ニュージーランド で ロングスティ
クライストチャーチ の ロングステイ 、ゴルフ、テニス、観光
ニュージーランドのクライストチャーチでロングステイをしています。テニス、ゴルフ、ハイキング等を現地のスポーツ愛好者と楽しんでいます。NZにこれから訪れる方、または将来計画されてる方にスローライフ生活が少しでも参考になればと、このページを公開しました。。
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特集
「地球の歩き方・ニュージーランドの歩き方」で、「ニュージーランドでロングステイ体験」についてのコラムを記載しました。
私は多くの国を訪れました。どの国も趣があり、いい所です。かけがいのない地球です。ただその国の風土や生活習慣が自分の趣にあえば、また訪れてみたくなります。その国に住んでみないと解らないことが事が多いのです。だから思いきって旅にでて、自分の目で確かめることをお勧めします。私はNZの風土や生活習慣があっていたのです。今年で早いもので10年目となります。
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                2012年 ニュージーランド  便り

3月11日 震災1周年  
Canterbury Japan Day

NZと日本の絆を深める Japan Day の式典と祭典

イベントの開催日は東日本大震災からちょうど1年となる2012年3月11日にクライストチャーチのリカートンマーケットの特設会場で行われた。大地震で甚大な被害を追ったニュージーランドと日本の絆を深めるという意味を込めて、追悼・復興・親睦・地域交流が行われた。
当日はステージで日本の伝統芸能が披露されました。日本食の屋台や日本文化を紹介する催しも多数行われました。







当日は特設会場で、東日本大地震犠牲者の追悼式と黙祷で始まりました。















日本の被災地が力強く立ち上がる様子をテーマにした「復興の狼煙」の英語版ポスター(釜石市,大槌町 版)も掲示。

このポスターは「復興の狼煙」ポスタープロジェクトからクライストチャーチ市とカンタベリー日本人会に寄贈され当日掲示された。











全てを失った日本の被災者からの力強いメッセ―ジに在住の日本人、クライストチャーチ市民にも勇気と希望を与えました。、













両国の絆を深める市長からの手紙

クライスチャーチ市長からのポスターのお礼と、共に復興にがんばろうのメッセージ。

被災地の皆さんへ


                    2012年2月2日

地震と津波で全てを失った被害者が復興に力づよく立ち上がったメッセージ付のポスターを受け取りました。復興の狼煙プロジェクトチームからの寄贈とのことで、Megean Robers (市長補佐役)から受け取りました。ありがとうございます。

ニュージーランドも地震で非常に甚大な被害を被りました。ポスターのメッセージにあるように「前の町より、いい町にする」との言葉を始め多くのポスターから勇気と希望をいただきました。両国は町の再建のためにがんばりましょう。

復興の狼煙ポスター プロジェクトと ポスターに登場した被災者のご尽力に感謝いたします。

Bob Parker 市長
 (英訳)













ニュージーランドと日本の未来を拓く多くの子供達の参加で日本伝統芸能が披露されました。


子供達の着物もとてもお似合いです。


日本から9000kmも離れて暮す日本人は日本の伝統を守ることに誇りを感じています。
当日は予想以上の人出で賑わいました。

同じ地震の被災地日本に対する同感の高まりが感じられた一日でした。

カンタベリー日本人会の皆さんのボランテアで日本食の販売、日本の民芸品の販売は売り切れ続出です。


売上金は日本の被災地への義援金になりました。

両国の絆が深まったJapan Dayです。

翌日12日の新聞 The PRESS には日本とNZは地震で協力。

写真にはNZ(2月22日)と日本(3月11日)の両国の地震を体験した子供達が元気で遊ぶ写真を載せていた。


国際スポーツ大会は平和と親善の祭典


2月にオーストラリアのテニスチームがNZマスターズ大会に出場でクライストチャーチを訪れました。私達日本チームとも再会しテニス交流をおこないました。

今回訪れたオーストラリアのテニス チームとは6年前より交流が始まりました。昨年は日本に来る予定が東日本地震で再会できずにいました。そんなおりNZに会いにきてくれました。とてもフレンドリーな友です。テニスも楽しくできました。ありがとう。
クライストチャーチ空港に到着した選手を出迎え。
シニアーチームと思えない若さと情熱を発揮して、私達を魅了してくれました。彼女達は、顔は見ないで、綺麗な足をみて、といっています。
次回はオーストラリアでの再会を予定。オストラリアでは孫も紹介しますとのこと。もうおばあちゃんテニス選手なんだ。私達もおじいちゃん、おばあちゃんだけど。


ニュージーランド・クライスト チャーチ 大地震から1年:追悼式典
2月22日

クライストチャーチでの地震から今日で1年、クライストチャーチではメモリアルサービス(追悼式典)が行われました。ボブ・パーカー市長やジョン・キー首相の挨拶、歌などがあって、犠牲者一人一人の名前が読み上げられて、地震のあった12時51分に2分間の黙とう。テレビでも全国に生中継された

クライストチャーチ大地震、日本人犠牲者・慰霊碑(カヒカテア 記念スカルプチャー)完成礼拝式・慰霊追悼式

日本人の方々を追悼して、寄付金にて記念碑(カヒカテア 記念スカルプチャー)が作られました。慰霊碑が安置されたクライストカレッジ チャペルでその完成礼拝式に日本からご遺族の方がたも参加され追悼、記念碑完成礼拝が行われました。
 
日時:2月22日(水) 4時30分開始 
場所:クライストカレッジ チャペル (Rolleston Ave CHCH)

慰霊碑は、 クライストチャーチ大聖堂 ピーターペック 聖堂司祭長の奉納祈祷、マオリ代表 ツテホウヌク氏の奉納祈祷が行われました。
日本人牧師のお祈りがありました。
カンタベリー ジャパニーズ クワイアーのアメジング グレイスの合唱をバツクグランドにご遺族の方々を祭壇の慰霊碑(カヒカテア 記念スカルプチャー)
お招きし、慰霊追悼のお祈りしました。

慰霊碑(カヒカテア 記念スカルプチャー)クライストカレッジ チャペルに安置され祈祷します。クライストチャーチ大聖堂が完成しましたら、そちらに安置し永久に祈祷されます。

祭壇に安置された慰霊碑             慰霊碑(カヒカテア 記念スカルプチャー)
             祈祷         クライストカレッジ チャペル (Rolleston Ave CHCH)


フラワーフェスティバル(festival of flowers)2月17日から3月4日まで

クライストチャーチでは、毎年夏の最大のエベントであるフラワーフェスティバル(festival of flowers)が始まりました
今年の会場はライストチャーチ植物園(The Christchurch Botanic Gardens)で行われました。
フラワーフェスティバルは毎年大聖堂前が会場だったけど、会場周辺が地震の被害で植物園で開催されている。

植物園は今花が満開!さらにフラワーアレンジメントがいろんなところに飾られている。

クライストチャーチのシンボルとして親しまれていた大聖堂もある。

Golden AngelのArt
(2011年2月22日の地震のちなんで作成)


巨木を利用したお花畑か



地震で壊れたレンガを利用したフラワーアレンジメントが多数ある。



1月20日

ピツキング

クライストチャーチの近郊には沢山の農場があり、サクランボ、ブルーベリー、ラズべりーのピツキング。一流レストラン顔負けの農園レストランでの食事と楽しみが一杯です。

ブルーベリーが沢山とれたよ。        農 園    森と花に囲まれた農園レストラン


1月10日

近所のウォーキング

クライストチャーチに滞在して1カ月。樹木と庭に囲まれた住宅は地震前とまったく変わらずのどかで静かな所です。

自宅の庭を眺めコーヒーを飲む午後のひと時は心地よく、時間のたつのも忘れてしまいます。また近所の庭を見ながらの散歩で心身ともリフレッシュ。今年もこの地に戻ってこられたことに感謝!

散歩道、殆どの住宅は平屋で160u前後、広いガーデンがある。
      散歩道    散歩道 花の庭のある家。見ていると、家主がでてきて花自慢が始まる。
庭をほめると大喜びします。 住いから徒歩5分のところにテニスクラブもあり、クラブメンバーとテニスも楽しみます。      夕焼けを眺めての散歩


2012年1月1日


クライストチャーチの新しい年は、地震からの復興の輝きをハグレ公園の花火にたくして華やかに打ち上げました。クライストチャーチの中心街は地震の被害はあったけれども、郊外は森と花に囲まれ以前と変わらない綺麗な街並みです。私達は10回目の節目の滞在です。クライストチャーチの滞在が出来るだけ長く続くことを願っています。今年もよろしくお願い致します。
  1月1日 森と花に囲まれたクライストチャーチ 12月のイブはサンタさんが再訪を歓迎してくれた。



                 2011年 ニュージーランド 便り


2011年8月

ニュージーランド・クライストチャーチと釜石市・大槌町の復興の狼煙


2月22日ニュージーランドのクライストチャーチが地震に襲われました。続いて3月11日には日本の東北地方にも地震と津波が襲いました。両国は北半球と南半球にあっても、地形も風土もにていて、緑豊かな綺麗な国です。同時期に大きな被害を受けたのが信じられません。両国の被害者の皆さんには謹んでお悔やみもうしあげます。日本から訪れていた私と多くの友人は2月22日にクライシトチャーチで地震に遭遇しました。地震直後の帰った友人は、また日本で地震に遭遇しました。私は3月末に日本に帰りましたが、東北の被害の大きさにただ呆然とするのみでした。

日本の被災者は、世界各国からの激励と支援で、町の復興にむかってたちあがりました。岩手県の釜石市とその近辺の被災者が、町の復興に向かって立ち上がった自分達を見てほしいと、メーセージつきのポスターを作成しました。特に釜石市はニュージーランドと同じでラクビーが盛んな町です。クライスチャーチの被災者にもポスターを見て頂き、お互い被災者が町の復興にむかって励ましあっていこうと思い、クライシトチャーチにポスターを送付しました。送付時の6月には英語のメーセージのポスターの印刷がまにあわなかったこともあり、手作りの英文メッセージを貼り付けて送付しました。(現在は英語版のポスターもあります。ポスタープロジェクト作成者から、英語版をNZに追加寄贈することになりました。ありがとうございます)

英語メーセージ付ポスターの一例です。


クライストチャーチ市より「クライシトチャーチも以前よりもいい町にします。ぜひまた多くの方がクライストチャーチに訪れてください。」とポスター送付のお礼のメールがありました。

クライストチャーチのシンボルである大聖堂は地震で倒壊し、再建には長い年月を要します。再建までは、日本の建築様式での大聖堂が来年2月22日の地震で壊れた日までに建築するとのニュースがありました。日本様式で建設される大聖堂は、日本の被災地の復興の願いも含まれているようで、うれしいニュースです。

英語版の全写真の内容は下記の「復興の狼煙」のホームページからも見ることができます。またホスターの購入もできます。ホスターの売り上げ金は被災地の義捐金ともなります。小さな第一歩を踏み出した力がいつか大きく実ることを願っています。
                              
復興の狼煙 


2011年5月

68年の時を超え、国を超えて親善と感謝の旅

ニュージーランド・フェザーストン・元日本軍捕虜収容所と慰霊碑 を訪ねて


2月11日に訪れたいと願っていたフェザーストンについた。この町には第二次世界大戦時に元日本兵の捕虜収容所跡地があった。ニュージーランド軍のフェザーストンキャンプ地として使用していたが、元日本兵捕虜が多くなり1942年より元日本軍捕虜収容所として急遽使用した。

跡地は、国道2号線に面して入口があった。当時の兵舎等の建物はなく、静かな森に囲まれた芝生のフェザーストン遺跡公園となっている。

1943年2月25日、この地で元日本兵とニュージーランド警備兵との間で銃撃事件が発生し、日本兵48名が死亡、70名以上が負傷した。ニュージーランド兵は1名死亡と負傷者があった。ニュージーランド軍が国内で他国の軍と戦った唯一の戦闘として、ニュージーランドの学校の教材にもなっている。

この戦闘で死亡した元日本兵を慈しみ、生き残った元日本兵がこの地に慰霊碑を寄贈した。慰霊碑には鎮魂の2文字が刻まれてある。私は縁あり知った元日本兵が、慰霊碑に献花したいとの願いをかなえる為と、私自身も同じ気持ちで、この地を訪れました。異国で戦死した友に冥福を祈り、哀悼を捧げました。

いまでは
年一回フェザーストン市主催でセレモニーが開催されます。本年は2月25日に追悼セレモニーがあります。日本を代表してNZ大使が参加予定です。

跡地には日本から寄贈された桜の木が整然と並んで植えられている。私には元日本兵が整列しているように見えた。ニュージーランドの春である9月には一斉に桜の花が咲くことでしょう。その時期には、フェザーストン跡地で東京農業大学OBのコーラス団が日本の歌を歌います。戦死いた元日本兵は懐かしい日本の歌を聞いていることでしょう。

次回は2012年の9月の初旬に東京農業大学OBのコーラス団Chor-Farmer がFeatherstonにくる予定です。
 

 公園の中心にある フェザーストン軍キャンプ跡地 記念碑                   慰霊碑
        日本兵の死を謹んで寄贈された碑                   献 花

    入口の看板   国道から見た 入口       NZ兵の墓地 長崎の原爆で生き残ったクスノキの芽を寄贈し植えれていた。


フエザーストンの歴史遺産博物館をたずねる。

遺産博物館には元日本兵捕虜が帰国の際に残していった数々の日常品や木工品、絵画等が展示されていると聞き、もしや私が探している元日本兵が描いた絵と思われる作品が見つかるのではと訪れてみた。フェザーストンは約4千人の小さな町であり、町の中心地に平屋の小さな博物館があり直ぐに見つかった。

訪れた歴史遺産博物館の入口は閉まっていた。隣の鉄道博物館は開いていたので、受付の女性に事情を話して歴史遺産博物館を見たいと話したら、博物館の管理人にすぐ連絡してくれた。

管理人がウエルカムといって鍵をあけてくれた。日本兵の残していった作品や写真の展示している所まで案内してくれた。私は直ぐに一枚の絵に目が釘づけになった。管理人に私が持参した絵のコピー見せて、この作者を探しているが同じ作者ではないだろうかと話した。管理人も驚いて、絵を壁から外し、みくらべて、間違いないと思う、絵の由来を記録したファイルがあるといって書庫から持ってきた。ファイルには名前は不明だが1945年12月30日元日本兵が日本に帰国の際に残した絵の一枚であるとのことでした。生きて日本に帰ったことがわかっただけで、一気に胸のつかえが取れた。お礼に持参した絵のコピーを渡してきた。本物の絵を持参しているウエンデイ デービスさんの名前も報告しておいた
次回訪問時には並べて飾ってあることを期待している。





     歴史遺産博物館        日本兵の絵     日本兵の絵     手作りの手裏剣と槍
フェザーストン市主催のフェステバル

2月25日フェザーストン市主催で慰霊祭が開催されました。NZ大使が参加予定でしたが、2月22日にクライストチャーチで地震が発生し、多くの死傷者がでた。日本人旅行者、留学生にも多数の死傷者がでた。大使はじめ職員がクライストチャーチに支援に駆けつけました。突然に事で、当日は日本
大使館から松田専門調査員が代理で参列し献花した。

(この情報はNZの日本大使館からです。写真は
フェザーストンのMayor(South Wairarapa district council mayor Adrienne Staples)の秘書のBarbara Gavanさんが撮影してくれました。ありがとうございました。
 
フェザーストン軍キャンプ跡地への献花
日本兵の慰霊碑への献花
ニュージランド兵への献花
牧師
大使代理として松田専門調査官

 第二次世界大戦当時 ウエリントン病院でのできごと

1942年ガダルカナル島の陸軍の水野 譲さんは4発の銃弾をあびて倒れていた。倒れていた3名の戦友と共に米軍に保護され、ウエリントン病院に収容された。医師と看護士の献身的な介護で命をとりとめ、6ヶ月間の入院生活のあと1943年2月フェザーストンの捕虜収容所に護送された。
ソロモン諸島海戦で沈没した戦艦「古鷹」の海軍兵も米軍に保護され重傷者はウエリントン病院に収容された。フェザーストン事件の時も重傷者はウエリントン病院に搬送された。

病院に運ばれた元日本兵は、当初は敵国の病院であり殺されると思ったが、看護士が日本兵捕虜は敵ではない一人の人間です、大切に看護をしようと声をかけあって看護していた。多くの看護士の中でドロシー オールドリッチさんは日本兵の看護を専門に担当していた。彼女の祖父のスタンポープ オールドリッチ氏は初代NZ総領事に任命され日本とニュージーランドの親善に生涯を捧げた。彼女は親日家のオールドリッチ氏の孫として育ち、日本語も話せた。彼女はウエリントン病院に元日本兵が入院すると聞き、自ら志願して日本人の看護を担当した。医師との通訳や元日本兵の要望、相談も引き受けた。元日本兵から信頼され尊敬されていった。

1943年5月、ウエリントン病院に入院していた元日本兵の一人が看護婦のドロシーさんに献身的な看護のお礼に絵を描いて贈った。その絵はドロシーさんの姪の ウエンデイ デービスさんが大事に保管してあった。ウエンデイさんは、日本とニュージーランドの親善と平和が、これからも永久に続くことを願って、絵の作者が生きていたら、お返ししたいと私に依頼した。新聞社の報道、南山学園の支援で絵の描いた元日本兵を探しましたが、まだ見つかっていません。しかしこの報道でウエリントン病院に入院して、ドロシーさん始め医師、看護士に大変お世話になった3名の元日本兵がいることが判明した。3名の元日本兵はウエリントン病院の皆さんに、命を助けていただいた感謝を伝えたいとの事でした。68年の時が経過したがウエリントン病院への伝言を快くひきうけた。


ウエリントン病院の訪問


ウエリントンは中心街が港を囲むように長く面しており平地がすくなく中心街から登りの急坂に面して住宅地が丘の上まで広がっている。市中心部には国会議事堂、博物館、美術館、大学、オフィスビル等が集まり政治、芸術、文化の中心地である。また南島のピクトンとのアクセス拠点でもある。

ウエリントンは初めての訪問であり、地理に不慣れであった。ウエリントン在住で、3日前のテニス大会では私のパトナーであるランス(Lance)に案内を頼んだところ、快く引き受けてくれた。

彼は病院の案内、受付また通訳と手助けしてくれた。第二次世界大戦で重傷を負った傷病日本兵を手厚い看護で命をとりとめ、無事に日本に帰る事ができたのは、医師、看護婦の皆さんのお陰であった。特に敵国の兵士でありながら、親切な看護をしていただいた皆さんは、命の恩人である。一度病院を訪問しお礼を述べたかったが、高齢であり訪れることができない。それで私が代理できました。突然の訪問にもかかわらず、病院は、暖かく私を迎えてくれました。

病院の医師、看護士は、全ての患者を分け隔てなく、常に最善の治療と看護をし、健康を取り戻していただくのが使命です。特別に元日本兵を治療したわけではないのに、いまも感謝の気持ちを持ち続ける元日本兵の皆さんに敬意を表します。いまも生存している3名の元日本兵の方に、これからも健康で長生きしてくださいとお祈りをします。とミサをあげていただきました。

病院に別れを告げて玄関を出た時、約3年前から始まった「お礼の絵」を描いた元日本兵を探す長い旅もようやくノーサイドの笛がなりました。病院からの帰りに、ランスが日本食レストランにいこうと誘ってくれた。食事中もいろんな思いが頭の中をめぐり、どんな味だったか思い出せない程感激していた。

翌日ウェリントン病院からメールがきた。元日本兵の代理で、68年前のことなのに、病院に感謝に訪れた事を多くの方に知ってほしいので病院のトップニュースとしてとりあげました。また感謝の花は病院の正面玄関に事情を記載して飾りました。と写真と下記のURLを知らせてきた。
http://whhf.org.nz/nurse-aldrich-and-japanese-pows-remembered/

また日本の東日本大震災の際には、私達と私の友人、元日本兵の皆さんは無事かと案ずるメールが届きました。私はその時はまだクライストチャーチに滞在していた。私達日本の皆さんを心配していただく病院の気持ちには厚くお礼もうしあげます。さっそく日本大使館にもメールは転送した。後日クライストチャーチ地震では、重傷の日本人をウエリントン病院に緊急搬送して無事助かった事を知った。

今回の旅も皆さんに支援され、お陰で感動的な貴重な体験ができました。ニュージーランドの親切な人々にも出会いました。

どんなことがあっても今年の夏で10回目になるニュージーランドを訪れよう。また日本と同じ年に地震で被害をうけたクライシトチャーチの力強い復活を見てみたい。

    花束の贈呈と記念撮影  表面玄関の飾られた花束  1943年当時の病院、現在も宿舎として使用







2011年1月

ニュージーランドの南島といえば、島のほぼ中心にあるデカホ湖とマウント・クックにまず訪れてみた。

クライストチャーチから約1時間30分走ると途中に羊毛とジャムやチーズの産地で有名なジュラルデンの町に到着する。車や観光バスが休憩する町でもある。

その町の羊毛専門店に世界一大きいジャージ(セイター)があるとのことでインフォメーションセンターで訪ねたら、ぜひいってみてと奨めてくれた。町の地図までくれた。

店に入ると壁一面にジャージーがつるしてあった。試着してみて、丁度よかったら買おうと思ったが足が動かない。あいそのよい女性の店主が試着は無理とのことで、かわりに手袋を試着し、丁度よかったので、買ってきた


ジュラルデンから約1時間30分程走ると水の色がミルキーブルーのデカホ湖に到着した。

いつも湖の傍にある有名な小さな教会から眺めるのだが、今回は天候も良いので、標高1031mのマウント・ジョンの頂上から眺めることにした。ハイキングで往復2時間20分だが車で30分程で頂上に到着した。


頂上からの眺めはデカホとその町が箱庭のように見える。今日の夜は写真の右端に見える長く3列に繋がっている、デカホ湖の眺めが良いホテル(ペッパーズ)に宿泊した。

デカホ湖から約1時間程でマウント・クックにハミテージホテルのセンターに到着した。

2階レストランのベランダから大好きなコーヒーを飲みながらマウント・クックを眺めていると、すべてが大自然に飲み込まれてしまいそう。何もかも忘れ、ボーとして眺めていた。

誰かが呼んだような気がした。最近は普段もボーとして、返事もしなくなったわね、と話している声が聞こえ、我に帰りマウント・クックをあとにした。

 1月25日
スポーツクラブの皆さんが元気に活動しています。
                    
ゴルフ

毎週火曜日(または月曜日)はゴルフのコンペになっています。

ゴルフよりも週一回会って、お互い元気でいる事と日本語で会話できるのが楽しみで参加する人、たかがゴルフ、いまさらシニアープロに挑戦するわけどもないしと言いながらも、スコアーをきにしている人など、皆さん楽しいゴルフを満喫しています。

数年前より、人数が増えて幹事の方が連絡で苦労しています。来年からは参加希望者は、申し込みお願いします。申し込みがあった方に毎回案内のメールで送付いたします。希望者は、ゴルフ幹事の方に滞在先・メールアドレス、電話番号と滞在期間(連絡期間)をご連絡ください。よろしくお願いします。またゴルフ幹事になることもあります。

テニス

場所:カシミア テニスクラブ 
定例
:水曜日、金曜日の9時30分より12時まで、
:カシミアテニスクラブのメンバーは上記以外も毎日練習できます。カシミヤテニスクラブのテニス試合や合同練習会がある日はテニスコートは使用できません。
   
最近はレベルも向上してきました。NZの大会でも活躍できる方が多くなりました。またNZの選手がビジターで参加もあり楽しめます。

                     

                      
2010年ニュージーランド通信に続く