| 徳之島闘牛観戦記を中心に 『結』の島・徳之島紀行 (06年10月13〜17日) |
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| 福山雄也君に引かれて、白虎堂々の入場 |
| ・・・初めに・・・ |
過去2回の徳之島行きは、闘牛の観戦だけを目的としておりました。しかも2回とも正月の全島一を決める大会の観戦でした。徳之島の闘牛は、正月と5月の連休と10月の年に3回、全島一大会が開かれます。中でも正月が一番盛り上がるという話だったからこのようになりました。観戦の中心は、闘牛に関心を持ち始めて間もなく知った『琉球白虎』でした。 それが今回、10月の全島大会で中量級の旗をかけて闘うというのだから行かないわけにはいきません。この正月に、中量級チャンピオンだった『基山一撃』が両角が折れるというアクシデントに見舞われてチャンピオンの座を奪われた・しかし新チャンピオンが旗を返上して沖縄に渡ったため、チャンピオンの座が空位になっている、それを白虎が『藤野組竜拳美龍』という牛とチャンピオンをかけて争うという展開なのです。去年の正月のデビュー戦でケンカをせずに敗れた一敗の後2連勝してのチャンスですから、ある意味非常に運の良い白虎だと言えましょう。 今回の闘牛にはもう一つ見所がありました。私が闘牛を初めて見た時、沖縄では『あかりパンダ』と『東昇皇龍』ともう一頭『八重山酋長』という3頭が三竦み(ミスクミ・ジャンケンのグーチョキパー)状態で横綱を争っていました。そのうちの一頭、私がなんとなく好きになってしまった八重山酋長が重量級のチャンピオンに挑戦するというのです。彼は18歳ぐらいだと聞きました。人間で言えば70歳をはるかに越えた年齢です。私にとっては「そんなお爺さん牛が本当に闘牛をするのだろうか」という見所でした。 闘牛に加えて、今年はぜひ訪れたいところが2箇所ありました。だから滞在日数を足掛け5日に設定しました。一箇所は、この春先、端境期のために作業所の野菜がなくて困っている時に、気温の高い徳之島からジャンボインゲンやニンジン、ジャガイモなどを送ってくれ、助けてくれた奥村農園に行きたかった。もう一箇所は、今年の3月25日に京都の西山体育館で開かれた「西日本小学生バレーボール大会」に徳之島の神乃嶺小学校の女子バレー部が参加資格を獲得してやってきました。遠隔地から来るため、サポートさせていただいたのですが、あの子どもたちと再会したかった。 忙しい作業所から抜け出すために、白虎の中量級挑戦が決まった夏の頃から「この日は休む!」と10月の13日からの休みを宣言し、カレンダーにも赤で書き込みました。日が迫ってくるにつれ、仕事が入り込み事の重大さが明らかになって来ました。だいたいが帰着予定の17日が作業所だよりの発行日であり、野菜便りの発行日であり、注文票の配布日でもあるのです。12日までにそれらをすべて仕上げておかねばならないのに、12日には中学校の運動会弁当37食という仕出しの仕事が入ってきました。その前の、7・8・9日は連休ですから仕事が出来ません。10日と11日で、上記の3種類に加えて弁当の口上書と、16日からのスケジュール表まで5種類のプリントを仕上げてやっと徳之島に向かうことができました。ついでに言うなら、帰った日の翌日は特別養護老人ホームでのラーメンの仕出しが待っているという設定での旅行だったのです。 |
| 第1日目(10月13日) |
徳之島は遠かった! 朝、10時の飛行機に乗るために、搭乗手続きの時間などを見込んで7時45分のバスに乗りました。飛行機は伊丹を無事10時に出発し鹿児島には11時過ぎに到着したのですが、そこから徳之島行きの便が出るのが2時過ぎ・・・3時間ほど鹿児島空港で待たされました。鹿児島市内へ行くにもタクシーで1時間です。昼食をとってレジで金を払いながら「何か時間つぶしの方法はないですかね?」とたずねたら「どうしようもありませんな!」と笑われてしまいました。 結局8時間近くかけて3時過ぎに徳之島に着きました。これじゃあ、外国の韓国や台湾の方がはるかに近くて便利ということになります。おまけに旅費だって旅行のカタログを見ると半分ぐらいの費用で行けますからねえ。 ![]() 徳之島空港から1kmほどの所に、関西闘牛会の“あたいチュウ”さんの今は無人のご自宅があり、そこに彼が徳之島で乗り回す車が置いてあるのです。今回は「どうぞ使ってください」と言ってくれたのでお言葉に甘えることにしました。それがまた中途半端な距離だし、タクシーを止めて歩き出したらずっと上り坂!私の滞在中連日29〜30℃あり、しょっぱなから汗びっしょり!ランニングシャツの上にカッターシャツ(薄手のジャンパーはバッグに入れました)の私は、もうフラフラ状態で車にたどり着きました。 空港でもらった白黒コピーの全島道路マップを見るけども文字がつぶれて訳が分からない。まあ、夜まで時間があるから遠回りして、島の西側を半周して行こうと決めて走り出しました。過去2回の経験がありますから、知った道です。泉重千代さんの銅像の場所を通りながら「カックチ窯はこの辺りだったなあ」などと分かりました。小さな島とは言え、ホテルまでは1時間ほどかかりました。 神之嶺小学校女子バレー部との再会 ホテルで一息入れてから、3月の段階でバレー部の世話役をしておられた沖さんに電話しました。5時半にバレーボールの練習が始まるというのです。そうしたら、ホテルが見える現場で仕事中だから、帰り道に迎えに来てご一緒しましょうと言ってくださいました。 沖さんに案内されて体育館に着くと、子どもたちはすでに練習中でした。私に気がつくと、練習を中断して体育館の入り口に全員が集合し、春の私たちのサポートのお礼を言ってくれました。7時までの練習で、その後は剣道部が8時まで、さらに社会人バレー部が8時以後の体育館を使うスケジュールなんだとか!まさに社会資源の有効利用ですな。彼女たちすごく上手くなっていました。特に6年生のエースアタッカーとセッターはたいしたものでした。中学生のバレーボール部でも頼りにされそうなスピード感と正確さ。それに5年生たちもそれぞれに力をつけておりました。 ![]() ![]() ![]() 彼女たち、郡の大会で優勝し、今は11月の下旬に開かれる県大会に向けて特訓中なんだそうです。見学しているうちに指導者が次々と増えてきました。京都でもお見かけした監督の先生。それに製糖工場に勤める社会人の方。最後に現れたのが教頭先生・・・この方が練習の実質的な中心メンバーとお見受けしました。それからは低学年の部と中学年の部、それに県大会に出場予定の子どもたちの部に分かれて激しい練習。特に県大会出場予定組みの練習はハンパじゃなかった。敏捷さを要求し、前に後ろに加えて左右に落ちるボールを拾い捲る。とても小学生の練習じゃない。左側3枚のうちの2枚がそれです。私は思わず隣の沖さんに「これはイジメですよ!」・・・沖さん苦笑しておられました。 ![]() 低学年の子どもたちの真剣な目つきが可愛かった。3枚のうちの右端のがその場面なのですが、ボールを投げてもらうとき、目をきっと開いて口を閉めて真剣そのもの。彼女たちに聞くと、やっぱり「早く県大会に出られるようになりたい」ときっぱりと言い切っていました。また、途中で休憩が入るのですが、その低学年の子どもが必ず私にも冷たいお茶を運んでくれました。幼い子によくある、ニッと笑って突き出すのではなく、にこっと笑って「どうぞ!」とやってくれるのですから、しつけも行き届いておりました。 沖さんのお宅で 練習は7時過ぎまで続きました。後の練習の剣道部がとっくに集まって、防球ネットを隔てた舞台の上で素振りの練習。京都でお見かけしたお母さんたちが次々と迎えに来られて、にぎやかに帰って行きました。私はそのまま沖さんのお宅へお邪魔に上がりました。大きな座卓が三つ連ねた部屋に案内され、ビールと奥様手作りの郷土料理をご馳走になりました。しかし、出される量がむちゃくちゃ多い!こんなにたくさん誰が食べるのだろうと思っていたら、先ほどお別れした先生方やバレーボールの仲間たちが、みんな家族連れで「こんばんわ〜」とやってこられました。 ![]() ![]() いや、時間が7時に近づくにつれて不思議でならなかったのです。真っ暗になっても子どもたちの練習に付き合う先生方や保護者の方々、いったいご家庭が大丈夫なのかと!その疑問が一気に氷解しました。つまり、バレー部を中心に家族ぐるみのお付き合いをされているのです。先生のお嬢ちゃんはバレー部の子どもたちにとっては妹のようなもの。だから安心してバレーの練習に励めるのですねえ。 しかし・・・次にまた疑問がわいてきました。こうして、子どもたちの家にやってきてお酒を飲んで料理を食べる先生方です。しかも教頭先生までが!こんなこと都会でやればたちまち近所のうわさになり、教育委員会にたれ込みされて・・・そんな心配はないのかと沖さんにおたずねしました。一笑に付されました。「飲ませたから・食わせたからと言って、見返りを期待するようなことは何もありません。ここで独身時代をすごした先生(実は島本町の中学校におられます)、アパート借りていながら毎晩うちで泊まっていましたよ。(部屋の隅のベッドを指差して)このベッドはあの先生のために買ったベッドです」・・・都会の教育界の物差しでは目盛りそのものが違うから寸法が測れません!その後、今は島本町におられるその先生の、良い意味での蛮行で座は盛り上がりました。 ![]() また沖さんのご一家がその昔全島一の闘牛を持っていらっしゃったことについてもお聞きしました。その牛の最後の闘いは、今なお徳之島の観光ポスターに使われているし、福田喜和道号の牛舎前の銅像にも使われているとの話でした。その後、ラーメン屋さんの壁にも件のポスターが貼ってありましたし、訪れた闘牛資料館にもやはり展示してありました。左の画像のような構図でしたが、この画像には左側の牛の勢子が写っていませんので自信ありません。でも、こんな風に、徳之島の伝統的勢子の写真でした。 夜も更けてきましたので、お酒を飲まない沖パパさんの車でホテルまで送っていただきました。初日からやたら濃い一日でした。 |
| 第2日目(14日) |
朝の散歩 この日は夕方の6時から明日の全島一大会の前夜祭という形で軽量級のチャンピオンをかけた闘牛があります。神乃嶺小学校の皆さんから「14・15日は闘牛ということにして、外の日は闘牛以外で過ごしてくださいね」なんて言われ、なるほどそうだなとなんとなく納得しておりました。 いつもよりも30分ほど寝坊して、犬の散歩の必要がないからのんびりしていたら70年生さんから電話。「ホテルの近くに来ているんだけど一緒に歩きませんか?」のお誘い。喜んで彼の休日ウォーキングに同行させていただきました。犬と一緒に歩くと、去勢したオカマ犬でもマーキングがありますから、休み休み歩くのですが、70年生さんは人間ですからマーキングしない・・・当たり前だ!・・・なかなかハードな散歩でした。去年の財布事件を思い出すコースを歩いて福山牛舎に行きました。牛舎には誰もおらず鍵もかかっていたので生産牛しか見ることができず、「さすが指物師(福山さんの本職)だなあ、頑丈に作ってある」などと言いながら開いている戸はないものか、ガタガタやっていました。これが街中なら完全に不審者です。隙間から白虎を狙って写真を撮ったら、全然違うパンダ牛が写っていました。その後、今は使われていない亀津の闘牛場に行き、ハブが出そうな茂みに恐れをなして写真だけ撮り、前田村清さんが土地を寄贈して区民が力をあわせて建てたという南区公民館を見てからホテルの前で別れました。 ![]() ![]() ![]() シャワーを浴びて朝食を済ませてから、ホテルのすぐ横でこの日と翌日開かれる『ワイド祭り』の準備が進んでおりましたので見学。大きな舞台の正面には高校生の描いた徳之島の風物と闘牛の絵が。中心になって取り組んでおられるまるちゃんを探し出して、ご挨拶。その大きな絵を背景に写真を撮ってもらいました。人口3万人の島のどこにこんなエネルギーが潜んでいるのかと不思議に思うほどの大きなイベントが着々と準備されておりました。 岩獣を求めて その後再び70年生さんと会い、彼の車で徳之島巡り。本当におせわになりました。まず、徳之島で有名な写真家「加川徹夫」さんの『闘牛名場面100選展』を見学しました。私は沖縄の尚武牛舎にいた『岩獣』が、護佐丸さんとあたいチュウさんの仲間牛になって先日徳之島に渡っているのを聞いておりましたから、ぜひとも岩獣に会いたいと思って70年生さんにご案内をお願いしたのです。ですから、この日は牛舎巡りがメインのつもりでしたが、70年生さんは「島に住んでいると観光地なんていつでも行けるわと思ってあまりよく知らないんですよね」なんて、初めてお会いした時に徳之島観光がいつのまにか牛舎観光になってしまった一件を気にしておられました。いいんです!今日は牛小屋回れば!(笑) ![]() ![]() ![]() 岩獣の牛舎を探しながら、ついでに去年の正月、赤鷲を相手に劇的な闘牛逆転劇をやってのけた『南ちゃん』の牛舎をのぞきました。留守番の若い人しかおらず、写真も遠慮してしまいました。また、カックチ窯の鈴木さんのお宅を訪れたけどお留守で、息子さんに電車のオモチャのお土産を置いて帰りました。それから岩獣の牛主のあたいチュウさんに電話して、関西闘牛会のMさんが場所を知っていると聞き出し、飛行機の一便で到着するらしいMさんを迎えに空港に走りました。なんと、空港には明日のに闘牛を控えた重量級チャンピオンの牛主と、挑戦牛の牛主と挑戦牛が「八重山酋長」だった時の牛主を見かけました。まさに空港は“呉越同舟”でしたなあ。 Mさんが黒いスーツでピシッと決めて降りてこられました。早速岩獣の場所をおたずねするとなんとか言う公園の近くだとか。私には分からなかったけど、70年生さんには分かったようで、本当ならここでMさんを拉致して岩獣の牛舎に行けばいいのですが、Mさんにもお出迎えがあったのでご遠慮して私たちだけで牛舎を探しに走り出しました。球技場のような公園までたどり着き、それを右に見て走り出したけど見つからない。徳之島は地図上で見ると小さな島ですが、実際に島内の内部に入っていくと起伏にとんだ地形が奥まで続き、広い島なんだなあと実感します。結局見つかりませんでした。申し訳なさそうにがっかりする70年生さん、しかし、私はまだ明日も明後日もありますから、どなたかが連れて行ってくれるでしょう。すまながる70年生さんがお気の毒でした。 気を取り直すようにして「まだ時間があるから」と70年生さんがジミーさんに電話してくれました。即刻彼の家に押しかけることになり、車を走らせました。彼がまるちゃんのホームペ ![]() ![]() ージで「プライベートビアガーデン」と言っている海岸に車を止めると、家から出てきたジミーさんが手を振っています。早速家に案内されました。「秋の風情を楽しむために、枯葉を散らしておきました」なんて掃除してない玄関を上がると、気楽な一人暮らしの一軒家。相変わらず愉快で楽しいジミーさんでした。(写真は左から枯葉を散らした玄関・ヒマなときをつぶすダーツ・シャツを着せてもらった椅子) ジミーさんにはビールを一本ご馳走になって辞しました。運転してくれた70年生さんはコーラのみ!なおジミーさんは、私たちが帰った後も飲み続けてしまって、夜の白虎の前祝には来られませんでした。 ![]() ![]() 一休みしてから、沖縄から到着する船が予定の亀得港の海が荒れているために、北部の平土野港に着くことになり、70年生さんの車で沖縄のターカさんとOさん港に走りました。Oさんはターカさんの竹馬の友で最近闘牛にはまりつつあると言う初対面の方でした。港でドアの開いたコンテナの中を見ると、見慣れたペットボトルのお茶の箱などが詰め込まれていました。なるほど、徳之島には業務スーパーなど安売りの店がないわけです。ほとんどの商品が船で運ばれて船賃がかかっているためダンピングの商品がないのです。神乃嶺小学校の皆さんが、例えばスポーツドリンクの関西での値段を見て驚いておられた理由が港に来て再確認できました。 同じ船で沖縄のネット仲間・万吉さんも着かれたらしく、私たちの車の前を走っておられました。彼は、白虎の団扇を作って持ってこられ、その中に私の作業所の広告も載せておられるようなんです。今回その団扇をいただくことになっております。 闘牛前夜祭 6時から東目手久闘牛場で軽量級のチャンピオン戦が開かれるので、ターカさんたちの荷物をホテルに降ろしただけで、そのまま闘牛場に走りました。会場に入ると、真っ先に万吉さんが挨拶に来られました。見れば、さすが万吉さん、かぶりつきの席にカメラを据えておられました。しばらくすると4番目の取組みの『勝進嵐大』号がトラックで搬送中トラックから落ちて怪我をして、出場不能という放送がかかっておりました。この日は8番しかない取組みなのに、見られる闘牛が7番に減ってしまいました。何か損をしたみたい・・・しかし、トラックから落ちるというのがどんな状態で起こったのでしょうか、めったに起こらない事故です。 封切り戦は大剣の勝利、1分以内にけりがつきました。徳之島は長い間雨が降っていないらしく、牛が動くたびにもうもうたる砂埃がたちまして、試合の合間に水をまくのですがこのホースが家庭用のちゃちなもの。しかも水圧が低いらしくホースの先からはチョロチョロと水が出ています。まさに焼け石に水!消防のポンプ車でも持ってきて、ザーッと撒かないとどうにもならない状態が最後まで続きました。 二戦目は元沖縄の軽量級チャンピオン『竜士パンダ』が徳之島の樟南第二高校の闘牛文化研究会(そう、徳之島の高校にはこんなクラブがあるんです!)に移って来て『樟南二高パンダ号』として『2年B組愛ちゃん号』と対戦。竜士パンダ号時代を知っていますから、どんなケンカをするのか楽しみでした。これまた4分あまりで樟南二高が勝ちを収めました。ここでお断りしておきます。闘牛の取組みというのは、どの牛主の方にとっても重大なものであって、“たいしたことのない取組み”というのはどの一番をとってもありません。牛主の方や周りの応援団の方にとっては長い間心血注いで育て、調整してこられた“ここ一番”なのです。そのことを十分分かりながら、その全てを解説することがこのページの使命ではないので、次に進ませていただきます。 5番目に「一の矢」という名前の牛があり、一の矢と言えば徳之島出身の最高齢の現役相撲取り。朝日新聞全国版でも取り上げられたことがある名前です。どんな牛だろうかと楽しみにしていたらあっけなく負けてしまいました。「どうしたのですか?」と周りに尋ねたら、相手牛が見つからず当て馬のようにして組まれた番組なんですとのこと。そういえば同じ伊仙町の牛でした。どことも牛の数が減っているのですねえ。しかし、「一の矢関」の名前をこんなところで使ってほしくなかった! ![]() 最後の取組みが始まる頃はまだやっと7時を回る頃でした。一番が事故で取り消された上に、どの取組みも5分以内で決着がついてしまい、何かあっけないし入場料に払った3000円がもったいない気持ちすらしてきました。最後が軽量級チャンピオン・『タキネトガイ』号と『8・8ボーヌ将也』号の取組みでした。これが見て面白くない取組みなら、本当に損をした気分になるところでした。タキネトガイはこの正月にその闘いぶりを見ております。ネット上でも評判が高く、確かに角の使い方の上手い牛です。しかし、最近体調不良がネット上で伝えられ、どうなっているのか心配でした。対戦相手の8・8ボーヌーも全勝街道を突っ走ってきた牛。闘牛界の耳目を集める闘いでした。 相変わらず角さばきの上手いタキネトガイでしたが、ボーヌもそれを交わしては回り込もうとします。互角のまま10分、しかし、タキネトガイの方が呼吸が荒くなっていたのはやはり体調がよくなかったのでしょうか。タキネトガイの長期戦の経験は16分30秒だとか。8・8ボーヌは28分を経験しております。12分過ぎてから動きが激しくなりました。角を掛けて相手の動きを封じながら隙を見て相手を捉えたいタキネトガイなんだけど、以前のような力強さが見られず持て余したような感じ。再びこう着状態に陥りました。20分過ぎて突然状況が変わりました。8・8ボーヌが攻勢に出たのです。それまで一方的に角をかけられることが多かったボーヌが離れて突きを見せた後回り込み腹取りに出てタキネトガイが敗走。2期中量級チャンピオンを勤めたタキネトガイがその座を明け渡しました。技ではたえず優位に立ちながら、未経験の20分超の対戦に体調も重なってのことだと思いました。 ![]() ![]() もう一つの前夜祭! 次はもう一つの前夜祭がありました。そう、白虎の前祝です。牛主のマンモスさんのお宅で開かれると聞いて、70年生さんの軽自動車に4人乗りで走りました。会場に着くとすでに宴は始まっておりました。白虎のファンやご近所諸田の皆さんが30名以上、広い座敷に溢れんばかりに座っておられました。私の座った真正面に奥村農園の奥様が座っておられ、にこやかに会釈されました。 実はこの席に、私は知らないけど彼は私を知っていてくださるユンタンジャさんが同席しておられました。彼に以前闘牛の厖大な資料を送っていただきながら、よくわけが分からぬまま放置しておりました。もちろん、資料の内容は濃くて、龍騎さんからお借りしている前宮さんの『沖縄の闘牛』と重ね合わせて読み、とても参考になりました。しかし、どのようにお礼を言っていいのか戸惑うばかりだったのです。この席で本名を明かされご挨拶をしてお詫びを言うことができました。「お仕事は?」「ハイ、水商売をやってます!」「ハァ?ああ、そうなんですか!」「Y村の水道課に勤めております。」と、そんな軽妙な会話のできる方でした。ちょいと深酒するのがお好きなのか、この後深夜になるのに「もう一軒行こう」と誘われ往生しましたが・・・笑 宴を辞してホテルに帰り着くともう日付変更線ギリギリでした。 |
第3日目(15日) |
いよいよ・・・ 「全島一・中量級優勝旗争奪戦」が午前10時から開かれる日です。この朝は、ホテルの一階のレストランで近くに泊まっているターカさんや諸田から駆けつけたマンモスさんと朝食をとっている時にスコールのような雨が降りました。徳之島では長い間雨が降ってないとのことで、昨夜の砂埃がモウモウと舞い立つ闘牛場も今日は見やすくなるだろうと思われる良いお湿りでした。 ホテルから70年生さんの車とあたいチュウさんにお借りした車の二台で東目手久闘牛場に向かいました。70年生さんが先導して裏道のサトウキビ畑を走ります。絶対に交通渋滞がない道です。9時半に着いて、ネット仲間から応援してくれと依頼されていた『手々青年団荒磯号』のつなぎ場を探し出しご挨拶。徳之島を去る日に手々の集落を車で走ったけど、数少ない若者たちが仲間で牛を飼って大会に出すという営みがここにあるんだなあと思うと、応援してよかったと後で思いました。 ![]() で、その「荒磯号」と『闘翔光樹家(トウショウミッキーハウス)』の対戦から大会は始まりました。後味の悪い試合となりました。試合開始から「光樹家」の突きやワリに「荒磯」はたじたじとしておりました。しかし、途中で「荒磯」のカケが利いて「光樹家」が横を向く場面もありました。2分過ぎ、「荒磯」が激しい「光樹家」の厳しいワリに身を翻して走りました。途端に「光樹家」の勢子が手を振り足を上げて大きな声を出して「荒磯」を追いかけたのです。「荒磯」は相手牛が怖くて逃げ回ったのか、勢子が怖くて逃げ回ったのか分からない状態でした。そのうち両陣営がリングになだれ込み、審判の旗はまだ揚がっていないのに「光樹家」陣営はワイドワイドの大騒ぎ。当然「荒磯」の方は割り切れない様子です。場内アナウンスは一旦は「光樹家」の勝ちを報じたものの、観客が納得しません。「光樹家」陣営が勝どきを上げて引き上げた後も、会場は10分ほど騒然としておりました。再対戦となっても「荒磯」の方が闘いを避けたので、勝敗は決したのですが・・・ひょっとしてあのまま続けておれば一回りした「荒磯」が再び角を合わせることがあったかもしれません。勢子のあり方がもっと検討されないと、闘牛そのものの信用を損なっていくのではないかと思う一番でした。(写真は左側が荒磯号) その後二番の取組みの後、闘牛の応援歌とも言える「ワイド節」の作者である坪山豊さんによってワイド節が歌われ、チャンピオンフラッグの返納が行われました。4番目の『若虎大 力』と『星(アカリ)トガイ』は20分を越える熱戦でした。初めのうちは大力が角を掛けて押し込んで優勢に試合を進めました。5分過ぎにはたまりかねたトガイが角を外してリングを一回りして逃げるという場面までありました。場内は騒然とし大力陣営は審判団に旗を上げるように合図していました。しかし、審判団は角を外して回り込んだだけだと判断したのでしょう。旗を揚げずに「牛に触るな!」と指示。確かに一回りしたトガイは再び角を合わせて試合再開。10分を越える頃からやや劣勢だったトガイがかけられた角を外して、突きやワリを時々見せるようになりました。試合は20分を超える長丁場になってついにスタミナの差が出たのか形勢逆転し、星トガイが競り勝ちました。この試合だって5分過ぎにトガイが角を外したからと、大力の勢子がトガイを追い立てるようなことをしていたら、結果は全く違っていたわけです。素人目ながら、敗れた大力ではありますが、ここまで技と力をを尽くしての敗戦だから、次の闘牛ではさらに強くなって登場するのじゃないかと思いました。つまり、あそこでおかしなことをしなかったから、両方の牛を生かす結果につながったのではないでしょうか。ついに決戦のときが・・・ さて、その後の三番は比較的短い取組みで決着がつきました。そしてついにやってきたのが『琉球白虎』の旗取りの取組みでした。先に入場してきた白虎は何か場慣れをした雰囲気で立ち尽くし、相手の『藤野組竜拳美龍』を待ちます。遅れて入場してきた美龍、真正面ではなく白虎と直角になってにらみ合います。白虎の方が動いて正面に向き合いました。と、当然のように白虎が美龍に一発ツキを食らわせました。その後はリング中央で角の掛け合いと押し合い・・・両牛とも押されれば押し返す。角がガチャッガチャッと激しい音を立てています。白虎は下から角を取ろうと、相手をにらみ上げながら角を振り立てます。敗戦となったデビュー戦のようなゆったりとした動きはどこにもありません。止まれば負けだと分かっているみたいに機敏な動き・・・2年前とは完全に違った牛になっていました。白虎の湾曲した角が相手のいやなところに当っているのか、ひるみが見えた途端に相手牛美龍が身を翻して逃げました。その間わずか1分3秒! ![]() ![]() ![]() ![]() 白虎がチャンピオンになったのです。我を忘れてリングに飛び出しかけたら、後ろから引き戻されました。見るとまだ逃げ回っている美龍が私の方に向かってやってきているではありませんか!「magarininさん、危ないです!」冷静な声は牛吉さんでした。やはり私はまだ闘牛が分かってないようでした。命拾いをしました。(笑)で、その後は「ワイドワイド」の歓喜の渦!次々と白虎の関係者が白虎の背中にまたがり、ガッツポーズ。私もチャンピオンフラッグを持って乗せてもらいました。白虎の背中はツルツルしたビロード地のようで、目の前にあるクビが瘤のように盛り上がり、本当にたくましい健康体という感じ。思えば長い間この瞬間を待っていたものです。我が家から800km離れた徳之島で、チャンピオンになった牛の背中にまたがっているのですからねえ!感激の一瞬でした。マンモスさんや福山さん、そして旧牛主の方々の底抜けに明るい笑顔を見ながら私も最高の気分を味わうことができました。 次の大関戦、『戦勝一撃』と『強襲若力』は力の入った一戦でした。沖縄全島一を経験している一撃に若力が果敢に挑戦し見ごたえがありました。前半は角の掛け合いの応酬で動きが早かった。8分過ぎには一撃が「掛けて押す」という原則通りの動きで追い詰める場面もありました。するりとかわされたのですが、隣のジミーさんが「若力の角が割れたようだ」とおっしゃいました。よく見ると角の先が小さく欠けてぶら下がった感じ。この頃から息遣いは明らかに一撃の方が荒く、スタミナの差が出始めました。同時に一撃の掛けを外して若力がツキを見せるようになり、16分4秒、ついにベテランの一撃が敗走してしまいました。しかし、十分見ごたえのある試合でした。 全島一が元八重山酋長に決まった 最後は全島一を決める闘牛です。現チャンピオン『丸正建設蟹号』に『大福環境開発1号』が挑戦します。この正月場所で長い間全島一を誇っていた『福田喜和道』号の角が折れるというアクシデントで、重量級は群雄割拠の戦国時代を迎えています。挑戦する牛は、私がはじめて闘牛を見た頃沖縄におりましてそのカリスマ的風貌に魅せられた牛。なんとなく好きな牛なんです。 先に入ってきたのは蟹号・・・遅れて入ってきた1号は入ったところで闘牛前のパフォーマンスをやりはじめました。前足で砂をかき、前足を折って首を砂にこすりつける動作をていねいにやるのです。もちろん目は相手をにらみつけながら・・・人間で言えばとっくに喜寿を越えています。それが全く年齢を感じさせない悠々たる態度!ここらが人気の秘訣なのかも・・・しかし、会場からはあまりに長いパフォーマンスにブーイングが起こりはじめ、勢子にせかされてのっそのっそと蟹号に近づきました。そしてまたにらみ合い・・・まるで宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘みたい!イライラしているのが蟹号です。やがて近づき蟹号は下から正眼の構え、1 号は上から大上段の構え・・・そこから角がぶつかったとたん、1号の長い角が蟹号の角に絡みつき、強烈な掛けで押し捲ります。蟹号たまらず後退しつつ角を振りほどくと再び1号の掛けが決まります。長い角ですから“てこ”の支点と力点の理屈なのか強烈な掛けのようで、1分半でチャンピオン蟹号が逃げ出しました。追いかける1号(八重山酋長)どこにあんなスピードと力があったのかと思うほどのスピードで蟹号を突き上げていました。昨日、空港で見かけた牛主さん、リングに入るなり1号をなでながら泣いておられました。福岡で起業して成功を収め、たくさんの人を雇って指揮を取る社長が勝ち牛にすがって泣く姿に私は「そういうものなんや・・・」と妙な感動を覚えました。同時に、マンモスさんの喜びは彼の数倍の喜びだろうなとも思いました。だって大きな企業が強いと言われる牛を買ってきて闘牛に出して勝ちをおさめるというのじゃなく、マンモスさんは幼い頃からずっと自分の手で飼育し、闘牛として鍛えてきた我が子のようなもの。闘牛が始まった頃の昔の農民と同じ事をやって勝たせたのですからねえ!これは誇りにして良いなと考えました。(左の写真の右側、巨大な角の元八重山酋長号)さて、白虎のつなぎ場でお弁当をいただき、勝利の余韻を楽しんでいると白虎が動きました。牛舎に帰るのですが、運搬用のトッラックに白虎が乗るなりトラックには高校生ぐらいのを中心に人が鈴なりになってしまいました。牛が飛び出さないように高くフェンスが張ってあるのによじ登り、桟に足をかけ「ワイドワイド」指笛とラッパと太鼓で大騒ぎ・・・驚いたことにそのままトラックはするすると動き出したのです。サトウキビ畑の起伏のある細い道を、重心が高くなっているからひっくり返らないように徐行しながらですがそのまま街へ繰り出して行きました。今日だけは警察も大目に見てくれるのだそうですが、都会では「マジ?」「シンジラレナイ!」状態でした。 ![]() ![]() ターカさんたちはTさんが徳之島が初めてなので観光するということで私の使っている車で走り出しました。私は70年生さんにホテルまで送ってもらうつもりで走り出したら、渋滞!闘牛帰りの車で渋滞しているのではなかった・・・先頭に先ほどの白虎の「ワイドトラック」が走っていました。これが渋滞の原因でした!途中で路肩に寄せて後ろに溜まった車を先に行かせているところで私たちも合流。私も助手席の窓からワイドワイドに合わせて腕を突き上げながらついて走りました。そのまま警察署の前を通過し、徳之島一の繁華街を走り抜けてから牛舎に向かいました。 牛舎に戻ると、早速熱くなった白虎の体を水で冷やし、汚れを落としてかいがいしく世話をするのは福山牛舎の子どもたちです。彼らは白虎が大好きで白虎の世話をすることに誇り ![]() ![]() を持っているようです。わき目も振らず一生懸命世話をしている姿・・・誰に言われなくても白虎がトラックに落とした糞をかきとり水で洗う作業をテキパキこなす姿は見事なものでした。これはまあ将来どんな企業に勤めようと、どんな商売をしようと、自信と誇りを持って仕事をする人間に育つでしょう。そうそう、白虎の元の牛主仲間だった幸田さんが白虎の右角を触りながら、「角を使ったのは右だけですよ」とおっしゃいました。私も左右の角を触って比べてみると右の角の先だけがささくれ立っていて、左の角はツンツンに尖ったままでした。こういう闘牛の見方もあるんだなあと感心しました。 話変わって、後で聞いたはなしですが、ターカさんたち観光に出るからと車で走り去ったのに、ちょっとホテルで一休みしてから行こう」ということになってホテルに戻るなり二人ともグーグー寝てしまっていたそうです。私のほうが元気やった! ワイド祭り→祝勝会 ホテルに戻ってベッドに横たわったけど頭は興奮状態・・・ウツラウツラしてもすぐに目が覚め、仕方ないのでホテルのすぐそばの海辺で開かれホテルの部屋まで歌声などが聞こえてきている「ワイド祭り」を見に出かけました。 入り口近くに奥村農園のお店がありました。オクラなど私たちの店と同じ商品の値段が気になりましたが、だいたい同じような値段付けでほっとしました。面白かったのはパパイヤをめぐる都会から来たらしいお客さんとの会話です。「パパイヤは果物じゃないんですか?」「青い間は野菜です。熟すと果物になります」「ヘ〜ッ、そうなんか。この青いのを保存して熟すと果物ですか?」「いや、青い間に採ったものは熟しても野菜です。」「木の上で養分を吸いながら熟さないとだめなのですね」・・・これってとても含蓄のある会話だと思いました。イチゴだってトマトだってイチジクだって、柔らかくなると輸送が難しいからと青い間に摘果して箱の中で熟させる今の仕組み・・・それらの野菜や果物が美味しくないわけです! ![]() ![]() ![]() 次々とたくさん並んでいる店を冷やかしながら歩いていくと、陶芸家の鈴木さんのお店がありました。奥様は出かけられ、文四郎君は車でお昼寝。鈴木さんだけが店番でした。昨日のオモチャの電車のお礼をおっしゃられ、鈴木さんの作られたビアマグをいそいそと新聞に包んでくださいました。私が「こんなのを無料で下さるということは、自らの芸術の価値を低めることになるのですから、ちゃんと代金はお支払いさせてください」と言ったけど、決して受け取ってくださいませんでした。あんなオモチャで価値の高い“作家物”をいただくなんて・・・まるで『エビで鯛を釣る』結果になりました。その後世間話から鈴木さんの先輩であるあたいチュウさんの話になり、思いついてあたいチュウさんにテレビ電話しました。あたいチュウさんはちょうど家におられましてねえ・・・画面に向かっておしゃべりする鈴木さんの感激振りがまさに『仙人風』で面白かった!(左側の真中の写真は鈴木さんの日常を写した展示写真から) さらにぶらぶら歩いて、イベントの舞台の部を仕切っておられるまるちゃんを探しました。やはり舞台の袖におられて次のプログラムが演じ始められた時に声をかけたら飛び出してきてくださいました。そして先ずは演奏中の舞台を背景に私の記念撮影をしてくださり、おしゃべり・・・しかし、この大きなイベントを動かしている心臓部のまるちゃんです。短い時間のおしゃべりなのに次から次へと挨拶され、声をかけられる。こんなまるちゃんを独占するのは犯罪に等しいと思って早々に退散しました。(笑) ![]() ![]() 夜になってタクシーを頼んで70年生さんとターカさんとTさんの4人でマンモスさん宅へ!もちろん白虎の中量級チャンピオン祝勝会です。着くとすでに始まっておりました。テレビの画面はすでに手に入れた今日の取組みのビデオ・・・もう何回白虎の勝利の場面が映されたことでしょう!10連勝くらいはしていたのかな?(笑)前祝で出会った方々の間を飲み歩き、楽しいおしゃべり・・・勝ち戦のあとですからねえ。飾られていたチャンピオン旗やトロフィー、優勝カップなどを見ていると、マンモスさんが「そのカップを取ってください」と・・・「中はちゃんと 洗ってますから」と言いながらビールをなみなみと注ぎ、「どうぞ!」。ひるんではおられません。「お先に!」と口をつけゴクンゴクンと飲みました。心配してくれたのでしょう、周囲から「もういい、もういい」と声がかかったから止めましたが、声がなければ飲み干してぶっ倒れていたかも・・・笑・・・それほど楽しい宴でした!ホテルに帰り着いて、ワイド祭りはどうなったのかな?と海辺に出てみたら、とっくに終わって暗闇の中に舞台の辺りだけが明るく、そして何人かの人が後片付けの仕事をしておりました。昨日の前夜祭から働いて、今日も一日働いて、しんどいだろうけど充実感のある疲れを感じながらやっているのだろうなと思いました。 |
| 第4日目(16日) |
これで3夜連続の暴飲暴食です!旅の疲れも重なって、ちょいとしんどかったけど・・・朝は昨日のメンバーでホテル一階のレストランで朝食。今日沖縄に帰るターカさんたちを港まで送って行く予定でしたが、マンモスさんが妹さんを送るということが分かり、マンモスさんにお願いしてしまいました。とたんに朝の予定が空いてしまい、とりあえずは胃薬を買いに薬屋へ。そのお向かいがビデオ販売店のハッピー企画だったのでビデオも買い求めて70年生さんに電話。彼は今日は休みを取ったけど実家に呼び出されて農作業だとか。それじゃあ一人で観光するかと、いつも案内標識は目にするけど行ったことのなかった諸田池に車を走らせました。その諸田池に着いたとたんジミーさんから電話「どこにいますか?」「諸田池だけどジミーさんはどこ?」「亀津の薬局にいます」「そこ私がさっきまでいたところです」なんてちぐはぐな話。会うことになって亀津に戻りました。 ジミーさんが朝食をとっている喫茶店で会い、「観光」をしようかと、島の北部に向けて走り出しました。と、そこへターカさんたちを送り終えたマンモスさんから電話。急遽マンモスさんの農作業小屋まで迎えに行って合流し、目的地変更。3人で気になっていた護佐丸さんとあたいチュウさんの仲間牛『岩獣』に会いに走りました。その牛舎は、14日に70年生さんと走った時に目印を左に曲がったから見つからなかった・・・右に曲がってちょっと行ったところにありました。 ![]() ![]() ![]() 久しぶりに会った岩獣(尚武牛舎では以前はアキレスと言われていました)は痩せて腰の骨が尖っていました。「久しぶりやな」と声をかけるとじっと私の方を見つめます。彼の好きな角の後ろや耳の付け根などかいてやり、背中に移り、離れて写真を撮っているとジミーさんが「確かにmagarininさんの方ばかり見ていますね」とおっしゃいました。どうも本当に私を覚えていてくれたみたい。出会いは2年以上前だったでしょうか、尚武牛舎で何気なく当時のアキレスの頭をかいていたら、護佐丸さんが「magarininさんすごい!この牛は人を近づけないんです」とびっくりされて以来の付き合いだけど、その後4回ほどしか会っていません。ひょっとしたら、突然徳之島に連れてこられた岩獣にとって不安な中で出会った私が初めての顔見知りだったのでしょうか・・・。 牛主のあたいチュウさんにテレビ電話で岩獣の様子を見せたり、動画に収めたりしているうちに「外に出しましょか」ということになりました。岩獣の歩き方を見ていたマンモスさんとジミーさん、後で「相当足が悪いね」と話し合っておりました。私はそのときは気づかなかったけど、後で動画を再生して見ると確かに後ろ足が痛くて、なるだけ体重がかからない歩き方をしているように見えました。しかし、外に出された岩獣、とても元気になって積み重ねてあるタイヤに激突!角で突き上げて遊び始めました。飼育していらっしゃる方は、「徳之島にきて初めてですよ!これまでは犬の吠える声にも怯えていましたからね。」とのこと。私一人「これは私に出会ったからこそ引き出された元気なのだ」と、嬉しく納得しておりました。 ![]() ![]() 岩獣と別れてから「どこへ行こうか」と言う話になり、伊藤観光ドームに出来た闘牛資料館を見たことがあるかとお二人にたずねたら、「いつでも行けると思うからまだ行ったことがない」との話!「じゃあ今日今から、『いつでも行ける』のいつでもにしましょうよ」と闘牛資料館に向かいました。資料館の内容は入館料500円のわりには現物の資料が少なかった。写真などの資料は私にとっては面白かったのですが。 お昼もとうに過ぎてしまったので亀津に戻り昼食の場所探し・・・彼らが私に食べさせたいと思うところが全て休業中か準備中。仕方なしに飛び込んだラーメン屋のラーメンは塩分が多かったうえにチャーシューがモモ肉だった!正月にマンモスさんたちと食べたラーメンの方が美味しかった。で、沖さんの牛が写ってある例の写真がデカデカと貼ってあったのはこのラーメン屋でした。 そうそう、車で走りながらの会話その@私・「今朝は朝刊を見てないんだけど、昨日の闘牛の記事が出ているのでしょうね」お二人・「??」私・「ホテルでも探したけど昨日の新聞しかなかったのですよ」マンモスさん・「ああ、新聞ね。夕方配達してきますわ」私・「??」ジミーさん「だいたい、朝刊、夕刊ってないんです。」マンモスさん「そろそろ一便で届くから、ホテルに帰れば読めるのじゃないですか?」ガーン 会話そのAマンモスさん「昨日は男性雑誌のプレジデントってあるじゃないですか。あれの記者が闘牛を取材に来ていましてねえ。大変喜んでいました。白虎のことも取材してましたよ。」私・「そらぁ読まないと・・・何月号ですか?」マンモスさん・「いや、それは聞いてません。」私・「分かったら教えてくださいね」マンモスさん・「徳之島ではあんな雑誌売ってませんからね」私・「??」ジミーさん「島人にはプレジデントは似合いませんよ。ファーマーならともかくね。」ガーン 都会に住む私との文化の差を感じました。何かしら不思議に恥ずかしくね。 食後ジミーさんはご自分の車で、私はマンモスさんを乗せて諸田へ走り、奥村農園に行きました。マンモスさんのお宅とは背中合わせ(とは言っても50mぐらいの距離ですが)になっていますからマンモスさんは帰ってしまわれました。間もなくジミーさんも奥村農園に来られ、お座敷に上げていただいて楽しい懇談。ジョンマさんの描かれたお孫さんの公輝ちゃんの素敵な絵の話とか、オクラの漬物の話などしているうちに私がはまっているタンカンの話になり、急遽タンカン畑に行くことになりました。 ![]() ![]() ![]() 「亀津の方」と聞いていたけど幸さんのタンカン畑は遠かった!再び徳之島の内陸部の奥の深さを思い知るほどでした。サトウキビ畑の中に、こんもりした山があるなあと思ったらそれが幸さんのタンカン畑でした。早速畑の見学・・・今年の幸農園のタンカンは豊作だとの事。確かにどの樹もまだ青いけどタンカンがたわわに実っています。「樹の間が詰まりすぎているからこの樹は引き抜かないとダメなんです」なんて幸さんの話に、奥村さんの目が光り、「譲ってくださいな!」・・・たちまち交渉成立、近いうちに奥村さんがトラックでもらいに来ることに決まりました!皮よりも実の成長が早くて皮がはじけてしまったタンカンを試食させていただきました。まだ酸っぱいけど、しっかりとタンカンの香りがしておりました。 ![]() ![]() ![]() ![]() その後パッションフルーツ(トケイソウ)の畑を見、時計にそっくりな花の交配をさせてもらったり、ゴーヤの畑を見学して幸さんのお宅を辞しました。ここでジミーさんは奥村さんの車に乗り換えてご自分の車を取りに奥村農園に、私はホテルに戻って神乃嶺小学校からのお迎えをホテルで待ちました。待ちながら、疲れが出てしまってス〜ッと寝てしまいました。 沖さんから電話があったのは7時前だったでしょうか・・・11月に開かれる鹿児島県大会への出場を決めた神乃嶺小学校女子バレー部の激励会が私の歓迎会とかねて開かれる、居之川の公民館に向かいました。ついて見ると、なんとその公民館は去年の正月に70年生さんに案内されてやってきた朝潮太郎の銅像の広場にありました。 会場に着くと主賓席に座らされました。私の周りは神乃嶺小学校の校長先生や徳之島町町会議員など重鎮ばかり・・・気楽に京都の思い出など話せる方はおられません。身が縮こまる思いで座っているとネット仲間のイサムさんが登場!ホッとしました。彼は徳之島ネットの草分けの一人、熱く徳之島を愛して語ることの出来る方です。特に徳之島の歴史にも興味をお持ちでご自分のHPでも激しい活動をなさっています。また徳之島の「これは」と思う人に声をかけて、ボランティアでその方のホームページを作製し面倒を見ておられるのです。私の周囲に座られた著名人を放っておいて、イサムさんと掲示板への迷惑カキコの対処法などおしゃべりしておりました。 宴は進み、それぞれが自己紹介を兼ねたご挨拶。私もお招きを受けた御礼と、神乃嶺小学校の女子バレー部がさらにパワーアップしていたことへの驚きなどを話させていただきました。沖さんのご主人が司会をなさっていたのですが、やがてご自分の奥様を指名されました。彼女はとつとつと京都で開かれた西日本大会の思い出を話し始めました。私が忘れたようなことまできっちりと思い出させてくださいました。後で聞いた彼女の説明では、自分の子は卒業してしまうけど、これから残る子どもたちの親に、求めて行動を起こせば道を切り開くことが出来るのだということを知って欲しかったのだとのこと。やはり、同じバレー部に身をおきながら保護者同士まとまらないこともあるようにお見受けしました。そんなことのために、私たちの起こした行動が評価されるのならうれしいことです。それからバレー部員の決意表明が一人一人行われました。それぞれの立場を踏まえていますから楽しかった。正選手の決意表明はよくあるパターンが多かったけど、それより下の子になると、「しっかりボールを集めます」とか、さらに下になると「県大会に行きたいです」と言うように身近なところに目標を定めているのがはっきりと見受けられたのが楽しかったわけです。 4晩連続の宴は9時過ぎに終わりました。沖さんのご家族にホテルまで送っていただき、ホテルの食堂でお茶!ここでジュースのつもりで頼んだのがフルーツのチューハイでしてねえ・・・最後のパンチを食らった感じで意識朦朧としてしまい、早々にお別れして部屋に戻り、バタンギューッと寝てしまいました ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
| 第5日目(17日)終わりに変えて・・・ |
帰る日となりました。荷物の整理をしたら、いただいたお土産が多くて持ち帰れそうにない!私は小さな印だけのお土産をいくつか用意しては来ましたが、こんなにもお返しをいただくなんて予想もしていなかった。二日前に私の作業所や家へのお土産は店で買ってすでに宅配で送ってあるのです。本当に、『エビで鯛を釣る』とはこのことです。なんと島バナナが3房・・・その価値を知っている私は恐縮してしまいました。素朴な手作りのお菓子や焼酎・・・持ち切れないためにホテルで手続きしてまたまた2箱宅配で送りました。 4晩お世話になったルーム係りの方に、小さなお菓子の箱に感謝のメッセージをつけてベッドの枕元に置いてホテルを出ました。あたいチュウさんにお借りした車に乗って、空港までの正規のルートを走りました。空港に着いて搭乗手続きを済ませ、2時間ほどあるから荷物を預けて再び車に乗りました。目指すはジミーさんと行き損ねた島北部の景観地です。 先ずはむしろ瀬に行きました。徳之島は琉球石灰岩が多く、そこにさんご礁が取り付いているのが普通の海の景色何のですが、ここは玄武岩で、海岸の岩が一定のリズムを持って斜めに刻み込まれているのが珍しい眺めでした。まあ、観光地というのにウィークデーのお昼前のこと、観光客は私一人でした!なんとも贅沢な観光でした。 ![]() ![]() それから金見の蘇鉄トンネルに行きました。空き地に車を止めて歩き出すと、まるちゃんのホームページで見たとおりの蘇鉄並木がありました。すぐに途切れるのだろうとたかを括って歩いていたら・・・奥が深かった!突き当たりは登りの階段になっています。上がっていくとそこにホームページで見たお土産屋が。入っていくと同じようにサトウキビジュースを飲ませてくれました。汗びっしょりだったから美味しかった!サトウキビをそのままローラーにかけて水分を搾り出しただけのジュース。決して砂糖水ではありません。もっと奥行きのある自然の味です。予想以上に“あっさりさっぱり”の飲みやすいジュースです。 この店でハブの皮で作った携帯電話のストラップがあったので、作業所の応援団でヘビが大嫌いな方にプレゼントしようと買い求めました。後ほど差し上げたら、目を剥いて怒られましてねえ・・・使ってはいただけませんでした!(爆) ![]() ![]() お土産屋からさらに階段を登ると展望台がありました。ここは私が二人目の観光客だったようで、先に着いた方が写真撮影をしておられました。本当に写真撮影の価値がある眺めでしたね。眼下に広がるのは蘇鉄林。その向こうはさんご礁の海岸。きれいな色の海が太陽に輝いておりました。 何枚か「来た証拠」の写真を撮って時間が1時間ほどしかないので急いで空港に戻りました。空港近くのあたいチュウさんのお宅に車を返し、急ぎ足で空港に戻りました。下り坂とはいえ暑い日で、ここでもまた汗びっしょり。10月半ばというのになんという暑さでしょう。空港に着くとマンモスさんと凡人さんが見送りに来てくださっていて感激しました。70年生さんからだという新潟闘牛サミット大会の、新聞に載った有名な写真をくださいました。私の好きなタッチューとあたいチュウさんが写っている写真です。凡人さんからは15日の大会の載っている南海新聞をいただきました。アナウンスに急がされて、ほとんどおしゃべりする間もなくお別れしてしまったのが残念です。 今回の徳之島旅行は収穫の多い旅行でした。まず闘牛では来るたびに良い試合を見る幸運に恵まれ、今回は琉球白虎のチャンピオン獲得という場面に立ち会えました。そして「歓喜の渦の中に我が身を置きたい」という長年の夢をかなえることができました。いろいろなことがあったけど、白虎の応援をし続けてきてよかったなあとしみじみ思いました。 そして、神乃嶺小学校の皆さんを始め奥村農園のご夫婦など闘牛以外の方々との交流が深まったことが嬉しかった。もちろんそれぞれの方が過去も現在も含めて闘牛とかかわっておられたことを確かめたし、徳之島の島人たちにとって闘牛は言うならば生育歴にかかわるものなんだとすら思いました。交通の便の悪かった幼い頃、お弁当を持って牛と一緒に歩いて闘牛場まで闘牛をしに行った話や、祝勝会での料理作りに追われた話など聞くと、私までが懐かしい思いに浸れたように思います。 今回も島人たちは私を「結(ゆい)」の心で包んでくださいました。私もこれからの残された人生を「結」に学びつつ人の心を紡いでいくような生き方ができれば良いなと考えています。徳之島でお世話になった大勢の皆様、ありがとうございました! そして、4泊5日の長いダラダラ文をここまでお読みいただいた皆様、ありがとうございました。読んで「ナーンヤ!」と思われ、「時間の無駄をした」と考えられたかもしれません。すみませんでした。 |