2002年9月29日(日)、豊島区民センターにおいて、
死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90と
(社)アムネスティ・インターナショナル日本の共催により、9月18日の死刑執行に抗議する集会が開催された。
以下に当日の発言者の発言概要を報告する。
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安田好弘弁護士(フォーラム90)

水曜日の死刑執行は、93年の執行再開後、初めてだった。
昨年(2001年)は、まず2月に欧州評議会が日本に死刑制度の調査に来た。6月には欧州評議会に日本から議員が出かけていった。
また、4月には原田正治さんが当時の高村法務大臣に長谷川死刑囚の執行をしないでほしいという申し入れをおこなっており、あとからわかったことだが、高村法務大臣は欧州評議会の動きや原田さんの申し入れなどによって、死刑執行を拒否したらしい。
そのため、昨年前半は死刑執行がなかった。
そのあと森山法務大臣が就任し、異例中の異例、御用納めの前日の12月27日に執行があった。これは、執行ゼロの年をつくらない、という法務省の強い意思だったのだろう。
今年の7月末、国会閉会後に死刑が執行されるかもしれないということで、札幌の大森勝久死刑囚の弁護人が再審請求、法務大臣への申し入れ、人身保護の請求、マスコミに訴える記者会見をし、アムネスティが全世界に大森さんの執行をしないようにというアピールを出した。
その結果と思われるが、国会終了後の執行はなく、夏期休暇の時期に入った。そして、9月になって、浜田・田本(春田)両死刑囚が執行された。
仄聞であるが、田本死刑囚の再審請求をしようかという話があったと聞いている。そのとき、おそらく私でも同じように答えたと思うが、「確定して4年しかたってないから、まだだいじょうぶだろう」というアドバイスがあり、再審請求を見送った。そこを狙われた。
確定して4年しかたっていない人になぜ飛び火したかといえば、その前の7月末の大森死刑囚の再審請求があった。
今回の執行に典型的にあらわれているように、ひとりの死刑確定者を救うと、必ず他の人に飛び火する。それは、ひとりの人を救ってはいけないというのではもちろんなくて、ひとりを救うと同時に、他にもうひとつ何かをしなくてはならないということ。
法務省に対して単にプレッシャーをかけるだけでは死刑は止められない。執行をやめさせることに、これまで以上に力を注いでいかなければ。死刑廃止議員連盟をバックアップして、なんとしても法律をつくって死刑執行を止めないといけない。
寺中誠アムネスティ・インターナショナル日本事務局長

7月、国会閉会間際に、アムネスティやフォーラムその他さまざまな団体が執行するなという抗議行動を行なった。このときに、おそらく執行命令書はどこかの段階まで届いていて、それが、「知られた」ということによって止められたのだと思う。
このようなことはこれまでに何度もあったのではないかという感じを持っている。この、「われわれは知っているぞ」というパフォーマンスそれ自体が死刑執行を止めることにはならないかもしれないが、少なくとも、「われわれは知っているぞ」というメッセージを出すことによって、政府のほうがやりにくくなっている状態がこれまで作られてきた。
だから、今度はタイミングをずらす、あるいはケースをずらす方向に進むかもしれない。どこにつながって行くかはわからないが、これほどまでに執拗に政府が死刑の執行にこだわるのはなんであろうか、ということをわれわれとしては考えざるを得ない。というのは、日本政府がここまで国際基準とか国際的な流れに対して真っ向から反対しているのはあまり例がない。代用監獄などの例に見られるように、国際的な批判を受けて、なんとかかんとかごまかしていくという手段は何度もとっているが、死刑の問題に関しては一貫して、正面から、国際的な勧告を受け入れない、という態度を表明している。
1998年に自由権規約委員会が開かれ、日本の死刑に対しては、少なくとも適用犯罪を減らすことと情報開示が言われたが、それに対して開示はしなかったし、適用犯罪についても、実際には殺人罪以外には行なわれていないのだから、ということで減少は行なわれていない。勧告をまるで無視している。これは非常に特殊な状況である。
というのは、この自由権規約委員会の勧告は、一機関が突出して行なってきた勧告ではなく、国連の人権委員会というまた別の機関も指摘しているし、欧州評議会も執行があるたびに抗議の声明を出すようになってくれている。
(→欧州評議会議員総会のピーター・シーダー議長による声明)また、欧州議会からも抗議の声が出る、というように連動が進んでいる。韓国では死刑廃止のための法案が提出され、まじめに審議されようとしている。台湾では現実に死刑が廃止されようとしている。そういうさまざまな流れがある中で、日本政府はなぜか、「死刑は国内の問題である」という態度を崩そうとしない。
そしてそれは、日本がこれまでさまざまな国際的な舞台で行なってきた声明とは相反する立場である。それなりに関係のいい中国に対しても、日本は、「人権の問題は一国の問題ではない」と表明してきている。現実に、現代のようなグローバル化の中にあっては一国のみで法制度が完結することはあり得ないのであって、日本政府もそのことをずっと言い続けてきている。
その論理からはどう考えても、死刑廃止を国内問題であると言い切って突っぱねる、その論理的整合性が見えない。そこにはやはり何かがある、と思わざるを得ない。何があるのかをわかっていくためにも、日本政府には情報公開を請求していかなければいけないだろう。
これまでのアムネスティやフォーラムなどの活動は、大きく分けるとふたつの焦点がある。
ひとつは情報の開示。死刑執行の情報を事前に開示する、それによって反対行動が起こせるようにする。それは政府が一番嫌がっていることだということをわかった上で、それを要求し続ける。なぜならそれがフェアだから。死刑の執行というのは生命を奪う行為なのだから、それに対して最後の抵抗はいろいろなかたちで認められなくてはいけない。国際的にも、これほどまでに秘密主義で覆われた死刑執行はない。
第二に、今回の欧州評議会や欧州議会、その他の国ぐにからの抗議が示すように、国際的な圧力を高めること。日本には死刑問題がある、そしてそれが非常に特殊なものである、ということを国際的にわかってもらう。
いま、死刑執行がシステマティックに行なわれている。1度に2人以上、また、どういう人を執行するか、それが綿密に計算され、狙われた人が執行される。それから、タイミングを計る。今回で言えば、日本弁護士連合会が、ちょうどその週、自由権規約委員会のシャネ委員を招いていた。
自由権規約委員会の委員が来ている、そのさなかに、自由権規約委員会の勧告を無視して死刑を執行するという態度に出ていることからして、日本政府が何を国際社会に向かって情報として発信したいのかが見えてくる。
日本政府が外交の手段として死刑執行を利用している点、これは、一種、生命をもてあそぶ政治であると言わざるを得ない。われわれとしてはそれに対して強い不快感を表すと同時に、今後とも、死刑の執行に対してつねに目が向けられている状態を維持して行こうと思っている。
稲垣容子氏(フォーラム90)

田本(春田)死刑囚は、1987年、21歳のとき仲間3人と事件を起こした。
父親が資産家である元同級生Uさんを誘拐し、殺害。
裁判では田本死刑囚が犯行を指示したと主張する他の3人と、そのような指示はしていないとする田本死刑囚が対立。
田本死刑囚が主犯、という捜査段階でつくられたシナリオに基づいた共犯の供述にしたがって、死刑判決が下された。
他の3人はそれぞれ無期、20年、18年の懲役判決だった。なぜ彼が死刑になったのかといえば、彼が地元のヤクザの息子であり、「不良」だったから。
96年には、収容されていた福岡拘置所の独房の鉄格子をのこぎりで切断し脱走しようとした。彼が拘置所内の見取り図や現金などを持っていたことから看守が関与していたことがわかり、看守は逃走援助未遂容疑で逮捕された。
この脱獄未遂事件の動機について、彼は、「本件殺人の直前、東京の暴力団からの指示があって、共犯者がこの指示を受けて実行した」ということを証言してくれる人の住所がわかり、そのために脱獄しようとしたのだと述べた。
彼は「麦の会」(獄中の死刑囚を正会員とし、獄外の協力会員とともに死刑廃止をめざす会)の正会員になり、死刑囚による死刑廃止運動を闘っていた。
彼が発案して、正会員同士の獄中交流誌『小春日和』をつくった。みんなのことを気にかけ、がんばっていたと思う。私はその『小春日和』を発行する手伝いをしていた。
彼とは89年11月に会った。
彼が精神鑑定のために病院に入院していたときだったので、拘置所での面会とは違い、看守のいないところで、差し入れたものを自由に食べられるなかで、一時の時間を過ごした。
今回、執行があったことを知ったとき、彼と握手した右手がさっと冷えた。
一緒に話をした人が国によって殺され、遺体にさえも会えないということに憤りを覚えている。
こんな場で話すようなことを誰もしなくてもいいように、国に死刑の執行をさせないために、何をしていったらいいのか、みなさんとともに考えたい。
大島令子衆議院議員(死刑廃止を推進する議員連盟)

韓国の死刑廃止法案について。
日本では法案は国会会期中に審議されないと、継続または廃案となってしまうが、韓国では任期中に審議されればいい。死刑廃止法案は2004年の4月までに審議すればいいということ。
死刑廃止議員連盟の亀井会長と保坂事務局長の了解を得て、ひとりで、韓国の法案を出した議員に会いに行ってきた。そこで、ぜひ日本と韓国の国会議員同士によるミーティングを持ってほしいと持ちかけ、11月5日(火)、ソウルで国会議員の意見交換会をすることになった。
今回処刑のあった9月18日は、やはり国会の閉会中だった。その日、私は東電の原発のデータ隠しの件で東京に来ており、4時半に、金田誠一議員、木島日出夫議員、保坂展人議員、山花郁夫議員とともに、法務大臣に抗議の面談に行った。
その前の週、9月14日に森山法務大臣に会ったとき、ふだんなら国会議員同士、会釈を交わすのに、このときは私のほうをちらっと見て厳しい顔で通り過ぎた。
いつも会うたびに「執行しないでください」と言っているので疎まれているのかな、と心が痛んだが、あとから考えると、あの厳しい顔は、執行命令書への署名を迫られていた表情だったのではないかと思った。
18日の面談ではそのことについても聞いてみたのだが、「挨拶をしなかったのは、それはそれは失礼しました」と言うだけだった。
執行されたうちの1人は36歳という若さだったこと、在任中に2回執行をしたことについて抗議をしたが、それに対しては「在任期間が長ければそういうこともある」、「法に従う仕事をするべく決められている」。そしてあとは、「個別のことには答えられない」、「法務省の最高責任者としてすべて私の責任でやっている」と、本当に会話にならない会話を交わした。
執行があるたびに法務省の最上階に抗議にいくことがセレモニーのようになってしまっていることに議員連盟として無力感を感じている。
翌日、名古屋拘置所に抗議に行った。フォーラムinなごやのメンバーと一緒に行ったのだが、私と秘書しか入れてもらえなかった。
昨年の長谷川死刑囚の処刑に関して、前任の亀岡所長と今年1月15日に面会したときには、処刑をしたことも認めたし、処刑後、「心臓が停止して処刑が完了した」ということを書類にすることも話してくれた。また、「僕だって人間ですからお参りしますよ」とも言ってくれた。処遇についての質問にも答えてくれ、40〜50分かけてそれなりの対応はしてくださった。
今回、後任の吉田所長と面談したが、対応があまりにもひどかった。まず、死刑の執行があったということを認めない。話にならないので抗議文を渡して出ようとしたが、受け取らない。「では置いていきます」と言うと、「シュレッダーにかけるだけですよ」と言われた。こんな状態で、拘置所の中でいったい何が起きているのか、私はとても心配になった。
社民党では、北川れん子議員が、大阪のグループと一緒に大阪拘置所に申し入れをした。
このように、せっかく国民の代表として送り出していただいているわけだから、せめてできる範囲から行動していきたいと思っている。
ただ、私たちの行動が裏目に出るのか、死刑廃止に向かっていくのか、皆目わからないのが残念でしかたない。
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以上4名の発言に続いて、
統一獄中者組合、
監獄人権センター(CPR)、狼再審研究会、争議団連絡会議、
東京拘置所のそばで死刑について考える会(そばの会)から、今回の死刑執行に関するアピールおよび各団体の現在の活動状況についての報告を受け、終了した。