日本のやきものの歴史をひも解くと、縄文時代に東北地方を中心に数多くの出土品が見られます。
日本全国に陶器の生産地が登場するのは時代がくだって奈良時代になってから。朝鮮半島から須恵器の技術が伝わった西暦700年代のことになります。 六古窯と称される、備前焼、丹波立杭焼、信楽焼、常滑焼、瀬戸焼、越前焼も、この時代に登場します。 |
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伊賀焼は伊勢神宮の神瓶を作るために窯を興したのが始まりとされ、奈良時代まで遡る古い歴史があります。登り窯の技術が伝わったといわれる平安時代末~鎌倉時代になると、本格的な焼き物の産地として発展をとげました。
伊賀焼は別名「七度焼」とも称されるように、高温で何度も焼成するため、土の成分が溶け出たところに松の灰がかかり、独特の味わいを醸し出します。 |
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室町時代末~安土桃山時代にかけて侘び茶が登場すると、伊賀焼の個性はその豪快な形も相まって、茶陶に合うやきものとして注目されるようになりました。
伊賀國を治めていた筒井定次(1562~1615年)や藤堂高虎(1556~1630年)が茶人だったこともあり、伊賀焼は茶道具としてのセンスが磨かれ、ますますその地位を高めていくのですが、江戸時代中期になると茶道の流行に対応することができず、一時衰退してしまいます。 |
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そんな伊賀焼が復活するのは江戸後期。京都や瀬戸から技術者を招いて陶器の生産が開始され、日用雑器を中心とした焼き物の産地として復活を遂げます。
そんな歴史背景を持つ伊賀焼は、日ごろ使いにぴったりな、使い勝手のいい陶器が数多く生産されています。 |
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