深夜、ふと目が覚めた。
暗がりの中、目の前にはかすみの寝顔がある。
すうすうと寝息をたてている。
可愛い。
起こさないように、そっとベッドを降りる。
寝間着だけ羽織って廊下に出ると、廊下も照明を落とされていて薄暗い。
宇宙空間に昼も夜も無いのだが、おかしなもので、たいがいの宇宙船では標準時にあわせて
昼夜が演出されている。
それが古くからの慣習だ。
わが《天使の翼》号もその例外ではない。
今は夜時間なので照明が弱く落とされている。
リンの足音が薄暗い廊下にぺたぺたと響く。
自分でも何処へ向かっているのかよく分かっていなかったが、気が付けばブリッジの
入り口の前に立っていた。
ああ、そうか、自分はブリッジへ来たかったんだ。
まだ眠気の残る頭でリンはそう思った。
しゅんと音をたててブリッジの扉が開く。
眩しい光に一瞬視覚を奪われる。
夜時間でもブリッジの照明が落とされることはない。
まぶしさに目をしばたたかせながら入室すると、
「おや、どうしたね?寝ていたのでは無いのかね?」
カークの声が迎えた。
そしてもうひとり。
「あ、リンさん、いいとこに」
アイが眼鏡の奧の瞳を笑みに輝かせる。
アイもベッドを抜け出てきたらしく、ピンクのパジャマが可愛らしい。
髪は寝癖をつけたままだ。
ふと自分もそうだろうかと、ちょっと気になる。
「これどうぞ」
と、アイの差し出した手にはほかほかの湯気をたてた暖かいココアのカップが。
「ありがとう」
受け取りながら見ると、もう片方の手にもココアのカップが湯気をたてている。
どういうこと?
その視線に気付いたのかアイは照れ笑いを浮かべる。
「あたしったらうっかりしちゃって。カークの分まで淹れちゃったんですよぉ。カーク、飲めないのにね」
えへっと舌を出してみせる。
「よかったら飲んでください」
「ありがとう…」
カップを受け取り、ひとくち啜ると、ココアの温かさが身体に広がる。
「おいし」
「よかった」
アイもココアをひとくち、飲む。
リンはカップを持ったまま、艦長席の肘掛けに尻を落とす。
「ところで、…こんな時間に―――ふたりでなにやってたの?」
リンは「ふたりで」というところに躊躇いを感じながら尋ねた。
「エンタクです」
「エンタクだそうだ」
アイとカーク、ふたりの声が重なった。
カークの声には微かに笑いが含まれている。
「エンタク?」
「こないだフォースオペラで見たんですよ。大昔の地球には人に引かせた車に載って12人のお友達とお喋りする習慣があったんですって。それをエンタクって言うんですって」
地球というのは人類発祥の地とされる伝説の惑星だ。
「面白いお話でしたよぉ。最後は敵の皇帝の繰り出してきたバーサーカーと戦って勝つんです」
「バーサーカー?」
バーサーカーというのは宇宙船乗りなら誰でも知っているフォークロアの一種だ。
人類よりさらに古い文明の残した自動戦闘機械の総称だ。
恒星間宇宙を彷徨う無人の巨大戦闘機械が、宇宙船を襲うという、嘘のような本当のような、なんともとらえどころの無い話だ。
もちろん誰も見たものなど居る筈も無い。
アイが見たフォースオペラではそのバーサーカーが敵の最終兵器として出てきたわけだろう。
「それで、それがエンタクとどう関係してくるの?」
「あ、やだな、あたし。そうですよねぇ、えへへ、バーサーカーとは関係ないです。つまりあたしとカークは親交を深めてたって、それだけのことです」
そう言ってアイは白い歯を見せる。
リンは納得した。
このところ、アイとカークはよく話をしている。
アイはカークの昔話を聞くのが好きらしいし、カークはそうすることで会話のスキルを上げているようだ。
最初たどたどしかった喋り方も、わずか数日で至ってスムーズなものに変わってきている。
そのカークは今、ちょっと大きめのハンバーガーのような姿を操舵席の上に漂わせている。
コネクターケーブルを繋げたまま、ふわふわ浮かんでいる様子はまるでテーマパークで配られている風船だ。
「ところで様子はどう?」
その姿に笑みを誘われながらリンは尋ねた。
ここ数日、船のコントロールもほとんどカークが担当している。
リンが艦長、カークが操舵士。
かすみはさしずめ、提督といったところか。
今、《天使の翼》はカンタス星系のタペスという惑星に向かっている。
タペスはその惑星表面の実に50%以上を都市に覆われている。
といっても太古の都市だ。
今はその総てが遺跡となって、さまざまな遺跡発掘業者たちの好餌となっている。
そこから仕事の依頼があった。
詳しい事情は行ってみないとわからないが、数日前にギルド経由で連絡があった。
新生《紅い天使》の初仕事だ。
今から楽しみだ。
カークはバンズの部分をぴかぴかと点滅させた。
「異常は全く認められない。総て順調だよ、安心したまえ、リン」
けれど、リンは艦長席のコネクタケーブルを引きだし、右耳のうしろに差し込んだ。
状況をモニターするためだ。
その瞬間、ふわっと身体の浮くような独特の感覚に包まれる。
自分自身と、外から自分を見る自分とが同時に存在し始める不思議な感覚だ。
意識を外に向ければ、星々の熱く輝く世界が自分を包んでいるのがわかる。
それは肉眼で見るのとは全く違った光景だ。
エネルギーの躍動に溢れる動的な世界だ。
そして艦は自分の身体だ。
安定して、ゆったりと、空間を渡っている。
何の不安も無く、ただただ心地よい。
異常は、無い。
すべてが正常で、安定している。
「どうかね?安心したかね?」
カークが見透かしたように声をかけてきた。
「ええ、大丈夫みたいね。…このあたりは星間物質が多めなのね」
「うむ、航行には支障無いがね」
「そうね…」
頷いてコネクタを外そうとしたそのとき―――
「あら?」
なにかがセンサーに引っ掛かった。
…ような気がした。
「うむ…」
カークが頷くと、感覚がさらに、ぱぁっと広がり、より鮮明になる。
カークがリンの「?」に答えてセンサーレベルを上げたのだ。
それがモニターしているリンにも伝わる。
しかし何も無い。
周囲の空間はきわめてクリアーだ。
さっきのはノイズか何かだったのかもしれない。よくあることだ。
だけど、なぜだろう?
リンの胸のもやもやが急速に膨らんでくる。
いやな感じがする。
「…メインスクリーン、スルー」
特に意味は無かった。
なぜそんなことを命じたのか。
当のリンにも、単なるきまぐれとしか思えない。
窓をあけて(ブリッジの壁面や天井を透過させてダイレクトに外を見ることをこう通称する)みたところで遙か彼方に煌めく星々以外に何も見えるものなど無い。
前に1度「あれは星じゃないよ」と教えてくれたひとがいた。
「じゃぁなんなの?」
そうきくと、
「あれは影さ。亜空間に落ちた星の影さ」
「でもあそこに星があるんでしょう?」
「そうだけど…」
そのひとは困ったような笑顔を浮かべた。
「じゃぁ星があるのと同じだわ」
リンの言葉に
「そうだね」
そのひとも笑った。
ふとそんな記憶が頭をよぎった。
あれはいつのことだったか。
しかし―――
艦橋の照度が落とされ、正面から天頂やや後方までが総て透明になって外をダイレクトに目にしたとき…リンはしばし唖然とした。
正面から星空が消えている。
いや違う。
なにかが星を隠しているのだ。
なにか巨大なものが。
それは…穴に見えた。
空間に開かれた巨大な漆黒の穴。
無限の空間がそこにぽっかり開かれている。
まるで地獄の顎を覗き込んでいるかのようだった。
どういうこと?
状況が掴めない。
目に見えている光景と、《天使の翼》が伝えてくるセンサー情報とが食い違いすぎている。
センサーが伝えてくる情報は、周囲はあくまでもクリアーだ。
「加速反転!」
カークの冷静な声が響く。
ドン!!!
急激な加速度の変化に、消去しきれない慣性が《天使の翼》の艦体を揺さぶる。
リンの身体が艦長席の肘掛けから座面に転げるように収まり込み、アイが悲鳴をあげながら手すりに掴まる。(それでもふたりともココアをこぼさないのはさすがだった)
そのままTASドライブが悲鳴のような唸りを上げ、目の前の、巨大な漆黒の顎が姿を消す。
加速を反転させたことで一瞬のうちに遠ざかったのだ。
「なに?なんなのぉ〜?」
しかしアイの悲鳴は艦体のきしみにかき消される。
この時リンは、カークには遅れを取ったものの、既に状況を把握している。
もうほんの少し遅れていれば《天使の翼》はあの黒い空洞に飛び込んでいた。
ぎりぎりのところでベクトルの逆転に間に合った。
逃げられたのか?
いや、違う。
正面中央、星空が闇に黒く切り取られていて、それがぐんぐん大きくなってくる。
速い!
操船はカークに任せてFCSを立ち上げる。
目前の巨大な黒い闇は、その闇の中に青や紫の稲妻のような光を明滅させながら《天使の翼》に迫ってくる。
まるで怒っているようだ。
いや、本当に怒っているのかもしれない。
機首をそいつに向けたまま全速で逃げようとする《天使の翼》を圧するように迫ってくる。
それは正に巨大な口だった。
怒り猛った純粋な狂気。
迫り来る漆黒の顎をみながらリンは呟くを漏らす。
「まるでバーサーカーね!」
「バーサーカー!?」
アイは眼鏡の奧の目を丸くする。
「バーサーカーってフォースオペラの…?」
「これが自然現象だとはあなたも思わないでしょ?誰かの作ったものよ。これは本物のバーサーカーだわ」
「そうかも…」
応えるアイの声は震えている。
それにしてもどうしたわけか、こいつの全体像が掴めない。
相変わらず、センサーには何も映っていない。
方法は想像もつかないが、おそらくこいつはこうして外宇宙を飛ぶ宇宙船のセンサーを無効化して近づき、丸呑みにしているのだろう。
太古の昔、先文明が残した負の遺産だろうか。
いや、いまはこいつの正体なんか詮索している場合じゃない。
いま、《天使の翼》を呑み込もうと迫ってくるこのデカブツ。
こいつから逃げるのが先決だ。
これが何者なのかはわからない。
しかしそれがリンの胸に浮かんだ言葉だった。
バーサーカー。
けれど、逃げられるのか?
《天使の翼》は最大加速で機動しているというのに、差は徐々に縮んでいくように見える。
気のせいじゃない。
目前の闇は大きくなっている。
リンはごくりと唾を飲んだ。
アイも理解した。
目の前の「なにか」はあまりにも大きい。
大きすぎる。
直径は《天使の翼》の数百倍はあるだろう。
目を見開くばかりで言葉も出ない。
リンは無言のまま、光子魚雷を3発、立て続けに発射した。
青白い輝跡を引いて、漆黒の闇の中に飛び込んでいく。
そのまま、なにも起こらない。
なんの反応もない。
「どう思う?」
「亜空間に繋がっているんだろう。内部は無限の広がりを持っているようだ」
「てことは…呑み込まれたら助からない?」
「口を閉じられたらもう出てこられないだろうな」
「たちが悪いわね」
フェーザーキャノンを撃ってみるがやはり同じだ。
漆黒の闇がすべてを呑み込んでしまう。
速度も向こうが上だ。
逃げられないのか?
リンがぎりとくちびるを噛んだとき――
「リンさん」
アイが口をひらいた。
「リンさん、ディフレクタシールドを下ろして貰えますか?」
なぜ?と聞こうとしてその言葉を呑み込んだ。
何か考えがありそうだ。
「いいわよ」
ディフレクターを下ろす。
「よく見てみてください。まだ相手が見えませんか?」
「え!?―――あ!!」
「ほぉ…!」
アイの言葉に、リンとカークが同時に声をあげた。
ディフレクタシールドが消えたことで、それまで星間物質がぶつかるたびに生じていた僅かなノイズが消えた。
ノイズが消えて―――
見えた。
細い…極めて細い糸が。
おそらくこのあたりにあるどの星間物質よりも細く、小さい。
が、ただ長い。
長く…長く、リングを構成している。
おそらく分子1個分程度の細さのワイヤー…というストリングか。
極細のストリングが漆黒の穴を取り巻いている。
「これがバーサーカーの正体ってわけね」
極細のストリングで作られたリングが、その面に次元ホールを形成しているのだ。
「なるほど。これでは探知できないわけだ。厚さゼロの物体とはな」
カークが感心したように呟く。
「それでなにか方法は?」
「糸を…外周リングを切断しちゃえばいいのよ」
「オーケイ、やってみる」
フェーザーキャノンを連射モードにして外周付近をスイープする。
リングを横切ったときに、パッと青い閃光を迸らせた。
「やった!」
と思ったのも束の間、ホール面全体に波動が走ったかと思うと、何事も無かったかのように接近を再開する。
アイが驚嘆の言葉を発する。
「リングがホールを形成し、ホールがリングを維持してるんだわ」
「じゃぁダメじゃない」
リンの言葉にアイは眼鏡を光らせた。
「ダメじゃ無いです。もっと大きな力で、一瞬にリング全体を壊せばいいんです。かなり大きなパワーがいりますけど…」
「私がやろう」
カークが言った。
「え?」
「本体だよ。私の本体、ガルガンティスを出す」
「でも…出る時間無いわよ」
ガルガンティスの収容は大変だった。
出撃も収容ほどでは無いにしろ、そう簡単な話ではない。
だがいまは、のんびり作業している余裕など無い。
「へーきへーき」と、これはアイ「デッキの外壁コワしちゃっていいですよ、あたしが後でなおします!」
「おっけ。じゃ、おねがい、カーク」
「うむ」
その途端、船体に衝撃が走った。
ガルガンティスが外壁を破った衝撃だった。
デッキでは―――
ガルガンティスが上半身を起こすと、頭がデッキの天井部にぶつかる。
しかし、巨大ドール・ガルガンティスはそこに何も無いかのように、そのまま上半身を起こしきった。
天井が衝撃にたわみ、外板が音をたてて吹っ飛ぶ。
両手をその縁にかけて、めりめりと引き裂く。
飛び散った外板は、目前にせまった巨大次元ホールの中に吸い込まれるように消えていく。
もう時間はほとんど残されていない。
ガルガンティスは両腕を持ち上げると、リングの外周に向けて付きだした。
ぱぱっと、肘関節部分から閃光が迸った。
次の瞬間、ガルガンティスの両腕はその肘から先を分離させた。
ブリッジでは―――
「ろけっとぱ〜〜〜〜〜〜んち!」
カークが叫ぶや、ガルガンティスの両腕がリングの外周に向かって飛んで行った。
すぐに目には見えなくなる。
が、10秒後、リングの外周2箇所で眩い閃光が生まれた。
閃光はどんどん大きくなる。
大きくなって穴そのものを呑み込んでいく。
やがて閃光が消えたとき…
もはやどこにも、リングもホールも欠片も残ってはいなかった。
「ふう…」
リンが吐息を漏らす。
「それにしても、とんでもない武器持ってるわね。あれ、空間破砕弾でしょ?」
「よく知っているな。最終兵器…私の切り札だ」
「あっぶないわねー」
そう言って笑う。
アイもカークも笑いを漏らす。
「じゃ、ココアありがとね。あたし、もう寝るわ。あと頼むね、カーク」
リンはそう言って席をたつ。
「了解した」
カークが短く答え、アイが
「さぁ、忙しくなるわよ〜」
と腕をぶんぶん振り回す。
そんな言葉を背にブリッジを後にする。
しゅっと、音を立ててドアが開閉する。
足音を忍ばせてベッドにもどる。
そうっと、シーツをめくって身体を滑り込ませると…
「ん…? どしたのぉ?」
かすみは甘えた声音でそう言うと、寝ぼけまなこのまま身体をすり寄せて、リンの胸に顔を埋めた。
どきどきするほど可愛い。
「なんでもないよ」
そう言って髪を撫でてやったときにはもう、かすみはすうすうと寝息を立てていた。
リンは顔を寄せ、かすみの髪の匂いを胸に吸い込む。
朝までもう一眠りくらいは出来そうだ。
リンは目を閉じた。