99年1月25日 発行 22号 組合員全員配布号


丸ぐるみ選挙から後援会方式に

 残念ながら今回の県議選も「私たち組織の代表を議会に送ろう」「そのために団結しよう」と
全員丸ぐるみの選挙に突入していしまいました。  組合が「組織代表」を立て丸ぐるみ選挙を
する事は、以下の点で間違っています。
1 丸ぐるみ選挙は、その中で反対の意見や都合がわるいという自由が押し流され、ひど
 い時には重大な人権侵害を起こします。(一部の人は反対する自由や意思表示した人は
 票読みをしなくてよいようにしていると言いますが、選挙の自由は「投票の自由」の保
 障は当然ですが、自分の支持する人の選挙活動まで保障してこそ、本当の自由と言えます。)
2 選ばれた「組織代表」は議会で私たちの代弁をしているというのは幻想です。今まで
 日政連議員は多くは社会党(現社民党)員でした。当選した彼らは私たち組合員ではな
 く社会党の決定に従ってきました。
  また森田県議が四日市選出でありながら公害環境基準の緩和に賛成したり、私学助成
 を求める県民父母の要求署名の紹介議員になるのを拒否したりしたのは有名な話です。  3 労働組合の中にはいろんな考え、信条、宗教の人がいて当然です。それをひとりの候
 が分からな いのでは同和教育も泣くでしょうし、「組合離れ」は深く進行するに違いありません。
 労働組合が選挙に関わろうとしたとき、組合員の参政権や思想・良心の自由を保障するためのただ一つの方法は『後援会方式』しかありません。  これは、組合員1人1人の意志で後援会に入り、その中で出来る活動を行っていくという方法です。組合のなかで幾つかの後援会があってもいいでしょうし、後援会に入らない組合員がいてもいいでしょう。『後援会方式』は、それぞれの組合員の意志が尊重され、主体的に政治や選挙に関わることができる唯一の方法であると言えます。
 鈴木三教組委員長は、「後援会方式では闘いぬけない組織内候補は出せない。三教組の考え方の基本には思想信条の自由は前提だが、首長や議員は誰がしてくれる。そんな甘いものではない。三教組50年論議して決定してきた。これがベストである。」と強弁しました。  これは憲法や人権を棚上げして自分たちの都合のいいところを押し通す詭弁であることは明白です。組合員の基本的人権も守れない組合であってほしくはありません。ぜひとも組合員の意志を尊重する『後援会方式』を実現させていきたいものです。 


無責任に組合員を追いやらないで

 さるl月l2日(火)四日市市選挙管理委員会事務局を訪ねました。対応してくださったのは次長補佐さんでした。訪問の目的は鈴木三教組委員長のl2月21日の選挙運動についての発言が選挙違反にならないか確かめるためでした。
 好意的に対応してくださった係の方は、「統一地方選挙の手引き」(1999年)と「判例集」を手に私の質問にていねいに答えて下さりました。
 「教職員の地位利用のことですが、『成績をちらつかすとかしない限り、保護者に地位利用だと思われるような感情を受けさせなかったら、(票のお願いを)してもいい』ですか?『担任していても親しい親は地位利用にはならない』ですか?」と鈴木委員長の言葉そのままでお聞きしました。
 お笑いになりながら「むずかしいですねえ。相手の方がいつ地位利用って思われるか判りませんねえ。」と言いながら、いくつかの判例をコピーして下さりました。’87年4月l6日大阪高裁判決では「教育者としての地位に結びつけ、それに伴う影響力又は便益を利用してなされること」は「地位利用」になるとしています。詳述できませんが、要するに鈴木委員長のように「支持者カードを子どもに持たせた。」とか「いっしょに親と回った。」などというのをそのまま真に受けたら、今日の公選法におおいに抵触することになるでしょう。


「意中の人」を組合が決めて
     くださらなくてもいいの


 百歩下がって、もし私が本気で今回の組合の方針のように個々面談・家庭訪問で「票読み」をしようとするのなら、私は私の「意中の候補」のため、私のささやかな実践の中で支えてくださった好意的な親を訪ねて恥ずかしさをいっぱいかかえながら「意中の人jの良さと私の思いのありったけをぶつけてお願いするでしょう。
 しかし私はF候補を意中の人とは思えません。その上選挙違反すれすれに組合員を追い込んではばからない幹部をどうしても信じられません。
 この選挙で「意中の人」を決めるのは私自信です。組合にそのことを決めていただく必要などありませんし、その人の選挙活動を義務付けされたり、4000円のカンパをする気はさっぱりありません。                        (S)
                                  
北川県政は県民本位の県政か?

 三教組本部の最近の動きをみていると勝手に自民党国会議院の推薦を決めたり、北川正恭の2期目の推薦を決定したり(前回の知事選での「北川が当選すると組合がつぶされる」といった、あの脅し文句は何だったのでしょう)、ことあるごとに権力に近づこうとしています。そうして要求を飲ませていこうとするのだとでも言いたいのでしょうが「組合員と共に闘う」という姿勢をもうとっくに忘れてしまったようです。
 そもそも北川県政の1期目は「県民本位」だったでしょうか。推薦を決定するほど良いことをした4年間だったでしょうか。答えはNOと言わざるをえません。
 長良川河口堰に1840億、木曽崎干拓に1500億、サイエンスシティに440億、そして伊勢湾岸道路、中部国際新空港アクセス、首都機能移転と軒並みに大型開発でゼネコンをもうけさせ借金は2500億円も増やす一方、ホームヘルパー数全国46位、県立校生徒一人当たりの予算46位と福祉教育では大変貧しい県政なのです。
 公約に35人学級をうたっても、具体的な財源が現在のゼネコン奉仕の北川県政からは出てくる見込みも見通しもないのです。
  そんな県政を「推薦」するなど考えようもありません。なのに森田県議もそんな北川県政に「県民連合」議員として賛成してきました。以下が県議会での各会派の態度です。

98年12月議会   自民党    県政会  県民連合  日本共産党
消費税を3%に下
げる請願
  不採択   不採択   不採択    採択
健康保険の改悪を
やめ元に戻す請願
  不採択   不採択   不採択    採択
コメの関税化をやめ
農作物の自給率を
高める請願
  不採択   不採択   不採択    採択
大型公共事業積み
増しの補正予算
   賛成    賛成    賛成    反対
人事委員会勧告完
全実施の補正予算
   賛成    賛成    賛成    賛成



北川「支持」ホントにいいのですか

 三教組執行部は、またまた組合員の意見も十分に聞かないで暴走しています。1年前の今頃も突然「主任手当」の考え方をひっくりかえし今回もまた詭弁をろうして権力にすりよろうとしている感じです。
 それならそれで「北川が通ったら組合がつぶされる」という闘いをした総括と責任論をはっきりとするべきです。「教育改革をするには知事と共にが良い」とか「取るものを取るには与党がいい」などと言っていますが、田川当時のように北川推薦をしても取引ができる関係や情勢でないことは県民はみんな知っています。三教組幹部のしていることは、「推薦」という名の「屈辱的なすりより」です。
 ひるがえって北川県政の一期目を見てみても、ムダな大型事業(土木費等)で4年間で2500億円の借金をふやし、その分を福祉・教育予算をこと細かに削って県民負担でのりきろうとしているのが北川県政です。中学校・高等学校の全国大会出場の激励費(中学校1人5000円・高校1人8000円)を削ったり、町村の図書館設置などの77事業を打ち切っています。マスコミ受けのよさとパフォーマンスの影ですすむ北川行革はとても「推薦」になど値しません。
 ここまできて「それを変えるために推薦する」などと言いだしたら、三教組執行部は世間のものわらいの種になるでしょう。


今「子どもと教育」を見つめて

 今日の子どもたちの「荒れ」と教育の難しさは、私たち三泗支部の中でも例外ではありません。  子どもたちは日々「勉強のストレス」「友達関係をつくることの難しさのストレス」を蓄積して、あるときは悲鳴にも似た声をあげています。表面的に(現象的に)荒れていない学校や学級でも、そうした子どもたちの心のストレスは学校でも家庭でもためられています。そして社会の状況(不況・就職難)が彼らの前途に重い影を落としていることも想像にかたくありません。
 そんななかで、どんな教育実践をし、どんな学校作りをするかは教職員組合の大きな課題であることは言うまでもありません。しかし、今日「職場教研」などという言葉を聞かなくなって久しいように「組合の教研活動」はどんどん後退させられ、文部省・教育委員会ルートの「校内研修」が職場研修の主です。
 文部省も組合も子どもの教育を考えるという点ではおなじだからという論調で、最近では組合幹部まで「協調」だと言ってはばかりません。現に「新学力観」は三泗では肯定的にうけとめられています。しかし、その「教えない・支援する」は今日の教育の荒廃の一因とさえ考えられます。
 「君が代、日の丸」「高校受験制度」・・・と新指導要領の改訂と教育課程の再編が進むなかで、ちょっと大上段にふりかぶった言い方かもしれませんが、大企業や財界が望む「国際的な大競争時代」の変化にひたすら適応する子ども・青年を育てるか、国民の教育権を守る立場で憲法・教基法にのっとった民主的な人格を備えた子ども・青年を育てるかは具体的で日常的な問題であると思います。
 「どう分からせるか」「どう寄り添うか」「どう癒してあげるか」「どう父母とつなかるか」「どう学校づくりをすすめるか」それらはみんな、今日の文部省・教育行政をどう(批判的に)見るかとかかわっています。  教職員組合が生活権利闘争と共にこうした独自の課題でいつもリードし、組合員に論議の機会を保障するのは当然のことと思います。



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