死刑制度の廃止を求める  
  著名人メッセージ  





芹沢俊介さん

  評論家

【プロフィール】
 写真: ©現代教育新聞社


宅間守の死


9月14日、宅間守の死刑が執行された。

去年8月28日に大阪地裁で死刑判決を受け、弁護団は控訴したのだが、9月26日宅間本人が控訴を取り下げ死刑が確定した。それから1年足らずでの執行であった。

国家が宅間の挑発に乗って理性を失うようなことがあれば、執行までの期間は短いだろうと思っていた。国家は宅間の挑発に乗った。

宅間は3ヶ月以内という早期の執行を希望していた。刑事訴訟法では6ヶ月以内と規定されている。国家は法を守るべきだと述べた、と宅間はいっていた。

以下は獄中から一審における主任弁護人を務めた戸谷茂樹弁護士に宛てた7月22日付の宅間の手紙である。


「死刑は、殺される刑罰や。6ヶ月過ぎて、いつまでもいつまでも、イヤガラセをされる刑罰ではない。すぐ殺せば、ダメージがないので、しばらくイヤガラセをしてから執行する――そんな条文が、あるんか。

お前、法律家やったら、ワシの身になれや。法を順守するのが、法律家やろ。

何や、『自殺幇助や』、そんなもん関係あるか――。国が、法律を守らんかったら、行政訴訟でカミつくのが、己ら、左翼代言屋の使命やろが。

まあ、この手紙で、ヘソ曲げて意固地になるようやったら、下の下のかすの代言屋や。」


宅間はまた、死ぬことはビビッていない、死はいちばんの快楽と語ったこともあった。

この人は事件を起こすずっと前から死にたかったのだ、と私は考えている。それこそ子ども時代から。

自殺できなかった宅間(彼の兄が自殺していた)は、かわりに自分を誰かに殺させるように仕向けた。その誰かが国家であった。死刑制度がある国家であった。宅間の無意識は、死刑制度を利用しようと考えた。そして人にもっとも憎まれる子ども大量殺人を遂行したのだ。徹底して憎まれることによって、自分を殺害するよう、挑発したのではないだろうか。

だからもし、死刑制度がなかったら、と想像してしまうのだ。宅間はこれほどの犯罪を犯しただろうか、と。


10月10日、台風22号の通過した翌日の日曜日、劇団「燐光群」の『ときはなたれて』(作=ジェシカ・ブランク&エリック・ジェンセン 訳=常田景子 演出=坂手洋二)をみせてもらった。

幸運にも解き放たれたアメリカの冤罪死刑囚の話である。国家に死刑制度のあることの恐怖がひしひしと感じられるすぐれたせりふ劇に仕上がっていた。ぜひごらんになるといいと思う。


ただし私が死刑制度に反対するのは、冤罪の可能性がある人を殺すことになるからではない。

以前、産経新聞の半署名のコラム『遮断機』に、死刑判決はあってもいいけれど、執行は無限に延期されるべきだと書いたことがある。死刑執行が確か3年4ヶ月にわたって停止されていた時期の、どこかの時点でのことだ。

こうした状況は、制度そのものの空洞化を物語るもので、次の、制度が存在していること自体を問う、その前段階として位置づけられると考えたからであった。だが、希望は間もなく打ち砕かれた。そういう考えが夢想であったことを思い知らされることになった。93年、死刑執行が再開された。

私が絶対的な死刑反対の立場に立ったのは、オウム真理教による地下鉄サリン事件の起きた1995年であった。

私を死刑廃止の立場へと導いたのは、麻原彰晃であった。死刑制度に反対する私の動機は麻原彰晃への私の思いにある。

私は麻原彰晃に負けたくないと思った。そのためにはこの人のやったこと(殺人)を、私が反復してはいけないと思った。この人のやったことを絶対に許せないという立場を崩さないためには、彼のやったのと同じことを、それがどんな形であれやってはいけない。私は彼を殺害することを承認するどんな意思にも加担しないと決意した。こうして私は死刑制度廃止の立場に立ってしまったのである。

むろん私だって知っている、そんな決意は宿業のまえにひとたまりもない。宿業に促されれば、殺人だろうと何であろうと、人は犯してしまうものだということを。宿業は意思を超えてしまう。であるなら宿業による犯罪をどうして国家意思は死をもって罰することができるのだろうか。
(2004.11.01 up)


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