死刑廃止に関してアムネスティに寄せられた質問と
それに対する回答を掲載することによって、広く疑問を共有し
死刑制度について考えてみたいと思います。




アムネスティに対する質問 その3

皆様には日頃からのご活動と、ご精励のことよろこばしく存じます。
突然のメール送信の失礼をお許しください。
皆様のご活動は詳しくはありませんが、存じ申し上げております。
そこでぶしつけではありますが、一点、申し上げたき儀ございまして送信いたします。
ご存じのことと思いますが、先頃、宇都宮市で発生いたしました強盗放火殺人事件についてお考えを受け賜わりたいとおもいます。

本件はご承知のように、被疑者は現金強奪の目的をもって事前より犯行を計画、宝石店に侵入するや強奪を強行、そのうえ無抵抗の被害者6名を部屋に拘束監禁し、逃避の自由を奪ったうえ用意したガソリンを被害者に撒布し、火を放ち被害者全員を生きたまま焼殺するという、近代においても稀な残忍きわまりない犯行です。被疑者は犯行を認め、動機、証拠からも冤罪にはならないでしょう。

さて、このような私利私欲のために計画的に極悪非道な犯罪に対してどのようにお考えでしょうか。
強盗殺人、放火殺人、死者が6名にもおよんだこと、そして計画性があり、衝動犯ではないこと、そのどれかひとつでも現行法では死刑が相当です。事案をみるかぎり、もし累積処罰ならばこの犯人は3回は死刑にならなければならないでしょう。

さすがにそれは暴論ですが、社会に慄然とさせる影響をあたえたこと、6名の生きながら焼き殺された被害者の恐怖と苦痛、そして残された遺族の悲嘆と無念を考えると極刑をもって臨むよりほかになく、それ以外の選択は理不尽さと、司法への不信感、無力感を醸成せしめる結果になるでしょう。

皆様が絶対に死刑を認めないことはわかっています。6名の命を奪ったことと、国家による死刑という殺人はかわるところはない。しかし、あえて私は訴えます。罪には罰を。重い罪には重い罰を。死刑は極悪な犯罪を強行した者への最終解決であると。
どうも非礼のだん、お許しください。




回答

「本件はご承知のように、被疑者は現金強奪の目的をもって事前より犯行を計画、宝石店に侵入するや強奪を強行、そのうえ無抵抗の被害者6名を部屋に拘束監禁し、逃避の自由を奪ったうえ用意したガソリンを被害者に撒布し、火を放ち被害者全員を生きたまま焼殺するという、近代においても稀な残忍きわまりない犯行です。被疑者は犯行を認め、動機、証拠からも冤罪にはならないでしょう」

おっしゃる通り、現段階では、冤罪の可能性は低いと思います。

「さて、このような私利私欲のために計画的に極悪非道な犯罪に対してどのようにお考えでしょうか。強盗殺人、放火殺人、死者が6名にもおよんだこと、そして計画性があり、衝動犯ではないこと、そのどれかひとつでも現行法では死刑が相当です。事案をみるかぎり、もし累積処罰ならばこの犯人は3回は死刑にならなければならないでしょう」

裁判が始まっていない段階で正式にコメントはできませんが、社会通念上、そのように考え、予想することは無理のない事だと思います。

「さすがにそれは暴論ですが、社会に慄然とさせる影響をあたえたこと、6名の生きながら焼き殺された被害者の恐怖と苦痛、そして残された遺族の悲嘆と無念を考えると極刑をもって臨むよりほかになく、それ以外の選択は理不尽さと、司法への不信感、無力感を醸成せしめる結果になるでしょう。皆様が絶対に死刑を認めないことはわかっています。6名の命を奪ったことと、国家による死刑という殺人はかわるところはない。しかし、あえて私は訴えます。罪には罰を。重い罪には重い罰を。死刑は極悪な犯罪を強行した者への最終解決であると」

ご質問は、理路整然と意見を主張されていると思います。でも、私たち死刑廃止を主張する団体としては、上記のパラグラフ部分から意見の方向が変わってくるのかなと思います。

被害者、被害者遺族の方々は、私たち事件に直接関わっていない人間からは想像もできない苦しみの中にいるわけです。彼らの怨み、憎しみを表現するには「極刑」が適切だろうということも想像できます。
しかし、今から議論する事は国の刑罰体系をどうするか、ということになります。感情的な復讐心をそのまま反映するような制度を構築していけばいいのでしょうか。決してそうではないと思います。

6人もの人が一度に焼き殺されたから、今回の事件は「凶悪」だと、誰がどんな基準で判断できるのでしょうか。たとえ、1人の人が殺され新聞の片隅に小さくしか扱われない事件だとしても、その遺族にとっては同じように「怨み、憎しみ」で「悲歎と無念」に埋没するのではないでしょうか。
つまり、前者が「凶悪事件」で後者が「凶悪事件」でないと誰が基準を作れるのでしょうか。それを判断するのが裁判だといえるかもしれません。しかし、その裁判とて、1審、2審、3審と判決が揺れ動きます。検察が出してきた同じ証拠を審理して、判決が違う。それは当たり前で、裁判官、検察、弁護士ともに人間です。人間のやることに間違いや判断の違いは付きものです。ですので、絶対的な判決などというものがない以上、絶対的な命を奪う刑罰=死刑は廃止されるべきと考えます。

「重い罪には重い罰を。」この意見には誰も異論はありません。私も重大な犯罪には厳しい刑罰をという部分では意見は同じです。
でも、「死刑は極悪な犯罪を強行した者への最終解決であると。」という部分はどうでしょう。
本当に死刑という刑罰が解決策になるのでしょうか。

現在、犯罪被害者を支援する制度が徐々に整備されつつあります。犯罪被害者保護法がようやく実現しましたが、犯罪被害者の権利が明確化されておらずまだまだ未成熟な法律です。こうした点を早急に整備し、財政面の支援、精神的なサポートする体制作りこそが、本来の解決策となるのではないでしょうか。

よく言われるのは、犯人は逮捕された瞬間から法律に則って、様々な権利が保障されているが、被害者が置かれている状態と比較するとつりあわない、被害者の人権はどうしてくれんだ、というものです。
ここで指摘したいのは、加害者についてはすでに法律があるという事です。犯人を逮捕し、取り調べ、起訴し、裁判にかける、という一連の流れは、ちゃんと刑事訴訟法にしたがって警察、検察が行うことで、その規定に反して恣意的な取り扱いをしてはならないのです。

一方、被害者を保護するための法律は、今のところ無いに等しい。
ある学者によれば、日本は犯罪被害者救済制度の整備に関して、欧米から30年遅れている、ということです。被害者が何の手助けや保障もないままに放り出されている状態を「加害者にもっと厳しい罰を」という声にすりかえてはならないのです。
「被害者の人権はどうしてくれんだ」という主張に対して、国家は被害者の方々への手厚い保障制度を早急に整備するべきである、と要求しなければいけないのです。

死刑を考える時、もう一つ考えておかねばならないのが、執行する人がいるということです。
拘置所の刑務官は、業務命令で「死刑という殺人」をやらされるのです。
拘置所にいた人の証言によれば、執行のあった翌日は拘置所の刑務官に異様な緊張感がただよっていたそうです。もしかしたら、次回の執行は自分に回ってくるのでは、と思えば生きた心地はしないでしょう。
執行に立ち会った人は、一生の心の傷になると言われています。その人たちの存在を忘れてはなりません。
今の日本社会が「死刑制度」を選択していますが、そのしわ寄せを被っているのが刑務官の人たちです。
彼らの人権というものも視野に入れて議論したいものです。
(回答担当:  )



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