政党政治と「司法部」の暴走2
青年将校による「政治テロ」の背景
五・一五事件で犬養毅首相を暗殺した海軍中尉三上卓は「昭和維新の歌」の作者として知られている。今でも右翼の宣伝カーが流して走っているやつだ。
「権門上に驕れども国を憂うる誠なし、財閥富を誇れども社稷を思う心なし」
折から世界大恐慌下で日本の資本主義社会が大きな危機に立っていたときだ。民衆は不況に喘ぎ、疲弊した農村では娘の身売りも日常化していた。「こんな日本に誰がしたのだ」。正義感に燃える陸海軍の青年将校たちは、その責任を財閥と政党と天皇側近に求めた。
資本家は富みに驕って庶民の苦労を知らず、財閥と癒着し腐敗した政党政治家たちは、国家の将来を考えず権力闘争に汲々としている。元老重臣たちは、こうした汚濁した政界を改革しようともせず、君側の奸となって天皇の目を曇らせている……。それが彼らの時代認識だった。そして君側の奸を排除し、議会(政党)政治に代わって、革新勢力による独裁政権を作り、国家改造を断行する、というのが彼らの目標だった。国家改造とは、計画(統制)経済化のことであり、当時はそれを是とする若手の軍部・官僚たちを「革新」派と言った。(戦後政治での「革新」とは意味が正反対なので注意を要する。)
また、こうした反資本主義、反議会主義的立場を当時の言葉で「ファッショ」と呼んだ。現在のように、ファッシズム=悪という見方が確立した時代からすると奇異なことだが、時代の苦境を打開する政治路線として、これを支持する人々も多かった。当時ドイツやイタリアは一党支配の国家社会主義を推進し、不況を克服し、経済力の伸張著しいものがあると思われていたのだ。他方、共産党などのマルクス主義勢力は、ソビエト連邦をモデルとした「労働者(プロレタリアート)独裁」国家を理想としていた。ソ連も目覚しい工業化で国力を増大させ、知識人や労働者階級の憧れの的となっていたのである。
要するに、自由主義的な政党政治は、左右の全体主義思潮による厳しい挑戦に曝されていた。政党の内部も、資本主義への確信が失われ、計画経済への期待が高まっていた。政友、民政両党の内部も、革新勢力とどう対応するかで内部対立が生まれていた。その間隙をぬって無産政党(合法的な社会民主主義政党)が勢力を拡大していた。
五・一五事件はこういう時代環境の下で起こった。軍部や革新勢力は、政党内閣の継続に反対し、司法部のボスでファッショ的傾向の強かった平沼騏一郎の組閣を期待した。しかし元老西園寺は、穏健な海軍長老の斉藤実を首相に選んだ。軍部や革新派の政党内閣への批判をかわし、いずれは「憲政の常道」に復帰させるというのが西園寺の希望だった。その可能性も充分にあった。そうした期待を打ち砕いたのは、政界のスキャンダルの続発だった。
帝人事件は司法部による政治テロ
議会では、司法部がリークする虚実織り交ぜた汚職情報に踊らされた政治家たちが、お互いに攻撃しあう醜態が繰り返された。
斉藤内閣の柱の一人であった政友会幹部の鳩山一郎文相は、「樺太工業からの賄賂疑惑」で、政友会の反主流派議員からの攻撃に曝らされ、辞職を余儀なくされた。このとき鳩山が自らの心境を語った「明鏡止水」という言葉は、ちょっとした流行語になった。
鳩山の次に狙われたのは、同じく政友会幹部の三土忠造鉄道相だった。これがいわゆる「帝人事件」である。
帝人事件とは、台湾銀行が保有していた帝国人絹株式会社の株の買い戻しに絡んで、閣僚や大蔵省幹部、財界人ら十六人が逮捕・起訴されたスキャンダルだ。拷問を伴う取調べで高木帝人社長らの「自白」を取り、これを根拠に、小林中、河合良成らの財界人や黒田英雄次官ら大蔵省幹部が検挙された。三土は鉄相であり職務権限がなかった。そこで検察は、三土を偽証罪で一ヶ月に亘って収監した。偽証と言っても、検察の言う「事実」を認めなかったというだけのことだ。
「我が司法部内にも近頃下克上の悪風蔓延して、上司はこれを如何ともすること能はざる状態になっている……捜査権を悪用し、人間の弱点を利用し、事件を作為的に捏造して政変まで引き起こすことが許されるならば、内閣の運命も二、三下級検事の術策に左右せらることになりますが、国家の為にこれほど危険な事がありましょうか。実に司法権の濫用はピストルよりも、銃剣よりも、爆弾よりも、恐ろしいのであります。現にこの一事件によって司法ファッショの疑雲を満天下に低迷せしめたのであります」(三土忠造の公判での発言―河合良成『帝人事件』所収)
三土は敢然と戦った。政党政治家の鑑、と言ったら言い過ぎか。司法ファッショ、検察ファッショという言葉も彼の口から出て人口に膾炙したものだ。公判中に行われた第十九回衆議院議員総選挙で、三土は全国最高得票を得て当選している。戦後幣原内閣内務大臣に就任。しかし結局斉藤内閣は、帝人事件のために総辞職せざるを得なかったのである。
帝人事件は、その三年後に「全員無罪」が確定する。判決理由は「証拠不十分ニアラズ、犯罪ノ事実ナキナリ」。要するに検察による全くのデッチ上げだったことが明らかになったのだ。時すでに、二・二六事件を経て、第一近衛内閣が出来、日中戦争も始まっていたころだ。
「俺たちが天下を革正しなくては何時までたっても世の中は綺麗にはならぬのだ。腐っておらぬのは大学教授と俺等だけだ。大蔵省も腐って居る。鉄道省も腐って居る。官吏はもう頼りにならぬ。だから俺は早く検事総長になりたい。そうして早く理想を実現したい」
帝人事件で河合良成を取り調べた黒木検事はこう言ってのけた(河合前掲書)。河合は当時帝人監査役をしていた。後に小松製作所社長、吉田内閣厚生大臣。河合の回想録を読むと、当時現場の検事たちが国家改造熱に取り付かれていたことが良く分かる。彼らも青年将校だったのだ。
五・一五や二・二六が軍部青年将校による大規模な政治テロだとしたら、帝人事件は、司法部検事による政治テロと言えるだろう。またその背後には平沼騏一郎ら司法部幹部の使嗾があったことも明らかである。
政党政治家の責任も大きいが、このように次から次に作り出される政界スキャンダルは、国民に政党不信の念を植え付け、革新勢力進出の絶好の土壌を作り出していった。それが、二・二六事件とその後の政党解体(近衛新体制運動)の遠因となったのである。
歴史は繰り返す
「国策捜査」という言葉をはやらせたのは、鈴木宗男氏の疑獄事件で連座した外務省職員の佐藤優氏だが、彼は小沢一郎氏秘書逮捕に際してこう論評している。
「官邸が指示した国策捜査というよりは、現場の検察官の本性が出たように見える。彼らは青年将校のように、民主党に権力が移って政治が混乱するのは国益を害すると信じて一生懸命捜査したのだろう。だが内閣支持率が一〇%前後まで落ちたこの時期に手を付ければ『検察は政治的だ』と必ず言われる。逮捕容疑が事実なら、半年待って総選挙後に淡々と立件すればいい。そう言って止めるのが検察幹部の仕事なのに、統率力が落ちたのではないか。検察は常に正しく、逮捕すれば国民は拍手喝采すると彼らは信じているが、最近は決してそうではなく、ギャップは大きい」
私も同じように感じている。歴史は、何となく繰り返すものなのである。
さて、樺太工業疑惑のときに問題にされたのは鳩山一郎だけではなかった。国会に提出された検事調書によって、樺太工業からの献金は、廉潔、謹厳が売り物だった民政党の浜口雄幸にも流れていたことが明らかになった。因みに献金額は、鳩山五万円、浜口十万円だった。この時浜口はすでに死んでいたが、彼の代弁者たちは、「浜口自身は金の出所がいずれであるか知らなかった」と弁解に努めた。
「出所も糾さず平気でそれを貰う勇気を持っていたとすれば、彼の道徳なるものは実に驚くべきものであったと言わなければならない」
これは、『東洋経済』の石橋湛山主筆の論評だ。最近も似たような批判記事をよく目にする。しかし、その上で彼はこう結論する。
「昔から権力ある所には必ず腐敗ありと言われている。ファッショは決して信頼し得るものではない。いわゆる労働者独裁についても勿論だ。それを証明する事実は、内外を通じ古来すこぶる多数である。わが綱紀粛清論者は広く深くこれ等の諸点ついての影響を考えて、その言動を慎まねばなるまい」
この評論の題名は『綱紀粛正論者の認識不足、わが政治の良化を却って妨げん』である。石橋湛山の孫弟子である私の政治スキャンダルに対する基本姿勢は、何時もこれによっている。
(平成21年3月18日 中島政希 記)