クリムゾン・エンジェル 5

――― 紅い天使の冒険 5 ―――




登場人物紹介

紅天図鑑を見るべし(^^)


第5話 「ガルガンティス」



「かすみは、ジャック無いんだね…」
リンは、かすみの髪をかきわけ、うなじに指を這わせる。
かすみの後頭部には、どこにも機械の手触りがない。
どうやってドールを操っているのだろう?
かすみの華奢な手が、リンのその手に包み込むように重ねられる。
「必要ないもの…《零》のコックピットそのものが生体波レシーバーになってるの」
「生体波レシーバー?」
「きいたことない?基本はリンのドールと同じ。ただワイヤレスになってるだけ」
「でもそれだと、ノイズが混じったりするんじゃないの?」
「ううん、大丈夫。シールドは完璧だから…」
「ふうん…」
「そんなことより…おねがい…」
かすみの甘い吐息が近づく。
リンはなんとなく釈然としないながらも、また夢の世界に引き吊り込まれてしまう。

それから数日後。
あたしたちは取り敢えず、惑星ニルバーナに向かっている。
この船の改装と、塗装なおしが目的。
この船って、軍から脱走したときのままだから、先々のこと考えたら軍のマークや なんかは消してしまっといたほうがいいもの。
ニルバーナは、このすぐ近くの星系だ。
かすみの知り合いもいるらしい。

ニルバーナが近い。
すでに正面スクリーンには赤い惑星が大写しになっている。
あたしはかすみのコミュニケーターに回線を繋いだ。
「かすみ、来て」
かすみは、あれからほとんどの時間をドールデッキで過ごしている。
彼女のドール《零》の整備をしたり磨きをかけたりと余念がない。
パペットにやらせれば済む話だと思うんだけど、自分でやらないと気が済まないタイプ みたいだ。
じゃぁせめて手伝いでもと思ったけど、それはぴしゃりと断られてしまった。
ひとに触られるのもイヤなんだそうだ。
それは理解できる。
自分の命を預ける機体だ。
自分で納得できるかたちにするのは当然の事といえる。
あたしも、軍を脱走してからはずっと自分一人で整備してた。
もっとも彼女の場合はちょっと極端かなって思わなくも無いけど。
ワックスがけまでパペットを使わず手磨きらしい。
まるで、巨人に仕える小間使いのようだ。

「なに?」
かすみが音声だけで答えを寄越す。
左舷デッキ内の映像回線はすべて物理的に切断されている。
見られるのもいやだという事らしい。
かすみの徹底ぶりだ。
「そろそろニルバーナの管制空域に入るわ、ブリッジに上がってくれる?あなた、船長 なんだから」
あたしがそういうと、くすくす笑う声がきこえた。
耳を羽毛でくすぐられるようだ。
「ねぇ、リン。あなたがこの船の船長だわ。わたしはオーナーってところかな。だから 全部あなたが処理してちょうだい。わたし、面倒なのはイヤなの」
それだけ言うと通信は切れてしまった。
ちぇ〜、あたしだって面倒なのはイヤだぞ。
でも、…まぁ、しょうがないか。
あきらめて、ニルバーナへの接近コースを再チェックする。
異常なし。
あと5分くらいで管制空域に入るだろう。
なのに。
「んもう」
つい口に出してしまっていた。
気が付けば頬が熱くなっていた。
なんてことだろう。
あたしはどうかしてる。
ことさら意識してあたしは正面スクリーンの中、徐々に大きくなる赤い惑星をにらみ つけた。

アイは赤く霞んだ空を見上げた。
この季節、季節風に乗って西の砂漠から赤い砂が降ってくる。
あとからあとから降り積もり、朝に掃除をしても、夕方にはもううっすらと積もって しまう。
どこにでも入り込んでくる鬱陶しい赤い砂だ。
ため息が出てしまう。
アイの倉庫(彼女の家でもある)は街から外れた広大なジャンクヤードの中にあるのだ けれども、ここも例外ではない。
古くは数百年も前の宇宙船やらドールやらの大半は赤い砂に埋もれてしまっている。
周囲が何百キロにも及ぶ広大なジャンクヤードも、アイがたったひとりで暮らす倉庫兼自宅も、赤い砂が総てを覆い隠そうとしているかのようだ。
いやな色だ。
アイは、ふうっと大きなため息をひとつ吐くと、トレードマークの瓶底眼鏡の上から ゴーグルをかけた。
倉庫から押し出してきたエアバイクに跨る。
「イグニション」
そう声をかけるとエアバイクのエンジンは「ヒューンンン…」と甲高い音を立てて 回り始める。
エンジン音はすぐに周囲の空気に緊張感だけを残して可聴域を超える。
「うん、いい子いい子、ドースンさんに可愛がってもらうんだよぉ」
少女は満足そうに、愛おしむように、エアバイクに声をかけた。
この春16才になったばかりのアイは腕利きのエンジニアでもある。
自他共に認めるニルバーナいちのエンジニアだ。
アイは自分が機械と話が出来るからだと言っているが、彼女の腕を知っている者なら それがあながち嘘とも言いきれないと知っている。
彼女は、何百年分もたまったジャンクから使えるものを発掘したり、街のひとに頼まれていろんな機械を修理したりして生活をたてているのだった。
このエアバイクも、街で雑貨屋をやっているドースンに頼まれていた修理を終え、 これから届けに行くところだ。
今夜は久しぶりにハメをはずそう。
メイの家にお泊まりして、朝まで話し込もう。
明日はジョッシュの店で買い物して、いつものようについでに送ってもらえばいい。
そう考えてアイはにんまりする。
スロットルにかけた右手をひとひねりする。
エアバイクは砂煙を蹴立てて、ふわっと浮き上がる。
疾走のあとに赤い砂塵が軌跡となって尾をひいた。

広大なジャンクヤードを背後に残し、街に向かってひた走っていると―――
ふと何かを感じた。
何か、声のようなものだ。
なんだろうと思ってバイクを止め、空を振り仰いだ。
空は西から飛ばされてくる赤い砂で微かに縞模様を作っている。
目を凝らすと、その赤い縞模様のむこうに黒い点がぽつんと見えた。
おやっと思う間に見る見る大きくなる。
宇宙船だった。
シルエットからすると戦闘艦のようだ。
それも左右にドール格納デッキを持つ突撃艦と見た。
アイが呟く。
「あの子かな…?」
戦闘艦の降下速度と角度を目測して…
「ありゃりゃ、うちのほうに向かってるよん」
アイの目がきらきらと輝き始める。
う〜ん、どうしよう? という顔で行く手を…街の方をみやる。
躊躇ったのはほんの一瞬だった。
きらんと目を光らせて、着陸態勢に入った宇宙船を振り返る。
「えへへ、ドースンさんごめん、明日もってくね」
ぺろっと舌を出すとバイクをUターンさせる。
ぶわっ。
赤い砂を巻き上げてバイクが再び疾走する。
今来た方へ、宇宙船へと向けて、来たときの倍のスピードでバイクを走らせる。
アイは根っからのメカオタクなのだった。

砂塵が舞う中、リンは赤い大地の上に船を降ろした。
日頃ドールしか操縦したことが無いとは思えない見事な腕だった。
ちょうど手頃な広場があったのも幸いだった。
まわりは、見渡す限りジャンクの山だ。
うち捨てられた宇宙船やドールの残骸がなんの脈絡もなく辺り一帯何十キロも 続いている。
「ここでいいの?」
リンは後の艦長席にくつろぐかすみを振り向いた。
「ここに知り合いがいるのよ」言葉少なにかすみが答えて立ち上がる。 「降りるわよ」
そう言って先に席を立ってすたすた歩き出すかすみの後を、リンはあわてて追う。

降りたふたりを迎える影がすでにあった。
黒っぽいカバーオールにへんなかたちのヘルメット。顔の半分を覆うばかでかいゴーグル。
ヘルメットからこぼれる2本のお下げはばさばさにくすんだ金色だ。
身長はリンほどではないが、かすみよりは僅かに高いだろう。
体つきは、肥ってはいないが、わりとふくよかなほうだ。
いかにも健康そうだ。
その少女がヘルメットとゴーグルを外す。
大きな黒縁眼鏡に一面のそばかす顔。
ちょこんと上向いた鼻が愛らしい。
「ようこそぉ、ニルバーナ星系最高の技術を誇る機械屋オールドヴェイへ。あたしはアイ。 ここの主席エンジニアでいす。みなさんを心より歓迎しま〜す」
アイは満面の笑顔で迎える。
「素敵な宇宙船ですね?」
それはアイの歓迎しているのが、かすみとリンではないう事がよくわかる目の輝きだった。

「艤装と…若干の改装を頼みたいんだが…?」

かすみがそう言うと、アイはふんふんと訳知り顔をする。
「なるほどなるほど、これってネルヴァドの船籍ですもんね。 このままじゃマズイですよねぇ。あーいえいえ、事情はいいです、深くはききませんよぉ。 うふふ。で、どんな感じに?あ〜、詳しいことはお食事でもしながらにしません?たいしたものは無いけどご馳走しますよ?」
「ありがとう。けど、そのまえにひとつききたい」
「なんですかぁ?」
「ヴェイはどうした?」
「おじいちゃん?おじいちゃんを知ってるんですかぁ?」
「ああ、友達だ」
「お友達…?」随分と年の離れた友達だ。そう言いたい気持ちが顔に表れている。
が、それは口には出さず、
「おじいちゃんは…半年ほど前に死にました…事故でした」
それだけを言う。
「そう…」
かすみもまた、それ以上何も言わない。死んだ者にはなんの興味も無い、と 言わんばかりの様子だ。

食事は楽しいものだった。
たしかにそうたいしたものは出なかったが、ものごころついてからのほとんどを軍で 過ごしてきたリンにとって、家庭料理というのはそれだけで物珍しく新鮮なものだった。
中でもテーブルの真ん中に置かれた何かの肉の丸焼きらしきものは とびきりの珍味で、リンはすっかりそれが気に入ってしまった。
「これ、美味しいね。なんのお肉なの?」
「あ、それは…」
リンの質問にアイが口ごもるのへ、
「マイコリト…食用の砂漠ネズミよ。メランジが豊富で薬効もたっぷりある」
かすみが淡々と説明する。
「ね、ねずみ…!?」リンの顔にさーっと斜線が走る。「これ、50センチはあるよ?お化けネズミ?」
「あ、でも、大丈夫なんですよ、ぜんぜん」あわてるアイ。「ここじゃ、普通に食べて ますよ、みんな。」
そう言って自分もぱくついてみせる。
「食べ物は大切にしなければ、リン」とクールにかすみ。
しかしそう言うかすみは、あまり手をつけていないようだった。

「おふたりはドールに乗るんですか?」
食後のコーヒーを飲んでいるとき、アイが不意に言った。
「そうだけど?」
リンがカップの縁越しに答える。
「もっともあたしはいま、自分のドール、壊しちゃってて、無いんだけど、それでもあたしもドールドライバだよ、いちおう」
「へー、そうなんですか…」
アイは目を丸くしている。
「どういう意味?」リンがたずねると、
「だって、ふたりともほとんど機械化されてないじゃないですか。かすみさんなんか、 ジャックさえ埋めてないでしょう?」
アイはこともなげにそう答えた。
よく見ている。
リンは軽い驚きを覚えた。
自分のジャックはともかく、かすみのうなじは完全に髪に隠れている。
よほど注意深く観察していたに違いない。
かすみはこの会話には興味を抱いていないかのようにコーヒーカップを口に運んでいる。
リンは素早くかすみを盗み見た。
話してもいいんだろうか?
そんなリンの心をみすかしたように、かすみがわずかに頷いてみせた。
それを受けて、リンはかすみに視線をおいたまま、アイに向かって話し始める。
「かすみのドールは、物理的コネクトを必要としないの。コックピット全体が生体波レシーバーになってるのよ」
かすみの受け売りだ。
アイは中指で眼鏡を押し上げながら
「でもそれだとBSWMでやられちゃいません?」
身を乗り出してくる。
それはリンも気になっていたところだった。
かすみは、100%遮断できると言っていたが…
しかしアイは返事を待つことなく言葉を続けた。
「完全自律AIが出来れば、そんなこと考えなくてもすむのにねー」
「自律AI?」
リンがオウム返しにたずねる。
かすみもぱっと頭を上げた。

「そもそも人間が操縦しなきゃならないから、インターフェースが問題になるんですもんねぇ。AIが全部自己判断してやってくれれば、人間なんて必要なくなるのに」
アイの言葉にリンは愕然とする。
「ちょっと、あんた何言ってんの?機械に判断させるって…どうかしてんじゃないの?」
「どうもしてませんよ。知らないんですか、大昔、機械は自分で喋ったり判断したり してたんですよ」
「し、知ってるわよ。あたしが言ってるのはそういうことじゃないわ」
機械は道具だ。
その道具を使うのは人間でなければならない。
道具が一人歩きを始めたら、人間の尊厳はどうなるのか。
それに気付いたからこそ、大昔の人々は機械の手から人間性を取り返した。
責任と義務と共に。
うなじのジャックがちりちりと痛む気がした。

明け方近く、たまたまトイレに起きたアイがふと窓から外をのぞくと、誰かが歩いているのが見えた。
「かすみさん…?」
思わずつぶやく。
昨夜はコーヒーのあと、仕事の打ち合わせをした。
最初は、アイの腕に不審を抱いていた様子のかすみ達だったが、いくつか仕事の結果を みせてやると、安心したらしかった。
当然のことだ、とアイは思っている。
この星系一のエンジニアだと豪語したのは伊達ではない。
そのあと、ふたりは宇宙船の自室に引き上げ、アイは倉庫の2階の部屋に戻った。
すぐにベッドに入ったのだが、コーヒーを飲み過ぎたのかもしれない。
もよおしてきて、トイレに行った。
そのかえり、窓からみえた月があんまり綺麗なので、外を覗いたら人影がみえたというわけだ。
小柄なグラマーだ。
ひとめでかすみとわかった。

その姿はどことなく人目をはばかるようであり、声をかけにくい雰囲気があった。
かすみは砂を踏みながら、ジャンクの山へと消えて行く。
なんだろう?
アイは何かを感じて、パジャマの上からサンドローブだけ羽織って後を追いかけた。

かすみのあとを気付かれないようについて行く。
夜のジャンクヤードは不思議なざわめきに満ちている。
淡い月明かりに照らされたジャンクたちが、ざわざわぶつぶつとひそやかな会話を かわしている。
それが今夜はなぜか静かだった。
みんな、なにかを期待して息をひそめている…そんな感じだった。
なにがあるのだろう?
かすみが鍵を握っている―――アイはそう思わないわけにいかなかった。
彼女は祖父を知っているという。
自分は彼女を知らない。
ものごころついてからというもの、ずっと祖父の仕事を手伝ってきた。
その自分が同い年くらいの彼女を知らないということがあるだろうか?
彼女には謎がある。

1時間ほども歩いたろうか。
気が付けばその一帯は祖父から「ここだけは足を踏み入れるな」と約束させられていた場所だった。
古い残骸だけの山だ。
使えそうなものは何もない。…はずだが?
かすみはそのあたりで足を緩め、ゆっくりなにか探し始めたような感じだった。
アイは100メートルくらい離れた場所、ぼろぼろのドールの残骸の陰から 様子を窺うことにした。

「カーク…」
そう呼ばわるかすみの声が風に乗って届く。
だれか、ひとの名前のようだ。
ここで待ち合わせでもしているのだろうか?
見ていると、かすみはさらに何度かその名前を繰り返した。
すると、かすみの右手数十メートルのあたりのジャンクが、がちゃんと音を立ててくずれた。
そこから、小さな黒い影が飛び出す。
それがふわりとかすみのそばまで飛んで行く。
黒い影は円盤みたいなものだった。
たぶん大きさはハンバーガーくらい。
かたちもハンバーガーのようだ。
バンズにはさまったハンバーグの部分が発光して、光がぐるぐるまわっている。
一種の探査プローブのように見える。
それが、値踏みするようにかすみのそばを飛び回っている。

やがて、ハンバーガーはかすみの正面やや上方に位を定めた。
その後なにか会話を交わし始めたようだが内容までは聞き取れなかった。
きれぎれに「約束」だとか「ドール」だとか、そんな言葉が聞こえてくる。
なにを話してるんだろう?
あのプローブはなんなのだろう?

そのとき突然、ぐらぐらっと地面が揺れた。
地震だ!
どん、と突き上げるような衝撃と共に、かすみよりもさらに向こう―――100メートル くらい向こうか?―――ジャンクの山を押しのけて大地が隆起する。
轟々と音をたてて、大昔のスクラップが爆発するように崩れ落ち、もうもうと砂煙とも噴煙ともつかぬものが立ちこめ、月光を遮る。
思わず悲鳴をあげていた。
かすみがこちらを向いたのにも気が付いていない。
それどころではなかった。
アイは見た。
もうもうたる煙の中に、巨人の影を。
はっきりとは見えない。
だがそれはまぎれもなく、人の姿をしていた。
巨大な人型の影がそびえ立っていた。
地震じゃなかったんだ。
こいつが出てくる振動だったんだ。
アイは震えた。
逃げなければと思うのに身体が動かない。
まるで金縛りにあったみたいだ。
そいつはまだ下半身は大地の中にとどめたまま―――上半身しか見せていないというのに 圧倒的な力感でアイを射すくめていた。
遙かな高みから光るふたつの目がアイを見おろしている。
自分がいかにひ弱で、ちっぽけな存在なのか、アイは初めてわかった気がした。
押しつぶされそうだ。
「なんなの、これ?」
アイはくちびるをふるわせる。
「運が悪いわね、アイちゃん」
意外に近くから聞こえた甘やかな声にアイはびくっと震えた。
かすみだった。
かすみが、ゆっくりと近寄ってくる。
その表情を読みとることは出来ないが、手には大口径のブラスターが握られている。
その銃口が、ゆっくりと持ち上げられるのを、凍り付くような思いで、アイは 呆然と見るばかりだった。
撃たれる!
なのに身体は恐怖で動かない。
アイは涙目でつぶやく。
「これってもしかして…絶体絶命?」



雲突くような巨人ドール。
妖艶な微笑を浮かべる美少女。
彼女の構えたブラスターの暗い銃口が圧するように迫ってくる。
美少女のまとう雰囲気が、それが冗談なんかじゃないことを物語っている。
なんだかわからないが、自分は見てはいけないものを見てしまったらしい。
アイは、ぎゅっと固く目を閉じる。

と、そのとき。
「かすみ!やめて!!」
背後から声が響いた。
はっと振り向く。
もうひとりの仲間が立っていた。
リンさんだ。
息を切らせている。
「撃っちゃいけない!」
リンは巨大ドールと、かすみを交互に見て言った。
かすみの顔を薄く嗤いが掃く。
白く繊細な指がブラスターのセイフティーをはずした。

時間は少し遡る。
戦闘艦内。
リンはかすみが居なくなっていることに気付いた。
またドールデッキ?
そうも思ったが、なんとなく気になってブリッジに上がってみた。
もちろんそこにいないだろうことは察しがついていた。
艦長席に座って、コネクタケーブルを差し込み、艦内情報を呼び出す。
これが目的だった。
ブリッジでなら艦内のあらゆるステータスを確認することが出来る。
生体反応に絞って、艦内チェック。
『これはあたしだ…』 生体反応はブリッジと…
『…あ!』
左舷ドールデッキ?
一瞬ブリップが瞬いたように思ったが、
『ちがう…消えてる』
ステータス切り替えのさいのノイズだったようだ。
そもそも左舷デッキはグレーゾーンになっている。映るわけが無い。
念のため、音声でデッキに呼びかけてみる。
「かすみ、いる?…いたら返事して」
そう声をかけた上で少し待ってみたが返事は無い。
念のためもう1度繰り返してみたが同じだ。
ふだんは愛想の無い子だが、返事をしないというような事は無い。
どうやら本当にいないようだ。
出かけちゃった?
まだ夜明け前だっていうのに?
調べてみるとエアロックの開閉記録が残っていた。
やっぱり出かけたんだ…。
今度は船外カメラの記録を調べてみる。

残ってた。
遠ざかっていく後ろ姿が映っていた。
たしかな足取りは散歩って感じじゃない。
確固とした目的のある歩き方だ。
どうしようか?
リンは顎にかたちの良い指先をあてた。
このまま待つか、それともあとをつけてみようか?
と、モニターの中にもうひとりの人影がわりこんできた。
フード付きのサンドローブを着ている。
アイのようだ。
かすみのあとをつけている。
「へぇ…」
なんだか面白そうだ。
リンの顔に微笑が浮かぶ。
あたしも行ってみよう。
モニターに映し込まれた時間を確認する。
30分ほど前だ。
どこまで行くのかしらないが、間に合わなかったら勿体ない。
急いでエアロックに向かう。


月が蒼い。
蒼い光が、スクラップの山を不気味に浮き上がらせている。
だけどリンは先だけを見ている。
足跡は残っていなかったが、勘を頼りにあとを追う。
直感勝負だ。
最初は早足程度だったが、気がつけばほとんど走っていた。
不安は無い。
不安は無いが急がなければならない気がした。
なにかが背を押している。そんな感じだった。
そして…
リンは見た。

はじめ、その大地の揺れを地震かと思った。
前方でスクラップの山がそこだけ鳴動して盛り上がり、内から外へ轟々と崩れ落ちる。
大地が裂けたかと思った。
だけどそうじゃなかった。
もうもうと土煙の吹き上げる中に巨大な何かが現れていた。
リンは息を呑んでそれをみつめた。
あまりにも巨大なそれを。
土煙が薄れ、月光がその力を取り戻すに連れて、全容が露わになる。
リンは目を疑う。
それは巨大なマシン。
巨大なドールだった。
けれどそれはドールと呼ぶにはあまりにも巨大すぎた。
小山ほどの大きさがある。
腰から上しか見せていないというのにだ。
立ち上がったらいったいどれほどの大きさがあるというのだろう。
想像を絶する。
こんな巨大なドール、見たことも聴いたことも無い。
けれどもそれは、蒼い光を受けて不思議な美しさに満ちていた。
まるで神話の中の巨人のようだった。

悲鳴が響き渡った。
アイだった。
その悲鳴に、はっと現実感を取り戻す。
見れば、かすみがアイにブラスターを向けている。
なぜ?
いや、なぜでもいい。いまはとにかくとめなくちゃ。
「かすみ、やめて!!」
叫ぶように声をかけていた。
だが、かすみの指は止まらない。
ブラスターのセイフティーを外すのがわかった。
でも、なぜだろう?
リンに恐怖は無かった。
かすみの本気は伝わってきていた。
でも不思議に恐怖は無かった。
なぜだろう?
あたしはかすみになら殺されてもいいと思ってるんだろうか?
リンにはわからなかった。

ぶおん!!
ブラスターが火を噴いた。
あたりは一瞬真昼の閃光に包まれた。
同時に凄まじい爆発音。
ブラスターの放つ高エネルギーに晒された物は瞬時に蒸発する。
それはほとんど爆発に等しい。

しかしその破壊エネルギーはリンに向けられたものでも無ければ、 アイに向けられたものでも無かった。
それは不思議なことにアイとリンの中間あたり、何も無い空間で 炸裂していた。
炸裂と同時になにかの影がみえたようにも思うがよくわからない。
びちゃ。
リンの頬に生暖かい液体がかかった。
どさっと音がして、足元にはなにか重い物が落ちてきた気配が あるが、砂が跳ね上がっただけで落ちた物は見えない。
「?」
リンは顔についた液体を手で拭う。
けれど、手に感触はあるが、なにもついていない。
くんくん臭いをかいでみると、生臭い。
どういうこと?
と、見る間に手が黒く…いや赤く染まった。
血だ。
足元にはいつのまにか、大きな獣の下肢らしきものまで出現している。
さっき落ちたのはこれだ。
アイが呟くのが聞こえた。
「サンドカメレオンだ…」
サンド…カメレオンですって?
「なにそれ?」
もう想像はつくけれど、聞いていた。
「ん…砂漠に棲む大型の肉食獣なの」とアイが説明してくれる「保護色…というより ほとんどクローキングかな、姿を消せるの。」
声が震えていた。
なるほど、落ちている肢の先端には見るからに凶悪そうなかぎ爪が生えている。
こんなのに撫でられる自分はあまり想像したくない。
「もしかして、あたしたち、かなり危なかった?」
リンの問いにアイがこくこくと頷いて言う。
「だけど…奧砂漠にしかいないはずなんだけどなぁ…こんなところに現れたって あまり聞かないよ」
と、そのとき、
「コノ近くニ砂ネズミの巣がアルのだヨ、群棲シていル」
不意に頭上から声が響いた。
驚いて見上げると、さっきかすみのまわりを飛び回っていたハンバーガー…いや、プローブだ。
「だ、だれよ、あなた?」
リンの声はうわずっている。
「私は…」
ハンバーガーは、ふわりふわりとリンとアイの間を飛び回るが、さっき現れた巨大 ドールを背景に空中にとどまる。
そして言った。
「私は、あのドールダ、名ヲかーくト言う」

このとき、リンはまだ真相をわかっていなかった。
いや、気付かない振りをしていただけかもしれない。
「あなた、こんなところに住んでるの? ま、いいからとにかく降りてらっしゃいよ」
ハンバーガーに、ではなく、目は巨大ドールに向けて言う。
「残念だが、ソレは出来ナい」
それを聞いたアイの目がキラーンと光ったようだった。
それは断じて月光のせいじゃない。
アイの目は確かに光った。リンにはそう思えた。
「リンさん…」
アイが言う。目がきらきらしてる。
「この近くに住んでるのはあたしだけだよ。もし誰か住んでたら、あたしが 知らないわけ無い!」 「え!?どういうこと?」 けれどもうアイはリンの言葉なんかきいていない。 「カーク!あなた、もしかして自律AIなのね!!そうでしょ?きゃーっ!」
「あ、待ちたマえ」
アイは言うが早いか、巨大ドールを目指して走り出し、ハンバーガーがそれを追いかけてゆく。
「あ…」
追いかけようとしたリンに、いつのまにか歩み寄っていたかすみが、すり寄るように身をよせてきた。
大口径ブラスターはすでに腰のホルスターに戻されている。
「リンも来てくれたんだ?」
リンを見上げるかすみの瞳が濡れたように光っている。蠱惑的な表情だった。男ならそれだけで正常な判断力を無くすだろう。
「手を出して…」
かすみはそう言うと、リンの手をとって、ぺろぺろと舐め始めた。
「な…!」
リンは言葉も出ない。
かすみがリンの手についたサンドカメレオンの血を舐め取っている。
「汚いよ…」
かろうじてそれだけ言う。
けれど、かすみはそんな言葉には耳も貸さずに、指の1本1本、指の股までも 綺麗に舐めとっていく。
ちろちろと見え隠れする赤い舌先は妖しく卑猥でさえある。
リンはというと、もはや思考停止状態。
ぼうっとしてしまっている。
きっと耳まで真っ赤になってるよぉ。
やたらと恥ずかしく、それでいて止めて欲しくないような変な気持ちだ。
そんなリンの困惑をよそに、かすみは最後に背伸びをすると、リンのほっぺたに残った血を、ぺろりと舐めた。

一方、アイは意味不明の歓声をあげながら巨大ドール目指して走っている。
ときどきジャンクに足をとられるけれども気にしない。
アイの目には巨大ドールしか映っていない。
「生きてる!生きたドールだ!!」
目をうるうるさせながら、そう叫ぶように言っている。

「どういうことなの?」
落ち着きを取り戻したリンは巨大ドールのほうを顎で示した。
「あれはカーク…自律ドールなの…自分一人で判断、行動することが出来る…わたしの友達で…わたしの仲間だ」
言いながらかすみはリンから1歩、身を離す。
かすみの甘い髪の香りが夜風に舞って、それはなぜだかリンを切ない気持ちにさせた。
友達…?
仲間…?
微かに哀しみの込められた口調の意味をリンは気付けない。

巨大ドールに駆け寄ったアイは、きゃーきゃー言いながら巨人のからだにぺたぺた触り まくっている。
なにが楽しいのかよくわからないが、かなり興奮している。
オモチャを手にした子供のよう、というよりは、巨象の足元に戯れる子リスという 感じか。
危うくて見ていられない。そうリンが思ったとき、
「危ないな。あれじゃ立てない…。あの娘を連れてきて、リン」
かすみが言った。
リンは、かすみを見つめた。
「ん?どうかしたのか?顔になにかついてるのか?」
かすみが訝しげに言う。
「ううん、べつに…いま、連れてくるよ」
それだけ言ってリンは小走りに巨大ドールのほうへ向かう。
リンの頬が熱い。
リンは軽い驚きを感じていた。
かすみが、アイを連れて来て、と言ったその命令口調を嬉しく思ってる自分がいたからだった。
へんなの、と自分でも思う。
これは自分が長く軍にいたからだろうか?
リンはそうだと思いたかった。

足元は今にも崩れそうなガレキの山だ。
まして月夜とはいえ、足元は暗い。
よくアイはこんなところを駆けることが出来たものだ。
何度も転びそうになりながらアイの元へ行く。
頭上には巨大なドールが圧するように覆い被さっている。
正直言って怖い。
機械が喋る? 本当だろうか?
確かに時折り、ドールに意志のようなものを感じることはあるが…それとこれとは 次元が異なる。
やっぱり誰か乗っているんじゃないだろうか?
そのほうが自然だ。
そうだ、きっとドライバーはコールドスリープしてたんだ。そうに決まってる。
とすると、まだちゃんと目覚めてないのかもしれない。寝ぼけて、いま動かれたら簡単に潰されてしまう。
リンは無意識のうちにかすみを振り返っていた。
シルエットになっていて表情までは窺えなかったが、その姿をみて、 リンはなぜだか安心感が広がるのを覚えた。
そうよ、大丈夫よ。
ひとつ息を吸ってから、アイの元に歩み寄った。
アイは恍惚として、巨大ドールの露出部分に頬ずりしている。
うっとりとろけるような表情が、ちょっとヤバイ感じさえするが、すべすべの機体表面は 確かに頬ずりしても気持ちよさそうだ。
気が付けばリンも手を伸ばしていた。
指先がそっと表面に触れる。
「つめたい…」
ひんやりと冷たく、それでいて温かい。
機体表面に沿って指先を滑らせる。
何百年も埋もれていた年代物とは到底思えないすべすべした手触りだった。
リンは星空を圧して聳える機体を見上げた。
「すごいよね」
思いがけないアイの声に、びくっとして横をみると、頬をすりすりしたままアイがこちらを 見ていた。
「人間と話ができるんだよ、この子。そんな子がこんなそばに居たなんてさぁ…」
アイの瞳は感激に濡れている。
はいはい、その話はまたあとでね。
早くアイを連れ戻さなきゃ。
「ねぇ、アイちゃん、ここ危ないよ。コイツ動いたらあたしたち潰されちゃうよ、あっち行こう」
そう言いながらアイをドールから引き剥がす。
「ああん…」
アイがせつない声をあげる。
まるで恋人との逢瀬を引き裂く悪役じゃないの。ちょっと理不尽な気分を味わいながら それでも強引にアイの手を引く。
「感謝すル」
例のハンバーガーが頭上をふわふわ漂いながらそう言うのへ
「いいからあなたもさっさと降りてらっしゃいよ」
ドールから降りて来い、という意味で、リンはちょっとつっけんどんに そう言ってやった。
すると、
「了解シた」
ハンバーガーは案外素直に答えた。
ほうら、やっぱり人が乗ってるんじゃないのよ。
どんなヤツが操縦してるんだろう?
リンはコックピットが開閉するのを見たくてドールを見上げたが、 ドールの表面にはなんの動きも無い。
あれぇ???
と思ったそのとき、
「あはははは…」
なんだかわからないけど、アイが笑い出した。
なんなのよ!
あたしはむっとしてアイを見る。
その目の前にハンバーガーがいた。
「きゃ」
思わずびっくりして声を出してしまう。
リンの目の前にハンバーガーが浮かんでいる。
さっきまで頭の上にいたのに。
「びっくりするじゃないの。んもう!」
足元のスクラップを蹴り飛ばす。
けれど、ドールにはなんの動きも無いままだ。
ばかにして!
あたしは馬鹿笑いするアイを連れてかすみの元まで戻る。
足音を荒げて歩くリンの頭のまわりを、ハンバーガーが鬱陶しく飛び回っている。

「カーク。船の場所はわかるか?」
かすみがハンバーガーに向かって言うと、ハンバーガーはバンズに挟まれた ハンバーグの部分をぴかぴか光らせながら答えた。
「それはわかるが…あの船に私が乗れるのか?」
「手足を折り畳め。そうすれば多少窮屈でも乗れないことは無いだろう」
ハンバーガーはしばし無言で光だけを回転させている。
スッキャニングしてるのだろう。
やがて、
「ポジティブ。内部での自由に動くのは無理だが、乗ることは可能だ」
「なら」かすみが、にっこりと笑う。
「立って、30年ぶりでおまえの姿をみせてみろ」
「了解した」

その返答と同時に、彼方の巨大ドールが再び動き始めた。
スクラップの山が鳴動し、不安定なものががらがらと崩れ始める。
それだけで通常のドールほどもありそうな巨大な右腕がガントリークレーンの ように唸りをあげてジャンクの中に突き立てられる。
再び、もうもうと砂煙が吹き上げ、月光から機体を覆い隠して行く。
その噴煙を突き上げて巨大なドールの上体が天空目指して伸び上がって行く。
その光景は畏怖の念さえ呼び起こすものだった。
それは質量そのものだった。
圧倒的に暴力的なまでの質量。
こんな巨大な人型…これが人間の手によって造られたなんて…
リンは心が震えるのを感じて息を呑んだ。
大きなメカなら、いくらでも見たことがある。
自分たちの高速突撃艦でさえ、たっぷりこの何倍もの大きさがある。
けれど…
これはそれらとは全然違った。
完全に立ち上がった巨人のその姿は、見る者の魂そのものを畏怖させずには おかない何かがあった。
リンだけではない。アイも…かすみでさえもが、言葉もなく見守るばかりだ。

そして…
いまや巨大な姿は星空を背景にそびえ立っている。
機体表面は月光を吸収してしまうかのように、黒々としていた。
それがゆっくりと、1歩目を踏み出す。
ずーん…と、腹の底に響くような音というより振動…大地を揺るがして巨人が 歩き始める。
と―――。
がごーん、と大質量の金属塊同士がこすりあわせるような音がしたかと思うと 巨人の姿勢がぐらぁっと、大きく揺らいだ。

「右膝関節損傷、Gジャイロ機能不全、…倒れる!逃ゲロ!」
ハンバーガーがきゅるきゅる激しく光を明滅させると、ひゅんと飛び去る。
「やっぱり駄目か。来い、リン!」
かすみがリンの手をとって、巨大ドールと反対の方向目指して走り始める。
「アイもだ、ぐずぐずするなっ!」
うしろを振り返ると、スローモーションのように巨大な影がこちらに向かって 倒れてくる。
「きゃーーーーーーっっっ!!!」
3人は悲鳴をあげて逃げまどう。

地響きが大地を揺るがした。

数分後。
東の空が白み始めた中、3人は俯せに倒れたドールの背中の上に立っていた。
おかしなものだ、とリンは思った。
こうして横になってしまうと、それほど大きいとは感じられない。
総全長で50〜60メートルといったところか。
それでも通常のドールが10〜20メートルだから、少なくとも3倍の大きさは あるわけだ。
ドールデッキに収容できないことは無いだろうけど、手足をぎちぎちに縮めてようやくと いったところじゃないだろうか。
しかもきっと身動きもままならないに違いない。
リンは、背中の丸いランドセルの上に立って、どこにドライバーが乗っているのかと 搭乗口を探してみるが、それらしきものは継ぎ目ひとつ見あたらない。
メンテハッチさえどこにあるものやら、さっぱりだ。
これは、カムイやイズナよりももっと高い技術が、 かつてあったことの証なのだろうか。
あたしは視線を巨大ドールの下半身におくった。
脚が片方、膝からよじれているのが痛々しい。
目を転ずると、右腕も胴から離れたところに転がっている。
転ぶときに手をついた拍子に、右腕も肩からはずれてしまったのだ。
神でさえもが錆び付く年月の大きさに思いを馳せる。
リンの口の端に皮肉な笑みが刻まれる。
そのとき、ふっとリンの耳にかすみとアイの会話が飛び込んできた。
「なぁるほどぉ〜わかりましたよぉ」
アイのきゃぴきゃぴした声が響く。
「ほんとの理由はこの子ですね、あたしんとこに来たのは?」
「そういうことだ。…直せるか?」
「まぁかせてくださいな」
アイがぐっと力瘤をつくってみせる。
出来なかったけど。

「それにしてもどうやって運ぶ気?」
アイが膝の様子を見に言ってしまうとリンはかすみに声をかけた。
ふわりとハンバーガーが寄ってくる。
「飛行自体は可能ダガ?」
それを聞いてかすみが眉をひそめる。
「でもGジャイロがきかないんだろう?それじゃ正確なコントロールが出来ない だろう。万が一にもせっかくの船を潰されてはかなわないな。 わたしが出てもいいが…」
「トラクタービームで引っ張ろうか?」と、これはリン。
突撃艦で吊して行くことは十分可能だ。
かすみの顔がぱっと明るくなる。
「そうしてくれると助かるな」
もともとそのつもりできいてみたのだ。リンに否やのあろう筈も無い。
「お任せあれ、ご主人様」
リンはおどけてウインクしてみせる。
朝陽の中にリンの笑顔が輝いている。


太陽は既に中天近くにまで上がっている。
遙か西から飛ばされてくる赤砂に太陽はぼうっと霞んだようになっているが、温室効果を生むものなのか、気温は高い。
例の巨大ドール・カークは運ばれて、アイの倉庫(家)の前の広場に鎮座している。
突撃艦と巨大ドール。 ふたつ並んだ偉容は壮観そのものだ。
脚を投げ出して座った格好のカーク。その脚部を覆うようにエアテントが張られ、 アイの操る何体ものパペットがわらわらと修理に当たっている。
まるで小人国に流れ着いたガリバーだった。

アイの手際の良さは素晴らしいものだった。
パペットを使ってあっという間に膝関節をバラしてしまう。
そこらにあった素材を使って、関節部を新たに作ってしまう。
破損した機械筋肉を、ジャンクの山から引っ張り出したドールから流用して見事に つなぎ合わせてしまう。
それらを組み上げ、新たに外板装甲を溶接し直す。
そういった作業を、例のハンバーガーとお喋りしながら、瞬く間に仕上げてしまった。
まるで魔法のようだ。
これはもはやメカニックやエンジニアというレベルでは無い。
アイは、紛れもない天才だ。
リンだけでなく、かすみも驚きの目で見ている。

脚部が終わり、作業は右腕部に移る。
リンが感心して眺めている目の前でパペットたちは、今度は巨人の肩から右腕にかけて テントをかけ始めている。
アイが自身の手を休めてかすみの元にやってきた。
カークのプローブも、アイの周囲をぷかぷか飛び回りながらついてくる。
「ねぇ、かすみさん」
アイはかすみの表情を窺う。
くりっとした瞳でアイを見返すかすみ。
「あのね…」
とアイは続ける。
「料金のことなんだけど…」
言いづらそうだ。
「その話ね」
言いながらかすみは片手で紅い髪を掻き上げる。
しなやかな白い指が絹糸のように艶やかな紅い髪に映えて美しい。
「そのことなら心配しなくていいよ。言い値で払うつもりだよ」
アイの目がきらっと光った。
「本当?」
ぐいっと身を乗り出す。
「…ほんとだよ。」
思わず一歩あとずさるかすみ。
「ほんとのほんとね?言い値で払ってくれるのね?」
「まさか、払えないほどの金額じゃないでしょう?ボッタクリはイヤだよ?」
「あなたなら払えるわ。十分余裕あるとおもうわよぉ」
にやにや笑う顔には何事か魂胆ありと、はっきり書いてある。
ここに至ってかすみは自分がハメられたのかもしれないと悟り始めた。
「いくらなの?」
「そうね…歩合でいいわ。あと、必要経費と。」
「はい???」
さすがのかすみも目を丸くしている。
アイが何を言ってるのかわからない。
それまで黙って聞いていたリンが口を挟む。
「…歩合? 歩合って? 必要経費はわかるけど、歩合ってどういうこと?」
「だって」とアイ。
「そりゃぁ、ただ働きはできませんことよ。ちゃんとお給料は貰いませんと。 ねぇ、ボス?」
最後のところはかすみに向かって言う。
さらに、
「あとで船の中見せてくださいねぇ。お部屋は…余ってますよね?好きなとこ貰って いいですよね?」
アイがにこにこしながら言う。
リンも苦笑する。
どうやら、護衛屋《紅い天使》は3人目のクルーを得たようだ。

3日後。
すべての修理と改装が終了した。
戦闘艦の濃紺だった艦体は鮮やかな赤に塗り替えられ、リンの発案により《天使の翼》 と新たに命名された。
この艦はかすみの翼そのもの、だからだ。
かすみも賛成してくれた。
そして―――
艦体表面に描かれた見事なノーズアートはそれを象徴するかのような 天使の羽を生やした少女の姿だ。
これもまたリンの、渾身の傑作である。
翼をひろげた少女の、今にも飛んでいってしまいそうな、それでいて儚げな風情が よく描けていると思う。

アイの引っ越しも終わり、巨大ドール―――これをガルガンティスというらしい――― のカークも《零》とは反対の右舷デッキに収容を済ませた。
手足を縮め身体を折り曲げた姿は身動きもままならないがハンバーガー、いやプローブ が動き回る分にはなんの支障も無いので、それで我慢して貰うことにした。

《天使の翼》は離陸シークェンスに入った。
間もなく出発だ。
リンが最終チェックを済ませていると
「しばらく帰れないよ。お別れはすませたの?」
《天使の翼》艦長席についたかすみが、FCSについたアイに声をかけた。
「うん、昨日ね。ドースンさんに後始末頼んできちゃった。もう、な〜んにも 後腐れ無し!」
にっこり笑ってみせる。
「私は少し寂しいような気がするよ」
そう言ったのは通信士席にちゃっかり収まったハンバーガープローブだ。
「ごみ山の中に帰るか、カーク?」
「いずれそのうちにな」
かすみの言葉にカークが応じる。
明るい雰囲気。
いい感じだ。
リンが宣言するように声を発する。
「《天使の翼》、離陸します」
船体が大地を離れ、飛翔を開始する。
《紅い天使》は星の世界に向けて飛び立った。


第5話「ガルガンティス」 了










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