ペットボトルジャック
物置き 掲示板
だんだんトーンの目覚まし時計の音が窓の外から聞こえてきた。午前九時三十七分のことである。我が家まであれだけはっきりと聞こえてくるということは、その人の部屋ではものすごく大きな音なのではないかと思われる。朝寝坊である。
「ドラゴンクエストIX」が発売されたらしいが、もはや全く興味がなくなっている。私がプレイしたのは2から5であり、5のときにはもうあまり楽しめなくなっていた。私が好きなのは3と4である。3は転職のシステムが好きである。船を手に入れたあとはどこをどういう順番で回ろうが自由であり、そのあたりも好きである。また、下の世界があるというのも面白かった。4はモンスター側にも人間に恨みを持つ理由があるというところが好きである。3までは意味もなく竜王やハーゴンやゾーマが世界征服をしたいだけのように見えたが、4にはちゃんと理由があるのである。主人公側にも仇討ちという理由があり、それもまたよい。
タモリさんが「笑っていいとも!」を一週間休養するそうである。白内障の手術と人間ドックだそうである。徹底的な人間ドックだそうで、どこかに異常を感じているのだろうか。日本の象徴的な存在だけに、心配である。
竜王戦の挑戦者は、複雑なトーナメント方式で決まる。大雑把に、トーナメントには本選と予選があり、本戦に勝ち上がるのは非常に大変である。棋聖戦と並行してこの本選トーナメントの森下九段対片上六段の対局を見ていたのであるが、非常に面白かった。五十手くらいの長い序盤戦を経て、短い中盤戦ののち、一気に森下先生の駒が片上先生の玉を丸裸にしていったのであるが詰まず、逆に、片上先生の飛車二枚が縦横から森下玉を挟み撃ちにして、片上先生の勝ちとなった。見応えのある勝負だった。
棋聖戦五番勝負第四局、羽生棋聖対木村八段の中継を見ていた。いつものように木村先生が受けきり勝ちをするのかと思いきや、羽生先生が銀と歩だけで詰ますというすごい技を見せた。途中までこの勝負はどちらにも決め手がなく、入玉した方が勝ちに見えたので、まさか詰むとは思わなかった。五番勝負は最終局へともつれ込んだ。
GoogleがOSを作っているらしい。Linuxだという話である。なんだか、そのうちパソコン関連の何もかもがGoogle製になってしまいそうで怖いのだが、GoogleがどんなOSを作るのかが楽しみでもある。ものすごく使いやすそうなイメージがある。もし、イラストレータやフォトショップあたりの高性能な代替ソフトを作ってくれたら、GoogleのOSに移ってしまうかもしれない。
ニコニコ動画で活躍中のベーシスト「ティッシュ姫」が生放送で顔を出すということで見に行ってみたら、定員オーバーで即座にはじき出された。ティッシュ姫は、まだマスクとマフラーをしていて喋りもホワイトボードの段階だったので、結局何も分からなかった。悔しい。今後、録画が放送されるだろうか。
「民主党が次期衆院選で掲げる政権公約(マニフェスト)の最終案が7日、明らかになった」とニュースにあったので、民主党のホームページに行ったのだが、マニフェストが見あたらなかった。2007年のマニフェストは見つかるのだが、最近のものが見つからない。どこにありますか。
とある人のとあるエントリを読んでいて、「爆笑問題のススメ」という番組を思い出した。爆笑問題の二人が毎回作家とトークをするという番組である。いい番組だった。それを思い出して、そういえば「爆笑問題のニッポンの教養」とは全く印象の違う番組だったなと思った。ニッポンの教養の方では毎回教授と喧嘩をしているが、ススメでは和やかにトークを楽しんでいたように思う。結局、太田はサイエンスとか学問とかがあまり好きではないのだろうなと思った。作家は伝統を破壊していくのが仕事だが、サイエンスは伝統を継承していくことが仕事である。片方が好きな人は片方が嫌いだろうなと思う。ちなみに私もサイエンスはあまり好きではなく、私が好きなのはやったもの勝ちのエンジニアリングである。
将棋界には個性的な人々がたくさんいるが、夫婦としてはこの二人が楽しい。奥さんが旦那さんにトラックバックを送っている。両方とも棋士である。
そろそろ都議選である。政見放送がYoutubeあたりにあったら便利だと思っているのは私だけだろうか。マニフェストなんかどうにでも書けるので、あてにならないですよ。
サラダ記念日である。RURUさん、おめでとう。
蛍を見に行ったというメールが届いたので、「東京には野生の蛍がほとんどいない」と返信した。読み返してみて、「野生の蛍」ってとんでもない概念だと思った。普通、蛍は野生じゃないか。
家の中に小さなハエが多数飛んでいる。これは一体どこから入ってきたのだろうと不思議だったのだが、よく考えてみたら網戸の網の目よりも小さいハエなので、家の内外を自由に行き来できるのだった。
これまで手作りされてきた「どうぶつしょうぎ」であるが、ようやく量産体制が整ったようである。「幻冬舎エデュケーションより市販化決定!9月初旬より、全国の書店・玩具店でお買い求めいただけます」とのことである。制作者のブログをさかのぼってみると、どうやら最初は100セット売れれば満足という感じだったらしく、今の売れ具合は想定の範囲外であるようだ。
このところ連日、東国原知事のニュースが話題になっているが、新聞間で正反対のことが書かれていたりするため、何が本当なのかが分からない状況となっている。結局のところ、ことが落ち着くまで真相は分からないままであり、もはやそれはニュースではない。
近所の早売りの本屋で、七月一日の夕方からほかのジャンプコミックスが並べられていたにもかかわらず、高校の後輩が著者の「黒子のバスケ」が並べられていなかった。その本屋は売れないコミックスは並べない経営戦略なので、つまり、売れていないということになる。くじけずにがんばれ、後輩!
芥川賞と直木賞の候補者が発表されたが、ほとんど名前が分からない。分かるのは北村薫さんくらいで、この人が受賞していないことが意外だった。
従兄が参加している絵画展を見てきたら、ちょうどその従兄がいた。遠くまで集中講義の講師をしていたり、科研費を通していたりするなど、活躍中のようである。これまで絵を買ってもらえたことがないようだが、今回の絵は出来がよいので買ってもらえるんじゃないかと予想している。
ここを見ていれば分かるが、私は将棋実況動画の観戦にはまっている。動画を見ていると、もはやプロの将棋など要らないような気分にすらなってくる。棋譜だけの将棋や、解説者と対局者が別々の将棋よりも、将棋実況の方がずっと面白いのである。プロ棋士と将棋実況者が対局したらもちろんプロ棋士が勝つのだけれど、将棋の内容そのものは簡単なミスがなければ何でもいいのである。プロ棋士は最近、振り飛車が少なくなり居飛車ばかりになっているが、それもつまらない。将棋実況は様々な戦法を指してくれるので、それも面白い。そうなってくると、プロ棋士というのはいったい何なのだろうという気分にもなってくる。奨励会を卒業した人という定義ははっきりしているが、存在意義が分からないのである。いなくてもいいような気すらしてくる。おそらく、将棋実況者の将棋が下手だと分かってしまう人にはやはりプロ棋士の将棋の方が面白いのだろうが、私にとってはプロ棋士もアマ強豪も似たようなものなのである。
思えば、そのほかの分野でも、プロの存在意義の分からないものがある。従兄のやっている絵画である。従兄はプロである。私は従兄の絵も見に行くが、それよりも昨日書いた羽住都さんの絵の方が好きである。この人のことはアマチュア時代から好きだった。インターネットを巡れば、ほかにも素敵な絵がたくさんあり、悲しいことに従兄の存在意義が分からなくなってしまうのだった。
それから、歌手も、川本真琴さんとニコニコ動画の歌い手がいれば、私は充分なのである。
小説も最近は読んでいない。村上春樹さんと長嶋有さんは例外だが、ほかはほとんど読まなくなった。それよりは、素人のブログを読んでいた方が楽しい。素人の小説は面白くないが、プロの小説にも面白いものが少なくなってきた。
とりわけ芸術的な分野において、プロというのはいったい何なのだろうと考えてしまうのだった。
私にとって、例外的な存在なのは、マンガだろうか。これに関しては、アマチュアの出したものはほとんど読んでいない。プロの漫画家の作品は結構読んでいる。そして、プロの漫画家の作品は面白い。
新劇場版「ヱヴァンゲリヲン:破」の評判がやたらといい。海燕さんの評を読んでいると、多少体調を崩してでも見に行かなければならないような気分になってくる。でも、体調を崩すのは辛いので見に行かない。
「消せない告白」(おいしいコーヒーのいれ方 Second Season III)の表紙の絵が一瞬、羽住都さんのものに見えたが、ネットで調べてみたら別人だった。ちなみに私は、羽住都さんの画集を持っている。
下の方で紹介した感想戦がやたらと質の高い動画の人は、「なまかく」という名前になったようである。ほかの将棋実況者たちが、強さや喋りなどで勝負する中、この人はその強さもさることながら、ここまで丁寧にやるのかという感想戦で勝負している。感想戦というのは、勝敗がついたあとにその将棋についていろいろと二人で反省しあうことである。将棋実況の場合は、一人で感想戦をおこなうことになり、当然のことながら独りよがりになることが多いのだが、なまかくさんは「激指」という将棋ソフトを使って客観的に自分の指し手を解析している。また、ほかの人が「ここで3三角成り、同桂とすると……」などと口頭で指し手を振り返るところを、わざわざ自分で変化手順まで打ち込んで図として見せてくれるのである。さらに、喋りも非常に丁寧で「先手の玉が入場しており持ち駒に一歩あり攻め手がありそうであるのに対し、後手の玉はまだ入場しておらず持ち駒もなく攻め手もなさそうに見え、以上のことから先手優勢と判断していました」のような言葉遣いをする。この言葉遣いに特に分かりやすさ向上の意味はないと思うのだが、丁寧さとして首尾一貫しており、笑いを誘う。この感想戦のスタイルは、自分なりの価値観を提示してさらに突き詰めてみたという好例である。
ところで、この人の声を聞くと、「火目の巫女」の初稿の書き手を思い出す。喋りのまともさはまるで似ていないが、訛りと声が似ているのである。
「あんにょん由美香」のサウンドトラックを購入。曲自体はyoutubeの(おそらく公式の)PVで聴いていたので買った意味はなかったのだが、川本真琴ファンとしては買う一手。
「とめはねっ!」は今回も質が高かった。
「題名のない音楽会」に、タモリさんと山下洋輔さんが出ていた。山下洋輔さんのピアノを聞くのは実は初めてだったのだが、想像よりもずっと秩序があった。もっとめちゃくちゃだと思っていた。来週も同じメンバーだそうである。
高校までの教育が「大学受験のための勉強」と揶揄されて久しいが、「国際学術誌に投稿論文を載せるには」(講師:白井恭弘氏)という講演会が研究者向けにお茶の水大学で開かれるとのことである。意義の是非は考えないでおくことにして、やっていることは高校生と変わらないのである。
オタマジャクシが空から降ってきていた事件であるが、都会っ子の私には怪現象以外の何者でもなかった。でも、地元の人にいわせれば、「飲み込んだオタマジャクシをサギが吐き出すなんてよくあること」だそうである。事件は会議室でも研究室でもなく、現場で起きているのであった。
パソコンに疎いので、ファイルシステムとかそういうのがよく分からないのだが、とあるデータベースのCDのトップのディレクトリをlsで調べてみたら、1992年に作成されたと表示された。このときってやっぱりファイルシステムとかが違うんだろうなあ。CDからubuntuにグラフィカルインタフェースではコピーできないのって、やっぱりそのせいかなあ。
買ったわけではないが、書店で見かけた本。「萌える☆哲学入門」。こんなジャンルを萌やして、一体誰が買うというんだ。
リメイク版の映画の「ヱヴァンゲリヲン」は、昔シンジくんだった人たちが集う同窓会なんじゃないかと思う。十代の頃に何かから逃げないふりをしてやっぱり逃げていた人たちが、二十代になってその頃のことを思い出すのである。気色の悪い同窓会かもしれないが、全国同時多発的同窓会というのは画期的だと思う。
たまに、妙にゆっくり飛んでいる蚊がいる。潰していいのかなあと思いつつ、潰させていただく。一方、めちゃくちゃ速い蚊もいる。「るろうに剣心」の感情欠落のあの剣士をもしのぐ速さで飛ぶのである。狭い我が家、そんなに急いでどこに行く。
チビノワさんが、小さい「ぁ」をどう打っているかと世の中に問うていたので、windowsの頃には「la」だったが、Ubuntuにしてからは「xa」でなければ入力できないようなのでそう打っていると答えたら、「それはATOKのせいではないか」という指摘が返ってきた。今いじってみたら、確かにATOKの設定のせいであり(Wnnモードだとそうなるらしい)、ローマ字のカスタマイズを変更した。これからは快適に「la」で「ぁ」を打つことができる。ありがとう、チビノワさん。
一年前の6月26日、BLOCKBLOGの閉鎖予定日だった。私のブログが個人的に閉鎖するのではなく、サービス全体が終わるのである。サービスが閉鎖されるという発表があったのはその約二週間前であり、BLOCKBLOGにはデータのエクスポート機能がなかったため、急いでhtmlからMT形式に変換するスクリプトを書いたのだった。とはいえ、その半年以上前から、なんとなく経営が危うそうだというにおいはしていた。サポート掲示板が止まっていたり、賞金つきの何かのコンテストがうやむやになっていたりしたのだ。来るべきときが来たと思った。そして、6月26日が来た。午後6時頃から、最期を見届ける人たちが集まり始め、新着エントリは「ありがとう、さようなら」という内容で埋め尽くされた。BLOCKBLOG内のブログのコメント欄やmixiがチャットのような状態になった。あと15分ほどで日付が変わるという段になり、BLOCKBLOGのトップページに、まだ閉鎖しないという趣旨の文面が現れた。マインディアという会社が現れて、BLOCKBLOGの代わりにエクスポートを担うことになったのだった。それに伴って、閉鎖が延期された。6月26日で閉鎖されるはずだったBLOCKBLOGはその後、4日間ほど生き延び、そして、まずCSSがおかしくなり、コメントが書き込めなくなり、とうとう何も映らなくなった。間抜けだなあと思った。ニューリリースが遅れることは多々あったが、閉鎖まで遅れるとは思っていなかった。期待はしていたが、さすがにそこまで期待に応えてはくれないだろうと思っていた。ハバネロを育てたからプレゼントしますという企画もよく分からなかったけど、閉鎖日が遅れますという企画もよく分からなかった。BLOGKBLOGって、よく分からなかった。またよく分からないものを作ってくれないかなあ。
とある人の勤めている会社では、労働組合を作ろうとするといつの間にか会社から追い出されるそうである。週七日勤務だそうである。世の中、すさんでいる。
名人戦七番勝負は羽生名人対郷田挑戦者で第七局までもつれ込んだ挙げ句、素人目には一方的に見える展開で81手で羽生名人の防衛。妙にあっさりした一局だった。
ニコニコ動画の将棋実況。この人はとにかく喋りが上手い。それから、なんといっても感想戦が面白い。なんか、学会のプレゼンを見ている気分になる。
「寺よ、変われ」という新書を読んだ。なぜ読んだのかといえば、存在意義が分かりづらかったり、なんとなく偉そうだったり、経営難らしいというところが大学と似ているように思えたからである。実際、問題は大学と似ていた。寺も大学も「昔ながらのことを続けたい」という願望と「それでは滅びるだけである」という現実の狭間にある。この本の著者は昔ながらの仏教的な主張を最小限に抑えて、時代のニーズに合わせた寺のあり方を模索している。なかなか面白い本である。とはいえ、ほぼ「無宗教」である私にとって見れば、失礼ながら、「やっぱり寺はなくてもいいんじゃないか」というところに落ち着いてしまうのだった。そしてきっと多くの人にとって大学についても「潰れる大学は潰しておけばいいんだよ」というところに落ち着いているのだろうと思う。
ところで、四苦八苦の四苦は「生老病死」だそうである。生きるということは、苦であるらしい。
どうぶつしょうぎの盤は、これまでは紙にカラーコピーしただけのものだったのだが、今度はハンカチの盤を売り出したらしい。別売りで450円である。ほしい。
私はMacは全く使わないので関係ないのだが、「ATOK 2009 for Mac」が7月17日に出るそうである。
王位戦への挑戦者決定戦は木村八段対橋本七段の対局になり、木村八段が挑戦権を獲得した。この勝負、終わってみれば木村八段の圧勝だったように思える。というか、木村八段の指し回しが非常にかっこいい。ドラゴンボールに喩えるなら、相手のすごい速さのパンチを全てあっさりと防ぎきりながら「足下がお留守ですよ」と相手を場外に軽く落とすような、そんな指し回しである。そういえば、木村八段は先日、羽生名人にもそんな感じで一局勝ったのだった。受け士である。
「おおきく振りかぶって」購入。とりあえず、発売されましたということだけを書いておくことにする。
海燕さんのところのチャットでドリアン助川さんのラジオの話を出したら、それを即座にニコニコ動画で発見した人がいた。まさか、ニコニコ動画にあるとは思わなかった。一応著作権には違反していると思うが、量的にも質的にも取り締まられるべきものではないだろうと思ったのでここに書いている。懐かしいと思って、ほかのラジオも探してみたら、なんと「ゲルゲットショッキングセンター」の最終回がまるまるアップされていた。十年前の放送である。CMなどがカットされて、ほぼ二時間である。日曜日の二時間を費やして聴いてしまった。アップロードした人の説明文には「この放送を聴いていた皆さん、カッコいい大人になりましたか?」とあるが、これはパーソナリティの最後の言葉からのものである。かっこいい大人になったかなあと思い、全然かっこよくないなと思い、そして、特にかっこよさにこだわることもないと思ったのだった。
先日一緒に飲み屋に行った人の一人が、最近のニュース番組についてこんなことを語っていた。「何か事件が起きると即座に模型やCGを作る。なんであんなに仕事が速いんだ」。日本の模型技術は確かにすごいのかもしれない。
この言葉は切ない。なんというか、技術よりもお金の方が強いという現実をまざまざと見せつけられた気分になる。
棋聖戦五番勝負第二局、羽生棋聖対木村八段の対局は、なんと連続王手の千日手の筋がからみ、木村八段の勝利。「千日手」というのは同じ手の繰り返しになって局面が進まなくなることである。普通の千日手の場合には先手と後手を入れ換えて最初から指し直しになる。ところが、連続で王手をしながらの千日手の場合は、王手をしている側の反則負けになる。ゆえに、指し手を変えなければならない。私は、連続王手の千日手というのは滅多に使うことのないルールブックに書かれているだけのルールだと思っていたので、実際にその筋が出てきてとても感動した。普通の千日手はわりとよくある。
biglobeの配信動画に、将棋連盟が作成している番組がある。毎週金曜日の配信である。今は、鈴木女流が先崎先生の話を聞くという動画を流しているのだが、そこで面白い話をしていた。プロ棋士の将棋は一般に持ち時間が長いことが多く、朝食後から夜中までかかることもある。その場合、わりと午前中などはだらだらしていることもよくあることであるらしく、阪神大震災、地下鉄サリン事件、ワールドベースボールクラシックなどのときには、みんな将棋そっちのけでテレビを見ていたそうである。特に、上九一色村の強制捜査のときにはほとんどの棋士がテレビを見ていたそうである。
もうそろそろ「1Q84」のネタバレを書いてもいい頃だと思うので、好きなシーンを一つ挙げる。ずばり、リーダーが青豆にマッサージを受けるシーンである。使わない筋肉を伸ばしていくとかそういう描写がとても気持ちよさそうなのである。この小説は絶対に整体とかの宣伝になったはずである。そういうわけで、私の好きな登場人物はリーダーである。
サッカー日本代表は、オーストラリアに1‐2で敗れたようである。もはやどうでもいいことである。私はやはり、ゴン中山とかそのあたりの時代が好きなのである。例外的に、現役の旅人である中田さんも好きである。
その昔、研究室に「アップル」という名前のサーバがあった。管理上の都合でダミーのサーバを建てなくてはならなくなったようで、先輩たちが一生懸命作業していた。出来上がったダミーのサーバには「パイナップル」という名前がつけられていた。上手い名前だと研究室内で評判になった。
東急百貨店の一階から三階までエスカレータで上がり、三階で用事を済ませたあと、三階から一階までエスカレータで下った。目の錯覚かもしれないが、下りのエスカレータの方が動きが遅いように感じられた。事故防止だろうか。
「Q.E.D.」を発売日の二日前に手に入れて読む。被害者に関する三人の証言が見事に食い違う話が気に入った。
名前だけは知っているが「グリコ・森永事件」についてほとんど知らなかったので、wikipediaを読んでみた。もしこれを今の時代にドラマ化したら、ものすごく陳腐な作品になるだろうと思った。でも、どことなく「踊る大捜査線」にテイストが似ている。
どうぶつしょうぎは後手必勝のようだということになったらしい。コンピュータの力ずくの解析により。
「寺よ、変われ」という新書が気になっている。寺院と文系の大学は似たようなところがある。「なんの役に立つの?」と問われると非常に答えづらいところである。そういうわけで、寺院はどう頑張っているのかというところが知りたい。
散歩をしていたら、オリジン弁当が潰れてフレッシュネスバーガーになっていたことに気づいた。諸行無常の響きあり。
「ダブルラリアット」を沖縄方言で歌っている動画。不思議な面白さがある。日本語に翻訳してくれている字幕コメントもあるが、最初はコメント非表示の方が楽しめる。
英会話教室への勧誘の電話がかかってきた。よくあるあれである。英語が話せたら便利とかそういうことはあまり思っていないのだが、相手は執拗に英語が喋れることについてのメリットを説明していた。電話が終わってから、何かに似ていると思った。そう。大学教員である。研究ができても何も面白くもなんともない人に対して、研究のメリットを語るのである。英語の勧誘と同じように、学問(とか英語)こそが救いの道なのだと信じてやまないのである。不気味である。
「○○が終わったら××するんだ」という定型文がある。俗に、死亡フラグなどと呼ばれている。映画などで結局××ができずに脇役が死んでいくパターンの多いことが由来である。でも、「俺、このハンバーガーを食べ終えたら、ポテトを食べるんだ」なら、死亡フラグにはならずに脂肪フラグになるんじゃないかとか思った。
そんなことを書いていたら、久々にマックチキンが食べたくなった。胃がもたれるから食べないけど。
不覚にも前回泣けてしまったので「ロウきゅーぶ!」の第二巻をここ数日本屋に買いに行っていた。だいたい発売日の四日前くらいから店頭に並ぶので、そのつもりで本屋に通っていたのだが、結局買えたのは発売日の前日の夕方だった。出荷が遅くなったのだろうか。
下の方で書いた「からだが変わる体幹ウォーキング」という新書を読んだ。歩き方についての本であるが、まず「立ち方」についての説明があり、その章を読んだ時点で私は歩くことに自信がなくなったのだった。まあ、我流で適当に歩き続けます。
「1Q84」を読み終える。読み終えたけど、読み切れない深さがある。
下の方で書いた「ELTいっくんオーディション」は四人の女性ファイナリストの中からデビューする人が選ばれたのだが、盛り上がったのはやはり特別枠の男性二人だった。この二人はどちらも女の声の男性というわけではなく、ちゃんと男の声の男性なのだが、キーが高いのである。片方は徳永英明さんとかそういう感じで、もう片方はシャウト系である。この徳永さんみたいな人が気に入ったので、今後どこかで活躍してほしいなと思っている。ネット上でもいいし、CDを出してもいい。
どの楽器もかっこいい動画。ホーンセクションのあるジャズの動画は少なかったと思う。
笑いたいときに見る動画。奥華子さんの「笑って笑って」という歌に関するコンテストが開かれていて、その中の一つだと思う。どういう趣旨のコンテストなのかはよく分からないけど。
ドリアン助川さんがやっていた「ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!」というラジオ番組が好きだった。最終回を聞き逃したのが心残りなのだがそれはまあどうでもいいとして、この番組を辞めた理由が「番組が正義すぎたから」であると噂されている。ドリアン助川さんは詩人にふさわしく言葉を慎重に選んで悩み相談をしていた。悩みは大抵の場合解決しなかったが、解決しないことこそが誠実さの表れのように思えた。ドリアン助川さんは、真っ当に正義だった。そして正義であることが求められ、正義であることが嫌になり、正義の代名詞だったドリアン助川という芸名を捨てた。正しいということはリスクなのだ。そして今、テレビと新聞がその正しさというリスクを負っているように思える。フィクションとして脳みそを扱ったドラマが放送されるやいなや「あの脳科学は嘘だ」という声がネットで上がる。フィクションであるにもかかわらず、正しくあらねばならないのだ。テレビ局としては心外だろうと思うが、残念ながら正しくあれという期待は決して裏切れない。とても窮屈であろうと思う。ネットにはテレビのようにはなってほしくないと考えている。ネットはいつまでも、正義ではない場であってほしい。「ネットは半分以上が嘘」という認識が続いてほしいと思う。
オバマ大統領「ミドルネームは"フセイン"」ということで、世界平和に一歩近づいた気がする。錯覚かなあ。
宮崎駿のアニメは好きだけど、もう一度見たい宮崎アニメはない。もう一度見たいという基準で語るなら、「エヴァンゲリオン」や「KIDS RETURN」や「秒速5センチメートル」あたりの評価が私の中では高くなる。
本屋に行ったら「1Q84」を買っている人がいて、本当に売れているんだなあと実感した。
店の前を通りがかったので外から見てみたのだが、高校の先輩が経営する喫茶店には相変わらず人がいない。
ニコニコ動画の将棋実況。ブレスマンというあだ名の人がDJと名乗る人と対局している。ブレスマンの強さもさることながら、この動画は編集が非常によい。なぜ、朽ちていく姿と「別れの曲」は相性がよいのだろう。
「1Q84」が売ってないと嘆いている人がいたので、「うちの近所の本屋ではまだ山積みだよ」と意地悪なことを言ってみたのだが、その翌々日にその本屋に行ってみたら、山積みだった「1Q84」の上巻がきれいに売り切れていた。すごい売れ行きである。本当に今は不況なんだろうか。なお、下巻はまだ売れ残っている。
下で書いたLPSAという団体は複雑な経緯で発足していて、実は私もよく把握できていない。とりあえず確かなのは、女流の団体に「元祖女流団体」みたいなところと「新女流団体(LPSA)」みたいなところの二つがあるということである。この二つはどうやら対立しているわけではなく女流同士は仲が良さそうなのであるが、問題は「プロ棋士の団体」の存在であり(男性のみで構成されているが、男女に平等に入会資格がある。でも、強い女性棋士がいなかったため、入会できた女性はいない)、「元祖女流団体」は「プロ棋士の団体」の管轄であり、「プロ棋士の団体」と「新女流団体(LPSA)」は仲がよくない。仲がよくないどころか、喧嘩している。
で、そのLPSAはいろいろと催し物を開いているのだが、そんな中に日曜日一日だけでトーナメントを終わらせてしまおうという趣旨の早指しトーナメントがある。先日おこなわれたトーナメントには強豪の女性アマチュアが三名招待されたのであるが、なんとそのトーナメントで、LPSAの女流プロを二人ずつ破ってベスト8に進出してしまった。つまり、女流プロ六人が女性アマチュア三人に負けた。
そんなところからも、LPSAという団体の経営の苦しさが垣間見えるのである。自分たちの将棋の勉強がおろそかになっているのである。
ここでも何度か話題にしている「どうぶつしょうぎ」だが、これはLPSAという将棋の女流プロのための団体に所属していた北尾まどか女流初段がルールを作ったボードゲームである。で、なぜか先日、北尾先生がLPSAを退会した。それに関する各所へのリンクは北尾先生の旦那さんである片上六段(プロ棋士)がブログにまとめているが、どれを読んでも「なぜ退会したのか」は分からないという状況になっている。どうやら、真相は浮かび上がってきそうにないし、おそらく真相は複雑に絡み合っていて誰も正確には説明できないのではないかとも思える。
寒いなー、と思って思い出した歌。俵万智。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
ここまで可愛さをアピールしても浮かなかった「サラダ記念日」の時代が羨ましくもあり逆に今が殺伐としすぎているのかという気もする。それとも当時も浮いていたんだろうか。
「この指とまれ」というサービスを利用したことはないのだが、どうやら予告なくサイトが停止したらしい。不況のせいでしょうか。
と書いていたら、どうやら復活するみたい。譲渡?
どうぶつしょうぎにオフィシャルサイトができている。なんか嬉しい。
結局、下で書いた「僕が2ちゃんねるを捨てた理由」を買って読んだ。2ちゃんねるなんかよりもずっとモバゲーの方がたちが悪いということが前半に書かれていた。モバゲーは一対一でユーザ同士が対話できるので援助交際などの温床になっているが、2ちゃんねるは一対一で対話ができないから危険度が小さいという論理である。それなりに説得力があるものの、どちらも使っていない人からすれば五十歩百歩である。後半はメディア論であり、新聞もテレビもラジオも雑誌もネットも仲良く棲み分けや協力をしましょうねという話をしている。それなりに面白かった。
先日下の方に書いたELTいっくんオーディションであるが、ファイナリストが決まったようである。男の声の高い人も特別招待枠として入っている。
犬の散歩をしている人がいた。犬の首輪の一点が赤くぴかぴかと点滅していた。夜道なのでその様子がよく見えた。なんのために光らせているのかは分からなかったが、かっこいい。
買ってみようかなと思っている新書が三冊ほどある。
「からだが変わる体幹ウォーキング」。私は人の歩き方を観察するのが好きであり、最も好きなのは卓球の平野早矢香選手の歩き方である。私自身も平野選手の歩き方をまねしている。歩き方に興味があるので、この本が目に止まった。
「ロスジェネはこう生きてきた」。著者は雨宮処凛。ワーキングプアとかロストジェネレーションとかのキーワードとともによく出てきていた名前なので、何者なのだろうと思っていた。そして、ずっと「しょりん」と読んでいたが「かりん」と読むことをようやく知った。
「僕が2ちゃんねるを捨てた理由」。ひろゆきの本。この人は言うことが身も蓋もないので、読み物としては非常に面白いのではないかと期待している。
ともあれ私は村上春樹の新刊を読み進めるのだった。
この曲は知らないのだが、アニメの主題歌っぽい歌に木魚などの仏具を打楽器として演奏した動画があり、さらにその動画の画像部分を別の人が初音ミクが演奏している画像に差し替えた動画。私の説明が分かりづらいのだが、とにかく芸が細かい。というか、読み返してみると私の文の文法が破綻している。まあいいか。
ニコニコ動画の将棋実況。一級の俺さんは序盤が下手で寄せが鮮やかだったが、この人は序盤が上手くて詰みを見逃す。終局図はなんともいえない形になっている。
中学のときの国語の定期考査に、次のような問題が出た。
「井上ひさしが書いた小説の題名を次の選択肢から選べ」A.加里加里人、B.吉里吉里人、C.苦里苦里人、D.毛里毛里人、E.固里固里人
間違えた生徒、多数。
村上春樹さんの「1Q84」を買った。現在、読み進めているところである。三人称で綴られており、どことなく上遠野浩平さん(「ブギーポップ」の作者)が想起される文体である。
TSUTAYAを利用したことはほとんどないのだが、私の知っている限りではCDとビデオとDVDの貸し出しをしているはずだった。久々になんとなく寄ってみたら、コミックの貸し出しもしていて驚いた。なるほど、漫画家の生活が厳しくなるはずである。
犬が道ばたでフンをしていたのだが、排泄し終えたあとなぜかその犬は自分のフンを踏んでいた。犬のフンを踏むのは人間だけではないらしい。
下に書いた卓球部のOB会の話の続き。飲み会に男性が二十人以上来たにもかかわらず、誰も喫煙習慣のある人がいないことについて「すげえ、アスリートだ」とみんなで驚いていた。
引き続きMapleとMaximaの話。金曜日にMapleの会社のフォームに必要事項を書き込んだら、月曜日になって手続きが終わったとのメールが来た。今度はインストールしたMapleがちゃんと動いてくれた。
私は高校では卓球部の幽霊部員だったのだが、なぜかOBとして認知されているのでOB会に行ってきた。昼間は現役たちと卓球をして、夕方からOBのみで飲み会となる。体力的にとても卓球ができる状態ではなかったので試合を座って見ていたのだが、ボールが近くに転がってくると拾うということをしていた。拾うときにまず動体視力の衰えを感じた。それから、体幹の衰えも感じた。特に体幹はまるで使い物にならなかった。動体視力は慣れればそこそこなんとかなった。
梨沙帆さんのブログに動画があったのでクリックしてみたら騙された。騙されると面白いですよ。
ニコニコ動画で「ELTいっくんオーディション」なる企画が催されている。私はELTのことをよく知らないのだが、いっくんというのはELTの男性の方らしい。そのいっくんがよく分からないがとにかく歌い手のオーディションをしている。歌い手は課題曲を歌うのである。今はもう投稿期間を過ぎていて、審査期間となっている。私がいろいろと聴いた感じでは、次の二人がいいなと思った。まど@実写リロさんと声が高い男性の人である。お暇でしたら聴いてみてください。ちなみに二人とも録音環境はよくないが、オーディションに録音環境は多分あまり関係ない。
高校の二つ上の先輩(面識はない)が、mixiの高校のコミュニティに自分の喫茶店の宣伝をしていたので、その喫茶店を外から眺めてみた。午後六時。一人も客がいなくて悲しかった。
下の方に、Maximaというソフトが便利だと書いたが、計算能力に限界がある。やはりMapleにメールを出さねばならないのかも。
中央大学の教授が殺された事件がずっと気になっていたのだが、どうやら犯人が捕まったらしい。大方の予想どおり、教授が卒論を指導した教え子だそうである。
ホリエモンが「宇宙論」という連載をウェブに掲載している。ビッグバンとかそういう話ではなく、ロケット開発についての話である。なぜホリエモンがロケット開発についての話をするのかといえば、ホリエモン自身が私的にロケット開発をしているからである。連載はまだ第一回だが、世界で最初のロケットはドイツが開発したミサイルであると書かれていたりして、なかなか面白い。
川本真琴さんが、何か歌うらしい。嬉しい。
数式処理にMapleというソフトを使っていた。正規購入価格が二十万円程度する代物である。私は学生時代に学生割引で二万円程度で買った。それが先日使えなくなってしまったので、カスタマーサポートにメールをしようかと思ったのだが、面倒なのでMaximaというフリーのソフトを試してみることにした。Maximaは思った以上に高性能だった。インタフェースが完全にCUIなので少々見づらいが(プロットのときだけgnuplot)、それを除けば充分である。というわけで、あの二十万のソフトを販売している会社はどうなってしまうのだろうとか心配しているのである。このところ、なんでもかんでもフリーソフトで済んでしまう。
あ、でも、イラストレータはほしいかも。
あかほりさとるさんの「オタク成金」という本を読んだということを下の方で書いたが、この本はあかほりさとるさんと女性ライターの共著である。でもなんとなく、この女性ライターも実はあかほりさとるさんの変名なのではないかという気がしている。私はあかほりさんの著作は「MAZE」と「サクラ大戦」の二つを読んだが、この女性ライターはオタク文化を知らないというわりにはきちんとあかほりさとるのツボを押さえているのである。あかほりさとるの語りを勘違いして受けとるときの勘違いの仕方まで、あかほりさとるの演出っぽいのである。
棋士は筆で色紙などを書くため、習字の練習をする。先日、「僕は地味に「六」の字を練習することにします」と書いていた棋士がいたので、なんで「六」なのだろうと思っていたが、そういえば片上先生は五段から六段に昇段したばかりなのである。棋士にとって新しい数字を練習する必要があるというのは、喜ばしいことなのである。
「この世界の片隅に」というマンガが分からなかったということを下の方に書いた。実のところ、この人の絵はあまり好きではないのである。おそらくその理由は、画風が現在のマンガの主流から大きく外れているからだと思う。
そういうことを考えたときに、村上春樹の文体が思い浮かぶ。あの文体をものすごく嫌う人もわりといて、そういう人はその特異性が嫌なんだろうと思う。それから、ケータイ小説の文体を嫌う人も、特異性が嫌なんだろうと思う。私からすれば、春樹もケータイもどちらも巧いのだ。春樹の巧さは評論などでたくさん説明されている。ケータイ小説の文体の巧さというのは、「作者が見えない」という巧さであると思っている。ケータイ小説そのものの日本語が崩れていると指摘する人はいるけれど、「わざと崩したときのこの崩し方が甘い」と指摘する人はいない。つまり、崩し方が巧い。崩し方が巧い作者は要するに文章が巧い。
私は、マンガの画風に関しては特異性を嫌う人間であり、小説の文体に関しては特異性が気にならない人間である。
これは以前どこかで書いた話なのだが、「誰にでも分かる=巧い」と思う人と思わない人がいる。書道の文字を見て、楷書と草書を見比べたとき、楷書の方が断然巧いと思ってしまうような人が前者である。私は、マンガに関しては楷書が巧いと思い、小説に関しては楷書も草書も好きな人間である。そして、楷書が巧いと思う人が最も好きな字は、ワープロの明朝体である。「誰にでも分かる=巧い」の行き着く先は、人間の要らない作品である。だから、私は、私がマンガの絵柄の評論をしたら、マンガの絵柄の文化を殺すと思っている。特異性が好きでない人がその分野の評論をすると、文化の担い手が人間から機械へと移り変わるのである。
あかほりさとるさんの「オタク成金」という本を読んだ。本にはそうとは書かれていなかったが、今は、あらゆる分野で飽和しているのではないかと感じた。本は出版されすぎているような気がするし、ウェブサービスはリリースされすぎている気がするし、論文は掲載されすぎている気がする。ちなみに私は、あかほりさとるさんの文章は好きである。
ほかに面白い使い道があったら教えてください。ちなみに、誕生日は、小泉純一郎さんと麻生太郎さんは出たのだが、鳩山由紀夫さんは出なかった。
なにやら閲覧するだけで感染するウェブのウィルスがあるようなのですが、Linuxの人は感染しないのでしょうか。感染したかどうかを調べる方法が書かれているサイトには、Windows系の方法しか書かれていなかったので、多分大丈夫だとは思うのですが。誰か情報ください。
西松建設の事件に関して元特捜の人が語っている動画。特捜が動くと白いものでも黒く見えるという話をしている。面白かったので、暇な人は見てみるべし。
一部で有名な人が私のmixiのページに足跡をつけていたのでなんだろうと思ってその人のプロフィールを見に行ったら引っ越して離婚したと書かれていた。あれからほぼ一年、そんな顛末になっていたとは。ご本人、ここ見ているかな。
どうぶつしょうぎに渡辺竜王がはまっている。これが棋譜。強い人同士が対局すると、ここまで棋譜が長くなるものらしい。
「C3きりん右 (このあたりは、まだわたなべ氏の研究手順)」
という記述がなんともいえずよい。
映画版「ノルウェイの森」のワタナベ役が松山ケンイチさんだそうである。「NANA」のときの「この人、誰?」という反応が信じられないほどの出世である。
中学のとき、合宿に一切行かない運動部があった。なぜだろうと思っていたが、この歳になると分かる。生徒たちが何をしでかすか分からないため、顧問の先生にとって合宿はその後のキャリアを考えたときにリスクが大きいのである。その先生は今にして思えばかなりキャリアを大事にしていて、噂によれば私が卒業して数年後に教頭になったそうである。
「この世界の片隅に」というマンガを読んだ。海燕さんのところとその紹介先で絶賛されて薦められていたからである。結論から言えば、なぜ絶賛されているのかも分からなかったし、面白いとも思わなかった。その後、ネタバレで伏せられていた部分を読んだのだが、私にはそこまで深くマンガを読む能力はないと思った。絵柄に関する味覚が私にはないのである。「この世界の片隅に」の作者は、私にいわせれば巧すぎるのである。
私は先を行きすぎた研究者が学会で集中砲火を浴びている場に居合わせたことがある。私が修士二年のときのことである。のちにその研究者に、「あの場で最もよく私の研究を理解していたのはきみだろう」という趣旨のことを言われた。集中砲火の五年後、その研究はようやく理解され始めた。
このマンガが理解できなかったということと、その研究が理解できてしまったということの二つの経験から、「先を行く」ということの難しさを再認識するのである。
CURURUもサービス終了だそうである。「昨今の経済状況の低迷の中、弊社としましても事業の選択・集中を余儀なくされる状況にあり、収益化していないCURURUの存続は難しいという結論に至りました」とのことである。広告モデルってやっぱり難しいんじゃないかなあと、私なんかは安易に考えてしまうのである。
私の母校はこれまで「電気通信学部」という学部しか持っていなかったのだが(つまり私は正確には電気通信学部を卒業したのであり工学部卒ではない)、どうやらその名前を変えるようである。新しい名前は「情報理工学部」だそうである。胡散臭い名前である。そして、学科も「電子工学科」「情報通信工学科」「情報工学科」「知能機械工学科」「システム工学科」「人間コミュニケーション学科」「量子物質工学科」の七学科から、「総合情報学科」「情報通信工学科」「知能機械工学科」「先進理工学科」の四学科になるそうで、学科名を見ただけでは中身が分からないようになってしまった(機械工学科だけは分かるけど、ほかは何がどこの区分に行ったのかが分からない。音声はどこの学科にあるのだろう)。これでは入学したくても入学しようがないので、学生数が減り、しばらくすると電気通信大学はなくなっていることだろう。残念である。
小沢さんが辞任かあ。どの政党もよく分からないけど、民主党が今一番混沌としているのかなあ。
ティーカップに角砂糖を次から次へと入れているおじさんがいた。そのままいけば「Death Note」のLだと思ったのだが、さすがにカップからあふれるには至らなかった。新世界の神に殺されるのが怖かったのだろうと思う。
角使いの人の将棋実況。この前、動画が荒らされて消したのかなとここで書いていたのだが、どうやらそうではなくて、動画編集中にPCが焼け焦げて動画もろとも消えてしまったらしい。今回は穴熊崩しを見せてくれている。
エヴァンゲリオンのどこまでも無機的なあの墓は、なぜあんなかたちなのに墓であると分かるのか。デザインが秀逸である。
私はひどい悪筆なのだが、天然ボケの人間が自分のことを天然ボケと認識することができないように(私の世を忍ぶ仮の妹など)、私も自分が悪筆であることを認識することができない。周りから悪筆であると言われて、そうか悪筆なのか、と思うだけである。自分では自分の書いた字が読めるため、メモには困らない。そもそも私は、「トマトのみそ汁」というブログを書いていた間、ずっと手書きで研究日誌を書いていたのである。しかも、研究室の同級生たちが読者だったので、笑い話まで添えて書いていたのである。手書きで文字を書くのは好きなのだ。というか、なんでこんなことを書いているのかというと、「とめはねっ!」というマンガが面白かったからである。題名から分かるとおり、書道のマンガである。高校の書道部、二年生三人、一年生二人の物語である。私の母方の家系は私を除いてみな達筆であり、私も含めてみな男であるので、書道は男のものだと思っていたのだが、高校の書道部というのは女子ばかりであるらしい。このマンガの書道部も一年の主人公の男の子以外はみんな女子である。癖のある女子ばかりそろっていて、非常によい。というか、書道でここまで面白いマンガが描けるとは思っていなかった。
iPhoneを買った人がいる。きっとiPhone SDKとかですごいアプリケーションを作る算段なのだろうと思う。この人ならそういうことをするはずだ。みんな大いに期待すべきだと思う。
アニメのルパン三世で印象に残っているのは、斬鉄剣がらみの回が多い。特に、斬鉄剣を超える刀を造ろうとする刀匠とその孫娘の話が好きである。斬鉄剣は雪を溶かすほどの熱を常に帯びているという設定もよい。