闘牛の醍醐味
徳之島闘牛紀行(06年1月1〜4日)
                                   
                                    両角が折れても闘い続けた“基山一撃”(右)
・・・初めに・・・

 去年、琉球白虎のデビュー戦を見てから一年。あの時は悔しくも敗戦に終わりましたが、二戦目の勝利戦はぜひともこの目で見たいものと思い続けてきました。白虎はこの間に人間の側の都合で移籍し名前も『龍己白虎』となりました。牛主が変わった都合でこのHPのリンクを外しましたが、白虎という牛を応援する気持ちには変わりありません。しかも新牛主が報道ステーションなどにも登場した「福山ファミリー」なので、あの子供たちにも会いたいと思いました。

 それにしてもカミさんの実家が神主で、結婚して以来40年近くの間で正月の手伝いをしなかったのは私の二親が亡くなった2年だけ。あとは毎年行って年末年始の繁忙期を手伝います。それを脱出するのですからとても気を使いました。秋口からそれとなく正月はいないぞということを匂わせておいて、長期戦で脱出計画を練りました。計画が成功したかどうかはともかく、29日にカミさんと孫と犬のモンを車で鳥取に送り、円満な関係のうちに大晦日に帰宅。正月元日の昼の飛行機で徳之島に飛びました。後で、正月のお宮の様子を聞くと、私などいてもいなくても関係なかったようでして・・・汗

 もう一つ、正月の旅行というのは割引が全く効かない。ただ、旅行会社は手持ちの航空券があるようで、3日帰着の予定を4日の闘牛が面白そうだからと4日帰着に変更を申し出たら簡単にやってくれましたから、便利でした。私が遊びで旅行するために、周囲の人に休みを取らせず働かせるのですから高い金を出して当然といえば当然です。あきらめつつも闘牛というのは正月や5月の連休、夏のお盆休みに開かれますから毎回高くつくものですわ。

 第一日目

 龍己白虎に会うまで

 この寒い冬に南西諸島へ行くときは着ていくものが難しい。脱ぎやすくて脱いでもかさばらない薄くて軽い衣装が必要です。でも、やはりこちらでは寒々とした姿です。幸い行きも帰りも娘の亭主が送迎してくれたから助かりましたが、そうでなければ寒い思いをしながら空港まで行かねばならないところでした。前回は虎鉄さんという先達がいてくれて着いていけばよかったのですが、今回は全くのひとり旅。12時35分に機上の人となり、鹿児島を経由して15時20分に徳之島に降り立ちました。

 明日が白虎の取組みなので関係者は忙しいだろうと「迎えに出てあげる」というネット仲間の申し出を固辞して、タクシーでホテルに向かいました。タクシーの運転手さんが不思議そうに、しかも経過を聞くと気の毒そうに「タクシーは高くつきますよ。レンタカーにしなさいよ」などと言います。「私がレンタカー借りたら、タクシーのお宅が儲からないじゃないですか」「いや、うちはレンタカーもやっています。私はそこのオーナーで、今日は人手不足だから運転手してます」とのこと。レンタカーも考えたのですが、飲むことが多いから置きっ放しになりなり結局高くつくと言うと、「空港から乗って、ホテルで乗り捨てもできますよ。軽自動車なら2000円ですみます」と次回からの貴重なヒントをくれました。タクシー代?6000円近くかかりました。生まれて初めて、タクシーで150円まけてもらいました。

 ホテルについて荷物の整理を済ませるととりあえず白虎の関係者ではないネット仲間のtomohさんが闘牛場にいるはずなので連絡してみました。「今から大関戦が始まるところです」とのこと。やはり白虎関係者も闘牛を観戦していたようで、間もなくマンモスさんがダイビングで使うという9人乗りの大きな車に、沖縄の龍騎さんとタカさんを積んでホテルまで迎えに来てくれました。もちろん行き先は白虎のいる福山牛舎です。

 福山牛舎にて

 全く一年ぶりに白虎に会いました!この間、マンモスさんから写真やお願いして稽古の様子の画像を送っていただいてきました。その成長振りはそれなりにイメージしていたのです。しかし、生で見ると想像以上にがっしりとたくましくなっていました。筋肉質の体がますます引き締まった感じです。それに試合前だから食事制限を受けてストレスが溜まっているはずなのにじっくり落ち着いた態度です。去年も闘牛前日牛舎を訪れましたが、そのときは腹が減るのか下に落ちている草をなんとか食べようともがいておりました。今年はそんな様子もなく、見学に訪れた私たちはもとより、周りで立ち働く福山さんの息子たちや親戚の若者すら無視!無念無想といった表情で立ち尽くしておりました。私はその様子を見ながら「これ本当に去年と同じ白虎かなあ」などとふと思い、白虎の証拠である左目の白まつ毛を確認したほどです。間違いなく白虎でした。そう、私はそんな彼から発するオーラのようなものを感じ取ることができ、理由も何もなく明日の勝利を確信しました。

 私は“お年玉”として鳥取のこの季節に採れる『あたご梨』をいくつか持っていっておりましたので、福山ファミリーの牛舎の手伝いをしている三人の子供たちに一つずつ上げました。徳之島はトロピカルフルーツの島ですから果物には不自由しておられませんが、さすがこの時期の梨は珍しいらしくて驚いていただけました。ただし・・・子供たちは梨よりお金のほうがよかったかも知れませんが・・・。

 祝勝会は夜に開かれるのでそれまで時間があり、ひとまずホテルに引き上げることになりました。雪の鳥取へ孫やモンも含めた家族を送り届けた私には徳之島の気温はまるで春のようでした。セーター姿でも少し急ぎ足で歩くと汗が吹き出すので、いつもタオルを腰のバンドに挟んで持ち歩いていました。しかし・・・島人たちは今が冬です。寒いと言い、ジャンパーを着込んでおられます。寒暑の感覚は住んでいる環境によって決まる相対的なもののようです。私はほっこりと汗をかきましたから、シャワーを使って出迎えを待ちました。

 闘牛前祝の集い

 時間が来て再び迎えに来てくださったマンモスさんの車に乗り、福山牛舎に向かいました。前祝というのは何時から開催と言うものではなくて、適当に三々五々集まってきて明日の必勝を期して話し合い飲んで食べるもののようです。私がいる間にも実にたくさんの方々が出入りされておりました。宴は盛り上がっていきました。あちこちで交わされる牛話。私もビールから黒糖焼酎に切り替えて飲みました。去年の酔いつぶれてしまった経験があるから控えめにしていたのですが、福山さんの子供たちが実に勧め上手。グラスが少し空くと寄ってきて注いでくれます。牛舎でもよく働くけどこんな席でも本当にマメマメしく立ち働いています。

 福山さんに素人ながら白虎がとても逞しくなったという感想をおしゃべりしました。去年マンモスさんの所に一頭でいた時と違って多頭飼育による“切磋琢磨”の効果を感じた・ちょうど福山ファミリーの子供たち(小学5年生を筆頭に7人の子持ちなのです)がお互い切磋琢磨しているようにと話しました。近くに居られたマンモスさんには大変失礼な話だったのですが、そのように感じたのですから仕方ありません。本当に福山さんの子供たちは大人並みです。テレビでも放映され物議をかもしたこともあるのですが、道交法の適用されない敷地内では軽トラックを運転しています。親に言われなくても何をやるべきか自己判断して働きます。集団で暮らす効果を私は言いたかったのです。

 しばらくすると牛主の福山さんが「眠い!ワシはもう寝る」とゴロリと横になってしまいました。宴はまだまだ続くはずなのにと思って「もう寝るんですか?」とたずねたら、「朝から飲んでいますから・・・」とのこと。よく考えたら今日は元日でした!牛主にはお構いなく人の出入りは激しい。中には大学院の女学生が一人混じっておりまして、卒業論文にするのだと研究取材までしているのです。私もどんな経過で闘牛にはまったのかなどと取材を受けました。

 宴が最高潮に達した頃、参加者一人一人が決意表明のようなことを話すことになりました。実はこのころ黒糖焼酎が効いてきまして、私が話したことも含めてほとんど記憶にないのです。ただ、元の牛主の凡人さんが「明日白虎が勝ったらヒゲを落とす」と話したことと、マンモスさんが「ポニーテールに括った髪を切る」と宣言したことだけはくっきりと覚えております。とにかく凡人さんの見事なヒゲと、マンモスさんの長髪はそれぞれのトレードマークなのですから。これは大変なことになったぞと腹を抱えて笑ったところでふがいなくも私は昏睡状態に陥りました。

 日付が変わる頃に「そろそろ帰りますよ」と起こされて、のろのろと立ち上がり同じ方向に帰る人たちとタクシーに乗り込んだところから実は次なる悲劇が始まっていたのです。
 
 第2日目

 財布がない!

 前夜はグデングデンで帰りながらも、感心に風呂に入り歯を磨いて寝たようです。目覚めてその名残を確認しながら我ながら大したものだと思いつつ、朝食券を入れてある財布を出そうとしました。10万円近く入っているはずの財布がないのです!真っ青になりました。とにかくベッドの周りや入っているはずのないバッグの中など探し回りました。それから必死で昨夜の自分の行動を思い出そうともがきました。記憶が完全に飛んでしまっているのです。有り金を数えるとわずか975円!打ちひしがれた思いでいるところにtomohさんから「今日はどのように行動しますか?」との電話。うつろな気分で財布をなくしたことを打ち明けました。

 驚いたtomohさんがホテルまで車で来てくれました。とりあえず自分のホテルに行こうと言いつつ、「財布が見つかるまでの資金にしてください」と一万円貸してくださいました。なぜtomohさんのホテルに行くのか分からないまま着いていくと、彼のホテルの一階がファミリーレストランになっていて朝食をとれるからだったのです。本当にかたじけない仲間でした。心の動揺を隠せないまま朝食をとりtomohさんのご家族にご挨拶をして、迎えに来てくれたH野さんの車で午前10時から始まる闘牛場に向かいました。

 軽量級闘牛大会での白虎の闘い

 しかし、財布ショックを引きずっていたのでしょう。この日の「軽量級闘牛大会」の取組みの様子は、白虎の取組みとチャンピオン戦でチャンピオンのタキネトガイが技も鮮やかに速攻を決めた一番しか印象にないのです。時々財布のことを思い出しては、これで財布が出てこなければこれからはもう独り旅はあきらめようなどと考えながら観戦していたのですからねえ。(汗)

 白虎は勝ちました。福山ファミリーの子供に引かれて先に入場してきた白虎はお父さんの福山さんに鼻綱を引き渡されると、対戦相手の一心力を待ちます。一心力が入場するなりお互いが相手を伺うように向かい合って顔を見合わせます。去年はここで闘争心をなくし遊び始めたのですが、今年は違いました。ガシッと角を合わせるなりいきなり相手の右へ回ろうとして相手を持ち上げ気味に素早く動きます。相手は防戦これ一方とにかく動きが早い!去年の反省もあってまだ鼻綱を解かない勢子が走り回ります。やっと綱から離されて自由になっても動きは止まりません。その早い動きの中で、相手を伺うかのように離れる瞬間がやっぱり怖い・・・白虎がそのまま横を向かないかと思ってしまうのですね。

 しかし、相手を伺っては下角をとって突き上げては右へ回りこみ相手を左からすくおうとします。一心力は防戦一方です。1分半ほど激しい攻防の後やっと一心力が角をからませてボクシングで言うクリンチ状態になりました。それでも白虎は、なんとか角を外して攻めたいところ。力強く角を振りほどくとまたしても白虎の鋭く素早い動き。相手も角を使ってかわそうとしますが白虎は前へ前へと出ますからやはり防戦しかありません。

 再び相手の出をうかがう体勢に入りました。首を振りお互いが鼻息荒くにらみ合います。またまた白虎が横を向いてしまわないかと心配し始めたときに、前に前に威圧をかける白虎に対して相手が後ずさりし、横を向いて逃げました。ゆったりと後を追う白虎・・・審判の旗は白に揚がりました。この間3分1秒!でも倍以上の時間に感じました。

 後は狂喜乱舞・欣喜雀躍、ワイドワイドと順番に背中に乗って踊る人、周りを腕を振り振り踊る人・・・私も最後に白虎の大きくて広い背中に乗せてもらいました。宇和島で雲龍丸号に乗ってますから2頭目の背中です。去年、マンモスさんが「白虎の背中に乗せますからね」と約束して一年ぶりの凱旋でした。

 財布があった!

 ホテルに戻って白虎の勝利の余韻よりもやはり財布のことが頭から離れないまま、シャワーを使って昼寝をしました。ウツラウツラの居眠りの状態から先ほどH野さんと別れ際に聞いた「労金は元日からATMを開いてくれているそうですよ」と労金の場所を聞いたことを思い出し、ATMが閉まる前に銀行カードで金を下ろしておかなくてはと気がついて亀津の町をさ迷い歩き始めました。しかし、うつろな気分で話を聞いていたのでしょう、労金が見つかりません。街中で見かけるサラ金のボックスばかりが目に付きます。「しゃあないなあ、いよいよサラ金に手を出すしかないか」などと考えながらホテルに戻りました。

 ぼんやりテレビを見ていると携帯電話がなり、マンモスさんが「財布が見つかりましたよ!勇也君が駐車場で拾いました」と・・・「勇也君にお礼しないといけませんなあ」とマンモスさん・・・電話の向こうでは爆笑が広がっています。「もちろんですとも!この喜びは御礼して当たり前だと言う気持ちになっていますよ」と言って電話を切りました。

 その後tomohさんから電話があり、財布が見つかったことを報告し、祝勝会には二人で歩いていくことを決めました。祝勝会20分前にホテルまで来てくれたtomohさんと歩きながら途中のコンビニで祝儀袋を買い求め、tomohさんからお借りしたお金をそのまま包みました。福山牛舎に着くなり勇也君の姿を探し求め、財布を返してもらって謝礼を渡しました。財布は夜露に濡れたのかしっとりと湿っていましたが、お金もカードも無事、すべてそろったまま私の手元に戻ってきてくれました。

 祝勝会

 さて祝勝会では、前祝同様相変わらず人の出入りが激しかった。tomohさんは友達に誘われたからと出て行かれました。私は前夜に懲りて、黒糖焼酎はセーブしながら飲んでおりました。宴もたけなわの頃いよいよ前夜の約束どおり凡人さんのヒゲとマンモスさんの長髪の断髪式が始まりました。凡人さんはちゃんとシェービングクリームと愛用の髭剃りを用意してきておられます。福山さんは「夕べは寝てしまったけど、肝心な決意表明だけは耳をダンボにして聞いていたぞ」と笑わせておられました。

 司会を買って出られた方の進行に基づき、まず凡人さんのヒゲの断髪式・・・出席者の一人一人が近寄って彼の見事なヒゲにはさみを入れていきます。彼は盛り合わせ寿司の蓋を手にして神妙な面持ち。左の写真はいずれも私がそれぞれにはさみを入れている場面ですが、凡人さんのヒゲは本当に固かったです。だからこそ見事に広がっていたのでしょう。全員がはさみを入れ終わった後、凡人さんは思い切りよくヒゲを剃ってしまわれました。

 次はマンモスさんの番です。ヒゲの場合は左の写真のように自分で飛び散るひげを受け止めればいいのですが、ポニーテールとなると毛が飛び散ってしまいます。福山さんの親戚の青年(実はこの方が、3年前に私が初めて闘牛を見た沖縄サミット大会で、新潟の牛に対して標準語で勢子をした愉快な方なのでした)のアイデアで、もう一箇所ゴムで止めてその間にはさみを入れればよいという、すばらしい提案がありその通りにしました。マンモスさんの髪の最後の断ち切りは彼のお父さんがやりました。断髪したマンモスさんの姿を見ると、髪はボサボサでヒゲぼうぼう・・・隣に座っていた方が「まるで落ち武者だ!」とポソリともらされ大爆笑。マンモスさんはついでにヒゲも剃ってしまいました。マンモスさんの髪の毛を丸坊主の頭につけてはしゃぐ青年にも爆笑し、一気に5歳ぐらい若返ったお二人の記念撮影をして祝勝会を辞しました。

 帰り道、tomohさんから誘われていたお好み焼き屋さんに立ち寄りました。そこには一度お会いしたことのあるFさんと、名牛黒天慶久号の元の牛主の息子さんのSさんがおられました。とにかく愉快な牛話・・・結局自制していた酒を再び飲む羽目になってしまいました。話の勢いで、Sさんのお父さんを呼び出すことになりおくつろぎの最中のSさんに来ていただきました。わざわざ来てくださったSさんと再び牛話・・・彼は今、黒天にも匹敵する牛を飼育しているとのこと。その牛に新黒天と名づけたいとおっしゃり、周囲の人たちが「それはあの名牛の名を汚すことになる」と反対され・・・にぎやかに盛り上がるうちに生ビールのジョッキを4杯も空けてしまいました。帰り道は名牛の元主であるSさんに送っていただきました。この日は緊張して過ごしましたから、前夜のような失敗はしませんでした。

 

 第3日目

 三日目の闘牛

 この日は朝からtomohさんが「明日から勤務が始まるから」と帰ってしまわれます。しかし、前夜のうちにFさんが平土野闘牛場までの私の足を確保してくれていました。昨日のH野さんです。でも70年生さんやマンモスさんが、「闘牛場までの足はありますか?」とわざわざ電話で確認くださり、かたじけないことこのうえなし!8時20分にH野さんが車で来てくださいました。途中ご自宅に寄って小学生の息子さん二人を乗せ、さらに親戚のお宅によって二人を乗せて走り出しました。車中、H野さんも小学生の頃闘牛の日はお父さんに連れられて闘牛場に通ったそうです。こうして闘牛ファンの父親が、息子たちと行動を共にすることによって、徳之島の闘牛は次の世代に引き継がれていくのでしょう。闘牛場に着くと、すぐに凡人さんやマンモスさんの座っているかぶりつきの席が目に付きました。早速そこへ席を構えて開会を待ちました。

 闘牛ではここに報告を書く必要がありますから、必ずペンを持って行き、あらかじめパソコンから取り込んだプログラムに勝敗と所要時間をメモします。用意をしていると目の前のマンモスさんの隣に座っていらっしゃる方が、マンモスさんに「ペンがないか?」とたずねておられました。私はペンを複数で用意していますから、「どうぞ!」と差し出しました。実はその方が丸ちゃんのホームページで時々お見かけするきなりょうさんだったのですね。聞けばマンモスさんときなりょうさんと、私を平土野闘牛場まで運んでくださったH野さんとは同級生だとか・・・40歳も過ぎて闘牛場で一塊になって闘牛を観戦する!それが徳之島なんだなあと思いました。

 正直言ってこの日の取組みが一番面白くない様に思っていました。結果が見えている感じの取組みが多かったからです。しかし、そんな侮りは見事に覆されました。試合にならなかったのは一つだけで、あとはすべて白熱戦でした。樟南ニ高成建号と飛龍号が30分闘って引き分けましたが、引き分ける時を初めて見ました。組み合ったままの牛の両角にロープを掛け、一頭にそれぞれ数名の人間がついてロープを引っ張って引き離すのです。これは後の伏線になるのですが、角があるからこそ引き分けられるという事。

 この日の呼び物は中量級チャンピオンと重量級チャンピオンの旗をかけた防衛戦でした。中量級チャンピオンは9連勝している基山一撃号に目下5連勝中の戦闘たかみち号が挑戦します。ただし、一撃は昨年の防衛戦で右の角が折れてしまい、左角一本で防衛を果たしたというつわものですが、人間で言えば片腕のボクサーのようなもの。いくら強いとは言っても通用するかどうかが見ものです。また重量級チャンピオンは福田喜和道号。この牛は17連勝中で、チャレンジする牛が徳之島では見つからなほど強さを誇っている牛です。今回は沖縄のチャンピオン牛をチャンピオンを返納してトレードしてきて、大福環境開発白タビ号としてぶち当てる事になっています。

 中量級チャンピオン戦になりました。先に入場してきたのはたかみち号。この牛はNHKの番組にも出た沖縄の玉代勢光代さんの牛だったようで女勢子の彼女も応援に来ておりとてもにぎやかでした。遅れて出てきた一撃号、左側の40cmもあろうかと思われる太くて前に湾曲した角に比べて、右のグラスファイバー製の角は少し短く青みを帯びておりました。少し見合った後直ちに角を合わせて試合が始まりました。話に聞いていた通り、一撃号は生きている左角だけを使って相手の角に掛け、たかみち号を柵際へ押していきます。たかみち号は首を捻じ曲げられたまま後退しては回り込み、また角を合わせて掛けられ押し込まれる・・・そんなことを3回ほど繰り返すうちに、一撃号の人工角はもうボロボロになってしまいました。1トン近い牛が激しくぶつかり合う前には、科学技術を駆使して作った人間のお手製の角なんて飾り物でしかないことを思い知らされました。

 4分ぐらい経ったころ、両牛動きを止めてにらみ合い、一撃号がここぞとばかりに渾身の力を込めて角を掛け押し込みます。あっけなく柵際まで持っていかれるたかみち号・・・この時でした。私の場所からは見えなかったのですが一撃号の左角までが根元から10cmほどを残して折れてしまったのです。たかみち号に押し戻されて土俵中央に戻った一撃号の左角はもうありませんでした。もう勝敗は明らかとなりました。ボクシングで言うならボクサーが両腕を骨折してしまったらもうサンドバッグのようなもの、ノックアウトが当たり前だからタオルが投げ入れられTKOでおしまいになるところです。ところが闘牛はそうはならない。一撃号の闘争本能には火がついたままです。折れて血を吹き出したまままだ頭をつけて相手のスキを伺います。会場のアナウンスも、初めこそ絶叫しておりましたが黙りこんでしまい、たかみち号の勢子の声と観客も子供の騒ぐ声が聞こえるだけで水を打ったような静けさ。一撃号は隙を見つけるのでしょう、何回も角を掛けようとするのですが角がない・・・私は周りの人に「何とか試合をやめさせられないのですか?」とたずねました。「引き分けにしようにもロープを掛ける角がないじゃないですか!」・・・納得です。

(左の写真の右側が一撃号です。角が10cmほどになって血を吹き出しております)

 13分頃からそれまで警戒していたように見えたたかみち号が押し始めました。決め手を欠いている一撃号はズルッズルッと下がります。そしてついに一撃号は体を引いて逃げました。何か自分が苦しんでいたようで、一撃号が逃げた時にほっとしてしまいました。そして胸が熱くなりました。歓喜に沸くたかみち号の陣営のワイドワイドの声を聞きながら、もうこの名牛・一撃号を土俵で見ることはないのだなあと感慨にふけりました。私は、名牛の名にふさわしい最期の試合だったのじゃないかと思ったし、その場に立ち会えたことを幸せに思いました。周囲で観戦していた人たちは皆さん幼い頃から闘牛を見て育ってきた方々ばかりですが、「すごい!」「一撃は化け物だ」「こんな牛見たことない」などと口々に興奮して話しておられました。

 去年マンモスさんの牛舎に白虎を訪れたとき、隣の池田牛舎に一撃は「関西一撃」と言う名でおりました。同行した虎鉄さんに連れられて池田牛舎を訪れ、彼から一撃号の闘牛としての角のよさ、下半身の強さなど体格のすばらしさを説明してもらいました。その時に、この牛が闘う姿を見たいものだと思ったものです。それから一年経って見ることが出来たのがこの試合でした。まず、残された左角一本で何度も押し込んだとき、「無くした機能を嘆くのでなく、残された機能を生かして使い切る」という老後のあるべき生き方を思い起こしました。牛が見事にそれをやっていたのです。そしてその生きた角さえ無くした後、人間が作った「闘志」とか「闘魂」と言う言葉を、牛である一撃がその通りやってみせてくれたのです。人間を感動させたのはそういうことだったのではないでしょうか。去年の「ぞうぐみ南ちゃん号」の大怪我をしながらも壮絶な戦いをして勝ち名乗りを上げた試合の後、「magarininさん、こんないい試合を見てしまったら、これから先どんな闘牛を見ても物足りなく感じますよ」と笑いながら言われたけど、あの試合以上にすばらしい闘牛でした。京都という遠隔地に住みながら、徳之島の人たちですらめったに見ることの出来ない試合を二つも見られた私は運がいいです。

 引き続き重量級チャンピオン戦が始まりました。これもチャレンジャーの大福環境開発白タビ号が福田喜和道号を待ち受ける形になりました。角を合わせた瞬間離れて、喜和道号が左を向きイヤイヤをするように首を振りました。そして二度目にガシッと角が当った瞬間、喜和道号の左角が根元から折れて血が吹き出しておりました。チャンピオンは直ちに敗走しました。わずか18秒の勝負でした。マンモスさんが「これが普通なんです。さっきの一撃が化け物なんですよ。」とおっしゃいました。

 以前から喜和道号は角がヤバイという情報は私のようなものにももたらされてはおりました。しかし、あの八重山酋長を5分も経たずに追い払った喜和道号です。彼を破るのは、彼が年老いるまでは出てこないかもしれないなどといわれるほどカリスマ性をもった牛でした。しかし、あっけなかった・・・いくらこれが普通だと言われても、ますます先ほどの基山一撃の壮絶な世紀に名を残す闘いを際立たせる結果となりました。

 闘いすんで・・・

 闘牛が終わったのが12時半を回っておりました。闘牛場まで連れてきてくださったH野さんは子供づれ、おなかもすくだろうし70年生さんが声をかけてくださったので甘えて車を彼の車に乗り換えました。そしてお願いして闘牛場近くの29年生さんの持ち牛「東和白タビ号」のいる牛舎に連れて行ってもらいました。29年生さんとは昨年の徳之島で70年生さんと行動している時に偶然出会って以来、宇和島や沖縄にご一緒して闘牛を見に行く仲です。70年生さんもあれから「東和白タビ号」の牛舎には何回か訪れておられるようでした。

 初めて見る東和号・・・大きな牛でした。上背があるというのか背中が高い!1トンを越える牛で「稽古相手がいないのです」と世話をしておられる29年生さんの従兄弟さんがおっしゃっていました。まだ5歳ちょっとで若い牛ですが、デビュー戦間近なのは確かなこと。稽古相手を見つけてどんどん練習しないと闘牛になりません。以前から29年生さんが「牛を見ると上に乗ろうとするんです」と嘆いておられました。しかし、従兄弟さんによれば「この間川田牛と稽古させたら乗ろうとせずにちゃんと闘牛してました」とのこと。良い相手が見つかってほしいものです。(東和白タビ号の向こうに見えるのが徳之島で有名な「寝姿山」です。)「タンカンはまだ早いけど、どうぞ持ち帰ってください」と言われて庭のタンカンをいくつかいただいて牛舎を辞しました。29年生さんにホテルまで送っていただきました。

 その帰り道に70年生さんに電話があり、マンモスさんとタカさんが一緒に飯を食おうとホテルの前で待っているとのこと。この辺りが島人の優しさです。70年生さんはご家庭で用事があるからと別れ、三人で遅めの昼食を食べました。沖縄のラーメンはソーキソバに押されるのか、少し違った感じがします。護佐丸さんが連れて行ってくれた手打ちラーメンは美味しかったけど、メニューが違いました。しかし、徳之島のラーメンは内地と一緒でした。前夜Sさんとお会いして、みんなに名牛の名前をそんなに簡単に使うなと言われていた「新黒天号」(仮称)を見せていただく予定でしたが、Sさんの親戚の牛が今日は勝ったから祝勝会で忙しいだろうとのマンモスさんのお話があり、Sさんに電話で「勝手に見せていただくから」とお断りをして、マンモスさんに連れて行ってもらいました。なんと福山牛舎のすぐ近くにおりました。どなたも居られないから、写真だけ撮らせていただいてホテルに戻りました。

 夜のまるちゃんの私を歓迎するオフ会までシャワーを使い体を休めるために昼寝をしました。夜の会が8時からなので、初めてホテルの夕食を食べました。料理屋が付属しているホテルですから値段の割りに美味しい夕食で、生まれて初めて夜光貝の大きな貝殻でアオサと夜光貝の身を煮ながら食べるという郷土料理を食べました。そんなに美味しいとも思わなかったけど、感激でした。

  「黒糖焼酎をたらふく飲む会」

 8時に20分ほど前に70年生さんが迎えに来てくれました。ホテルから10分ほど歩くとその店がありました。今日のこの会はうちのリンク先である「まるちゃんのホームページ」に集う人たちの集まりです。着くとすでに去年「南ちゃん」の取組みを隣同士で観戦したジミーさんが来ておられてまるで自分の店のようにして甲斐甲斐しく世話してくれていました。先ずはビールで先に来た者から飲み始めました。料理はこちらと同じ揚げ物がメインです。長寿の島と言われるけど、こんな私たちと同じような揚げ物中心の食事をしていてはこれからの長寿はどうなるのだろうかとふと思ってしまいました。(帰ってから朝日新聞の記事で同じことが書かれているのを発見!私の直感は私だけの物ではなかった)

 集まってくださったのは70年生さんとジミーさんのほかに牛吉さん・奥村農園の奥さん・きなりょうさんのお兄さんでした。ホストのまるちゃんは、お正月は本職(イベントの企画・運営・司会業)が忙しくてこの日も高齢者のお祝いの会があって到着が遅れていました。宴もたけなわになったので「皆さんに鳥取からお年玉を持って来ました」とホテルからリュックに入れて担いできたあたご梨を思い入れたっぷりにさぐりながら「お年玉は無し!」と言いました。皆さんは「なし?」などと言いあっている前に「ハイ梨です!」と差し出しました。徳之島はトロピカルフルーツの島ですが、北の方でとれるリンゴや梨も皆さんお好きなようです。特にこの時期梨は珍しいらしくてとても喜んでいただけました。

 そんなことをしているうちにまるちゃんが「遅くなってしまいました!」と登場。梨の話をしてまるちゃんには今日の席を思いついてくださったお礼に梨を二個差し上げたら、じゃあお返しにと「徳之島メロン」をいただいてしまいました。これこそまさに『エビで鯛を釣ってしまった』のです。後日帰った後、娘の家族も一緒にいただきましたが、もう本当に強烈に甘くて美味しかったです!島人もめったに口にされないであろうメロン、本当にありがとうございました!

 ジミーさんが「黒糖焼酎は美味しいけど、酔っ払うと記憶がプッツリ切れるから怖い」と言う実感のこもったお話・・・私の財布騒動を持ち出して私の記憶プッツリの説明をしたり、この日の闘牛のすごかった話をしたり、きなりょうさんのお兄さんが「闘牛は見ません」とおっしゃりつつすごく闘牛に詳しいのに驚いたりしているうちに3晩連続で飲みすぎていますから、正直に眠たくなったことを告げて引き取らせていただきました。きなりょうさんのお兄さんが、ホテルまできっちりと送ってくださいました。下の写真にはまるちゃんが抜けています。彼が登場する頃はすっかり酔いが回っておりまして、撮りそこないました!


第4日目

 一日目の失敗があるだけに、毎朝目が覚めた後が不安でした。「昨夜、何か失敗してないだろうか・・・」というわけです。しかし、いくら酔っ払って帰っても風呂に入り歯を磨いて翌日の用意をしてベッドに入っていたようで、一時は「もうひとり旅は止めようか」と思ってしまったほどの失敗はなかったです。朝食をとっていると、後から基山牛舎の法被を着ておられる方が入ってこられました。初対面だし勇気は要ったけど思い切って声をかけました。東京の方で、基山さんの息子さんと牛を持っておられる牛主の方でした。「今日出場するクロフネというのが私の牛です」とのこと。さすが昨夜は基山さんの牛舎は落ち込んでおられたそうです。「今日は頑張ってくださいね、応援しますから」と別れました。

 荷物を整理してフロントで手続きをして待っていると、マンモスさんがタカさんと一緒に迎えに来てくれました。途中この二日間の闘牛ビデオを買い求め、この日の闘牛会場「東目手久闘牛場」に着きました。この日は横綱戦で去年の1月4日の名勝負の勝ち牛「ぞうぐみ南ちゃん」が「ピカピカの一年生南ちゃん」として出場し、負け牛に回った赤鷲号が大関戦の前に出場します。この取組みがあったから3日に帰宅する予定を一日延期したのです。なお、『ぞう組』が『ピカピカの一年生』に変名しているのは、お分かりのように牛にご自分の娘さんの名前をつけていらっしゃるのですね。来年見に来れば『2年生』になっているはずです。

 まず封切り戦でアクシデントが起こりました。開戦間なしに「清龍号」に追われた「みずほ花形号」が柵に追い詰められ、みずほ号と柵の間に若い勢子が挟まれたのです。挟まれたというよりみずほ号にぶつかり激しく柵に叩きつけられた上にみずほ号が乗ってきたという感じかな。930kgの牛にぶつかれば吹っ飛んでしまいます。彼は気丈にも立ち上がり、柵の外へ出るなり動かなくなりました。後で聞くと肋骨にひびが入り、内臓が少し腫れているが生命には異常がなかったとのことでした。正直言って、死ぬまでに一度勢子をして見たいなという思いがチラリとはありましたが、この事故を見てきっぱりと諦めがつきました。自分の死期を早めるだけですわ!

 4試合目がマンモスさんのお住まいの地区の牛で親しくしていらっしゃる戦虎猛撃貴坊号の出番でした。名前の「貴坊」君は中学3年生だそうで、もう「貴坊」でもなかろうけど素敵な勢子をしてくれました。勢子と言えば真剣な顔つきか、怖い顔つきで腹のそこから声を振り絞ってやるのが普通です。勢子によっては恐ろしげな目つきで相手牛をにらみつけ、相手の牛に威圧感を与える役目を果たす人もいるそうです。しかし・・・貴坊君はちがいました!ずっと笑顔なんです。闘牛するのが楽しくてしかたないというように、ニコニコしながら自分の愛牛に声をかけ励ましています。それで牛が負けてしまったら「ニヤニヤしているからだ」となるでしょうが、50kgほども重い相手牛「仁木組従業員号」を5分20秒で負かせてしまったのですから!闘牛は楽しく笑顔ででもやれるものなんですねえ!とてもさわやかな印象を受けた一番でした。

 7試合目の「作山宝信1号」というベテラン牛が、荒技速攻の新進牛「悪坊屋号」を貫禄で下した一番の後、朝食堂で牛主と声を交わした「クロフネ号」が余裕で「松原若力」を下しました。食堂で出会った方が牛の背中に乗って凱旋のトキの声を挙げられたのですが、生まれて初めてなのでしょうか・・・腰がゆれてびくびくしておられたのが愉快でした。クロフネ号はこれで5連勝ですからこれからの牛としてさらに伸びていってほしいものです。昨日の悲劇に涙した基山牛舎の将来を担う牛になってくれればと思いました。次の取組みは「虎鉄」と名のついた牛でした。私が闘牛の師と仰ぐ虎鉄さんと同名の牛で注目していましたが、3分で負けてしまいました。虎鉄さんはご自分の名前を商標登録しておくべきです!(笑)

 次が注目の赤鷲号と川田牛号の戦いでした。29年生さんからも虎鉄さんからも「川田牛には注目して置くように」と言われてきました。また川田牛の関係者がうちの掲示板にカキコしてくれたこともあり、当然川田牛を応援しておりましたが、赤鷲のベテランぶりと川田牛の若さが際立った展開を見せ、大きな見所もなく4分もかからずに川田牛が敗走じてしまいました。マンモスさんによれば、筋肉の質が硬いように思うというようなことをおっしゃっていましたが・・・

 そして最後が「南ちゃん号」と「天神無双」の取組みです。去年赤鷲に腹を突かれ大怪我しながらも大方の予想を裏切って勝ちを納めた南ちゃん、怪我をしたショックを引きずって出場してきたのか、それともあの根性は本物だったのかが確かめられる一番です。南ちゃんの根性は本物でした。今回も柵際に追い詰められても回りこみ、根気強く戦い続けて15分で天神無双号をしとめました。このような根性のある牛は安心して見ておれますね。

 闘牛が終わって当然のようにマンモスさんとタカさんが空港まで私を送ってくれました。そして、何もお願いしていないのに「少し時間があるから」と今回の徳之島旅行で唯一の“観光”をさせてくれました。場所は「犬の門蓋」という奇岸です。琉球石灰岩が波の浸食を受けて作り出した変わった光景でした。足元の岩は秋芳洞の千枚皿のように何枚ものお皿が連なる不思議な形になっておりました。30年ほど前、徳之島が新婚旅行のメッカだったころ、通路から外れて歩いていた新婚さんが深くえぐられた穴に落ちて亡くなってしまった鎮魂の観音像が立っていました。

 空港で一緒に昼食をとり、お二人とお別れしましたが今回の徳之島でも島人たちの温かい心に触れ本当に充実した3泊4日の旅行を送ることができました。春のような気候の徳之島を4時過ぎに10分遅れで飛び立ち、5時半に真冬の伊丹空港に降り立ちました。
 
終わりに

 今回の旅行記でまだ書き足りない思いがしているのは福山ファミリーのことです。まだお若いのに6男1女の7人の子持ちでいらっしゃる。元日の夕方、初めて牛舎を訪れたとき、お父さんの福山さんは牛舎に積まれた板の上にあぐらをかいて、まるで牢名主の雰囲気!お父さんは私たちとお話に夢中になっている間も上3人の男の子たちが手際よく牛の世話をしております。それが繁殖牛もふくめると30頭以上もおりますから、大変です。これが作業所なら、「何ぼんやり立っているんや、みんな働いているやろ?」などと叱責したりなじったりの声が飛び交いますが、福山ファミリーの子供たちにはそんな必要がありません。上の子だけじゃありません。下の女の子は赤ん坊のオムツが濡れたと見るやお母さんに報告するのじゃなくてさっさと自分で代えてしまいます。幼子たちが自己判断を下し自己決定をしているのです。彼らが闘牛のことしかしてないのかというと決してそうじゃない・・・小学校に通う上三人は剣道をやっており、徳之島大会で優勝するような立派な少年剣士でもあるのだから驚きです。

 彼の子供たちが、今流行の「ヒッキー(引きこもり)」になったり「ニート」になったりする心配はないだろうと思いました。親と子供がお互いの立場を思いやりながら暮らしているようで、宴会の席でもビールや焼酎を持って客の間を「どうぞ!」と注いで回る姿・・・お父さんは別室で酔いつぶれているのに・・・その姿は決してイヤミな感じやオマセな感じを受けませんでした。「うちの牛を応援してくれる人たちだ」と大切に思って接待してくれていました。お年玉を上げたときのはにかんだような顔つきは、都会の子に見られない純朴さでした。あれはやっぱりお母さんが偉いんでしょうね。控えめで質素で、でも芯の強そうな・・・私はいっぺんに福山ファミリーのファンになってしまいました。

 私が闘牛に魅せられるのは、確かに牛の闘いも面白いけど、闘牛にまつわる人間関係の気持ちよさが一番の原因のように思います。自分の牛を勝たせることが一家の課題となり力をあわせることに何の疑問も感じず、暮らしている姿は私の子供のころと重なります。

 福山ファミリーのところには年末からテレビクルーが入り込み取材をしていたそうです。2日の闘牛当日にも東京から取材が入って白虎の取組みの一部始終をカメラに収めておりました。番組の名は『銭形金太郎』だそうで、一月中の同番組で放映される予定だとか。テレビの舞台回し役は東貴博さんだそうです。日にちが決まりましたら掲示板にも報告がありますのでどうぞご覧になって私の書き足りなかった部分をお確かめください。なおDVDにも録画しますので、見損なった方はご連絡くだされば送ります。

 長文は駄文になりがちです。なのにここまでお読みくださった方々に感謝します。

《バーチャル闘牛後援会表紙に戻る》