天下御免の珍道中
北海道/馬とアスパラと美味いもんの旅
                                   
                                       アスパラ農家・佐藤さん達とアスパラ畑の前で
・・・初めに・・・

 話は6月にさかのぼります。九州のネット仲間で、競走馬の厩舎を経営するKaneさんが、作業所の取り扱い品目に北海道のアスパラガスを入れてみたらどうかという話を持ち込んでくれました。送ってくださりそうな方を三人ご紹介くださったのですが、その中でご自分で栽培されている方はお一人だけでした。私たちは、生産者と直接交流するというのがポリシーです。

 Kaneさんがよく利用するラーメン屋さんのママさんから電話番号を聞きだしてきださったというそれだけのつてを頼りに、初めての電話を生産農家の佐藤さんに入れたときのことを今でも忘れられません。とにかく北海道の農業を知らない私は、佐藤さんを絶句させるような質問や要求の連続。佐藤さんが思わず「あのね〜うちではねえ」と一から説明してくださるような状態でした。

 それでも、送ってくださることになり5月から6月初めにかけて北海道の美味しいアスパラガスを販売し、お客様からはとても美味しいと絶賛されました。


 そんなことから、来年以後も送っていただくお願いをするために、また北海道の農業を見たいがために個人的に北海道まで行って佐藤さん宅をを訪ねようとしたのですが、その場所が馬産地の新冠・・・毎年1月には金杯を、11月にはエリザベス女王杯を目指して皆で淀の競馬場に押しかける馬の好きな応援団ですから、たちまち「みんなで行こう」となって今年の旅行は『馬とアスパラと美味いもんツアー』ということに衆議一決しました。

 新聞広告に「北海道の旅、フリープラン」というのを見つけました。札幌のリゾートホテルに3泊し飛行機代を含めて29800円というのです。早速申し込みました。以前の北海道旅行も安かったけどこれも安い!

 しかし、安い話にはウラがやっぱりありました。3泊4日なんだけど出発がお昼で、羽田で乗り継ぎ到着が16時過ぎ。帰りも同様で実質3泊2日。そういうからくりの覚悟はできていましたが、「飛行機の乗り換え」なんてやったことがない「障がい」者もいるのだから、それも楽しいだろうということになり、総勢19名で出発しました。

 第一日目


 9月21日の出発当日、朝は台風の流れの雨模様で、その台風の名残を追いかける感じで北に向かって移動しましたが、旅行全体としては「移動の時に降られる」状態でした。羽田での一時間弱の待ち合わせも楽しく過ごし、定刻16時5分に新千歳空港着陸。

 伊丹空港の持ち物検査では、相変わらず店長とR君が引っかかりました。どこかでモニターを見ているヤツが「怪しい」と判断したのでしょう。しかし、本当に怪しいヤツはこんな目立つ格好はしてないはず。普通の市民の姿に紛れ込んで凶器や爆弾を携えるものです。つまり「このような姿では飛行機に乗るな」と言っているとしか思えません。でもねえ、店長のポケットから出てきたのが右の写真。チョコレート飴などがごろごろ出てきましたから、ある意味凶器よりこわ〜〜い!(笑)

 着陸後、R君のお父さんが「羽田に荷物を忘れてきた!」と言い出して、空港職員を巻き込んでの大騒ぎ。間もなく、彼ら親子の荷物の数があまりにも多いからと、店長がまとめて荷物の数を減らしていたことがわかり一件落着。しかしこのような出来事がその後にもいろいろと形を変えて起こりました。

 レンタカーを8人乗り2台と5人乗り1台を借りました。ツアーにはsクラスの車が5人に1台(つまり19人だから4台)で割引価格となっていますが、@運転手が4人揃わない、A身体の太いのが多いから窮屈だ、Bガソリンや通行料金を考えると台数を減らして大きな車にしても費用はたいして変わるまい、という理由で大きな車に変えました。結果的には少しは高くつきましたが、体は楽でした。運転手は店長と、応援団の40歳代の男性と私。私も徳之島に行くと、私が借り出したレンタカーでも、「magarininさんに運転させるなんてとんでもない」と後部座席に坐らせてもらえますが、作業所ではそうはいかない。親子で参加している人たちをばらばらにして、私の5人乗りの車には私以外は親だけの4人で乗り込み走り出しました。

 まずは宿泊先の「アパホテル&リゾート札幌」へ。私はハイウェーを使うのかと思ったら支笏湖回りで下の道を走りました。どうやら、高速道路の嫌いな店長がもう一人の運転手をそそのかしたらしい。支笏湖に寄ったものの夕闇の迫る時刻でトイレ休憩したのみ。ま、高速道路を使っても、札幌で高速道路を降りてからが長いから、そうたいして時間は変わらなかったのですが。

 東の地方は夜明けが早い代わりに夜が早く来ます。大阪に比べると日暮れが早い!ホテルに着くなり風呂は後回しにして車に分乗した三つのグループに分かれて、食事に出ました。


 ホテル近くの「とんでん」という地方チェーン店に2組、回転寿司に1組と分かれました。どちらも土地の産物を多く使ったメニューが多くて(右の写真はイカ飯など地元産の食事)まずまずの食事にそれぞれが満足してホテルに戻り、それぞれが“リゾート”のたくさんあるお風呂に浸かって一日目を終えました。

 第2日目

 ホテルでは1350円払えば「朝食バイキング」が食べられるのですが、この日の日程は強行軍ですから「食わないとソン」みたいにしていつまでも食べる人たちをここへ入れると出発が遅くなる。だから、朝から開いているファミリーレストランがあるだろうと、8時前に出発することにしました。ところがR君のお父さんが一人だけ来ない!探しに行ったら、「朝食バイキング」で一人で食事中!ホテル代に朝食代も入っていると思っていたようですが、年配の紳士が当然のようにして会場に入っていくとノーチェックなんですなあ。

 初めの目的地はアスパラガス農家の佐藤さんのお宅です。カーナビに住所を入れるとちゃんと目的地設定ができたので走り出しました。先ずは朝食のできるファミリーレストランです。途中一つ見つけたのですが交通の激しい道路の右側にあったので断念。探すとなるとなかなかないものです。途中で牛丼チェーン店を見つけて19人で入ったら、店員さん真っ青!「今一人しかいないんですよ!時間がかかりますがよろしいですか?」私たちの車4人だけ残して、他の車2台は少し先のマクドナルドに行きました。

 朝食が終り、それぞれの車にカーナビが付いていますから自由に、高速道路にのってばらばらに走りました。北海道の高速道路は走ったことはあるのですが、グリーンベルトの幅が広くて林のようになっていることに今回初めて気がつきました(右側の写真)。私はとにかく佐藤農園を見つけたくて、高速道路を降りた後も、他の車がサラブレッドロードで馬と道草を食っている間もひたすら走りまして、真っ先に到着しました。これが面白かったのです。

 カーナビには住所で登録しましので、カーナビの指示通り走りました。カーナビが「目的地付近に到着いたしました。これで音声案内を終わります」としゃべったところに一軒の農家がありまして、車を止めて「佐藤さんのお宅はどこですか?」と尋ねに車を降りたら「やあやあ、わざわざ大阪から来られましたか!私が佐藤です」感動のあまりがっちり握手しあいました。なんと、「31−1」という番地には佐藤さんの家以外には一軒もなかったわけ。一発で個人の家の前にたどり着けるなんて都会では考えられないことでした。

 後続の二台の車と連絡を取り合い、間もなく全員集合しました。さすが北海道の農家です。私たちの経験では、三重県の大規模農家であるお米の鷲野さんの農地よりも広いぐらい!ビニルハウスが10数棟あり、そこにはピーマンとネギとが栽培されておりました。要するに飯田農園と違って「単作農家」なのですね。作業小屋には収穫したばかりのピーマンが一トンほどケースに入れて積まれていてびっくりしました。「これ佐藤さんが収穫されたのですか?」と尋ねると、「いやうちには中国人研修生が3人来ておりまして、彼らが収穫作業をやっています。」と言って研修生を呼び集めて紹介してくださいました。右の写真ですが、例によってとりわけ女好きなR君、「コンニチワ、コンイチワ!」と言いながら三人の女性研修生の一人一人握手を求めまして・・・関係ないのに佐藤さんが照れておられました!(笑)

 採りたてのピーマン、「美味しいですよ、生でも食べられますよ」とおっしゃるので、手にしてパリッと割ったらピーマンのジュースが手を伝って滴り落ちました。口にすると本当に「甘い」という感覚。女性たち「こんなに美味しいピーマン、食べたことがない。少し分けていtだけませんか?」と申し出たら「いいですよ、後で用意しますから」と佐藤さん快諾。

 居並ぶビニルハウスにはネギのハウスもありました。「今年はネギはよくなかった」と佐藤さん。ハウスの中を覗くと私たちは見たことのない仕掛けでネギが育っていました。倒れないようにしながら白ネギにするためなのでしょうか、茎の部分をカバーしてありました。ビニルハウスを通り抜けて家の裏に回ると、今は枯れてしまったアスパラガスの畑が向こうに見える山のすそまで一面に広がっています。そこで立ち話でお話を聞きました。アスパラガスは宿根草で一回植えると10年ぐらいは収穫できるそうです。収穫は研修生の仕事。そりのような物を腰にくくりつけて引っ張りながら、25cmの長さに切りそろえて収穫し、後ろのそりに入れていくそうです。初めての電話で「農協ではねられそうなストローぐらいの細いアスパラガスだけを安くわけてもらうわけにはいきませんか?」と要求したのが恥ずかしくなりました。太くても細くてもとにかく25cmに切りそろえながら収穫するのが精一杯。それらをごちゃ混ぜに収穫した後、せん別は農協が機械でするのだそうです。「ストローだけを選ぶなんて手間の要ることできません」と電話で断られたわけがよぉーっく分かりました。

 アスパラ畑が雪に覆われる冬の話に・・・雪に閉ざされる冬の間は、送電線の監視をかねて狩猟をされるそうです。道理で佐藤さんのところには犬が2匹もいて、ワンワン吠え立て、犬の嫌いなK君は足がすくんで歩けないほど!猟犬だったのです。獲物はヒグマや鹿など。この冬は熊を4頭仕留めたそうです。鹿もたくさんいて、目の前のアスパラ畑の向こうの山すそに現れることがあるのですって。「美味そうな鹿だとライフルを持ち出してここから撃つのです。射程距離は300mですがまあ当りませんけどね」などとニコニコしながらドキドキするようなワイルドな話を平然となさいます。まあ、住まいから鹿を見つけてライフル銃を発射するなんて、さすが北海道です。「熊や鹿の肉って獣臭くないのですか?」とたずねたら、あの獣の匂いは主として表面の毛皮の匂いだから、皮をはぐ手袋と、肉を処理する手袋を交換すれば少しも獣臭はしないとおっしゃっていました。熊の肉は缶詰にするそうです。販売はしないのかとたずねると、「生産地だとか賞味期限だとか食品表示をしないといかんでしょう。それが面倒で全部缶詰にしてしまいます」・・・なるほど、そうすれば缶詰にした日付をもとに缶詰工場がややこしいことをやってくれるわけだ。

 やがて、アスパラ畑を歩いていた作業所の代表Mさんが狂い咲きのようなグリーンアスパラを見つけて手にして戻ってきました。佐藤さん「それ食べられますよ。美味しいですよ」とおっしゃるので、私も一部口にしました。最盛期ほどではないけどアスパラの味が美味しかったです。

 話は佐藤さんの家族構成の話になりました。3人の息子さんがいてみんな高校野球の選手らしい。しかも甲子園に出場した駒大苫小牧や駒大が出場停止処分を受けたときに代わりに出場した滝川高校なんだそうで、佐藤さんも甲子園まで応援に来た事があるのだそうです。もっと早く知り合えていたら、我が家に泊まっていただけたのに・・・私たち数名の思いでした。奥様はその3人の息子の世話に、家を出ておられて今この家にはお母さんとお二人で暮らしておられるとのこと。。「息子さんの支援に金がかかりますなあ」というと、「そのたびに畑一枚、機械一台と消えていきます」と笑い飛ばしておられました。

 話を終えて先ほどの作業小屋に戻る途中で「良い物をあげましょう。熊の爪です。自分でキーホールダーにしました。」と車のドアを開け中から熊の爪のキーホールダ−を出してきて私の手に載せてくださいました。付け根の骨から外したのか、白っぽい部分に穴を開けてかは具が通してあります。長さは5cmくらい・・・「この爪でやられたらたまりませんなあ」というと「仲間が、アゴのしたから上向けにかかれましてねえ、顔の皮がめくれてしまったのです。肉の塊りの顔で生きてますけどね。」・・・ぞっとする話でした。それからアスパラガスを保存する冷蔵庫を開けて、佐藤さんが熊の枝肉を見せてくださいました。どの肉にも古着のシャツを着せて、熟成させているそうです。獲ってすぐに加工するのでなく、しっかり熟成させたほうが美味しいらしい。で、「これが熊の手です」とポリ袋に入れた爪の無い前足を出してこられました。まだゴワゴワの毛が付いたままです。「美味しいですよ。ゼラチンが豊富で、豚足よりも美味い!」とのこと。とにかく、これ以上のレア物はないと言える熊の爪のキーホールダ−、早くから強引に佐藤さんに渡りをつけ、親しくさせていただいた私へのご褒美と思ってありがたくいただき、私の大事な宝物になりました。

 話を終えて、女性たちはピーマンのほうへ・・・手に手に自分が欲しいだけ取っていると、なな、なんと段ボール箱2箱にぎっしりとピーマンを詰めてくださいました。全部持って帰りなさいというわけです。ありがたくちょうだいしてホテルから送り、帰ってから参加者と不参加だった2家族に1kgずつ配ることが出来たほどの量でした。

 お昼前になり佐藤さんのお宅を辞することになりましたが、本当に来てよかったと思いました。私たちが販売するアスパラガスの畑を見て自信を持って作っておられる佐藤さんのお話を直接お聞きして、お互いに信頼感を持てたこと。特に、「せっかく美味しい物を送るのだから、美味しいまま送りたいのだ」という自信は、本当によい人と知り合えたなあという喜びにつながりました。来年からもよろしくと、再会の期待を込めて握手を交わし、佐藤さんとお別れしました。

 新冠町の中心部を目指してサラブレッドロードの元来た道をたどりました。途中、ナリタブライアンの記念館があったので車を止め中を見学。周囲の牧場にはたくさんの馬がいるけど、競馬場で走ることが出来るのはほんのわずか。中でも中央競馬で走れる馬はさらに一つまみ・・・その中を頂点まで上り詰めた馬ですからねえ。馬主さんのたっぷりの思い入れが伝わってきました。しかしなぜか、この記念館は近々閉鎖されるそうです。

 記念館の向かいにイタリアンを食べさせるレストランがありましたが、周辺を検索すると「ビクトリー」の名の付くレストランを発見!「こいつは馬関係のレストランだろう」ということになりイタリアンをパスしてみんなで「ビクトリー」に向かって走りました。ところが・・・名前に騙されました!普通のファミリーレストランだったのです。馬好きたち「ややこしい名前をつけるなよ!」などとブツブツ言いながらも、時間も押しているので仕方なくファミレスで昼食となりました。

 居眠り君と同席したのですが、彼は私と同じ定食とドリンクバーだけの注文なのに、勝手にサラダバーからサラダをとって来て食べ始めました。「おいおい、それは別にお金を払わないと食えないぞ。無銭飲食する気か?」と注意したら、あわてて伝票に書き加えてもらっていました。しかし、上には上がいるもので、朝、物議をかもしたR君のお父さん、定食だけの注文でスープもサラダもドリンクも取り放題。そのうえ店長らしき男性の所に立って行きいろいろと質問している様子。結局「バー」の料金は払わないままだったそうです。決して意図的ではなく仕組みを知らなかったのでしょうが、あれだけ堂々としていると店の人は針の先ほどの疑問も持たずに見過ごすらしい。

 昼食を取りながらこれから先どこへいくか・・・私たちの提案は襟裳岬まで行くか、この近辺で新冠温泉や牧場などうろうろして終わるか、二風谷のアイヌ資料館を見学するかという三択でした。しかし、「せっかくここまで来たのだから襟裳岬に行きたい」と森真一の歌を口ずさみながら言う人が多い。「どこでもいい」と言う人だけを連れてアイヌ資料館に行っても、後で「襟裳岬はよかった〜」と聞かされれば悔いが残るのではないかと考えて、全員で襟裳岬を目指しました。

 しかしまあ、それにしても襟裳岬は遠かった!地図でイメージするとたいしたことないのだけど、100km近くありましたからねえ。レストランの男性に襟裳までの遠さを尋ねたら、「いや、実は私も行ったことがなくて」なんて返事だったわけが分かる遠さでした。夜の6時には佐藤さんをKaneさんに紹介してくださった静内の『鵬竜』というラーメン屋さんで夕食を取ることになっています。それまでに往復してこなくてはなりません。私の車は本物のジイサン二人と限りなくバアサンに近い女性二人。カーナビの指示に従い一生懸命走りました。時々右手に広がる海に歓声を発しながら・・・。

 襟裳岬は広々として、海と灯台とお土産屋以外は「何もない初秋」でした!てんでバラバラに岬をぐるりと一周してお土産屋を覗いただけで再び元来た道を静内のラーメン屋さん目指して走り出しました。「もう4時や!時間に間に合わないぞ」というわけです。

 もしも間に合わなかったら迷惑をかけるからと『鵬竜』を通して紹介してくださったKaneさんに電話を入れて事情を伝えてもらったら、いつもは一人のところ二人体勢を敷いて待っているからごゆっくりどうぞとのことでした。お互いの車には連絡係が乗っていますから、携帯電話で「焦らずに走りましょう」と呼びかけました。

 静内の駅前と聞いていたので、静内駅の駐車場に車を止めて駅前を見渡すがラーメン屋がない。私のイメージでは「駅前ラーメン屋」でして、駅から見えるところにあるつもりだった。しかも「JAの駐車場が無料で使えますからそこに止めればいい」というそのJAが見つからない。Kaneさんに電話しまくりぞろぞろ歩きながら探してやっと見つけました。

 ラーメン屋さんはご姉妹そろって待っていてくださいました。店が10名あまりしか座れないので、早く注文した人から順に食べ始めるということで、私などは公衆電話を押しのけて隙間を広げてそこで食べる有様。ゆっくり味わうという状態からは程遠い食べ方でした。Kaneさんが九州から北海道へ馬の仕事で来られるときは必ず立ち寄って召し上がるそうですし、佐藤さんもこの店の常連さん。私たち作業所と佐藤さんを結びつけた「鵬竜ラーメン」・・・食べるのに夢中で、写真を撮りそこないました!

 静内から札幌まで、一時間あまりかかりますから、3台の車がそれぞれメンバーが食べ終わり次第ホテルに向かって走り出しました。この日の走行距離は300km以上。くたくたになってホテルに着くなり明日の行動について会議です。明日は旭山動物園に行きたいという人が結構多くて、みんなで行けば良いのですが「旭山動物園はもう行ったことがあるからどこか別のところに行きたい」と言う方もおられます。

 さて、旭山動物園以外で行ける場所というと札幌市内観光か、洞爺湖温泉方面か、小樽方面かということになります。 「障がい」者従業員のことを考えるとやはりはっきりしない行動をとるよりは、多少遠くても「旭山動物園」が分かり易くてよろしい。お風呂に行ったまま帰ってこない人もあって手間のかかる話し合いでした。やってこない居眠り君の部屋に店長が電話して「すぐに飛んで来い!」というと風呂上がりなのでしょう、パンツ一丁でやってきました。彼の「飛んで来い」はこの姿のまま来ることだったらしい。きんな見たくもない姿に目をそむけながら話し合いました。

 結論は私が運転していた三菱ランさーの5人乗りを店長が運転して、作業所代表のMさんと9月まで作業所で実習していたM君親子が「旭山動物園以外」に行くことになり、他の8人乗りで残りの15人が旭山動物園を目指すことになりました。

 私ももう疲れきっていて下の大浴場にまで行く元気もなく、部屋の風呂で済ませてそのまま爆睡してしまいました。長い長い一日でした。

第3日目

 一日ぐらいはホテルの朝食バイキングもよかろうと、希望者は1,350円払ってバイキングを食べる時間を設定しました。もちろん人によっては売店でお弁当を買って部屋で済ませる人もいたし自由行動ということです。朝食後ただちに2台の車は旭川市の旭山動物園に向かいました。このコースはほとんどが高速道路を使えるから運転が楽なのですが、高速に乗るまでが結構時間がかかります。距離にして約100km、時折ワイパーを動かす程度の雨が降っておりました。この日はそれぞれの目的に合わせるということでほとんど親子連れとなって乗り込んでいました。

 旭山動物園に着いたときは雨が残っていましたが、しばらくすると上がってしまい傘が荷物になりました。園内は自由行動とし、集まる場所と時間だけ決めて解散。

 動物の生態観察に優れた動物園と聞いておりましたがなるほどなあと思う施設があちこちにあり、動物よりもその仕組みが面白かったです。たとえば右の写真は何の変哲もないリスの小屋なのです。リスは巣にこもっていて見えませんでした。しかしよく見ると、小屋の前に白く光った箱が見えますが、これが食堂なのです。おなかがすいたリスは巣からでて、箱に向かう斜めの透明なプラスチックでできた筒というか廊下を伝って透明な食堂へ降りてくるのです。この食堂は観客に一番近いところにありますから、我々の目の前でリスの食事をするところが見られるわけ。

 動物の食欲を利用した展示がとても大事にされ、それは「パクパクタイム」として園内のあちこちに左の写真の掲示板がありました。 これで見ると「オランウータン」の食事時間が11時半からと近づいています。ちょいと早い目だけど混雑する前に昼食にしようかとレストランの行列に一旦並んだものの中止して、11時半を待つことにしました。

 オランウータンの食事光景をなぜ見たかったか・・・それは彼らの宿舎と離れたところに餌場が作ってあり、餌場に行くには通路を綱渡りして行かなければならないように仕組んであるからです。それはパンフレットの愉快な表紙にもなっていて、ぜひとも見たいものでした。11時半までそれぞれが自由に待ちました。私はチンパンジー館に入って愉快な彼らの動きを見て時間を過ごしました。

 時間が近づいたので、写真を撮るのに良いアングルを探しました。少し離れたベンチが一番よさそうなのでそこからカメラを構えました。飼育者の解説では、餌を食べに行くかどうか分からないけどひとまずやってみましょうとのこと。

 始まりました!お父さんが一頭で綱渡り・・・いや、綱じゃなく上の枠を持って渡ります。解説では「基本的には臆病なんです」とのこと。一部始終は下に写真で報告します。


見事におやつを食べて住まいに戻って行きました。このアングルの下は何もない・・・落ちれば危険ですが、オランウータンの能力を知り尽くした企画でした。

 その後は各家族ごとにくっついたり離れたりしながらのぶらぶら散歩。私もみんなから離れて自由行動・・・と言っても、動物を見るだけですからねえ!一人で屋台の天ぷらそばを食ったけど、作業所のうどんのほうがずっと美味しい!


 やがて2時になったから集合の携帯電話をかけました。三々五々集まってきました。「障がい」者たちは家族ごとに行動していた模様。他の方もまとまっていたらしい。一組、外へ食事に出たグループがありましたが連絡が取れ2台の車は別々に旭山動物園を出発しました。私の車は途中から高速道路をおりて道の駅などお土産を売っていそうなところを探しながら走りました。明日帰るのですからね。でも、見つけたのは一軒だけ。私はそこでトマトと岩塩だけのビン入りトマトジュースを2本買い求めました。また、ライスソフトクリームというのを見つけて買い、食べました。これ、おこげを粉にしたのが振り掛けてあって、クリーム自体はどおってことなかったけどご飯のおこげの香りが楽しかったです。

 ホテルに帰ると二番目だったのかな?この日の夕食はホテルの無料巡回バスを使って、札幌市内すすき野近くのキリンビール園に行く事になっていました。

 キリンビール園に電話を入れて子羊の焼肉喰い放題の予約をとり、ホテルの巡回バスの時刻表を確かめて集合時刻を決め、全員ですすき野を目指しました。キリンビール園はすすき野から1kmほど離れていましたので、足の不自由な人だけタクシーを使い、他のみんなは歩いて向かいました。800人も入れる大きなホールでした。関西では見たことがない!

 到着すると8人がけの席が三つ用意されておりました。私が一番奥の席に立ち、店長が入り口の席に立って「この三つの席に座ってください」と声をかけたら、「障がい」者は私の方へバラバラと近寄って適当に座りましたが、応援団と親達が入り口の店長の席を取り合うように動きません。「障がい」者の席に座るのは私一人??思わず「誰かが焼いてやらなアカンやろ?生肉でも食っておけって言うのか?」と一喝しました。すると応援団の二人と親子の三組が分かれて坐ってくれました。

 最後の晩餐が始まりました。私の前は作業所代表のMさん。ホールでは北海道大学卒業生の同窓会でも開かれているのでしょうか、聞き覚えのある北海道大学の寮歌「都ぞ弥生の雲紫に 花の香漂ふ宴遊(うたげ)の筵(むしろ)♪」の歌声が聞こえてきます。高校時代に北大にあこがれたこともあった私には最高の北海道気分でした。同じテーブルの「障がい」者従業員達には「好きなだけ食っていいんやぞ。ただし、生は食うなよ」と言い置いて、焼きながら食いながら飲みながら北海道やなあと感激しながらMさんと自分の大学の話や当時の暮らしをおしゃべりしていました。

 そのうちに食い放題の時間が経ち、やがてデザートのアイスクリームが配られてきました。当然満腹したみんなはデザートを食べ終わるなりすることがなくてそわそわ。私は店長の所に支払方法(お金の徴収方法)について相談に行きました。彼の席は「障がい」者抜きの応援団と親達だけの席です。そこで応援団の一人から「ナンヤもう帰るの?せっかく盛り上がってるのにもう終わるの?」と抗議めいた(少なくとも私にはそう受け取れました)口調で言われました。よく見れば店長の前には3リットルは入るピッチャーが二つも置かれ、店長は「これを飲め言われてますねん」と苦笑しています。

 私はブチギレてしまいました。「あんたらは盛り上がってこれからかも知れんけど、私らの席はとっくに盛り下がっとるわい。私らなりに盛り上がったけど、デザートまで出たら盛り下がるのが当たり前やろ!あんたらこのまま盛り上がったらええがな。私らは飲んだ分の金を置いて帰るから。」・・・シーンとしらけましたなあ。でもねえ、自分はほとんど食わずに一生懸命「障がい」者に肉を焼いて食わせていた人(それが良いことだとは思いませんが)もいたのです。「もうこのスタイルでの旅行は止めるべきだ」と思った瞬間でした。「障がい」者と一緒に来ていることを忘れてしまってはねえ。「障がい」者のために犠牲になって旅行するのは間違いです。でも、仲間である「障がい」者の存在を忘れてしまうのなら意味も意義もありません・・・「障がい」者はただのダシに使われているだけです。

 その後は見るも無残な心で(私だけかも知れませんが)ホテルに戻りました・・・盛り上がっていた人たちも息せき切って歩いたらしくバスの時刻に間に合って・・・。

第4日目

 ダンピング価格の旅行は昼前出発の便でした。朝は自由に食事を取り9時前にホテルをチェックアウトして、一路新千歳空港へ。レンタカーを返しましたがどれも500km以上走っておりました。レンタカーを使って走り回る費用に、一人1万円強かかった計算でした。

 新千歳空港に着くと11時前。荷物置き場を決めて見張り番を交代してそれぞれが買い物や食事の自由行動。私もちらほらみんなが戻ってくる頃からお昼ご飯を食べに行きました。お土産屋でお弁当を目の前で作っている店があり、その場でも食べさせるそうなので北海道らしいウニとイクラとカニの載った弁当をその店で食べました。すると仲間の「障がい」者がやってきて、自分も食べたそうにします。「ここで食べてもいいんやって、好きにしたらいいやんか」と言うと、お金の勘定ができない彼が、ちゃんと金を払って私の隣に坐って弁当を手に入れ食べ始めました。

 できるんですなあ・・・金さえ持っておれば、こんな繁華街で自分の食べたい物を選んでちゃ〜んと食事する・・・そんな場面を初めて見ました。R君の弟で彼は作業所には来ていませんが、毎日町内を飛び出して京阪沿線をうろついています。家とだけ通じる携帯電話を持って、毎日繁華街に出入りしてるのですが、それなりに立派に力をつけておりました。

 12時に飛行機は飛びまして、羽田で一時間以上の待ち合わせ。伊丹空港に着いたのが3時半。格安の旅行ですから文句は言えません。伊丹空港で一応解散ということになり、私は一人でさっさと帰って来ましたが、多くの人がそのまま団体で動いたようです。翌日、空港から水無瀬駅の間までもいろいろと「高齢化による」アクシデントがあったらしいことを聞きました。

 旅行が終わった直後の229号の『主張』でも書きましたが、このスタイルでの旅行はもうこれで終わるべきだと思いました。私たち自身が高齢化し心にゆとりをなくしているようです。具体的に言えば「障がい」者以上に時間が守れなかったり、健常者と言われる人に行程が飲み込めない人が出たり、おまけに昨夜のようなことが起こるようではこの旅行の意味がなく疲れるだけに終わります。

 これからは、毎日「障がい」者である我が子と付き合っている親同士が「障がい」者抜きで交流をする旅行とか、「障がい」者とその仲間達の楽しみのための旅行などに分けるべきでしょう。本当はそれらの目的を共有する旅行として毎年行っていたのですが、今回でそのバランスが破綻してしまったように思いました。

 でも・・・総じて楽しかったし意義があったし、「このスタイルでの旅行はもう無理だな」と分かったし、意義深い旅行でした。