2008年5月27日 第5号(通算220号)
『作業所だより』最新号より
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                         私のバイクです・・・帰ろうとしたらこれ!心が屈折した従業員のイタズラです。
主張/若さがほしい!


 2面に報告した「ぴいぷるしまもと」との共催行事である「バーベキュー大会」ですが、この行事が始まったのは「ぴいぷるしまもと」の発足間もない20年ほど前のことでした。参加者の年令は今よりもマイナス20才ですから、「障がい」者従業員たちもまだ子ども、私たちも40代でした。当時は「野草をテンプラにして食べよう会」という名称で、水無瀬川の上流まで食べられる野草を探しながら歩いて溯り、川原でテンプラをして楽しみました。今から思えばみんな元気でした。

 そんな行事が20年経過してみると、2面に書いたとおり水無瀬川沿いの緑地公園でバーベキューをして食べるだけの取組みになりました。以前は、話し合いによって役割分担して力を合わせて準備するという盛り上がりを大切にしていたのですがね。

 店長は農園の野菜をそろえ、早朝から手伝いに来てくれた応援団の主婦のお一人と野菜を洗い切って、近くのスーパーで肉など買いそろえてトラックで現地へ行き、バーベキュー開始。私は少し遅れて「手伝うことがあったら」と駆けつけてくれたこれも主婦の応援団の方と分担しておにぎり作り。彼女はご飯を炊き、私は中に詰める具をそろえ海苔を用意し、炊き上がった熱々ご飯を二人でおにぎりに仕上げて現地へ。

 大勢でわいわいやるよりも手間も所要時間も半分以下で済んでしまい、大変能率の上がる作業でした。

 一方、「卯の花弁当」の仕出し作業の時のことです。野菜のかき揚を分担してくださった40才代の応援団の方が、女性従業員に要領を教えて弁当で使う必要枚数を揚げた後、周囲で見ていた男性従業員に「今見ていたことをやってみろ」と皆にやらせてくれました。

 器用に油に入れたのに、手についたメリケン粉が気になって揚がるまで待てずに手を洗いに走る人、弱視のため形がうまく作れない人、手を後に組んで絶対にやろうとしない人、それぞれが見ていて面白かったです。初めてかき揚げを作った人たちもうれしそうでしたから印象に残ったと思います。

 隣で肉じゃがを作りながらその様子を見ていました。「この差は年令なのだろうなあ」などと考えてしまいました。年をとると体力をなくすせいか、結果を急いでしまい、「やってみろ」「一緒にやろう」と声をかける前に疲労感を持つのです。「自分でやったほうが早い」に逃げてはいけないとわかっていながら、日常仕事として彼らと一緒に「やってみろ」の世界で暮していると、休日の行事にまで同じペース配分でやることがしんどくなるのです。20年前のあの頃は違ったのになあ。あらゆる意味で若さが欲しいです!

5月17日バーベキュー大会でした


 長年、ぴいぷるしまもと主催でこの若葉の季節に「野草をてんぷらにして食べよう会」という取り組みをしてまいりました。しかし、当時のオッサンオバハンはじいさんばあさんに成長し、若者たちはメタボを気にするオッサンオバハンに成長してしまいました。数少なかった子どもたちは若者になってしまって、「今日はどこまで行ったやら」の世界に飛び出しています。

 それにつれ、だんだんと食べられる野草を野山を歩いて探し求める元気はどこにもなくなってしまい、ついに最近は「バーベキューと焼きソバを緑の中で食べよう会」になっておりました。それも、これまでは山の上の若山神社を使わせてもらっておりましたが、とうとう山へ登る元気すら失せて、今年は水無瀬川のほとりの緑地公園でやろうかと・・・ま、年相応に無理せず楽しみましょうということです。

 また、初めのうちはぴいぷるしまもと単独主催だったこの行事、今では作業所と共催ということになっております。これも無理せず助け合いの精神ですな。

 参加者は早い人は朝の9時から、なんとなくわやわやと会場に集まりまして、11時前にはバーベキューがはじまりました。私が担当のおにぎりを作って会場に持ち込んだ11時過ぎには、皆さん被災地で炊き出しを受ける被災者よろしくそれぞれがトレーに肉など入れてもらって何となく貪り食う感じで立ち食いしておりました。

 これまでのバーベキューは参加費を集めておりましたが、定額の参加費だとバーベキューコンロの前に立ち尽くして、焼きあがる肉系統の食品を際限なく食べる人が少なからずおりまして、彼らに「肉ばっかり食うな」というのもねえ。それがイヤでバーベキュー、トレー一杯300円で販売することにしました。もちろんビールばかり際限なく飲む人もいますから全て有料・・・そう、兵糧攻めの発想ですな。

 初めは成功していたのですが、途中から誰が金を払ったやら払わなかったやら分からなくなりまして・・・結局赤字!赤字を出してはいけません。この辺り、もっと改良の余地があります。

 それでもおなかが一杯になると緑の中で寝る人しゃべる人、そして野球もどきをする人、たっぷり遊んで午後3時ごろ解散しました。その後後片付けを手伝った方々が、またまた作業所で飲みなおし、結構遅くまで楽しんだようです。

「卯の花弁当」52食仕出しました


 5月23日の金曜日、島本町介護者家族の会の集会のためにお弁当を52食仕出しました。昨年も同じ団体から頼まれ、同じ名前の弁当を仕出しております。作業所にとっては久しぶりのお弁当でした。

 初夏の爽やかな季節で、野菜がいろいろ採れる季節ですから、野菜たっぷりのお弁当に仕立てました。生産者名が分からないのは卵とワカメと剥きエビ、コンニャク、牛肉の5種類の食材だけ。他のものは全部出所が明らかな食材でした。

 ご飯は鷲野さんのお米に飯田さんのえんどう豆を入れて豆ご飯にするとか、野菜の掻揚げは新タマネギ、ニンジン、絹さやにエビをあしらって揚げるとか。

 味も「お袋弁当」を目指しましたが、それ以上に身近に手に入る生産者の分かる食材を中心に作られる弁当というのも昔のお袋の弁当です。今の世の中で、食材の作り手の名前が分かるものを5種類だけでいいから揃えて弁当を作るのでも大変なことだと思います。

 今回初めて圧力鍋を使って牛肉とジャガイモだけの汁気のない(汁洩れが怖いから)「肉じゃが」を作りました。これは、肉の味を染み込ませたジャガイモがメインの料理でして、飯田さんの掘り立てのジャガイモを味わっていただきたかったからです。圧力鍋で作れる量には限界がありますから5回作ればよかろうと考えておりましたが、しょっぱなに圧力鍋のパッキンが老化していて故障!冷や汗をかきました。スペアの鍋で事なきを得ました。

 豆ご飯に徳之島からいただいて帰ったパパイヤの漬物を添えました。そしていつも付ける弁当の口上書に「何の漬物でしょうか?」というクイズ形式にして書きました。パパイヤの漬物なんて初めて口にする方々ばかりのはずですから。どんな風にお楽しみくださったのか分かりませんが、お弁当の世話をしてくださった社会福祉協議会の役の方に「口上書第2部・回答編」を食数分印刷して、後で配ってくださいと渡しておきました。もちろん、回答編には「枝先で完熟したパパイヤは果物、未熟なまま収穫したパパイヤは野菜」という一度ここでも書いた話をとうとうと書いておきました。

“謝恩”イチゴ狩り大会


 24日の土曜日に「旬の野菜を味わう会」の会員さん対象に「謝恩イチゴ狩り大会」を開催いたしました。何が“謝恩”なのか・・・長い端境期、同じような野菜やくたびれかけたような野菜が続いたにもかかわらず、「露地栽培ってこんなものだ」と受け止めてずっと取り続けてきてくださったことへの“謝恩”です。

 やっと抜け出した端境期、初夏の野菜が一杯採れ続ける喜びを一緒に味わっていただきたいという思いで開催しました。前日から相当高い降水確率で「雨模様」と予報されていたため、参加者は10家族にも満たない数だったけど、参加者が少ない分だけ思い切り収穫を楽しんでいただけたものと思います。

 畑で摘んで食べるイチゴは食べ放題に加えて、いつも250円で販売しているパックひとつが参加者お一人ずつのお土産です。それも自分で摘めるなら幼児でもお土産を渡します。それ以上に収穫した分は1kg400円というジャム用イチゴの値段で買い取っていただきます。大きなパックに山盛り一杯のイチゴが400円ですからねえ。大喜びしていただきました。

 お天気が心配でしたが降り出しませんでした。雨の降り出すのが心配で早くから来て待っておられた方には、少しでも雨に遭わないようにと予定を早めて9時半から入っていただきました。その後はもうやってこられるなり「早く早く、雨が降り出す前にしっかりと採ってくださいね」と。来られた方々は一生懸命でした。多い方は短い間に5kg以上も摘まれていました。

 さて、主催する側としては閉会のタイミングというのは難しいものなんです。一生懸命採っておられるのに、早く閉会宣言をすればいかにもけち臭い感じがするし、遅ければこちらが疲れてしまいます。毎年思い切って「そろそろ終わりましょうか」と勇気ある発声をしています。

 ところが、今回はタイミングよく「そろそろ大粒のイチゴも減ってきたし、こちらも世話することがなく退屈してきたな」と思う頃雨が降り出してきました。主催者は何も困ることなく、また参加者も思い残すことなく自動的に閉会することができました。

      


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