森田洋子
以前「舞踏会の手帳」、というフランス映画がありました。年配の方々の中には、この映画をなつかしく思い出される方もいらっしゃると思います。人生の秋を迎えた一人の婦人 (主演マリーベル) が若かりし頃、共にダンスを踊った男性達を懐かしんで、名前、住所を書き留めてあった手帳をたよりに、一人一人を尋ね歩くストーリーでした。相手役はフランスの名優達が演じていましたが、何十年かを経たそれぞれの姿は舞踏会の時のように、華やいだ甘いものでなく、ある男性は麻薬に溺れ、またある人は恍惚の老人になっていたりして、悲しく哀愁の漂う映画でした。さて、今夏(1987年)のエスペラント100年記念のワルシャワ世界大会への旅は、今日まで私共 (主人と私) が知り合った外国の友人達との何年ぶりかの再会を果たすことが一つの目的でもありました。エスペラントを通じて知り合いになった北欧のエスペランテイスト達のほか、14年前ワルシャワのワジェンキ公園で出逢ったかわいい少女(今は2児の母親)、ポーランドの美しい切手をはったクリスマスカードを毎年送ってくれるワルシャワの紅顔の美少年、それらの名前や住所を書き入れた大切な私の「舞踏会の手帳」ならぬ「旅の手帳」をバッグに納め、7月初め1ヶ月の旅に出ました。モスクワ、ヘルシンキ、トルク、エストニアのタリンをまわって大会の始まる3日前の夜、ワルシャワ空港に降り立ちました。
2週間滞在していたヘルシンキでは、地域の福祉事業 (障害者対象) で活躍されているエスペランテイスト−彼との出逢いは14年前のベオグラード大会に遡ります一を私共の仮の住居にお招きして夕食を共にし、8年ぶりの再会を喜び会うことができました。彼は第二次大戦の時、カレリア地方で祖国のために戦い足に負傷を受けた話や家族の宗教などを熱心にはなされました。世界大会での最初の再会はスウェーデン紳士 Stig Kinnander で場所は開会式の前日、まだ準備や登録の手続きでごった返している文化宮殿の前の広場でした。11年前、La Revuo Orienta 誌の片隅に「友人が世界の子供達の絵の展覧会を企画している。私はエスペラントを活用して世界各国に呼び掛けて絵を集めてあげると約束したので日本からもおくって欲しい」というStigさんの呼び掛けの記事が目にとまりました。そのころ幼稚園に通っている孫やその友人達の絵を数枚、彼の元に送ったのが文通のきっかけになりました。それから4年後、ストックホルム大会に出席するのなら私の家にも泊まるようにという招待の手紙が届きました。大会終了後、私共とその時一緒に旅行していたIさん夫妻と4人で Tibroという町へ汽車で、出かけました。其処はストックホルムの西側ににある小都市で家具作りで知られた美しい町でした。
一足先に大会から帰られたStigさんは駅で私達を出迎え、娘さんの一家が夏休みで別荘に出かけた家を二日間使わせてくださったのです。そして朝食は少し離れているStigさんの家から自動車ではこんで、戸外の食卓に鼻歌まじりでおいしいパンや食物をご夫妻で並べられました。ママレードの甘い香りに集まってくる虻と一緒の朝日を浴びた食事は忘れられない思い出になりました。しかし、その翌年からStigさんの便りがぱったりと途絶えました。初めのうちは病気ではないかと心配しましたが年を重ねるうちに彼はなくなったのではと思い込むようになり、こちらからのクリスマスカードも控えてしまいました。ところが今年の初めに紛れもないStigさんからの手紙が郵便受けにはいっていたのです。国が離れ、年月をへたゆえに積み重なった心配事を一度に解消してくれた嬉しいエアメイルでした。自分自身の病気のこと、奥さんや子供を残して急逝した息子さんのこと、そしてたった一人の自分の弟の死、と受け取った時のうれしい気持ちをいさめるかのような厳しい内容でした。しかし時とともに自分自身の健康も回復し、元気になったので今年のワルシャワ大会で再会したいと結んであり、「時」が持つ厳しさと寛容さが心を打ちました。大会会場であったStigさんは以前よりスマートで、すっかり健康になられたようでした。色々な方面で活躍されているとのことで時の流れがStigさんをたくましくしたのでしょう。
このように「旅の手帳」の中の文との再会を果たして行くことができましたが、ワルシャワの少年との再会はこれまでの再会とはちがった「時」の重さをより感.じさせられました。ホテルについた翌朝、真っ赤なバラを2本もって彼は私達を訪ねてくれました。その晩は彼が両親と共にすむ高層住宅の最上階の自宅に招かれ共に過ごしましたが、10年ぶりにあった彼はkokaino (コカイン) をつかっているようでした。彼の育ってきたごここ何十年かのポーランドの情勢は日本でも報道されていますが、現地では闇ドルが横行しています。激動の時代の現実を肌に感じて過ごすことはこれからに希望を求めたい若者にとっては殊更苦しいことでしょう。ワルシャワをさる日、ぎりぎりの時間に分れを告げにホテルにかけつけてくれた彼の後ろ姿が寂しげに感じられたのは別れるからだけではないようです。たった今、彼のすんでいるポーランドから今は四人家族の主婦となったワジェンキ公園で出逢った少女から、クリスマスカードが届きました。とても幸せそうな一家の写真が添えてありました。今は苦しくても立ち直って彼も幸せをつかんでくれるようにと願わずにはいられません。
La tempo pasinta jam neniam revenos; La tempon venontan neniu ankorau konas.
(過ぎ去った時は決して戻らず、来る時はまだ誰も知らない)
(1987-12-22)
(C) 1987 SER (杉並エスペラント会会報 Sazanko n-ro 28 より転載)