09年4月21日・島本障害者共働作業所総会
『つどい』資料
作業所のこの1年・そしてこれからの1年

 12日の選挙で町長は現職、町議会議員は保守系が3人落選して革新系が入れ替わりに当選するという結果が出ました。町長選挙では、思いつきで出たような共産党系候補が2000票差まで迫り、議員選挙では議員活動らしい活動が見えてこなかった前職がみんな落とされてしまったようです。つまり、住民はよく見ていると言うこと。

 「障害者自立支援法」の完全実施にともなう島本町の補助金がどうなるのか、選挙結果からは何も見えてきませんが、少なくともこの「住民はよく見ている」と言う点については頼もしい限りではないでしょうか。私たち島本障害者共働作業所の取組みについても、きっと見えていると思うのです。もちろん、眉をひそめて見ていらっしゃる方も大勢おられるでしょうが、この10年近い野菜などをめぐるやりとりで応援する気持ちで見てくださっている方も、同じように大勢おられると信じます。

 それでは一年間のまとめをしながら、これからの提起にも話を及ばせていきたいと思います。

A.      農産物関係

@     野菜の販売

読みにくい文章をだらだら書くより、一年間の『作業所だより』から野菜に関する記事をダイジェストしてみました。結構生き生きと通年の野菜の様子が分かります。作業所の“基幹産業”ですから、紙面がやたら増えることを覚悟の上このダイジェストで報告に変えさせてもらいます。

端境期に突如野菜があふれた!(4月1日No1 216号)

「旬の野菜を味わう会」の配達野菜に事欠くようになったのは2月でした。500円分の野菜を入れる会員にお願いして全員300円になってもらい、それでも野菜が揃わないから徳之島の奥村農園にお願いしてジャガイモやニンジンを送ってもらってしのいできました。

 それなのに、3月の春分の日を前にして突然気温が上がり春がやってきました。ふつうなら、「三寒四温」などと言って寒い日と暖かい日が交互に続く期間がしばらくあるものなのに、今年は寒い日が続くなあと思ったら一気に気温が上がってしまった。野菜たち、正直というかなんというか一気に色気づいてしまった。

 サラダ水菜は若草色をしてまだまだ小さいから収穫しても目方がでないし、ずっと大きくなるのを待って収穫を控えてきました。ところがふと見ると小さな体のままつぼみをつけてしまっているのです。「そろそろほうれん草が使えるなあ」と話していたのが、根の赤い部分がうえに上がりトウを立てる準備が完了している模様。これらはまだ一度も収穫していません。


 キャベツもそう。玉結びがフワフワだし軽いからもう少ししっかり巻くまで待とうと言っていたらアッという間に玉が縦長になっている。真ん中から花を咲かせる塔を立てる準備をしているのです。大きいのを選んで1度使っただけなのに・・・。

 収穫の終わったブロッコリーは花が満開で、そこへ私たちの変わりにミツバチが蜜の収穫に来ています。とり残した小松菜も大根も白い花を咲かせ花盛りの最中。春が来たぞ〜と謳歌しています。

 一見野菜があふれかえっているように見えますが、端境期の10日間ほどに現れた瞬間的な現象でした。私たちとしては乏しい野菜を少しずつ順に配達野菜にしていくつもりだったのが、一気に気温が上がり、一斉に野菜が育ってしまったわけ。この野菜を採りつくすと、畑には本当に野菜がなくなってしまうのです。店長が「一週間だけ500円会員を復活させたいなあ」とつぶやいておりましたがどうしようもない。トウが立ち使いようがなくなって畑に鋤きこまれるよりはと、野菜の会の配達野菜をいつもより多めに、また種類も増やすというサービスして処理しました。

アスパラガス物語(5月13日号No4 219号)

 ネット仲間にKaneさん(ネット上のニックネーム)という福岡県在住の方がおられます。若い頃の交通事故で脊椎損傷者となられ、車椅子生活なのですが、職業が競走馬の飼育育成です。仕事柄、競走馬の買い付けに北海道はもとより、アメリカやオーストラリアへ出張なさいます。彼の牧場には「障がい」者が従業員として複数で働いておられ、そんな関係からもうちの作業所の行き方は正しいと共鳴してくださっています。

 去年、福岡で闘牛大会が開かれたとき、闘牛大会のお手伝いをされ、闘牛会場をバリアフリーにするために尽力されていました。そんなことから彼の持ち馬を作業所の競馬好きの応援団が応援してニンジンを送ったりという交流が生まれています。


 そのKaneさんが、端境期に悩む島本障害者共働作業所を心配して北海道の農家とつないでくださいました。早速北海道の農協に出入りする方からアスパラガスが10kg見本だと送られてきました。作業所で昼食時に試食したところ、一口食べた従業員から「甘い〜」「マヨネーズなんかいらん」と絶賛の声。本当に美味しかった。

 そこで、ご紹介いただいた別のアスパラ農家に電話を入れて話し合いました。私の方の趣旨は、農協ではねられる規格外のアスパラガスを安い値段で分けてもらえないかということ。北海道の農業を知らない私の願いは彼らにとって珍奇な願いだったらしい・・・「ハァ?そんなことしてたら手間がかかって仕方ないんですよ」今度はこっちが「ハァ?」・・・アスパラ畑は5ヘクタールあり、露地栽培しているらしい。それを刈り取り道具でひとつかみバサッと25cmの長さに切ってビールケースにそのまま入れて、何10ケースも農協に持っていくそうです。選別は農協が機械をつかって流れ作業でやるそうで、そこではねられたものがどうなるのか知らないとのこと。要するにゴミ扱いなんでしょうな。その他アスパラは切り口から1日1cm硬くなるから収穫日が推測できる話とか、露地栽培のアスパラは農薬を撒くと高くついて農薬倒れする話などいろいろ聞けました。

 そういうことなら、農協へ出荷する太さの不ぞろいなアスパラガスを、横流しする形で安く送ってもらえないだろうかとさらに押しました。そしてうちの作業所では農作業も仕事にしているのだと話したら、彼の農場にも近所の「障がい」者たちが手伝いに来て、とても明るく働いているのだと一気に親しみを感じてくださいました。そして、送ったことがないからアスパラガスの品質を落とさない方法があるなら送ってあげましょうとのこと。クール便で送れば間違いがないからと一気にお願いしてしまいました。

 後で生協の北海道のアスパラガスを産地から直送するというチラシを見てびっくり!うちが卸してもらう値段の3倍ほどしていました。これなら商売になるかもしれません。とにかく最盛期は5月末からだそうで、その頃になると安値で送ってあげられるからもう少し待っていてくださいとのこと。他にも真夏の白ネギなど、島本では作れない野菜が北海道では旬を迎えるようです。

 ネットのつながりがさらに北海道まで広がった楽しい物語でした。

野菜に半泣き状態 虫食い野菜・採れすぎ野菜・急ぎの野菜(6月10日号No6 221号)

 2月から4月にかけての端境期の野菜にも泣かされますが、初夏を迎え端境期の話を忘れそうな今、こんどは贅沢に泣かされています。

 5月の終わりの火曜日、配達野菜を採りにサニーレタスの畑に入って感動!30mほどの2畝に4列、一抱えもありそうなサニーレタスがずら〜りとなっています。40軒分大喜びで収穫しました。そして次の金曜日、期待をこめて畑に入って根に鎌を当てたら、夜盗虫がバラバラッと零れ落ちました。まさに「うっそ〜!」です。

 まさかと思いながら次々と切っていくとどれもこれも夜盗虫だらけ。「何でやねん」と葉をむしると出てくる出てくる、サニーレタスはまさに夜盗虫(写真)の食事つきアパートか「お菓子の家」状態。彼らが外にウンチしに出てくれればそれほどの問題じゃなく「無農薬の証明だ」と開き直りもできるのですが、行儀悪くその場でウンチしてしまう。その溜りに貯まったウンチの部分から腐れが広がりまして、使い物にならない。

 畑を振り返れば、あの見事な畑がサニーレタスの累々たる屍で覆いつくされていました。

 結局その日は配達野菜に入れる予定をしておりましたので会員さんにはお気の毒だけどそのままマシなのを選んで入れ、お詫びの印にニンジンの間引き菜を入れておきました。

 次の半泣きの原因は、野菜を作っている畑が6月の半ばから水田になりますから、畑に置いておくことができない。「さあ、タマネギ採ってくださいよ」「雨が降る前にあそこのジャガイモは全部収穫しますから」次々と下知される飯田さんの指示に、作業小屋も飯田家の納屋も作業所も野菜であふれかえっています。

 タマネギは風通しを良くしておかないと腐り始めますし、出来るだけ括りタマネギにして吊るすのですが、もう飯田さんのお宅にも作業所にもかけるところがない。早く売りたいけど季節は梅雨に入り、雨の日が多くて売りにくい。

 ジャガイモは光に当てると緑色に変色し、味が落ちる上に緑の部分は体によくない成分が生じているとの事。段ボウルの箱に入れてもわずかな光に反応するし、と言って密封すればこれまた腐り始める。5kg10kgと買ってくれるお客様もいない。

 実は毎年、吊るす場所がなく箱詰めしたタマネギや、段ボウルで保管して光に当たって緑色になったなどが原因で、廃棄処分せざるを得なかったものが結構出ています。もちろんもったいないですから、調理実習などで傷んだ部分を取り除いて一生懸命消費しているのですが。

 端境期もつらいけど、虫に追われ、収穫に追われ、傷みに追われる今の時期もそれはそれで結構辛いものがあるのです。

飯田さんの無農薬への努力(9月16日号No18 228号)

 今年はナス畑とトマト畑を取り囲むように「ソルゴー」というキビに似た植物を植えられました。目的はナスなどに付く害虫を防ぐためです。どうやらソルゴーは害虫が好んで食べる植物らしくて、作物よりもそちらにたかるらしい。

 幼い頃の田畑には夏になると「誘蛾灯」が灯され下に置かれた油に落として殺していたのが、今では同じ誘蛾灯でも、光に飛び込んだ虫を瞬時に焼き殺すようになっています。また、ビニルハウスなんかだと天敵をハウスの中に離して害虫を食べさせるという方法をとっているところもあるそうです。

 それらに比べてなんと穏やかで優しい駆除なんでしょう。ソルゴーというのはわが身を呈して人間の食べ物を守るというまるでウルトラマンみたいに感動的なヒーローの植物なんですな。

 もともとアメリカなどで動物の飼料として作られているもののようですし、徳之島では「緑肥」として使っているそうです。徳之島の知人が「ソルゴーにそんな働きがあるのか!」と驚いておりました。

 で、その効果ですが、確かに今年はナスもトマトも虫食いが少なかったです。代わりにソルゴーには虫が一杯!黒い服を着てソルゴーに触れると、虫やその糞がつくし、その虫や糞にたかるのでしょうか、ハエが止まっておりました。

 徳之島のソルゴー経験者に言わせると、穂を切り取っておかないと翌年すごい勢いで増えるから気をつけなさいとのこと。飯田さんは「来年芽を出すころには田んぼになってますから大丈夫ですよ」と言いますが、まだ経験してないから分からない。ソルゴーの穂をはさみで切り取って回るぐらいなら、うちの従業員の仕事になりますからというと「そらあええわ、たのんまっさ」と笑っておられました。

 飯田さんも無農薬で野菜を作ることについては、いつも神経を使い頭を使っておられます。「このソルゴー、白菜なんかにも効かへんかなあ」と期待しておられますが、発芽の時期が問題だし、夜盗虫みたいなのがソルゴーの葉を食うのか疑問です。しかし、何事も実験・・・薬を使わない農業に挑戦し続ける飯田さんです。


北海道からジャガイモが100kg!(11月25日号No18 233号)

 北海道へ行った時に出会ったのは佐藤さんでしたが、今回は福岡県で競走馬の厩舎を経営されているネット仲間が紹介してくださった澤田さんという方からジャガイモ、メークィンが100kgも届きました。ネット仲間から「ジャガイモ100kgももらってどうしようもないと言っている。あなたの知り合いの作業所に送ってやろうかと思うけどどうだろうかと言ってますよ。要りますか?」の電話。

 飯田農園も今年はジャガイモが豊作で、どっさりあるのだけど、全部芽吹いてしまって売り物にならず困っているところでしたのでありがたい話です。「お言葉に甘えますがよろしく」と住所をファックスで送っておいたら、一週間ほどして本当に送ってくださいました。しかも正味100kgも!

 口で簡単に100kgと言いますが大変な量です。何を入れる袋なのか大きな袋を二重にして5袋も。作業所はペリカン便の集荷の仕事もしていますから早速送料を調べたら1袋2000円の送料がかかっているはず。送るだけで1万円も!これでジャガイモを仕入れていたら、販売するときはとんでもなく値段の高いジャガイモになるところ、なんと1kg200円の価格で80軒を越える野菜の会の配達野菜に使わせてもらいました。それでもまだ20kg余りますから、店頭販売で売り切ることができそうです。おまけに実習生たちのよい仕事にもなりましたし・・・。

 しかし、こんなぼろい仕事に甘えていては作業所の自立精神にもとります。北海道の送り主が電話でつかまらないので(今雪を前に牧草の借り入れ作業でご多忙だとか)福岡のネット仲間に相談したら「お礼なんていいじゃないですか!いただいておけばいいのですよ。北海道の特に山手の方々の気質はそういうものなんだから、分かってあげてくださいよ。明後日から北海道へ行きますから、私からもきちんとお礼を言っておきますので。」とのこと。

 とりあえず次のラーメン販売日に、名刺代わりのラーメンとチャーシューをお送りさせていただくことにして、せめて送料ぐらいはこちらが負担するという方法はないものかと今でもまだ思案中です。

 しかし、インターネットを通して徳之島と言い福岡と言い、北海道まで、よいお付き合いをさせていただいています。世の中、ネットを悪用した犯罪が目に余るというのに私たち作業所のネット仲間というのは素敵な支援者ばかりです。

年明けの野菜達(1月20日号No22 237号)

 寒さが本格的になってきました。例年とおり新しい野菜は育たず、正月用の野菜の残りを収穫しております。先細りなのにそれを使うしかない・・・言うならば、先代の遺産を食い潰す道楽息子の心境です。

 でも今年はネギやニンジンが結構たくさん植えつけてあり、里芋類もストックがまだありますので、なんとか「野菜の会」を休会するまでには至らない模様です。

 残りの野菜も乏しく情けない姿です。左の写真は残りわずかなコカブのレース状になった葉っぱです。また、残り少なくなった大根もとても大きくなってしまって、店頭でご覧になったお客様が思わず笑い出すほどの姿です。

 乏しくなることを見越して植えつけてあるほうれん草や小松菜、それにブロッコリーなどは寒さに震えて成長が遅く、収穫にいたるまではもう少し日数がかかりそう。ブロッコリーなんて、3月温かくなってから収穫期を迎えることになるでしょう。温かくなってからでは遅すぎるのです。一気に成長し、あっという間にトウが立ち、花を咲かせてしまうから収穫期がやたら短くなってしまいます。春先の野菜は収穫に追われます。

 春野菜の植え付けも終わっていますが、定植したえんどう豆やソラマメの葉っぱを小鳥が食べてしまうのに困っています。他にも青い野菜はあるのに、幼い豆の葉っぱを狙い撃ちして食べてしまうのです。貧相になった豆の苗たち、寒そうに見えます。(写真右)

 しかし、なんとか「旬の野菜を味わう会」を休会することなく、全員に300円会員になっていただくことで切り抜けられるだろうと話し合っております。ただし、同じような野菜ばかりが続くことになり、会員さんにも我慢を強いでることにな
るしょうか。

飯田農園の桜井地区の変貌 久しぶりの飯田さんとの話から (3月3日号No25 240号)

 前日の夕方からの雨が予想以上によく降った20日の朝、飯田さんが「今日は雨で何も野菜を採ってませんから」と作業所まで足を運んで報告してくださいました。「これから竹の子までの間にやっておかなアカンことが一杯あるのに殺生な雨ですわ、畑に入られへん」とぼやきながら、久しぶりに農業の話になりました。

 「今年の端境期対策は結構うまくいきましたね。しかし、見ていると島本の農家では飯田さんが一番たくさん野菜を作っておられるでしょう」と水を向けると、このたび、大阪府の『認定農家』として島本町から飯田さんを含めた4軒の農家が認められたというお話。その認定農家になると、エコ農産物を市場に出しやすくなるとか、農機具の購入に補助金が出るなど特典があるそうです。

 「農機具よりもなあ、肥料代の補助がほしいわ。去年から肥料代が値上がりして困ってます」とのこと。飯田さんは肥料代が上がったからと、野菜代を値上げしませんから私たちは助かっているのですが、「農協の肥料が高くてねえ、このごろはコーナンで買っています。コーナンへ行くとJAの帽子をかぶったのがたくさん来てますわ。コーナンもよう分かっていて、肥料売り場を広げました」と笑っておられました。農協よりも300円安いそうで、20本、30本と買うと大きな差になります。

 問題は、府の『認定農家』に指定されたと言っても、去年新設された島本駅の西側の緑地を見ると、なんとなく農業を続けることが風前の灯のように見えてしまいます。大丈夫、農業は続けられるのでしょうか。飯田さんのお話では島本駅の乗降客が14000人を目標にしていたところが半分ほどにしかならず、それを増やすことが課題になっているそうです。となると私の素人考えでは、駅の利用者を増やす手っ取り早い方法は住民を増やすことでしょう。

 今、飯田農園のある辺りは「市街化調整区域」になっていて、住居を建てるには大きな制約をうけております。ところが2010年(つまり来年)には調整区域の見直しが検討されるそうです。島本町には「町づくり委員会」というのが作られていて、飯田さんも農業委員として出席しておられと言います。調整区域を外すにしても道路整備などをきちんとせずに成り行きに任せていてはごちゃごちゃしたややこしい街並みになってしまうと心配しておられました。その点を行政側にたずねても「その辺りは地権者の方々と相談しまして・・・」としか答えてくれないそうです。

 私たち島本障害者共働作業所の心配は、もしも写真のようなのどかな桜井のあの辺りが市街化調整区域から外されたら、上牧の駅前のようになるということ。周囲にどんどん高層住宅が立ち並び始めたら飯田さんも農業なんてやってられなくなるのじゃないかという心配です。その道すじがもう来年に出来てしまうかもしれない。もちろん、この不景気ですからバブルの頃のように一気に進むとは考えられなくても、困った事態になっていくことは間違いないでしょう。

ブロッコリーだけの安売り(3月31日号 No27 242号)

 端境期対策にと植え付けてくださったブロッコリーが、爆発的に収穫期を迎えましてこのままではすぐに花が咲いてしまうとあわてました。中心部に出来る大きな固まりのブロッコリーは大人の頭ほどもあります。その下から出てくる脇芽も一杯吹き出しています。

 仕方ないから「とにかくお金に換えないと」と25日から27日まで、ブロッコリーだけの大廉売会を開きました。もちろん、飯田さんにお断りを入れ了解をもとめたうえでのことです。固まりのブロッコリーは選り取りどれも100円。脇芽のブロッコリーは大きめの袋に一杯入れて100円・・・ご近所にチラシも入れて販売しました。

 結果は・・・当然いつもよりよく売れましたし、ブロッコリーをもったいなく花を咲かせることはせずにすみましたが、ねらい目の新しい顧客に結びついたかどうかはこれからしばらく観察しないといけません。



 去年「ここ数年の野菜の売り上げの推移を見ても分かるように、いくら飯田さんが工夫し、野菜の種類を変え、手を変え品を変え生産しても、また私たちがそれをいくら気張って販売しても、「旬の野菜を味わう会」の会員が野菜が足りなくなるほど増加しても、頭打ちのようです。それは限られた広さの土地と、飯田さんと妹さんの赤松さんのお二人だけの労働力で生産される野菜だから当然だといえば当然なわけです。」と書きました。

 これからは「地域を越えて特徴のある野菜や果物を扱う方向で広がりを考えていくことも大切な段階に近づきました。」と提起しました。

ある惣菜会社にお勤めの作業所の建物のオーナー氏から「無農薬野菜を生産している提携農家を紹介してもいいですよ」とのお話がありましたが、その提携農家は全国に展開しており結局送料倒れしてしまいそうなのです。輸送料の高さがこの問題のネックであり、商品がタンカンのようによほど珍しいとか、アスパラガスのようにこのあたりでは食べられない美味しさであるという付加価値があれば多少高くても売れるのですが、そうでないと実現が不可能なようです。

A 果物の販売

 果物類では、07年度に続き向井果樹園のイチジクが不作でした。注文を受け付けながらお応えできなくなってしまう事態で、お詫びに追われました。どうも、雨男・雨女みたいなもので、前もって入れ込むとうまく手に入らないケースが最近多すぎます。

 また、熊本県荒尾市の「おばあちゃんのミカン」は06年度の大凶作で木が枯れてしまったために、07年度に送っていただけたのは全部で数十キロ。08年度は、不幸にも島本在住だった妹さんが逝去されたこともあり、おばあちゃんのミカンは味見程度に送っていただいただけでした。いろいろあって全く世話をされなかったそうで、ミカンも味が落ちておりました。生産者のFさんは「もう一度ミカンの木の世話をしてみます」とおしゃっておられますので、新年度に期待したいと思います。

  徳之島のタンカンは、タンカン品評会で糖度14度という驚異的な記録を出してグランプリに輝いた幸果樹園のタンカンの美味しさを再確認しました。ただし、タンカンの収穫期間を2月10日から3月10日までと決めておられ、一ヶ月しかありません。その間に3回600kg弱を送っていただきましたが需要に追いつかず、3月10日以後のタンカンを求めました。

 新しく開拓したタンカン生産者は、独り暮らしの高齢者だったのですが、味にもう一つコクがなく幸果樹園と同じ価格ではありましたが送料を着払いで送られたため、利益が小さくなってしまいました。生産者はどなたも「自分のところが一番美味しい」と思い、お話されますが、私たちには実態が分からないものだから・・・

 タンカンの時期が水俣ミカンの時期に重なり、タンカンの味の前に水俣ミカンがかすんでしまって売りにくいと昨年書きましたが、片方では酸っぱいみかんが大好きだとおっしゃる方もあります。今回は水俣からは甘夏だけを10ケース取り寄せました。この程度なら軽く完売できて、それなりの利益を出すことができました。

 また、ミックスオレンジを種類ごとに分けて袋詰めにして販売してきたのですが、ミカンの種類が増えてしまい、判別が難しくなっております。ミックスオレンジを取らずにすませたため、とても作業が楽になりました。

B 竹の子の販売

 08年度は、不作なのかなあと思っていたら、5月に入ってからも長々と収穫ができまして、それなりの収益を上げることができました。むしろ、今年(09年度)の方が不作なのかもしれません。

竹の子シーズンとなりました!(4月15日号No2 217号

 3月末からぼつぼつ掘り始めた竹の子ですが、4月の10日ぐらいから大きなのが出始め、最近では毎朝掘りに出ておられます。

 作業所では、皮に土がついたままの生の竹の子が入荷するなりそのままざるに盛り、1000円〜3000円で販売します。夕方売れ残りそうな分を水洗いして大きな寸胴鍋に皮のままぎっしり詰め込み大量の米ぬかを入れて強火で一気に湯がきます。これを料亭湯がきと称しています。翌朝、それを水洗いして水にさらしながら、皮付きのまま販売します。その前日販売した皮付きボイル竹の子(三日目になるもの)の皮をむいて水にさらして、これは「皮むきボイル竹の子」として販売。

 つまり、『生竹の子』・『皮付きボイル竹の子』・『皮むきボイル竹の子』の3種類の竹の子を販売しております。値段は、贈答用のもの以外は季節の進行と共に変動しますからここで報告することが難しいのですが、スーパーなど他の店で販売しているものに比べるとずいぶん安い価格設定となっております。よろしかったらお買い求めください。なお、贈答用に地方発送される送料は作業所で負担させていただくサービスを今年も続けさせていただきます。

 去年から竹の子の湯がきの一部を「障がい」者従業員に任せ、洗って寸胴鍋にきちんと入れる、水を張り米ぬかを入れて火をつける、沸騰したのを確認して1時間を計り火を消すという営みがほぼ出来るようになっています。

 贈答用竹の子では、2年前から始めた「湯がき済み竹の子」を利用される方が右肩上がりに増えてしまいました。家庭での手間を販売者である作業所が引き受ける形が好評を博しています。しかし、生の竹の子には一番良いのが入れられており、ボイル竹の子には生の贈答用から余ったものと2級品を使います。これからは、この辺りの情報公開をして生の竹の子への注文も誘導しないと、ボイル竹の子に集中してしまってシーズン中に間に合わなくなる恐れを感じております。


C お米の販売

 鷲野農産の無農薬米の販売量が年間を通して300kg前後で固定し、売り上げが毎年微増しております。

 一昨年来の米の流通業界への不信感が底支えをしてくれているようです。「信頼できる米」を求めると、例えば生協などで買わざるを得ないのですが、値段が遠慮なしに高い。そのようなお客様が、作業所で販売する米の値段を聞いて乗り換えてこられるケースが増えています。鷲野さんのお米に限らず、飯田さんのお米も「新米です」と言えば正味100%新米であるのが生産者かラ直接購入することのメリットです。

 最近では、年間通して田舎からお米を送ってもらう家庭というのはほとんどなくなりました。そんな家庭にとって、お米の選択肢にはスーパーの特売のお米も含めていろいろあってよいと思います。その中でとりわけ消費者にとって信頼できるお米が作業所で扱うお米であること、その信頼感がそのまま私たち島本障害者共働作業所への信頼感につながるところがとてもうれしいことです。

 B.定期販売食品

@そよかぜパンの販売

 定年退職して10年が経過し、団塊の世代が定年退職の時代を迎えました。私や作業所と親しかった教職員がどんどんと退職しております。そんな中で、作業所の存在は日々学校の中で薄れつつあります。卒業生としての従業員達の存在は動かしがたいのですが、元教師というだけの存在は忘れられ伝説化し、生きているシーラカンスのような存在と化したようです。

 それと同時に、職員室に出入りすることすら「職員室には大事なものがあるから」と職員の手元には届くけど配布物は管理職に取り上げられてしまうとか、代金の支払い用金庫を事故が起こってはこまるからと、丁重な挨拶と共に取り上げられるような現象が起こっております。こちらはあくまで「させてもらう」立場なので、従っておりますが、これからますますこの傾向は強くなる覚悟をしなければなりません。

 4月には小麦代の高騰によりパンが値上げされたり、値段は据え置きのまま小さくされたりしたこともあってパンの売り上げもどんどん下がり、年に一万円ずつ減少傾向にあります。10軒ほどの住民の予約注文に対して、教職員のそれは半分程度。金額では3分の1以下となりました。

 私たちの方から学校販売から手を引く気持ちにはなれませんが、住民、特に「野菜の会」として組織している方々への販売攻勢をかけないといけない時期になっているように思います。

Aラーメン・チャーシューの販売

 これもパン販売同様、売り上げ数が落ち、課題が生じております。日常の販売数はジリ貧で、毎週一回の販売ではわずかな量のチャーシューを炊くのが多忙感をあおり、利益にはつながらないので、08年の6月からパンに合わせて隔週販売にしてしまいました。こうすることで、注文票を裏表に印刷でき、作業所だよりと組み合わせることで2週間に一度の配布となりずいぶん楽になりました。

 さらに昨年よりも陰りを見せたのはイベントの時のラーメン販売数です。それは販売スタッフである応援団全体の高齢化の影響もあるでしょう。一回の販売数が多いときで400食も作って売り切っていたものが、300食でヒーヒー言うようになってしまいました。それに先日の桜バザーのように、イベントの集客力が落ちているケースも伴って全体的な売り上げが落ちました。

 対策の一つとして、ラーメンの単価を上げる方法も考えられます。イベントでラーメンを売り始めた頃は、一杯400円という単価が子どもの小遣いに比して高いという感覚もありましたが、今ではしっかりと手をかけて作っていることが食べて分かっていただけるようになり、美味しいというのが定評となっていますから、500円に値上げして販売数を減らすことが考えられてもよいと思います。

 ネット販売の方も頭打ちの感があり、昨年度ワッと盛り上がって300食も一気にはけた徳之島の人たちも「こういうラーメンだ」と分かってしまうと、「いつでも注文すれば食べられる」と受け取られ、いつまでも熱気は続かないものです。むしろ、タンカンのような季節商品・・・今しか食べられないというものの方が盛り上がりが高くなり、長続きするように思います。

C.仕出し弁当


 08年度は3年連続で弁当の仕出し回数が減りました。これには運動会弁当の注文が小中学校6校共になかったことがあります。それ以外に、いろいろな組織団体から注文されてもたくさんお断りする場面がありました。その際たる原因が下記の申し合わせです。

@ 目安は、単価が800円以上で食数が30食以上を引き受ける。(要するに総額の問題)

A 前日準備のできない月曜日と定休日はお断りする。(過去の経過のあるものは例外とする)

B 注文は納品日の3週間以上前にしてもらう。

 どうもこの申し合わせがあるため、時によっては「作りたくないのかな?」とお客様の方に受け取られてしまうような気すらしてしまいます。土曜日の注文が結構多いとか、イベントがあるため前日準備ができないというケースが多いわけで、決して仕出しをしたくないわけではないのですが。「弁当専門店ではないのだから」と自分で言い聞かせながら、ご注文をお断りしております。

D,イベント関係


 今年度は、作業効率を考えて寒い時期の本澄寺の節分の催しに、他の仕事と重なり忙しいことを理由に欠席しました。ここのイベントは、長時間であることとお客様が少なく売り上げが伸びないため、これからも忙しさや体調を考えて取捨選択していこうと考えています。それ以外の、08年度に参加予定していたすべてのイベントに参加しました。整理すると

4月6日;若山神社「桜祭り」   4月12,13日;大阪水上隣保館「桜バザー」  7月26日;実行委員会主催「反核平和人権フェスティバル」   8月2日;小野薬品労組「ふれあいフェスティバル」  9月6日;人権文化会館「ふれあい夜店」   9月14日:社協「福祉大会」   10月19日;水無瀬神宮「秋祭り」   10月30日;弥栄郷「ラーメン提供」   11月3日;実行委員会主催「町文化祭」   11月23日;若山神社;「紅葉祭り」(その他本澄寺の催し)
 《「有志参加」のスタイルは、本澄寺と若山神社の催しへの参加でとりました。》

 町内のイベントでは例年通りの食数を持ち込みほとんど完売しましたが、先日の桜バザーでは08年度は二日間に渡り600食持ち込んだのに100食近く売り残したことを踏まえて、一日目は焼き芋、二日目だけをラーメン300食とスタイルを変えましたが、それでも100食ほどのラーメンを売り残しました。

 この問題は隣保館の桜バザー規模小さくなって(当事者達は必ずしもそうは言いませんが)住民が魅力を感じなくなったことが大きいのではないかと思いました。実際に私たちの出店している「食堂街」だけは人が集まっていましたが、敷地全体のほんの一部でのこと。他の敷地内では「食堂街」を目指して歩く人がほとんどでした。また食券の発行も取りやめられ、現金取引だけになった影響(うちにとっては結構なこと)もあると思います。

 以前は、敷地に入ったところに受け付け場所があり、食券が販売され、歩き始めるとそこからバザーが始まっていたものです。参加することで赤字が出る前に、来年度からの参加については一度検討を加える必要があると考えます。

 「赤字」という点では、「反核平和人権フェスティバル」についても「作業所だより8月5日号(225号)」には以下のように報告されています。

作業所だより8月5日号(225号)


 フェスティバル全体としては7月20日の講演会(敗戦後の島本のくらしについて地元農家の長老の話)を皮切りに、一週間の掲示物の展示期間を経て26日の夕方から本番として模擬店や舞台の取り組みで締めくくるというものです。作業所としては展示と模擬店に参加しました。

 作業所は野菜の販売と冷しスイカにトマトをその場でジュースにして販売。ぴいぷるしまもとは生ビールにおでんです。おでんは前日から仕込みました。

 去年のおでんは全てを一つの寸胴鍋に入れて販売し、底に何があるか分からずかき回しているうちに砕けてしまうし、まだ残っている事に閉店後に気がつくということがありましたので、今年は具材毎に込みました。もちろん出汁は鰹節と昆布でしっかりととり、6つの鍋を出してきて煮込み、当日また出汁を合わせて味を統一してから別々に煮込むというていねいさ。

 バザーは夕方4時から開始でして、若者たちに設営に出てもらい、私たちは屋内で仕込み作業。昼から現場に出ました。フェスティバルは例年どおりの展開で、人出も結構多くて野菜もジュースも生ビールもおでんもよく売れました。

 ここからが問題です。作業所の売り上げは11,800円でした。そのうち7000円は生産者の取り分ですから利益は5000円足らず。フェスティバルに参加するための場所代として1万円払っていますので、5000円の赤字でした。場所代1万円稼ごうと思えば野菜を25000円売らなければならないのでした。ぴいぷるの方もおでんで約8000円稼ぎ、ビールで12000円稼ぎましたが、そこから場所代として一万円払うと半分になってしまいました。まあ、お祭りですから赤字にならなければ良しとしなければならないでしょう。しかし、作業所の赤字というのは辛いものがあります。作業所の野菜単価で言えば250個売らないと収支トントンにならないのがね。

 この点は作業所も実行委員会に加わっておりますので、実行委員会で参加負担金の減額を要求し、少なくとも赤字にはならないような手立てを講じる必要があります。


E.生協関係

 08年度かぎりで、8年間続けてきた生協店頭販売に終止符をうちました。報告は「作業所だより4月14日号(243号)」を再掲して変えさせていただきます。

生協前店頭販売取りやめます 作業所だより4月14日号(243号)

 3月の経営委員会で、2009年度を期に、生協での店頭販売を取りやめることに決めました。まず、大阪北生協島本店に出したお断りとお礼の手紙を掲載します。

大阪北生協島本店店長様                  島本障害者共働作業所
           店頭での販売活動中止について

 月に一回、店頭をお借りしての販売をさせていただくようになって早くも8年が過ぎました。この間、貴店には大変お世話になりました。いろいろとご迷惑をおかけしたことと思いますが、黙って見ていてくださったこと大変ありがたく存じます。また生協組合員のお客様にも顔なじみができ、ずいぶんかわいがっていただきました。

 お得意様も増えており、チャーシューを切らしたときには「今日はチャーシューないの?」とか「焼き芋が美味しかったからわざわざ来た」などと声をかけてくださるお客様との出会いがなくなるのは大変惜しい思いもあります。また、「障がい」者従業員だけで店頭販売することで身につけた自信も大きかったです。

 しかし、おかげさまでこの8年の間に、私たち島本障害者共働作業所自身がそれなりに力を付けてまいりました。貴店での店頭販売なしでも自立してやっていけると考えております。ご迷惑をかけ続けるより、作業所自体が自立して作業所の運営をしていこうと思います。よそ様にご迷惑をかけながら生きていくのは、私ども島本障害者共働作業所のポリシーではありません。従業員たちに「自分の足で歩け!」と言い続けるには、作業所自身が自分の足で自立して歩いている実感が必要です。


 以上のような考えから、惜しい気持ち、後ろ髪を惹かれる思いをしながら今回の結論に至りました。これからは作業所を舞台に、しっかりと社会参加を実現して生きたいと思います。

 本当に長い間、私どものために店頭をお貸しくださいましてありがとうございました。ここまで来れましたのも、貴店のご好意、ご支援の賜物でございます。心からお礼申し上げます。どうぞ、島本店で働く皆様にもこのお礼の気持ちをお伝えくださいますようお願い申し上げます。

 今後大阪北生協様とは、めーむ広場を通してのお付き合いとなりますが、当然よい商品が店内にありますので、お買い物を通してのお付き合いも続けさせていただきたいと存じます。

 末筆ながら、貴店の今後のますますのご繁栄をお祈り申し上げます。


 この結論は決して唐突なものではありませんでした。長年慣れ親しんだ店頭販売ですが、生協には職員異動があり、店頭販売当初の店長や特にお世話になった副店長たちがどこかへ行ってしまわれます。当然引継ぎはされるのですが、その引継ぎそのものから「どのような思いを込めて作業所が店頭販売をすることになったか」が抜け落ちていくような実感がありました。どなたが店長なのか私たち自身が分からなくなり、次に店頭に立つ「障がい」者自身が「なんか私ら邪魔なのかな」と漏らすことがあり、以前から引き際ではないかと話し合っていました。少し、残念な気がしています。

F.広報活動


 08年度の作業所だよりのまとめを08年度最後の「3月31日号(242号)」に書きましたので、まずそれを紹介して総括に変えます。

 
この一年を振り返り3月31日号(242号)

 この号の発行が年度末最終日ということもあるのか、この一年間の発行号数が27号と過去最多になりました。号数も多かったけれど、人とのつながりの点でも大きく広がったし意義のある一年だったと思います。

 それは2面に取り上げました大阪府人権協会のTさんや大阪府商工部雇用対策課課長補佐のFさんとのかかわりもその一つでした。私たちからつながりを求めて動いたわけではなく、ホームページをご覧になって面白そうだからと向こうから接触を求めてこられたのです。

 わざわざ見学していただくほどのことがあるわけでもなかったのですが、あるがままの作業所を見ていただき、「障がい」者従業員の働く様子を見てくださって、参考になったとメールをいただきました。


 北海道のアスパラガス農家の佐藤さんとのつながりもネット仲間の紹介でした。9月には北海道旅行を機会にお訪ねし、半日交流をしてきました。今ではこちらから徳之島のタンカンを北海道に送り、佐藤さんが冬の間ハンターをして仕留められた熊や鹿の肉を徳之島に送るという、まるで「仲介役」を作業所が果たしています。

 そのほかのことで言えば、この作業所の建物のオーナーであるTさんともネットを通じて知り合い、彼自身が作業所に来られ、その後拙宅まで足を運ばれて整体を受けて帰られるなんて愉快な取り組みもありました。彼とは毎日メールの交換をする仲となり、情報交換をしております。

 彼はこの建物の所有者としては三人目になるのですが、この建物を購入するに際して一階に地域と自然な交流を重ねている私たち島本障害者共働作業所が居住していることも魅力だったとおっしゃいます。普通、「障がい」者の施設などがあると忌避される方が多いのに、それを魅力に感じるセンスの持ち主だった。


 だから、「障害者自立支援法」の完全施行に伴い、2010年度からは補助金が止まるかもしれない事態にあることを聞いて、家主として出来ることがあれば教えてほしいとまで言ってくれています。

 私たちが「障がい」者の自立と解放を求め、哀れみや同情は要らない、働く場を保障するべきだと主張し、その代わり彼らには徹底して自己判断と自己決定を要求し続けていることへの共鳴が広がっているのだろうと思います。つり銭の計算が出来ない店員さんがいることが当たり前になって、根気よくお釣りを待ち続けてくださるお客様が増え続ける地域になりつつある。哀れみや同情でなく、共に生きる街づくりを実践していると受け止められるのでしょう。

 作業所便りをメインに運営しているホームページは開設7年でアクセス数20万人を超えました。一年間で25000のアクセスを維持し続けております。今ではどこの検索エンジンで調べても筆頭に出てくる位置になりました。

 先の「この一年を振り返り」にもありますように、意外な方や意外な場所で読まれていることがありまして、ネット仲間だけのやりとりだけでは決してないことが確かめられます。これからも、丁寧にホームページ運営をしていくつもりです。

 もうひとつの便り・「旬のお野菜便り」も一度の欠号をすることなく発行できました。露地物の“野菜の旬”について生育状況や天候不順による影響など知って考えていただく資料として、また生産者と消費者をつなぐパイプとして重要な役割を果たすことができました。

G.その他のこと

@ 従業員について

 勤務先の出火で、会社が再建されるまでと1年以上実習していたM君が、9月から再建された会社にもどって行きました。

さようなら!M君「作業所だより8月19日号(226号)」

 去年の4月に勤務先の出火で自宅待機を命じられていたM君、工場が再開されて彼の受け持ちの仕事の受け入れ態勢も整ったからと、8月の21日から元の職場に復帰することになりました。作業所の夏期休業が終わると同時に「実習期間の終了」とするので8月8日が彼の最終勤務日でした。

 一般の企業で生産ラインに入っての仕事は、彼にとっては誇りでもあるけど、時にはしんどい気分に陥ることもあったようです。特にこれまで彼のラインで、彼に気を配って作業を進めていた方が定年退職されたため、頼る人がいなくなったことをとても心配していました。「でも、会社として君の事を考えてくれる人を作ってあると思うよ。大丈夫や」と励まして送り出しました。

 彼にとってこの1年4ヶ月は、全く新しい体験だったようです。何分彼の勤め先が発泡スチロールの製造会社でして、大きくても軽いものばかり運んでいたらしい。だから作業所へ来た当初は重い野菜が持ち上がらないことがよくありました。80kgを越える堂々たる体躯をしながら、ちょっと重いと持ち上がらないのはまるでマンガのような場面でした。

 もちろんしばらくすると慣れてきて、持ち上げるときの要領をつかみ、体つきに相応した力を発揮するようになりました。で、彼は会社で仕込まれてきたのでしょう。二人で持ち上げたものをおろすときには必ず「いい?離すよ?」と確認してから手を離すのです。あれはチームを組んで仕事をするときには絶対良い習慣だなと思いました。

 作業所での全く新しい体験の一つに、調理実習など一般企業にはない取組みがありました。家庭でも彼は“オトノサマ”していて、調理関係の仕事はしたことがないと言うのです。初めてのことには「失敗してはいけない」と考えるのか本当にびびっておりました。「かまへんのや、失敗したってちゃんと食えるようになるんやから、思い切ってやってみろ」と何回けしかけたことか!この辺りに失敗に対して厳しい一般企業での体験がしのばれました。作業所は言うなら「失敗を前提」にしていますからその意味では彼にもよい体験だったろうと思います。

 大きな声が彼の長所であり短所でもありました。店先にお客様が来られたとき、独特のイントネーションで「いらっしゃいませ〜」と大きな声で言うのはすがすがしくてよかったけど、昼食時など彼にものをたずねると、わずか2mほどの距離なのに外と同じ大きさの声で受け答えするのにはまいりました。しかも国語の本の朗読調で!大声の嫌いなR君など、彼がしゃべりだしたら怒り出すくらいでした。

 そんな彼が企業で働くには、気も使うだろうし辛いこともあるだろうなと思います。ここにいて「失敗するために仕事があるんや」という場面の方が気は楽でしょう。しかし彼にとってぬくぬくした環境は彼の伸びを鈍らせます。会社に戻って神経をピリピリさせながら真剣勝負の仕事をして、疲れたらたまには遊びに来てほしいです。


 もう1人、Tさんが08年度4月当初に顔を見せたきり来れなくなり、向こうからの接触もほとんど途絶えてしまったので、3月の経営委員会で除籍することを決めました。M君のように彼女自身がけじめをつけることができなくて(それが病気なのですが)、なんとなく歯切れ良くない結果でした。

 9月以後は6人の「障がい」者従業員になり、目も行き届きそれぞれの仕事の棲み分けが少しずつ確立され始めています。これまでは最古参の二人だけが「自分の仕事」を認識して言われなくても取り組んでおりましたが、最近ではそれぞれが「これが自分の仕事」と認識し、少なくともやらねばならない気持は持てるようになりました。

A  
給与保障の問題

今年度も無事、給与規則どおりの給料を支払い、夏と冬にはいつもどおりのボーナスを支給することができました。しかし、いつまでもこの状態が続くと思われては困ります。

 財政報告にあるとおり、年間556万円の補助金と作業所のメンバーで取り組む作業・事業収益金352万円によって作業所は運営されております。ここから補助金がなくなれば、年間360万円以上かかる今の場所を使い続けることは不可能です。どこか安いところへ移動したとしても、350万円だけでは今の年間200万円を越える給与を維持することは不可能です。

 昨年度のまとめにも書きましたように、「障がい」者従業員にはこのことを理解してもらわねばなりません。いつまでも「お小遣い感覚」で給料を受け止めてもらっては困るわけです。みんなで稼いだお金で作業所を運営するという自覚に迫られることになります。ここでは昨年どおりの問題提起を重ねてしておきます。

 いくら野菜が残っていようとお構いなしで遊んでいたり、時間が来たからと帰ってしまったり、いやな仕事は避けてやりやすいことだけをする自覚のなさを見ていると、日常の販売活動と自分の給料との関係を見せ付けてやらないと分からないのではないかと考えます。ここは資本家が搾取する場所ではないし、稼いだ金を平等に山分けし、少なければ「来月はもっと増やそう」とみんなで約束しあうこともよいのではないでしょうか。そうすれば日常の労働の場面でも、自分や他の人の動きの見え方が変わってくるし、お互いの声のかけ方も変わると思うのです。

 さらに、この給料が大切な生活費になっている人と、親掛かりで暮らしているからお小遣いになっている人の差も理解できるようになりはしないか。また、自分がこの給料を当てにしなければならない日の来ることについても彼らなりの自覚のきっかけになりはしないかと・・・日常の作業所での労働態度を見ているとそんな風に考えてしまいます。

 なお、こうなってくると運営上「公的寄付金」のありがたみが増してきます。例えば昨年末にいただいた「歳末助け合い」の寄付金・8,5000円は、これまた「不要になったから使ってくれ」と10月にいただいた無蓋トラックの車検が年明けに切れましたので全額それに当てさせていただきました。このように、予定していなかった出費に自由にあてることができる公的寄付金は、後に感情の名残を引かないだけにありがたいです。

 今後はこのような類の寄付金を探す営みも必要となりそうです。


B     さらにその他のこと

 08年度も、ぴいぷるしまもとと共催で、旅行は北海道に行き、3月には蟹食いバスツアー、それに忘年会、新年会に取り組みました。各種イベントにも、いつも大勢の応援団の方が来て支えてくださり、本当に助かりました。

 いろいろわけがあって、08年度から社協主催の「ふれあいバスツアー」には自由参加としたために、バスツアーに役目を持つ店長以外誰も参加希望をしない結果となりましたが、言ってみれば作業所を中心とする仲間だけで遊びに出かけるチャンスがいろいろと作られているわけです。

 私たちの行事には自由があるし、その自由こそが「障がい」者の自覚をうながし、自己判断・自己決定のできる人に育てているのだという自負が私たちにはあります。

 ここではその「自由」が人を育てている例として、12月の“分裂忘年会”の記事を引用しておきます。

12月5日“分裂”忘年会(12月9日号234号)

 このところ続けて料理屋で開いてきた忘年会でしたが、今年は各自が料理を作ってきて作業所に持ち寄ってやらないかという声が起こりました。以前にはそうしてやったことがあるから「それもいいな」ということになりました。

 すると、「障がい」者従業員から「自分たちは作れる料理もないし、話にも付いていけないから自分たちだけで高槻に出てカラオケで忘年会したい」という声が上がりました。「障がい」者たちだけで夜の巷に繰り出すことに少しは不安はあったものの、まあ、その気持ちも分かるなあということになり、今日び携帯電話もあることだし大丈夫だろうし、好きなほうを選んで参加するということでいいのじゃないかと、初めて忘年会を分裂してやることになりました。(中略)

 カラオケの方とはHさんとテレビ電話で交流しようと練習もしておいたのですが、いざかけるとあわてるのか、カラオケの部屋の様子がうまく写らず空振りに終わりました。しかし、にぎやかな様子が電話を通して聞こえてきたし、順調にいっているらしいことは想像できました。カラオケの参加者は9名で、中には犬猿の仲みたいな組み合わせもあったのですが、席を離して座ったから問題はおこってないとのこと。ただし、広い部屋が取れず、狭い部屋に9人が詰め込まれたために身動きがとりにくいというような話をしてくれました。ちょっぴり不安な気持ちもあったのですが、電話の情報で安心しました。

 作業所の持ち寄り忘年会はいつもの通りにぎやかに、最終まで残った人達は日付が変わってから後片付けをして解散しました。

 カラオケ忘年会は6時から9時までで、精算すると25000円あまり。会計係の居眠り君は自分が食べることに一生懸命になって誰が何を頼んだか一切不明。参加者たちも「自分もたくさん食べたから合計金額を人数で割ってもよいということになり、楽な会計係になったそうです。

 休みが明けて、カラオケ参加者にたずねると「とても楽しかった」「これからは始めに3000円ほど集めて、精算してお金を返すやり方がよい」などと気に入ったようで、これからもやりそうな雰囲気でした。

 この一年間もみんな仲良く、元気に暮らして行きたいものです。