2008年8月19日 第11号(通算226号)
『作業所だより』最新号より
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| ボーナス配分会議 |
| 主張/差別用語 |
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ある日のことでした。タクが「アシタ ボク チビカ」と店長に言いました。店長「そうや、お前はチビやで」。タク、むっとした顔つきで「違う!ぼくな、明日チビカ」「分かったって、チビやなあ」三度目にやっとはっきりと「ボクな、明日、耳鼻科行くから遅れてきます」と正しい発音と表現ができました。
もちろん、私にも「明日、ボク耳鼻科」というのは分かりましたが、どう聞いたって「チビカ」に聞こえました。店長はそこをすかさず聞こえたとおりに突っ込みを入れたのです。いい加減な単語を並べただけでこちらが理解してしまうと、彼は努力しなくなります。店長の貴重な突っ込みでした。そばで聞いていて腹を抱えて笑いながらも店長の咄嗟の対応に感心してしまいました。
後で店長が「昔は障害の種類別に今では差別的といわれる言葉を平気で使っていたけど、そう呼ばれる側はその都度どんな気がしていたのかなあ」と言い出しました。小柄なタクに「チビ」と切り返したのが気になったのかもしれません。
少なくとも江戸時代までさかのぼれば、身分差別を踏まえた社会構造であり、差別が社会を支えていたのだから差別が当たり前の世の中だったのでしょう。しかし差別しながらも障害の特性を踏まえて社会として仕事を保障する社会でもあった。例えば視覚「障がい」者のマッサージ師のように。また知的「障がい」者なんかの場合は、差別的ではあっても集落として彼にできる仕事を与えて社会参画ができていたから、差別だという意識はなかったのじゃないかと私見を交えながら話しました。
今の世の中では、こうして主張を書く場面ですら障害についての昔ながらの言葉を書くことをはばかられます。いくら私たちが「障がい」者差別をなくしたいという立場から書いたとしても、どこで誰がどのように受け止め心が傷つくかを考えれば書けないのです。
そのことは、人が多様であることを受け容れようとしない世の中であるために、チビやデブという言葉にすら敏感にさせてしまいます。「自ら好んで小柄に生まれたのではない」と抗議されればそのとおりなのです。しかし、カナダのネット仲間の「カナダの社会は人間は違っていて当たり前。太いか細いか、小柄か大柄か、白いか黒いかなんて全く人の意に介さない社会である」という報告を聞けば、本当にうらやましくなります。
「障害があれば働く場所がない」という社会の仕組みは「働けないのは甲斐性がない」という社会意識につながる。それがさらに広がって、単なる体の特徴がからかいになったり罵りになったりしているのでしょうか。「障がい」者から働く場を奪ってしまっている社会のしくみこそが私たち共通の敵です。
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| 8月2日毎日新聞の夕刊の記事 |
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まだご覧になっていない方のために、パソコンに取り込んだものを貼り付ておきます。読みにくい点をご了承ください。なお、どうしてもきちんと読みたい方は、おっしゃっていただければコピーしたものをお届けいたしますので、ご遠慮なくお申し出ください。

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ボーナス配分会議
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「明日から夏期休業」という8月8日、配達業務を全て終えてからボーナスの配分会議を開きました。物価の値上がりが原材料費を直撃しており作業所の台所状況は決して楽ではないのですが、みんなが楽しみにしているボーナスをなしにしてしまうのは忍びないと、若干無理しての支給でした。
休職状態の従業員がおりますので、今回のボーナス原資は10万円です。店長の手元にはそれが万札と千円札と500円玉で置いてあります。皆さんは若干緊張状態・・・
今回は自分のやった仕事を発表するのを、思いつき次第に手を挙げて言うのではなく順番に言っていき、思いつかなければパスをして次回の発言の順を待つという方式にしました。唯一の女性であるHさんは余裕で多種多様な実績を持っていますから、他の人の発言のチャンスを与えたいということもありました。
まず、500円×勤続年数が配られました。一番新しいK君の前には500円玉が一枚だけになります。そこへ一律5000円ずつが全員に配られました。ここで1万数千円の人から5500円のK君まで差がつき、ここからが自己アピールです。
「毎日お茶を沸かしました」「部屋が汚れてくると気がつき次第掃除をしました」「生協の店頭販売は毎回出ました」などなど立て板に水のようにアピールできるHさんと、順番が回ってくるたびに緊張のあまり頭を抱えてアピールすることを思いつけないタクと・・・。私がそばで聞いていて彼もいろいろ自分の仕事をしているのに損なヤツだと思いました。自己アピールしない限り自分の前にはお金が置かれません。こちらから助け舟を出すのは言葉を操れない人だけ。言葉を使えるのに言ってやってはいつまでたっても自己アピールができないままです。助けることは彼の変革を押し止める場合が多いという作業所流の考えから敢えて無視!
その後話し合いが進み、アピールの数が増えてくると緊張がほぐれたのかみんながアピールできるようになりました。
終わってみると、最高額をとったHさんはこれまでよりも万札が一枚あまり少ない額になり、最低額の金額が上がって全体としては平準化した金額。しかもほぼ年功序列型の配分となっておりました。これはみんながそれぞれ自分の仕事の棲み分けができ始めたことと、一人一人に自分なりに発言力がついてきたせいだと思います。
ただし、自己アピールしても「そうやなあ、しかし時々他人に押し付ける場面もあったぞ。だからこれからは自力でやることに期待を込めて1000円!」ということも結構多かったのがお笑いでした。
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さようなら!M君
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去年の4月に勤務先の出火で自宅待機を命じられていたM君、工場が再開されて彼の受け持ちの仕事の受け入れ態勢も整ったからと、8月の21日から元の職場に復帰することになりました。作業所の夏期休業が終わると同時に「実習期間の終了」とするので8月8日が彼の最終勤務日でした。
一般の企業で生産ラインに入っての仕事は、彼にとっては誇りでもあるけど、時にはしんどい気分に陥ることもあったようです。特にこれまで彼のラインで、彼に気を配って作業を進めていた方が定年退職されたため、頼る人がいなくなったことをとても心配していました。「でも、会社として君の事を考えてくれる人を作ってあると思うよ。大丈夫や」と励まして送り出しました。

彼にとってこの1年4ヶ月は、全く新しい体験だったようです。何分彼の勤め先が発泡スチロールの製造会社でして、大きくても軽いものばかり運んでいたらしい。だから作業所へ来た当初は重い野菜が持ち上がらないことがよくありました。80kgを越える堂々たる体躯をしながら、ちょっと重いと持ち上がらないのはまるでマンガのような場面でした。
もちろんしばらくすると慣れてきて、持ち上げるときの要領をつかみ、体つきに相応した力を発揮するようになりました。で、彼は会社で仕込まれてきたのでしょう。二人で持ち上げたものをおろすときには必ず「いい?離すよ?」と確認してから手を離すのです。あれはチームを組んで仕事をするときには絶対良い習慣だなと思いました。
作業所での全く新しい体験の一つに、調理実習など一般企業にはない取組みがありました。家庭でも彼は“オトノサマ”していて、調理関係の仕事はしたことがないと言うのです。初めてのことには「失敗してはいけない」と考えるのか本当にびびっておりました。「かまへんのや、失敗したってちゃんと食えるようになるんやから、思い切ってやってみろ」と何回けしかけたことか!この辺りに失敗に対して厳しい一般企業での体験がしのばれました。作業所は言うなら「失敗を前提」にしていますからその意味では彼にもよい体験だったろうと思います。
大きな声が彼の長所であり短所でもありました。店先にお客様が来られたとき、独特のイントネーションで「いらっしゃいませ〜」と大きな声で言うのはすがすがしくてよかったけど、昼食時など彼にものをたずねると、わずか2mほどの距離なのに外と同じ大きさの声で受け答えするのにはまいりました。しかも国語の本の朗読調で!大声の嫌いなR君など、彼がしゃべりだしたら怒り出すくらいでした。
そんな彼が企業で働くには、気も使うだろうし辛いこともあるだろうなと思います。ここにいて「失敗するために仕事があるんや」という場面の方が気は楽でしょう。しかし彼にとってぬくぬくした環境は彼の伸びを鈍らせます。会社に戻って神経をピリピリさせながら真剣勝負の仕事をして、疲れたらたまには遊びに来てほしいです。
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