仙台東照宮

仙台藩2代藩主伊達忠宗公は徳川幕府への尊崇・感謝の標として、1649(慶安2)年5月28日、3代将軍徳川家光公に東照大権現の仙台勧請を願い出て許しを受け、同年8月17日普請始(着工式)を行った。

この地は玉手崎と呼ばれ、1591(天正19)年10月、徳川家康公が葛西大崎一揆の視察を終えて江戸へ戻る途中、藩祖伊達正宗公と宿陣された所で、祭神(徳川家康公)縁の場所として社地に選ばれたという。なお、この地にあった天神社は東隣に移され、1667(寛文7)年、榴ヶ岡に移された(現在の榴岡天満宮)。

社殿が完成したのは、着工以来5年後の1654(承応3)年である。同年3月16・17日に、造営落成御遷座の儀式が荘厳に行われた。造営に当たった人足583,675人、大工129,967人材木24,730本、総工費小判22,496両を要した。諸国に材を求め、一流の工匠が工事に携わるなど、仙台藩総力を挙げての大事業であり、伊達文化の粋を結集したものであった。

以後、伊達家の守護神として尊崇され、1655(明暦元)年より毎年9月17日を祭典日と定め、藩主在国の年には城下十八ヶ町に命じ、御輿渡御の先駆として山鉾を出さしめ、藩内最大の祭礼であった。この祭りを仙台祭りと称して江戸時代末期まで盛大に行われた。

昭和10年8月6日早朝、失火により幣拝殿が焼失し、貴重な文化財が烏有に帰したが、昭和39年11月17日原形に復興された。

本殿・唐門・透塀・随身門・石燈篭・石鳥居は国指定重要文化財に、手水舎は県指定有形文化財に、それぞれ指定されている。

昭和53年6月、唐門・透塀の大修理が竣工。昭和55年6月には本殿の修復工事が完了して、創建時の荘厳華麗な姿に復元された。