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マスコミから突然消えて2ヵ月

1980年2月頃の週刊明星の記事から
かいつまんでご紹介

1979年のツアー終了後紅白に出て
翌年1980年から充電期間に入った頃の記事です

2月に入って桑田からのメッセージが関係方面に配られた。
「目下、毎日のようにスタジオでレコーディング中。練習や睡眠の時間もたっぷりで、仕事はかなりきついが、7月からの全国ツアーに向けて真剣にがんっている。気分もソーカイ、原点を振り返りつつ、新しい試みをやっていこうと燃え上がってます」


『涙のアベニュー』は桑田が茅ヶ崎の実家と東京を車で往復しながら、その途中のヨコヤマをテーマに作曲したスローな新曲。


たてつづけにシングル5枚とLP2枚を出すと宣言したが、これはレコード界でも前代未聞の試みだ。
2月21日発売のシングル第1弾『涙のアベニュー』と、3月21日発売のLP『タイニー・バブルス』が予告された。
3月にシングル第2弾が発売されるのは確実で、一応公約のセンは崩れていない。


一時ヒゲをはやした桑田の顔が、『涙のアベニュー』のジャケット写真に登場する。


1月23日の午前中、サザンは多摩川のグラウンドで岡林信康チームと野球試合をやり、9回裏まで10-10でついに引き分け、かなりバテたはずだが、午後はバンドの練習をやったほどはりきっている。


「世間に忘れられやしないかって恐怖もあったし、続けざまに出す曲を全部ヒットさせるのはむずかしいかも知れない。だが、けっして粗製濫造のレコードは出さないつもりだし、サザンが目指す曲はこれだって仕事をやってみせる。それがみんなで悩みぬいて出した結論なんだ」
桑田の細い目が闘志でキラッと光った。挑戦する男の顔であった。



この記事を読んだあとに
『タイニイ・バブルス』を聴いてみるのもいいかも♪


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独占速報 サザンオールスターズ
いまなにかしなければ


1979年11月頃の
雑誌インタビューのごく一部です

フジテレビ「夜のヒットスタジオ」の楽屋を訪れると、桑田くん、いつもの人なつっこい笑顔で、
「やあ、そろそろ人気も落ち目なんで、ひとつアッといわせようって下心なんですよ」と、あいかわらずのオトボケ。


「やっぱり忙しすぎるってことかな・・・。
学生バンドからいきなりテレビにひっぱりだされてもう、この1年半やることなすこと驚異のれんぞくだったわけでしょ。
いままで夢中でやってきたけど、最近みんな欲でてきたんですよ。もっといい音楽やりたいってね。
いいレコードつくって、いいステージやって・・・それにはいい曲つくることでしょ。そのための時間がほしいんですよね」
ときどきテレながらも、慎重にことばをえらんで話す桑田くん。その姿の中に今回の冒険にたいする桑田くんのなみなみならぬ決意がうかがわれる。
「メンバーもストレスがたまってると思うんだ。
うち、毎日20分はミーティングすることにしてるんだけど、最近、そのミーティングでもだまりこんじゃうんだよね。
そんなメンバーの顔みるとわかるんだよね、何かやらなきゃいけないって思ってるのが」
忙しすぎるといえば、11月の新曲は、クリスマスソングの予定だった。作曲もほぼできあがり、曲名も、『加藤のクリスマス』と決まっていた。
ところが編曲のための時間がなくて、急遽『C調言葉に御用心』変更されたという。
桑田くん自身は、
「いや、ぼくに能力がなかったからですよ」
というが、もともと、桑田ノイローゼということばがあるぐらい、桑田くんは曲作りに悩みぬくタイプなのだ。


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