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“「いただきます」の気持ち” 幼い頃、プラスチック容器入りの油を使った料理を食べると、いつもひどい頭痛になっていた。 アレルギー反応を起す食材なのに、じん麻疹や喘息を起すときと起さないときがある。 一人暮らしの頃、とても過敏になって、自然食や無添加ばかり集めても、 お財布も辛いし、仕事帰りはコンビニくらいしか開いてなかったりして...。 気診をはじめて最初の頃に感動したこと、人は誰でも心と肉体が調和を保てば、 自然や宇宙は様々な力を授けて下さるってことが実感できたこと。 この世に生きていれば誰だって、 いつでもからだにとって優しい食べ物ばかりを食べていられるわけではないでしょう。 でもそんな時も“私のからだに必要な栄養を与えて下さいね。”って、 目の前の食物を頂くのはこちらの方ですもの。 食事を前に「いただきます」って、食物の気が澄んでいくように心から合掌するの。 そう、日本人なら皆が知っている、ご飯の前に「いただきます」のごあいさつ。 そうすると、重ねた心と手を通じて、目の前の食べ物の気がふわって優しく澄んだ気に変化する。 身体への負担をできるだけ受けずに食事をとることを昔の人は知っていたの。 ず〜っと、ず〜っと昔。人は、きっとこの気の変化を見たり、 感じたりしながら生活していたんだわ!!って思う。 アレルゲンのパッチテストで真っ赤に腫れ上がっていた食材も喘息に変わることもなく、 今はそれほど気にすることもなく美味しく食べている。 しじみのお味噌汁だって、お湯に入れる時“あなたたちの命は大切に頂きますから”って “ありがとう”って気持ち忘れないで、お湯に入れたら優しくかき混ぜてあげるの。 そうしたら、みんなちゃんと口開をけてくれるから♪ 料理では、よく“食材への心”や“食材が透き通った瞬間に火を止める”とか、 たとえ見えなくても食物との調和を保つことや 食物の気質が良い状態のヒントは古くから沢山あるの。 だから“美味しそうに仕上がった”っていう頃合、 感覚を大切に料理をするはとても豊かで自然な食との関わりの実践だと思うの。 安全な食品、栄養バランスのとれた料理、 それならその道の研究家やプロの方からの情報を学んだ方がずっと詳しい。 ゲルソン療法、マクロビオティック、 ○○式、○○療法etc... 自然食療法だけで効果を上げるのも、生活の中で徹底するのも、 生活環境によっては、かなり大変なこと。 これらの療法も、生命の在り方、食物との関わり方、 自分は一人の人間としてどう生きたいか、この世でどう在りたいのかということが、 それぞれの療法の理念と共鳴し、生かすことによって、 はじめて、本来の効果を生みだすものだと思います。 それに厳密に言えば、どんなに安全で栄養価の高い食材やお米、お塩だって、 ひとり一人の肉体、気質によっては、合う人も、合わな人もいる。 玄米食だって、体質や消化器の働き、状況によっては消化不良を起すし、 どんな栄養素だって今は肉体が要求していない、ということだってある。 何ごとも形からではないのです。 精神と肉体が調和していれば、疲れている時は疲れを癒す食べ物を、 欠乏していれば補うたべものを、気持ちや味覚は自然と要求するものです。 まずは いつもよく噛んで、 ゆったりと食事を楽しむこと♪ 簡単そうで実際はなかなか実行できている人、少ないのでは? ただし、疲れているのにカップラーメンやハンバーガーなんて、 ジャンクフードばかり食べたくなるようなら要注意!! 治癒力よりも悪い細胞や低い気の方が勝っているかも...(T-T) だからこそ、どんな食べ物も不安に思いながら口に入れるよりも、 その時だけの気休めのヘルシー生活よりも、 いつでも自分のからだ、体調の変化に自分自身で気づいてあげられる心 であることが何よりも大切なこと。 仕事が立て込んでくると残業ばっかりで、 「とっても疲れてくると、ご飯を口に運ぶ動作すら面倒臭くなる」って言ってた友達がいた。 分かっていても気力が無くなるとからだにまで気づかえなくなるときってあるものね。 忙しいと、何だか機械か流れ作業のように料理を作ったり、食べたりしていないですか? それって心だけが充実して生きたいために 肉体に強制労働させているみたいじゃないかしら、 肉体を私物化しない。 パートナーや子どもにも、 ただ安全な食事さえ与えていれば一生元気でいてくれるなんてこと思わないでしょう。 同じように自分の肉体にも労ったり、慈しむ気持ちを忘れないでね。 ミクロコスモスとマクロコスモス。 私たちのからだを流れる<気>はいつでも宇宙とその気を共有しているの。 まずは、いつも楽しく優しく料理や食事をする気持ちを大切に♪
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