現在という未来

光 俊太郎



『将来、希望する職業を記入しなさい』
 プリントの命令に、委員長こと保科 智子は、深い溜め息をついた。
 机に頬杖をつくと、今朝配られたその紙を改めて眺める。
 放課後、学級委員の仕事も終わり、さて帰ろうという時に鞄からこぼれたそれは、彼女の顔に影を落としていた。
 提出期日は土曜日だった。今日は月曜日で、まだ余裕はある。なのに、智子の胸には、言い知れない焦燥感が湧き出ていた。
 夕焼けに照らされる教室の中、彼女はまた、深い溜め息をついた。
「よっ」
「わっ!」
 突然声をかけられ、思わず背筋をピンと伸ばす。
 三つ編みを翻して後ろを見ると、そこにはのんびりとした顔の男子生徒が立っていた。藤田 浩之である。
「? そんなに驚くか」
「あ、あたり前やん! 声かけるんなら、急にせんで、あらかじめ断ってからにしい」
 智子は自分がムチャクチャを言ってる事はわかっていた。だが、戸惑う浩之に、それを言うことは出来ず、あさっての方向に眼をそらす。
「それで、なんの用やん」
 後ろ手で、机の中にプリントを押しこみながら、訊ねた。
「あっとさぁ。今日、これから、なんか用事あるか?」
「塾や」
「サボらない?」
「なんでそんな事せなあかんのや」
「俺と付き合うから」
 訳のわからない言い分に、智子は眉を寄せた。
 眼鏡を中指で押し上げると、浩之を睨み上げる。
「訳わからんお誘いはお断りや」
「理由があればいいのか」
「まぁ、そうやな」
「じゃぁ、理由を言うぜ」
 浩之は胸を張って、こう言ってのけた。
「委員長は、今日、俺に付き合わなきゃいけないからだ」
 これに、智子はただ頭を抑えるしかなかった。

「そんな長いことは付き合えへんで」
 夕焼けに赤く染まる街を歩きながら、智子は隣の浩之に告げた。
 押し問答の末、結局、押し切られる結果になった彼女の表情は、当然のことながら不機嫌そうだ。
 だが、それに浩之は気にした様子も見せていない。
「まぁ、こんな日があってもいいだろ」
「こんな日ばっかりやったらイヤや」
「そうか? 俺はけっこういいと思うけどなぁ」
「まったく。藤田くん、いつもこうや」
「いつもって……なにが」
「なぁんも考えとらんやろ。悩みなんかないんとちゃう」
「まぁな」
「あっさり言えるんやもんなぁ」
 智子は、頭を振ってみせるが、呆れてではなかった。どちらかというと、感心に近い。
 もしかしたら、憧れなのかもしれなかった。
 そんな浩之を見つめるが、夕焼けに重なった姿は、光に包まれて、よく見えない。「どうした?」
 声をかけられ、はっと我にかえる。見つめて事に気恥ずかしさを感じた智子は、それを誤魔化そうと適当な話題を探した。
「そういえば藤田くん。アンタ、将来、なにになりたいん?」
 とっさに口に出たのは、頭の中で引っかかっていた事だった。
 言ってから後悔した。話題にしたくない事だったからだ。
「お嫁さん」
 だが、そんな智子の心の乱れなど、まるで気にした様子もなく、浩之はふざけた答えを返した。
「やっぱ、お色直しは2回はしたいな」
「……本気やの?」
「ウェディングドレスは、着てみたいよな」
 そして、不器用なウィンクを送る。
「真面目に答えると……そうだなぁ。宇宙飛行士になりたいかな」
「それ、本当に真面目なんか?」
「もちろん」
 智子は、改めて浩之を見つめた。確かにナリは学生服の立派な高校生だ。だが、中身は小学生と大差ないように思えた。
「ま、なるようにしかならないけどな」
「……それが一番、あんたらしいわ」
「そうか」
 楽しそうに笑う浩之。しかし、智子は同じ笑いを浮かべることはできなかった。
 そんな話をしている内に、二人は目的地に着いた。
「そういえば、なんでアンタの家に来なアカンのか、聞いとらんかったわ」
「ここまで来て、聞くのはヤボだろ」
 浩之は自分の家の門をくぐると、玄関脇のインターホンを押した。
「自分の家やろ。なんでそんな事するんや」
「いろいろとな。それより、ここに立ってくれよ」
 キョトンとする智子だったが、言われた通りにする。
 それを確認すると、浩之はドアを一気に引き開けた。
 パーン!!
「ハッピーバースデー!!」
 クラッカーの音と共に、祝福の声が弾けた。
 智子は眼を白黒させた。眼鏡にかかったクラッカーのカラーテープを取るのも忘れて、ただ立ち尽くし、目の前の情景を見ていた。
 家の中には、見知った顔がいた。クラスメイトのあかり、雅史。ほかにレミィと志保がいた。
「誕生日おめでとう」
 そう言って、浩之はニヤリと笑った。
「知っとったん?」
「当たり前だろ。恋人なんだから」
 恥かしげもなく言い切る彼に、智子の方が真っ赤になった。
「はいはいはいはい。イチャつくのもいいけど、二人っきりの時にしてくんない。あたし、はやくパーティーの御馳走を食べたいのよね」
「てめぇは、なんのために来てんだよ」
「あら。保科さんの誕生日パーティーに決ってんじゃない」
「はは。とにかく、保科さん。あがってよ」
「え? ああ。うん」
「じゃぁ、わたし、ケーキの準備してくるね」
「Oh! あかりの手作りケーキ。楽しみヨ」
 盛り上がる四人の輪の中に、しかし智子は入れずにいた。
 立ち尽くしていると、その目の前に手が差し伸べられた。
「入ろうぜ」
 浩之の好意に、一瞬、ためらった。けれど彼女は、一回頷くと、その手を取った。
「ちょっとヒロぉ。早く来なさいよ。ケーキ冷めちゃうでしょ」
「うるっせぇな。いま行く」
 悪態を突きながら自分を引っ張ってくれる手に導かれて、主役を待つパーティー会場に、智子は向かっていった。

「綺麗な星空やねぇ」
 見上げた夜空に、眼鏡の奥の瞳を輝かせる。
「って割には、星はそんなに見えないけどな」
「少しでも見えたらええやん」
 ムードのないことを言う浩之を横目に見ながら、智子は歩を進めた。
 今年の夏は、はやく過ぎ去っていった。九月の頭といえば、まだ暑いものだが、二人の頬を通りすぎる風は、すっかり秋めいた涼しさだった。
「でも、送ってもらわんでもええのに。まだ、九時になっとらんし」
「もう、九時になりそう、だろ。夜道を、女の子一人で帰す訳にはいかないぜ」
「長岡さんたちが聞いたら、怒りそうやな」
「あいつらには、雅史がついてるからな」
「神岸さんには、後片付け一人でやらせてもうて、なんか悪いわ」
「あいつは、そういう事が好きだからいいんだよ」
「そんな事、言ってええの」
「後でちゃんとお礼は言っとくさ」
「そうしてぇな。神岸さんだけやなく、他の人たちにもな。『委員長はゴキゲンだった』言うといてや」
 その言葉は嘘はなかった。久しぶりに、多くの人たちと楽しい一時を共有できた喜びが、確かにあった。
「それにしても、神岸さん、料理うまいんやな。特にあの手作りケーキは、絶品やったわ」
「あいつの料理の腕は、一流だからなぁ」
「ホンマ羨ましいわ」
「でも、委員長だって、勉強ができるだろ。あかりの奴、すごく羨ましがってるぜ」
「……勉強できたって、良い事なんかあらへんわ」
 声のトーンが、急に落ちた。
 俯く智子に、自分の失言に気づいた浩之だが、フォローは効きそうにない。
 頭を掻いて、視線をさまよわせるが、名案は浮かばない。
「あのさぁ」
 口に出してみるが、内容など思いついてない。だから、
「誕生日おめでとう」
 なんていうセリフが出てくる。
「なんやねん」
「ええっとさ。ああ、そうだ。コレ、渡しておくよ」
 ゴソゴソとズボンのポケットから、小さな包みを取り出す。
「随分とシワクチャやなぁ」
「あっ。なんでだ?」
「ズボンの後ろポケットに入れといたら、包装がそうなるん、わかるやろ」
「あ、そっか」
 苦笑を浮かべる浩之は、しかし空気が和らいだので、少しほっとした。
「で。コレ、なんやねん」
「俺からの誕生日プレゼントだ」
「……そんなら、もうちょっとムードっちゅうもん、考えぇや」
「あ、ワルイ」
「そんで。コレ、いま開けた方がええんの?」
 浩之は頷いた。
 赤い包装をあけると、そこから出てきたのは、指輪であった。
「ちょっと、気が早いんやない?」
「別にそういう意味じゃないぜ」
 ファンシーショップで売ってる安物に、そんな重々しい意味があるとは、智子も考えてはいなかった。「神岸さんあたりに相談して、買ってきたもんやろ」と想像もついた。
 しかし、次に続けた彼のセリフは、彼女の予想外のものだった。
「いや。そういう意味でもいいなぁ」
「な、なに言うてんのや」
 顔を真っ赤にする智子だが、浩之の方はいたって平静だ。
「いつか本物を送るから、それまでの代用品ってことでさ」
「……なんでそんな事言えるん?」
 思わず口から出た。
 胸の高まりは、急速に収まっていった。顔はしだいに下を向き、手も力なく垂れ下がっていった。
「先の事なんて、わからへんのに」
 ずっと続くと思ってた事が、次々と消えていった思い出が、智子の胸に浮かび上がる。
 両親の離婚。転校。友達の裏切り。
 乗り越えたと思っていた。実際に悲しみの淵からは、抜け出すことができた。けれど、やはり消し去ることはできずにいた。今でも棘となって、時折、彼女の胸を痛めつけていた。
 いまこの時のように。
「将来なんか、どうしてわかるんや」
 『将来、希望する職業を記入しなさい』。
 プリントの命令形は、彼女が見ないようにしていた、未来という闇を直視させる言葉だった。
 ふと目尻に涙が浮かぶのを感じた。なんでかは、わからなかった。漠然とした不安が恐くてだろうか。
『まるで子供みたいやなわ』
 笑い飛ばそうとしたが、力は湧いてこなかった。
 智子は、そんな自分が情けなかった。逃げ出してしまいたいほどに。けれど、どこに逃げたらいいのか、わからないから逃げることもできない。
 途方にくれる彼女に、浩之は言った。
「んなもん、わかんないさ」
 あっさりと。さも当然と言わんばかりに。
「十年後。いやぁ、一年後だって。委員長の誕生日を祝ってやれてるかなんて、わかんないぜ」
「でも、藤田くん。さっき……」
「だけど、今はそう思ってるぜ」
 腰に手を当て、視線を落とす。浩之は、智子と同じ眼の高さで、語りかける。
「これからさき、ずっと智子の誕生日を祝福したい。そう思ってる。嘘じゃない。未来は不確かでも、今の気持ちは、絶対に確かだぜ」
 気負うでもなく、あくまでも自然な語りだった。
 弱い街灯に照らされながら、智子はじっと彼の瞳を見る。
 唇が、少し開いたけれど、また閉じられた。そして、ゆっくりと頷いた。
「その言葉、覚えとくわ」
 そして、渡されたばかりの指輪を、そっとはめた。夜空に左手をかざすと、中指にぴったりだった。
「コレ見るたび、その言葉、思い出すわ」
 上等なものではないので、輝きは都会の星のように貧弱なものだ。けれど、夜空を見通す時には、どの星明かりよりも明るく感じられる。
 智子には、そんな確信めいた思いがあった。
 そんな様子を見た浩之は、ボリボリと頭を掻いた。
「……それほど大層なこと、言ったかなぁ」
「言うたで」
 軽妙に言い放つと、智子は指輪をかざしたまま、歩き出した。
 数歩進み、不意にクルリと振り返る。
 三つ編みを揺らした少女は、眼鏡の奥の瞳を輝かせて、浩之に訊ねた。
「なぁ、藤田くん。ウチが将来、お菓子屋さんになりたい、言うたら、どう思う」
「そりゃぁ応援するに決ってるぜ」
 返答に、智子は笑みを浮かべた。
「ほんなら、応援しぃ」
 その笑顔は、夜空に昇る満月のようだった。






 終わり






 芹葉です。 いつもお世話になっております。 ぺこり

 この度は光俊太郎様より保科智子さんの誕生日記念SSを頂きました。
 頂いたというよりも、沙柳が“おねだり”したという方が正しいような気もしますが。

 ということで保科さん、誕生日おめでとうございます。



 今回は真面目にアプローチしようと思います。

 将来のことを分かる人はそうそういません。限られた情報の中で憶測するのが精いっぱいでしょう。
そしてそれが憶測であるが故、不安になり、悩む。
 望む未来がある場合はまだ良いでしょう。しかし未来そのものが不安定であることに悩むとなると、夢見る事など出来ません。ましてや突然現れた未来に傷つけられた過去があれば。

 浩之さんがこの日保科さんに贈ったものは「単なる指輪」ではない気がします。
「今思うこと・感じることを大事にしよう」という姿勢。
 彼はそれを言葉にし、形あるもので証明した・・・・。

 保科さんは素敵な誕生日プレゼントを頂いたんですね。
 浩之さん自身はきっと無自覚なんでしょうけれど(笑


 光様、素敵な誕生日を有り難うございました。 ぺこり 




ギャラリーに戻る
トップに戻る