| ついに見てきたこれこそ闘牛 徳之島闘牛紀行(05年1月3〜5日) |
![]() |
| 腰が砕けて倒れこむ“戦虎猛撃貴坊” |
| ・・・初めに・・・ |
私の闘牛歴(?)も、この1年余りで沖縄で2回、宇和島で2回、さらに大阪のワールド牧場で一回と観戦を重ねてまいりました。この間公式に取り上げて応援する牛は雲龍丸号・尚武護佐丸号・琉球白虎号と増え、この闘牛のページも充実したとはいえないまでもふくらむ一方。そんな中で、徳之島闘牛を見ずして闘牛を知ったとは言えないなどと、徳之島の人からじゃなく沖縄や宇和島の人からも言われまして、確かに徳之島闘牛のビデオなど見ると雰囲気の盛り上がりの違いもなんとなく想像できるようになりました。 今回徳之島で琉球白虎が1月4日にデビュー戦を行うとの情報が入った10月からは、まだ見たことのない、いや行ったことすらない徳之島へぜひとも行きたいと思いをつのらせておりました。正月の徳之島行きは安売り切符がありませんし、経験豊富な虎鉄さんにご無理をお願いしてお世話していただくことになりました。 それに日が近づくにつれ、掲示板で知り合ったhiroさんのお兄さんに会うという実に愉快な課題ができてきたり・・・夢をいっぱいリュックに詰め込んで正月早々徳之島まで行ってきました。以下、その報告です。 |
| 第一日目 |
琉球白虎に会うまで 3日の朝、娘のダンナが「ヒマだから車で送ってあげる」と言ってくれたので甘えて大阪空港に着いたのが8時、虎鉄さんと落ち合って機上の人となりました。私は鹿児島で乗り換える飛行機がセスナに毛の生えた程度のプロペラ機を期待しておりましたが、虎鉄さんの話よればジェット機だそうでちょっとがっかり。ジェット化されると同時に大阪徳之島間の直行便がなくなったそうです。「ジェット化されてかえって不便になりました」とのこと。 虎鉄さんは私が始めての徳之島だと配慮して飛行機の中はいつも窓際!その配慮をありがたく受け取って西日本の地形の変化を楽しませてもらいました。もちろん機内でもおしゃべりしました。虎鉄さんの生い立ちはいつ聞いてもおもしろい。ここでは長い余談になりますから、いつか日を改めて隠岐ノ島で鳴らした“全島一の悪ガキ”がカリスマ美容師に変身する過程を書かせてもらいたいと思います。 ![]() 徳之島空港に着くと飛行機の後ろのハッチが開かれ、階段を地面まで下りて歩く方式でしたから、ちょっとだけ“小さな飛行機気分”でした。空港にはSさんが出迎えてくれていました。もちろん虎鉄さんをであって私は付録です!(笑)この後5日に徳之島を出発するまでタクシーなど一度も使わずすべて闘牛仲間の送迎付きの結構な生活でした。車に乗り込むと初めに「昨日まで天気が悪くて寒かったけど、今日は暑い」ぐらいの会話があっただけで車の中で交わす話は闘牛のことばかり!あきれて、会話の途中で「虎鉄さん、あなた達牛話しかしてませんね」と茶々を入れてしまいました。 徳之島では正月には連日闘牛大会が開催され、この日は全島一を決める大会でした。福田喜和道1号という14連勝無敗の横綱の取り組みがあるのでぜひとも見たいと思っておりました。Sさんの携帯には試合の結果が次々と入ってきます。それを聞いていると予想外に速い展開で取り組みが進んでおり、闘牛場の近くに行くともう横綱戦が始まるという時間になってしまいました。今から行っても見られない上に帰りの車の渋滞に巻き込まれるぞ・・・と言うことになって福田号を見ることはあきらめました。 お昼過ぎにホテル到着、チェックインして部屋に入るとまだ掃除中、荷物だけ置かせてもらって昼食をとりに出ました。虎鉄さんが携帯で連絡を取り合うとたちまち牛吉さんが来られ、ほどなくマンモスさんたちも来られたので、今度はマンモスさんの車でいよいよ琉球白虎の牛舎に向かいました。 白虎牛舎にて 初めて琉球白虎と対面しました。明日の取り組みを控えて牛舎は薄暗くしてあります。エサも控えめなのだそうです。何か欲求不満のある様子の白虎でした。しかし、“パンダ牛”と言われるとおり、特に白虎は目の周りが左右ほとんどシンメトリーに黒いのです。マンモスさんが「左目のまつげは真っ白で、右目は一本だけ白いのです」とおっしゃるのでよく見たらそのとおり・・・顔つきはお兄ちゃんの尚武護佐丸号よりもかわいい雰囲気!左の虎鉄さんと写った写真ではまつげの白いのが分かりにくいでしょうか。角はいい角度に湾曲していて、いざとなれば相手の一番嫌がるところを攻撃するでしょう。 ![]() その白虎、ストレスが溜まっているので頭の方はさわれないそうです。みんな腹から後ろをなでておりました。白虎は腹が減るのか長い舌をだして足元に落ちている草を食べようともがいております。白虎がウンチをしようと息み出すとマンモスさんがスコップを差し出して地面に落ちる前にすべて処理してしまいます。小便をすればすぐに下に敷いた草で吸い取って処理!だから牛舎の清潔なこと! ![]() しばらく見ていると虎鉄さんが「隣が今日、中量級チャンピオンになった“関西一撃”の牛舎なんだけど見てきましょうか」と声をかけてくれました。もちろん一つ返事で50mほど離れた隣の牛舎へ。牛舎にはドーベルマン種の犬が放し飼いされ、牛舎の前には強面のするおじさんが数名。虎鉄さん、「今日はおめでとうございました。牛を見せてもらえますか」と声をかけるなりつかつかと牛舎へ。闘牛界では名の知れた虎鉄さんと行動しているとこういうとき便利です。付録としてついて中に入れてもらいました。(笑) 虎鉄さんによれば、この牛は下半身が強くてふんばりが効き、前に出ることのできる牛だそうです。右の写真は関西一撃の斜め後ろからの画像ですが腰から下、モモにかけての盛り上がりが確かにすごいです。足も太いこと! 関西一撃の池田牛舎を辞して、ホテルに向かいました。ホテルに着くと3時を回ったところ。明日の闘牛前祝は6時からの予定ですから時間はたっぷりあります。徳之島旅行のもう一つの目的である『カックチ窯』訪問をそれまでに果たしておきたいと連絡を取り合った結果、70年生さんがなんとかしてみますと案内をお引き受けくださいました。闘牛にしか興味のない虎鉄さんとはここでは別れて行動しました。 カックチ窯 70年生さんの車で走り出しました。途中、この日に見たかった福田喜和道1号の牛舎にさしかかりました。テレビでも有名な宗教がかりの施設だけでもカメラに収めたいとお願いして車を止めてもらいました。施設を撮影していると福田さんの息子さんが道路を横切られ、70年生さんが「牛舎を見せてくださいよ」と声をかけると「いいよ!」と応えてくれました。息子さんは70年生さんの高校時代の同窓生だそうです。試合は見ることができなかったけど、闘い終わった名牛・喜和道1号との対面がかないました。 ![]() ![]() 大きかったです。大きい上に体のバランスがとれていました。毛色もつやつやと黒光りして貫禄十分、牛自身が自分が誰にも負けない横綱であることを自覚しているように見えました。隣には弟分の喜和道2号が草を食んでいました。 ![]() それから車を走らせること10分弱、70年生さんの勤務先の役場に付きました。彼は一つにはカックチ窯の場所を住宅地図で確かめるために、もう一つは正月の間、玄関近くの窓に闘牛ポスターを無断で貼っておいたのを外すことでした。「仕事が始まりますからね・・・課長に見つかったら叱られそうだ」ポスターを外しながら笑う顔はいたずらっ子でした。間もなく出てきた70年生さん、「場所が分かりましたよ」とためらいも何もなく車を進め、農道の奥まった所にある林に抱かれたカックチ窯を一発で見つけてくれました。 なぜそこがカックチ窯だとわかったかというと、農道に面した敷地に廃車のトラックがありわんさと薪が積み込まれていたからです。声をかけると窯主の鈴木さんご夫妻が満面の笑顔で迎えてくださいました。「今、お客さんが来ておりますが、いいからお入りください」と家に招き入れて下さったのに対し、「なるほど、これが台風が来たらよそへ避難される家ですか!」と失礼な感想・・・それに対しても「そうなんです、ここらの台風はきついですから」と笑っておられました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 先客は鈴木さんの学生時代の先輩とのこと・・・徳之島出身で大阪に住んでいること、今回は自分の牛が昨日出場したのでやってきたのだなどと話されるものだから、70年生さん「なんという牛ですか?お名前は?」と矢継ぎ早の質問!そこでもう旧知の仲みたいなものでした。持ち牛は東和技研号で高木さんとおっしゃり京都に会社を持っておられて2日の闘牛で“居酒屋酒来号”に勝ったのだそうです。明日帰るから同窓生の鈴木さん宅を訪問されたらしい。しかも鈴木さんご夫妻も昨日は伊藤観光ドームへ闘牛を見に行っておられたそうでもうそれからは牛話に花が咲きました。私も素人だけど鈴木さんも20数年在住して、闘牛を見たのは4,5回しかないそうですから話が合いましてねえ・・・笑 時間を忘れておしゃべりしていると、仲間から「今どこにいるのだ?」と70年生さんに携帯電話がかかり、そろそろおいとまをしなくてはならない時間であることに気づきました。しかしカックチ窯で焼かれた鈴木さんの作品をまだ見せてもらっておりません。ここへ来たのは牛話をするためじゃなかったのですから!そんな風にお願いすると笑いながら敷地の中の窯や倉庫、製作小屋などを案内してくださいました。「カックチ窯」の看板は書道の先生をしておられる鈴木さんのお母様のプレゼントだそうです。“カックチ”というのは島言葉で「隠れ家」という程度の ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 徳之島の土を練って琉球松で8日間炊き続けるのだそうです。素焼きなんだけど固く絞まって独特の風合いを持った作品でした。備前焼をもっと野太くしたというのでしょうか。真正面からの作品もありましたが、日常使いするような気軽な作品も多く、また遊び心で作った愉快な作品群もありました。例えばアンコウのような形をしたのを指差し「蚊遣りですか?」「ああ、蚊遣りに使ってもいいですね。ボクは灰皿のつもりで焼いたのです。煙突から煙が出たら面白いかなあと思って・・・」という調子です。 本当は大きな作品がほしかったのですが、重いのが困るので20cmほどの花瓶を分けていただきました。これは最近お花の免許をとった(ほとんど冥土の土産?)カミさんへのお土産となりました。 闘牛前祝い 70年生さんにホテルまで送ってもらって、マンモスさんのご自宅で開かれる前祝いへの出迎えを待ちました。牛主仲間のKさんがお迎えに来てくださりましたが、マンモスさんの家が分からない・・・島の人でこうなのですからね!携帯で連絡を取り合いながらやっと発見・・・それはサトウキビのジャングルを潜り抜けたところにありました。と言って小さいという意味ではないですよ!前庭には車が7,8台止められる大きなお宅でした。 ![]() ![]() ![]() 5人の牛主さんたちが床の間を背にして座ります。私も遠来の客ということでその隣に座らせていただきました。初めての方ばかりなのですが、このデビュー戦に当りタオルを寄贈したものですから、床の間に飾られている法被とタオルを指して「あのタオルを寄贈していただいた人です」と紹介を受けると皆さんすっと理解してくださいました。ちなみに法被の襟の 片方には「ランドリー虎鉄」もう片方には「コウダ技電」と書いてありました。左の写真が牛主5人衆です。左から虎鉄さん、幸田さん、マンモスさん、その影になっている凡人さん、そして牛吉さんです。どの方もごていねいで「このたびはタオルを寄贈していただき・・・」とご挨拶してくださり恐縮でした。来られた方はご祝儀を正面左側にある仏壇に供えられ、主のマンモスさんも丁寧に頭を下げられてそれから定位置に座られます。 やがて宴が始まりました。ビールの後は黒糖酒の水割りです。私もこの日のためにずいぶんと焼酎を練習してきましたが、やはり家でレモンや梅で割って飲むのとちがいます。3分の1ほど飲んで話をしているとさっと焼酎を注ぎ足してくれるからいくらでも濃い酒になっていく・・・(笑)でもおしゃべりが発散してくれました。インターネットのこと、作業所のこと、障害者のこと・・・皆さん聞き上手だからついついおしゃべりし笑い楽しいお酒でした。 夜もふけてお開きとなり、明日の必勝を期してお別れしました。帰りももちろんホテルまで送っていただきました。酔った頭を叩きながら遅い風呂に入り、上がるなり爆睡してしまいました。 |
| 第2日目 |
闘牛開始まで この朝は70年生さんが時間通りきてくださいましたが、遅く起きた私は虎鉄さんと朝食中で、コーヒーを飲みながら待っていただきました。闘牛場である伊藤観光ドームまでの道はやはり町を外れるとサトウキビ畑。土地が沖縄と同じ琉球石灰岩なのでしょう。起伏に飛んだ道を中学生たちが闘牛場に向かって歩いておりました。立派な闘牛場に着きました。右手に牛がつながれ、その奥には「闘牛アパート」と書かれた建物がありました。ドームの入り口は閉ざしてあり、切符のもぎりは左側にありました。会場に入るのは牛の入場口と一緒でした。昨夜の話では白虎は10時半ごろ連れて出るとのことだったのでとりあえず入場してビデオカメラの前の席を確保し、70年生さんと並んで座りました。虎鉄さんは闘牛場に着くなりあっちこっちうろうろしておられるようで、結局闘牛が始まっても会場には来られませんでした。 ![]() ![]() 開会を待ちながら70年生さんのお話を聞きました。今日の闘牛大会の趣旨は、「昭和44年生厄払い闘牛大会」と銘打って興行されるそうで、70年生さんご自身も昭和44年生の一人なんだそうです。だからスタッフの着ているトレーナーを着て今日の催しの世話係の役をしなければならなかったとのこと。ただうまく役につかなかったのでここに座ってられるんだとおっしゃっていました また「昨日の東和技研の高木さん、ひょっとして今日も見に来ていたりして・・・」なんてうわさをしていたのもこの頃でした。でも本当に来ておられたことがあとの掲示板のカキコを見て判明・・・なんとなく虫の知らせを受けていたのでしょう。 いよいよ開始 と言っても、例によって一番一番の取り組み経過を報告する力量はありませんし、闘牛専門のホームページを見れば一番ごとの写真入で見事に経過が報告されています。そんなおこがましいことを企てて時間をとられるよりも、感想めいたことを書いていくほうがこのホームページにはふさわしいのだと開き直ることにします。いや、書いて書けないことはないでしょう・・・だって帰るときには私の見た取り組みのビデオが販売され、買い求めてきました。ビデオというのは繰り返し見たり一時停止できるし、見逃した一瞬もちゃんと収められている便利なものです。でもねえ、それは闘牛専門のホームページの仕事! 徳之島に来られなかったネット仲間のために今回も携帯メール速報をすることにして対戦プログラムを入力しておきました。しかしまあ、牛の名前のややこしくも面白いこと・・・『児(旧字)武羅』と書いてジブラとか、『戦虎猛撃貴坊』なんて前の四文字の勇ましさに比べて最後の2文字でずっこけるでしょう。『莫逆王龍荒風』も難しい。かと思えば『おともだち同志号』とか『ぞう組 南ちゃん』などとぐっとくだけたものもある。『琉球白虎』なんてとても生真面目な命名だと思いました。しかもくだけた名前の牛に勇ましい名前が負けたりするのですから愉快といえば愉快! 取り組みが始まると観客の質の高さみたいなものにすぐに気がつきました。どーっとどよめきが起こるので何事かと思うと、取り組み中の片方の牛が疲れてきて舌を出したのです。沖縄であったような「○分○秒、○○が舌出しです」なんてアナウンスもありません。「見ていれば分かるようなアナウンスうるさい」とでもいうのでしょうか。それに、こう着状態から動きが出てくるタイミングが観客のどよめきで分かりやすかったです。これは番数を見てきた私に力がついたのかもしれませんが、私には牛の動きをしっかりと見ている人が多いのだなあと思えました。 確か『こういちGo!号』(これまた面白い名づけ)の時に、夏の宇和島でお世話になった直さんが勢子で出ておられました。しかし、白虎の2番前だったため終わってから私も白虎の所に走ったためご挨拶できなかったのが残念です。 ![]() ![]() 勢子といえば70年生さんが、「これが徳之島の昔の勢子の仕方だ」とおっしゃった勢子をするかたがおられました。今の勢子は角を突きあう頭の部分に立ってやるものですから、角の部分が死角に入ることが多くて見難いのです。ところが昔のやり方というのは牛の左腹について首の皮膚や角の付け根辺りを左手でつかみ、大きく伸ばした右手で牛の背中や腹を叩いて励ますのです。これは牛の表情が見えてとてもよかった!左の写真は観光パンフレットにあったもので、少し見難いですが伝統的勢子だそうです。右のは私が携帯電話で撮ったもので今度は小さくて見難いけど勢子のおかげで牛の頭が見えなくなっているのがお分かりでしょう?素人が偉そうに言うなと叱られそうだけど、勢子は牛の引き立て役に徹するというのは無理なのでしょうか? 琉球白虎の闘い ![]() ![]() ![]() 白虎の2番前になると落ち着かなくてつなぎ小屋のほうへ行ってみました。もう皆さん名前に合わせた白地の白虎の法被を着こみ頭は白虎のタオルできりりと締めて粛々と闘いの時が来るのを待っております。マンモスさんはズボンも白で地下足袋は下ろしたての黒・・・白虎の色で貫いており、その意気込みが伝わってきました。 闘牛場から太鼓の音が聞こえ「わいどわいど」の掛け声が聞こえてきました。前の試合が終わったようです。とそのとき、突然のにわか雨がパラパラッと降って来ました。闘牛場はドームになっておりますから雨は関係ないのだけど、雨男の私はドッキ〜ンとしました。徳之島に来て、よいお天気に気をよくしていたところ、いざ試合だという段になって堰を切ったような雨なんですから!一瞬不吉な気分に捉われてしまったのです。 大勢の人たちに取り巻かれながら場所入りをしました。対戦相手の『村田アキラ号』はすでに待ち構えておりました。ツツツと寄って行った白虎頭を下げてガチッガチッと角を合わせてお互い顔を見合わせています。心持相手が下がったように見えました。もう一度頭を下げたところで白虎鼻綱を外されました。しかし、もう相手に興味をなくしたみたいで相手の鼻を舐めたようにすら見えました。そしてぶらぶらと遊び始めたのです。しかし、相手はやる気ですからもう一度頭を下げて突っかかってきたところでひょいと身をかわして逃げてしまいました・・・まるで「お前なんかとやってられるかい」という感じで! しかし、一度角を合わせていますからすでにストップウォッチは押されており、無常にも相手の赤旗が上がり1分17秒で勝負あったと審判が下されました。 ![]() 私は夢中でデジカメの動画を撮っておりこの部分の画像がほとんどありません。左のはデジカメで動画を撮りながらもう片方で携帯で撮った写真です。まだ角を交わす前の段階だと思います。帰宅後動画を再生すると「なんじゃこれ・・・闘牛してへんやんか」と言う私の声が入っておりました。後はがっくりきて写っているのは地面ばかり!おまけに悔しさのあまりデジカメのスイッチを強く押しすぎたのか凹んだまま戻ってこなくなり、壊れてしまいました。きっと私の身代わりに壊れてくれたのでしょう!(笑) 後でプロの話を聞くと、もう少し長く鼻綱を持っていたほうがよかったそうです。そうすれば少なくとも相手の攻撃を身をかわして逃げるという場面はなく、身を守るための闘いが始まっただろうというのです。本当に悔しい思いがして自分の席に戻って座り込み、白虎の退場後の姿も見る気がしませんでした。 世紀の大一番 その後の横綱戦までは長い長い時間でした。隣の70年生さんとも話を交わしましたが、うろ覚え状態!ところが白虎の後4番目の横綱戦が落ち込んだ私の気分を引き上げてくれました。『基山赤鷲』対『ぞう組 南ちゃん』でした。この『赤鷲』というのは非常に気性の荒い牛で、去年も白虎の牛主の一人である幸田さんの牛と対戦し勝負あった後も追い掛け回して角を突き立て腹に穴を開けたとの70年生さんの解説。「殺し屋ですな」と言うと「だから牛主たちは赤鷲を取り組むのを嫌がるのですが、今回南ちゃんが決まってやれやれというところです。」とそんな会話をしながら見ておりました。 赤鷲は確かに力強い動きでした。南ちゃんが引いた瞬間を追い込み、柵に追い詰めて角を突き上げました。角は南ちゃんの右肩の皮膚に突き刺さり全体重がその1点で持ち上げられる感じで、皮膚が20cmほども角の形に伸びました。もうだめだと誰もが思いました。致命傷になる前に勢子が引き離してくれるよう祈りました。ところが南ちゃん、そのまま悲鳴も上げずに土俵を回りこみ真中で再び角を合わせたのです。左肩は15cmほど皮がはがれそこから白い肉が見えています。太い血管は切れなかったようですがそれでも右足にかけて血が滴り落ちています。そんな状態なのによたよたするのじゃなくて、敢然と戦いを再開したのです。 観客は大きくどよめき自然な拍手が沸き起こりました。南ちゃんには縁もゆかりもない私ですが、判官贔屓というのでしょうか、この段階で完全に南ちゃんに気持ちが移りました。場内のほとんどの方がそうだったみたい。右隣にはジミーさんという白虎の仲間が座っておられましたがこれまた同じ、南ちゃんに対して猛然と応援をし始めました。観客の声援を耳にしたのか南ちゃん、反撃を開始します。しかしこの段階では余裕の赤鷲、もう一度南ちゃんを同じ形で追い詰め今度こそダメかと思わせる場面がありましたが、二度目の攻撃は南ちゃんがかわしてしまい、またまた土俵中央へ。 この辺りから赤鷲の激しい動きよりも南ちゃんの技が冴え始めました。肩にはべろりと剥げた皮膚をぶら下げ血を流しながらも角をかけて赤鷲の動きを封じ、回り込んで腹をとろうという動きが再三繰り返されます。そのたびに観客は「そこだ!」「行け!」「やれやれ〜!」と立ち上がって声援。アナウンスは「立ち上がらないでください」とひっきりなしに言いますが誰も聞いておりません。赤鷲には疲れが見えてきました・・・動きが鈍くなり防戦一方になりはじめたのです。そのうち舌を出してしまいました。まあ観客の喜ぶこと!とその喜びの声と声援を聞いたのか南ちゃん、隙を見て横に回りこんだ途端赤鷲が飛んで逃げたのです。 その後の南ちゃん号の関係者の狂喜乱舞は当然なんだけど、私たち観客までが一緒に踊りたい気分になってしまいました。本当に感激する試合でした。隣の70年生さんも感激の面持ちです。ジミーさんなんか南ちゃんが勝った瞬間どこかへ飛んでいってしまいましたもの! 闘いすんで・・・ 牛のつなぎ小屋に行くとみんながいました。心持疲れた表情でした。口々に「ケンカしなかったんだ」「次はもっと強いのと当てないとやる気がおこらないようだ」などと話してくれました。しかし、負けは負け!いただいた弁当も空腹感はあるのに食欲が起こらないまま、雨男のざんげの気持ちを込めて小さな雨がパラつく中で立ったままかきこみました。牛主たちがしょんぼりしていたら私は空元気でも出したかもしれないけど、彼らが空元気出していたから私は正直に落ち込ませてもらいました。(笑) ![]() ![]() ![]() 食事の後人だかりがするので見に行くと、感動の試合で怪我をした南ちゃんの傷の治療をしておりました。白かった傷口は赤くなり腫れ上がっておりました。止血はしたのでしょうが皮膚を縫っておりました。痛いのでしょう・・・皮膚を震わせていました。牛主たちが前から後ろから体をさすっておりました。その中のお一人に「感動する試合を見せていただきました。ありがとうございました。」と挨拶したら、とてもいい顔で「どうも!」と応えてくださいました。 ![]() ![]() 白虎はというと、闘った気がしないのでしょう・・・緊張と興奮の状態が取れないまま闘牛場に連れ出されて、まるで「オレはここにいるぞ!誰かかかって来い!」といわんばかりに雄たけびをあげておりました。かわいいと言えばかわいいのでしょうが、情けないと言えば情けなくもありまして・・・複雑な気分となりました。まあ終わってみれば、全くの無傷。“一敗”の戦歴は残りましたがこれからの頑張りを見届けたいものです。 負け戦の後、緊張が解けたのか昨夜の焼酎が応え始めました。再びマンモスさんの牛舎に行き、そこからホテルに送ってもらって夜6時からの残念会兼新年会まで待機することになりました。ぐっすり昼寝をして、お土産を買いに出てうちまで宅配で送付する手続きをして風呂に入って待ちました。 残念会 この世界では勝っても負けても飲むようです。残念会は家族に迷惑をかけてはいけないからとろばた焼きの二階で開かれました。いいなあと思ったのは、皆さんご家族を呼んでご一緒だったこと。子どもたちも参加してとてもにぎやかでした。 ![]() ![]() ![]() 闘牛士たちは徳之島初体験の私に気を使ってくれまして、次から次へと郷土料理を取り寄せてくれました。やはり刺身が歯ごたえがあって甘く美味しかったです。それと鶏料理がよかった・・・普通鶏の刺身と言うとささ身(胸肉)なのに、徳之島ではもも肉の刺身でした。でも生ビールは一杯だけ・・・やはり黒糖焼酎がメインで昨夜と同じ状態!(笑)困ったなと思っていると奥様方が呼んで下さってそちらへ移動し、島本障害者共働作業所のことをおしゃべりしました。 ![]() ![]() ![]() 前夜からご一緒させていただいている牛主のお一人、幸田さんの次女さんが障害者だそうで、同じような作業所に通っておられます。徳之島に帰ってこられたときにクッキーを配られた話などもありました。閉じ込めないでできるだけ世間に知ってもらおうと努力されておられるご様子が分かりました。いつもいう「100人の赤ん坊のうち1人は必ず障害者に生まれる」という人類のリスクの話をして、社会全体で受け止め一緒に歩いていくことは当然な話なのだとしゃべったらすごく共鳴されました。徳之島は起伏が多い地形だから高齢者がバッテリーカーを利用されているのはひっきりなしに見るけど、障害者にはまだ一人も出会っていないとも言いました。これらの方々がそんな課題意識を持って周りの障害者たちに働きかけてくれたらなあと思いました。 障害者の作業所のホームページに闘牛のページが作ってあることについても大うけ!ネットをしておられる奥様は「ぜひ見ます」とのこと・・・もちろん名刺をばらまきました。そしたらみんなで共同でラーメンを注文しますからといううれしい話になって・・・思いがけない営業ができました!(笑) お開きになったあと今度は幸田さんの奥様の実家へ案内されそこでまた飲まされ・・・いや、呑みました。愉快な一族で本当に大阪へ連れて帰って吉本に売り込みたいようなキャラクターがぞろぞろ!おじいさまがサンシンで弾き語り、おばあさまが太鼓で調子をとって島唄を・・・すると一族が立ち上がって踊りだすというにぎやかさ。ここでも幸田さんの声かけで島本障害者共働作業所の理念をしゃべらせていただきました。 しかし如何せん昨夜からの黒糖焼酎漬状態です。しかもグラスの水割りはどんどん濃くなるでしょう。(笑)次第に意識が朦朧とし、気がつけばよそ様のお宅で横になって寝てしまっておりました。まさに大失態なのですが、もう取り返しがつきません。ホテルまで送ってもらって後は昏睡状態でした。 |
第3日目 |
よく眠ったせいか、気分よく目が覚めました。この辺りが焼酎のよいところなんでしょね。日本酒で酔いつぶれると翌朝は自分の呼気の匂いがいやになるものですが・・・ところが虎鉄さんが起きてきません。後で聞くとあれから更に場所を変えて1時まで飲んでいたとのこと。一足先に朝食をとっていると「ねむたーい」と目をこすりながらやってきました。朝食をとりながら飛行機の時間までの相談。私は70年生さんが休暇をとって島を案内してくれるとの話になっております。ところが虎鉄さんは、こんな島では観光する場所がない・・見るものは牛だけだということで、凡人さんと牛舎巡りを予定しているらしい。彼は何回も徳之島に来ているけど、一度も観光をしたことがないそうで、ここまで徹底するともう立派としか言いようがありません。![]() ![]() ![]() 朝食後荷物をまとめて虎鉄さんと別れ、迎えに来てくれた70年生さんと出発しました。まず行ったのが伊仙町の歴史資料館です。いやいや驚きました。後で立ち寄った徳之島町の資料館の10倍以上の豊富な資料の・・・物置でしたな。徳之島町の資料館は生涯学習センターの中に併設されていましたがここは独立した立派な建物です。徳之島町では写真でしか展示されてないものが、ここではすべて現物や剥製となって目の前にあるのです。しかしそれらが系統だって展示されてないから、こちらの頭で系統立てないといけない!(笑) ![]() ![]() ![]() 時間と豊富な資金があれば大勢の手で整理できるだろうなあと思いました。館長さんは立派な方で、知識も広く深く、経験も豊富な方だと聞きました。あれを整理すれば見事な博物館になるでしょう。 海にも行きました。瀬田海海浜公園や犬田布岬と戦艦大和慰霊碑でした。波の荒い日で汐が逆巻いておりました。 しかし、いわゆる観光地はここまで!何分案内人が闘牛大好きですから・・・でも私にはよかった!全島サミット大会の会場の候補地である伊仙闘牛場、同じくその前夜祭に予定されている東目手久闘牛場、そして今では使われなくなった亀津の闘牛場の3箇所を回りました。どの闘牛場も急速な宅地開発によって駐車場がないとか、伊仙闘牛場にいたっては牛をつないでおく場所がない・・・亀津闘牛場はそのために使われなくなったそうです。この三つの闘牛場の中で一番昔の面影を残していたのが亀津の闘牛場でした。観客席がコンクリートではなくて自然な段差であり緑に覆われています。70年生さんに誘われて観客席の一番上から見下ろしたとき、これはいいなあ・・・ここで闘牛を見たいなあと思いました。でも周囲が本当に狭い・・・住宅が接近しており道路も道幅がありません。こんな所で闘牛を開催すれば、後から住み着いた人たちであるにもかかわらずブーイングが起こるのは明らかです。 ![]() ![]() ![]() 前田翁の名前は資料館にも紹介されており、亀津の闘牛場にも顕彰碑がありました。そのときはあの雲龍丸号の牛主の一人である前田さんとは結びつきませんでした。しかし、後で合流した虎鉄さんが「前田君のおじいちゃんの顕彰碑があったでしょう」と言ったので「あ〜あの話か!」と氷解・・・私は徳之島の特に闘牛界の恩人のお孫さんとお付き合いさせていただいているのだと改めて理解できました。 なんと虎鉄さんに負けずに牛舎も回りました!昨日勝利を収めた武刃号を見ました。この牛は70年生さんの同僚の牛でもあり、護佐丸さんの知り合いの牛でもあります。私が何気なく近づいて「昨日は勝ってよかったね、おめでとう」などと言いながら頭をなでていると、70年生さんが「magarininさんすごい、やっぱりちがう」と言い出しました。何のことかと思ったら「この牛ボクを近寄らせないんです」とのこと。70年生さんは沖縄でもご一緒させてもらって尚武牛舎の牛に気に入られている私を知っておりますからびっくりされたらしい。しかし、私の方も話を聞いてびっくりするわけで、「まるで私はムツゴロー!」などと気をよくしておりました。しかし、そんなふうに言われると次に立ち寄った同じく勝ち牛の児武羅号には手を出せませんでした。この辺りがムツゴローになりきれない私です。(笑) そろそろお昼なので虎鉄さんたちと接触を試みましたが会えそうにないので、別個に昼食をとることになりました。そして連絡をつけてくれたのがカックチ窯を取り上げたホームページを作っておられる「まるちゃん」でした。彼が食事中だというのでその店に押しかける形で会う事ができました。店に入るなり見たことのある美人が「昨夜はどうも」と挨拶してくれました。70年生さんに指摘されて昨夜のオフ会でおしゃべりした奥様の一人だと気がついた次第でして・・・徳之島に来てから会う人が多くて頭が整理し切れていないのですね。 ![]() ![]() ところでまるちゃんは快活な明るいお人柄で、たちまち打ち解けておしゃべり。なんでもさっき挨拶くださった女性に昨夜の話を聞いているところへ私たちが闖入したらしい。そして話はネットのこと、昨日の南ちゃん号の壮絶な闘いの事・・・次から次へと展開していきます。彼のお仕事は徳之島町の観光協会の事務局担当でありまた、イベントやプロデュースのお仕事も手がけておられるそうです。もちろん、カックチ窯をめぐる不思議な人間関係の展開の話も出ました。鈴木さんのお住まいは「あれでも奥さんが来られてずいぶん人の住まいとして整理されたのですよ。ボクが初めて行ったころはもう・・・」と絶句!相当なものだったらしい・・・そんなときのカックチ窯見たかった!(笑) まるちゃんとお別れしてからこっそりとまるちゃんのオフィスに行き、まるちゃんびっくりするやろなあなどと言いながら看板の写真を撮ってきました。きちんとしたオフィスをもって手広く仕事をしておられる様子が分かりました。 ![]() ![]() その後徳之島町の資料館を見たり、初代横綱朝汐の銅像を見たりしてから虎鉄さんたちと合流したのが2時半ごろだったかなあ。徳之島空港に2台の車を並べて走り出しました。驚いたことにまだ彼らは牛舎に寄り道しながらです!それでも前を走る車を運転している凡人さんが車を止めて、新聞記者として写真を撮ったり取材した場所を教えてくれました。間もなく収穫期を迎えるタンカンの畑とか、子どもたちが徳之島で唯一栽培している水田など彼のホームページで紹介されていた場所です。しかし、飛行機の時間が押しているので次回ゆっくり見ることにして、そそくさと空港へ走りこみました。 見送りは私の車の70年生さんと前の車の凡人さん、幸田さんの3人だと思い、本当にありがたいと感謝していたら、マンモスさんがぬーっと巨体を現してくれました。まあ本当に申し訳ないことで・・・言葉では言いようがない感謝の気持ちを硬い握手にこめてお別れしました。 伊丹空港に着いたらまともに冬でした!10度台の気温から0度に近い一桁の気温の環境に引き戻されたのです。実は今も風邪気味です。いやもう一つはあの闘牛の熱気から、紀行文をしこしこ書かなければならない冷気に突き落とされたせいかもしれません。 |
| 終わりに |
3日目の朝ホテルのチェックアウトを済ませて70年生さんを待っていると、ホテルの私よりは少し年配の方が「観光ですか?」と聞いてきました。「いや、闘牛を見に来たのです」と答えると「福田喜和道ごらんになりましたか!」とたちまち牛話。そのおじさんは決して闘牛病じゃないらしいけど闘牛のことをよくご存知でした。初めて沖縄で闘牛を見た夜、遅くにホテルについてチェックインしたときに「遅かったですね」と言われて「闘牛を見ていたものですから」と答えたら「闘牛?なんですかそれ」と言われて、これは闘牛振興を図らなくてはいけないと思ったのと対照的でした。 人口の差もあるでしょう。それぞれの人口をそれぞれの闘牛場の数で割れば、徳之島の闘牛の密度が濃いのは当たり前かも知れません。でも・・・だから面白いのだとも言えましょう。サトウキビ畑を走っていると、「アッあそこにも牛舎がある!」と分かるようになりました。そして虎鉄さんのように覗いて見たい気分も起こりました。こうして深みにはまっていくのでしょうか!(爆) それと闘牛士たちのユーモアも楽しかった・・・プログラムには出場牛の得意技が「ツキ」「カケ」「速攻」などと書いてあるのですが、西松広和号には「カケられ」と書いてあります。私は70年生さんに「これはどんな技なのかなあ」とたずねると「いやあ、この牛には技がないんですよ」との答え!噴出してしまいました。しかし、その後「カケられるはずの牛がカケてるぞ」などと笑っているうちに31分もかけて勝ってしまったのです。ここらが惹かれますねえ。 そろそろ終わらないと明日が大変だと思いつつ、この『終わりに』もずいぶん肩の力を抜いて書けるようになったなあと自ら感動している私です。どうもこんなダラダラ文を最後まで読んでくださってありがとうございました。障害者の作業所のホームページにこんな闘牛のページがある・・・実はこれが大切なことなんだと、今回の旅行で幸田さんと出会ってますます思うようになりました。そう、闘牛士たちの世界も100分の1なんですからね。いろいろなことに出会われたであろう幸田さんが、今は突き抜けて当たり前のように闘牛をやっていらっしゃる姿に学ぶところが多くありました。 徳之島で出会いお世話になった皆様、ありがとうございました。これからもこのページを充実させることによって恩返しをしたいと思っておりますのでよろしくお願い申し上げます。 |