| 2008年第11回全国闘牛サミットin天城 全島一中量級優勝旗争奪戦 徳之島闘牛観戦紀行 (08年5月3・4・5日) |
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| 闘志溢れる白虎の眼!(画像の版権はYUKIさんにあり、無断転載を禁じます) |
| ・・・初めに・・・ |
去年10月に徳之島行きをしていますから、今回も行くと年金生活者にはとても贅沢なことになります。特にゴールデンウィークの徳之島行きは高くついてどうしようもないから、はじめからあきらめておりました。正月と5月連休の徳之島行きは旅費とホテルだけで10万円飛んでしまいます。同じ金で沖縄のダンピング商品なら3回往復できるのです。 しかし、今回は全島一の旗を持っているあの大福j環境開発1号(元八重山酋長)に私の友人のコウダ技電の龍王丸が挑戦するというのです。コウダさんは前回私に塩撒きをさせてやろうと提案してくださった私が徳之島に行き始めて以来のネット仲間です・・・これを見届けないのは友人を名乗る資格はない!そんな思いが私を突き動かしました。 もちろん、大福環境開発一号は以前から惹かれる牛でして個人的にも面会できたり“すごい牛”だという認識がありますから、あのまさに仙人の風貌を称えた牛がどんな闘いをするのか、それも仲間の牛・龍王丸に対してです。牛主の大福環境開発の会長とも去年の福岡闘牛大会を通して知り合い、何かに付けお世話になっている間柄だから、私の立場は難しい。でも深い付き合いのほうを選び、誠心誠意龍王丸を応援するつもりで行きました。 加えてリンク先の作城さんが大阪から徳之島に戻られて、一度も徳之島に行っていません。彼女と徳之島で会いたいという思いもありました。愛犬モンとの今生の別れ(笑)を済ませて徳之島に飛び立ったのは5月3日の朝、8時5分発鹿児島行きのJAL2401便でした。 |
| 第1日目(5月3日) |
闘牛場まで 「初めに」で書きましたように、金では沖縄行きの3倍かかるうえに、時間では2倍かかります。鹿児島空港での乗り継ぎ時間待ちがあるからです。行きは特に長い時間があるので、外に出ていろいろ見学して過ごしました。空港の外側に足湯(写真右)を見つけたので私も入ろうかと思ったけど、暑い日で汗をかきそうだし、水虫をうつしてもいけないからとあきらめ、ひたすら時間の経つのを待ちました。 ホテルに着くと一階のレストランで新聞記者の凡人さんたちが昼食中。食後闘牛場に向かう彼らの車に便乗させてもらうことになり、チェックインをすませ、暑くて汗をかいたからTシャツに着替えて早速東目手久闘牛場に向かいました。 凡人さんの車には徳之島では珍しいカーナビがついていました。島の周囲をめぐる県道はともかく、サトウキビ畑の道に入るといったいどんなふうに表示するのだろうかと見ていたら、やっぱり道路は表示されず車は空を飛んでいることになっていました。徳之島ではカーナビが付いていても、道を知らない私たちには闘牛場までたどり着くのが大変なんです。また車の中で国立民族学博物館で研究員をなさっているタイのチョムナード・シティサンという女性を紹介されました。日本の闘牛を勉強にこられたそうです。凡人さんは本当に顔が広いというか、周囲にいろいろな方がおられることに感心してしまいました。 全島重量級優勝旗争奪戦 この闘牛大会はいわゆる全島一を決める大会ではありません。ある少年野球のOBたちがうった興行らしく、まあ言うなら将棋で「名人戦」のほかに「棋聖戦」とか「王将戦」があるようなものですな。私が見に来たメイン大会の名称は「全島一・中量級優勝旗争奪戦」となっており、「一」の字が抜けております。 私は日常は京都に住み大阪で働く暮らしをしていると、なんとなく闘牛が「非日常」になってしまいます。くるくる移動するたびに変わる牛の名前が覚えられないし、闘牛のホームページを見ていてもだんだん気が引いてしまいます。徳之島に来たからには一戦でも多く見なければソンだという意気込みで闘牛場には来たものの、闘牛勘を取り戻して浸りこむには時間がかかりました。 ![]() この大会には福山さんの「篠原サッシ和也号」が封切り戦で出るというし、期待して応援していたのだけど浸りこめる前に12分で負けてしまいました。なかなか力の入った良い試合でしたし、この試合に勝った「爆弾号」には後で殊勲賞が与えられるほどでした。ところが試合内容が頭に入ってないのです。左の写真は入場です。名前を入れてもらった和也君がお母様の実家の名前の入った牛を引いて出場しました。まさに徳之島ならではの闘牛一家を表す場面でした。 この牛の敗戦はあったものの、他の福山さん関係の牛は次々と勝っていましたし、和也号の負けっぷりも次に期待を抱かせるものでしたから、福山さんも笑顔が多かったです。 ![]() 途中、ホームズさんから携帯にメールが入り、「最後の横綱戦の闘鬼号はしっかりと見ておいてください。近い将来白虎の対戦相手になる可能性のある牛ですから」とのこと。 闘鬼号は双龍武蔵恭平号の巧みな掛けをものともせず、強いケンカをしました。角の形もよいし、なかなか根性もありそう。白虎の強敵となって立ち表れる可能性は確かにあると見ました。このときは、島から離れる日に牛舎で再会できるとは思っていませんでした。 白虎と龍王丸の前祝 初日の闘牛が終わったのが4時過ぎ。会場まで連れてきてくださった凡人さんの車が満員なので、見つけた70年生さんにお願いしてホテルまで連れ帰っていただきました。70年生さんの仲間牛「躍進さくら号」がこの日の午前中の大会であっけなく負けたそうで、「もう手放さなければ仕方ないだろう」と70年生さんは心なしかしょんぼり。でも、同窓生達とお金を出し合って牛を買い、仲間内のケンカにもならずにずっと楽しめたなんてすてきなことです。 ホテルに戻り、今春京都にバレーボールにやってきた子ども達の保護者代表の方に電話・・・明日がバレーボールの試合で、今日は練習試合をして今帰ったところだとのこと。春の写真をCDに焼き、一部をプリントアウトして持ってきたのでお渡ししたいと言うと出て来てくださることになりました。私は、タンカンの幸果樹園さんのお宅に手土産を持って歩いてご挨拶に行き、幸さんのお宅の前まで保護者代表に来てもらいました。彼女の車で・・・龍王丸のコウダさんのご実家が亀津小学校の裏側にあるというので送っていただきました。 マンモスさんから「闘牛の旗を立てているからすぐに分かりますよ」と聞いていたとおり、にぎやかに龍王丸の旗が立っており、「ここや〜!」と発見。まだ時間が早かったけどすでに身近な方々が来ておられました。どうぞどうぞとあげていただき先祖を祭る仏壇に明日の勝利をお祈りして席につきました。と、目の前には島の料理がずらりと並んでいます。思わず「すごい!」というと、コウダさん「これ全部手作りです。家族が力をあわせて夕べから作ったのです」とのこと。そのうえ刺身を手にしてこられて、「これも今日海で釣ってきたものなんですよ」・・・まあ、久しぶりの島料理堪能させていただきました。 聞けば今日は200人ほどの前祝客を予定しているとのこと。広い座敷だけでは足りるまいと、庭にも長テーブルを出してパイプ椅子がずらり!立て込む前にコウダさんに明日の必勝を祈る気持ちをお伝えできてよかったです。 沖縄の龍騎さん(私が生まれて初めて出会った闘牛で、沖縄横綱の東昇皇龍の牛主)に全くお久しぶりでお会いし、徳之島へ来ると必ず出会う沖縄のターカさんともご一緒しました。彼らもコウダさんの前祝の後マンモスさんの白虎の前祝に行くのだというので、一緒にマンモスさんのお宅のある諸田まで連れて行ってもらいました。 同じ村の奥村農園のご主人と同居されている娘さんのご主人やいるかさん親子にもご対面・・・その他懐かしい顔ぶれにたくさんお会いできました。全島大会を明日に控えたこの日はあちこちで前祝があるらしく、お客様の出入りが激しい。龍騎さんたちも次の家に行くからと先に出て行かれました。私はまた財布をなくしてはいけないからビールを専門に飲んで奥村さん達と話をしていると、亀津方面に人を送ってマンモスさんの妹さんが車を出すとの話。これは勿怪の幸いと、私も便乗させていただくことにしました。 マンモスさんに明日の必勝を祈る気持ちを告げてホテルにもどり、ギューバタンと爆睡してしまいました。 |
| 第2日目(4日) |
ホテルはレクストン徳之島にしたのですが、作城さんからは新しくできた豪華ホテル「オーシャンリゾートホテルにしませんか?」と声をかけていただきました。しかし、ここに決めたのは一階のレストラン「ジョイフル」が闘牛仲間の朝食会場のようになっており、毎朝集まってその日の闘牛の話が出たり前日の闘牛の後の噂話がでたり、これから闘牛場に行く車のどれに乗せてもらえるかが決まるのです。レクストン宿泊者の朝食は無料ですしね。闘牛をメインに来るとこの朝食会は欠かせません。とてもよい話を持ちかけてくださった作城さんには説明して丁重にお断りしました。 全島一大会 二日目の今日はいよいよ「第11回全国闘牛サミットin天城 全島一中量級優勝旗争奪戦」の開かれる日です。この日も70年生さんの車に乗せていただきました。途中コンビニでお茶を買い求め、今夜の祝勝会のために「うこんの力」を飲みまして、万全の体勢!(笑)会場は平土野闘牛場で、亀津からは30分近くかかります。この闘牛場は一昨年の10月、中量級チャンピオンと重量級チャンピオンの両方ともの角が折れて入れ替わるという劇的シーンのあったところ。 人気の取組みの連続ですから前評判も高く、9時前に会場につくともう最前列は満席状態でしたが、沖縄のアップルさんのご家族がおそろいで来られていて前の席を幅広く取ってくださっていたので入れてもらいました。会場には続々と人が詰め掛けており、奥村農園のご一家もおそろいでまるでハイキング気分で来ておられました。![]() ふと気が付くと会場の外側にはそれぞれのチャンピオンの幟がへん翻とひるがえっております。もちろん私が寄贈した白虎の旗も・・・麗々しく旗には私の名前も書き込んであり、アップルさんに「白虎の旗見てごらん、私の名前があるよ」というと「本当だ!」と驚いておられました。あの旗が出来上がって始めて見た一昨年の10月、あまりに派手だから「しまったなあ、名前を抜いておいてもらったらよかった」なんて思いがふとしましたが、白虎がここまで強いチャンピオンになってくれた今では、旗に私の名前があることに胸を張りたい誇らしい気持ちです。 ![]() ![]() 9時半からまずはオープニングショーとして、島出身の歌手「禎一馬さん」の歌がありました。彼は島から東京に出て路上ライブなど繰り返しながら一歩一歩歌手への道を登っている若者なのですが、自分で作詞作曲もされ徳之島を愛する歌もあります。声にメリハリがあり歌詞がはっきりと聞こえとても聴きやすい。これからの活躍が楽しみな方です。歌い終わって徳之島観光大使に任命されておりました。適役だと思いました。 歌が終わるなり一気に封切り戦が始まりました。蛇姫対一心46タビ・・・開戦と同時に勢子の名前が3名ずつ呼ばれました。こんなこと初めてで、この大会がサミット大会だから新しくこういう方法をとられたのかと感心しました。これなら突然横から入ってきた人が勢子をするという、ちょっと不公平にも見えるやり方がなくなり良いなあと思いました。試合のほうは、蛇姫の左からの強いカケに防戦し首もたせでかわす事が多かった46タビが5分半で逃げました。 ![]() 二戦目はサミット大会ですから、隠岐島代表の竜神号対徳之島の高原です。しかし、勢子三名の名前は呼ばれずにがっかり・・・封切り戦の呼び出しは何だったのでしょうか。試合は高原のお手本のようなカケ技が利いて、竜神号の突き技は一度も発揮されないまま高原号の勝利に終わりました。左の写真の手前が竜神号で、高原号の右からのカケに完全に首が捻じ曲げられ押される一方になっていました。 ![]() 次も県対抗で徳之島の一本松号対八重山の光ちゃん号です。「光ちゃん号」といえばNHKの番組でも取り上げられた女勢子士・玉与勢光子さんの牛です。今回は彼女は勢子をせず、応援席で静かに観戦しておられました。開戦当初は光ちゃん号すばらしい突きと割りで一本松号が逃げ出す場面があり勝負あったかと思わせました。ところが舞い戻った一本松号、その後は長い「ボーヌー角」を生かして4分後には光ちゃん号を柵際に追い詰める場面も出て来て形勢は逆転。光ちゃん号は時々鋭い突きを見せますが、すぐに長い角にかけられて思うに任せずついに16分を過ぎて逃げ出してしまいました。 四戦目はアップルさんご一家が親戚づきあいをされている牛舎の富士皇対荒蜂。これは両牛ともに突き割りの打撃戦の得意な面白い試合でした。荒蜂の右角が富士皇の左角の付け根に当たり、血を滴らせながらもいささかもひるまない富士皇、少し間を置いてガツンガツンとぶち当たり、迫力のある闘いでした。この闘いにはアップルさんの弟さんが勢子をされていいました。(右)前半おされ気味だった富士皇が、8分過ぎてから盛り返し、11分過ぎについに荒蜂を追い払ってしまいました。その後中量級・重量級の優勝旗の返納が行われ、白虎の堂々の土俵入りが見られました。見事なおしゃれでした。 ![]() 例によって白虎は土を掻き、匂いをつけてこの場所はオレのものだというアピールを盛んにして存在感を示していました。重量級の大福環境会開発1号の優勝旗の返納には、NHKテレビの放映で交流されたプロレスラーの藤巻さんが出場し、徳之島3町の町長や闘牛連合会の会長としっかりと握手・・・そのうえでオープニングセレモニーで禎さんが任命された「徳之島観光大使」をその場で依頼され、即刻「やりましょう」と引き受けておられました。テレビ番組では彼の家にも農耕牛がいたらしく、盛んに懐かしがっておられましたので、徳之島のよさをしみじみと理解されていたのだろうなと思い、うれしくなりました。 次の荒技三男坊対蹴球小僧も激しい面白い試合でしたが、一つ一つ紹介していては時間ばかりかかります。どの試合も牛主さんや関係する方々にとっては大切な試合なのですが、以下の詳細は闘牛専門ページに任せて飛ばします。 終わりから三番目の基山天昇龍対四国宇和島の小林1号の闘い。勝負は圧倒的な強さを見せた基山天昇龍の勝利に終わったのですが、その最中に小林1号の牛主が倒れられました。現場を私は見ていないのですが・・・。倒れた牛主さんは徳之島出身で大阪の堺市に住み、手広く自動車関係の仕事をされ、四国の宇和島で闘牛を複数で持って楽しんでいらっしゃる方でした。私が初めて宇和島闘牛を見たときに応援したのがこの小林1号で、足を痛めていたのに見事に逆転勝利・・・小林さんは涙を流して喜んでおられました。その涙を見て、これだけ男を燃やす闘牛ってすごいなあと惹かれました。 その後、闘牛の普及につくされていることも知りました。大阪の河内長野市のワールド牧場で開かれた闘牛大会にも協力をされ、四国から数頭の牛を運ばれました。ワールド牧場の牛同士はほとんど闘牛にならなかったのに、四国から連れてきた牛とだけはきちんと闘牛になっていました。 その後の話では、小林1号が柵に張りつけられた時に倒れられたのだとも聞きましたが、牛をこよなく愛していた小林さんのこと、ひょっとしたら本当の話かも知れないなあと思いました。小林さんはそのまま、息を吹き返すこともなくお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りいたします。 中量級チャンピオン琉球白虎の闘い さて、いよいよ中量級チャンピオンをかけた闘いとなりました。白虎に挑戦するのは「竜力号」です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 写真左から、今回の塩撒き隊長はジョンマさん。いよいよ開戦、ガツーンと鋭い当たりで両牛ともやる気満々。ところが、開始1分で白虎の強い右からの当たりに竜力号の左角がスポッと抜けてしまいました。私も「角が折れる」と「角が抜ける」の違いを初めて知りました。「抜ける」のは牛の頭蓋骨から生えている角の“髄”の部分は残り、外側の硬い部分だけが外れてしまうのですね。左から3枚目の写真は勢子が抜けた角を拾おうとしている場面です。 相手の竜力号は、角が抜けて痛いだろうに悲鳴も上げずそのまま闘います。(左から4枚目)白虎は相手の左角が髄だけになっていることに気づかず、相変わらず右からのカケを続けます。このとき白虎が右利きなのだということを初めて教えてもらいました。左からかけて押し込めば一発で決まるところ、右からかけて押そうとするからかけた角がすっぽ抜けてしまいます。すっぽ抜けたところを竜力号が首もたせ(ボクシングで言うクリンチ状態)に入って自由に攻めさせません。場内アナウンスは竜力号の闘志を賞賛して、「対戦は五分と五分」なんて言います。確かに竜力号の闘争心はすごいのですが、内容的にはやはり白虎優勢でした。だって相手牛に鋭い角がないのですから。 ![]() 途中で勢子の方がどちらかの牛の角が腕を掠めて負傷するというアクシデントがあり、勢子を交代しました。かすっただけでザクッと16針も縫う怪我になるのです。勢子を一度して見たいという思いは、闘牛を観戦する回数が増えるほどなくなってしまいます。勢子って本当に危険な仕事なんです! ![]() 12分あまりでやっと竜力号が逃げ出しました。白虎の顔は返り血を浴びて“赤虎”になっていました(右端の写真)。時間はかかったけど、白虎は平常心のように見えました。むしろ人間のほうが喜び、ワイドワイドの大騒ぎ。私も写真を撮りながら、顔見知りたちと握手握手・・・至福の時を共有させてもらいました。右の写真は日傘をさしながら手舞いする画家の作城さん。左は化粧回しをつけ勝利宣言をする白虎。 何回勝っても良いものは良い・嬉しさに変わりはありません。リングという興奮の坩堝に身を置き、仲間達とこの嬉しさを共有するたびに徳之島に来てよかったと感激する私です。 巨星落ちた!全島一の交代劇 興奮冷めやらぬまま次の全島一決定の闘いです。先に入場した大福環境開発号(沖縄での四股名は八重山酋長号)が砂を掻き、首を土にこすりつけ、角で地面を掻きます。「ワシはやるぞ」の気持ちを表す大事なパフォーマンス。そこへコウダ技電龍王丸号が小走りに駆け込んできます。それを見た大福号、相手に自分の横っ腹を見せつけ自分の体格の大きさをアピール・・・まるで「いつでもかかって来い」と言わんばかり。 ![]() やがてリング真中に引き合わされ、ガツンと角がぶつかり合って試合開始・・・同時に大福号の力強い早業が炸裂!左から角をかけて押すが、外れたと思うと右からかけなおし怒涛の寄り。その力強さは人間で言えば私よりもう少し年上にあたるとは思えません。ものすごい圧力です。見る見るうちに龍王丸は柵際に押し込まれ柵にぶつかり、慌てて左へ回り込んで逃げます。この瞬間、多くの人は勝負あったな、まだ大福環境開発号の全島一は続くのだと思いました。大福環境グループの澤田会長が、大福号の美徳として「いったん自分の前から逃げ出した牛は深追いしない」とおっしゃっていたことがあり、このときも逃げ出す龍王丸を追い払うなり悠々と逃げる龍王丸を後方から眺めていました。(右、一旦は逃げ出した龍王丸) ところが危地を脱した龍王丸、土俵中央に戻るなり大福号をじっとにらみ始めました。審判団は「まだ闘志をなくしていない」と判断し、闘争の継続を宣言しました。一旦はリングに入った人たちも勢子3人を残して引き上げ、闘牛の続行を納得。 しかし、その後土俵中央の龍王丸と柵際で相変わらず横っ腹をさらけ出して相手を挑発する大福号、10分ほどにらみ合い状態が続きました。とうとう鼻綱をもう一度つけなおして土 俵中央に引き戻され試合再開。同時に大福号「これでもワシの強さが分からんか」とばかりに左から右からの強烈なカケ押しの連発。大福号の長く横へ開いて先に行くほど前に向いた角は、てこの原理を利用して相手には強い力として作用します。龍王丸もジリジリ押されますが、先ほどの経験がありますから早めに回りこんで柵際に追い詰められる失敗はしません。いや、むしろ大福号から距離を置いてワリを見せたり、技を仕掛けはじめました。大福号の強いカケを振りほどきもし始めました。会場は割れんばかりの大歓声。(左は疲れの見える「大福号」右側の牛)再開から2分も経過すると、高齢の大福号の技にキレがなくなりました。高齢で疲れが出たのでしょう、これまでから長期戦になればチャンピオンが危ないと言われてきましたが、その通りの形勢になってきました。と、大福号、「分かった分かった、お前は強い!ワシャもうええよ」とばかりに身を翻して逃げ出しました。龍王丸は逃げるチャンピオンをしっかりと追いかけ、審判の白旗がはっきりと上がりました。 (写真下の右は敗走する名牛大福環境開発号、歴史の歯車が回った瞬間でした)新しいチャンピオンが誕生しました。会場は狂喜乱舞の渦となり、私もリングに飛び出してしまいました。島を出て埼玉県で会社経営をする幸田 さんは、遠くに住みながらもしょっちゅう島に帰り牛を育て、自ら闘牛の興行を打ったり、徳之島闘牛の振興につくしてこられました。しかし、とりわけ強い牛に恵まれることなく勝ったり負けたりしながらも営々とした努力を続けてこられました。それがこの日一気に花が咲いたのです。彼の喜びはひとしおだった・・・幸田さんも飼育担当者も人目をはばからず涙を流しておられました。私もその大きな喜びのおすそ分けをリングの中でいただくことができました。(左の写真はいつも龍王丸を世話していらっしゃる方の雄たけび)これで、ネットでお付き合いさせていただいている方々が、全島一と中量級とミニ軽量級(体重700kgまで)の三階級を制覇してしまいました。すごいことです。後で幸田さんが「全島一に挑戦させてもらえるだけでも名誉なことだと思っていたのに、旗をとってしまったのだからなあ。本当に信じられない気持ちです」と私におっしゃっていました。龍王丸という牛にめぐり合え、牛主と飼育者とそして龍王丸の三者が心をひとつにして取り組んだ成果がここに表れたのだと思います。私も闘牛の歴史の大場面に今回も立ち会えたことを幸せに思うし誇りにもしたいと思いました。どうも私は徳之島に来るとすばらしい場面に出会えるようになっているみたい! 闘いすんで・・・ 闘牛が終わったのは午後2時でした。朝の9時から闘牛場に坐り時の経つのも忘れて応援していました。終わってみれば空腹感が襲ってきます。前回は白虎のスタッフとして待機小屋をメインに行動しておりましたが、今回は完全に観客の一人ですから白虎の待機小屋を探すところから始まりました。待機小屋に着くと、白虎が返り血を浴びて「赤虎」になっている姿を間近に見ました。マンモスさんに怪我の様子を聞くと、傷は全部浅いものばかりだそうで、ホッとしました。 ![]() 白虎が赤く染まっていると笑っている私自身、仲間に「magarininさんあなたこそ真っ赤じゃないか」と指摘され、ふと見ると私の腕も真っ赤!徳之島の太陽は5月とは言え真夏です。経験豊富な人たちはみな長袖を着込んでいましたが、素人の私は闘牛Tシャツ一枚で炎天下に5時間も坐っていたのですからね。それこそ顔が赤くなりました! お弁当とビールをいただいて、闘牛場の道路わきでむさぼり飲み、食いました。勝ち戦の後は何もかもが美味しいものです。ゴミだらけの道路わきで目の前を牛を積んだトラックや乗用車が埃を立てて通り過ぎていくけど美味しい!家では絶対やりませんけどね。 乗せてきてもらった70年生さんの車で送ってもらうことになりました。ホテルに着いてシャワーで汚れを落としましたが、日焼けした腕はヒリヒリしてこすることができませんでした。そうだ、ハワイ焼けということにしておこう。風呂から上がると疲れもあってベッドに横になってうとうととしばらくうたた寝してしまいました。 龍王丸と白虎の祝勝会 重量級新チャンピオンの龍王丸の応援団と琉球白虎の応援団は大きく重なっています。応援団にとっては亀津の龍王丸の祝勝会と諸田の白虎の祝勝会を掛け持ちしなければなりませんから、祝勝の意義が深い「新」チャンピオンの家で両方の祝勝会を兼ねてやることに決まりました。夕方になってマンモスさんから電話があり、比嘉さんやターカさんともご一緒して龍王丸号の祝勝会場に向かいました。 日が暮れる頃に行ったものですから、すでに龍王丸が大福環境開発号を打ち破ったビデオが上映されておりました。人垣の隙間から見たのですが、いつも見る「ハッピー企画」のビデオじゃない!ハッキリクッキリのハイヒビジョンで録画されたものだと言います。後で近くで見せてもらったけど、やっぱりよろしいなあ! 座敷にいた方々が庭におり、遅れてやってきた私たちが座敷に上がらせていただきました。祝勝会の楽しさは下手な文章で綴るよりも写真で報告したほうがお分かりいただけるでしょう。携帯電話で撮りましたのでぼけてますが・・・ 写真左から、全島一のチャンピオンの旗、奥から元沖縄横綱、新全島一・中量級チャンピオンの牛主揃い踏み、幸田さん挨拶、マンモスさん挨拶 写真左から 感極まった挨拶、 座敷は人で一杯、 外にはあふれ出た人たちも、 乾杯のこの笑顔たち 写真左から、禎さんも駆けつけ祝いの歌、たちまち湧き出す手舞いの人たち 右端は手ブレでごめん、牛主幸田さんの笑顔の手舞い 美味しいお酒に、例の財布事件以来断っていた黒糖焼酎をこの夜は解禁して飲んだら、やはりこたえました。家で静かに一人で飲んでいる分には美味しい酒なのですが、こういう席ではついついあおるように飲んでしまうから・・・夜もふけ日付が変わる直前までおらせていただき、失礼しました。 |
第3日目(5日) |
軽量級チャンピオン決定戦 前夜の深酒にもかかわらず、皆さんホテルの一階ジョイフルに集まってこられて朝食会。中にはさらにあの後、別の祝勝会にも回られた方もあったそうで、やはり若い方はパワフルです。私はなんとなく腹が重い感じが残っておりました。元気を出さなくてはと朝食をねじ込み、この日は伊藤観光ドームで軽量級の優勝旗争奪戦が開かれます。またまた70年生さんの車の後ろに乗せていただき、会場に向かいました。途中コンビニでお茶とウコンの力を買い求め、飲みましたがもう一つスッキリしないままでした。 闘牛が始まったものの、何か昨日1日で精力を使い果たした感じ。幸いと言うか、たまたま隣に座り合わせたのが私の娘より若い女性が二人・・・私には初めての方でしたが、仲間内らしい。話のノリが大阪のテンポなので、「大阪の人みたいやなあ」と感想をもらすと「私大阪です」大阪から来て徳之島で働いている女性でした。徳之島から大阪に出て働く人はゴマンといますが、その逆は珍しい。 さて、闘牛が始まりました。会場の伊藤観光ドームは音響効果が悪くて、アナウンスされる言葉が聞き取りにくいのです。対戦タイムなども歓声にかき消され聞こえにくい。「そのくせ外にいるとよく聞こえるんですよね」と大阪の女の子・・・全くそのとおりです。一戦目は封切り特別戦で「新将天山と徳之島実業キングカズ」というミニ軽量級かと思える小型の牛のケンカでしたが、実に軽快に動き面白い取組みでした。そして徳之島実業が勝ったとたん飛び出して来たのが若者ばっかり!いつも誰か私ぐらいの年寄りがよたよたと出てくるものなのに、若者ばっかりでした・・・よろしいなあ若者が喜びを爆発させている場面は!徳之島闘牛界をこれから背負って立つのはこの人たちなんだなあと楽しく見ていました。(左の写真)開始から5戦目が「突撃菜央ちゃん号」でした。牛主は石川菜央さんと言って大学院の卒業論文に闘牛を取り上げた方で、菜央ちゃんファンの闘牛 士たちと牛を買ってしまったのです。今は広島の研究機関のようなところで働いておられるようですが、自分の牛が出るとなると徳之島までやってこられるのです。去年の10月も見ましたが惜しくも敗れ、今日はリベンジの一戦、相手は「荒武士☆秘密兵器☆」打たれ強い菜王ちゃん号、時間をかけて根性の一勝をもぎ取りました。ちゃんと仲間達が「突撃菜央ちゃん号」の手ぬぐいを作り、準備万端整えて石川菜央さんのお越しを待ってくれているのですからね。また、それだけ研究を通して徳之島闘牛に貢献してこられました。![]() ![]() 闘牛を観戦していて、私たちの席の左側に異様な観戦者を発見・・・白塗りでやたら唇が赤くずっとくわえ煙草のままでして、どうもお面をかぶっているような。「あれ何や?」「気持ち悪い!」と私の席の周辺は大騒ぎ。どうも応援する牛が勝ったらこの姿のままリングに飛び出して踊る予定だったのかな?残念ながら負けたのか、ふっと姿が掻き消えておりました。 昨日に比べて気温が下がっているのか、ドームの中は冷えるのか、対戦中の牛の背中からはモヤモヤと湯気が立っているのも夏なのに珍しい光景でした。 ![]() ![]() 勝敗がついて逃げ出した牛を取り押さえるのも大変な作業です。牛は興奮しているし後ろから勝ち牛が追いかけてくると思うのでしょうか、柵にそってトットトットト走りまわります。それを角にロープをかけて柵に引っ掛けてストップさせたり、鼻の穴に手を入れて取り押さえたりします。右の写真の場合は角にロープをかけて走るのをやめさせ、鼻を取った瞬間(使用前)と、鼻に綱を通した直後(使用後)の写真です。鼻綱をつけるとごらんのようにおとなしい普通の牛になってしまいます。目の前でこれらの作業が行われたので写真に撮っておきました。しかしながら、この牛がなんという名前の牛かは・・・知りません。(汗) ![]() そうそう、この人の勢子も面白かった。普通勢子と言えば「ハイヤーッ」などと絶叫型が多く、行動も片足を踏み鳴らし突き出した手をあおるように上下させるタイプがほとんどです。要するに激しいのが勢子なんですが、この人の勢子はちがいました。片手を後の腰に当て、突き出した手をゆらしながら何やらつぶやいているのです。私はじっと見ているうちに「ひょっとしてこれは牛に念力を送る新手の勢子なんかなあ」と思いました。隣の女性に「あの人の勢子の仕方、新興宗教みたいに見えへんか?」と聞いたら馬鹿受けしてしまいました。 軽量級チャンピオン決定戦の「伊藤兄弟天龍8・8ボーヌ対昭和27年生貴龍」の闘いも見所のないまま、延々48分もやったのですからね。マンモスさんに「これは引き分けじゃないのですか?」とたずねたら、「チャンピオン戦には引き分けはない」とのこと。何がイライラさせたかというと、マンモスさんにいただいたビールが出そうになりまして、とにかくガマンができずトイレに走りました。帰って来るまでに決着ついたら困るなあと思っていたのにまだやっていました。思わず隣の女性に「まだやっているんやなあ。これならウンコもできたなあ」と話して笑っていたら、前で撮影していた凡人さん、笑いながら振り返って「後でビデオ撮影してますからね。今の声も入っているかも・・・」なんて脅します。まあ、それほどうんざりする試合だったという話で、歴史的証拠として声が残るのもよいでしょう。 どうやら、昨日で空気が抜けた状態になっていただけではなく、番組としても昨日の闘牛があまりにもすさまじかったからか面白くない取組みが多かったような気が、勝手にしておりました。だから観戦記じゃなくて、雑記みたいな内容になったことお詫びしておきます。 牛吉さんの生産牛牧場見学 闘牛が終わって菜央ちゃん号のところでお弁当をいただき、食べ終わってから70年生さんの車で牛吉さんの牧場に行くことになりました。同乗の龍騎さんのご一家は闘牛だけじゃなく生産牛もやっておられますので情報交換をしたかったらしい。驚いたことに誰も行ったことがないとのことで、電話連絡取り合いながら走りました。 ![]() ![]() 牛吉さんは実に楽しそうに自分の牛のことをおしゃべりしてくださいました。今日の闘牛を見に行くことも取りやめて牛の世話、牛がすきなんだなあとしみじみ思いました。 龍騎さんとは専門用語も交えて情報交換、飼料代が高騰し続けているから数を減らそうとして売りに出される牛が増えているため、牛の値段が全体に引き摺り下ろされてしまうのだとか。物価の高騰の影響はこんな所でも悩みでした。松坂牛とか但馬牛などとブランドの牛のふるさとは、みんな沖縄や徳之島なんですね。ブランド地名のついた肥育者のところに行ってブランド牛になるわけで、美味しい牛肉の出発点のひとつを見学させていただきました。 ホテルへ送ってもらってまたシャワーを浴びてごろごろしていると、マンモスさんから電話。夜は天城町の驫木と言う土地にある「瓢箪」という店で、作城さんが徳之島に連休で帰ってきた人の迎え祝いと、白虎の祝勝会を開いてくださるのです。マンモスさんの車には優勝旗と優勝カップが積んでありました。龍騎さんとターカさんの4人で瓢箪へ。 「瓢箪」で 車は30分ほど走りました。県道から外れ、キビ畑の中を走ります。「もうすぐです」のマンモスさんの声に「エ〜ッ、こんな山みたいなところに飲み屋さんがあるの?誰が飲みに行くんや」なんて言っている内に着きました。時間はちょうど7時でした。“ド”のつく田舎にスナック「瓢箪」はありました。ドアを開けて踏み込むと、回りの景色とは別世界のようなお店が ありました。そこにまるでホステスのようにして懐かしい作城さんとそのお姉さんご夫婦がいらっしゃいました。テーブルには手作りの料理が満載され、宴の始まるのを待っています。実はこの宴のために、作業所のラーメンをたくさんお買い上げいただいたのです。私からはお土産代わりに飯田農園の竹の子を送っておきました。三々五々人が集まると、来る人にまずラーメンを食べさせるのですな。「今から飲むから、後にしたい」と言っても容赦ありません。だって後でなんて言われても、後になったら作るのが面倒になるにちがいないのですから・・・お店主導のラーメン屋さんでした。このラーメン、すきっ腹に食べていただいたから、みなさん一様に「美味しいラーメンだ」と言ってくださいました。これは作城さんの作戦勝ちでしたなあ。酔っ払った後なら、美味しいかどうか分からなくなっていたでしょうから。 私はここで不思議な体験をしました。私のためにヤマシークニン(徳之島の山に自生するミカン)のジュースを出してくださったのですが、朝から悩んでいた胃袋のモタモタした感覚が、本当にス〜〜〜〜ッと消えてしまったのです。そりゃもう酸っぱいミカン汁なのですが、なんとなく親しみ易い味なんですね。だいたいが私は酸味の強いミカンを食べると、歯が軋んで気持ち悪くなるのですが、このヤマシークニンはそれが少ないのです。健康食品を信用しない私ですが、コイツだけは見直さざるをえませんでしたね。 さて、竹の子はテンプラのほかに徳之島流の料理になって出されました。「柔らかくて美味しい」とこれも好評で、特に竹の子のテンプラばかりをむしゃむしゃ食べる方もおられました。徳之島には孟宗竹がありませんから、真竹などの竹の子を食べておられるようです。 もちろん初めて出会う方も多く、「ちゅうけんねこ」さんなんて「ああ、お宅がちゅうけんねこさんですか」のような挨拶です。「ハイシャオジサン」にも初めてご挨拶しました。「ハイサイオジサン」に引っ掛けたこのハンドルネームのとおり、徳之島の歯医者さんです。その他徳之島からマンガを通じて情報発信されている漫画家さんとか、地域のバイク屋さんとか作城さんの「風の会」のメンバーを中心に種々雑多な人たちの集まりでした。 やがてジョンマさんの司会で優勝カップにビールをなみなみと注いだものを回し飲みが始まりました。これは白虎勝利の夜の定番の取組みで、今回は1日遅れでやりました。 左から、司会のジョンマさん、作城さんの豪快一気飲み、ジミーさんの幸せ顔、村上お姉さま、ちゅうけんねこさん、牛主は格好だけ、文化会館広報隊長さん ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 左から、海苔味さんから名前の忘れた方々まで全員、丁寧に回って、最後は司会のジョンマさんで終わりました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() その後はカラオケでしたが、ここのカラオケは歌の遺跡発掘みたいなもの。潮来笠なんて“ちょっと前の歌”ですな。昭和20年代、私の小学生時代の流行歌が堂々と登場します。「長崎のザボン売り」には懐かしさのあまり抱きしめたくなりました。帰って店長に笑いながら話をしたら、「8トラのカラオケとちがうか?」なんて失礼な話。新しい歌もありながらそんな古い歌まで網羅した最新式の機械なんですから! 私も安心して「君恋し」を歌わせていただきました。 皆さんとても歌いなれている方が多かったです。むしろ私など素人ぽさが目立ったくらい!私のは「小学唱歌的」なんです。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() カラオケが始まると自然発生的に始まるのが手舞い・・・これは徳之島など南西諸島のの特徴と言えましょう。 左から3番目の方の替え歌が面白かったなあ!右端の写真は話し込むジョンマさんとハイシャオジサンです。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 楽しい宴の時間ははあっと言う間に過ぎて行きたちまち日付変更線を越えてしまいました。こうして書いてきて一枚も写真を載せられなかったかたが複数でおられますが、どうかご容赦ください。写真がボケていたりしたものですから・・・12時を回って、疲れすぎたために酒が飲めなかったマンモスさんにホテルまで無事送り届けていただきました。 |
| 第4日目(6日) |
帰る日となりました。この日の朝もホテル一階のジョイフルで最後の朝食会。沖縄の人たちは午前中に出航する船で帰ります。私の飛行機は午後3時半ですから時間はたっぷりありますので、早速心配してくれました。しかし、最後の日ぐらいは自力で行動したいからレンタカーで走りますと申し出ました。闘牛シーズンも去りました。次は10月です。一抹の寂しさを覚えながら、再会を約して仲間と別れました。 荷物の整理をするためにエレベーターに乗ると、闘牛大会で解説者の仕事をしておられた琉球大学の宮城教授と乗り合わせました。こちらはよく存じておりますが、ちょうどタレントを知っているのと同じで、あちらさんは私のことを知るまいとおもっていたら、突然「また沖縄にも闘牛を見に来てくださいよ」と声をかけられ、びっくりしました。「ハイ、近いうちに是非とも行かねばならないと思っています。ありがとうございます。」と言ったところでエレベーターが止まり「じゃまた、沖縄で」と先生は降りて行かれました。これだけ徳之島をうろうろしていると、覚えられたのですねえ。 作城さん宅 チェックアウトを済ませてレンタカーの相談をしたら、ちょうど今このホテルで乗り捨てられたのがあるから交渉してあげましょうとのこと。このフロントの方が龍騎さんのお知り合いで、この方も私のことを覚えてくださっているようでした。親切にも割引交渉をしてくれて、保険料も入れて5000円近くかかるところをきっちり4000円でした。 レンタカーで自由に行動するには目的がありました。作城さんの「風の家」を見たいと思ったのです。しかし、彼女は毎日夜を徹して作画に励み、朝になってから眠ってお昼に起きるという行動パターンなんですね。風の家に朝から行けば彼女の寝込みを襲うようなもの。それまではなんとか時間つぶしをしなければなりません。 まずは白虎の様子を見に行くことにしました。諸田のマンモス牛舎へ行くと、当然沖縄の人たちの船を見送りに行ってますからおられるわけがない・・・でも、番犬たちの様子を見るのも大事なことだと行ってみました。予想通り、番犬たちは実に忠実に役目を果たしておりました。彼らのいる後の小屋に白虎がいる様子は伺えましたが、とても面会できる雰囲気じゃなかったです。 あきらめて次に訪れたのは金見崎のソテツトンネル。これは10月に徳之島に来たときに、ソテツに害虫が発生して島のソテツが被害を受けていると聞いたから、あのソテツの自生群落がダメージを受けてないか知りたかったのです。やはり初めて訪れたときの元気さはないように感じました。下の方の葉は枯れていくものだとは知っていますが、それにしても枯れ方が多いように見えたし、新芽の勢いも心なしか弱いようでした。 ソテツトンネルではゆっくりと時間をとり、土産物屋でサトウキビジュースやタンカンジュースを飲んで過ごし、展望台ではあちこちにメールを送りました。それからあたいチュウさんに電話を入れて、作城さんのところで落ち合う話しにしました。 なんと2年前までは今の作城さんの家に住んでいて、隣にあった黒糖を絞る小屋に目をつけて手を入れ始めて、今の人の住む家にご主人一人の力 やがて風呂上りの作城さん登場・・・お姉さまが「突然来られるから何もできない」とぼやきながらも、私と作城さんのために素麺を湯がいてくださいました。妹の作城さんは「あれ取って!」「あれをして!」とオッサンみたいでしたが、お姉さまは文句ひとつ言わず「ハイハイ」とやってあげておられました。私はそこに自立してお互いを認め合っている理想に近い姉妹関係を見た思いがしました。お姉さまは作城さんの類稀なる絵の才能と、人を呼び込んでしまう不思議な魅力のある妹さんを認めておられるのです。いいなあと思いました。 松林牛舎へ 間もなくあたいチュウさんが登場。前夜は闘牛場で亡くなられた小林さんのお通夜に行っておられたあたいチュウさんの報告をお姉さまは一生懸命聞いておられました。亡くなられた故人とは、お若い頃の職場が一緒だったそうで、小林さんの訃報にとてもショックを受けておられました。 あたいチュウさんがそろったところで、ご近所の闘鬼の牛主「松林さん」の牛舎を訪れることに決まりました。松林さんはうちのラーメンを50食も購入してくださったのですから大のお得意さんです。お出かけの所でしたがお許しを得てみんなで出かけました。 牛舎に着くなり、従業員の方が作城さんを指差して「恨むで〜、三日間朝昼晩三食ともラーメンばっかりや!」大きな声で笑いながら言いました。牛舎の牛を闘牛に出して祝勝会にラーメンを使う予定が思い通り勝てなかったために、祝勝会を取りやめて従業員に全て食べさせたらしい。「ラーメンは好きだけどな、これだけ食わされた嫌いになってしまうで!」となおも笑いながら言い募る方の顔を見て同情せざるを得ませんでした。 松林牛舎は広くて明るくて清潔でした。牛主の牛に対する姿勢が現れているなあと思いました。闘鬼は鼻先を持ち上げられてたたずんでおりました。練習場にはロープが渡され、別の牛がロープに沿って移動を繰り返しておりました。従業員の方に、牧場に点在する牛の説明を聞かせていただきました。聞けばこの練習場の鉄柵も牛舎の鉄骨外壁部分も作城さんのお姉さまのご主人、村上さんが作られたものだとか。彼の器用さには敬服しました。 松林さんがお出かけとのことでご挨拶に行きました。彼は石川県で新聞配達の業界を取り仕切っておられるのだと、外野席から聞いておりました。彼も私たちと同じ飛行機に乗るらしく、それまでの間に所用を果たしておきたいのだといっしゃっていました。 丁重にお礼を言って松林牛舎を後にし、風の家ともお別れしてあたいチュウさんと空港を目指しました。レンタカーを返すためにガソリンを満タンにしましたが、なんと徳之島のガソリン代は185円・・・本土よりも20円以上の高値に驚いてしまいました。 空港で 空港に早速作城さんご一家が見送りに来てくださいました。時間があるので空港レストランでお茶でもということになりレストランに入ると、たちまち作城さんのお知り合いと近くの席になりまして・・・にぎやかなこと!マンモスさんもご丁寧に見送りに来てくださいました。 さらに、あろうことか先ほどお別れした松林さんも入ってこられて同席に。松林さんの闘鬼が琉球白虎の次期挑戦者になるかもしれないから、いわば呉越同舟状態。松林さんがマンモスさんに「強い牛にするにはどうすればよいのでしょうかね」と皮肉ともとれる質問をされました。と、作城さん「愛情ですよ、愛情!マンモスさんがどれだけ白虎に愛情を注いでおられるか!」ととうとうと説明そされました。何か結果的にはこれも松林さんへの皮肉に聞こえましてねえ・・・笑 私は松林さんも牛への愛情を持っておられると思います。それは牛舎の清潔さを見てきた私には分かります。でもそれは、島の外に住み、お金をかけて従業員を通してかける愛情なんだなあと思いました。作城さんは、自分の手で牛のぬくもりを感じながらかける愛情のことをおっしゃっていたのです。しかしこれは難しい問題です。 お見送りを受けて徳之島空港を飛び立ち、鹿児島空港を経由して伊丹空港に到着。空港の外側の道路を歩いていたら・・・再び松林さんと遭遇!あの連休最終日の雑踏の中でと考えると、不思議な縁を感じました。 |
| おしまいに |
ダラダラと書いてきた徳之島闘牛観戦紀行、ここまでお読みくださってありがとうございました。 毎回紀行文をアップしておりまして、それを読んでくださった方々から「すごい記憶力だ」とお褒めいただいてきました。実はネタがありまして、撮って来た写真を見ながらその撮影年月日をヒントに思い出しながら書いていたのです。 ところが、今回の旅行記を書くのに、どうしても思い出せない空白部分があることに衝撃を受けました。写真を見ても思い出せない・・・焦りましてね、必死で思い出して書きましたが、それでも全体の60%程度しか思い出せていない焦燥感を感じております。 でも、今回の徳之島では龍王丸と白虎に元気をもらいました。そして作城さんを通して、ますます人間関係を広げることができました。本当に良い思い出を作ることができたと思います。この思い出は絶対忘れたくないです・・・いくらボケてもね!(爆) |