはや隠しおおすことが出来なくなった本年1月まで公表されることがなかった。勿論回収することも不可能であった。おそらく社長や幹部役員の思惑では歳末、年始の売上の方が大切であり、隠しおおせることができればと期待していたのではなかったか。

4 表示偽装は食品の安全に対する脅威となりえた。
 消費期限の軽視、無視が食品中の細菌数の増加方向に働き、検査の時点で計測された食品衛生学的な一般細菌数、大腸菌群などの安全基準を超える可能性をつくることは明らかである。不二家では社内基準さえ無視するような場合があり、しかも従業員個人の判断でなくて、上司、幹部の指示や了解のもとに原料や商品の消費期限などが恣意的に決められていたのではないか、といわれている。これらの点は今後の調査において仔細が明らかにされるであろうが、いずれにしても原料、工程や商品の管理体制のルーズさが食品の安全性を危うくすることは雪印事件においてすでに十分に証明されてきたところである。
 このさい特記しておきたいのは、不二家の商品群が幼児、子供向けのものを中心として構成されているという点である。たかが賞味、消費期限の偽装であった、などというべきではない。むしろ今回の事件が発覚していなければ、いつか重大な人の命に関わるような食中毒事件を発生させていた可能性があるといわねばならない。
今回の事件についての今日までの調査過程では、食品衛生法で定められた細菌数の基準の10倍を超える商品が出荷されていた、などといわれており、結果的に幼児など消費者の被害に直結する可能性があったことは否定できない。
 社内的に、このような自社の商品の特質に関する正確な認識が極めて不足していたことは明らかである。
その後の新聞報道では、不二家は1995年に大阪府の泉佐野工場で製造されたカスタードクリーム入りの生洋菓子による、黄色ブドウ球菌に起因する食中毒事件を発生させており、府から2日間の営業停止処分を受けている。
ちなみにこの事件では不二家は在庫品を回収したが外部には事件を一切公表せず販売済みの製品の回収も行なわなかった。
こうしたことはこの社の体質をよく物語っているという