「へえ、ケーコ、花を育ててるの?」
少し雑然としたケーコの部屋の小さな白い机の上に、これまた小さな鉢植えが置いてあった。私はそれに目をやりながら、ケーコに尋ねた。
「うん、まあね」
「珍しいよね、ズボラなケーコが花を育てるなんて」
「そんなことないもん。あたしだってお花くらい育てられるもん」
ケーコったら、ムキになって言い返してくる。だけど、あんたのズボラさは同級生なら誰でも知ってるのよ。
なんて心のなかで呟いた。
それにしても、何とも変な花ね、これ……。全然見たことがない。
「ねえ、この花、なんて名前なの?」
「えっと……、月下草って言うの」
「ゲッカソウ?」
ケーコの答えは、全く聞いたことのない名前だった。月下美人なら聞いたことがあるけど。
「そ。月の下の草って書いて、月下草って言うんだって」
「ふーん」
その、月下草という花、よくよく見ると、何となくどこか見たことのあるような部分があった。茎はキクみたいだし、つけている葉はチューリップみたい。花はまだ蕾だけど、ユリのような形をしている。
「で、これをどうやって手に入れたの?
花屋さんじゃ売ってなかったと思うけど……?」
「訪問販売で」
は?
「そんなもんで買ったの?」
「ううん、もらったの。一週間くらい前だったかな、夕方、家に若い男のセールスマンが来たの。で、その人はこのお花を見せて、『今、無料サービス期間中だから、差し上げます』って言うわけ。だから、もらったの」
訪問販売で無料サービス? いや、無料だから販売じゃない、言うなれば訪問サービスってとこかな。でも、何にしたって話がうますぎるような気がする。
「それで、そんなわけのわからないものをもらったの?」
「うん。だけど別に構わないじゃない、タダでもらう分には」
「そこが手口なのよ。それを育てるにはあれこれが必要だから買ってください、て勧誘がやって来るわよ、そのうち。ところで……」
「何?」
「何か変わったところでもあるの、これ?」
わざわざ無料サービスするくらいなんだし、こんなに奇妙な姿だから、何かあるんじゃないか、と期待を寄せちゃうのである。
「取扱説明書をもらってるけど」
「そんなものがあるの?」
「うん……。あ、これこれ。えっとね……、『この月下草は、最新のバイオテクノロジーにより誕生した新しい植物です。この植物は、太陽の下でも育ちます
が、夜、月の光が照る時期にもっとも成長します。ぜひ、あなたの優しい心をもって育ててください。満月の青い光を浴びたとき、月下草は美しい花を咲かせま
す。花は育ててくれたあなたに、恩返しとして、素晴らしい夢を見せてくれるでしょう……』」
満月の青い光を浴びたとき、美しい花を咲かせます、か。なかなかいいことを書いてるじゃない。本当に咲くのかな、この蕾。
「満月って、あさってだっけ、確か。あたしもこの花が咲くのを見たいの、いいでしょ?」
「うん、もちろん」
こうして、あたしは明後日、再びケーコの家を訪れることになった。
☆ ☆
二日後、満月の日は良く晴れて、絶好のムーンウォッチング日和となった。あたしたちは夕方、学校が終わるとすぐに下校し、月下草の周りに寄り添った。赤く染まった夕日はじれったいほどゆっくりと西の山に沈み、東の山の端は青い光が包み込んでいる。
あたしたちは、月下草を東のテラスに置き、月の出を待っていた。
「そろそろね」
「うん」
新聞で見た時刻は六時○三分。テレビの六時の時報はもう聞いていた。もうすぐ満月が登ってくる。なにか心が弾んでいる。こんな気持ちって初めてかもしれない。月が昇ってくる様子なんてふだん見ることはないし、別段気にも留めなかったから。
「あっ、出た!」
ケーコのあまりにも幼い声が聞こえる。でも、待ちに待った月が出てきたのだ。
山の稜線から、じわりじわりと顔を覗かせてくる光。その遅さに少しじれったくなるけど、でもこれが地球の自転の速さなのよね。それを考えたら、やっぱりすごいなって感じてしまう。あたしたちは地球の上にいて、そして宇宙に浮かぶ月を眺めているんだから。
月が半分くらい現れた頃。
「アヤミ、見て、花が」
月下草に目を移す。そして、あたしはそれに釘付けになった。
月下草、それ自体が輝きはじめたのだ。まるで、月の光を集めたように、花は銀色に光り輝いていた。その輝きは次第に増していき、月が完全に山の上に出てしまうと、その大きな花を精一杯開いた。そして、花びらから銀の雫をこぼしていった。
きれい……。
言葉には表しきれない。うん、『きれい』だけではこの様子を完璧に表現することはできないけど、それ以外の形容の言葉が思いつかない。心のなかの気持ちがストレートに『きれい』に現れているような気がする。
銀の雫は空気の流れに乗って、部屋のなかに漂いはじめた。電灯を点けてなく、暗いままの部屋のなかで銀色の光がきらきらと光っている。銀河の彼方に紛れ込んだと錯覚するように。部屋は銀の星々で充満した。
「きれいね……」
「うん……」
それ以外に、会話は成立しなかった。
長い間――本当に長い間、時間の経つのも忘れるくらい長い間、あたしたちは月下草を眺めつづけていた。何も考えること無く、夢の世界を漂う感じで。
と。
何となく、世界が揺れた気がした。
☆ ☆
「ねえ、床が揺れてない?」
最初にあたしがそう言った。
「え……、あ、ほんとだ……」
と、ケーコが月下草から目を離す、や否や。
ドドーンッ!!
まさにそんな音だったと思う。記憶がはっきりしないのは、揺れ方が余りにもひどかったからだ。
だって! 本揺れが始まった途端、その勢いで体が床に転がったのよ!
同時に、机もタンスも本棚も倒れてくるって言うよりは転がってくるって感じで、あたしを襲ってきた。頭のなかはパニック状態。何をしていいのかどうすればいいのか全くわからなかった。体は揺れに弄ばれてて成す術もない。が、不意に意識がしっかりした。
家じゅうの柱という柱が、激しくきしんで崩壊しはじめたのだ!!
「ケーコ! ケーコ! 大丈夫!?」
まだ揺れが納まっていないので、床を四つんばいでケーコに寄った。
「うん、大丈夫」
「早く家から逃げなきゃ! もうすぐ崩れるわよ!」
「え……」
ケーコはまだ事態を把握していないようだった。呆然とあたしの顔を見ている。
「さあ、早く!」
「う、うん」
ノロノロと立ち上がるケーコの手を引っ張ってドアへ向かう。ノブに手を掛け、勢いよく開け放った。ところが。
ガラガラガラ!!
廊下や階段が物凄い音とともに崩れ落ちてしまった。
「ど、どうしよう……!」
出口を失ってしまった……。どうしよう、このままじゃ死んじゃうわ。
そうだ、窓!
「ケーコ、窓から出るわよ」
「えっ、でもここ二階よ!」
そんなことぐらいわかってるわよ。でも、そんな事言ってらんないでしょ!」
バキッ。鋭い音がして天井の柱がひび割れる。すぐに崩れそう!
「急いで! 考えている暇はないわ」
窓に向かう。ガラッと窓を開けて下を見ると……。コワ……、やっぱり高い……。
でも、飛び下りなきゃ家の瓦礫につぶされちゃう。えーい、勇気を振り絞って!
足をかけ、遥か下の地面に向かって跳んだ。迫り来る地面に、あたしは着地した、が。
グキッ。
鈍い音とともに激しい痛みが伝わってくる。くっい、いったぁー。足をくじいたみたい。
「ケーコ、早く降りなさい!」
痛みを堪えつつ、まだ二階にいるケーコに叫ぶ。ケーコは、何をしているのか、窓枠にしがみついたまま、降りようとしない。
「何してんのよ、早く!」
「……こ、怖いのよ! あたし、出来ない!」
「今更そんな事言うんじゃない!
あたしが受け止めてあげるから!」
「……でも、アヤミ、足を……」
「いいから、早く!」
ケーコはようやく飛び下りる態勢を取った。そして、決死の覚悟って感じで飛び下りた。あたしも、その落下地点に向かう。両手を広げて。けど。
ズキッ……。いったぁ。くじいた足が……!
体が傾いた。そのあたしの上にケーコが落ちてきた。あたしは勢いよく地面に叩きつけられた。
「アヤミ! アヤミ! しっかりして!!」
目の前は真っ暗。ケーコの声は聞こえるけど、その声も次第に遠くなり……。
そして。
☆ ☆
「アヤミ、目を覚ましてよ」
元気そうなケーコの声。ああ、助かったのね、よかった。なんて思いながら、目を開ける、と。
そこに見えたのは、ケーコの部屋の天井。
「あ……、あれ!? あたし……」
「寝ちゃってたよ。何だかうなされていたみたいだったけど……」
「え……じゃあ……」
今までのこと、夢だったの? うそぉ、あんなにリアルだったのに、夢だって言うの?
「じゃあ、地震なんてなかったんだ……」
なんだ……。夢だってわかった途端、あたしは大きく安堵のため息をついた。
「ね、ね、やっぱりあの説明書に書いてあったこと、本当だったね」
「……え?」
「ほら、『花は育ててくれたあなたに、恩返しとして、素晴らしい夢を見せてくれます』って書いてたでしょ。あたしもね、さっき夢を見てたんだ」
そういえばそんなことを書いていたような気がする。ってことは、さっきの夢って、この花が見せてくれたってこと?
「……ね、ケーコ、どんな夢を見たの?」
「あのね、あんまり面白くなかったの。突然大きな地震がおきてね、それで・・・・・・」
最後まで聞いて、あたしは思わず声を出していた。
「あたしのと同じだ……」
すごいじゃない。この花、夢を見せてくれるなんて。でも。
「にしても、どこが『素晴らしい夢』なのよ……」
「うん、そうだよねえ」
二人して頷きあった。やっぱりロクでもない花だったね、なんて言いながら。
でも、確かにすごい花だったのよ、月下草は。
これは後で気づいた。月下草ってのは、確かに素晴らしい夢を見せてくれるのだ。
そう、夢は夢でも、未来の出来事を見せてくれる、予知夢を……。
<了>