2003年9月12日の死刑執行に抗議する集会 報告


9月12日、大阪拘置所で向井伸二さんが死刑を執行された。
これに対する抗議集会が東京の早稲田奉仕園において9月22日午後7時から行われた。

当日の報告者の発言の中から、処刑された向井伸二さんについての国分葉子氏(死刑廃止の会)の話、この間の死刑をめぐる状況についての安田好弘弁護士(フォーラム90)からの報告、死刑をめぐる世界情勢、特にアジアの情勢についての寺中誠(アムネスティ・インターナショナル日本事務局長)の報告を以下に収録する。

主催は、死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90とアムネスティ・インターナショナル日本。

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末廣哲氏(司会=フォーラム90)

9月12日に突如大阪拘置所で向井伸二さんが死刑を執行されました。
死刑執行としてはほぼ一年ぶり、森山法務大臣になってから3回目、毎度のことですが異常な執行というふうに思います。今回の執行の問題点については後ほど安田弁護士のほうからお話をいただくことになっています。最初は死刑廃止の会の国分葉子さんから向井さんのことについてお話しいただきたいと思います。



国分葉子氏(死刑廃止の会)

向井伸二さんは、1961年7月に九州で生まれて埼玉で育ちました。経済的にはどん底でドメスティックバイオレンスが吹き荒れていた家庭だったようです。

小学校の時にお母さんが家を出て行ってしまい、幼い弟さんとともにお父さんのところに残されました。この頃から万引きや窃盗が始まって、中学生になった頃から暴走族の仲間に入って、シンナー吸引とかバイクで走り回りとかを繰り返していたようです。

高校1年のときに窃盗で逮捕されて退学になった翌日、バイクで暴走していて転倒事故を起こしました。頭部を強打して記憶障害が現れたり、視力や聴力が低下するなど後遺症が残ったようです。事故から1ヶ月以上前のことが思い出せなかったといった症状があったとのことですので、現在でしたら知能障害と診断されて普通の日常生活に復帰するのにもさまざまなリハビリが必要とされていたかもしれません。その後は1〜2ヶ月ごとにさまざまな職業を転々としていたようです。

17歳のときにトビ職をしていたお父さんが仕事中に転落して事故死、弟さんとともに神奈川県に新しい家庭を築いていたお母さんのもとに引っ越しました。しかしなじめずに、家出をしたりまた家に戻ったりを繰り返すといった状態で、少年刑務所にも何度も入っています。

24歳の時に姫路少年刑務所を出所しました。このときの所持金が1万4千円であったと聞いております。

お母さんに帰宅を拒否されて、その夜は姫路のビジネスホテルに一泊し、翌日は野宿をして、姫路市で昼間民家に押し入って、そこの女性と3歳の息子さんを殺して4万数千円を奪いました。その4日後に神戸市のアパートで34歳の主婦を殺して現金を物色したのですが見つからず、逃走してその夜派出所に自首したとされています。

このとき「もう娑婆で生きていくのはしんどい、刑務所で骨をうずめたい、早く死刑にしてくれ」と言い、また、第1回の公判のときにも「早く死刑にしてくれ、生きていくのはしんどい」というようなことを言っていたといいます。

この頃関西で死刑廃止運動をしている向井武子さんに出会いました。向井さんはこの子はやっぱり生きているという確かな場所が必要だ、暖かい家庭が必要だと思い、共に生きていくという決意をして、お連れ合いと3人のお子さんと相談し、その支えの上で養子に迎えました。

88年2月に神戸地裁で判決があり、死刑でした。この内容は、不幸な家庭環境や犯行後の自首、向井夫婦に出会ってからの反省がみられるようになったことなどの変化、両親が遺族の元を訪ねて謝罪していることをくんでも、事件の重大さや凶悪性に照らすと、生命を以って償う他ないというものでした。

一審の精神鑑定は、情性欠如、意志薄弱の傾向の見られる人格障害という紋切り型のものでした。頭部の外傷の件がありましたから、もう一度精神鑑定をして責任能力を争いたいと控訴しました。90年の10月に控訴が棄却され、96年の12月に上告棄却されます。

2001年の11月に恩赦を出願しました。年が明けて森山法務大臣に直接会って助命嘆願をしたいと、議員連盟のメンバーの方を通して交渉したのですが、法務大臣はその職責として死刑囚一人一人の家族に会う必要は認めないという答えで拒否されました。

2002年7月に社民党の大島令子議員が、私が預かっていた助命嘆願書を、但木事務次官に直接手渡してくださいました。向井さんご夫妻と向井さんの呼びかけに応えて集まった一人一人の思いを綴った嘆願書が数十通あったと思います。事務次官は必ず森山大臣に渡すと約束してくれたとのことでした。

再審準備については、一審の鑑定ではレントゲン写真しかないのですが、思考・意思・想像力などを司る大脳の前頭葉に大きな傷痕が認められ、この頃にはすでに、被害者が2人から4人ぐらいのケースでこういった大脳の傷痕によって責任能力を完全に認めるのは難しいというケースが何件か出ていたこともあり、新しい鑑定を求めて再審請求をしようと向井さんが頑張っていました。

長い拘禁生活の影響や大脳を傷つけていることもあるのか、伸二さんの感情の起伏が激しく情緒不安定なところがあったようです。悔悟を深めて生きて償いたいと言ったり、またしばらくすると早く死んだほうが楽になると言ったりしているのを、向井さんご夫妻は一生懸命に支えているといった状況でもありました。

今年の7月、向井さんから、再審に必要な鑑定書がまもなくできあがるという弾んだ声の電話がかかってきました。知人を介して頭脳研究の最前線の臨床現場にいらっしゃる方に頼んだりしてもらったのですが、CTスキャンやMRIの検査はもちろんできませんし、鑑定人すらも本人に面会できないということで、色よい返事がもらえずにずっといましたので、本当に良かったねと喜んだのです。ところが、9月12日に突然死刑が執行され本当に驚きました。

向井さんは拘置所に駆けつけたのですが、そこで、これは初めてのケースだと思うのですが、森山法務大臣の手紙を見せられたそうです。たった一言というか、ご愁傷様ですというような内容だったそうです。

向井さんに今日の集まりに出ていただきたいとお願いしましたが、強い憤りと深い悲しみで、今はこういう集まりには出られない状態でした。

最後に向井さんが「なぜ、いま殺されなければならなかったのでしょうか」とおっしゃいました。この思いをここにいる皆さんと共有して、これから私たち一人一人、何ができるのかを考えていきたいと思います。



司会
私たちも、「本日死刑が一名執行されました」というファクスを一枚受け取るだけで、いったい誰が執行されたのか、というのは相変わらず法務省は発表しないわけです。
いま国分さんにお話しいただいたような生い立ちとか、その後生きていった向井さんという生身の人間が死刑の対象になったということがよくわかったと思いますし、そういうことを心に留めて死刑の廃止について考えていきたいと思います。
この間の死刑廃止、死刑をめぐる状況について死刑廃止フォーラムの安田さんからお話いただきたいと思います。



安田好弘弁護士(フォーラム90)

9月12日、12時少し前の段階でマスコミから私どもに一斉に電話が入ってきました。最初の電話は「今日法務省が死刑を執行したようであるけれども…」というものでした。

それからわずか1〜2分して法務省がペーパーを出した。

「本日(9月12日)死刑確定者1名に対して死刑の執行をしました」

誰宛でもない誰の発信でもないこのペーパーが法務省記者会に持ち込まれる。マスコミはこの一人というのは誰かということで、いわゆる探し当て競争をやった。30分ぐらいして、大阪の向井さんだというのが特定され、それでマスコミの動きは完全に止まってしまいました。

法務省はこれを発表することによってマスコミの取材合戦を抑えると同時に、一度だけの報道で終わらせてしまう、ということです。法務省の思惑通り成功したわけです。

今回の執行は、死刑執行が再開されて後16回目です。今回の執行で再開後44人の人が執行されたことになります。

しかし今年の死刑執行については向井さんの処刑だけではなく、それまでに獄中死刑確定者2名の方が病気で死亡している。このことを考えると、死刑確定者は3名獄中で命を奪われたというふうに見ていくべきだろうと思います。

当日午後3時20分に保坂・山花議員連盟議員が、但木事務次官と面談して抗議文を手渡しました。
但木事務次官は、かつて私どもが法務省との間でいわゆる死刑に関する懇談会というのをやっていたとき刑事局の総務課長として出てきた人で、死刑を執行するのは当然であるという、議論の余地のないような意思表示をしたのをよく覚えています。

5時30分から、司法記者クラブで議員連盟、アムネスティ、フォーラム90の国分さんらが抗議の記者会見をしました。東京では議員連盟、アムネスティ、フォーラムから抗議声明が出ました。大阪でも抗議声明が出され、大阪拘置所に対しては直接抗議行動もなされています。名古屋でも抗議声明が出されています。日弁連、弁護士会も抗議声明を出し、直接法務省へ出かけていって担当者に渡すということをしました。

新聞の報道には、死刑執行停止法案を出そうとしているときの執行なので論議を呼ぶだろうと書いてありますが、残念ながら論議を呼ばないのが今の状況です。

そして今日、新しい法務大臣が就任する。少なくとも総理官邸の記者会見では死刑に関する質問は出なかったようです。この後法務省での記者会見などのときに、死刑に関する質問があることを期待する限りです。

私は向井さんの件では、第一回の恩赦出願のときに相談を受けました。恩赦の出願をしたいのだけれど本人がこれを是としない。
これはたいへん難しい問題です。恩赦法・恩赦施行法の中では本人による恩赦しか予定していない。家族とか近親者が本人のためを思って恩赦の出願をすることを予定していないわけです。第一次恩赦のときに本人は当初恩赦をやりたくないという気持ちをどう乗り越えるかという問題があった。しかしその後、向井さん本人が願い出るということで申し立てることができました。

ここで考えなければいけないのは、なぜ今回執行されてしまったのか、なぜこの時期なのかということです。また、なぜ今回は向井さん一人にとどまったのかということも考えなければいけない。

今日から逆算していけばよくわかることなのですが、今日新しい法務大臣が誕生したわけですから、この法務大臣に執行させることは当分できない。法務省は刑事裁判記録を慎重にも慎重に検討したうえで、法務大臣に執行名簿を出すと言っているわけですから、就任早々に執行命令は出せない。この後総選挙があります。総選挙になれば、国会議員が入れ替わるわけで、総理大臣の指名、内閣の組閣があります。ということは今をおいては死刑の執行ができないということになるわけです。とりわけ7月まで国会をやっていたわけですから、国会をやっていない時期で、新法務大臣にならない、その上拘置所の職員が休暇明けで体制が整ってきた9月に入ったこの時期しかない。

今回も法務省は時期を読んで読んだ上で、彼らの思う最高のチャンスにやり遂げたのだろうと思います。逆に言えばそこから法務省の意図は読みとれるわけで、何としてでも死刑の執行をすると、死刑執行ゼロの年を作らないという強固な意志の表れですし、そのための12日の執行であったと感じております。

今回執行されたのはなぜ一人だったのか。大阪には死刑執行の危険にさらされている人が大勢いますが、向井さんの弁護人でもある大阪の中道弁護士に聞いた話では、向井さん以外の人たちは現在再審の申し立て中か、あるいは1〜2ヶ月前に恩赦の出願をしている。東京でも危ないといわれている人たちは再審請求が8月下旬の段階で申し立てられた。向井さん以外の人たちはガードが厳しく、向井さんはそうでなかったということになるわけです。

一人でとどまったもうひとつの理由は、冨山さん(注:「波崎事件」の冨山常喜死刑囚。無実を訴え続け、2003年9月3日東京拘置所で獄中死)たちお二人が獄中で病死したということもあったと思います。

昨年から摘発されている名古屋刑務所の暴行事件があり、死刑執行停止法案が上程されるのではないかという期待もあった。もし今回森山法務大臣が執行すれば戦後初めての3回目の執行となり、いかに森山法務大臣といえどもこれは避けるのではないか……こういう楽観的な見方がかなりありました。

しかし冷静に考えますと、先程申し上げた通り法務省はしっかりと日にちを読んできた。この間の日にちの流れを見直していきますと気づくことがあります。死刑執行停止法案が法務省の法務部会で議論された際、元検察官の佐々木参議員、元法務大臣の保岡・臼井衆議員が法案に反対の意見を述べて、事実上この法務部会で死刑執行停止法案が承認されるのを阻止して休会に終わらせてしまった。亀井静香氏に殉ずるのではないかと言われていたこともありましたが、今回の執行からもう一度見通してみると、法務省はこの法案をつぶした。つぶした上で時期をみて執行をした、と考えたほうがいいのではないか。

また、それ以上に厳しい状況になってくるのは、民主党が今回の総選挙に向けて、死刑を存置したまま終身刑の導入を、いわゆる重罰化を進めようとしているわけです。民主党が重罰化政策をいえば、自民党は当然それよりも更に強固な重罰化政策を出してくる。今日の新法務大臣の発言をみましても、日本が世界で一番安全な国であることを取り戻すための政策をしなければならない、と言っているわけで、法務省の強固な巻き返しと考えていいと思います。

向井さんの弁護人である大阪の中道弁護士によれば、向井さんは中道さんからの再審の申立書を待ち続け、そのために恩赦の出願書を出さず、または破り捨て、執行されてしまったのではないかとのこと。それで中道さんはいま立ち直れないほど落ち込んでいると、今日のこの集会にあてた手紙に書いてきています。確かに中道弁護士が例えば9月以前の段階で再審の申立てをすれば、向井さんの執行が止まっていた可能性は否定できない。

ここで、ぜひ皆さんに考えていただきたいのは、こういう個人個人の努力も必要に違いありません。しかし、個人個人の努力だけでは死刑は止めることはできない、ということ、これは前々からわたしは訴えてきました。一人を守れば、必ず他の人が殺される。一人の限りない努力の中には限界がある。一人が緊張を持ち続けながら法務省と対峙することには限界があります。このことをもう一度皆さんに訴えたい。どうすればみんなの力を合わせて、こういった個人的な部分を超えてもう少し、力を尽くしていくことができるのかを考えていきたいと思います。

但木事務次官は、恩赦や再審には配慮していくが、恩赦あるいは再審の申立てが通る可能性がないものについては、執行をするだろうと発言しています。今まで、恩赦の出願や再審の請求をすることで執行を止めようとやってきたことに対して、彼らは歯止めをはずそうとしている。そういう状況まできているということを、もう一度私たちは再認識する必要があるだろうと思います。


司会
この間の世界的動向についてアムネスティの寺中さんからお話しいただきたいと思います。


寺中誠(アムネスティ・インターナショナル日本 事務局長)

これまで森山法相は回数にして3度、人数にしてかなりの数の処刑をしてきたことになるわけですが、この間森山法相は刑務所の改革問題などに手をつけているところでした。監獄法の改正、行刑改革などが論議される場合、死刑問題は避けて通れないはずです。

こういった大きな問題を抱えた中で、アリバイ作りのように森山法相として最後の執行をおこなったことに対して、我々は深い憤りと同時に、止められなかった後悔を感じています。

向井さんが処刑される1ヶ月以上前から、執行があるのではないかと動静を見張っていました。森山大臣が海外渡航している間はおそらく執行はないだろうとかということも見ながら動向を見守っていました。しかし残念ながら内閣改造がなされ、国会が解散されるであろう、国会閉会中であるというこの時期を選んで執行を行ったわけです。これは酷いことだということで、私たちとしては国際的な動きも同時に行なおうと、処刑のあった9月12日夜には世界へ向けて今回の執行の抗議声明を出しました。

現在考えていることは、これのフォローアップです。

アムネスティは、メディカルアクションを起こそうと考えています。向井さんは精神的に不安定であったことが明らかになっています。このような状態の死刑囚を処刑することに対して、医学関係の専門の方々を巻き込むかたちでの活動のための準備をいま始めています。

向井さんのように精神的に不安定であった人を処刑し、また但木事務次官は、一般論だと前置きしていますが、恩赦や再審の請求があったとしてもそれが通らないとわかっているときは執行する場合があるのだと言明している。法務省がそういう態度に傾いている状況で、メディカルアクションという、少なくとも現在までの死刑廃止運動よりも広がった層を巻き込んでの活動を考えています。

米国では、精神的に数多くの問題を抱えている人に対しての死刑は違憲であると出ています。また、サンフランシスコ管内では陪審の評決によらない死刑判決は違法で執行できないと、100人余りの死刑囚が減刑される。イリノイ州のライアン知事による減刑もあった。このように、あの問題の多い米国ですらそういうとこから、一種の突破口となってだんだん状況が変わりつつあるわけです。こういったあたりを、日本の中でも考えていく必要があるだろうと思います。

先ほど安田さんもおっしゃいましたが、個々のケースだけでの努力では死刑はなくならない。いろいろの形で制度的になくしていかなければいけません。制度的になくすためには一つはこういった内部からの動きでしょうし、もう一つは外圧だといわざるを得ない。

日本は外圧がもっと必要なのだろうし、外圧を外圧と考えるのではなく、国際的な世論がそういうことを要求しているのだという意識を持つことができれば、状況は何らかの形で変わっていく可能性がある。

今回の執行は一人であったのですが、先ほど言ったアリバイ作りのために一人でも執行しようとしたと推定させる部分もありますが、もう一つは一人の執行にとどまざるを得なかったと見ることも可能です。実際はどうだったのかは、これから我々が解答を出していくしかないだろうと思います。

メディカルアクションのことを申し上げましたが、他方では死刑廃止を求める宗教者のネットワークというのも立ち上がっています。
西欧諸国では殆どの国が死刑を廃止し、宗教者の方々は死刑廃止に対して強い思いを持っています。日本の中でも強く死刑廃止を願っている宗教家の人々はいますが、まだ一部にとどまっている。したがって宗教者の人々の意識を変えていくということも、国際的なネットワークの中で考えていく糸口だと思います。

韓国では死刑廃止の動きが進んでいますし、台湾でも今、廃止に向かって少しずつ動いています。最近の新たな情報はタイからです。

タイ国では今まで死刑執行を銃殺刑等で行なっていたのですが、これを薬物注射による死刑執行の方法に変える法律を通しました。この件でいろいろ議論をしている中で、死刑はもういらないというのが出てきた。タイは仏教国で日本と重なるとこも多い国ですが、国立の法律専門の人がそういうこと言っている状況がでてきている。

タイではバンコクだけで日本の約10倍の500人ぐらいの死刑囚がいます。全国的にはもっと多いと思います。そういうところで死刑廃止というのがまじめに語られるようになったのは大きいと思います。

こういった中で、アジアの中での死刑廃止という流れを作り出すのも可能であろうと思います。その中に日本が入っていないというのは、廃止をやっている者にとっては恥辱というものになります。我々としては、制度としての死刑をなくすという方向に、アジア諸国の流れを汲んできちんと入っていきたいと思います。

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※向井伸二さんの執行までの経緯(中道武美弁護士による)
1996.12.27最高裁、上告棄却
2001.11第1次恩赦請求(向井武子氏から拘置所長を通じて恩赦請求を説得。伸二氏署名、差し入れた恩赦請求を提出)
2003.03恩赦不相当の口頭通告
2003.07.22第2次恩赦請求出願、大阪拘置所へ差し入れ
2003.07.27大阪拘置所で接見「長く生きすぎた。疲れた。執行されて償いたい。恩赦出願書は破って捨てた」
……少年時オートバイ事故による頭部外傷→脳波異常→一審鑑定書の不備を示す「新鑑定書」(新規明白証拠)完成
向井武子氏から拘置所長を説得してもらった、再審・恩赦をする意思あり
2003.08.26恩赦出願書(+戸籍謄本)再度、大阪拘置所差し入れ→即時提出指示再審請求を完成するまでの数週間のつなぎとして)
2003.09.08死刑執行指揮書 大臣署名
2003.09.12午前中 処刑


(2003.10.5 up)


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