一年越しの念願かなった
沖縄闘牛紀行(03年11月8〜10日)
初めて見た闘牛の観戦記です
                                   
                                    1tを越える巨体の激しいぶつかり合い
・・・初めに・・・

 去年の9月の沖縄旅行(ここ)で、龍騎さんの牛舎を訪ね、当時横綱を張っていた『東昇皇龍』に出会ったのが沖縄への再訪を誓ったきっかけでした。1.2トンの巨大な体躯にもかかわらず柔和な目・・・持ち主は「柔和な目」と評価されることを嫌がるのですが、私はこの目が闘争心に血走る目に変わる瞬間を見たいと思いました。去年の全島大会はどうかと誘われたのですが、その日は人権フェスティバルと重なっており、あきらめざるを得ず、一年先にと決心したのです。

 それから雌伏1年(オーバーかな?)・・・秋に入って火が付きました。聞けば今年の「沖縄全島大会」は、全国サミット大会として行われ、闘牛が行われている徳之島、新潟、隠岐の島などからも牛が参加するとの話。この機会を逃せば残されたわずかな人生、もうチャンスをなくし悔いを残したまま終わることになると思いました。私は沖縄一人旅を決心し、10年前の北海道一人旅を思い起こしながら腕まくりする心境でおりました。

 その頃に作業所の北海道旅行をしたのです。(ここ)旅行中、「障害者を引き連れての旅行もいいけど、自分たちだけの旅行もしたいね」という話になり、ポロリと沖縄行きの話を出したとたん、オバサマたちが「私たちも行きたい!」と言い出して・・・結局一人旅は夢と消えました。結果として四国は宇和島出身の女性の「幼い頃見た闘牛を再び」と言う思いと、沖縄の大学から中国に留学している息子を持つ女性の「借り切りになっているアパートを見て、お金も払わないと」という課題のある女性の三人で行くことになりました。

 旅費を安く上げる・・・その点では女性と一緒に行くことになり得をしました。探しまくってくれて、飛行機で沖縄へ飛び、ルネッサンスという一流ホテルに2泊してレンタカー借り切って39800円という格安ツアーを発見!ただし、3人同室!年を取ったりとは言え赤の他人の男女3人が一つの部屋に寝るんです。ためらいましたが、カミさんに報告しても「あっそう」で、やきもちのヤの字もありません。周囲はやんやと手を叩いて笑うだけ。だれも「アヤシイ関係」なんてうわさひとつ立ててくれません。もうそんな年なんだ・・・ちょっとショックでしたな。でも行くまではそうも気にせず出発の日を待ちました。

 第一日目

 闘牛場まで

 沖縄に着くとまだ夏の名残みたいでした。薄手とはいえジャンパーを着ているような人はどこにもおりません。皆さん半そでだしTシャツの人も多い!あわててジャンパーを脱ぎ荷物にしまいこみ、カッターシャツの袖をめくりました。レンタカーを借りてまず食事。那覇市の大きなジャスコの食堂街で沖縄料理の定食を食べました。ジューシーってジュースかと思ったら沖縄の変わりご飯なんですねえ。それにゴーヤの酢の物も美味しかった。ゴーヤはやはり薄くスライスしたほうが食べやすいようです。一緒に行った女性がきっちりレシピを聞いてくれました。また仕出し弁当のメニューになるでしょう。私は早めに駐車場へ行ってカーナビの操作の勉強。種類ごとに扱いが違うから、どうしても10分ぐらいは勉強時間が必要です。

 無事カーナビで闘牛場の近所の商業高校を探し出してセット。具志川市の安慶名闘牛場へ向かいました。この日は明日の全国サミット大会の前夜祭が行われます。女性たちも前夜祭は見ておきたいというものですから3人で走りました。去年の那覇市はモノレール(名称は「結レール」)の工事中であちこちに渋滞がありました。しかし、今回は渋滞もなくすいすい走れました。ただし・・・日本の都会の一つと同化し、大通りはヤマトンチューの街並みそっくり!

 闘牛場に着いたらまだ3時前でした。前夜祭は午後6時から・・・三人ですることもなく闘牛場で始まるのを待ちました。ガラーンとした闘牛場のどこに座ればいいのか、初めての私たちにはさっぱり分かりません。だいたい前のほうのこの辺りかなと思う場所を確保しました。あとはネット仲間の護佐丸さんから闘牛が到着したり、闘牛前の様子なども面白いですよと聞いていましたし、退屈すると立ち上がってまだかまだかと見に行きました。

 また今回の沖縄闘牛観戦では、「現場からの画像報告をしてほしい人にはメールを送りますよ」とネットで募ったら、二人の女性が名乗り出てくれましたので、観戦しながら撮影しながら画像をメールで送るというこれまた大変な作業になりました・・・(笑)始まる前からヒマにあかせて状況報告しておりました。でも、お二人とも若い女性だったから・・・楽しかったです!

 前夜祭には去年出あった前横綱『東昇皇龍』が出ますし、護佐丸さんの若牛『尚武護佐丸』もエキジビジョンで出場します。真っ先に着いたのはその「尚武護佐丸」でした。久しぶりにお会いする護佐丸さんがひげをたくわえておられ、精悍な顔つきがますます精悍になっておられました。トラックからひらりと降りて、手際よく牛を下ろしていくその様子は手馴れたもの・・・私に気がついてにっこりと手を挙げられた顔つきは去年と同じでした。下の写真の右端が『尚武護佐丸』です。お見知りおきを!

 エキジビジョンは一番初めに取り組まれますから、忙しそうでした。まず牛に闘牛場の中を見せに連れて入り、それから控えの牛舎に入れ心の準備です。その間に護佐丸さんとおしゃべりし、鹿児島からお越しのtomohさんを紹介していただきました。なんと護佐丸さんのご家族もいらっしゃっていて、私たちとtomohさんと護佐丸さんご一家がほんの数メートル以内に座っていることを発見。あの広い闘牛場で・・・不思議なつながりでした。
闘牛前夜祭開始

 6時になって護佐丸牛のエキジビジョンから始まりました。これは両方とも若い牛ですから本気の勝負ではありません。どちらもが綱を引いての取り組みです。護佐丸さんが勢子をやりました。牛も大変だけど勢子も筋肉労働で大変です。本番でも交代でやっておりましたが、興奮した牛の動きをよく見ておいてパッと逃げないといけないから勢子が疲れてしまってはとても危険なわけです。

 しかしここではたと困ったのが夜の試合であること・・・照明器具は増設され明かりは増しておりますがやはり撮影条件はよくないんです。特に携帯電話のカメラでは手ブレがひどくてピンボケの続出!デジカメでもフラッシュは届きません。夜の撮影は半分あきらめました。

 いよいよ試合が始まりましたが、正直言ってあまりよく分かりませんでした。ただ、研ぎ澄ませた角が頭に当たると皮膚がちぎれるのでしょう。毛が飛び、しばらくすると牛の頭が血だらけになります。毛が黒いし夜ですから定かではありませんが、牛を連れ戻って遅れて駆けつけてきた護佐丸さんが「牛の傷の手当てをしていたら遅くなった」とおっしゃっていたので、やっぱりなあと思いました。エキジビジョンですらそうなのですからね。

 どの取り組みも20分を越える取り組みです。ホテルのチェックインは済ませてないし、終わった後のオフ会への参加も申し込んでいます。時間は刻々と経っていくのに1時間経ってもまだ10番の取り組み中4番という有様。長期戦になると牛に変化が現れます。一つの変化は脱糞です。これは場内アナウンサーが「アッ○○に体調の変化が現われました!」と叫びます。もう一つは舌出しです。苦しくなると巻いた舌を出して苦しそうにあえぎます。アナウンサーは「○○が舌出しです」と告げます。それがひどくなると水のようなものを吐きます。このような変化が出ると、ほとんどの場合その牛は逃げ出します。それをアナウンサーは「飛びました!」と言って勝負ありを告げます。もちろん、審判員がいて赤か白かの旗を揚げて判定するのですが・・・

 勢子は双方5人ずつ出て、二人だけが前に出て他の人はリンクの周囲に座ります。勢子は手を振り足踏みをしながら絶叫して牛を励まします。勢子は疲れるとすぐに交替して新たな勢子がさらに元気よく声をかけますが、牛には交代要員がありませんからだんだんと息遣いが激しくなり、腹が苦しげに波打ってきます。その生きている生々しさが見ている私たちにも直接伝わってくるのです。しかし牛は後へは引けません。鋭い角が目の近くに迫っていようと、そぶりにでも避ければそこを攻められるのが分かっているのでしょう。目をショボショボしながらでも耐え続けているのです。

 護佐丸さんが「軽量級では時間がかかってますが、上に行くほど短時間の決戦が増えますよ」と話してくれました。理由は、重量が大きいから一突きに重みがありダメージが大きいのだとのこと。納得です。そして本当にそのとおりでした。上に進むほど大きな牛が出場してきて勝負が早くなりました。リンクに上がるなり遠吠えのように吠える牛がいるのですが、重量級の牛の声は迫力があり、こんなヤツに突っかかられたら怖いなあと真剣におもってしまったほどです。

 最後の横綱戦・・・残念ながら応援していた「東昇皇龍」は「あかりパンダ」と言う牛に負けてしまいました。「東昇皇龍」は赤牛なんですが、この「あかりパンダ」というのは体が黒くて顔が白く、また目の周りだけが黒いという本当にパンダみたいな顔つき。「東昇皇龍」も貫禄で押しておりましたが最後は体力負けじゃなかったでしょうか。飛びました。とても残念でした。右の写真の左側の牛が「あかりパンダ」、右が「東昇皇龍」です。開戦間もないときです。

 終わってみればそんなに遅い時間ではなく、早速オフ会です。会場周辺はものすごい渋滞でしたが時が経つとそれでも流れはじめ、護佐丸さんの車の案内で居酒屋へ。高槻辺りにでもありそうな三階建ての大きな居酒屋でした。

オフ会にて

 こういう場面では特に沖縄の郷土料理を頼んだりしないんですよね。まさに本土と同じ居酒屋でしたから・・・皆さんはオリオンビールだけど私は・・・キリンビールを何気なく頼んでしまうという!習慣ですからね、別にオリオンを敬遠したわけじゃないです。よく冷えていると銘柄なんて分かりませんものねえ!(言い分けの匂い紛々)

 ここでもまだ「角白さんの画像を送ってくれ」と強く依頼されていた私は、雰囲気も忘れてひたすら職務に専念・・・この頃になると私の携帯の電池量はゼロ状態!コードを持ち込んで充電しながらの撮影で・・・その姿は近頃の若いもんそっくりに映ったでしょうね。あれは職務に専念していた姿なんです。同席した皆様、ご了解を。

 オフ会ではとにかく腹が減っていたうえにホテルが気になって・・・気もそぞろでした。徳之島やあちこちの方の自己紹介を受けながらほとんど覚えることができませんでした。ただ明らかだと感じたことは、初対面の方同士でも牛の情報交換をすることによって10年来の知己に等しくなるということです。「あの牛は徳之島から沖縄に分かったと聞きましたがその後どうなってますか?」「いや、戦績が上がらず引退したんじゃなかったかな」なんて話が延々と続くのです。名刺交換した直後にですよ!

 時刻も10時を回ったのでお先に失礼してホテルに向かいました。立派なホテルでした。部屋まで案内してくれた若い女性に「遅くおなりですね」と言われたので「闘牛を見ていたんですよ」と言うと、「えー、どこであったんですか?私、見たことない!」沖縄で生まれ育った女性が見たことがないんです。闘牛関係者が振興策を考えておられるのはもっともなことだと思いました。

 とりあえず風呂にだけ入ってベッドにもぐりこんだのは12時を回ったときでした。
 第2日目

 闘牛開始まで

 夜が明けました。目が覚めたとたん戸惑ったのがまだ寝ている女性二人への対応です。カミさんのように扱うわけにはいきません。そっと起き出してトイレからベランダに直行し、そこでタバコを吸い昨夜の画像をいじくりまわして彼女たちの身支度が整うのを待ちました。いやいや・・・難しいもんですわ!

 この日は天気予報どおり雨でした。朝食を済ませて島本町から沖縄に嫁いだMさんのお宅にお土産のラーメンを持っていきました。1年ぶりにあう彼女は元気だったし、子供たちも一回り大きくなっておりました。そこでサツマイモの紅芋と石川で採れたというみかんをお土産にいただいてお宅を辞しました。この芋が帰りに大騒ぎになるとは露知らずにね。

 この後沖縄観光をするという彼女たちに、昨夜の安慶名闘牛場まで送ってもらい、土砂降りの中ホテルで買い求めたインスタントレインコート一枚に身をゆだねてかぶりつきの席に座りました。時計は10時半、開始まで1時間半あります。心細く思っていると鹿児島のtomohさんにばったり・・・ホテルも同じで朝食会場でも顔を合わせておりましたが、またまたの再会。二人で並んで座りました。同じ釜の飯じゃなくて同じ雨に濡れた仲も良いものです。前夜オフ会に最後までいたtomoh氏はホテルに着いたら1時半を回っていたと聞いて早めに切り上げてよかったと思いました。

 tomohさんが精神科の医師をしておられること、作業所にも精神障害の方がおられるし、街に暮らす精神障害の方がいつも訪れてくれることなど情報交換をしながら時を過ごしました。何分着ているのがひざまでのレインコートですから、座るとひざから先が濡れてドボドボ・・・でも、話し相手がいることが救いで、それほどつらいとも思いませんでした。とにかく、沖縄の人たちよりも熱心に闘牛の始まりを待ちわびていたのは確かです。

 闘牛開始に先立って、地元の青年たちによるエイサーが踊られました。本場のエイサーはいつ見ても力強く頼もしいです。また女性たちの踊りが対をなして柔らかで美しかった。ただ、雨のぬかるみの中での踊りでしたから、ぞうりが泥に取られて脱げてしまったり、お気の毒な場面もありました。

 そしていよいよ闘牛の開始です。なんと、その頃には雨がほとんど上がりかけてしまいまして、着ているレインコートが暑くて脱いでしまう程度になりました。で、ふと周りを見渡すともう会場は満員・・・私たちは人ごみの中に埋もれておりました。主催者発表3500人、その中でも特に熱心に、一時間半も前から雨に濡れて座り続けたのは、私たちを含めてごくわずかでしたものね!

 ただし闘牛に精通していない私にとっては試合経過はよく分からないし的外れになる。ここからは、闘牛を見ながら面白く思ったことやなるほどと思ったこと、知ってほしいことなどを書いていきます。またそうせざるを得ないほどの闘牛の知識なんですから。まあ、これを読む人のほとんどが私と同じ立場だと思うし、闘牛に関心をもっていただくことが目的ですから。

 雄たけび

 闘牛場にはまず一頭の牛が勢子の一人に引かれて入場してきます。入ってくるなり雄たけびとも言える鳴き声を発する牛がおります。ウォンウォンだったり、ングォーだったりするのですが、次なる展開を分かっていての雄たけびなのでしょう。まるで「オレが王者だ!ほかに王者を名乗るものがあるならかかってこい!」・・・そんなふうに聞こえました。その雄たけびを聞くと、私はつい「こいつが勝つぞ!」と思ってしまうけど、後の展開では負けることもありました。

 

 闘牛を前に牛主は角を研ぎ澄まします。鋭い角を振りかざして頭と頭がガスッ、ガツッと本当に音を立ててぶつかり合います。角が掠ると頭の毛が固まりになって飛び散ります。おそらく飛び散る毛には皮膚もついているのでしょう。はじめのうちは黒くて分からない血が、しばらくすると黒っぽくなって、鮮血がほとばしっているのだと分かります。

 角にはいろいろなタイプがあります。上向きにそそり立っているもの、それが外向けに開いているもの、かぶら角と言って内側に向けて湾曲している角、左右の方向が違っている角・・・成長する過程でまるで盆栽のように手を加えるそうですが、それでもそれぞれの角は生まれ持った素質であり、自分の角の特長を生かした攻め方をする牛が強いのだそうです。その角は突き立てるためだけではありません。テコを利用して相手を横向かせる・こじ挙げる・ひねる・・・そしてそれを可能にするためには首の力の強さが大切なようです。つまりどんな角の着き方をしていても、自分の角を自覚している牛が強いのですね。言うなら闘い慣れに加えて頭脳戦なんです。

 頭を地面に着くほど下げて、荒い鼻息で砂を吹き飛ばして血走った目で相手をさぐりながら、じっと耐えている牛を見ると『格闘技』だなあと実感してきます。彼らは本能で闘っているのですから少しも残酷な感じはしません。

 勢子

 闘牛は牛同士の闘いだけど、決して牛だけで闘っているのではありません。勢子が自分の牛を支え励まして一緒に闘います。ボクシングのセコンドみたいなものでしょうか。作戦も授けてるように見えました。ものすごい筋肉労働で手を使い足を踏みしめ体中から声を振り絞って牛を励まします。一頭の牛に5人ほどの勢子がつきますが、順にタッチして交替しながら勢子を続けます。

 声をかけているのですが、何を言っているのか分かりませんでした。ところが全国サミット大会でしょう・・・沖縄言葉の分からない新潟の牛が出場したときに、沖縄の若い勢子が標準語で勢子をしてくれました。この牛は新潟弁で勢子をされているはずだけど自分は新潟弁は分からない、しかし標準語なら分かるだろうというわけです。「そこだ!突け」「そら今だ!」などとやって会場は爆笑でしたが、勢子の掛け声はこういうことを言っているのかと、サミット大会ならではの光景でした。とてもほがらかな気分でした。

 勢子をするのは一人だけで、他の勢子はリンクの周りにしゃがんで待機するのですが、勝負が見え始めると全員総立ちになってしまいます。一つには勝負が決まったあと牛が怪我をしないように引き離す必要もあって立ち上がるのでしよう。それまで互角だった牛の一方がグググッと押し込まれたりすると、勢子の動きも私たちの興奮を掻き立てる役をしておりました。勢子の年齢も幅が広くて、60代ぐらいの人もベテランとしてやっておられました。

 女性の勢子

 勢子はほとんどが男性でしたが、お一人だけ女性の勢子がおられました。お名前やその後の行動から押しておそらく“光ちゃん号パート2”の牛主の方だと思われました。野太い男性の勢子の声が響く中で、ひときわ甲高くよく通る声で勢子をされました。おそらくそれまでとは異質な声のせいでしょうか、会場からは笑い声も聞かれましたが、私は「いいなあ」と思いました。闘牛と言うものの、相撲と重なる部分が多いですから「女人禁制」をかたくなに言い続ける相撲協会と重なりまして、私は牛よりもその女性の勢子に応援しておりました。

 よく通る声に牛も励まされたのでしょうか、見事に荒々しく相手の牛を蹴散らして勝ちました。闘牛では、牛の背中に「優勝」と書いた大きな布(優勝ガウン)をかけて、牛主や幼子を乗せて勝ち名乗りをあげます。光ちゃん号もその女性の勢子が牛の背中にまたがりました。と、赤ん坊を高々と抱き上げての勝ち名乗りです。お若いとは目に映ってはいましたが、あんな赤ん坊がいるほどお若いのかと驚いていたら、花道で母親らしき人に赤ん坊を返しておられました。(笑)と、まあそれほど奇もなく衒いもなく生活に密着した闘牛でした。

 負け牛

 牛は自分の負けを自覚しているようです。いろいろな負け方があるようですが、私が見た範囲ではどんな負け方をしても「参った」という姿勢になりました。人間と違って、牛が弱者になるということは生存の危機に陥ることになるのでしょうね。その姿は痛々しく思いました。

 四つに組んでいたのが隙をつかれて横向きにされ腹を角で突かれそうになり、リンクを作っている土手に追い詰められた牛が、空を向いて悲鳴のように鳴いたとき、あるいは25分を越える長い取り組みで、舌を出したまま耐えに耐えたあげくたまりかねて逃げ出してしまう牛に、私は妙に共感を覚えました。自分の全存在をかけて持てる力をふりしぼったあげく、それが通用しないと知った瞬間の牛の悲哀が重たかったです。

 強いと前評判の牛があっけなく負けたりすると、牛主の落ち込みも激しいようで、かわいがってきた牛への感情移入がまた見ものでした。

 牛の名前

 面白い名前が多いです。明らかに出来るだけ強そうな名前を狙ったり(戦闘飛龍・戦勝一撃等)、ついでに店の宣伝を兼ねたり(男髪ラジオン号=散髪屋さん・TRS自動車=自動車屋さん?)、自分の牛舎の牛には全部に冠のようにつけたり(「東昇」とか「尚武」など)・・・。あるいは牛の体の特徴を強調する名前もありました。「トラムクー」なんてなんのこっちゃと思ったら、体が黒毛のなかに赤い虎縞のある牛だったり、ヒーゲーって何のことかと思ったら角が左右対称でなかったり、島言葉が分からないと理解できない名前もありました。

 名前に『パンダ』とつく牛が結構多かったけど、それらの牛はみな顔に白い部分が多くていわゆるパンダからつけられた名前だったのです。しかし名前が強さを表すとは限らないようで、「あかりパンダ」なんてかわいい名前の牛が私の応援していた東昇皇龍を破ったのですからね。

 戦いの壮絶さ

 二日ともかぶりつきで見ていましたから、闘う牛の息遣いも聞こえ、持久戦にもつれ込んでもそれほど退屈には思いませんでした。勢子の様子や観客の興奮度など見るものが一杯ありましたからね。でも、勝負が決まる一瞬を写真に撮ることは闘牛が初めての私には難しかったです。ベテランになると牛の動きによって、これは勝負が決まると一瞬早く分かるのでしょうが、私など勝負が決まってからシャッターを押せば早い方・・・撮った写真には負けた牛がすたこら逃げる後姿が多かったです。

 勝負が決まった瞬間というのは壮絶なもので、リンクに倒されてしまう牛、土手に追い上げられ腹を突かれる牛、土手に押し込まれてジャンプする牛、どの場面も写真に撮れたらすごいなあと後から思いました。そういう場面をごらんになりたい方は、下のURL(『闘牛 in 沖縄』)へ行ってみて下さい。闘牛の公式ページのようで、私の見た大会の詳細が、私のとりたかった写真入で整理されております。また、闘牛の技や牛の種類、角の形などここを見てから私はまとめるのをあきらめたのですから・・・(爆)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~office21/index.htm

 オフ会へ

 これ以上闘牛大会について饒舌を重ねると退屈させます。強引に終わってしまいます。

 大会が終わるとまたまたオフ会にさそわれました。行き場所のあてのない私はもちろん興奮を収めるためにも参加したかったです。昨夜の会合で同席した方もおられましたが、初対面の方もおられました。初めての私までが何の違和感もなく車に分乗して焼肉バイキングへ行きました。闘牛士ならびに闘牛ファンたちいわく「闘牛の後は牛の肉を食べて供養してやらないと・・・」

 ここで沖縄から来る前からネットで交流していたチアキさんに初めてお会いし、アップルさんにも紹介していただきました。また徳之島の方なども多く、まさに転校生の気分でして正直言って覚えられませんでした。ここでも昨夜同様今日の対戦の評価や牛情報・・・その話が分からない私に皆さんが合わせてくださったみたいな感じで・・・

 初対面のアップルさんのお父さんが牛のひづめをけずる「削蹄師」をしていらっしゃると紹介を受けました。実は私の飼っている犬が牛のひづめが好物でして、与えておくと一日がかりで食べてしまうのです。だから闘牛中も牛のひづめが気になりましてねえ・・・その話をアップルさんにすると他の方が「エーッ?」と犬がひづめを食べることをご存じない様子。アップルさんは「ええ、食べますよ。父がひづめを削っているとそこらの犬や猫が寄ってきて食べてます」・・・私ができる会話への積極参加はそれぐらいのことでしたね。後は質問につぐ質問です。それしかありませんからね。でも皆さん本当に親切にいろいろなことを教えてくださいました。

 徳之島の町の役場にお勤めの大和凡人さんともここで初めてお話を聞かせていただきました。大きな一眼レフのデジカメをお持ちだったので・・・それへの質問がきっかけでした。(あのカメラほしくはなりましたが、映像の管理ができないだろうとあきらめました。)彼によると、徳之島の闘牛はもっと生活に密着していておもしろいとのこと。護佐丸さんも横から相槌を打って「熱気がちがう」とおっしゃいます。勝ち牛の周りを囲んで親戚縁者一同小躍りしながらパレードして帰っていく話だとか、熱の入りすぎた勢子同士で小競り合いが起こる話だとか・・・何か闘牛の原型が徳之島にあるような口ぶりです。去年東昇皇龍を前に決意したようにして、凡人さんの話を聞きながら「次は徳之島だ!」・・・軽い私です。(笑)

 tomohさんと二人で、ホテルまでの道のりの途中まで参加者のお一人に送っていただきました。そこからタクシーに乗って帰りました。ご家族がお待ちのtomohさんと別れ、真っ先に大きな風呂に入りに行き、沖縄観光を済ませて帰ってくる女性たちを待ちました。


 第3日目
 この日は女性たちにガマンしてもらっていた「ちゅら海水族館」へ観光しに行きました。大阪の海遊館を見慣れた私たちにとって、それほど期待はなかったのですが、やはり水槽の大きさやマンタが3匹も泳ぐ姿は感動しました。沖縄という地域性を生かした水族館で、とてもよかったです。

 左はマンタ、真ん中が大水槽の遠景、右がシュモクザメ。シュモクザメは隣で見ていた女の子が「エッ?これどうなってるの?」と言ったので解説してあげました。私はシュモクザメの奇天烈な姿が大好きなんです。一度シュモクザメになって世の中がどのように見えているのか知りたいもんだと念願しております。

 水族館を出て那覇に向けて走り、途中で昼食。曲食堂とか言う名前が私のハンドルネームと重なったこともありまして、ここに決めました。いろいろ沖縄料理がある中で私は闘牛を見に来たのだから牛関連で食うぞと、「生血イリチャー」を頼みました。牛の生血で肉とニラなどが炒め煮してあります。

 いや・・・食べてみるとそんなに美味いものではありませんでした。味が濃くて分量が多かったこともありますが、やはり血の匂いが打ち消しがたく感じられました。きっと栄養価は高いと思います。酒を飲みすぎた時以外はめったに食べ残さない私が、全部は食べられませんでした。左の写真のタバコの大きさと比べてください。この大きさで上げ底なら食べきれたでしょうが、相当深い器でしたから・・・。でもうちの近所では探してもない食品でしたね。

 那覇についてレンタカーを返し、飛行機の座席指定を受けたあとは女性たちと別れて単独行動・・・結レールに乗りに行きました。仙台のネット仲間が「結レールの乗り方」というパンフレットが置いてあるとの情報をくれたので、それをもらいがてら1区間だけ往復してきました。パンフレットはすでになく、あきらめましたが楽しかったです。何が楽しかったって、大都会の公共交通機関の車掌さんのアナウンスって歌うような抑揚で聞き取りにくいでしょう。ところが新しい結レールのアナウンスはまっすぐしゃべったはるんですね。うぶな高校生がやっているみたいで・・・新しい証拠だなあと、いつまでもこの初々しさを残してほしいなあと思いました。

 帰りの持ち物検査で、二日目にお土産にいただいたサツマイモがひっかかりました。私は知らなかったのですが、沖縄のサツマイモにつく害虫は本土ではまだ発見されていないということで持ち出し禁止になっているようですね。検査官の間に、まるで麻薬が見つかったような緊張が走り、別の場所に連行され・・・説明を聞かされ、女性たちとの待ち合わせ時刻も近づいており、結局置いて帰るはめになりました。持たせてくださった方には申し訳なかった・・・

 と思ったら、下さった方はしたたか・・・後日宅配便で別のサツマイモを送ってくれました。なんじゃい!日本の検疫制度は・・・目に触れなければええんかい!!私は何も知らないからこそネットに入れた10kgの芋をそのまま持って意気揚々と通ろうとしたのに、あの緊張感や犯人扱いは何も知らないことへの驚きだったみたい!「何も知らないヤツが通った!アホやなあ・・・かばんに入れたら分からへんのに・・・」と思ってたんやろ!

 5時過ぎに那覇空港を飛び立ち、家に帰ったら9時前でした。今回の旅行では大勢の方と知り合えお世話になり、ネット仲間がさらに広がり、有意義でした。そして次の「徳之島行き」という課題を見つけることが出来ました。

終わりに

 全く何も分からない私でも面白かった闘牛・・・お読みくださった皆様も心の底にとどめておいて、機会があればぜひ見てください。闘牛を運営している人、牛を飼っている人、皆さんほかに仕事を持ちながら取り組んでおられます。私たちの住む場所に比べて自然があるとはいえ今の時代に牛を飼い、闘う牛に育てていくことの大変さは容易に理解できると思います。ある人は建築会社勤務だし、沖縄電気関係の会社員だし、歯医者さんだし、会社勤めしながら学校に通う人だし・・・市井の私たちと何も変わらない暮らしをしながら平然と牛を飼い、休日には闘牛の練習をしておられるのです。

 決して資産家が遊びでやっている闘牛ではありません。私が今回感心したのはそこです。もちろん中には資産家もおられるでしょうが、それにしてもです。今風に言うならボランティアなんですねえ。ボランティアというのは楽しいからやるし、自分に役立つからやるものです。実際闘牛一家は毎日の草刈の労働のために家族の団結がすごく強いように思います。たとえば私の家で、一家挙げて取り組むことがどれだけあるでしょうか。年末の大掃除ですら一家挙げて取り組むことができていません。それが出来ているのが闘牛を飼育するご家庭です。牛を育てるための草刈は、一家挙げて取り組まないとできないことでしょう。闘牛を通して子供を育て、家族のまとまりを創り、我が身に役立てておられる。

 同時に、「だからこそ、この闘牛は、行く行くは寂れて行くかもしれないなあ」とも思いました。沖縄も隅々まで都市化が進み、同時に人の心のつながりが希薄になる・・・人のつながりが薄くなれば牛を飼うことは難しくなる。牛の飼育が危機に陥れば闘牛の運命は先が見えてしまいます。闘牛が生活する人たちの心から離れ、ただ人の関心を買うためだけの観光化に走るしか生き延びる道はなくなるでしょう。動植物に“絶滅危惧種”が存在するように、沖縄や各地で取り組まれている闘牛は、人類の文化の“絶滅危惧種”なんじゃないかと思います。

 今回の旅行を通して『闘牛マン』たちのいなせな姿に触れました。自信にあふれた姿でした。牛を中心にした精神世界の充実感が彼らの自信を創り出しておりました。ヤマトンチューの踏み台にされ続けた沖縄・軍事基地の沖縄、その中に脈々と流れる昔ながらの覇気のある沖縄が闘牛でした。帰ってからも、闘牛を熱く語る私の心を掘り下げてみると、この感動が私を語らせているのだなあと思いました。

 若い友人がそんな私に言いました・・・「magariniさん、あなたは北摂(昔の大阪府三島郡一帯)ナンバーワンの闘牛通ですな!」皮肉も込めたこの言い分に思わず吹き出しましたが、そうありたいとも思っております。

 闘牛に精通していらっしゃる方が読めば、??の部分もあるでしょうが今後気がつき次第直していきます。いつかこれを読んで「何も知らなかったなあ」と赤面する日が来てほしいものです。沖縄でお世話になった皆様、ありがとうございました。

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