ここのページでは、古い写真やパンフレット、
メニュー等を少しずつ紹介していきたいと思います。

 左の写真は旧店舗メインダイニングです。中心の柱の周りを囲むように、テーブルが配置されていました。

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 昭和18年

 この古さ、改めて歴史の重さを感じさせられます(しかもこの時点で37年の歴史があります)。
 泉町3丁目、現在の常陽銀行泉町支店の位置にあったころの現存する最も古い写真です。社員の出兵の記念に撮った写真らしいです。

 水高の生徒(今はもうほとんどいらっしゃらない)の方がいたら、見せてあげてください。覚えているかもしれませんよ。

 ちなみに、看板は右から左に読みます。この頃は、これがスタンダードなのでお間違いなきよう。


 御品書き(メニュー)

皇族の方々にも、ご利用いただきました。
こちらは、県の公館への出張料理でした。
メニューが漢字ですね、わかりますか?


 水戸は空襲で焼けました

というわけで、戦後の建物です。この前に簡易建築の建物の写真もあるのですが、ちょっと小さいのでこちらを。

 昭和20年代の写真です。これも泉町大通り、現在の常陽銀行泉町支店の場所です。

 ニッポン生ビールなんて聞いたこと無いですね。森永キャラメルの看板が大きいですね。
 
 一番右の看板は、西洋堂パンと料理と書いてあるのかな?


 泉町最後のお店

 11月3日オープン。当時水戸でも類を見ない3階建ての店舗は、大成建設によって建てられました。

 1965年まではこちらの店舗でしたので、年配の方には、結構思い出深い店舗だと思います。

 この後、表通りの時代は終わるという考えで現在の場所に移転したそうですが、チョット時代を先取りしすぎたのかもしれません。
 
 


 大町(現在地)移転

 1965年、現在の場所に移転、フレンチとして新たに開店いたしました。
フランス料理としての最初の一歩でした。
数年後に喫茶室を併設するまでは、レストランのみでした。

 当時のメニューはディナー、2,000円、1,500円、1,000円といったところ。貨幣価値が今とは違いました。

 当時洋食と喫茶だった西洋堂ですが、この移転を機にフランス料理へとその営業形態を変えました。当時は全国でも数少ない本格的(今見るとそうでもないけど)フランス料理をつくるために、当時すでに40歳を過ぎていたシェフを丁稚(でっち、意味は調べてね)として東京のフランス料理店へ出したというのですからビックリです。

 当時の丁稚といえばシェフの身の回りの世話から使いっ走りまで、まあ仕事と関係ないことしかできなかった時代です。“目で盗む”なんでも教えてもらう今の時代にはほとんどなくなってしまった、ハングリーで情熱にあふれた時代なんですね。

 そうして仕事の流れややり方を覗いてきて、あとは原書を睨めながら、試作しては試食する、の繰り返しだったそうです。おかげさまで、東海村に原子力の先進国として本場フランスから来ていた技術者の方々にも好評を得て、今の西洋堂へと続いているわけです。
 
 さて、ここからの歴史をつくるのは僕たちと、今これをご覧になっているあなた方かもしれません。何十年かあとに振り返って、いい時代だったと言えるように頑張らないと!



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