第1章 特別編
(1)
あの時以来、礼子は、すっかり元気をなくしていた。
今日は週末の日曜日、礼子はソファで冷めたハーブティーを啜っていた。
現在、IK観光の部長職にある礼子も、康平のことで全く仕事が手につかないでいた。
礼子は、この1週間、亜美に対しても口数を減らしていたのだ。
「お母さん、どうしたのよ。」
「・・・・・亜美、・・・・・お父さんは生きてるわ。」
今日までの1週間、亜美にも康平の事を一切口にしなかった礼子は、思い立ったように口走った。
「・・・・・・・」
亜美は礼子の言葉に心魂を掻きたてられた・・・・
礼子が、確信を持って言うのなら間違いはないだろうと亜美も思ったのだ。
それは、礼子と父、康平が培ってきた二人の目に見えない愛の形を
この15年間何度も聞いてきたからだ。
その神秘的な二人の関係を亜美も疑うことなく信じていた。
「お母さん、そこまで言うのなら私も手伝うわ。」
「え?」
「決まってるじゃない、お父さんを探すのよ。」
「・・・・でも・・・どうやって・・・」
「実は、この間の事を遠藤所長に話したの。そうしたら所長も君の
お母さんが言うのなら、かなり信憑性のある話だって言ってたわ。」
「・・・・・・・遠藤さんが・・・・」
「ええ。そして、その話を所長が東堂本部長に話したらいの。」
「・・・・・」
「もし、探すのなら私を研修を兼ねて調査させてもいいって言ってくれたの。」
礼子は、亜美の発言で即座に決心を固めた。
悩んでいたって仕方がない。
仮に違っていたとしても、やるだけの事をすれば諦めもつく。
そう思った礼子は、亜美に即答した。
「・・・・亜美、お願いできる。」
「当たり前じゃないの。私のお父さんなのよ。」
「・・・・・ごめん・・・そうよね。」
亜美は、いつもと違う礼子の態度が気になってしかたがなかったのだ。
康平が家から居なくなった時から全ての事を気丈に振る舞い、
亜美の前でも一切、弱気を見せなかった礼子が、あの日以来変わってしまっていたのだ。
亜美は、父、康平を想う礼子本来の性格を見た感じがした。
「明日から早速、お父さんの調査をするわ。」
「うん、お母さんも甲斐さんにお願いしてみる。」
「そうね。甲斐さんなら色々と協力してくれると思うわ。澪さんもいるし。」
「ええ、さっそく明日にでも行ってくるわ。」
礼子は、まだ、この事を誰にも話していなかったのだ。
13年も経過し、今更と思われるのを懸念し躊躇していたためだ。
しかし礼子は、あの時の男性は間違いなく康平と信じていた。
まず、康平の大親友だった甲斐に話しておきたいのも事実だったのだ。
その後、義兄の恭平と修平にも電話を入れた。
『・・・な・・・・・礼子さん・・・・本当なのか?』
「はい。・・・・・でも、まだ確実ではないんですけど。」
『修平には?』
「今から電話します。」
『わかった。俺も2日後には、日本に帰るんだ。
修平には俺からも協力するように伝えておく。』
恭平は、先月、3月で国連を退職し日本に帰ることになっていた。
「はい、わかりました。」
礼子は、修平にも直ぐに電話を入れた。
修平は、現在、内閣調査室の室長の職にあり上席管理職として勤務している。
修平も礼子の説明に驚きを隠せないでいた・・・・
『・・・・・礼子さん、どんな事でもいいから俺に情報を入れてくれ。絶対に調べ上げる。』
「わかりました。」
『それからセンターの遠藤君にも連絡を入れておくよ。』
「はい・・・お義兄さん、本当にありがとうございます。」
『・・・・礼子さん、康平は君の全てでもあるが、俺の弟でもあるんだ。当然だよ。』
修平は、そういうと電話を切った。
礼子は電話を握り締めて胸に当てながら修平に頭を下げた。
− 翌日 −
礼子は、甲斐の会社を訪れていた。
ソファには、甲斐、そして専務である吉池澪と、康平の部下だった恵美子が座っている。
恵美子は、10年前に甲斐と結婚をし現在は専業主婦だった。
甲斐の隣りで恵美子が驚きの声をあげた。
「えぇーっ・・・れ、礼子さん・・・それ・・・・・本当なの?」
「・・・ええ。」
澪も追問をする。
「礼子さん、顔は、はっきり見たの?」
「それが、すれ違ってから名前を何度か呼んだんだけど振り向かなくて。
でも、私の呼びかけに反応を示したし、あんな髪の色をした人も珍しいの。」
甲斐が天井を見ながら言葉を吐く・・・・
「それに、荒尾がよくやってた癖で鼻頭を擦る仕草も・・・・・か。」
「ええ。・・・・そうなの。」
「確かに、荒尾の髪の色は珍しいからな。それに礼ちゃんと亜美ちゃんが
すれ違いざま同時に身体に感じた衝撃も、とても偶然とは思えない。」
「甲斐さん、私・・・・・・絶対に康平が生きてると思うの。」
「・・・・・ああ、礼ちゃんが言うんだから俺も間違いないと思う。」
澪の顔が紅潮してきた。涙を浮かべながら甲斐に提案をする。
「社長、康平さんを探しましょう。絶対にっ!」
「ああ、もちろんだ。・・・しかし手掛かりがな。」
「甲斐さん、亜美も今日から康平を探す調査をするの。
遠藤さんから特別に許可をもらったって言ってたわ。」
その時、礼子の携帯のベルが鳴った・・・
「はい、荒尾です。・・・・・あ、遠藤さん。」
電話は、センター長の遠藤からだった。
『お久しぶりです。亜美君から話は聞いています。東堂本部長からも全力で
探し出せと言われてますので分かり次第、随時、礼子さんに連絡します。』
「・・・・・遠藤さん、・・・・本当に、、、本当にすいません。」
礼子の言葉に遠藤は声を詰まらせた。
『・・・れ、・・・礼子さん・・・・・・・水臭いこと言わんで下さい。
もし・・・・もし・・・・・見つけたら・・・・・10年遅れで私と
美津子の仲人やって貰います。その時は、礼子さんもお願いします。』
「・・・・・はい・・・・ありがとうございます。」
『たった今、亜美君を輪島に行かせました。』
「・・・輪島・・・?」
『ええ。礼子さんが言うとおり、もし局長が生きているのなら
この土地から調査したほうが早道ですし可能性もあります。』
「・・・・・でも・・・」
『礼子さん、実は既に東堂、黒田両本部長が二人で調査してるんです。』
「え?」
『私が、この報告をしに行った時に、ポーカーフェイスを装っていましたが
二人とも身体が震えていました。直ぐにデータ管理ソフトと追跡チップを
持って来いと言われましたよ。お二人共、管理職になってから暇ですので
下手すれば私たちよりも情報が早いかもしれません。元プロですからね。』
礼子は、心の底から感謝をしていた。
自分以外にも仕事をさしおいて必死になってくれる人たちがいる。
礼子は、ありがたくてしょうがなかったのだ。
涙声で遠藤に礼を言った。
「遠藤さん・・・ありがとうございます。・・・・・・嬉しいです。」
『・・・・・礼子さん・・・・・・・・じゃ、情報が入り次第連絡します。』
「・・・はい。」
電話を切った礼子が涙を拭っていると甲斐が声を掛けてきた。
「でも、礼ちゃん、確かに輪島もそうだが、礼ちゃんが見たのはこっちだろう。」
「え、ええ。」
「なぜ、そこに居たか・・・・・だよな。」
横で聞いていた恵美子が元センター員であった頃の勘を働かせて推言した。
「色々な想定を考える必要があるわ。」
澪が恵美子に尋ねた。
「例えば?」
「まず、礼子さんの声に反応を示したのに振り向かなかった。
そして輪島の岸壁から落ちたのにこの土地に居た。・・・」
「・・・・どういうこと?」
「記憶を失ってる可能性もあるわ。礼子さんの声に反応したのは
局長の身体に潜在している過去の記憶がオーバーインしたのよ。」
「恵美子、そこまでは判らんだろう。」
「ううん、あなた、仮に局長が生きていたとするわよ。
そこから考えて、あの状況だと高い確率で記憶を失うの。」
「・・・なぜ?」
「つまり、科学的な統合データだと死にたくない、生きなければならない
という気持ちが強ければ強いほど防衛反応が脳の可逆考察を高くするの。
記憶を失う事によって致命傷を受けなかった例はたくさんあるのよ。」
「ほぉう・・・なるほど。・・・・・と言う事は・・・・」
「そう。生きているのなら記憶を失っている可能性は大だわ。」
「ふむ、何となく納得できるな。礼ちゃんの声に振り向かなかったのも、
そのせいかもしれない。これだけ愛し合った二人だ。礼ちゃんの声を
荒尾が無視するわけないからな。・・・・ん・・・・・でも待てよ?」
澪がビクついたように甲斐に問い掛けた。
「ど、どうしたの社長?」
甲斐は、暫し頭を整理して丁寧に話し始めた。
「もし、荒尾が記憶を失っていたとしても今までどうやって生活してきたんだ。
1人では生きられないだろう。飯だって食ってるだろうし仕事も住んでる所も
あるはずだぞ。仮に施設や病院に収容されているんだったら、直ぐにでも
礼ちゃんの耳に届くはずだし、どうもこの13年間の空白が疑問に感じるな。」
甲斐の言葉に全員が静まり返った。
応接室に重い空気が漂う・・・・・・・
礼子がタイミングよく口を開いた。
「・・・・・誰かと一緒に暮らしていると言う事かしら?」
恵美子が答える。
「いろいろな事が考えられるわ。まずは亜美ちゃんや東堂さんたちの情報を待ってからだとおもうの。」
「そうね・・・」
「礼ちゃん、とりあえず俺は、この街中の興信所の探偵を全部使って
近辺を全域探させてみるよ。まだ、こっちに居る可能性は高いし。」
「で、でも、そんな出費を・・・・」
「なに言ってんだっ、礼ちゃん! 俺は荒尾のためなら全財産を使っても探すぞっ!」
「・・・か、甲斐さん・・・」
「初めて俺が、礼ちゃんに会った時に話しただろう。俺が、今、生きてられるのは、荒尾のおかげなんだ。」
恵美子も頷いた。
「礼子さん、私も同じ気持ちよ。」
礼子は、嬉しくて声が出なかった。
小さく、そして静かに皆に頭を下げた。