『夏の庭』湯本香樹実(新潮文庫)(読書2006-21)
☆☆☆☆☆
自分の小学6年生の頃を思い出しながら読んだのだけど、木山、河辺、山下の主人公トリオは当時の僕なんかよりも随分としっかりしている。親をはじめとする大人の事情やら、将来のこと、そして「死」について、漠然とではあるものの、感じ、考え、それぞれの心にイメージを抱いている。
ひと夏の思い出。ひょんなことから生まれたおじいさんとの友情。四人で過ごした夏の庭。どれもキラキラと輝いている。生命力に溢れた光景。いきいきとした笑顔。読み進めるうちに、心が浮き浮きとするのは、心が段々とあの頃に戻っていくからなのかもしれない。
おじいさんと子供達との出会いと別れ。夏の始まりと終わり。ストーリーは予想通り展開する。途中で別れや終わりが予想通りであって欲しくないと願ったのだが、やっぱり……の結末となってしまった。でも、不思議と悲しさを感じなかった。なぜならば、おじいさんの夏の庭が、あまりにも輝いていたからだと思う。
僕が一番ウルッときたのは、それまでほとんど登場しなかった木山の父親が「おまえ、大人になったら、なんになる」と尋ねた場面である。本来であれば、泣くのはこの場面ではないはずだ。でも、完全に記憶と重なってしまったのだから仕方ない。あの頃、僕も同じようなことを父親に聞かれたことがあるのだ。何て答えたのかは秘密だけど、父が「お前がなりたいのなら、それで良いんじゃないのかな」と微笑んだことと「父さんは、長男だったから農家を継ぐつもりで農業高校へ行ったのだけど、卒業する頃には時代が変わって、うちの規模では農業だけでは飯を食べれないことが分かったから、仕方なく市役所に就職したんだ」とちょっと淋しそうな表情を見せたことをはっきりと憶えている。本人に確認した訳ではないから違うかもしれないが、僕には、農業だけで食べれないこと、ではなくて、長男だから選択の余地がなかった……という後悔だったように思えた。だから、お前は好きなことをやれよ、というメッセージを息子に伝えたかったのだと思う。本当は、父は何になりたかったのだろうか? 一度も聞けずに別れてしまったことを今更のように後悔している。すっかりと忘れていた父親との思い出が、『夏の庭』を読んでくっきりとでもどこか淡くよみがえった。それだけでも、この作品を読んで良かったと思う。
「だけどさ、ほんとは生きてるほうが不思議なんだよ、きっと」
この河辺の台詞に『夏の庭』の全てが凝縮されていると僕は思う。
最後の場面で、小学6年生に戻った僕は、あの頃の友達を思い出した。20年以上経過した現在でもつきあっている奴もいれば、あの日の以来、一度も会っていない奴もいる。でも会えば、そんなブランクなどなかったかのように、あの頃について語り合える自信はある。
木山、河辺、山下。みんな、それぞれの道を歩き始めようと、最初の一歩を踏み出した瞬間、に小説は終わる。この余韻がたまらない。面白くて、楽しくて、でも切なくて、どこか美しい小説だ。
2006/04/11
『ナラタージュ』島本理生(角川書店)(読書2006-22)
☆☆☆☆
瑞々しいなぁ、と思いながら読み進めた。1983年生まれの島本理生は、綿矢りさ、金原ひとみと同世代の作家であるが、「週間ブック・レビュー」で三田誠広が三人の中で一番才能を感じるのは島本さんである……と言っていたような記憶がある。『ナラタージュ』を読んで、なるほどそうかもしれない、と思った。2005年上半期の「本の雑誌」ベスト10の第1位にも選ばれた作品なのだから当然なのかもしれないが、完成度がとにかく高い。ストーリー自体には、さして目新しさを感じないのだけれど、細かな言葉の積み重ねに何度となく「やるねぇ」と思わず唸ってしまった。主人公が過去の恋愛について物語る形式は、ある意味で恋愛小説の王道であると思う。だからこそ、著者の筆力が反響に直接結び付く。正直、主人公である泉の心の揺れが、30代半ばの僕にすっかりと理解できたのかと問われると、ちょっと自信はないし、途中で「はっきりしろよ、二人とも」と泉と葉山先生に突っ込みを入れたくなったので、たぶん理解できていないんだと思う(笑)。しかし、泉が葉山先生への想いを振り払うために付き合い始めた小野君の心は良く分かった。彼の変貌振りに「なんて奴だ!」と怒りを覚える読者もいるのかもしれないが、それだけ彼が彼女を愛し過ぎた結果であると僕は思う。でも、仮にあそこで泉がその想いに負けて付き合い続けたとしても、いずれ破局を迎えたことは確かであろう。小野君にとってはとても痛い結末であったと思うが、心にもう少し余裕があれば、泉を包み込むことができたはず。ただ、それを20歳の彼に求めるのは酷だろう。出会うのが早過ぎた、のだと思う。それにしても、泉と葉山先生を結び付ける糸の強さは何なのだろうか? 自分の数少ない恋愛経験を思い返してみて、あれほどに想い合い、別れても想い続けている女性はいないので、ちょっと理解し難いなぁ、というのが正直なところ。共感した読者の多くは似たような経験をしているのだろうか? そうだとすると、彼等が普通で、直ぐに忘れてしまう僕が普通じゃないのかもしれない(笑)けど。最後の後日談は必要だったのか? 僕はちょっと疑問に感じている。僕だったら最初の川べりを歩く場面に戻ると思うのだが、結局は僕が泉の心を完全に理解していないということなのだろう。葉山先生はその後どうしているのだろう? 幸せに暮らしていて欲しいと願うのだが、後日談を読む限りではまだ泉への想いを持ち続けているようだし……。別に結婚したからと言って、それ以外の人への想いを全て捨てなければならないなんていう野暮なことを言うつもりはないのだけれど、二人はつらいだろうなぁ、と思う。それ以上に、二人の相手は大変だろうなぁ、と心配してしまう。例えば、僕の場合、妻にそういう相手がいたのかどうかは知らないけれど、いたとしても鈍感なので気付かない(笑)。鈍感過ぎたり、すぐに忘れてしまう淡白な性格も問題だと思うが、それはそれで幸せなのかもしれないなぁ。泉と葉山先生。10年後、20年後に偶然再会した時にお互い笑顔で挨拶できるように、二人とも幸せになって欲しい、と思う。久し振りに真っ直ぐな青春恋愛小説を読んだ、という充足感はある。
2006/04/19
『美女と野球』リリー・フランキー(河出文庫)(読書2006-23)
☆☆☆☆☆
良く言われることだが、泣かせることよりも笑わせることの方が難しい。
本を読んでいても、涙腺が緩んでしまうことは結構あるが、噴き出してしまうことは滅多にない。映画でもそう。だから、人を笑わせることができる才能はとっても尊く、そこ(笑い)を出発点としてシリアス系へと幅を広げた時に思わぬ「味」が醸し出されることがある。芸人から個性派俳優へと転身する人が多いのも、そうした理由からだろう。
根本的に「笑い」に拘り(センス)を持つ人は、どこか影を持っている。表と裏の顔。オンとオフの落差。単純に「笑いのセンスがある人」イコール「普段から面白い人」という等式は成り立たないと思う。弾ける一方で、醒めた眼で客観視できないと所謂「一発屋」で終わってしまう。単にバカ騒ぎするだけで何にも計算していない者はブームが去れば、あっという間に自然淘汰されてしまうのは当然のこと。だから、昔の漫才ブームで大ブレイクしたコンビでも、計算できる者は残り、何も考えていなかった者は消えてしまった。僕が改めて言うまでもないことだが、「笑われる」のか、「笑わす」のか、似ているようだけれど、この違いは天地ほどの差があるのだ。
すっかりと前置きが長くなった(まぁ、いつものことだけれど)が、小説『東京タワー』をミリオンセラーにした(内容が優れていることもあるけれど、積極的な営業活動で読者層を広げて文字通り著者自身が「した」のである)リリー・フランキーも、前述した「笑いのセンスがある人」だと思う。本名は中川雅也。正式なペンネームはリリー・フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド。この時点で「笑いのセンスがある人」だと考えて間違いないだろう。正直、僕はこの人のことをあまり詳しくは知らなかったのだけれど、正式なペンネームを知り、頭の中で「RELAX」が鳴り響くと、すっかり親近感を抱いてしまった。そう、あのFrankie Goes To Hollywoodが由来だったのだ。それに大学時代に仲の良い友人といつも二人でいたので、周りから「薔薇と百合(リリー)みたい」と呼ばれたことからリリーを引っ張ってきたとのこと。僕はすっかり、テリー伊藤(本名:伊藤輝夫)みたいな由来だと思っていたので、リリー? って、フランキー? ってどんな本名なんだ? とずっと気になっていたので随分とスッキリとした。それにしても、以前はリリー・フランキーって変わったペンネーム(まるでお笑い芸人か、プロレスラーのリングネームみたい)だな、と笑っていたのに最近はすっかりと地位が確立された感がある。会話に「リリー・フランキーがさぁ」とか「リリーが言ってたんだけどね」なんて言っても、普通に会話は進むのである。ご存知の通り、リリー・フランキーは最近テレビにも良く出ている。あの飄々とした風貌も存在感を増す一助となっていることは間違いないだろう。
彼の経歴を見ると何でも屋さんのようなイメージを抱く。徐々に活躍の場を広げ、しかもどんなフィールドでも結果を残しているのは特筆ものである。たぶん、好奇心旺盛な彼の性格と、何をするにも根っこの部分に真面目で情深い本質があるのが要因ではないかと、『美女と野球』を読んでそう思った。もちろん、ここで言う真面目とは、僕のような面白味のない生真面目(真っ当)と言うことではない。どうしようもないことでも、それに取り組む時は集中してやり遂げるという意味合いだと思ってもらえれば良いかな。リリー・フランキーの何事にもとことんのめり込む姿勢はとても魅力的である。
本作品を読んで、リリー氏に比べて自分は随分とまともな人生を歩んで来たんだなと思わずにいられなかった。でも、ここに登場する彼の周りの人々の生活ぶりを知ると、リリー・フランキーがまともに見えてしまうから恐ろしい。とにかく皆ぶっ飛んでいるのである。達人というのか、変人というのか、とっても濃い面々。それらの渦の中で生き抜くリリー氏の奮闘振りが本著の読みどころだと思う。
通勤電車で頁を繰ると、かなりヤバイ。ゲラゲラ笑うのを我慢しなければならないからだ。内容はあまり上品な笑いではない。でも正直言って、僕自身はこういうのは嫌いじゃない、というか、結構好きだ。しかも、リリー氏の場合、お下劣でエロエロばかりでないところに彼の奥底に秘められた可能性を感じるから読んでいてドキッとする。その昔、浅田次郎が小説を書くためのステップ台に極道なエッセイを書きながらも、小説を書ける能力もあるんだぜ、とさり気なくそのエッセンスを封じ込めたように、それが浅田氏のように意図的なものか無意識なものなのかは不明だが、リリー氏の持って生まれた情を行間に感じるのである。もちろん、僕は『東京タワー』の大成功を知っているからそう感じるのかもしれない。ただ、彼のエッセイを読んで、小説を書くように勧めた編集者がいたことは間違いない訳で、そうした目利きは分かるのだろうなぁ、きっと。
『美女と野球』は全体的にはお下劣、エロエロ話が多いので老若男女問わず誰にでも受け入れられるとは思えないけれど、オカンやオトン、それに超個性的な友人達との日々が素直にとっても楽しい。
僕が一番心に残っているのは自閉症の双子姉妹について綴ったもの。両極端の人生を歩んで来たリリー氏と彼女達が出会い、心を通わす。ほとんど奇跡に近い。双子の姉(妹はその時外出できず)の前でも彼は相変わらず下品なんだけれど、読み終えるとタイトルの「俺でゴメンね……」がじんわりと染み込んで来る。この人、やっぱり優しい。とことん優しい。それは、一般的な薄っぺらな(「たいへんだねぇ」「でも、負けないでがんばってね」と言う言葉だけの)見せかけだけの優しさじゃないんだよね。彼の人生経験がそうさせている部分もあるのだろうけれど、きっと持って生まれたものなんだろう。だから、彼女にも伝わったんだと思う。後日談として、彼女がバイトを始めたことを知り、リリー氏は電話口で喜ぶ。僕も読んでいて正直うれしかった。でも、直後にうれしさのあまり下半身の話に転じてしまうリリー・フランキー。
すばらしい!
せっかく生きているんだから、もっと色んなことを楽しもうよ、なんて感じでボカすのではなく、しっかりと具体的アドバイス。そこがリリー氏のリリー氏たる所以だろう。
一番笑い転げたのは、トイレットペーパーをめぐる「チリ紙の女」である。あまりの可笑しさに途中で何度も休まなければならなかった。
最強キャラクターは、「オリーブの首飾り」に登場する佐藤さん。彼はハードコアS調教師である。かなりエゲツナイ。強烈過ぎて、とてもじゃないが実在するとは思えないような方である。マジで凄過ぎる。
そして、僕が一番上手いなぁ、と思ったのがお笑いの「松本ハウス」のハウス加賀谷と免許をめぐるドタバタ劇を綴った「なめ猫の免許証」だ。結末は予想通りなんだけれど、それでも面白い。上手いなぁ、と感心してしまう出来なのである。
その他にも、素晴らしいエッセイが満載の『美女と野球』は、家でゲラゲラと笑いながら、時にじんわりと味わいながら読んで欲しい一冊である。
ここまでリリー・フランキーを褒めながら何だが、本当は黙っていようかと思ったのだけれど、根が生真面目なもので告白してしまうと、実は僕、まだ『東京タワー』は未読なのである。
ごめん、リリーさん。
ミリオンセラーになりながら、やはりリリー・フランキーというペンネームがどうも胡散臭くて……、基本的に疑い深いもんだから、とりあえず安い文庫本でその実力を確認してから、と姑息な手を使ってしまったのだ。でも、結果的には正解だったと思う。だって『東京タワー』の原点がここにあるのだから。
その昔、僕の敬愛する寺山修司が「職業は?」と質問されて「職業は寺山修司です」と答えたことは有名だが、リリー氏もそんな感じがする。もちろん、小説家がゴールなんて考えていないはず。どこまで活躍の場を広げるのか今後も注目である。
P.S 『東京タワー』をついに購入。電車の中で今度は涙を堪えながら読むつもりだ。
2006/04/25
『若草色のポシェット』赤川次郎(光文社文庫)(読書2006-24)
☆☆☆
赤川次郎を読むのは約20年ぶり。中学生の頃は良く読んでいたっけ。母親が好きで彼女の本棚から拝借して。突然どうしたの? と驚かれるかもしれないけど、ただ、新聞か雑誌か何かで、赤川次郎が杉浦爽香(さやか)という女性を主人公として毎年、彼女の年齢を重ねて小説を発表し続けていることを知り、何となく興味を持ったのを記憶していて、たまたま新古書店で手にしたのがきっかけなのである。とりあえず3冊購入。彼女が15歳から17歳までの作品である。
『若草色のポシェット』はシリーズ第一弾。中学3年生の爽香が親友の殺人事件に関わりを持ち、その非凡なセンスを発揮する内容。教師の安西布子、刑事の河村、転校生の丹羽明男、そして親友の浜田今日子ら主要メンバーが顔合わせするのだけれど、とっても読み易い。時にユーモアを交えながら進むストーリーは簡潔で楽しい。まったく引っ掛からずに読めてしまうのは、文章力なのだろう。洒落た文章は確かに少ないと思うものの、だからといって誰にでも書けるレベルではない。軽妙なテンポが良い。それでいて、内容は結構重いんだな、これが。親友の松井久代を殺害した真犯人が明らかになると、とっても暗い気持ちになる。少し恐いくらいの結末なのである。浅いようで深い。にも関わらず、さらりと書いてしまう赤川次郎はやっぱり凄い。小難しいばかりが小説ではない、ということに今更のように気付いた。たまにはこういう小説も楽しいものである。
それにしても颯香の兄夫婦は何なのだろう? 週末になると実家に戻り、恥ずかしがることなくがんばって、食事して、食料や酒を調達して帰る。読んでいて笑ってしまう。なかなか個性的な二人の存在が、物語にほど良い味付けとなっている。
杉浦爽香、15歳。抜群の行動力と決断力。頭のキレにも思わず感心してしまう少女である。
2006/04/26
『群青色のカンバス』赤川次郎(光文社文庫)(読書2006-25)
☆☆☆
高校生になった爽香。今日子、明男と同じ高校に進学し、仲良くブラスバンド部に入る。夏休み。合宿先で彼女は、川に流され危うく死にそうになる。何者かが靴裏に滑りやすくなるモノを塗ったのである。誰かが彼女の命を狙っているのだと直感する。でも、なぜ? 気付くと中学時代の担任である布子、刑事の河村が合宿に合流し、シリーズ第二弾は幕開けする。当たり前のように殺人事件が起こる。そういうものなのだと知りながら、なかなか馴染めないなぁ。とりあえず事件がないと、この手の小説は成り立たないのだから仕方ない。親子、そして恋愛。良く考えてみればテーマは『若草色のポシェット』と変わらない。ただ、16歳となった爽香は、何となく成長したような気がする。名推理家としての風格が出てきた。簡単なようで、これまた結構複雑な話であるが、例の如く、赤川次郎はさらっと書いてしまう。純文学や分厚い推理小説なら、もっともっと抉るんだろうが、赤川ワールドにはそんなもの不要だ。ポン、ポン、ポン、というテンポの良さに乗せられて、結末までノンストップ。読んでいて引っ掛からないのは、やはり凄いと思う。
布子と河村。そして、爽香と明男。のんびりとした速度だが、それぞれ順調のようである。
前作で、堂々と実家でがんばっていた爽香の兄夫婦に新しい生命が宿った。義姉の則子はつわりがひどく、夫の実家で過ごす日々。もうすぐ、爽香もおばちゃんである。
杉浦爽香、16歳。明男とキスを交わした。ゆっくりと階段を昇っている。
2006/04/26
『亜麻色のジャケット』赤川次郎(光文社文庫)(読書2006-26)
☆☆☆
かなり本格的な事件になってきた。ついに、拳銃まで登場して、さぁ大変。爽香は、そんな局面にも臆することなく、キレのある名推理を行い、危険が伴う行動にも勇気と知恵を振り絞って対処する。布子と河村の美術館デートから、今回は幕開けである。意を決したプロポーズを切り裂かれた河村は、とんだ災難でその後も頭を殴打されるなど大変な目に遭う。ところが、布子との距離は随分と縮まったような気がする。人生、悪いことばかりではない。親友の今日子が人質として事件に巻き込まれ、爽香は責任を感じる。今までの作品に比べると、犯罪のレベルがだいぶ違う、ところが、文章はヒート・アップすることなく、相変わらずのんびりとしている。この前、中学校を卒業したばかりだと思っていたら、早くも大学受験の話が出てくる。一作毎に年齢を一つずつ重ねて行くので、時の流れが早いのだ。今日子は医学部を目指して、予備校へ通い始める。爽香は、まだ具体的な目標は決まっていないが、たぶん受験するのだろう。布子のような中学校の教師。ひょっとしたら、爽香は先生になるんじゃないのかしら。何の根拠もないけれど、そんな予想をしてみる。今後に注目である。
ミユキと健二。事件に巻き込まれた幼馴染の運命はどうなるのか?
また、今日子と先輩の仲田光夫との間にも恋が芽生えるものの、光夫の父親が猛反対。今日子の想いは通じるのだろうか?
シリーズも第三弾となり、だいぶ動きが出てきた。登場人物達と一緒になって歳を重ねて行く読書。なかなか面白い。
兄夫婦に子供が生まれた。綾ちゃん(綾香)である。義姉の則子が、爽香の生命力を感じて、命名した。早くも歩き始めているのには、びっくり。赤ん坊を見ていると、一年間の重みを思い知らされる。
杉浦爽香、17歳。責任感の強さと友達思い。いつまでも失わないで欲しいと思う。
2006/04/27
『巨人軍論』野村克也(角川Oneテーマ21)(読書2006-27)
☆☆☆☆
巨人軍に在籍したことのない、アンチ巨人の代名詞みたいな野村克也氏が、巨人軍について語った本である。コンセプトが面白いなぁ、と思って手にした。野村氏が理想とするV9時代の巨人軍と川上監督について読みながら、当時の巨人軍の凄さを実感する。
適材適所。チームは中心(4番とエース)がなければ回らない。野球は頭でするもの。技術よりも人づくり。などなど。
語っている内容は馴染みのことばかりであるが、なるほどV9時代と多くが重なる。でも、これって当たり前のことじゃないの? と正直思う。ところが、最近の巨人を見ていれば分かるように、当たり前のことができていないのだから、勝てないのも当たり前である。
監督が堀内から原に交代して、スタート・ダッシュを決めた巨人であるが、僕は相変わらずテレビ観戦していないし、首位に立っているにも関わらず視聴率は上がらないようである。
何でだろう? と原監督も経営陣も首を捻っているかもしれないが、この本を読めば少しは分かるんじゃないかな。要は、現場とファンの温度差だと思う。「ジャイアンツ愛」を声高に叫ぶのは如何なものだろうか。ファンが離れたのは、弱いからじゃなくてツマラナイからなのだと僕は思うのだ。現在の巨人軍の選手・監督及び球団には、V9時代の巨人軍のように、球界全体を自分達が牽引しているんだという意識が絶望的に希薄である。もっと球界全体のことを考えろよ! と言いたい。イチローや松井が日本に戻りたいな、と思うくらいの野球をすることを目指さなきゃ駄目でしょ。それが巨人軍のあるべき姿なのである。何が「ジャイアンツ愛」だよ。巨人が強けりゃ、それで良い。僕は、そんなちっぽけなことを思ってファンをしてきた訳ではないのだ。
本著を読んで巨人軍のあるべき姿というものを思い出し、どうして自分がテレビ観戦しなくなったのかが良く分かったような気がする。残念ながら、今の巨人軍はあるべき姿には程遠い。だから、「ジャイアンツ愛」なんてどうでも良いと思っているファンは戻らないのである。
次は同じテーマで星野仙一氏に書いてもらったらどうだろう?
2006/04/30
『指導力〜清宮克幸・春口廣対論〜』松瀬学(光文社新書)(読書2006-28)
☆☆☆☆
悔しい。無茶苦茶悔しい。けど。何とか最後まで読み切った。5年間で3度の大学王者となった早稲田大学の清宮監督(今季からはサントリー監督)と、9年連続で決勝進出している関東学院大学の春口監督。この5年間は両校が大学選手権決勝を戦い、早稲田3勝、関東2勝。まぁ、勝負の世界は結果が全てだから、結果を出した両名に何を言われても仕方ない。慶応、明治についてはかなり手厳しいこと(批判ではなくエールとのこと)を言っている。でも、同志社に対してはほとんど無視……。まぁ、仕方ないなぁ、ことごとく負けているんだから。
2004年正月。主将山村を中心に万全の体制で決勝に臨んだ春口監督は、選手達にこう言ったそうである。「法政、同志社と戦ったワセダと思うなよ、あいつらカントーを安心させるため、わざとやっていたんだ……」もう、言葉も出やしない。
清宮監督はこんなことを言っている。「明治はかつて、こうあるべきだというものがあった。慶応は、こうあるべきのかたまりだった。時代が流れて、いまの学生には鼻で笑われるみたいな、気持ちがどこかにあるのかもしれない。慶応はこうあるべきのバランスが崩れているし、同志社もちょっとまずいでしょ」うーん、何も言えない、だって勝ってないんだもの。
各大学は、ほんとエールだと思ってやるしかないでしょ。いつまでも2強(今は早稲田の一強だけど)じゃ、ラグビー人気は益々衰えるばかりである。
ここまで読むと何だかストレスが溜まりそうだと思われるかもしれないが、全体的にはなかなか楽しい本である。早稲田と関東のチーム事情の違いも良く分かるし、二人の性格の違いも明らかに出ている。そして、ラグビーのこと、日本代表のこと。とにかく止まらないんだな、二人とも。ラグビー界が置かれた状況に危機感を抱き、裾野を広げるために地元密着の地道な活動や、他競技との連携を図る活動なんかは面白いなぁ、と思った。
現在のトップ・リーグや日本代表を見ていると現在の日本ラグビー界最大の貢献者は春口監督だと思う。たぶん早稲田は、大学で燃え尽きちゃうんだろうな。まぁ、春口監督に言わせれば、早稲田の部員はどこへでも就職できるけれど、関東の部員はそんな訳には行かないからラグビーを続けるしかない、とも言えるかもしれないけど……。社会人になってから伸びる関東の秘密は、春口監督の人育てにあるんだな、と改めて思った。
印象に残った質問と答えを二つピックアップする。
同レベルの4年生と1年生がいたら、どちらを使いますか? という質問に対しての答え。
エリートの清宮監督は、1年生の可能性に賭ける。苦労人の春口監督は、4年生の意地に賭ける。
W杯で日本代表の八強入りの可能性、について聞かれると、
二人とも即座に無理だと答えた。
ラグビー界が置かれた状況はかなり厳しい。野球、サッカーに流れる子供達をいかに確保するか。そのための方策をあれこれと考える二人の指導者。春口監督は大学ラグビー界に残り、優秀な選手をトップ・リーグへ送り続ける。そして、清宮監督はトップ・リーグで指導力を磨き、日本代表の監督を目指す。春口監督がこの4年間頼りにした有賀剛はサントリーを選んだ。彼は早稲田を落ちて関東へ進学したのである。不思議な縁だなぁ、と思う。春口監督が育てた選手を清宮監督がいかに伸ばすか。二人の指導者が良い関係を築き上げ、日本のラグビー界を盛り上げてくれることを期待したいものである。もちろん、同志社の中尾監督も二人に追いつき追い越してくれるはずなので、その時は三人の対論集を出して欲しい。
2006/05/01
『薄紫のウィークエンド』赤川次郎(光文社文庫)(読書2006-29)
☆☆☆☆
杉原爽香も18歳。一冊毎に一歳年齢を重ねるのだから、あっという間である。シリーズ第4弾。
父が脳溢血で倒れ、爽香は看病に当たる母親の代わりに父の会社へ書類を取りに行ったりで、大変な日々を過ごしている。恋人の明男との仲は、彼の母親が壁のように立ちはだかって停滞模様。まぁ、父親の看病でそれどころじゃないんだけど、ちょっと可哀想だよなぁ、と同情する。ボンボン好きの親友の今日子が、再び恋に落ちることから、静かに物語が始まる。サイド・ストーリーで描かれる酒井という中年の悲哀がタマラナイ。どう考えたって、アンタは騙されているんだよ、と思いながら読み進めるのだが、彼はもちろん気付かない。そして、行き着くところまで行き着き、破滅する。更に、矢原秋子という若い女性の人生の儚さ。そんなことってあって良いわけ? 赤川次郎は、飄々と書いているけれど、何とも言えず虚しい気持ちになる。心憎い伏線、そして結末。何気ないけど、ホント上手いなぁ。謎解きだけでなく、主人公の爽香が着実に成長していることが分かる。もう、中学生の頃とは違うのである。悩みもあるし、不安もある。彼女が過ごした1年間を思い描きながら、読むことに楽しみを覚え始めた。そんな訳で、僕はこのシリーズに結構はまってる。
2006/05/10
『琥珀色のダイアリー』赤川次郎(光文社文庫)(読書2006-30)
☆☆☆
刑事の河村がついに安西先生と結婚することが決まった。そんな喜びのニュースで幕明けするシリーズ第5弾。何か良いことがありそう、と思ったら大きな間違い。大学生になった杉原爽香は再び事件に巻き込まれる。おまけに、明男の母親との確執は深まるばかり。爽香に対抗するために周子は、我が息子に女の子を紹介する。恋のライバル出現である。良いことなんて何もない。二人の気持ちは強く結びついているのに、何故か進まない。明男の優しさが邪魔しているような気がしてならない。もっとしっかりして欲しいなぁ、ほんと。
さて、事件である。今回のお話はなかなか複雑で、結構深い。一見華やかに思える家庭は、実際は冷え冷えとしたものであったことから生じる歪み。やがて、自身のエゴを抑えきれなくなった犯人が動き始める。家庭教師ほ始めた爽香の教え子である多恵が、昔の爽香を髣髴とさせる、とても面白い女の子なのが良い。これからが楽しみである。謎解きは大体予想できるものであったが、そこに至る経緯や背景を知った時、人間の孤独感、淋しさを漠然と感じた。読了後、『琥珀色のダイアリー』のタイトルが秀逸であることに気付く。
2006/05/12