2009年4月14日 第1号(通算243号)
『作業所だより』最新号より
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桜バザーでの卒業生との出会い・右の彼が文字の意味を理解してくれた瞬間を忘れられません
主張/彼らの労働者意識


 桜バザーを前にした金曜日、ラーメン用の釜を借り出したり焼きいもの釜をトラックに積んだり忙しかった一日が終りました。役場の五時のチャイムが聞こえてきてほっとしているところに、従業員達がドヤドヤッと入って来ました。普通、三々五々入ってきて「さようなら」の挨拶をして帰っていくのですが、この日は普通じゃない。

 「どうしたんや?」「今日給料日です」「ア〜〜ッ、給料日か!忘れてたわ」と店長。「忘れてた言うたらカナンの」とすかさずF君。「カナン言うたって、ほんまに忘れてたんや。今から金をそろえて渡そうと思ったら三〇分かかるぞ。明日にしてくれへんか?」「明日にしてくれ言うたらカナンの」とすがるようにF君。「何にも払わへんっていうてないやんか。明日桜バザーで払うわ。君らの中で今日お金がいる人いるか?その人にはいる分だけ今渡すから」

 Hさんだけが必要なことがあると一万円だけもらって、他のメンバーは不承不承帰って行きました。まさにこれぞ零細企業ですなあ。社長が給料日をわすれちゃった!

 翌日の桜バザーへの参加は、バザー会場に出勤しても良いし、作業所へ来て次の日のラーメンの仕込み作業をしても良いとなっていました。翌朝、若いK君が作業所に出勤してきました。彼は弱視で今のところ料理はほとんどできないのです。だから、「ここにいてもすることがないからバザー会場に行きなさい」と言っても頑として動きません。

 はっと気が付いて「給料は店長が持っているから、バザー会場で今頃渡したはるんと違うかなあ」と言った途端、挨拶もなしに荷物を全部かかえてバザー会場に走って行きました。いつもは私が給料袋を渡すから給料袋に近い職場を選んで作業所に来たらしい。

 F君も金曜日家に帰ってから「給料もらえなかった」と盛んにブツブツ文句言っていたらしい、バザーを手伝いに来たお母さんが苦笑いしながら報告してくれました。


 給料というのは労働の対価であり、いくら事情があると言っても忘れてはいけません。零細企業といえども、従業員から抗議を受けるのは契約違反だから当然です。

 これだけ労働者意識の高い彼らから、障害者自立支援法の下に入った作業所が、「サービス提供事業者」としてサービス料を徴収することができますか?給料をもらうためにサービス料を支払わねばならないと言う、この世にありえない仕組みに彼らを追い込むこと、私たちにはできません。それなら、経理を公開して彼らに減給をお願いすることの方がずっと世の中にありうる方法です。

若山神社桜祭りに参加しました


 4月5日はちょうど桜が満開になった日でした。若山神社に上がると桜のおかげでぱっと明るくなっているように思うほどでした。例によって日曜日のこの取り組みは「有志参加」でしたから、私も昼から犬を連れてのんびり上がりました。

 今年は例年取り組んでいる焼き芋を取りやめてタンカンの販売だけにしました。気温が高くなるとどうしても焼き芋のシーズンが終わった感じがして売れ行きがよくなく、重たいのを無理して運ぶ割には利が薄いのです。一方タンカンは、去年焼き芋をしながら販売したところ好評で、今年は去年の桜祭りで初めてタンカンを食べた方が、作業所まで来てくださるケースが多くありました。

 タンカンを40kg販売しましたが、私が行った頃には半分以上売れており、店長を中心に応援団の方々がのんびりとビールを飲みながらお花見中・・・そう、焼き芋がないからお花見が主で販売活動は従の感じでした。

桜バザー終了しました


 今年も4月の第二週の土日、4月11日と12日は大阪水上隣保館「遙学園」の桜バザーで、例年通り参加してきました。作業所がラーメン販売を始めてからは毎年二日間ともラーメン屋をしてきました。しかし、それから10年が経過しみんなが10歳ずつ年をとって老化し、最盛期二日間で800食以上販売していたのがしんどくなってしまいました。今年は二日目の日曜日だけラーメン屋をして、初日は焼き芋屋をすると経営委員会で決めました。

 おまけに、これまで桜バザーの名物だった『ぴいぷるしまもと』のポン菓子がなくなりました。機械が32年経過し、爆発音が渇いた音でなく湿った音になり、時には圧力を上げるのにとても時間がかかるようになったりしてメンテナンスを受けて置くように頼んだら、それっきりポン菓子は今年からやめるという連絡が入りました。

 初日は店長を中心に「障がい」者従業員達で焼き芋屋、作業所では私が中心になって二日目のラーメン屋の仕込み作業と手分けして取り組みました。全国各地で夏日のところが多かったと報道されたほどの暑い日でして、焼きいもの売れ行きが悪くて苦労したそうです。仕込み作業が終わってバザー会場に行くと、閑散とした会場で大量の焼き芋を抱えておりました。

 やむを得ず居眠り君とF君を組ませて焼き芋の行商に出しました。まだ芋があまりそうなのでタク君とK君のダウンを組ませて第二次の行商に送り出しました。なんと先に帰ってきたのは後から出したダウン組で、しかも完売しておりました。間もなく帰ってきた先発隊、ほとんど売れないまま重い芋を抱えて帰って来ました。

 この歴然たる差!いかつい顔をして周囲をにらみながら腹をゆすって歩く居眠り君たちに比べて、愛敬のあるダウンの人たち。ニコニコ笑顔で売り歩き、皆さんに受け容れられ易かったらしい。「おい、頼むわ!もう一回こいつらが売り残した芋も売ってきてくれよ」と送り出したら・・・これもすぐに完売して帰って来ました。

 初日はさつまいも70kg販売し、残りの30kgは二日目にラーメン屋と平行して販売することにして初日は終わりました。

 二日目は8時からラーメン屋を設営し湯を沸かし始めました。9時には芋の釜にも火をつけ、その頃から応援団も従業員達も集まってきます。前日私の仕事だったスープをとるのを忘れていたのを、夜の間に店長がカバーしてすべてやってくれたので、ラーメンスープもいつもどおり美味しく仕上がりました。後はお客様を待つだけ。

 ところが出足から何かおかしい、例年なら10時開店を待っていたように集まってくるお客様がいないのです。10時半になっても行列はできません。バザーに来られるお客様は初日に比べると、一見にぎやかに大勢歩いておられますが、それは私たちの「食堂街」とも言える場所だけのことで他の場所に行くと「おや?」と思うほど人が少ないのです。下から上がってきた人たちに聞くと、例年に比べて駐輪場も空いていたとか。

 昼になっても行列は短くお待たせする時間が短くてよかったのですが、昼過ぎに200食を売り「これで原価を確保した、ここからが利益だ」という段階でばったり客足が途絶えてしまいました。私はそれをよいことに、カナダ在住の前遙学園園長に卒業生の写真を撮って送るためにうろうろと卒業生探しができました。卒業生にも来ている人が少なかったようですが(卒業生自身の話)、それでも10枚ほど撮れました。

 焼き芋も売れ残りそうになったので、例の二人に頼んで行商に出てもらいなんとか完売できました。しかし、焼き芋の10倍ほど苦労して仕込んだラーメンは100食ほど売り残し、焼き芋の利益よりも下回ってしまいました。

 バザーへの参加者が少なかった原因はいろいろあるでしょう。例えば世の中不景気でのんびり金を使いに出る空気じゃなかったのかもしれない。でも、バザーの出店数が減ったのか、以前は隣保館のあちこちに散らばっていたお店が建物の周囲に集中してしまい、これまでのように浮かれ立つような規模でなくなってきていることは感じました。以前は敷地のどこへ行ってもバザーをしているという感じだったのになあ。

 とにかく、苦労して準備したのに利益が予想よりも少なかったという点はこれからさらに厳しくなるだろう作業所経営を考えて対応しなければなりません。ショックを受けて帰る道は、どっと疲れを覚えました。いつもの桜バザーの後は、心地よい疲れを感じながら帰れたのですがねえ。

生協前店頭販売取りやめます


 3月の経営委員会で、2009年度を期に、生協での店頭販売を取りやめることに決めました。まず、大阪北生協島本店に出したお断りとお礼の手紙を掲載します。

大阪北生協島本店店長様                          島本障害者共働作業所
                   店頭での販売活動中止について

 月に一回、店頭をお借りしての販売をさせていただくようになって早くも8年が過ぎました。この間、貴店には大変お世話になりました。いろいろとご迷惑をおかけしたことと思いますが、黙って見ていてくださったこと大変ありがたく存じます。また生協組合員のお客様にも顔なじみができ、ずいぶんかわいがっていただきました。

 お得意様も増えており、チャーシューを切らしたときには「今日はチャーシューないの?」とか「焼き芋が美味しかったからわざわざ来た」などと声をかけてくださるお客様との出会いがなくなるのは大変惜しい思いもあります。また、「障がい」者従業員だけで店頭販売することで身につけた自信も大きかったです。

 しかし、おかげさまでこの8年の間に、私たち島本障害者共働作業所自身がそれなりに力を付けてまいりました。貴店での店頭販売なしでも自立してやっていけると考えております。ご迷惑をかけ続けるより、作業所自体が自立して作業所の運営をしていこうと思います。よそ様にご迷惑をかけながら生きていくのは、私ども島本障害者共働作業所のポリシーではありません。従業員たちに「自分の足で歩け!」と言い続けるには、作業所自身が自分の足で自立して歩いている実感が必要です。

 以上のような考えから、惜しい気持ち、後ろ髪を惹かれる思いをしながら今回の結論に至りました。これからは作業所を舞台に、しっかりと社会参加を実現していきたいと思います。

 本当に長い間、私どものために店頭をお貸しくださいましてありがとうございました。ここまで来れましたのも、貴店のご好意、ご支援の賜物でございます。心からお礼申し上げます。どうぞ、島本店で働く皆様にもこのお礼の気持ちをお伝えくださいますようお願い申し上げます。

 今後大阪北生協様とは、めーむ広場を通してのお付き合いとなりますが、当然よい商品が店内にありますので、お買い物を通してのお付き合いも続けさせていただきたいと存じます。

 末筆ながら、貴店の今後のますますのご繁栄をお祈り申し上げます。

 この結論は決して唐突なものではありませんでした。長年慣れ親しんだ店頭販売ですが、生協には職員異動があり、店頭販売当初の店長や特にお世話になった副店長たちがどこかへ行ってしまわれます。当然引継ぎはされるのですが、その引継ぎそのものから「どのような思いを込めて作業所が店頭販売をすることになったか」が抜け落ちていくような実感がありました。どなたが店長なのか私たち自身が分からなくなり、次に店頭に立つ「障がい」者自身が「なんか私ら邪魔なのかな」と漏らすことがあり、以前から引き際ではないかと話し合っていました。少し、残念な気がしています。

      


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