新高山(玉山)の標高と命名

黒川 亮

玉山頂上遠望2006年10月撮影
玉山の山肌2006年10月撮影
五万分一蕃地地形図梅仔坑第二号
明治43年1月測図
台湾総督府民政部警察本署 
五万分一新高山登山地図 昭和8年6月 製図黒川直
台湾総督府内台湾山岳会
現在玉山国家公園管理処典藏

「新高山点の記」と標高測量
 台湾の「玉山」は1945年までは新高山と呼ばれ日本で一番高い山でした。安倍明義編「台湾地名研究」(昭和13年刊)によれば、新高山と呼ばれる以前は漢名では玉山、西洋人にはモリソン山、ツオウ族にはパットンコアン又はポログノラカソロと呼ばれていました。
 日清戦争後の下関条約により台湾は清国から日本に割譲されました。陸軍参謀本部陸地測量部はこの島に玉山またはモリソン山と呼ばれる高山があることを知り、測量に着手しました。明治29年9月に測量を終了し3949.95メートルの結果を得、川上参謀本部次長はこれを明治天皇に報告し、天皇が新高山と命名され、明治30年6月告示されました。(国土地理院 測量地図百年史 1970年刊) この測量は応急的な測量であり、後年新高山には埔鳳三角網の中の一等三角点が設置され正規の測量が実施されました。
 三角点にはそれぞれその測量成果をまとめた「点の記」がありますが、「新高山点の記」によれば、三角点としての撰定は明治45年4月15日、撰定者は陸地測量手古田盛作氏であり、三角点観測は大正8年5月8日から28日にかけて実施され、観測者は陸地測量師江口萬藏氏でありました。
新高山点の記はここをクリック
 撰定者古田盛作氏の名前は新田次郎著「剣岳点の記」にも出てきます。
 点の記にはその三角点に至る順路が記載されていますが、「新高山点の記」には「嘉義街ヨリ阿里山作業所迄ハ仝所ノ汽車ニ便乗シ至ルヲ得約四十一哩ト云ヲ夫ヨリ阿理山草地、石山、鹿林山、前山、西山等諸山ヲ登降経過シ三日ニシテ本点ナル主山頂ニ達スルヲ得ヘシ行路険悪ノケ所多シ」とあります。
 また、標高の記載は縦書きで「海抜三千九百八十米突」と記載され八の部分に訂正線が引かれ、右横に三とも五とも読める数字が記入されています。
 その後、大正13年に嘉義の一等水準点からスタートして嘉義市東部の竹崎、沙坑、大埔里、樟詩苓、大埔山まで直接水準測量で、以後は三角測量で測量を進め新高山に至り、標高3950メートルと算定しています。(参考資料:国土地理院 測量・地図百年史、大正14年地学雑誌 雑録新高山の高さの測量)この参考資料については上西勝也氏にご教示いただきました。
上西氏のホームページはここをクリック
上西氏のホームページ 台湾玉山の標高の箇所を参照してください
 陸地測量部製作以外の新高山の地図には他に「台湾堡図 二万分一 明治31年臨時台湾土地調査局」があり、新高山13020尺(3945m)と表示されています。
 この他にも「明治43年測図 台湾総督府警察本署 新高山五万分一地図」があり、これには新高山(バトンカン)標高13075尺(3961m)と表示されています。
台湾の上河文化社 日治台湾地形図のページも参考にしてください
 余談ですが、「昭和8年 台湾山岳会発行 新高登山地図」と言うのがあります。新高山の標高は陸地測量部地図に従い3950となっています。この地図は私の父が製図したもので、当時父は台湾総督府内務局地理課に所属しており、台湾山岳会は総督府官房文書課に事務局があったので、父に個人的に依頼があったのではないかと思われます。そのためこの地図の左下に「D.by N.Kurokawa」と記名しています。
 この地図は戦後の引揚時に持ち帰ることが許されず、永い間探し求めていたのですが、先年「玉山国家公園管理處」のホームページの中に玉山古地図として掲載されていることを発見しました。
 玉山国家公園管理處所蔵の新高登山地図(拡大・縮小可能)
 玉山国家公園管理處所蔵の新高登山地図(原寸大)
      
 第二次大戦後台湾で測定された玉山の標高には幾つかの数字があります。
(1)1957年「アメリカ遠東陸軍製図局」によると3997m
(2)1978年「聯勤測量署」三角測量法で3952m  
(3)1995年 内政部地政司が成功大学に依頼した衛星測量で3978m
(4)1999年 この年の9月21日発生の大地震後、内政部が中興測量会社に依頼した衛星定位測量で3978m
玉山国家公園管理處のページを参照(日本語)
(5) 2003年 内政部土地測量局が塔塔加旅客センター付近に設置されている水準点から直接水準測量で玉山頂上の三角点までを測量し3951.798m、その傍にある「玉山主峰」の石碑頂点を3952.8mとしています。
内政部土地測量局Orthometric Height Surveying of Yushanのページを参照

名前の由来
 前述の「台湾地名研究」によれば、新高山と命名される以前のモリソン山の名前の由来は、英国商船アレキサンダー号の船員が海上より新高山を遠望したのでその船長の名を採り、1857年以来多年台湾を跋渉した英国領事スウインホーにより命名されたものです。
 また、ツオウ族のパットンコアンに漢音譯の八通關(古くは八童關又は八同關)があてられたことも記されています。現在の台湾の地図にも玉山のすぐ北東に八通關の地名を見ることができます。
 さらに同書には、ポログノラカソロのポログは山、ラカソロは石英で、石英の山を意味していることも述べられています。
 玉山の英語表記はYushanですが、Mt.Jade と言う英語名も持っています。
 余談ながら、「台湾地名研究」によれば、新高山に次ぐ高山である「次高山」(3930米)は摂政時代の昭和天皇の命名によるもので、大正12年4月29日台湾総督府告示第82号で告示されました。この山は漢名では玉山・雪翁山・雪山、台湾原住民族にはマハマヤン、西洋人にはシルビヤ山と言われていて、雪山は雪高翁山の略で、雪高翁〈Sekoan〉は岩の裂目の義です。またシルビヤ山とは1867年英国軍艦シルビヤ号が台湾東海岸航行中遠望し、艦名に因んで命名したものです。
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