落ち葉の別れ 
わがこころはいま大風の如く君にむかへり

愛人よ

いまは青き魚の肌にしみたる寒き夜もふけ渡りたり

されば安らかに郊外の家に眠れかし
 

                      (高村光太郎「郊外の人に」抜粋)

 

     ☆        ☆

 いちょうの落ち葉が風に舞っている。校舎から校門までの道が、黄色い絨毯を敷きつめたように、落ち葉で埋まっていた。冷たく、湿った風がその絨毯に吹きつけると、落ち葉はふわっと舞い上がった。
 気持ちのいい快晴。西の空が少し赤らんでいる。夕方4時。夏にはまだ中空にあった陽は大きく西に傾いて、影を長くしていた。もう冬も近い。
 あれから、一年。この一年間は、とっても長かった。一日経つのがもどかしいくらい。
 晩秋の風が再び私を包み込んだ。あのときも、こんな感じだった。
 あれから、一年。再び冬がやって来る。

     ☆        ☆

 日曜日。あの日、のんびりとベットで文庫本を読んでいた私に、耳障りな電話の電子音が襲いかかってきた。枕元にあった子機を取って点滅するスイッチを押すと、突然聞こえてくる涙声。
 『……ヒッ、ヒク……。真由美……?』
 「……和美? どうしたの?」
 『ヒック……、ウ……。真由美……、落ちついて聞いて……』
 「何言ってるの、和美こそ落ちつきなさいよ。どうして泣いてるの?」
 『あのね……、ヒッ……、倉茂先輩がね……』
 「え? 倉茂先輩がどうしたの?」
 『先輩が……、事故に……』
 「事故!? それで!?」
 『……ヒック、もう、ダメ……、だって……』
 「和美!! ダメってどういう……!!」
 『……うちの病院なの。お父さんが見て……、即死、だって……』
 「そく、し……」
 

 家から、和美んちが経営している病院までのあいだ、私の記憶は全く無かった。次の瞬間には、私は病院の霊安室にいた。
 むせるくらいのお線香の匂い。蝋燭の明かりとたった一本の蛍光灯しかない部屋はとても暗くて、中央におかれたベッドの真っ白なシーツの色がとても明るく、目に焼きついた。
 そのシーツの下に横たわるのは、私が初めて恋した人。初めて告白して、優しい笑顔をくれた人。一緒にいて、初めてうれしいと感じた人。
 信じられなかった。だから、涙は出てこなかったし、悲しくなかった。ただ、ウソであって欲しい、冗談よ、きっと。そう考えていた。
 でも、顔にかけられていた布をめくった途端、堰を切ったように涙が溢れた。止めどなく溢れた。
 安らかな顔、ではなかった。青白い、気味の悪い顔。あの優しい笑顔は想像できなかった。
 「いやあああ!!」
 私の絶叫は、霊安室の壁のコンクリートに吸い込まれていった。

     ☆        ☆

 あんな別れを、誰が想像できただろうか。いちょうの落ち葉が舞うお寺でのお葬式は、現実味がなかった。着ている喪服は防虫剤臭くて、先輩のお葬式だなんてとても感じられなかった。変な話、先輩が遥か過去の存在になってしまったような気がして。
 そして、先輩はまだ生きているんじゃないか、などと思う日が三ヵ月くらい続いた。その頃何となく見ていた長距離恋愛のテレビドラマの影響かもしれない。先輩は遠くに行ってしまって、電話もできないし、手紙も返事は帰ってこない、だから、帰ってくるのを待つしかないって。
 部活動はとても続けることが出来なくてやめてしまった。成績は急激に下降していった。なんとなく怠惰な生活が続いた。気がつくと、春が来て、先輩と同じ学年になった。
 気持ちの整理がついたのは、夏休みに入ってからだっただろうか。夏の 日差しが、私に気力を取り戻してくれた。ある日、私の部屋を見渡してみると、なんと殺風景だったことか。一日かけて大掃除をした。窓を全開にして、お布団 を干して、埃をはたいた。お掃除と一緒に、私の心のなかにあったクモの巣も取り払った。その日から、私はようやく自分を取り戻したような気がした。
 そして、秋。今日は、先輩の一周忌。悲しいのは悲しいけれど、もう一 年前みたいに取り乱したり、自分を見失ったりはしない。学校が終わって、これから私は先輩の家にお参りに行くことにしている。少し前から、これで最後にし ようと考えていた。先輩のお母さんとはすっかり知り合いになって、時々お話したりもしたけれど、これで、最後。いつまでも先輩のことばかり振り返っていて も、もう、先輩は、戻ってこない、のだから……。
 ただ。そう、ただ一つだけ、悔いがある。
 一言だけ、言わなければならなかった言葉がある。言いたかった言葉がある。
 『さよなら』って。
 それが言えれば、もう何の悔いもない。
 でも、言えない。先輩は、もういないのだから。
 『さよなら』って。
 言いたくても、でも先輩が生きていれば言う機会が訪れることはなかったはず。
 言いたかった。私の初めての恋人に。
 言えなかった。あまりにも唐突で、あまりにもあっけなく死んじゃったから。
 唐突で、あっけなかったから。
 あんな別れを、私は絶対想像できなかったから。

     ☆        ☆

 先輩の家は、駅二つ離れていた。学校の帰り道は先輩と駅への道を一緒に歩いた。この並木道が、毎日のデートコースだった。
 落ち葉が舞い散るその通りから一つ路地に入ったところに、小さな公園 がある。本当に小さくて、そこに子供がいるのを見たことはあまりない。オニゴッコをするには狭すぎて、かくれんぼをするには隠れる場所がない。そんな公園 で、私たちはよく立ち寄って、電車の時間までのあいだ、話をした。お互いの近況やその日の可笑しかったエピソード、つまんない授業の先生をののしったり、 テレビドラマの批評をしたり、気がついたら、電車を一本のがしてしまったなんて事もあった。
 先輩が死んでから、一度も来なかった。
 春、私の誕生日、先輩からかわいいオルゴールをもらった。とっても優しい笑顔、でもどこか照れた感じで、リボンのついた包みを渡した。あれが、最初で最後のプレゼントだった。あのオルゴールも、もうタンスの奥にしまってある。
 公園の中央には金木犀の木があった。私はこの花の匂いが好きで、秋は匂うたびに幸せな気分に慣れた。今はそんな気分になれなかった。金木犀の花はもう枯れるころ、そして一緒にいた先輩はいないのだから。
 その時。
 急に強い風が吹いた。
 落ち葉が舞い上がって、金木犀の木がざわめいた。

 ――元気を出して――

 体に電気が走った。
 反射的に振り向いた。
 でも、そこに姿はない。
 確かに聞こえた。あれは、先輩の声だった。
 でも、どこにも姿はない。
 死んだのだ。姿があるはずはない。でも、声が聞こえた。どこから?
 再び、強い風が吹いた。

 ――ごめん、辛い思いをさせて。そして、ありがとう――

 「先輩!」
 聞こえた。確かに聞こえた。ごめんって、そして、ありがとうって……!
 風が止んだ。どんなに探しても、耳を澄ましても、先輩の声は、もう、聞こえてこなかった。
 幻聴だったんだろうか。いや、そんなことはない。聞こえた、絶対に。
 「先輩!」
 どこへともなく、私は先輩を呼んでいた。
 今でないと言えない。あの一言を。
 「さようなら!!」

 再び、晩秋の風が落ち葉を舞い上がらせた。それは空高く登っていった。

                                   <了>

企画15−s  1993年10月12日完成  初出「缶じうす」1993年11月号(広島大学すくりぃべんてぇす発行)


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