クリムゾン・エンジェル 8

――― 紅い天使の冒険 8 ―――




第8話 「ゾーンフェルド」




人の流れに逆らってふたりは歩く。
「撃ち合いだ」 とか 「斬り合いだ」 とか叫びながら人々はふたりの来た方へと向かっていく。
野次馬だ。
今頃行ったってもう遅いのだが。
ふたりの足取りは、リンがハイクを押しながらなので、なかなか進まない。
けれど、かすみもリンに合わせてゆっくりと歩いている。
急ぐ様子は無い。
「ありがとう」
雑踏の中、リンは呟くように言った。
助けるつもりが助けられてしまった。
信頼を裏切ってしまったような気がしている。
「なにが?」
かすみはきょとんとした表情でリンを見上げる。
「なにがって…」
言いかけてリンは絶句する。
つつっと、かすみの左の鼻腔からたらりと一筋、血が滴り落ちていた。
鼻血だ。
鼻血は顎先からフィットスーツに垂れ落ちると、そのまま玉の粒になってつつーっとスーツ表面を滑り落ち、白い地面に黒い痕を残した。
「どうしたの!」
リンは慌ててかすみに駆け寄る。
手を離したバイクが地面に倒れる音が背後でしたが、リンにしてみればそれどころでは無い。
かすみの小さなおとがいに手をかけて仰向かせると、取り出したハンカチで血を拭き取ってやる。
拭き取りながらかすみの顔を観察する。
鼻血だけでは無かった。
左目が、真っ赤に充血している。
右目も充血しているようだがほんの僅かだ。左目ほどではない。
優しく拭ってやると、かすみは気持ちよさそうに目を閉じてリンの処置を大人しく受けている。
白いハンカチにかすみの赤い血が染みこむ。
もう新たに流れてくる血は無い。
リンは、ほっと息を吐く。
かすみの胸元では、多面体カットのクリスタルが生き物のように不思議な輝きを見せている。

ああ、そうか、これなんだ。
リンは思った。
このクリスタルが単なるマテリアライザーでは無いことには気付いていたけれど、もしかしたら―――

かすみの目が開かれる。
ワインレッドの瞳が真っ直ぐにリンをみつめている。
この瞳(め)に弱い。
「だ、大丈夫なの…?」
「うん」
かすみは淡々とした、いつもと変わらぬ口調で
「気にしないで」
と小さく言う。
その声音は舌足らずで、砂糖菓子のように甘く続ける。
「虚弱体質なんだ」
けれど表情はあくまでも生真面目そのもの。
冗談なのか本気なのか。
リンがくすりと笑うのを、かすみは目をぱちぱちさせて見つめている。


アイは目を瞬かせる。
まばゆい夏の陽光が白いエプロンに反射して眩しい。
ここはかすみとリンがいる街から南へ200キロほど下った河口からさらに海へ突出して造られた、白いセラファイバーで固められた人工の出島である。
グリーンマットに降りるものは、ここと、あと数カ所にある同じような宇宙港以外への着陸を許可されていない。
陽炎の燃える遙かな水平線、青い空、白い大地を背景に100機以上の宇宙船が眩い陽光を反射させながら佇んでいる。
そんな中、アイは《天使の翼》の機体が作る日陰に椅子とテーブルを持ち出してぐったりとした様子をみせていた。
暑い。
ときおり吹き抜ける海風もエプロンの照り返しで熱風に変わるのか、まるでオーブンの中にいるようだった。
コンビネーションの胸元を大きく開け、指先を引っかけてパタパタと空気を送る。
風船のように膨らんだ豊かな胸元にはうっすら汗が浮かんでいる。
「暑いね〜」
うんざりしたような声で半ば独り言のように呟く。
「中にいれば良いのに」
アイの頭上、やや斜め前方に浮かんだ銀色のハンバーガーがレタス部分を青く光らせながら言う。
アイは椅子の中でぐたっとしながら顔を空飛ぶハンバーガー、カークに向ける。
瓶底眼鏡がきらっと日の光を反射して表情を覆い隠す。
「やよ」ちょっと口を尖らせている。
「自然が良いのよ、自然が。人間にはそれが合ってるの。空調なんかダメよ。うお〜!」
突然叫びだしてコンビネーションを脱ぎ捨て下着姿になる。
若いみずみずしい身体が露わになる。
均整の取れた美しい身体をしている。
いや、均整が取れたというには、いささか胸が大きすぎるかもしれない。
顔ほどもある双乳はまるでそこだけ重力のくびきから解き放たれているかのように、ぶるんと揺れて大きな盛り上がりを見せている。
歩くのに足元が見えないのではないかと、余計な心配をしてしまいたくなるほどだ。
かすみの異次元的な悩殺爆乳美とも、またリンのきりっと引き締まった美しさとも違う、どこか豊穣さを感じさせる美少女っぷりをいかんなく発揮している。
「あ〜、気持ちいぃ〜」
椅子にどさっと身体を預けると足にからまったコンビネーションをブーツごと、そこらに放り投げてしまう。
それを避けて銀色の細い脚のパペットが目の前を横切って行く。
気怠げにパペットの動きを目で追うアイの、瓶底眼鏡がきらりと光る。

アイの瓶底眼鏡はただの瓶底眼鏡では無い。
パペットコントローラーになっている。
パペットというのは作業用の遠隔ドールのことで《天使の翼》にはもとからあったものが12機、かすみの持ち込んだものが3機、アイが持ち込んだものが9機、合わせて24機のパペットが搭載されている。
大きさやかたちはさまざまだが、おおむね人間大であり、このうち、かすみの3機を除いた21機の使用権限をアイは持つ。
アイの瓶底眼鏡はその操縦のためのインターフェイスになっている。
音声、アクション、視線入力などを駆使して最大16機のパペットを操ることが出来る。
アイは一見、だるそうに避暑しているだけのように見えるが、16機のパペットを駆使して先日壊した右舷デッキ外壁を補修しているのだった。
これは誰にでも出来ることではない。
普通は同時に5機も使えれば一流のエンジニアと言われているから、16機を同時に扱えてなお余裕のあるアイの能力の高さは推して知るべしと言える。
ドールドライバのようなマンマシンインターフェイス―――補助脳を使わずにこれが出来るというのは最早人間業では無い、とさえ言って良いに違いない。
しかもアイは現状に満足しているわけでは無い。
「だめね」
吐き捨てるように言う。
「効率悪いったらありゃしない」
「ん?どうした、アイ?」
「このコントローラ、だめ。やっぱ、もっと改造して全機同時に扱えるようにしなくちゃストレス溜まってどうしようも無いわよ」
「残り5機は私がコントロールしているから問題ないのでは無いかね?」
カークがふわりとアイの正面に占位する。
「ま、ね。でも、そういうことじゃないのよ。あたしがいらいらするんですもの。全部自分で動かしたいわ」
アイがそう言うとカークは
「ちちち・・・」
と鳥の啼くような音を出した。
どうやら笑ったらしい。
そんな会話をしている間にも21機のパペットがパネルを運んだり、分子溶着の虹色の輝きを撒き散らしたりしている。
大量の部材をジャンクヤードから持って来ておいて良かったと、アイは思う。
両舷の格納デッキが埋もれるほど積んできた。
これが無ければ修理は材料を調達するだけでも大変な事になっていただろうし、それに…
アイは視線を《天使の翼》が作る日陰からはずれた部分に動かした。
そこではカークの操る5機のパペットが巨大な腕を造形している。
それにこれ、カークの腕だ。
先日のバーサーカー戦 (バーサーカーと言っているが実のところあれは何だったのだろうか?) でカークはその両腕をロケットパンチとして使用した。
しょうがないから失った分を新たに造っている。
何平方キロもあるジャンクヤードの山から何代もの間、アイの家が集めてきた選りすぐりの部材たち。
それを全部持ってきた。
これがあるからカークの修理も初めて可能となる。
もちろん、アイという天才エンジニアの存在も忘れてはならない。
彼女の 「失われたテクノロジー」 への造詣はただならぬものがある。
カークが造られた時代にはメンテシステムも整っていて、補充も容易だっただろうが、今はそんなもの、この宇宙の何処を探したってありはしない。
アイがいなければカークのメンテナンスは不可能だったろう。

それにしても、ロケットパンチを撃つたびにこうして新しい腕を造らなければならないのだとしたら、とんだ困りものだ。
まぁ、そうそうロケットパンチを撃つ局面などあって欲しくは無いけれど。
それでも万全は期しておきたい。
予備の腕と共に、ちょっとしたアイデアも試してみようとアイは思っている。
そのためにも現在のパペットコントロール数の限界は面白くない。
アイはまた顔を顰めた。

そのとき、不意に辺りが暗く翳った。
相変わらず陽射しは白くハレーションを起こすほどに強く、エプロンには陽炎が燃え立っている。
翳ったのは《天使の翼》の周辺だけだ。
なにごとかと椅子を立ち、《天使の翼》の陰から出て空を見上げると、陽光を遮って巨大な2本の角―――衝角を持った黒いシルエットが音もなく降下してくるところだった。
「ほう。マーズ級の突撃艇のようだな」
あとから付いてきたカークが感心したように呟くのが聞こえた。
アイも 「そうね」 と頷く。
マーズ級といえば強力なエンジンと固い装甲、強固なバリア、ハリネズミのように武装したフェーザー砲を撒き散らしながら、1本乃至2本の衝角で敵艦に体当たりするという、およそ体育会系的猪突猛進馬鹿丸出し型の戦闘艦だ。
300年ほど前の大戦末期に苦し紛れに一部で使われていたが、その性質上、現存する艦艇はほとんど無い・・・はずだ。

このまま降りてくると危ないんじゃないかな。
アイがそう思ったのが判ったかのようなタイミングで、頭上のマーズ級は、すっと横にスライドし、《天使の翼》から100メートルほど離れた隣のブロックに着地した。
《天使の翼》よりふたまわりほど小さい船体は漆黒の闇色をしている。
まるで陽の光を拒否するような鈍い黒色だ。
しかしエンジンブロックサイドに描かれたエンブレムは青白い髑髏が身の丈ほどもある大鎌を携えたものだ。
死神のエンブレム。それが闇色の船体といい、なんとも不吉な雰囲気を発散している。
「や〜なかんじ」
アイは小鼻に皺を寄せながら誰にともなく呟く。
補修作業はそろそろ終わる。


《マダム・ジュジュの館》と書いてある。
黒い天幕の入り口の上に、光り輝く文字が踊っている。
「ここなの?」
リンの訝しげな問いかけに、かすみはうんと頷いて振り返る。
目はまだ充血したままだったが、鼻血はもう止まっていて、小首を傾げてリンを見上げる様が人形のように愛くるしい。
不思議だ、と思う。
まるでフェロモンが凝縮して出来上がったかのようなこの身体と、ひとの心をとろかすようなこの愛くるしさと、なぜ矛盾無く同居できるのか。
正に神の産んだ造化の妙だと、リンはしばし見とれてしまう。

「行こう」
かすみはさっさと入り口のカーテンをくぐって暗いテントの中に入ってしまう。
リンも慌ててバイクを置いてかすみに続く。
途端に外の光も熱気も音も全てが綺麗に消え失せた。
テントの中は薄闇と冷気、そして静寂に満たされている。
見た目は大昔と変わらぬ帆布のテントのようだが、ちゃんとフィールド制御がなされているということだ。
きょときょとと部屋を見回す。
そこはあまり広くない。
せいぜい3メーター四方くらいだろうか、いくつか座り心地の悪そうな椅子が並び、部屋の隅には高さ2メートルくらいの武骨な木が植わっている。
太い幹から2本の太い根と、これもまた太い枝が2本、天を指している。
人の姿に似ている。趣味が悪い。
その木のむこうにもカーテンで閉ざされた入り口があるところを見ると、どうやらここは待合室のようなものらしい。
それにしては受付の姿が見えないが。
と思ったとき、突然、隅に植わっていた木がざわっと動いて、リンは思わず飛びすさった。
反射的にブラスターにかけた手を、かすみがそっと、上から押さえる。
リンは、かすみと、ざわめき動く木とに、素早く視線を動かした。
木はむくとむくと動き、まるで折り畳まれていたものが復元するような感じで、見る間に人の姿となった。
それは不思議な光景だった。
どこがどう変わったと指摘できない。
けれど、さっきまでは紛れもなく歳を経た古木に見えた物が今はたしかに人としか見えない。
かすみが小さく囁く。
「リュラック人だよ」
ああ、それなら聞いたことがある。
見るのは初めてだが、半植物人なんだか擬態なんだか、木に化けると見分けがつかないという話は有名だ。
もっともたいそうな稀少種族で、実態を見た人間は少ないはずだ。
それにこんなところでお目にかかれるとは・・・これは幸運なんだろうか?
軽い困惑を覚えながらリンは構えを解いた。
大きく息を吐く。
それにしても悲鳴をあげなくて良かった、と思いながら。

リュラック人が口を開く。
「マダムジュジュの館へようこそいらっしゃいました、お客様。しかし生憎まだ開店前なのでございますが」
それは樹齢を経た古木にいかにも相応しい、声と口調だった。
慇懃に、出て行け、とそう言っているようだ。
しかし、
「コーネル、これがわかる?」
かすみが一歩前に出て自分の胸元を飾るクリスタルを指で示すと、
「は?」
古木でも訝しげな表情というものは出来るらしい。
かすみにコーネルと呼ばれたリュラック人は顔に大きくクエスチョンマークを貼り付けたまま、かすみのほうへと歩み寄る。
根は植わっているわけではないらしい。
「これは失礼、どうも近頃歳ですかな、目が・・・」
言いながら、いつのまにどこから取り出したものやら、大時代なモノクルを目に当てて、身を乗り出すようにしてクリスタルを見つめる。
その仕草はいかにも謹厳実直そうな、古式ゆかしいグレートブリテン式執事のものだった。
いったい何処で学んだものやら。
リュラック人は目を眇めて凝っとクリスタルを見ていたが・・・
「おお!」
唐突に声をあげてのけぞった。
視線を忙しくかすみとクリスタルの間を往復させながら
「このクリスタルの証はれいさ―――」
「かすみ」
言い募るリュラック人の言葉にかすみがかぶせるように自分の名前を告げた。
「《紅い天使》のかすみ」
「は?」
かすみの言葉にリュラック人は当惑げな表情を浮かべる。
「かすみ・・・さま?」
言いながら、ちらっとリンに視線を送る。
途端に合点がいったかのように
「おお、おお、そうでしたそうでした、かすみ様。うっかりしておりました。ただいますぐマダムにお取り次ぎいたしますのでお掛けになってお待ちくださいませ」
カーテンをくぐり奧の部屋へと入ってしまう。

リュラック人を見送ったかすみは、椅子にぽふっと腰掛ける。
椅子の座面が高く、小柄なかすみは子供のように足をぶらぶらさせる。
リンはかすみの前に立った。
「知ってるの?」
リンの問いかけに、ぶらぶらさせていた脚をとめ、かすみはきょとんと見上げる。
「なにを?」
「いまのひと・・・リュラック人」
かすみはリンを見上げたまま答えない。リンの次の言葉を待っている。
リンはしょうがなく言葉の穂を継ぐ。
「だって・・・コーネルって名前知ってたから」
「ああ、そんなことか」
かすみはにっこりと笑む。
「古い知り合いだよ。かすみは知らないけど・・・」
少し言い淀んでから
「・・・先代の《紅い天使》の頃の知り合いなんだ」
そう言ってもう1度にっこりと笑んでリンを見上げた。
「先代・・・?」
リンが鸚鵡返しに言うと
「そう。言わなかったっけ?かすみは《紅い天使》の最初のひとりじゃないの。先代がいるんだよ」
「そんなこと・・・」
気が付いてたよ、と言いたかった。
そしてそこには「やはり」という思いと、それはあたしが訊いたことの答えになってないよという思いとが交錯する。

「マダムジュジュはね」
かすみの舌足らずな甘い声が言葉を紡ぐ。
「コーネルと一緒に、こんなふうにテントを構えて星から星、占いをやってまわってるの。良く当たるらしくてけっこう繁盛してるみたいだよ」
そんなことを聞きたいんじゃないのに。
「でもそれは表向き。本当の仕事は情報屋とか斡旋業とか、そんなことみたい。先代の《紅い天使》の頃に随分付き合いがあって、今回はその縁で仕事がまわってきたんだよ」
そこへリュラック人コーネルが戻ってきた。
「お待たせいたしました。マダムがお会いになります。こちらへどうぞ」
かすみは椅子からぴょこんと飛び降りるとコーネルの後について待合室を出ていく。
まだ話したいことがあるのに。
心の中にもやもやを残したまま、やむなくリンも続く。
何か大切なことが―――ひどく重要なことが今の会話の中にはあった筈なのに。
それが何なのか判らなく、もどかしい思いだけがリンの心の裡に、澱のように残った。


リュラック人コーネルの案内する通路は暗く、狭く、くねくねと折れ曲がっていた。
足元さえよく見えない。
「かすみ・・・?」
「ここ」
不安に呟くと、かすみが手を握ってくれた。
小さくて華奢な、冷んやりとした手指だ。
けれど安心感がある。
3人はそのまま通路を歩く。
「どうぞ」
程なく通路は終わり、リュラック人がカーテンをまくり上げ、慇懃に入室を促す。
かすみは無言のまま頷き、リンの手を引きながらカーテンをくぐる。


そこは蝋燭の炎だけが照らす妖しい空間だった。
八角形の部屋の中央には丸いテーブルが設えられ、その上には、それ自体がぼうっと光を放っているかのような水晶玉。
蝋燭はそのテーブルの左右、背の高い燭台の上でゆらゆらと燃えている。
部屋の中は床といわず、壁と言わず、妖しげな物体で占められている。
焚きしめられたお香の香りは、部屋の隅、大きな香炉から立ち上るものだ。
柔らかで甘く、ふうわりとエスニック、まるで別世界に迷い込んでしまったかのようだ。
こけおどしだわ・・・
頭ではそう思うものの、ごく自然に畏怖の気持ちを抱いてしまう。
そして・・・


この異空間の中核をなす存在が、丸テーブルの向こう、大きな異国風の椅子に身を任せていた。
「おかけ」
性別を感じさせぬ、年老いた、というよりは齢を重ねた声がふたりを招く。
小さな身体を黒衣に包み、フードを目深に被り、素顔を見せぬ不気味な魔女。
そう。
そこにいるのは魔女そのものだった。
「わたしが・・・」
フードの奧は見えないが、魔女がリンを見据えているのをリンは感じた。
「マダムジュジュ。良く来てくれたね《紅い天使》たち」
ミイラのように節くれ立った指を1本立ててみせる。
思わず背筋がぞくっとする。
が―――。
くすり。
となりでかすみが含み笑いを漏らしたのがわかった。
え?
「ジュジュ。あんたの趣味に付き合う気は無いの。本題に入ろう」
言いながら、テーブルの前の2人掛けのベンチに腰を下ろす。
マダムジュジュが大きく吐息を漏らす。
「やれやれ、そんなに可愛らしいナリをしてても、あんたは確かに《紅い天使》だ。ちっとも昔と変わりゃしない」
黒衣の魔女は肩をすくめた。
フードの陰で苦笑を漏らすのが判った。


薄暗い室内、水晶玉の上に、ぼうっと、猛獣の頭部が浮かび上がった。
金色の毛並み豊かな熊の頭部だ。
いや、熊ではなかった。
首回りにアクセサリーをつけていたり、衣服の一部が見えるところを見ると知性体であろう。
「バラアク人?」
かすみが甘く舌足らずに呟く可愛い声は、まるで純真な幼児か、さもなければ頭からっぽの馬鹿女が喋っているようだ。
そこがアンバランスで可愛いのだけど。
「そうじゃ、これが依頼人じゃよ」
魔女の不気味な声が答える。
「遺跡の底からとんでもないものをみつけおってな。これを、グラビトン一家の連中も狙っておってなぁ、バラアク人はその発掘と移送の護衛がご所望じゃ」
グラビトン一家?
ああ、さっき撃ち合いを挑んできたあの3バカもそんな名前を名乗っていたわね、とリンは思い出す。
しかしかすみは意に介してもいないのか、発した質問は
「なにをみつけたの?」
「うむ、それなんじゃが・・・」
言いかけた魔女がフードの陰からふたりの顔をじっとみつめる気配が伝わってくる。
どうも口にすることに躊躇いがあるらしい。
それほど突拍子もないシロモノだということか。
「・・・フェニクサイザーじゃ」
「フェニクサイザー!!」
老婆の言葉にかすみとリン、ふたりの声が思わずハモる。
フェニクサイザー、それは生命の不老不死化を産むものの総称だ。
薬品だったり、ゲノム改造だったり、個体時間の逆走だったり、いろいろあるが要は生命が歳をとらないで永遠に生き続けるための方法のすべてであり、そしてそれは―――失われたテクノロジーのひとつだ。
なるほど。
そんなものがみつかったのであれば、命がけの奪い合いになることは想像に難くない。
《紅い天使》へのご依頼も、ごもっともと言うものだ。
「しかし問題があっての」
と魔女は続ける。
「この一件にアイツが絡んでおる」
「あいつ?」
ふたりは異口同音に問い返す。
「さよう、あやつじゃ。ゾーンフェルド。あやつが絡んでおるのじゃ。グラビトンが呼び寄せたのじゃ」
「ゾーンフェルド…」かすみが低く呟く。
「ゾーンフェルドって?」
聞いたことの無い名前だ。リンはかすみと魔女、ふたりの顔を交互に見比べた。
「護衛屋だ」
「殺し屋じゃよ」
かすみと魔女の声が重なった。
「どっちなの?」
リンの表情には困惑の色が浮かんでいる。
「なんでも屋だょ」
「金の亡者じゃ」
またしてもふたりの声が重なり、リンは苦笑する。
「なるほどネ。だいたいわかったと思うわ」
いや。
リンはまだわかっていなかった。


「リン」
かすみは考え深げに、額にその白く繊細な指をあてる。
「リンもこれなら聞いたことあるんじゃないかな?」
「うん?これって?」
リンが答えると、かすみは小首を傾げながらリンを見つめ返す。
そしてひとつの名前を告げる。
「蒼き死神」
《蒼き死神》―――!
「それなら聞いたことはあるけど・・・」
《紅い天使》と並ぶ、辺境でよく耳にする伝説の名前だ。
「たったひとりで、どこかの惑星防衛機構潰しちゃったとか、そういう荒唐無稽な話なら聞いたことあるけど・・・」
そんなの嘘でしょ、と思った。
とかく噂には尾鰭がつくものだ。
しかし、
「ねぇ、リン」
かすみが言う、
「リンは《紅い天使》の噂、最初から全部信じてた?」
「いいえ・・・」
答えて唖然とする。
噂は噂として、本物に遭遇するまで決して信じちゃいなかった。
けれど、今は信じている。
《紅い天使》の伝説の主は生きて目の前にたしかに在る。
信じないわけにはいかない。
「《蒼き死神》も同じだというの?」
リンの声は掠れている。


「ほほう・・・」
カークが感心したような声音を漏らしたのをアイは聞き逃さなかった。
「なに?なにか面白いものでもみつけた?」
既に修理は完了し、その後片付けの手を休めることなく、しかし、見てくれは椅子に沈み込むようなだらけた姿勢のまま、アイはふわふわ飛び回るカークの姿を目で追った。
「うむ、みつけた。いま、港湾管理のサイバーに侵入してみたんだが、おとなりさんの船名がわかったよ」
「へえ?」
アイは気怠そうに視線をお隣さんに―――光を吸収してしまっているかの如き黒い船体へ送った。
「それで?」
「うむ、お隣さんな、あれは《蒼き死神》だ」
黒い船体に描かれた不吉なエンブレム。
その死神がにやりと笑ったような気がした。



第8話「ゾーンフェルド」 了



紅天図鑑にリュラック人コーネルを追加してあります。
自分で描いておいて言うのもナンだけど、リュラック人を図鑑のイメージで捉えませぬよう。(笑)






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