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祈るということ
ムスリムになるということは、日に5回の礼拝が義務になるということ。
特にガーナでは礼拝が一番大事と考えるふしがあるので、付き合いはじめてまず最初に要求されることでもあるのではないでしょうか。ハウサ語では、「彼女はムスリマか?」と訊くかわりに、
「たなー さっら?(彼女は礼拝をするか)」と訊くぐらいです。
けれどコーランの一節をやみくもにカタカナで暗記するのだから,無味乾燥なことこのうえない。
日常生活の中で私は「礼拝をする」といいますが、自分のすることにより近い言葉を探すなら、
「祈る」のほう。
厳密なことをいえば、「祈り」にはコーランの一節を朗誦するサラートと祈願をするドゥアーとが
あります
が、ここではどちらも含めます。
「とりあえずムスリムになった」という場合、まずつまずくのがここじゃないかと思います。
覚えなくてはならない煩雑なことのためではなく、祈るという行為が心の動きと分かちがたく
結びついているから。
そもそもいままでの人生で祈ったことがあったのかどうか。
昨日読んだ本にそのことがうまく書かれていた。「花を運ぶ妹」池澤夏樹の新刊。
インドネシアで捕まった兄を助けだすために、バリにやってきた妹。絵描きの兄の罪状は
麻薬所持。
裁判が思うようにすすまなくて、状況がどんどん妹を蝕んでいくとき。
〜「ああやって祈れる人はいい、と思いました。わたしは祈れない。祈りたい大事なことはあるのに、祈り方を知らない。自分の神さまの名前を知らない。呼びかけようがない。ここで地面に坐ることができない。」
事態が少し良い方に動きはじめ、コーヒーをのむテーブルの上の陽射しの影をあるくアリを
みつけて。
〜「暗い冷たいところでうろうろしている。でも上から見ている誰かには、わたしたちがもうすぐ光の中に出ることがわかっている。あるいはいまはまだまだ陰が続くことが見えている。
その見えている人に祈ることに意味があるでしょうか。その人は、その神さまか仏様は、きっとただ見ているだけなんだ。どんな時にも指を伸ばしてアリをつまみあげてはくれない。光の中へ移してはくれない。アリは自分で歩かなければいけない。」
潮の流れがかわり、完全に事態が克服されたとき。兄に語る妹のことば。
〜「なんだかわたし祈るのが上手になって」「上手というのは聞き届けられるってことか?」
「まさか。返事なんかないわよ。ただ、自分をからっぽにして、なるべく長い大きなお願いを、エゴイズムでないお願いを、心の中で言うの。自分を消してみんなのことを祈る。自分の目前の利を捨てるの。現世の利さえ捨てれば全部うまくいく」
たとえば、バンコク。一人で冷房の効いたホテルの部屋。窓の外からバイクのエンジン音が響く。オレンジ色のライト。灯りのひとつひとつの下に生きている人がいる。
たとえば、ナイロビの朝。夜の雨で緑が濡れて、まだ寒い朝靄のなかに光る。8日間だけ昼も夜も一緒だった仲間をおいて、今日飛行機でここを後にする。
強く吹く風、どこまでも広い空。そこで魂が彷徨いださないように、憧れるあまり見失わないようにするにはどうするのだろう。
歌うのか、絵筆をまたはペンを取るのか、踊りだすのか、叫ぶのだろうか。
わたしは祈る。自分をからっぽにして、せかいのうつくしさで満たす。
祈りとはそういうものではなかったか。小説の舞台はバリ島。ヒンドゥーの島。でもちゃんと見つけている。自分を閉ざしていたら見つからない。
もし、まだムスリムであることに迷うならもう一度旅に出たらいい。本とは時間と空間を飛び越えて、わたし達をいつでも違う世界に運んでくれるもの。
自分の足であるかなければ、決して求めるものには出会えない。方法はいろいろあるので試してみたらいいと思う!
でわまた。
おやすみなさい。
さるまた

ムスリムであるということ
ラマダーンが終わったのももう3日も前のことになりますが、このラマダーン月の最後の10日間ライラトルカドルを探す深夜の礼拝を行いながら、日と月がだんだん削れていく時がたまらなく寂しい。
ムスリムであるという認識はもうはるか昔にわたしの中に根をおろし、とりたてて意識することもないのですが、「イスラーム教徒である」という認識は少しのひっかかりを感じる。言葉の定義だけの問題ですが、イスラーム教徒といういいかたには、限られた教義の徒という響きがあるから。
ムスリムということばの元来の意味はすべてをあげて服従する、というもので、服従という日本語はあまりよくないけれど、つながっている、belong
to、の感じ。
記憶の、もしくは眸のなかにひろがる高い空と、どこまでもつづくサバンナ、車に乗っていたって這っている虫の速度の人。昨日、ライブの行きがけに武道館の時計台にひっかかっていた橙色の三日月。カノに着いた飛行機のなかで湧きおこったママ達のウルレーション。
こころを引っ張る、そういった数々のものの根源に、わたしはしっかりつながっている。そのとき感じる歓喜の声、それがムスリム、ということ。
ラマダーンのあいだ、特に熱心に夜と深夜の礼拝に通うのは、このときちょっとだけ心の鎧をはずして普段より感じやすくなっていることをお互いに許して、1年ぶりの友人に会えるから。もちろん礼拝そのものの楽しみもあるけれど。半日ぶりのごはんを分け合って、話の弾まないはずがない。または深夜、膝を寄せ合って女の子同士、うんと気をつけなければパジャマパーティーですよ。
ここのところなんだか頭の隅にひっかかりがあって、カチッといわない。ムスリムになる、とかならないとか。ムスリムという状態は受け入れるものであって、「なる」ものではないというか。まるである形が用意されていて、それに自分を嵌め込めば済むというような。自分の内と外に探求しなくては。与えられるのを待っていては決して見いだせないのじゃないかなぁ。
その反面、年毎にイードで出会う顔がふえている!その晴やかで華やかなのをみると、心配ないというか、ちゃんと皆それぞれの道をたどって、辿り着くものなのだよな。
それでまた一年が巡って、まだ多分先行きは長くて険しいだろうけれども、頑張っていこうとおもうのでした。
それではみなさまも良いお年を!
さるまた。

ともだちのこと
これはどっちかというと日記向きの話かな。意見というようなものではないんですが、ちょっと長くなりそうなのでこちらで。
実は今とても興奮していて、それで筆をとりました。いちばん大事な友達の一人が帰国したので。そんな予定があることはちっとも知らなくて、夢にも思わなかったので本当に驚いた。これはお年玉ですよ!!
ものごとがすべてただしく収まる時がある。今、本当に霧が晴れたようにすっきりしている。(とはいっても偏頭痛で頭はガンガンいうし、肩は凝ってバリバリなので〜妙な実感ではある)
去年の3月にお兄ちゃん(yayaのこと)が死んでから、わたしは万全ではなかったんだと。
彼女と話していて、ようやく何を失っていたのかに気がついた。というよりも、「失った」ということに向き合ったというべきか。
お兄ちゃんはわたしの命の源で、力を吹き込み、軽々と飛ぶように前へ進めるように、導いてくれる灯火だった。うん、飛ぶように。だから最近、どうも這うペースでなかなか前進しないしくたびれる、そりゃあたりまえ!という。
彼女(代名詞ってよそよそしくって嫌〜。実名だしたいとこだけど)とは、お兄ちゃんとわたしが絶好調で、ばりばりはたらいているときに出会って、彼女自身もただならぬぱわーを持っていたので、その3乗とゆーかんじで、去年の早春に勉強しにガーナへ行ってしまった。だから今回の再開はタイムカプセルを開けるようなもんで、彼女のぱわーは別れた時のままで(いや上昇してるかもしれないけどさ)、自分がどれだけへこんでたかが分かった訳。
お兄ちゃんがいなくなって程なく、もう一人出会った忘れがたい友人がいる。彼女はお兄ちゃんに会ったことがなかったにもかかわらず、その不思議なちからで、まるでお兄ちゃんがそこにいたらそうするような、完璧なやりかたでわたしを理解して、慰めた。彼女のことはまた別な形で紹介することになると思う。
多分その時に、わたしは心に鍵をかけた。お兄ちゃんの不在を決して嘆かないように、心のやわらかいところをかばって、きっぱりと。
それで殊勝にも鍵なんかないふりをして、カメのペースでも前向いてここまできたわけなんですが
禍福はあざなえる縄の如しというべきか、ムスリムらしくあるはむどぅりっらーでもいいのですが、わはは。鍵なんかね、ぱちんと弾け飛んじゃったんですね。喜びで。
喜びで。人間のいちばん深い喜びってなんでしょう。
わたしにはやはり、自分が何者であるか、という実感を手にすることだとおもいます。その実感から志が生まれるわけで、志なしに生きてはいけないでしょうから。
出会いに感謝します。いろんな人に出会って、支えられて生きている。今回の彼女の帰国はその総仕上げかな。画竜点睛のそのかたっぽ。目というからには2組で実はもう一人、もう一つの話というのもあるんですが、今回は「ともだちのこと」ですんで。
わっはっは。
どうもすみません、ほんとに日記みたいになってしまった。
でもどうしても、この嬉しいのを声にだして叫んでみたかったんです。
ここまでおつきあいくださって、ありがとございました。
あなたにも、よい出会いがありますように。
それがどこにでも転がっていて、かつ得がたいものでありますように!
さるまた。
07 Jan. 2001

本のことなど。
自己紹介のところに最近読んだ本という項目があったりするのですが、これはちゃんとかえていて、選ぶのに結構迷ったりする。読む人というのは読書傾向でだいたい相手の診断をするのでうっかりしたことは云えないというわけ。
しかるに今回ちょっと異例なのがミランクンデラ著「存在の耐えられない軽さ」。
同名の映画のほうが有名だと思われますが、そちらは観ていない。
ほぼ80%はこの際どうでもいい小説なんですが、その中に一章だけとても印象的な部分が
あった。第6部「大行進」というところ。
この2、3日ターリバンによる仏像の破壊が新聞を騒がせていますが、それにまつわるもろもろのことが、この小説の一節を思い起こさせた。
「唯一の政治運動があらゆる権力をもっているところでは、われわれは突如として絶対的に
キッチュ(俗悪)なものの帝国に身を置くことになる」
「全体主義的なキッチュ(俗悪)なものの帝国では答えはあらかじめ与えられており、いかなる質問も取り除かれている。そのことから、絶対的にキッチュ(俗悪)なものの本当の敵は、質問をする人間である。質問とはその後ろに何がかくされているのかのぞくことができるようにと、描かれた舞台装飾のカーテンを切り裂くナイフのようなものである。」
「だがいわゆる全体主義的な体制と戦う者たちは単に質問することと、疑うことによってかろうじて戦えるに過ぎない。この者たちもできるだけ多くの人に理解でき、集団の涙を喚起させるために、自分自身の確実さと単純な真実を必要としている」
さて、ミランクンデラはチェコの人であって、ここでいう全体主義というのはもちろんロシア型共産主義のことで、体制と戦う者たちというのはいわゆる西欧型自由主義者なのでありますが、これはまた「イスラーム」とも変換可能だということです。話を単純にすれば、外側から見れば「ターリバン=”全体主義者”」になりますし内側からみればさしずめ「西欧=”全体主義者”」ということでしょう。
そして作中で登場人物が叫ぶのが「わたしの敵は共産主義ではなくてキッチュ(俗悪)なもの!」
これがまさに、今回のアフガニスタンでの一件で、私に向けられたさまざまな質問の答えでもあるのです。
なにか不当だと感じたことに戦おうと集まって、スローガンを掲げた瞬間に、うっかりすればたちまちのうちにキッチュなものへと転落する。
そうならないようにするには、唯一、主体を交換してもう一度考える他はない。被抑圧者がいつのまにか抑圧者へと変貌しないように。ある一視点からのみの判断は非常に危険であるし、その手前ではばかばかしいのである。
とまあ、そういったことを感じたのでした。歯切れが悪い文章でごめんなさい。どうぞ一回「存在の耐えられない軽さ」を読んでみてください。(いやこっちの方がなおさら分かりにくいかも。全ての章はただ第6部のためにあったのか、それとも6部がつけたしか?)
でわでわ。
さるまた
08 Mar. 2001

「信仰の半分」について
雨が降っているとき、それも激しく、たくさん。神さまと繋がっているなぁとおもう。
あんまり強くて、大地も生命も押し流されてしまうこともあるけれど、それでも死も生も等しく恩恵であるとおもう。
生まれたことが何らかの偶然で、意志とは無関係にあるように、死もまた命の意志とはなんの繋がりもなく突然断ち切られるものだという意味において。
満ちている気配、すなわち「平和で手の届かないもの、その美しさがなにかというと心に忍び込んできて、思考の糸をかき乱すもの」(パトリシア
A. マキリップ)。
創造された、もしくは偶然の積み重ねで織り上げられた、この世界に満ち満ちた懐かしさと、人はどのように折り合っているのだろう。
もしゴフスタインのように、それを的確に絵とことばで表すことができるなら、もしマキリップのように物語に紡ぐことができるなら。けれどそのどちらをも持たず、けれど不意にかき乱される心に、平静をもたらそうとおもったら、その愛着を振り向ける先を選ぼうとするならば、神さまを探すしかないではないか。
そうしてコーランを得て、「信仰の半分」の結婚をして伴侶も得た。何故に結婚が信仰に繋がるものかといえば、独りでいるよりも、実体のあるものを愛しむほうが、忍耐と想像力がより多く必要で、その分注意深く振舞えば、お互いに引っぱり合ってより高みをのぞめるからではないかと思う。また逆に、もし神さまと与えられた忍耐を要するできごとを共有できないのならば、それはずいぶんと殺伐とした試練になるからではないかと思う。
なにぶん今回の結婚については、当人たちが口をつぐんでいるので(笑)、意外、というのと、当然というのでずいぶん取り沙汰になっているようなのだけれど、ひとつだけ口にできるのは、お互いが互いにとってのアマーナ(ハウサで信託←神託じゃないよ。、友情)であるということ。
それ以外は当人たちにもわからんのだよ〜。
神さまだけが全てをご存知。
でわでわまた。
さるまた
24 Jul., 2001

哺乳類である
たまごを孵すというのもそれは特別な実感をともなった行為であろうと思うが、孕んでみて初めて、「ああ、ヒト科というのは哺乳類であったのだなぁ」という感慨を持った。
異物感からつわりで苦しんでいた頃はまだ母体に主体性があったほうで、
8ケ月目にもなると、こちらは完全に負けていて、(胎児が、というのではなく)孕んでいる腹そのものが中心になってくる。
つまり、通常は本人の基本的欲求であったところの、食餌→休息→睡眠が、私の意志とは無関係に腹から要求されるのである。それを無視してこちらは普段どおりに、例えば夕食の席に着いたとしよう。しかし後頭部に殴りかかるような暴力的な睡魔に襲われて、茶碗に鼻をつっこんで寝てしまう、ということが起こるのである。
そこで何をするにもまずは腹にお伺いをたててから、それも自分の腹なのだからして、今まで気の向くままだったものが、腹のおもむくまま、というか、主体であった脳味噌が腹まで降りてきたような、腹を舵に動き回っているようなまことに妙な気分である。
出っぱったおなかを横たえて、かかとで寝床を整える時、頭に浮かぶその有様は牝牛や猫の四足のご同胞である。
そんなわけで、毎日はひたすら腹を養うための食餌→休息→睡眠のサイクルに費やされており、
なにか創造的なことに頭を使うのは大変難しい。まあ、細胞分裂から始まって、ほぼなにもないところからヒト一人創られているところなのだから、これ以上のことを望むのもおこがましいといえるのかもしれない。
それにしても、外敵はいないし、食糧の供給も安定している。ヒト科の妊娠はなんと気楽なことか、と思いはたと気づく。
暑さ、寒さにさいなまれ、空腹に悩み、あまつさえ戦火の中を逃げ惑わねばならないヒトだっているじゃないか。はたして、地球儀を塗り分けていけば、のほほんと快適な妊婦でいられるところは
面積にして全体のたった1/4ほど。今いる日本だって2世代も遡れば、食糧の供給という点ではおぼつかなかったに違いない。
もっと過酷な状況に自分を置いたらどうだろう。ヒトだって生き物だ。力を振り絞って生きていくのだろう。現にヒト科の仲間が証明している。
だったら、その力は自分のどこかにあるだろう。エネルギーは過剰なほどに供給されているのに、現状に汲々としているのは、生き物としての自分を見くびっている気がする。
そんな訳でまずはパソコンに向かってみた。仕事をして、家のことも適当に片付けて、体力的にはこれ以上変化をつけようがないから、頭を働かすしかない。さて、あと2ケ月、何ができるか意識しながらやっていこうと思う。
さるまた
20 May, 2002

生まれること
怖いものを数え上げたら、5本の指の中に赤ん坊が入る。幼稚園の頃、ハイハイで迫ってくる赤ん坊から必死に逃げた、筋金入り。
それならどうして子供を作る気になったのかと云われれば、好奇心である。自分の遺伝子を分けた赤ん坊。育っていく人間の子供、それはどんなものだろうという好奇心が恐怖に勝ったというわけ。
それでももし、周到に用意をしておかなければそうもならなかったことである。もし、配偶者が、成人したら結婚するのはあたりまえ、結婚したら子供は生まれて当然という環境で育っていなければ、DINKS(このコトバはまだ生きてるのか?)だった可能性も充分にあった。
いわば、相棒の繁殖に関する健全な志向におぶさって、好奇心が増長したのである。
ただし好奇心だけで赤ん坊を迎えることはできない。まったくもって未知との遭遇になるのである。
そこでまず、妊娠、出産にかけての過程から主体的な係わりを持つことにした。
10ヶ月も腹の中に飼っていれば、得体がしれなくとも、流石に愛着が湧くものである。
また、お産も病院にかかるとどうも他人の手にゆだねてしまうようで、
助産院での出産を選択した。
病院だったら自分はラクだろうとおもう。でも預けきって、奇麗に拭かれて包まれた赤ん坊を手渡されたところを何度想像してみても、心の底が冷たい無感動な自分しか思い描けないのである。
その点、助産院での水中出産は想像がつかない分、せまりくる現実として、
より重みがあった。
大変結構だったのは、「医療」の助けがきかない為、妊婦が自分の肉体と向き合うことが求められ
最後の一月なぞは、陣痛を呼ぶために毎日せりだした腹を抱えて歩きまわり、階段を昇降し、足腰を鍛えるハメになったことである。
汗だくになって、生き物としての生理と付き合うことで、「赤ん坊=生物が嫌い」という身勝手な嗜好は磨り減らざるを得ないのだ。
結果、「予定日越しそうね〜」という言下の脅しに怯え、追い立てられるように散歩を続け、近づく低気圧と潮の満ち引きに助けられて、予定より一週間早く破水した。抗生剤を取りに、電車で産院を往復したために、無事に陣痛もついて、再び産院にたどり着いた時は、満潮まで約2時間。
汗まみれになってプールに滑り込み、無我夢中で助産婦センセのリードにしたがっていきんだあかつきに、頭がにょろっと顔をだした。「目をパチパチしてるよ〜」というセンセの声が続けて「赤ちゃん拾って!」になったときは一瞬とまどって、肢の下から生まれてきた赤ん坊を拾い上げた。
いまや実体を伴ったベビーは、陣痛開始からつきっきりで面倒をみてくれたダディに臍の緒を切って貰い、この世のヒトとなった。
ここで、感涙にむせび、母になった実感を噛みしめられればいいのであるが、感涙に耐えていたのは父であり、私は正直なところをいうと、摂理に従って、体を張って外界に出てきたベビーに敬服しており、哺乳類の面子にかけて、その大事業に報いるために乳を出して養ってやらねばならぬなぁ、とまわりくどいことを考えていたのであった。
入院していた4日間は大変貴重で、一日たりとも同じでいないベビーを眺めて暮らした。眺めながら徐々に、可愛いなぁという気持ちが増してくるのである。一刻一刻があんまりもったいなくて、この変化は決して巻き戻せないし、目撃者は私しかいない。
保育者にきちんと養育してもらうために必要な要件を付与されて、ここにいる以上、できるだけのことをしてあげよう、そういう決心をつけた。
母になった感想は、というのが一番よくされる問いかけだが、あまりピンとこない。
母(ママ)というのが、一心同体を連想させるからだ。
ベビーはあくまで別の個体。故あってうちに産まれついた。遺伝形質は両親から受け継いではいるが、観察して強く感じたのは、この子には彼自身のカドル(定め)があること。性質、性向と言い換えてもいい。ひとりだちするまで、全力をあげて保護するけれど、避けられない嵐がこの子を待っている。
だから厳密に分析すれば、「その責任を喜んで果たす養育者になりつつある」。感想は事後に持つもので、現在進行形なので、今のとこは保留。
落としてもどうかならないくらい大きくなって欲しいという反面、このちっこいいとけない時期が続いて欲しいとも思う。時間は均等に分配されているので毎日を生きるだけだ。
うちのベビーはうちに来た故にかわいい。
でも相変わらず、怖いもののなかに赤ん坊は入ったままです。
さるまた
08 Aug. '02
追記〜生まれたあと
赤ん坊にはもの凄い先入観があって、嫌いだった。
ぶよぶよの不定形で、非論理的にぎゃあぎゃあ泣いて意思疎通ができないうえ、よだれや洟や下関係でなんとなくばっちい、というもの。
さて生まれて6ヶ月たって、どうやってこれが克服されたかと言うと、案外骨太で、着るものを選べば形態がはっきりする、発達の過程を押さえれば、コミュニュケーション可能、最後のは、なんといっても自分の分泌物(乳)で育っているので、排泄されるものも、「我が子」を通過してきた自分のものだったという訳でした。{でも私以外の家族にとってはやっぱりちょっと抵抗がある(涎、粘液、排泄物)もので、私は体の外側にあらたにそれらの排泄器官を持ったとも言い換えられる。わたしは子供の排泄する全てを自分のものと同一視される感覚を「母子関係」と呼びたい}
考えてみれば、生物の発達は非常に理論的なもので、ちょっと学んでみれば人間の赤ん坊にもそれがいえる、というのは目から鱗だった。とっても理路整然と発達していくので素晴らしい。
動物ともコミュニュケーションができるのだから、いわんや人間をやでしたね。
3ヶ月までは無反応に近いが、耳をたてるからウサギ。その後6ヶ月まではイヌか。
うつ伏せにすると四つん這いだし、はあはあいうし、かまうと笑うし、おっぱいを飲む時、前肢をつっぱるから。
ずっとイヌネコを飼いたかったけれど、今は満足(一緒にしてすまぬ)。これがしばらく育てるとコドモに進化するのだからこんなに楽しい同居人は他にない!
ただちょっと不都合なのは、赤ん坊の欲求に沿って生活すると、なりふりかまわずで、社会的な関係を結ぶ際は全くスマートさに欠けてしまい、家にいられるのはこれ幸いとこもりがちになってることですね。
さるまた
27 JAN.,03

みえない世界
アラビア語には、というべきか、イスラームにはといってしまっていいのか、”ガイブ”という概念が在る。訳せば不可視界とでもなろうか。
子ども心の記憶といおうか、直感というべきか、私の一部は不可視界を知っていたが、私の理性は不可視界を形而学上の概念に押し留めていた。
ところが最近、分離していた部分がぱっくりあわさってしまった。
昨日までの私がそうなのであるから、みえない世界などたわ言だという気持ちはよく分かる。
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