竜の娘

――― 竜の娘 ―――





題名:《竜の娘》第1回

〔プロローグ〕

 その日、オアシスのほとりにあるセンガの街は、いつにも増して雑多な賑わ いを見せていた。
 センガの名物、春の市の立つ日だったからだ。
 センガの街は南北へ走る街道と東西を結ぶ街道とが交差する交通の要衝であ る。さほど大きな街ではないのだが、旅人たちの多く集まる街がら、ふだんか ら猥雑なほどの活気にあふれたエネルギッシュな街である。
 しかし、春の市が開かれる10日間ほどはまた格別であった。
近郷近在はもとより、遠い異国のキャラバンまでが集まってきては店を広げる。 とうぜん街の中にはおさまりきらず、多くのキャラバンや商人、旅人たちは城 砦の外にまで多くあふれている。
テントや小屋が張られ、一時的にセンガの街そのものが大きくなってしまった かのようだ。
 そこに、スオウも居た。
 スオウは今年18になる、まだ少年の面影を残した長身の若者だ。
砂漠生活者特有のフードとマントで全身を覆ってしまっているが、背に背負っ た幅広の大剣が、彼の素性を物語っている。
 傭兵なのだ。
 用心棒といってもいい。
隊商や金持ちの旅人などに雇われて、一緒に砂漠を渡り歩く。
もちろん、ならず者や盗賊を撃退・退治するのが傭兵の仕事である。
スオウは若いながらも腕利きの傭兵であり、センガへは隣国のキャラバンにつ いてやってきた。
30日ほどのその旅の間に、砂賊の襲撃を2度撃退し、大砂嵐に1度見舞われ たが、そのわりには低い被害ですんだ。
 いずれもスオウの働きや好判断によるものであり、最初の約束よりもかなり 余分に酒手をはずまれた。
帰りの護衛も頼まれたが、それには即答していない。
 そのキャラバンは西から来たが、スオウはまだ若い。もっと東の国を見てみ たいという願望があるからだ。
 しかしそのキャラバンの隊長の気前の良さはそれなりに魅力的である。
 スオウはしばらくセンガの賑わいに身を任せることにした。
 懐は温かい。
雑踏の中を大またで歩く。
ひとよりも頭一つ分は背の高いスオウの姿はよく目立ち、まわりの人間もよけ ていくようだ。
 ふと、「ダル!ダル!デーイ!」という客よせの言葉が耳に入った。
奴隷商人が市を立てているのだ。
何気なしにそちらへ頭を振り向ける。
奴隷商人の威勢のいい囃子文句に反応してしまっただけにすぎなかった。
そのはずだった。
 城砦の白い壁の前に即席で据えられた粗末なステージに、数人の奴隷が、い ましも追い立てられていくところだった。
その規模からみて、本職の奴隷商人による競りではなさそうだ。
主人の不興でも買って急遽売りに出されたか、どこかそこらの村からでもさら われてきたに違いない。
 スオウの目が、細く眇められた。
 思わず足を止める。
 ふいに動きの止まった巨体に周囲は迷惑げな表情をみせたが、スオウを傭兵 とみてとると何も言わずによけていく。せいぜい聞こえよがしに舌打ちする程 度だ。
しかしスオウはそんなことに無頓着だ。
今度は強引に人ごみをかきわけて奴隷市のほうへと足を向ける。
スオウの頬にはなにやら笑みが刻まれている。
なにか面白いものをみつけたのだろう。
 ステージに上げられた奴隷は全部で4人だった。
 いずれも裸である。
男が三人、女がひとり。
一糸まとわぬ裸のまま、後ろ手に枷をかけられて、その身を衆人の前に晒して いる。
奴隷は家畜だ。これは当然の扱いなのだった。
だからスオウの目を惹いたのは、そのことではない。
 そうではなくて…。
その4人とは別に5人目がいた。
5人目がステージの上に上げられようとしていた。
若い娘だった。
 うっすらと日焼けした白い肌が健康的な、腰まで届こうかという燃えるよう な金髪が見事なまでに美しい少女だった。
 しかし、その少女の顔はいま、青や紫に腫れ上がっていた。
あきらかに、奴隷商人たちに殴られたのに違いない。
これは、珍しいことだった。
ふつう、こういう娘を奴隷として売る場合、顔だけには手をつけないものだか らだ。
現に、もうひとりの女奴隷もからだには鞭などの折檻のあとはあるが、顔だけ には手をつけられていない。
 そして、さらに興味深いのは、奴隷商人と、そのふたりの使用人もまたあち こち痣だらけであり、ひとりなど腕に巻いた包帯から血がにじんでさえ居る始 末。
 いったい何があったというのか。
 使用人のひとりが少女をステージへ押し上げようとしている。
少女は抵抗していたが、やがておとなしくなりステージへの階段に足をかけた。 抵抗をあきらめたように見えた。
 そして、次の一瞬、それはおこった。
少女は、背中から後ろの男にぶつかっていった。
男はバランスをくずし、地面に倒れる。
後ろ手に手枷を嵌められているので、少女も男の上にもつれるようにそのまま 倒れこむ。
男が妙な具合に悲鳴をあげる。
まるで蛙をつぶしたような気色の悪い悲鳴だ。
少女はというと、そのまま体を地面の上に転がるように投げ出し、その勢いで 立つ。
仰向けに倒れた男の腹には、細身のナイフがつきたてられている。
この男自身の持ち物だ。
腹のサッシュに差してあったものを、少女が倒れこみながらの一瞬で奪い、刺 したものに違いなかった。
男の腹からはみるみる血がにじみ、体を朱に染めていく。
 だが少女はそんなものには一顧だにせず、軽い前かがみの姿勢のまま、群集 の中へと突進する。
 みな唖然として、何が起こったのかわかっていない。
ステージの上で大口をあんぐりあけた奴隷商人でさえも。
少女を止めるものは誰一人いない。
少女の逃走は成功するかにみえた。
 だが、そこにスオウの姿があった。
いつのまにか、スオウは少女の進路を塞ぐ位置に立っていた。
少女はスオウをかわそうとしたが、スオウの長くたくましい腕は的確に少女の からだを捕らえていた。
「はなせ!」
切羽詰った声音だが、かわいい声だとスオウは思った。
 少女はもがくが、スオウの腕は万力のように少女をがっちりと抱きしめてい る。
 抱えたまま、人ごみをかきわけて…今度は自然と道が開いていく…ステージ の上に立つ奴隷商人の前に立つ。
 スオウは、高らかに宣言する。
「この娘は俺が買った!」
にこやかにそう言って懐から、ずっしりと重たげな巾着を取りだし、商人の足 元に放った。
今回の稼ぎである。金貨が10枚以上、入っている。
奴隷を買うには十分すぎる金額だ。
普通なら5人や10人は優に買える。
 商人ははじめ文句を言いたそうな風情だったが巾着の中身を改めると、一瞬 ぱっと表情を輝かせ、そのあとあわてて、いかにも渋々といった様子でうなず いてみせた。
この金額なら使用人のひとりやふたり惜しくないということだ。
商談は成立だ。
スオウも明るくにっこりと微笑む。
 おさまらないのはスオウに抱きかかえられた娘である。
「はなせ、この馬鹿!おれはきさまになんか買われんぞ!はなせ!」
かろうじて自由のきく足で蹴りを入れまくるがスオウにはどこ吹く風の風情で ある。
 手枷の鍵だけ受け取ると、長居は無用とばかりにスオウはその場をあとにする。 わめき叫ぶ少女をかかえたまま…。

 その少し後。
通報を受けてかけつけたセンガの街の警邏隊がみつけたものは、階段から落ち た拍子に自分の所持するナイフで腹を刺してしまった男の死体であった。
警邏隊の隊長は苦い顔で、奴隷商人の話をきくのだった。

つづく

題名:《竜の娘》第2回

〔章の1 笑う奴隷〕

この世界では、奴隷はもっとも安価な労働力である。
奴隷は家畜であり、物である。
決して人と同格に扱われることはない。
奴隷はひとめでそれとわかる。
革の首輪を嵌められているからである。
これは奴隷商人たちにより、大地母神グレネーの「恵みの封印」を施されるた め、自分ではずすことは不可能になっている。
もし無理にはずそうとすれば、大地母神の怒りに触れ、無残な死にまみれるこ とになる。
スオウによって買い取られたゆたかな金髪の娘もまた、この黒い革の首輪を嵌 められている。

少女は、事態の推移に軽いとまどいを覚えている。
いったんは成功したかに思えた逃走━━いや、本当に成功しただろうか?
手枷などはなんとでもする自信はあったが、この非力な身で果たしてどこ まで逃げおおせ得たものか。
そもそもあの奴隷商人につかまってしまったのだって、女の身のひ弱さの せいではなかったか。

それでも。
そうだとしても、あのまま売られてしまうなど、彼女の矜持が許すもので は無かった。
だから逃走を図ったわけだが、一昨日の失敗ではいやというほど殴られ、 気まで失ってしまった。
顔の腫れはそのときのものだ。
もっとも、気を失うほど殴られる前に、商人たちにも痣になるほどのパン チや蹴りも入れてあるわけだが、彼女にとってそれはあまり救いにはなっ ていない。
逆にこぶしを傷めてしまっている。

そして今日は今日で、成功したかと思ったとたん、どこの馬の骨ともわか らないナガレにとっつかまり、あまつさえそいつに買い取られてしまった。
屈辱のきわみだ。
なさけない。
涙まで滲みそうになってきて、なおさらなさけない。
なさけないといえば、今のこの姿勢だ。
ふたつに折られて男の肩に担がれているため、視界にあるのは男の背中だ け。
すっぱだかのからだを衆人に晒しているというわけだ。
けつの穴まで丸見えなのに違いない。
なさけない。
だが、彼女にとっては、このからだそのものを人目に晒すこと自体が、け つの穴うんぬんよりも、情けなく悔しいものがある。

窮屈な姿勢のまま、男の肩の上で身体が揺れる。
やわらかな腹や乳房が、ごわごわと硬い男の外套にこすれて痛い。
姿勢をかえようにも、両足も腰も男に強く抱えられていて、動かすことも ままならない。
舌打ちしたい気分だ。
このクソ野郎め、ふざけやがって!
手が自由になったらぶち殺してやる!
そう思ったとき、男はふいに進路を変えて、路地の中に入り込んだ。

路地といったが、正確には、テントとテントの間の隙間だ。
少女は、からだがふわっと浮くのを感じ、はっと思ったときにはもう地面の上 に立たされていた。
頭をふって髪を払うと、目の前には男の巨体が黒い影となって立ちはだかって いる。
そのむこうには、明るい陽光のもと、雑踏の人の群れが遥か彼方だ。
男は少女を見下ろしている。
少女は…口の端をわずかにゆがめた。
わらったのだ。
覚悟を決めたのだった。
ここで戦う。
男を見上げる。
目が、そこだけ白い。
ふと、戦意が殺がれた。
男の目には情欲などこれっぽっちも無かった。
人の良さそうな無邪気な光だけがたたえられている。
「うしろ、むけよ」
なに?
朴訥そうな声音だが、やはりここでやるってえのか!
きっとなってにらみつけると、
男はあわてて、
「ちがうちがう、ほら、これ」
と、鍵をみせる。
さっき、奴隷商人から渡された枷の鍵だ。
「はずしてくれる…のか?」
「そういうこと。さ、うしろ向いて」
男はくったくの無い笑顔でそう言うと、少女を抱き上げるようにして後ろを向 かせた。
少女は軽いとまどいを見せながらも両手を後ろに差し上げる。
いきおい、中腰になり、尻を突き出すような姿勢になってしまう。
男、スオウはその尻を、かわいいと思った。
思わずにんまりしながら、鍵穴に鍵を刺しこむ。

かちゃりと音がして、鍵がはずれる。
枷がぱかっとはずれて、乾いた砂の上に落ちる。
せつな、少女の黄金の髪がスオウの目の前で踊る。
あっと思ったときには、少女の身体はスオウに密着し、ナイフの切っ先をのど 元に突き付けていた。
スオウ自身のナイフである。
いったいいつの間に奪ったものか、驚くほどすばやい。
「悪いね」
少女のささやくような声が耳に心地よい。
およそこんな場面にふさわしくない優しい声音だ。
鋭いナイフの先端がわずかにのどの皮膚一枚を破る。
ぷつっと赤いしずくが浮かぶ。
「動かないで。動けば殺す」
少女の声に背中にまわしかけていた手を止める。
この少女は、本物だ。
惚れた。
スオウは自分の頬が緩むのを感じた。

「なにを笑ってる?」
ナイフのむこうの少女のひとみは、ナイフよりも何層倍も剣呑な光をたたえて いる。
「あ、いや、その、別に…いい眺めだと思ってさ」
と視線を少女の胸にはわせる。
「え?」
虚を突かれたように少女の顔に朱が刺す。
その一瞬に、スオウは大きくうしろにとぶ。
同時に背中にしょった大剣を鞘ごとはずし、投げ捨て…ようとした動きをぴた りと止めた。
少女のナイフが、再び喉元に突きつけられていた。
虚を突かれてなお、少女の動きは速かった。
飛び退ったスオウを追いかけて、跳んでいた。
今度は迷わず、刺す気だった。
しかし、スオウが剣を抜こうとするのでなく、手放そうとするその動きを見て 手を止めた。
しばし、ふたりの動きが凝固する。
ほんの数メートル背後は、人々の雑踏。
なのにここだけが別世界だ。
「なぜだ?」
押し殺したような少女の声。
剣を抜いていれば、相撃ちに持ち込まれていただろう。
だが今この若者の命は完全に少女の手の内だ。
「おまえは何を考えている?」
少女は再び言って、切っ先をはずす。
ゆっくりと。

スオウの右手に握られた剣が地面に落ちる。
「だってさ…」スオウは笑みを浮かべて言う。「剣をはずさなきゃ、これ、脱 げないだろう」
そう言って、外套をぬぎ、それはばさっと音を立てて、少女のからだにまかれ た。
「おまえ、はだかじゃ、いやなんだろう?」
照れくさそうにそう言うスオウは、少年のような横顔を見せた。
少女は自分のからだに着せ掛けられた外套を、当惑をこめて見下ろす。
それは砂漠を旅するものたちが好んで使う、厚手の麻で出来たフードつきの外 套だった。
持ち主と長く旅してきたのだろう、ぼろぼろであちこちに繕ったあとがある。
男の汗臭い体臭がこもっている。
だがそれは、不思議に懐かしいものだった。
そうか。
少女はスオウを見上げた。
こいつは、こういうヤツなんだ。
「おまえ、いいヤツだな」
少女は、ひとなつこい笑顔をうかべてそう言った。


つづく


題名:《竜の娘》第3回

〔章の2 竜殺しのルウガ〕

傭兵といえば聞こえがいいが、ようするにならず者であり、何でも屋である。
国どうしの戦争ともなれば、すわ一大事とばかり率先して駆けつけるが、彼ら にはイデオロギーもポリシーもありはしない。
戦争がいちばん金儲けになるからであり、彼らは金のためだったらなんでもす る。
キャラバンの護衛から街の防衛隊、大商人や酒場の用心棒までなんでもござれ。
節操が無いといえばそのとおりだが、その分、腕が立つのも確か。
腕が立たなければ、傭兵=ナガレはやってられない。
ナガレというのは、傭兵の蔑称である。
ひとつ土地に定住しない者が多いことからそう呼ばれる。
傭兵=ナガレの多くは街から街を渡り歩き、腕を磨き、金を稼ぐ。
強くあること。
強いて言えば、それが彼らのポリシーなのだといえるかもしれない。
そういう彼らだけに強さには敏感である。
強くなければ生き残れない。
生き残ったものは強いからだ、とも言える。
彼らにとって、そして砂漠で暮らすものたちにとって、それが基本的な考え方 だともいえる。
強さは信仰でもある。
そして多くの伝説がある。
いずれ劣らぬ超人的な猛者たちの伝説が。
砂漠の狼・トゥハーザ、
蜃気楼の魔剣士・ダリ、
黒い稲妻・サラーオ、
髑髏王アグ・アタ…
などは先の戦争で生きた伝説を築いたつわもので、砂漠で生活するものなら知 らぬ者とて無い勇名を馳せている。
しかし、彼らをもしのぎ、とりわけ名高いのが「竜殺し」であろう。
竜殺しのルウガ。
ひとでは倒すことができないといわれていた魔獣と戦って勝利したと言われて いる。まさに鬼神だ。
彼は尊敬と畏怖をこめて「竜殺し」と呼ばれている。
その竜殺しルウガに、スオウは子供ころ1度だけあったことがある。
10年ほど前のことだ。
スオウはまだ子供で、竜殺しルウガもまだ10代だった。
今のスオウと同じ年頃か。
しかしそのときすでにルウガは竜殺しの異名を持っていた。
たまたま旅の途中、スオウの村に立ち寄っただけのことだったが、竜殺し到来 のうわさはまたたくまに村中にひろまった。
傭兵=ナガレは砂漠の子供たちにとって、それだけでヒーローだ。
まして二つ名を持つような傭兵ともなればなおさらで、それがそれがさらに竜 殺しのルウガなのだから、これはもはや神様に近い。
大人たちのかげから垣間見た竜殺しルウガの姿は…
かっこよかった!
長身に大剣を背負い、黒いケープを身にまとったその姿は、ひとを寄せ付けぬ 孤高に満ちていた。
抜き身の刃のような精悍さを漂わせていた。
恐ろしくもあったが、その姿は子供心を憧れで満たさずにおかなかった。
そのときから竜殺しルウガはスオウの神様となった。
いつか、俺も竜殺しになる。
それがスオウの夢となった。
スオウが生まれ故郷を捨てたのはそれから3ヶ月後のことである。
それから10年。
若いながらそれなりに名前の売れ始めてきたスオウだったが、竜殺しのルウガ の名は、いまだ憧れの対象なのだった。


だから。
「ぶはっ!」
スオウは思わず飲みかけの麦酒を泡ごと吹き出してしまった。
向かいの席に座った金髪の少女の顔が泡にまみれる。
「げほっごほっ…すまねえ」
むせながらも、いそいで懐から手ぬぐいをだして少女に渡す。
あまり清潔とはいえないが、無言のまま少女はその手ぬぐいで顔の泡をぬぐう。
あきれたような表情を浮かべる少女の顔の右半分は今、湿布で覆われている。
あのあと、薬の行商から買い求めたものだ。
少女ははじめ固辞したが、スオウが強引に買い与えた。
あとは革のサンダルを一足。
少女はそれも断わったのだが、実際のところ、柔らかい足裏は熱い砂や小石に 悲鳴をあげ続けていたので、かたちだけはスオウの強引に押し切られたような 格好で受け入れたのだった。
スオウはさらに衣類をも調達しようとしたが、少女はそれ以上は頑として肯ん じなかった。
なので今も少女は、身につけているのはぶかぶかのスオウの外套だけである。 フードは背中にたらしているが、首周りは高く立て、首輪を隠している。
せっかくの金髪も外套の中だ。
「え?なんだって?もう1度言ってくれるか」
スオウは片方の眉をきゅっと上げて言う。
少女は、うんざりしたように、視線を周囲にさまよわす。
「ルウガ…」
だから言いたくなかったんだという態度がありありだ。
「…わたしの名前はルウガだ。ひとは竜殺しとも呼ぶようだが。」
それだけ短く言うと、額に垂れた金髪のかげから覗きこむようにスオウの目を 見据えた。
マジだ。
少女の青いひとみに吸い込まれそうになりながらスオウは思った。
間をもたせるべく今度は落ち着いて、陶製のジョッキの中身を喉に流し込む。
ルウガ…。さっきはその名前をきいて、ぶったまげてしまった。
同名は別に珍しくも無いが、少女ははっきり「竜殺しの…」と言った。
スオウにとって竜殺しの名前は特別な意味を持っているが、問題はそれだけで はない。
名前は魂だ。
うかつに騙れば風の神チャーの呪いを受ける。
二つ名が生まれるのはそういう土壌による。
このおんなはいったい何を考えているのか?
もしかして気ぶれか?
俺はもしかするととんでもない間違いを犯してしまったのかもしれない。
麦酒がやけに苦く感じられるのは気のせいだろうか。
スオウは顔をしかめた。

ルウガと名乗った少女の口元がふっと緩んで、皮肉な笑みをかたちづくった。
「いいさ」
愛らしい声がつむがれる。
声は愛らしいが、どこか男っぽい口調だ。
蓮っ葉というのとは違う。
男っぽいのだ。
「別に信じてもらえるとは思っていない。わたし自身、悪い夢でも見ているよ うな気分だ。」
自嘲的に続ける。
「わたしもおまえの立場なら、相手の言うことなど信じないだろう。それが当 然だ。世話になった。金はいずれ必ず返す。じゃ。」
少女はしなやかな動作で席をたち、ケープを翻す。
「あ、待てよ。」
スオウはあわてて席をたつ。椅子ががたんと倒れるのもかまわず後を追う。
3歩で追いつくと外套の上から二の腕に手をかけて振り向かせる。
「待てってば。」
少女の冷たい視線が腕にかけた手にそそがれているが、それは無視だ。
スオウの頭は全開で回転している。
この娘が竜殺しルウガだなんて与太は論外だ、信じるに値しないが、このまま 少女を行かせるわけには行かない。
「行くな!」
しかし口から出たのはそれだけだった。
目と目が交錯する。
「俺は!」
さけぶように言う。
「俺は役に立つ!」
こんなことしか言えないのか俺は。
自分で自分が情けなくなる。
少女も目を丸くしている。(きれいな目だ。)
あきれているのか唖然としているのか。
そのときだった。
周囲から喚声が上がった。
「ひゅうひゅう!いいぞ、にいちゃん!」
「行け〜、押し倒せ〜」
「がんばれ、にいちゃん」
「お嬢ちゃんもわかってやんなよ、男の純情!」
酔っ払いどものはやし立てるダミ声が、わっと沸き上がる。
そうだ。
むろんこの酒場にいるのはスオウと少女のふたりきりなんかではない。
そう広い店ではないが、テーブルは満席で喧騒が満ちている。
しかしいつのまにか注目を集めていたらしい。
無理も無い。
竜殺しのルウガを名乗る少女は、まだ大人の女の魅力こそ無いものの、妖精の ような、人間離れした美しさをかもし出している。
目立たないほうがおかしい。
店の中の酔客たちは、それとなくこの少女に目をやっていた。
連れの男がスオウでなかったら、とっくにナンパの嵐が吹き荒れていたに違い ない。
そこへもってきて、いきなりの痴話喧嘩から、ついには愛の告白劇。(周囲に はそうとしか見えていなかったわけだが、一面それは正しいと言える。)
盛り上がらないわけがない。
スオウは思わずきょろきょろと周囲を見まわしてしまう。
恥だ。
かたや少女も困惑の表情を浮かべていたが、やがて、
「本当に役にたつのか?」
そう言いながら、やんわりと、二の腕を握ったスオウの指をはがす。
青いひとみはスオウを試すかのように光をたたえている。
宝石のような、底の知れない青いきらめきにスオウは言葉を失う。
再びふたりがテーブルにつくのを見て酒場の中はまたひとしきり、どっとばか りに沸きあがり、あちこちのテーブルから酒や肴が届けられる。
話ができるようになるまでは少し時間が必要だった。

「役に立つ、と言ったな。」
少女の青いひとみが金髪のむこうから、スオウをみている。
なんだか裸にむかれてるような気がする。
ケープの下、裸なのはむこうのほうなのに。
と思ってから「あ、なんで俺は余計なことを考えてるんだろう」と心の中で舌 打ちする。
そんな心のうちを気取られまいと、不自然なほどの明るい声で答えてしまう。
「言ったさ、たしかに。聞いたこと無いか、黒い刃のアジーンてさ?」
ちょっと誇りをこめて言う。
まるで主人に誉めてもらいたい犬のようじゃないか。
スオウは、この少女を自分の奴隷にする気など、はなから無かったが、それに してもこれじゃ立場がまるっきり逆だ。
歳だって、少女はどう見たって、15かそこら。自分よりいくつも下なのに。
そう思うスオウはもちろん、少女が竜殺しのルウガだなんて話は信じちゃいな い。
この少女が只者で無いことは確かだが、それとこれとは次元の違う話だ。
だからといって、そんなことをここで強調する気はない。
それに、この娘はルウガの知り合いとか身内とかなのかもしれない。
それなら十分ありそうな話だ。
そうだ。
きっとそうだ。
さっきは自分が聞き間違ったのに違いない。

「…黒い刃のアジーン?」
つぶやくと、少女は眉をよせて考え込むような表情をみせる。
「おまえ、スオウって言わなかったか?」
「ああ、それな、仕事用の名前だ、アジーンてさ。だってイヤだろう。自分の 名前がどっか知らないとこで知らないやつに唱えられてたりしたらさ。」
「ふうん…案外、信心深いんだな、おまえ」
青い瞳が笑いを刻む。
おまえって子供なんだな、と言われているようで、スオウは少しむっとした。
「おまえは違うのかよ?」
「…まあな。」そう言って、にやりと笑う。
へんな女だ。何を考えてるものやらスオウにはさっぱりだ。
「そんなことより、なあ、本当に聞いたこと無いか?黒い刃のアジーンて?」
「…思い出した。あるよ。夜間戦闘のエキスパートを気取ったひよっこだって 話なら、きいたことあるな。うん。」
「ひよっこは余計だっ」一瞬気色ばむが、少女の瞳が茶目っ気をたたえている のに気づいて、浮かしかけた腰を椅子に落とした。
少女はスオウのそんな振る舞いを面白そうに見ているだけだ。
「ちぇっ。なぁ。」
ふてくされたようにスオウが言う。
「おまえのこと、ルウって呼んでもいいか?俺のことはスオウって呼んでくれ ていい。」
「好きなように呼べばいいさ。」
少女はさも興味無さげに答える。
それから一転して「だけどおまえ、アジーンなんだろ?」
「へへ…おまえだけには本名で呼んで欲しいのさ。」
スオウとしては精一杯格好をつけたつもりだ。
だが少女の反応はにべも無い。
「なんだか…気持ち悪いな…わたしは、ルウガだって言ってんの、おまえ、 ちゃんとわかってんだろうな?」
「もちろんさ」
顔いっぱいの笑顔で答える。
もちろん、わかっているわけが無い。

つづく


題名:《竜の娘》第4回

〔章の3 石舞台の夜〕

その昔、まだ人のいなかった頃、世界は混沌とし、闇の王ガーシュアとその眷 属が我が物顔に跋扈していた。
それを遥か天上から見ていた太陽神ドランは、大地母神グレネーを遣わし、ガ ーシュアとその眷属を地中深く封じ込めた。
それからドランは自分も世界に降り立ち、グレネーとの間に子供を設けた。
それが人である。
最初にひとが生まれ、次いで、最初の家畜がうまれた。
この家畜はよく働いたが、あまりにもひとの姿に似すぎていた。
ドランはこれを不気味に思い、打ち殺そうとしたが、慈悲と恵みの神でもある 大地母神グレネーがこれを止めた。
かわりに生涯、首輪をはめて区別をつけることで、ドランに許しを乞うた。
これが奴隷の成り立ちである。
それから犬が生まれ、駱駝が生まれ、馬が、牛が、あらゆる命あるものが生ま れた。
世界は光と秩序とに満ち、安心した太陽神ドランはやがてふたたび天界へと帰 って行った。
だが。
闇の王ガーシュアは、完全に封じ込められたわけではなかった。
大地母神グレネーをうまく言いくるめては、しばしば地上に出没し、ひとびと を苦しめてまわるのだという。
それが、この世界に広く伝わる神話である。

しかし、ここで奇妙なことがある。
竜は一般にガーシュアの化身であるとも、また使い魔であるともされるが、大 地母神グレネーの神獣もまた竜の姿として伝えられるのである。
これは今ではあまり知る者とて無いが、さらに古い神話によれば、ガーシュア とグレネーこそがこの世界を統べる夫婦神であったというのだ。
だから、ふたりの神は同じく竜を使うのだと。
これによれば、太陽神ドランはグレネーに懸想し、天界より降臨、ガーシュア をくだし、グレネーを奪ったという。
あるいはまたグレネーはみずから太陽神のもとにくだることでガーシュアの命 乞いをしたとも伝えられる。
その悲しみの涙が海になり、太陽神との交合いで焼かれた体が砂漠になったの だと。
古い古い神話の物語である。


砂漠の夜は、冷える。
なめてかかると、凍死することさえある。
昼間は60度を越える暑熱の世界だが、夜間…夜明け前など零度近くにまで冷え 込む。
寒さそのものももちろんきついが、その温度差がさらに拍車をかける。
ふたりは酒場を出たあと、城砦からはなれ、古い石舞台あとへと場所を変えて いる。
砂に埋もれかけているが、街の真中よりもかえって安心できる。
真っ当な宿にでも泊まれば別だが、野宿するなら、ひとの大勢いるところは、 かえって危ない。
まだ金に余裕はある。スオウは宿をとろうとしたのだが、少女…ルウがそれに 甘えようとしなかった。
泊まるならおまえひとりで泊まれ、わたしは野宿する、とまで言われては勝手 にしろとも言えない。
そこで、ふたりで適当な場所をさがして、この石舞台までやってきた。
石舞台などとよんでいるが、本当のところはなんなのかわからない。
なんに使われていたものやら、ただ丸く石が敷き詰められているだけに見える。
それで石舞台などと呼ばれているわけだが、本当は塔かなにかだったのかもし れない。崩れかけた壁が舞台のまわりにまだ残っている。
季節によっては完全に砂に沈むこともあるが、今の季節ならその心配も無い。
いい風除けになるだろう。
砂漠のあちこちにこれと同じものが残っている。
古の闇の眷属の祭壇とされている。
砂漠で暮らすものはめったにそこに近づいたりなどしない。
「大丈夫なのか?」
スオウが声をひそめて言う。
まるで誰かの目を気にしているかのように。
先に立って歩いていたルウが、振り返ってスオウの顔を覗きこむ。
「スオウ。おまえはこわいのか?」
スオウにあわせて声をひそめているが、その目は笑っている。
からかっているのだ。
ためしている。
そうと気づいてスオウはむきになる。
「ばかいえ。こわくなんかあるかよ。だけど…だけどここってよ…」
だんだん声が小さくなる。
砂漠に暮らすものとしてはこれが普通の反応だろう。
ルウはにんまりと頬笑む。
「こわいんだろう。いいさ。だからいいんじゃないか。ここなら、襲ってくる やつなんかそうそういない。安心して寝てられる。おまえも一匹狼ならこうい う場所を利用することを覚えておくんだな。」
ついてこい、と合図してまた歩き出す。
そりゃまあね、とスオウは心の中でつぶやく。
そりゃまあ、本物のルウガといっしょなら、これが石舞台どころか、闇の王の 神殿でだって大いびきものだぜ。
度胸だけは竜殺し並か。へんな女だぜ。
しゃーねぇ、俺が面倒みてやるしか無いよなあ。
苦笑してぽりぽりと鼻の脇をかくと、あわててルウのあとを追いかけた。
いつのまにか、恐怖は、無い。

石舞台に残された、崩れかけた壁の陰にふたりの寝ている黒いシルエットが、 見える。
空には一面の星が音も無く瞬いているが、その光もそこまでは届かない。
スオウのいびきだけが、一定のリズムで聞こえてくる。
そこへ、
しゃり。
と、砂のこすれるような音が、かすかに響いた。
注意していなければ聞こえないような、小さな、小さな音だ。
その証拠にスオウのいびきも、途切れることなくそのまま続いている。
しゃり…しゃり…。
砂のこすれる小さな音は、ふたりにゆっくりと近づいてゆく。
それは、ひとの、砂を踏む足音だった。
ルウとスオウが身を休める陰を囲むように、足音を忍ばせたみっつの影が、ゆ っくりと、しかし確実に近づいて行く。
星明りに照らされた男たちの顔は、昼間の奴隷商人たちのものだった。
スオウの、意外なまでの財布の中身に味を占め、にわか盗賊と化したのか、そ れとも、もともとこれが本業なのか、ふたりの後をつけ、寝静まったところを 襲いにきたというわけなのだった。
3人の男たちは、壁の作り出す陰の中にまで足を踏み入れた。
スオウのいびきはまだ聞こえている。
3人は頷き合った。
あとはスオウの胸に剣を突きたてるだけだ。
それだけでおしまい。
女は殺さない。
また売りに出せるからだ。
男たちのひとりが剣を振り上げた。
振り下ろそうとして、その動きがぎくっと止まる。
どうした? 声に出さずにとなりの男が問い掛ける。
しかし剣を振り上げた男は、微動だにしないで脂汗を流している。
闇の中、白い目が大きく見開かれているのがわかる。
不審に思ってその視線を追うと…
眼下に寝ているはずのナガレの顔あたり、白いふたつの光が、燐光を放つかの ようにぎらついている。
目だ。
野獣のような目だ。
いびきは聞こえているのに。
そう思ったとたん、いびきは、低い笑いに変わった。
白いふたつの光が薄く細められた。
恐怖が男の心を占める。
どん、と音がして、剣を振り上げていた男の上半身だけがうしろに吹っ飛んだ。
へそから下は、きれいな切り口を見せて、そのまま立っている。
その切り口からみるみる黒い液体が吹き上げてくる。
血だ。
斬られていた。
でも刃は見えなかった。
今は眼前にひざまずくようにうずくまるナガレの手にも剣の光は無い。
まるで魔法だ。
「あわわ…」
言葉にならない声を発して、隣の男にすがりつく。
と、なにか、水が頭から振りそそぐ。
「?」
思わず見上げると、その水はすがりついた男の首から吹き出していた。
首が、横一文字にすっぱりと斬られ、そこから小さな笛の音のような音をたて て鮮血が吹き出しているのだ。
男の首と顔の前には、まるで背中から手が生えたかのように白くきゃしゃな細 い腕が2本、まわされている。
1本は、血の滴る細身のナイフを持ち、もう1本の腕はすでに生気の無い男の 顔に貼りつき、両の眼窩をえぐっている。
その指の白さとしなやかさが鮮やかに目に焼きついた。
その指に力がこめられ、目を失った男のからだが、わきへ突き放される。
男のからだが、どっとくずおれ、背後に立つ、そのふたつの腕の持ち主の姿が 露になる。
奴隷商人は恐怖も忘れて息を飲みこんだ。
そこには星の光を浴びて白く浮かび上がる慈悲の女神にして殺戮の女神グレネ ーの姿があったからだ。
美しく、気高く、そして…戦慄をよびおこす。
背後からあの大柄なナガレの近づく気配を感じたが、奴隷商人は動くことが出 来なかった。動かそうとも思わなかった。
流れるような金髪をもち、全裸に黒い革の首輪を嵌めた眼前の少女に自分の運 命を感じていた。
「レー、グレネー…」
小さくつぶやく。
それがこの奴隷商人の、この世で最後の言葉だった。
グレネーよ、祝福されかし。それがこの言葉の意味だ。
次の瞬間世界がふたつに割れた。
いや、頭から股間まで、真っ二つに両断されたのだ。
見えない剣で。

後始末には小一時間かかった。
まず入用な装備をいただく。
別に不敬なことではない。
砂漠で生き延びるのは過酷なことだ。
利用できるものは利用する。
それが当たり前なのだった。
ルウは、なるべく血にぬれてないところをみつくろって、自分の着るもの一式 を揃えた。
自分の身体も砂にこすりつけて血を洗い流してからそれらを身につけた。
ゆったりした生成りのシャツとズボンに砂色のフード付ケープをまとい、首に はサッシュをまきつけ、首輪を隠す。
借りていた外套はスオウに返す。
邪魔な長い髪はサッシュを裂いて作った紐で縛ってポニーテールにした。
フードを被るときには邪魔だが、中に入れてしまうと、ちょっとした動きのと きに引っ張られて痛いのだ。
ほかに、石舞台のはずれに5頭の駱駝をみつけた。
もちろん奴隷商人たちの持ち物だ。
ちょっとしたひと財産だ。
遠慮無く頂戴する
奴隷商人たちの死体を石舞台のはずれに放り出してから、ふたりは場所をかえ て改めて腰を落ち着けた。
近くの潅木を集めて焚き火をおこす。
砂漠の夜は冷え込む。
凍死することもあるくらいだ。
こうして衣類を調達できたのも有り難かった。
ルウはケープの中でひざをかかえた姿勢で火に向かっている。
小さな火だったが、焚き火のほのおは、からだよりも心を暖め、リラックスさ せてくれる。
そのほのおが、ルウの青い瞳に映って揺れている。
その瞳が、ふいにスオウに向けられる。
「おまえは、面白い武器を使うな。」
「スオウだ。おまえじゃねえ。」
「そうだったな。スオウ。」
スオウの憮然とした口調に、苦笑まじりにルウが折れる。
「へへ…、見せてやる。」
気をよくしたスオウは、ひざ抱えにした大剣を鞘から抜き放ってみせた。
重い金属音を放って抜かれたそれは、刃渡りだけで1メートル半近い。
柄まで入れれば2メートルがとこはある大業物だった。
分厚く大きい、持ち主にも似た無骨な大剣だった。
そこらの力自慢でも、そう簡単に振り回せる代物ではない。
まして使いこなすとなれば、まず居まい。
スオウはただの力自慢ではないということだ。
しかしこの剣の特徴はそれだけではない。
すらりと抜き放たれた剣は、黒く、闇に沈んでいる。
黒い金属でうたれたそれは、夜の闇の中、その姿をぼうっと霞ませている。
これゆえに、奴隷商人にはスオウの剣が見えなかったのだ。
ただでさえ長い剛剣が、闇に溶けこんでその姿を隠してしまうのだ。
これと、夜目のきく体質とが、スオウをして「黒い刃」と呼ばせしめるのだ。
夜間戦闘のエキスパートというのはあながち嘘ではない。
「こいつが俺の相棒アジーンだ。持ってみるか?」
スオウはみずからがアジーンと呼ぶ大剣をルウに差し出す。
その表情はまるで、誉めてもらうのを待っている子供のようだ。瞳が期待に、 きらきらと輝いている。
そうだ。百戦錬磨の傭兵といえどもスオウはまだ少年なのだ。
かわいいものじゃないか。
ルウはにっこり微笑んでアジーンを受け取る…。
「きゃっ」
受け取ろうとして、転んでしまった。
アジーンが重すぎるのだった。
「気をつけろ。重いぞ、これは。」
スオウが笑った。
ルウも、笑った。

つづく


題名:《竜の娘》第5回

〔章の4 蜃気楼都市〕

ちろちろと燃える焚き火の炎が、ルウの金髪を不規則に照らし出し、きらきら と輝かせるさまは、幻想的なまでに美しく、まるで彼女の髪それ自体が炎を発 しているかのようだ。
スオウの黒い豪剣を必死で持ち上げようとするその仕草がなんとも愛らしい。
両手で柄を握っているが、切っ先が地面から持ち上がらない。
「こんな重いものをおまえは振るっているのか、スオウ?」
ルウの声には賞賛の響きがある。
スオウは単純に嬉しくなる。
だが、
「あ、いや、違うか…わたしが非力なんだろうな、これは…」
ルウの声は一転して妙に沈んだものになり、表情もどこか考え深げなものに変 わっている。
ふいっとスオウを見上げるように視線をめぐらせる。
「さっきのだがな、スオウ」
「ん?」
「まぁ、こう、剣を持ったつもりだ」と剣の構えをとる。もちろん構えだけで 手の中はからっぽだ。
「さっきおまえはこう…」と剣を横へ薙ぐ、
「それからこうまわしながら」地面を這うように大きくステップ、
剣を握ったつもりの両手を振りかぶって…、
「斬る!」声と同時に両手を振り下ろす。
ルウは上気した顔で振り返る。
スオウは呆気にとられて声も出ない。
見事な身ごなしだ。
完全にスオウの動きをコピーしてのけていた。
もし、ルウの体重と筋力にみあった剣を使っていれば、さっきのスオウに匹敵 する結果を得られるだろう。
「すごいな…」
スオウは心の底からの驚きを禁じえない。
ルウはにっこりと笑ってみせる。
「だけどスオウ」
もう1度最初の姿勢に戻って構えをとる。
「このほうがもっといい!」
ダン!と踏み込むと同時に剣を払う!
その瞬間、剣尖が稲妻となって閃くのを、スオウはたしかにみた。
ルウの小さなからだが、ダイナミックに、そして寸分の無駄も無い優雅で力強 い動きをみせる。
スオウはみた。
見えた。
ひと瞬きする間に3人の男が鮮やかに両断されるのを。
斬られたことさえ意識することなく倒れるさまを。
ふわり、
ルウの金髪が、揺れて、とまる。
かまえた剣のむこうから、青い瞳がスオウをとらえた。
来る!
あっと思ったときには遅かった。
自分の首が宙を飛ぶのをスオウは感じた。
斬られた!
思わず自分の頭を手でおさえこむ。
くっつけなければ…。
「ふふふ…」
ルウがさもおかしそうに笑っているのが見える。
「え?」とスオウは素っ頓狂な声をあげる。
「斬られて…ないじゃん」
ほけーっとしてしまう。
斬られてない。
頭をからだをぱたぱたと触りまくる。
確かに斬られてない。首と胴体はちゃんとつながってる。
だいたい、ルウは剣なんか持っちゃいない。
持ったつもりで構えをとっているだけだ。
「なんだったんだ、いまのは?」
いまたしかに剣も見えたし、3人が斬られるのも見えた。
そして最後に自分が斬られるのを感じた。
夢か!?
冷たい汗が、つうっとひとすじ、背筋に伝う。
夢じゃない。
たしかに斬られたんだ。
ルウの剣技に。
ルウの気迫に。
スオウは呆然と、歩み寄ってくるルウの姿をみつめた。
ルウはスオウの目の前まで来ると指をつきつけ、胸を、とん、と突いた。
「どうだった?斬られた気分は?」
そう言って、にやり、と笑う。
妙に男くさい笑いだ。
だがそれが今のルウには妙にふさわしい。
スオウは、唖然とするばかりだ。
「ルウ…」
「ん?」
「おまえ、何者なんだ?」
「だからルウガだと…」ルウは苦笑を浮かべる。
「そうじゃなくてさ、ルウ。俺はルウガを知ってる。みたことがあるんだ、ガ キの頃に。ルウガは女なんかじゃない。すごく背の高い、精悍な男だった。む ちゃくちゃ格好いいんだぜ。」
目がきらきらと輝いている。
まるで子供だ、とルウは思う。少し、面映くもある。
「たしかにおまえもすごいよ、ルウ。だけど、おまえが竜殺しのルウガのわけ が無いんだ」
「ふうん。それで?」
「だけどおまえは…なんだか…へんだ。」
「へん?」
「手も足も細くてやわらかい。どうみたって、砂漠の女じゃない。なのに腕も 立つし度胸もある。そこらの男どもよりよっぽどすげえ。おまえっていったい 何者なんだ?」
スオウは真剣な表情だ。
ルウは、背伸びしてスオウの両肩に手をかけると、力をこめて、座れと身振り で示す。
スオウが力無くその場に腰を下ろすと、自分もその向いがわにあぐらをかいて 座った。
「だから、ひとの話をもう少しきちんと聞けよ、スオウ。」
それから、ぽつりぽつりと、ルウは話し始めた。
「スオウ、おまえが信じられないのも無理は無い。わたしだって、こんな話、 きいたことも無いし、出来ることなら信じたくも無いさ。だけどな、まぁ聞け よ…」


それはほんの2ヶ月ほど前のことだった。
ひとりの黒い外套を身にまとった男が砂漠をわたっている。
背が高く、痩せてみえるが、きびきびした足取りや身ごなしが並々ならぬ筋力 を感じさせるには十分だ。
背中に背負った、身長よりもまだ長い豪剣が、男の特徴となっていた。
太陽はぎらぎらと砂漠を焼いているが、目深に被ったフードが男の表情を隠し ている。
だがもしそのフードの奥の男の顔をみることが出来たなら、意外に若いことに 気づいただろう。
意外に整ったハンサムとも言える顔は、彼がまだ20代後半であることを示し ている。
しかし抜き身の剣のような鋭い表情が男に、凄惨な雰囲気をまとわせている。
さらには額から左の頬にかけて醜い大きな傷が走っている。
剣による傷ではない。
なにか大型の肉食獣の爪に引き裂かれた痕のようで、左目はつぶれて、不気味 に白く濁っている。
その分、右目が兇暴な光をぎらぎらと放っている。
間違ってもひとつ屋根の下にいっしょにいたい相手ではない。
それが、竜殺しと呼ばれる男、ルウガであった。
しかし、その彼がなぜ、通常の交易ルートから大きくそれた、そんな砂漠の真 中を駱駝も馬もなしにひとり歩いているのか。
竜殺しルウガは自殺志願者なのだろうか。

そうではなかった。
ルウガの右目はぎらぎらと生気に燃えている。
死に行く者の目ではない。
はっきりとした目的を持つ者の、強固な意志を秘めた目だ。
そう。ルウガは追っていた。
彼の大切な、かけがえのないもの、世界にたったひとつしかないものを奪った 男を。
その男を追うまま、ここまで来た。
荷物も、駱駝も、3日前の砂嵐で飛ばされた。
だが、この身は残った。
ならばそれだけで十分だった。
たとえ腕1本になろうと、必ず追い詰めて殺す。
まして五体満足、背中には頼りになる愛刀もある。
なにが不足か。
ルウガは、ひび割れた唇を、にやりとゆがませた。

砂丘を越えたとき、それは忽然とその威容をあらわした。
白い巨石で組まれた、砂に埋もれかけた古代都市が今、ルウガの眼前にあった。
おそろしく古い時代のもので、砂漠のあちこちで見られる石舞台と基本的には 同じつくりのように見える。
ここが目的地だ。
あの男がめざしていた街。
ルウガが追うあの男が捜し求めていた街。
伝説の白い都市。
グレネーの神殿があるとされる蜃気楼の都市だった。
だが。
ルウガは同時に軽い当惑を覚えていた。
ルウガはこの街をみたことがあった。
ここではない。
遠く異国の地で。
はるか北方の、酷寒の地で。
そこでルウガは竜と戦った。
左目がうずく。
鈍い痛みがよみがえる。
ぎゃりんと音を立てて背中の愛刀を抜く。
片手で軽々と扱う。
並の人間には考えられない膂力だ。
急がなければならない。
ルウガの足が速まる。
数分後。
白い古代都市は、近くによるとその傷み具合のひどさが、さらにはっきりとわ かった。
あちこち壁がくずれ、石…というより岩が散乱している。
だが、乗り越えられるほど崩れているところは無かった。
壁の高さは、低いところでも5メートル近くはあるだろう。
崩れていないところは優に10メートルを超す。
こんな長大な壁を築いて、この古代都市の連中はなにから身を守ろうとしたの だろうか?
まわりこんでいくと、やがて門が見えてきた。
これも大きい。
まるで巨人が出入りするためのもののようだ。
しかし扉は木だったのだろう。
長い年月の間に、すでに朽ちて、無い。
巨大な門を抜けると、やはりそこは、砂に埋もれたゴーストタウンだった。
ひとっこひとりいない。
聞こえるものといえば、さらさらと砂の崩れる音、そしてときおり、風が渡る 乾いた不気味な音だけだ。
その風にのって…
駱駝のいななきがかすかに聞こえる。
門からまっすぐ奥へと続く通りのむこう、街の中心部からだった。
いたか!
ルウガの、片方だけの目が兇暴な光を、ぎらりと放つ。
ルウガは音の方向へ歩き出す。
そしてそれはほどなく、疾走へと変わっていた。

つづく


題名:《竜の娘》第6回

〔章の5 魔導士キドゥム〕

乾いた空気の中に、ほんのわずか、かすかに湿り気がまじってきているのにル ウガは気づいた。
足を緩める。
乾ききったはずのこの街のどこかに水があるのだ。
それも大量の。
だが、この乾ききった遺跡都市のいったいどこに?
途中、いくつもの共同水道のあとさえ見たが、そこが水をたたえていたのは大 昔のことだろう。
今は、水は枯れ果て砂に埋もれている。
そのとき風が駱駝たちのいななきを伝えてきた。
近い。
急ぎ、崩れた石造りの建物をまわりこむと、それが見えた。

みっつの尖塔を持つ巨大な白い伽藍がそびえ立つ。
その下には、アーチ型の扉がぽっかりと黒い口を開けている。
湿気はそこから吹きよせてくる。
なにがあるのか。
黒く闇のわだかまる入り口を前にルウガはその白い神殿をみあげた。
みっつの尖塔はまるで、巨大な竜の角のようだ。
蜃気楼の街の中心に眠る白い竜。
これこそが伝説のグレネーの神殿に違いなかった。
大地母神グレネーが、悠久の時を越えて眠る、伝説の神殿だ。
ここにも竜がいるのだろうか。
昔自分が行った遥か北の酷寒の地。
そこにあった、こことそっくりな街。
この白い神殿とそっくりな、しかし黒い神殿に、竜は棲んでいた。
黒い神殿…ガーシュアの神殿に。
剣の柄を握り締めるルウガの手に汗がにじむ。
ぎりっ、と歯噛みする。
ヤツはこんなところへいったい何をしに来たのだ?
みると、3頭の駱駝が、アーチ型の扉のわきにつながれ、身を休めている。
さきほどのいななきはこいつらのものだ。
ヤツの駱駝だ。
荷物は積んでいない。
おろされて中に運び込まれたのだろう。
ということは、しばらく戻ってこないのかもしれない。
ルウガは、跳躍すると駱駝たちに向けて剣を振るった。
繋ぎとめていたたずなが音も無くはらりと落ちた。
駱駝たちは驚きいなないて、わらわらと走り出す。
その後姿を見送ってから、ルウガはアーチ型の闇の中へ…竜の顎へと足を踏み 入れる。
まるでそこから別の空間ででもあるかのように、外の陽光はそこからくっきり 境界線をひいている。
足元の石畳にも、ほとんど砂は無い。
硬い足音が冷たく響く。
ここはもうすでに、ひとの世界ではない。
それが感じられる。
ぞくそくと背筋の毛が逆立つのは、ヤツを追うことの歓喜によるものなのか、 それとも再び竜と相見えるかもしれない恐怖からなのか、ルウガ自身にも最早 わからない。
ただひとつ判っているのは、たとえこの身が朽ち果てようとも、狂おしいまで に燃える強烈な情念だけは誰にも押しとどめることなどできない。
それだけは確かだ。
足を進める。
闇の中は思ったよりも広い空間だった。
これなら自在に剣をふるえる。
もっとせまい場所でもルウガは、右手に持つその巨大な剣を自由に使いこなす ことが出来る。
ましてこれだけの広さがあれば何の問題も無い。
ルウガは、ひとつしかない目を細める。
鋭い感覚が開放される。
すうっと闇が引いて行くような感覚がある。
そこが部屋などではなく、長く伸びる通路であることがわかる。
これがルウガの特異さを形成するもののうちのひとつだ。
彼は目だけでものを見ない。
五感のすべてで、見る。
それが彼の、片目でも強い理由のひとつだ。
ルウガは通路の奥へと足をむけた。
湿気もそちらから強く感じられる。
間違い無い。
やつもこっちだ。
力強い足取りで歩を進めた。

闇の中になにか塊が転がっているのに気づく。
ひとよりも一回りは大きいそれは、樽と丸太の組み合わせのようにも見える。
それが転がっている。
ルウガはかつて、それを見たことがある。
それは、神殿に棲む魔物であった。
大きく黒い金属製の樽に、蜘蛛のようなかたちの4本足と細く長い2本の腕を 持つ生き物。
樽の上の扁平な東部には、赤い一つ目が不気味に光る。
不用意に神殿に侵入したものは、この黒い命無き怪物、ゴーレムに襲われる。
硬い外皮と怪力の、厄介な相手だ。
かつて、北の神殿でルウガもこいつらに悩まされた。
しかし今このゴーレムに、動きは無い。
近寄ってみる。
やはりゴーレムは死んでいた。
胸、といっていいのかどうか、樽の中央部に大きな穴が穿たれている。
「魔道を使ったか…」
ルウガは、うなるようにつぶやく。
これはヤツの魔道の技に違いないと確信する。
ルウガはさらに奥へと進む。
その頬には野獣の笑みが刻まれている。
いや、悪魔の笑みか。
憎悪と歓喜が同居する、凶悪な笑みだった。
視覚が役に立たない、暗黒の通路。
それゆえにこそ、ヤツの顔が鮮明に浮かぶ。
ヤツ…魔導士キドゥム。
死者のごとき土色の肌。
皺に埋もれた、骨と皮だけの矮人。
黒いフードの奥にのぞく小さな目は不気味に、暗黒の虚無をたたえている。
死臭をまとう男。
そいつが、魔導士キドゥム。
ルウガの、妻と子を殺した男。
その復讐のときが、まもなくやってくる。
ついに。
そうだ。
ヤツの首級をとる。
その首を、ふたりの墓に供える。
ルウガの心が、震えた。

ここから先しばらくは、紅天でいう「パニック!」に相当する部分です。(^^;)

【このあとのあらすじ】

このあとルウガは地下へ続く階段を見つける。
地下へ地下へ。
延々と続く階段を下りていく。
途中、いくつものゴーレムの残骸をみつける。
その残骸は次第に効率のいい破壊になっていってるのがわかる。
最初のうちは腕や足、頭など何カ所もの破壊後が残っているが、
やがて、一撃で急所を壊されていくようになっている。
キドゥムが慣れてきているのだ。
やがて、前方からまばゆい光が漏れてきているのをみつける。
まばゆい、と思ったのは、暗闇に目が慣れきってしまっていたからで、実際に はごくごく淡い、ぼうっとした明かりにすぎない。
そして、いきなり広大な空洞へと出た。
見上げても、天井はみえないくらいに高く、 そして前方には、広大な地下湖が広がっている。
どこにこんな水があったのかと思うくらい広大な湖だ。
そして、
光はその湖底から射している。
湖底に一種の、嫌気性の藻のようなものが繁茂しているのだろう。
そして、澄んだ湖底にひときわ明るい燐光を放つ存在がある。
それは…竜の骨だった。
骨組みだけとなった竜の巨体が湖底にその姿を、長々と横たえている。
しばし見とれるルウガ。

それにしてもキドゥムはどこへ行ったか?
見渡せば、湖岸にそってしばらく行った彼方に、別の出入り口がある。
そこに違いない。
ルウガは湖に沿って歩き始める。
目が慣れてきたのか、だんだん明るく感じられてくる。
いや、気のせいではない。
湖の底から発する明かりは、その輝きを、明らかに増してきている。
湖底をのぞけば…
なんということか!
竜の骨がまばゆい光を放ち、少しずつ、その骨に肉をまとい始めているではな いか!
竜が復活するのか!?

キドゥムだ!
ルウガは直感した。
キドゥムが竜の復活をもくろんでいる。
ルウガはキドゥムのあとを追う。
そしてついにキドゥムをグレネーの祭壇に追いつめる。

グレネーの祭壇。
そこには、無数の、透明な堅い繭の中におさまった娘たちがいた。
グレネーの巫女だ。
伝説のグレネーの巫女。
その中のひとりをキドゥムは人質に取る。
いや、それは人質だったのか。

その娘のかおかたちを観たルウガの動きが硬直する。
それも道理。
その巫女の姿は、彼の妻にそっくりだった。
出会った頃の妻の姿に。
それは単なる偶然か。
それとも…。

そしてキドゥムは、太古の神の力を発動させる。

いちおう、ここまでね「パニック!」でした。

ぎん!
ルウガの大剣が一閃する。
鉄の塊が空を切り裂き、キドゥムの右腕を肘から断つ。
一瞬、鮮やかな切り口がのぞく。
音も時間も消えた永遠ともまごう一瞬。
ちん。
涼やかな音を立てて、大剣は背中の鞘に収められる。
それを待っていたかのように、キドゥムの右腕の切り口からは鮮血がシャワー のようにしぶく。
床に転がったキドゥムの右手から、光球が暴発する。
だがそれはもうルウガを狙ってはいない。
ルウガがにやりと、凶暴な笑みをもらす。
だがキドゥムに、あせりの表情は無い。
土気色の肌色は、いまは青いほどに白くあせたようになっているが、彼には恐 怖もあせりも心の動揺など微塵も感じられない。
いや。
それどころかキドゥムは不適な笑いさえ浮かべている。
「ふ…」
腕を切り落とされた苦痛など無いかのようだ。
つ…と上げられた左手になにかが握られている。
小さな箱のようなものだ。
その箱にはいくつかの突起があり、その突起のひとつを…
なにかを感じてルウガは再び背中の剣を抜きはなった。
…キドゥムは突起のひとつを押した。
キドゥムの左腕が肩からとぶのと、祭室の中がまばゆい光で満たされるのとが 同時におこった。
ルウガの意識が光に飲み込まれる。
剣を収めた記憶は…無い。

つづく


題名:《竜の娘》第7回

〔章の6 金の髪と青い瞳の牢獄〕

どれくらいそうしていたのだろう。
意識を失ってしまっていたらしい。
気がついたときには、すっかり体が冷え切っていた。
それもその筈で、着物をすっかり剥ぎ取られていた。
なまっちろい手足がむき出しだ。 え?
ルウガは思わず自分の体を見下ろした。
ごく…
息をのむ。
そこには信じられない光景があった。
厚くたくましい筋肉の鎧ともいうべき胸板のあったところにそれは無く…かわ りにふたつの白い柔らかな山ができあがっている。
山の頂上部は寒さのためか、すっかり縮みあがってこそいるものの、鮮やかな チェリーピンクのかわいらしい突起まであるではないか。
その下にはすべすべした白い肌と愛らしい切れ長の臍。
さらに下腹部には淡い金色の草叢がみえているではないか。
もちろんそこには本来あるべき剛直は影も形もない。
目眩にも似た失調感がルウガを襲う。
目を閉じる。
深呼吸をひとつ。
そして再び、目を開く。
しかし状況は同じだった。
軽く頭を振って、ルウガは立ち上がった。
立ち上がろうとして、今度は本当に目眩がしてふらついた。
かろうじて堪えたものの、なんだか体のコントロールがうまくいかない。
まるで自分の体じゃないようだ。
いや、その通りなんだが。
じゃまな髪を片手でかきあげる。
さらさらとした髪は、やたらに長い。
ふたつの、胸の膨らみも、やたらと重い。
やっとの思いで立ち上がり、周囲を見回す。

そこは、さっきの部屋に違いなかった。
グレネーの祭壇の裏にあった部屋の中だ。
石造りとおぼしきその部屋の中央には、キドゥムの死体が転がっている。
左手と右腕が切り離され、大量の血をまき散らして倒れている。
あれで死んでいなければ、本物の化け物だ。
念のため、そばにかがみ込んで確かめてみるが、間違いない、確かに死んでい る。ルウガは、ふうっとため息をひとつ、吐いた。
我知らず目頭が熱くなるのを感じた。
最初の一滴のあとはもう、とどめることが出来なかった。
次から次へと大粒の涙が溢れ、頬を濡らしていく…。

おかしい。
なにかが妙だ。
ルウガは、後ろ髪を引かれるような思いを断ち切るようにして、心のスイッチ を切り替えなければならなかった。
冷静さを取り戻して部屋の中を見回す。
半球形の部屋の中は不思議な静寂が満ちていた。
十いくつかあるガラスの繭は、たったひとつを除いて、すべて叩き割られて、 中を満たしていた冷たい水が溢れ、こぼれ出てしまっている。
繭の中に入っていた巫女たちも一緒に叩き斬られている。
これはさっきまで…意識を失う前までは無かった光景だ。
さっきまでは確かに、割れてなどいなかった。

たったひとつ無事な、中のからっぽな繭。
そして、無惨に斬られた巫女の死体。
ルウガは理解した。
ここで何がおこったのかを。
なぜか、は判らない。
しかし、ルウガは事態を悟った。
たっひとつ無事な繭。それは、キドゥムが引き出していた金髪の巫女の入って いた繭であり、今のこの体だ。
死んでいるのかと思ったが、あの巫女は生きていたのだ。
そして俺の心はいま、その体の中にある。
とすると…?
ルウガの心に、黒い闇が、どろりと凝った。
誰が巫女たちの繭を破壊した?
誰が巫女たちを斬りさいなんだ?
瞬間、幻影が見えた。
悪鬼の形相の自分が、大剣を振りかざし、居並ぶ繭を叩き割り、水の中を夢み るようにたゆたう巫女たちを切り刻んでいる。
歓喜の咆哮をあげながら。
ルウガは戦慄した。
それは本当に幻影だろうか。
ルウガは足下を見下ろした。
そこには、しわくちゃの醜い死骸が転がっている。
老いた魔導士の苦痛にゆがむデスマスクがそこにある。
振り返ると割られた繭。
ルウガは、ぎり、と唇を噛む。
鮮やかに紅いくちびるから一筋の赤いしたたりがこぼれ落ちる。
そうだ。
ここに無いのは。
ここに無いのは俺のからだと。
そして。
ルウガは直感した。
そして、ヤツの心だ。
キドゥムの心だ。
ヤツは…キドゥムは、俺の体を乗っ取りやがった!


「そして…」
そうつぶやくルウの青い瞳は濡れて、焚き火の炎がゆらゆらと揺れている。
「巫女たちを湖に沈めてから、そこを脱出。…けどそのあとがけっこう大変だ ったよ。」
言いながら焚き火に灌木のちいさな枝をつぎたす。
ぱっと火の粉が散って、ルウの小さな顔を照らし出す。
「特に砂漠がね。この体は思ったよりずっとひ弱なんだな。過酷な深砂漠から の脱出はさすがに無理かと思った。もうだめだって覚悟したそのとき…見えた のさ。目の前に、オアシスが。」
だが、ルウの声音からはまだ、苦々しい響きが消えてはいない。
「水を飲むだけ飲んで…ばったり。気を失ってしまった。次に目をさましたと きは…奴隷商人の荷台の上。これをつけられてた。」
苦笑しながら、白く細い喉をとりまく、黒い無骨な首輪をさしてみせた。

東の空が白々と明け始めている。


つづく


未完





なんつか、
この最後の部分は、飽きてきてるのがわかりますな。(^^;)
どうも中途半端で終わったのはそれがほんとの原因ぽいような?

古い文書を漁っていたところ、なぜこの作品が最後のほう駆け足になったか その理由がわかりました。

これはそもそも、いまのAlice(私のパソコン)に買い換えたのが執筆の 動機になってます。
新しいキーボードに慣れたかったんですね。

それで、6月の半ばから7月の半ばにかけて書いてます。

7月の半ば…そうです!
キャンプの直前なんですよ!

私はキャンプまでにこの導入部をなにがなんでも、一応の「かたち」まで 持っていきたかったんですね。
それで最後のほう、わたわたとしちゃってるってワケです。




砂漠の夜は寒い。
昼間は熱暑の世界も、水分が少なく雲ができないため、夜は放射冷却に よって全ての熱を放射してしまうからだ。
そのかわり、星は綺麗だ。
透徹な空に無数の星々が宝石のようにきらめく。
砂漠の民は星を見る。
旅の道しるべとして。
旅のよすがとして。
さまざまな神話に思いを馳せるために。
スオウも星を見上げた。
中天にきらめく巨大な竜座が彼を見返す。
どうしていいのか分からなくて、スオウは手近にあった小枝を焚き火の 中に投じた。
ぱちっと音がして、小枝がはぜた。
めらっと、炎が一瞬大きくなる。
その炎が、スオウの正面、小柄な人影を照らし出す。
流れるような黄金の髪、卵形の小さな顔、青く澄んだ瞳の少女がそこにいる。
少女の形の良い唇は紅すら必要ないほどに紅く、そこから覗く白い小さな歯は真珠の ようだ。
しかしそこから紡ぎ出される物語は、スオウの想像を絶するものだった。
「そうして…目を覚ましたときにはこいつをつけられてた」
少女―――ルウは自嘲的にそう言って、みずからの首を飾る、黒い武骨な首輪を 指し示した。
「グレネーの祝福」を受けた、奴隷の証だ。
俺はどうしたらいい?
スオウは自問した。
ルウの話は信じられるのか?
ルウの目を見る。
綺麗な目だ。
深く清澄な湖のようだ。
それが静かに炎を映し込んでいる。
「正直なところ…」
スオウは率直に話すことにした。
自分にはそれしか出来ない。
「悪く思わないでくれ。俺にはその話をすべて信じることはできねぇ。
だけど…おまえのことは信じる。信じられる。」
そこまで言ってルウの反応を窺う。
ルウは黙ったままだった。
「ルウ…それでおまえは…そのキドゥムとかいう魔導士を追うのか?」
ルウの目がぎらりと光った。
「そのとおりだ。わたしはキドゥムを追う。キドゥム…竜殺しのルウガを、わたしは 追う。」
その声には微かに震えが混じっている。
沸き上がる情動をおさえかねるかのように。
「俺も行く!」
気が付けばそう言っていた。
「俺がそいつをぶっ殺してやる!」
なぜなのかはスオウにもわからない。
そんな意気込むスオウを、まるで眩しい物でも見たかのようにルウは視線を逸らす。
「少し休もう。話はそれからだ」
それだけ言うと、ルウは丸めた外套の中に首を沈めてしまう。
東の空が白み始めていた―――。

駱駝のいななきで、スオウは目を覚ました。
がばっと跳ね起きると、ルウの姿が消えていた。
それを確認した途端、なぜか背筋に冷たいものが走る。
素早くまわりを見る。
焚き火も白くオキになっていた。
空にすでに星は無く、陽の高さから2時間ほど眠っていたことを悟る。
「ルウ!」
行っちまったのか!?
焦燥にかられながら、石舞台の壁を回り込むと…
「どうした、スオウ?」
きょとんとした表情でルウが迎えた。
5頭の駱駝に鞍を据え付けているところだった。
「もう起きたのか? まだ寝てていんだぞ」
そういうルウの目の下にはうっすら隈が出来ている。
寝ていなかったらしい。
「そんなこと、俺がやる」
ぶっきらぼうに言って、鞍を取り上げる。






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