「死刑執行に終止符を! 死刑廃止を願う市民集会」 報告


2003年11月24日(月)「死刑執行に終止符を! 死刑廃止を願う市民集会」が、東 京・九段下の千代田公会堂で開催された。(主催:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90、アムネスティ・インターナショナル日本)

同時に会場では死刑囚による作品を集めた“いのちの絵画展”も行なわれ、当日の参加者は約400名だった。



プログラムは下記のとおりである。総合司会はエッセイストの朴慶南氏。
開会のことば菊田幸一(明治大学教授)
リレートーク保坂展人(死刑廃止を推進する議員連盟前事務局長)
童銅啓純(いのちの絵画展・真言宗住職)
生田暉雄(弁護士・「後藤田訴訟」原告)
松田 一(宗教法人大本・生命倫理問題対策事務局長)
篠原道夫(波崎事件対策連絡会議)
山崎博之(「Tシャツ訴訟」原告)
原田正治(犯罪被害者家族)
向井武子(9月12日に死刑執行をされた向井伸二さんの養母)
免田 栄・赤堀政夫(元冤罪死刑囚)
 ―聞き手・島谷直子
ジャズ演奏 坂田明トリオ
スライド&解説 死刑はどのように執行されるのか
対 談森 達也(映画監督・作家)、坂上 香(映像ジャーナリスト)
コーラスTHE BELLS
アジアから死刑廃止を!挨拶  李 相赫(韓国死刑廃止運動協議会会長)
タイ スリラック・プリパット(アムネスティ・インターナショナル タイ事務局長)
台湾 寥 福特(台湾総統府人権委員会理事)
韓国 李 永雨(韓国カトリック教会・神父)
 ―聞き手・石川 顕(フォーラム90)
閉会の言葉安田好弘(弁護士)
                                 (以上、敬称略)


以下に出席者の発言要旨を報告する。
■菊田幸一氏(明治大学教授)  
本来、この集会は「死刑廃止を推進する議員連盟」が国会に提出した死刑執行停止 法案を、市民が大いに後押ししようということで、企画されたものでした。

残念なが ら法案は今年の提出は見送られました。確かに法案は提出されませんでしたが、否決 されたわけでも廃案になったわけでもありません。

この集会は、来年以降に向けた運 動にとってまことに時機を得たものであると思います。

平和、死刑廃止というテーマ は超党派の問題です。今回の衆議員選挙では、死刑廃止議員連盟の方が何人か落選さ れましたが、新しい議員の方が多く当選しました。この議員の方々にもアンケートを 取る作業などを通して、死刑執行停止法案を確実にしていくことが必要です。

今日の集会は、死刑廃止に向けてという大きなスローガンの下に、さまざまな異見 を超えて大同団結してやっていくのだ、ということだと思います。  


■保坂展人氏(死刑廃止を推進する議員連盟前事務局長)  
一昨年2001年の9月、韓国での死刑廃止法案の国会上程を受ける形で、日本にもぜ ひ死刑廃止に向けた法案を提出しようということでいろいろと活動をしてきました。 そして今年に入って、死刑廃止議連を中心にして法案を整備してきました。

「死刑制度調査会設置法案」の内容は、死刑の存廃を含めて国会の中に調査会を設置する、その間は死刑の執行を停止する、死刑と無期懲役刑の間に重無期刑を導入するという3 本立てになっています。

法案ができたので各党での審議が始まり、民主党・社民党・ 共産党はOK、公明党も内容は賛成でした。しかし、最大与党・自民党の中での審議が つかないという理由で提出できませんでした。

衆議院解散時の死刑廃止議員連盟のメンバーは122人でしたが、新しい衆院から何人 が参加してくれるかは今のところわかりません。当選された議員連盟の方も多数い らっしゃいますので、その方たちと相談して再出発できればいいと思います。

また、私は袴田巌さんと面会することができ、残念ながら亡くなられた波崎事件の 富山さんとも東京拘置所の集中治療室の中で専門医と一緒に会えました。封鎖されて きた監獄の中の情報が、今年はほんの少しではありますが、開いて漏れ出させること ができたと思います。これらの情報を吟味して、国際的にも連携して監視していく活 動を、国会の外でも続けていきたいと思います。  


■童銅啓純氏(いのちの絵画展主宰・真言宗住職)  
「いのちの絵画展」とは、死刑囚による公募展です。1996年未決の死刑囚、判決が 確定した死刑囚、死刑廃止を願う多くの仲間に呼びかけることから始まりました。獄 中で絵を描いている、死刑廃止の機関紙に絵を投稿している、支援者に絵を送り続け ている、そんな絵を集めて展覧会を開催しました。

絵画は人に愛され間口も広く、主 催者しだいで絵の好きな人は来てくれます。人格の表現ともなり得る絵画を見ること は、その制作者と出会うことです。絵を通して死刑囚と出会う。死刑の実態の1ペー ジに触れ、とかく偏ってイメージされていること以外のものが伝わっていくだろうと 思ったわけです。

多くの人に支えられて今までさまざまな場所で開いてきました。これまでの出品者 数は23名、作品数は350点余り、そのうちの157点を額装して、国内が55カ所、国外は 9カ所で開催され、今までの総入場者数は6万人となっています。

一枚一枚の絵の中には死刑があり、殺人があったから生まれたわけです。もちろん 被害者遺族、関係者の方にはいたたまれないと思います。しかし本当にこれでいいの か、この人間社会の中に死刑を持続することがいいのかという根幹から問い続けてく るこの作品群を、私は一人でも多くの人たちに見てもらいたいのです。

死刑の実態を如実に表すこの絵画を、国会議員の人たちに肌で感じてもらうために国 会議事堂での開催を、そして世界に訴えるためにも国連での開催を考えています。  


■生田暉雄氏(弁護士/元裁判官 ・「後藤田訴訟」原告)  
2003年の死刑廃止デーである10月10日に、四国フォーラムを中心とした原告団30名 は、後藤田正晴元法相を被告として「法務大臣の死刑執行命令は違法」という主張と、その 著書『情と理』の不正部分削除を求める第3次の訴訟を起こしました。

1989年11月10日以来3年4カ月にわたって日本の死刑は事実上停止されていました。 しかし、1993年3月26日後藤田正晴によって死刑執行が再開されました。後藤田は5年 後に発刊したその著書の中で死刑再開の理由を述べています。

「法務大臣には死刑執 行命令書に判を押す義務があるのだ」というのが一つ。もう一つは世論調査によると いうものです。「政府の行なった世論調査では70%が死刑に賛成である。これは当た り前であるから、市民が行なった世論調査を参考にしなければいけない」ということ で四国フォーラムが四国4県の県庁所在地で行なったアンケートを逆に引用するので す。

我々のアンケートでは、死刑が必要というのは35%、不必要が39%でした。とこ ろが後藤田は、必要、不必要、というのを逆に引用して「一般市民によるアンケート 調査でも死刑は必要なのだという結果がでている」と意図的に逆転させたのです。

そ れに対して、第1次、第2次訴訟を後藤田と出版元の講談社を相手に起こしました。結 果はいずれも後藤田の引用は間違っているという実質的な勝訴ではあったのですが、 損害賠償にはあたらないということで形式的には負けました。

今回の第3次訴訟では、「法務大臣には死刑執行の命令義務はないのだ」というの を訴えています。かなり難しいものとなりますので、ここでは詳しくは申せません が、刑事訴訟法の中のいくつかの項目と、国際的な死刑廃止条約等の流れとを総合し て理論付けています。  


■松田 一氏(宗教法人大本・生命倫理問題対策事務局長)  
大本では、生命の尊厳という立場から脳死臓器移植に反対し、クローン問題等への 取り組みをしてきました。死刑問題に関しては、今年になって生命倫理対策会議とい う教団の組織が中心となってこれを考えようということになりました。生命の尊厳と いう点から、死刑とはいかがなものかということを教団として取り組むことになった のです。

大本の教祖、出口王仁三郎が昭和5年に死刑に言及している文書があります。そこで は「死刑を廃止することは非常に結構なことである。元来、刑法の目的は決して復讐 的であってはならない」というようなことを述べており、これが教団にとって、この 問題についての大きな根拠となっています。今年の6月に亀井静香・死刑廃止議員連 盟会長に死刑廃止に賛同する教団見解をお渡しし、122名の議員連盟の方々にも送ら せていただきました。

大本は昭和10年に治安維持法による大きな弾圧を受け、3000人の信徒が検挙され、 獄中で冤罪のまま18名が亡くなるということを経験しております。死刑制度の最大の 欠陥は冤罪の悲劇であると考えて活動を始めたばかりです。宗教者にとって、この問 題を国民的な論議に広げていくことは使命であると思っています。また、不幸にも被 害に遭われた方々への救済をセットにする形で死刑廃止を進めてまいりたいと考えて おります。

  今年5月にイタリアのカトリックNGO、聖エジディオ共同体の提唱で『ともに命を考 える』という死刑廃止セミナーが東京・四谷で行なわれました。そして、ここに参加 した宗教者の方々で死刑廃止の宗教者ネットワークが立ち上がりました。来る11月29 日には第2回目を開催します。こういったところで勉強をさせてもらいながら、「人 は人を殺してはならない」ということ――死刑もそうです。戦争もそうです――生命 の尊厳ということを訴えていきたいと思います。  


■篠原道夫氏(波崎事件対策連絡会議)  
40年間獄中から無実を訴え続けてきた波崎事件の富山常吉死刑囚が、ついに力尽き 2003年9月3日(水)午前1時48分、東京拘置所で息を引き取りました。86歳でした。

波崎事件というのは、1963年に茨城県の波崎町というところで36歳の男性が急死 し、その時そばにいた奥さんが「夫は亡くなる前に富山常吉さんに薬を飲まされた」 と証言し、これに対して富山さんは「私は何も飲ませていない」と主張したのです が、警察・検察は偏見と予断のなか、まったく信じず、毒殺事件として扱い、無理や り保険金殺人の犯人とされたものです。保険金殺人といいながら裁判の過程で保険加 入を断っているという経過も出ています。

そもそも青酸化合物による毒殺と認定して いますが、最初に司法解剖した医師の「青酸化合物による鼻をつく臭いがしなかっ た」との発言や胃残留物から病死の疑い、その家の経済状況から自殺の可能性も充分 に考えられる事件でした。

1984年1月に第1次再審が却下、2000年3月に第2次再審が却下されました。第3次をや ろうとして準備をしていましたが、富山さんは体調を崩したため2000年秋ごろからは 車椅子の生活にならざるを得ませんでした。2000年3月の第2次再審棄却への異議申し 立てに対する結論が、3年以上引き延ばされたことは、“緩やかな死刑執行”と断じ ざるを得ません。

「死因」とされる慢性腎不全は、人工透析治療をしていれば考えられるものではあり ません。富山さんを人間として処していればまだまだ充分に長く生きられ、再審開始 を迎えられる可能性はあったのです。富山さんは、無実でありながら死刑判決を受け たばかりでなく、拘置所内でも人間として扱われず、人権軽視の医療、しかも間違っ た診断による治療によって、命を奪われたといって過言ではありません。私たちはこ のことに強く抗議します。  


■山崎博之氏(「Tシャツ訴訟」原告)  
1987年に大道寺将司さん、益永利明さんの死刑が確定する直前に、東京拘置所へ 行って2人を励まそうと、仲間と寄せ書きをしたTシャツを差し入れようとしました。 しかし、寄せ書きをしているということで、そのTシャツは差し入れできませんでし た。Tシャツが差し入れできなかったことや、2人を励ますために書いた手紙に抗議の ために行なったハンストの文字が抹消されていたことなどを不当として、福岡地裁に 裁判を起こしました。

私たちは弁護士抜きで本人訴訟をしています。東京拘置所の不当な扱いで、私たち の送る裁判用の書類さえ彼らの元へは届きません。法務省とそのことを交渉したので すが、先方は「全部は届かないでしょう」という信じられない対応でした。しかも、 裁判費用の現金でさえ差し入れを拒否されてきました。

10年間裁判を続けてきて判決が出ました。本人訴訟であるため負けると思っていまし た。しかしTシャツの部分では敗れましたが、「裁判費用のための現金差し入れを不 許可にするのは違法である」との判決を勝ち取ることができ、確定しています。現状 においては判決で勝った大道寺さんらへの現金差し入れは認められるようになってい ますが、他の死刑囚の人たちに関しては各拘置所や死刑囚によって対応がバラバラの ようです。

現在やっている2次の裁判では、主に訴訟書類の不許可の問題を争いながら、死刑 囚の裁判を受ける権利を考えています。11月21日には、2人の死刑囚に東京拘置所内 で異例の本人尋問が行なわれ、私たちは裁判所から呼び出し状をもらいました。しか し東京拘置所には入れませんでした。拘置所には刑務官がずらっと並び、門の外には 私服の警察官が大勢いたのです。私たちは中へ入って、彼らとの同席はできませんで した。

死刑囚の処遇は、人間を人間と見ないようなあまりにも酷いものです。そこに少し でも風穴を開けるためにも、この「Tシャツ訴訟」を続けて生きたいと思います。  


■原田正治氏(犯罪被害者家族)  
1983年に事件は起こりました。最初、私の弟は交通事故ということで処理されまし た。ところが1年3ヶ月ぐらい経った84年5月に、保険金殺人ということで犯人が3人逮 捕されました。

主犯とされている人が、2001年12月27日の午前に死刑執行をされました。私は執行 しないでほしいと法務省まで行ったのですが、願いむなしく執行されました。

その加 害者と私は4回面会をしました。未決のときに1度、93年9月21日に最高裁で死刑が確 定し、ふつうは確定した後に死刑囚とは親族と担当の弁護士以外は面会できないとい う状況のなか、私は94年以降3回面会を許可してもらいました。被害者救済の問題 と、死刑囚との面会の問題は、大きな問題であると考えています。

10月10日の世界死刑廃止デーへ向けての一つのイベントと位置づけて、10月11日の 名古屋をかわきりに西日本を中心にして、11都道府県17カ所19回の集会を持ってきま した。死刑囚との面会の重要さ、被害者救済の問題などを中心にして話させてもらっ てきました。被害者にも死刑囚と面会して話し合う権利はあるのだと強く思っていま す。中学校、高校、大学でも授業や集会を持ちました。今の若い人たちは素直で、い かに死刑制度のことを知らなかったかということを言っていました。少しでも理解い ただいて良かったな、という思いでおります。これから東京から東日本のほうにも機 会がありましたら回りたいと考えています。

2001年に主犯の加害者が死刑を執行されました。執行があってわれわれ被害者が満 足できるのか、喜べるのか、癒されるのか、ということを考えたときに、何一つ癒さ れるものはありませんでした。これは身をもって体験したことです。悪いことをした から死刑にしてしまえ、というのは違います。というのは執行されても、何も残らな い、誰も癒されない。これは被害者としての私の実感です。執行だけが解決の道では ない。解決の道は、面会することからはじまるのだと、私は思っています。  


■向井武子氏(2003年9月12日に死刑執行をされた向井伸二さんの養母)  
9月12日、大阪拘置所で向井伸二が処刑されました。当事者としては大変なことで す。

1986年最初に私が伸二さんに会ったとき、彼は死にたがっていました。しかし、そ の後18年間、伸二さんは生きることができました。

それは一審の裁判のときから、魂 と魂のぶつかり合いで交流してきたからです。死にたい人は、生きとし生ける者、誰 もいないと思います。

当初は、人間不信と生きることへの絶望だけが伸二さんを支配 していました。いろいろありましたが、18年間もテレビカメラが監視する独房で、苦 しみながらも彼は生き抜きました。

回復した伸二さんから生きる力を奪ったのは死刑 の確定です。ようやく取り戻した、生きる意志や被害者や遺族の人たちへの謝罪の気 持ち、人と人との交流、これらをすべて断ち切ったのは死刑という刑罰です。

なぜ私はこの苦しい個別の死刑囚との関わりをしているのか。報われることの少な い徒労に懸けようとするのか。それは、この社会で底辺に置かれ捨てられた人たちこ そ、伸二さんのような死刑囚であり、これらの人々が守られることなくして、私たち は生きられないと思うからです。

をともに歩み、ともに生き、ともに救われたいと願うか ら私は個別の死刑囚と関わっていきたいと思っています。ですから、法律改正は大切 なことであり、それとともに一人ひとりの死刑囚と生きることは、死刑廃止運動の 「車の両輪」のようなものなのです。

私は、伸二さんの生と死に関わったたくさんの人たちと一緒に、彼の死をどう生か すのかを考えてまいりたいと思います。  


■免田 栄氏・赤堀政夫氏(元冤罪死刑囚)  ― 聞き手・島谷直子氏  
  
免田栄さん:
1948年12月29日、熊本県人吉市で祈祷師一家が殺された。翌年1月、免田栄さんは逮捕され、自白を強要される。第3回公判から一貫して無実を主張する が1951年最高裁で死刑が確定した。1979年死刑事件として初めて再審が決定され、83 年7月に無罪判決を勝ち取って出獄した。

赤堀政夫さん:
1954年3月、静岡県島田市で幼女が誘拐され死体となって発見された。
75日後赤堀政夫さんが放浪先の岐阜で職務質問され別件逮捕、いったん釈放後本件で 逮捕され、拷問の末、アリバイの訴えも無視され自白させられた。1960年に最高裁で 死刑確定。1986年5月に再審決定、89年1月に再審無罪を勝ち取った。
  

島谷さんの質問にお二人はいろいろ答えられた。

免田栄さんは拘置所にいるとき、死刑執行された死刑囚を数多く見送った。そのうち の、かなりの数の死刑囚が、明らかに冤罪であると思われた。また、死刑制度がある 限り、自分たちのように冤罪で死刑囚にされてしまい、取り返しのつかないことが必 ず起こる。そのような悲劇を起こさないために死刑制度はなくさなくてはならない と、話された。

赤堀さんは、自分のような冤罪の人を今後絶対出してはならないと、訥々と話され た。

 
≪アジアから死刑廃止を≫

■スリラック・プリパット(アムネスティ・インターナショナル タイ事務局長)  
現在、タイには973名の死刑囚がおり、850名が男性、123名が女性です。うち63名 の男性と5名の女性の死刑が確定しています。死刑は殺人など犯罪のほか、ドラッグ に関する犯罪でも適用されます。

第1次裁判、異議申し立て、最高裁の3段階の後に死刑は確定します。国王は死刑から 終身刑に減刑する決定権を有するため、被告は国王に恩赦を申し出ることができま す。国王が恩赦を却下すると、死刑囚はその数時間後に刑が執行されます。国王から の恩赦却下の知らせは午後早く伝えられるため、執行は午後4時ごろ行なわれます。そのため、死刑囚は家族に別れをする時間もなく、電話さえできません。

残虐であるとの理由で、執行の方法が銃殺刑から薬物による方法へと変更されまし た。その中で死刑存廃に関しての論議も始まろうとしています。世論の80%が死刑存 置に賛成していますが、冤罪があり、死刑が取り返しのつかない刑罰であること、そ してタイでは拷問による自白強要が日常的にあります。そのことを人権擁護という立 場に立ち、著名人などによってメディアを用いてそれらを知らせていけば、世論は変 わる可能性は大いにあります。政府との交渉ももっと行ない、世界の流れは死刑廃止 であることをもっと訴えていきたいと思っています。  


■寥 福特氏(台湾総統府人権委員会理事)  
台湾では陳水扁総統が就任してから、人権を重視する政策をとってきています。そ の中で、死刑に対する処置もいろいろとなされています。

一つは、行政院法務部の動きです。従来台湾では、世界のほかの国に比しても死刑 の数はかなり多いものでした。特に刑罰が唯一、死刑しかないという犯罪が数多くあ りました。この唯一死刑の刑罰の中に一般量刑を取り入れさせました。「絶対死刑」 から「相対死刑」へと徐々にではありますが変わってきており、下記のように死刑執 行される人数は確実に減っています。
   
年度198919901991199219931994200020012002
人数 69785934111717109
 
もう一つ重要なのは、陳水扁総統が就任演説で「台湾人権法典」を制定することを 宣言したことです。そして、それに基づいて総統府人権諮問委員会が「人権基本法」 を起草し、その中に生命権の条項として明確に「何人も死刑判決または死刑執行をし てはならない」という条文を設けたことです。しかしその後、行政院に送られた起草 案は「人権法」と名を変え、生命権に関する条文は次のような内容となりました。
  
第七条(生命権)
国民生命権は保護されるべきであり、任意に剥奪してはならない。死刑は逐次廃止さ れるべきであり、廃止前は、下記により処理される。
  1. 死刑判決は、もっとも重い犯罪行為の処罰に限定する。
  2. 死刑判決を言い渡された者は、法律により赦免を要求することができる。死刑 判決を受けたい案件に関しても、法により赦免を与えることができる。
  3. 18歳未満の犯罪者には、死刑または無期懲役に処することはできない。妊娠中 の婦女に対しては死刑執行をしてはならない。
二 国家は前項各号の規定を引用し、死刑の廃止の措置または延期をさせることをしては ならない。
  
現在のところ、「人権法」草案はいまだ起草中であり、最終草案にどのようになるか は確定できません。将来は立法院に送付して審議され、その結果には注目していかな ければいけません。

また、民間団体「死刑代替推進連盟」が組織されました。団体は、台湾人権促進 課、民間司法界各基金会、台湾弁護士会、輔仁大学和平対話センター、東呉大学張佛 泉人権研究センターなどがあります。彼らは、裁判所や政府に対して、速やかに死刑 代替の具体的な処置をとることを要求しています。  


■李 永雨氏(韓国カトリック教会・神父)  
韓国の近代史を死刑と関連して振り返ってみると、少なからず権力者が死刑を乱用 しまた悪用してきた国であると申し上げなければなりません。前近代的な王政と、日 本による植民地支配を経る過程で、死刑制度が乱用され、誤用されてきたという胸痛 む歴史を持っています。戦後、政府が樹立された1948年から1997年までの約50年間に 死刑で執行された人は902人に及び、年間19人を数えます。これは一般裁判所の執行 の統計であり、軍事裁判の死刑執行は含みません。

1989年に、死刑囚の教化活動を直接担当し、執行現場に立ち会った法曹界と宗教界 の人々が中心になり死刑廃止運動を組織化、効率化するために「死刑廃止運動連合 会」を結成しました。連合会は毎年一度死刑廃止に関するセミナーを開催し、死刑廃 止世論を高めるために努力してきました。

韓国の死刑廃止運動が活性化する決定的な 契機は、1997年の金大中氏の大統領当選でした。金大中氏は、世界指導者の中で唯一 死刑判決を受けた経験を持つ人です。1999年末第15回国会において初めて、「死刑廃 止特別法案」が国会議員299人のうち91名の賛成を得て、国会に提案されました。し かしこの法案は一度の議論もされることなく2000年5月に会期切れ廃案となりまし た。韓国カトリック教会はミレニアムであるこの年、2000年を「死刑廃止の年」とし て大々的に運動を展開しました。その年の末、キリスト教カトリック、同プロテスタ ント、仏教、原仏教など6団体が、「死刑廃止運動汎宗教連帯」という組織を結成し ました。韓国の死刑廃止運動は、宗教界が前面に立ち、意を同じくする学界・法曹界 ・市民が加わった市民組織を中心に活発に運動を展開しています。

2001年10月30日、鄭大哲国会議員が主導し、全国会議員273名の過半数を超える155 名の支持を得て「死刑廃止特別法案」を国会に提出しました。これは現在、継続審議 中です。この法案が今第16国会会期中にもし通過することになれば、韓国の死刑廃止 運動はその結実を見ることになります。

しかしながら、多少改善されたとはいえ国民の意識は、死刑廃止は時期尚早であると の見方が支配的です。本法案も、法制司法委員会の法案通過を経て、本会議に上程さ れるのですが、法制司法委員会においていまだに論議すらされおらず、不透明で楽観 できる状況にはありません。

韓国は、死刑囚であった人が大統領になり、ノーベル平和賞を受賞しました。死刑 制度がどれほど政治的に悪用されてきたかを国民はよく知っています。1994年には死 刑廃止に賛成が20%であったのが1999年には43%に増加しています。金大中前大統 領、盧武鉉現大統領のこれまでの期間を通じて一件の死刑執行もありません。今後も 執行がないことを信じております。このような雰囲気の中、韓国ではいずれ死刑制度 がなくなるという希望を持ち、その時期を早める努力をしていきたいと考えていま す。  


(2004.2.11 up)


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