| 2004年度11月5日 第15号(通算132号) 『作業所だより』最新号より 前号を読まれてない方はここ、131号へどうぞ |
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| 行列のできるラーメン屋さん |
| 主張/弱い者いじめ |
台風23号による北近畿の大洪水のニュースが冷めないうちに、引き続き今度は新潟中越大震災と、今年は天災の年の様相を呈しております。10年前の阪神淡路大震災の時を思い起こしながら、被害に遭われた方の一日も早い復興を祈らずにはおれません。 そんなニュースの中に、被災者をだましてお金を巻き上げる詐欺事件が交じっておりますと、一層情けなく気持ちが滅入る思いがいたします。しかも「娘さんがケガをして搬送する費用がいる」などと災害という背景を巧みに使い、家族の心理を利用して数百万円をだまし取るとなると「何でもありの社会やなあ」と思います。天災により一時的に社会的な弱者になったその弱みに付け込むあくどさ… ![]() そんな報道の別項に、車椅子「障害」者の家に押し入り、「障害」者を車椅子に縛り付けて数万円を奪い取った二人組の強盗の話もありました。抵抗らしい抵抗が出来ないことを見越して押し入り、車椅子に縛り付けると言うのもえげつない話です。まさに弱い者いじめ! じつはうちの従業員も月末の土曜日、立て続けに二人もお金を盗まれる出来事に出会ったようです。一人は土曜休日だった人が、スーパーで買い物して買った商品を袋に入れた後、財布をそばに置いてちょっと気になるチラシを取りに行った隙に1万数千円入った財布を取られてしまいました。 ![]() もう一人は、作業所での勤務が終わって雨の中帰る途中、駅までの道をたずねられました。言葉で順序だてて話すことが難しい人なので、その人を駅まで道案内し、ついでにそのまま駅前のゲーム屋へ立ち寄って出て来たら自転車のカゴの荷物(野菜の売上金1万円近く入り)が消えていたようです。 どちらも彼らの不注意と言えばその通りなのですが、スーパーではお年寄りの油断を絶えずねらっている人がいるとも聞きますと、挙動がみんなと少し違う彼の行動をじっと見ていた人がいたとも思えるし、駅まで道をたずねた人だって二人組だったなんてことも想定出来なくはありません。いや、何でもありの世の中、それほど世間が信用出来なくなってしまうと言うことです。 2年前に作業所に泥棒に入られた時にも、にぎわう作業所前の八百屋で「障害」者相手の釣銭詐欺にやられた時も、ショックは受けましたが「特別な人がやることだ」とか「偶然うちがねらわれたのだ」と言う思いがありました。でも今はもう「弱い者いじめをする人が層になって存在する社会だ」と考えざるを得ません。弱い者いじめの社会というのは、生きる権利(人権)を取り上げてしまう社会です。 阪神大震災当時教師をしていた私は、クラスの子に「障害者と健常者が並んで建物の下敷きになっていたとするなら、君たちならどちらを先に助けるか?」とたずねたことがあります。彼らはためらいもなく「障害者だ。だって健常者なら自分で這い出せるかも知れないから」と答えました。 普通のクラスの普通の子どもです。あの子どもの頃の正義感は、社会で生きているうちに痩せ衰えていくのでしょうか。 |
| 初めての東京独り旅 |
Hさんが旅行記をまとめてくれました。なるだけ原文に忠実に言葉遣いや仮名遣いだけはご本人の希望で手を入れながら、分かりにくい所は注釈をいれて書きます。 |
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◆10月10日(日);京都から新幹線に乗ったときは立ちせきです。けいたいがなったのでYさんからでした。なにを話したかわからなかったです。名古屋から座れてよかったです。山手線に乗りかえて新宿駅で降りていろんな人に聞きながら新宿コマ劇場に着きました。12時15分にあくのでならんでました。 健さんのぶたいはものすごくよかったです。歌の途中でドライアイスの煙が出て健さんのすがたが2回みえなくなりました。私は、なんでてわらってました。マツケンサバが終わって、アンコールが3回あって嬉しかった。 舞台がおわって新宿駅に戻り新大久保駅で降りて、駅員さんに「新宿ノースホテルはどこですか?」と聞くと「10分ぐらいしたら交番があるからそこで聞いて」といわれました。けいさつかんに「新宿ノースホテルはどこですか」と聞くと3回せつめいしてくれたけどわからなかったので、近くまであんないしてもらいました。 5分くらい歩いてホテルに着いて、フロントでかぎとタオルをもらい、部屋に入り電気をつけてすぐにテレビをつけました。ご飯を食べようとおもったらフロントから電話があってさきにおふろに入りました。なかはひろかったです。部屋にもどってごはん(注;コンビニのお弁当)を食べました。おいしくなかったです。 テレビはねるまでみてました。10時30分ぐらいにねました。まっくらだったのでテレビの明るさでねむれました。 ◆10月11日(月);6時におきて服にきがえて朝ごはんをかいにサンクスまで行き、パンとコーヒーとヨーグルトとお水をかいました。部屋にもどってたべたけど、のどにつまってなかなかたべれませんでした。やっぱりおいしくなかったです。 9時30分ごろにホテルをでました。山手線に乗って東京駅について、はとバスに乗る時間がだいぶあるので、おみやげやさんをあっちこっちうろうろしてました。 11時ぐらいにおうどん屋さんに入って天ぷらそばをたべました。えびもさくさくしておいしかったです。コインロッカーににもつをあずけてはとバスのまちあいしつでまってました。ガイドさんにきくと12時20分にくるといわれたのでまってました。そのときに沢田さんからメールがありました。すぐによみました。 はとバスに乗ってレインボーブリッジをとおってどれぐらいたったかわからないけど「レインボーブリッジはおどるそうさせんのさつえいがあったとこや」と頭によぎって、あとでかんどうしてました。 アクアラインに着いて、海がものすごくきれいでひろいなっと思って、あとはおみやげ屋さんを見てかいました。1時間ぐらいしかなかったのであっと言う間に出発のじかんになったので1時50分ぐらいにでました。 つぎについたのがお台場です。じゆうのめがみの所で記念写真をとって、フジテレビのスタジオをけんがくしました。サザエさんの家のもけい(注;セット)がありました。一階におりてスターのお店とおみやげ屋がありました。かいました。(かってない人は済みません)サザエさんのストラップがあったのでかおかかわんとこかなやみました。 とけいを見ると3時50分に出発の時間なのであわててのりばへいきました。バスのガイドさんがおとみさんの歌としょじょうじの歌を一緒に謳いました。私はとなりの人といろんなことを話しました。ものすごくしんせつでした。 4時20分についておりてからはとバスに乗った所にもどってにもつを出して、東京駅でおべんとうをかって、新幹線のホームにあがって6時3分のに乗りました。おべんとうをたべました。ものすごくおいしかったです。 8時23分に京都駅につきました。あたまがぼうとしてました。しんかんせんによったみたいでした。 終わったときはあまりかんじなかったけど、たのしかったしまた行きたいなあと思うようになりました。 |
| 経営委員会で話し合ったこと |
10月29日に開かれた経営委員会では、相次ぐ自然災害に触発されて委員会としては正式に話し合っていなかった“緊急時のマニュアル”を話し合いました。 自然災害の場合は簡単でした。 ☆気象災害の場合、『警報』が出た場合や出ることが確実視される場合休みです。 ☆地震の場合、震度6をメドに電話等で確認が取り合えない場合は自動的に休み。 ☆その他の自然災害の場合、帰途が閉ざされる場合を考え臨機応変に対処します。 ![]() ところが私たち職員が長期の病欠に入った場合のマニュアルが難しくて、店長をはじめ3人の仕事を書き上げて整理を試みましたが、しょっぱなから「こんなん無理でっせ!」「そうや、しんどい仕事は止めたらええのや」「無理して人の仕事までやっていると、共倒れになりますよ」…ごもっともな話! だけど仕事している側からすると、人が欠けたからと言ってラーメンやパンの販売を中止したり、決まっているイベント参加を突然取りやめたりしにくいし、出来るだけ同じようにやりたいと考えてしまいます。また取りやめてしまったらする事がなくなりみんなが暇になり、ぼーんやりする時間が増えるのもこわい話です。「暇やから散歩でも行きましょうかなんてなるのイヤやで」「私らもそんなんイヤやわ」と「障害」者従業員。そんなことにならない程度に様子を見て業務縮小することになりました |
| 町文化祭に参加しました! |
作業所参加のイベントとしては珍しくよいお天気でした。過去2年間の文化祭は雨がらみだったように記憶しておりますから、気分よく取り組みラーメンは400食、焼芋は50kgほど売りました。 前もってのスープの仕込みには、水無瀬神宮の名水「離宮の水」を60リットル使って鶏ガラや背脂、飯田さんの野菜などと一緒に10時間近く煮込み、3分の1ぐらいにまで煮詰めました。これがとても美味しい仕上がりになりました。 ![]() ![]() 当日は食堂用テントを挟んでラーメン用テントと焼き芋用テントを張りましたので「障害」者のほとんどを焼き芋に回し、ラーメンは応援団中心に取り組むことにしました。焼き芋もプロパンガスで熱しますから危険ですが、熱湯がたぎっているラーメンの仕事よりは危険度が低いからです。この配置のおかげでいつもの気配りが必要でなくなり、楽でした。 朝の10時開店の段階では本当にヒマでしたがその状態は一時間も続きませんでした。11時半にはもう長い行列が出来、大鍋の縁に7つの玉てぼ(麺を湯がくざる)を並べて順に湯を切り、次から次へとラーメンを仕上げて行きました。7つ並べると一回りするのにちょうど1分半から2分でほどよく麺が湯がき上がるからです。 今回は材料屋さんからサービスでいただいたメンマを用意して、「刻みネギ・紅生姜・コショウにメンマはお好みで入れてください」と出しておいたらメンマだけはお昼頃には品切れになりました。こちらもサービスでもらったメンマに自信が持てなかったのですが、食べ残しもほとんどなく美味しいメンマでしたので次回のイベントからは定番のトッピングとして使うことにしました。 ネットのお客様も遠くは川西市や伊丹市から来られたのですが、私たちの店に来られる時間帯がばらばらでラーメン屋で出会うことがなくて、皆さんすれ違い状態になってしまいました。皆さん、後で近くにいたのに会えなかった事を悔しがって、近いうちに京都でオフ会をする話が起こっております。 ![]() 一時間辺り100食以上のペースでラーメンを作り続けて、完売したのが2時半を過ぎるころでした。3時間半の取り組みを支えたのは応援団の数の力だと言えましょう。お客様が驚いておられたのが「美味しいラーメンだ」と言うことのほかに「大勢でやっておられるのですね」ということでした。作業をなるだけ細分化し(なんとラーメンを作る作業を8〜9人に分けましたから)、それを交代しあって取り組みましたから1分間に2食のペースが作り出せたのだと思います。 しかし、400食という数が限界だと思いました。一年毎に私たちの体力が落ちて行きます。その代わりラーメンに取り組んで3年が過ぎ、スープにもチャーシューにもそして味卵にも自信が持てるようになりました。これからの私たちのラーメンは高級化を目指すことにしましょうか。テレビのラーメン番組では奥が深いそうだから。 |
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