2004年9月14日の死刑執行に抗議する集会 報告



2004年9月19日(日)、文京区民センターにおいて、死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90と(社)アムネスティ・インターナショナル日本の共催により、9月14日の嶋崎末男・宅間守両死刑囚の死刑執行に抗議する集会が開催された。

以下に当日の発言者の発言概要を報告する。




安田好弘弁護士(フォーラム90)

9月7日、私たちは法務大臣に直接要請をした。

「国会休会中、法務大臣が交代する直前に死刑執行がされている。あなたもその立場にある。だからあなたが執行をする可能性はきわめて高い。すでに執行命令書を出しているなら直ちに撤回してもらいたい。そしてあなた自身が死刑執行しない法務大臣で任期を終えてほしい」という要請に対し、彼はこう答えた。

「慎重の上に慎重に検討した結果、死刑執行がおこなわれる。たまたまそのような時期に合致しただけだ」

私はこの言葉に彼は執行をするつもりであると感じた。

彼は私どもの言うことに対して答えを用意していた。「国民の圧倒的支持がある」、あるいは「日本では三審制度があって、さらにその先に再審申し立てという制度があって、慎重に死刑執行についての判断がおこなわれている」等々、官僚的な理論武装をしていた。政治家としての決断などはおよそ見て取ることができなかった。

このような、確実に死刑執行をしそうだという心証がとれた場面で何をなすべきか、今後は考えていかなければならないだろう。

嶋崎さんのことで特に問題とすべきは、彼は一審は無期であったということ。これはだれが考えてもわかるが、裁判所によって死刑が適用されたりされなかったりするのだということを如実に示している。死刑制度の持つ根本的な欠陥がここに現れている。

嶋崎さんは保険金目的殺害あるいは口封じ目的殺害の事件における首謀者ということで死刑を言い渡されているが、その「首謀者」であるといったことについては結局捜査段階の自白に基づく。嶋崎さんは法廷では、いわゆる自分の子分たちの罪を少しでも軽くしようと、多くのことについて自分がやったと責任を引き受けた、と述べている。しかし、ひとたび捜査段階で自分が首謀者であると認めさせられたら、それを覆すきっかけは、日本の裁判制度では無い。その弊害もここに現れている。

宅間さんについては、国際的な死刑に関する基準からすれば、一審だけで死刑が確定するというのは正義に反するとして、「死刑については必要的上訴、高裁・最高裁の判断を受ける権利を有す、その権利を保障しなければならない」となっているが、この権利の保障がないまま、しかも弁護人がついていない状態での控訴取り下げである。控訴取り下げそのものが有効であったかどうか、宅間さんはそもそも死刑確定者であったのかどうかさえ問題であったケースだろうと思う。

今回の宅間さんの執行で、法務省の死刑に対する基本的な考え方がより明らかになったという気がしてならない。過去、宅間さんと同じようにマスコミに取り上げられた事件で見てみると、「吉展ちゃん事件」の場合で確定から4年2ヶ月後の執行だった。大久保清さんでも2年11ヶ月。今回は1年にも満たない時期での執行である。死刑がまさに制裁的に使われているということ。「死刑なくしては正義の実現はない」「死刑なくしては秩序の維持などはできない」「死刑は最大の統治手段である」と考えているから、確定後1年にも満たない人を堂々と処刑する。

これからどうやっていくか。

過去、いろいろなことをやってきた。死刑執行をしないように法務大臣に求めた。法務大臣の選挙区に出かけていき死刑廃止の集会、あるいは意見広告もやった。法務省の前でビラまきをした。国際的な広がりを求めて韓国・台湾とのアジアフォーラム、ヨーロッパへの働きかけ、ヨーロッパからの調査団の受け入れ、欧州評議会の日本政府に対する申し入れ、国連規約人権委員会の日本政府に対する相次ぐ勧告。これらを私どもは求めて、実現してきた。しかし冷静に見なければならない。彼らはこれらをことごとく無視した。およそそのようなものに従おうとしていない。それほどまでに国際的な動き、私どもの要請、国会議員の動きといったものを無視しつづけてきたのはいったいなんなのか。なぜ私たちは彼らに死刑執行を躊躇させることができないのか、ということをもう少ししっかりと考えてみなければならないだろう。

彼らがいま依って立つところは何かというと、結局詰まるところは「世論の圧倒的多数が死刑執行を支持している、マスコミも圧倒的多数が死刑執行を支持している」ということに尽きる。

もう一度考え直さなければならない。死刑廃止に向けた合意形成に積極的に取り組んでいく必要がある。死刑廃止に躊躇している人たち、死刑廃止に疑問を持っている人たち、死刑存置に傾いている人たち。そういう人たちとの合意形成の道を私たちは探るべきだろう。そのためには、私たちは単に死刑廃止を言っているのではだめ。どうやっていくかという話し合いの場を持つと同時に、一緒に議論できる方針を私たちは出すべきだろう。

このままであれば、ますます多くの死刑確定者を見殺しにせざるを得なくなる。死刑確定者はどんどん増えており、死刑判決にいたっては年間16件という莫大な数。現実に毎月死刑執行されるような危険な状態にますます近づいている。こういう状態の中で従来のままのかたちでは、私たちは大変な悲劇を迎えざるを得ないと思う。



山本真理氏(全国「精神病」者集団)

宅間さん処刑のメールが流れてきて、私も「なんでこんな早く……」と思った。

私個人は宅間さんとの交流はできていなかった。池田小事件の後、危険な精神障害者が大変な事件を起こしたということで、「心神喪失者医療観察法」という法案制定に向けて大きく流れが作られ、私自身はその阻止のためにほとんど全エネルギーを集中していた状態だったので。

池田小事件のとき、特に関西では、精神障害者の仲間は非常に大変な目にあった。クビになったり、アパートを追い出されそうになったりした。そうした中で、「宅間さんはわれわれとは違う。精神障害者ではない。詐病だったんだ」というような世論形成があった。

彼は精神障害者だったのか、あるいは精神障害が本当に理由であの事件があったのか、そうではなかったのか、本当に詐病だったのか、そういったことはじつはまだ何もわかっていない。これから私たちはそれを知りたいと思っていた。なのにそれを打ち切るように突然処刑されてしまった。これは、これから新たな保安処分の法律を施行していこうというときに、われわれが真実を知ること、あるいは彼が言葉を発してくることをあらかじめ阻む、というかなり強力な意図が権力にあったのではないかと私は推察する。

死刑の執行が一時停止し、その後執行が再開された最初のときに処刑された川中鉄夫さんは、明らかに精神障害者だった。このことは彼の再審を準備していた大阪の中道弁護士が刑務所当局から得た正式な回答で、精神分裂病の疑いで専門医にかけていること、さらにその発病が確定前の高裁の裁判中であったことまで明らかになっている。

精神障害者の処刑に関しては、「この死刑囚は処刑していい」という専門家としての意見を言っているのは精神科医に違いないと私たちは推察している。このことを日本精神神経学会に訴えつづけ、ようやく今年5月、学会の総会で精神科医の死刑に関与についてのシンポジウムを開催、議論が始まったところである。

学会の中で米国の法律に詳しい広島の横藤田先生という方の説明があった。それによれば、米国では日本よりもはるかに多くの処刑があるが、少なくとも処刑に至る手続きが明らかになっている。日本は処刑までの手続きというのが本当にない。横藤田先生は、この手続きがないという点で違憲といえるのではないかとおっしゃっていた。もちろん手続きがあれば処刑していいということではないが、手続きがないがゆえに、この人が精神障害者であるかないか、そして医者がどのように関与しているか、私たちにはまったく知りようがない。そういう日米の違いが非常に明らかになった。

病気である川中さんの処刑に対しては、外国のアムネスティの医師団から日本の医師会に「いったいどの医者がどのように噛んだのか」という追及の手紙が来た。それをこれから私たちは明らかにしていかなければならないし、宅間さんに関しても同じ。われわれは何も知らない、なにもわからない。わからないままにとんでもない法律を作られ、精神障害者に対する憎悪があおられ続けてきている。そのこと自体に怒りを持つが、とにかく宅間さんのことは何もわからないままに執行がされた。

ただひとつ明らかになっていることは、精神障害者であるかどうかはともかくとして、彼が苦しんで、自ら悩んで精神科を訪れ、カウンセラーを訪れていたことだけは事実である。そしてその意味では、"全国「精神病」者集団"の「精神病者」の定義から言えば、彼は精神病者である。



岸本修氏(アムネスティ、フォーラムinおおさか)

昨年の9月12日の執行に続いて今回もまたしても大阪で執行があったということで、怒りを禁じえない。

昨年の執行についても去年の6月に大阪拘置所長に、アムネスティ、フォーラム以下大阪で死刑廃止活動をしている諸団体とともに執行を回避してほしいという申し入れをした。その3ヶ月後に大阪で向井伸二さんが執行された。今年は9月2日に再度大阪拘置所長に面会を申し入れて、執行を回避してほしい、死刑囚の処遇の改善を求めたい、という申し入れをした。しかし結果的には宅間守さんが大阪で執行されてしまった。

今回の執行については、宅間さんのパートナーとなったAさんから関係者に電話連絡があった。

Aさんによれば、刑が執行された当日の9時40分ごろ大阪拘置所の職員2名がAさんの自宅に来た。拘置所職員が差し向けた車の中で話をしたところ、「本日死刑を執行しました。遺体の引き取りについてはどうされますか」というような話がいきなりあったとのこと。Aさんはまったく予期していなかったことだったので非常に動転して、アムネスティの関係者、宅間さんの弁護人であった戸谷弁護士、大阪で死刑廃止活動をしている中道弁護士に電話連絡をして対応についてアドバイスを求めた。

中道弁護士とフォーラムのメンバーが拘置所に同行したが、中にはAさんだけしか入れなかった。柩は拘置所の遺体の安置場所ではなく、葬儀社の車に積まれており、車の中で対面した。泣き出したところ「そんなに泣くのでしたら、もう外に出てください」というようなことを言われた。拘置所の態度は高圧的だった。

Aさんが聞かされた執行直前の様子は、「取り乱すことなく、執り行いました」ということだった。「最後にたばこが吸いたいと言ったのでたばこを吸わせました。たばこを吸い終わった後にジュースが飲みたいと言ったのでジュースも飲ませました」という説明があった。遺書については本人が遺書はいいと言い、残されていない。

関西の各マスコミからよく問い合わせがあったのが、遺体のその後の処置についてと、彼女とアムネスティの関係について。

遺体はフォーラムのメンバーと支援者の方で手続きをして、大阪市西成区の施設に送り安置し、告別式をし大阪市内で荼毘に付した。

彼女とアムネスティの関係は、アムネスティ大阪事務所で毎月開催している死刑廃止入門セミナーに彼女が出席。その後、何度かお会いする中で、死刑囚と交流する方法があれば教えてほしいと聞かれ、確定するまでの間は特別な制限がない限り、誰でも手紙のやり取りや接見ができることなどアドバイスした。

Aさんがどういう理由で彼と獄中結婚することを決めたのかはプライベートな問題、心の問題であってわれわれが触れることはできないが、推察だが、思いとしては、おそらく8人の被害者の遺族の方々に宅間さんから自分の言葉で謝罪の言葉を述べてほしい、あるいは謝罪の言葉を述べるような状態に彼を支援したいという思いがあったのではないか。結果的には彼女の思いがこういうかたちで遂げることができなくなって非常に残念だ。

大阪では宅間さんの処刑以後13人が死刑囚として在監している。今回の大阪の執行が確定者の順番を飛び越したかたちでおこなわれているので、13人についてこれからも毎年執行が懸念されるところである。拘置所に死刑の回避を求めてもまったく聞き入れてもらえない腹立たしい状況であるが、これからもわれわれにできることは大阪でやりつづけていきたいと思っている。



続いて、宅間氏と獄中結婚しパートナーとなっていたAさんから寄せられたメッセージが代読された。

メッセージ

生前の夫が行いました取り返しのつかない大罪に、衷心よりお詫び申し上げます。また昨年末の入籍の際には世間をお騒がせし、多くの方々に大変に不快な思いをさせてしまったであろうことを重ねてお詫びいたします。

本来ならば、親族となった私は夫に代わり、被害者及び遺族の皆様方の前には直々に参上致し、心からのお詫びを申し上げなければならないところなのですが、死刑囚と婚姻したという、非常識とも取られてしまうような私のような者が、いまだ心の深い傷が癒えぬままでおられるであろうご遺族の皆様方の前に参上するのはさらにお心の傷をえぐってしまうばかりかとも思い、静かに時間の経過を待つことしかできないままに日々を過ごしておりました。

被害者の方々、そしてご遺族の方々には大変申し訳なく、この場をお借りしまして非礼ながらも書中にてお詫び申し上げたく思います。本当に申し訳ありませんでした。

夫の死刑執行の知らせを受けたことにつきましては、いまはただただ許されるならもう少しだけ彼と対話を続けるための時間がほしかったとの思いで、自らの力不足を悔やむ以外にすべが見つからないような心境です。

昨年末の入籍以後、夫との関わりあいのなかで「家族愛」のような絆を少しでも築き上げていきたいと私自身は願っておりました。そういう関係性の中から、なんとか他者の痛みがわかる、そんな心が彼の中に芽生えることだけを祈り続けました。

多くの方のお力添えもあり、この数ヶ月の間、少しずつではありますが彼の中に変化が見受けられたこともありました。が、しかし、精神の苦痛、肉体の苦痛に耐えることができずにか、自らの死を求める境地との狭間で彼の心はいつもがたがたと音を鳴らして崩れてしまう日々の連続でした。

夫の犯した大罪は決して許されることではないとは知りつつも、けれど、もう少し彼と対話を続ける時間がほしかったと悔やまれてなりません。

突然のことであり、まだまだ心の整理がつかないまま、非礼を承知で筆をとらせていただきました。夫、宅間守の犯した事件により亡くなられました被害者の皆様、そしてご遺族の方々に対しまして、本人のなかから贖罪の意識を引き出せないままに終わってしまったことに、いまは心からの慙愧の念に耐えません。力不足でした。本当に申し訳ありません。


(おことわり:当日の録音テープをもとに起こしたものなので、100パーセント正確ではない可能性もあります。)




畑江清司氏(タンポポの会)

国会議員の力添えを受けて、9月15日、福岡拘置所に申し入れ行動を行った。本来なら「執行をしないでくれ」という申し入れを行う予定だったが、残念ながら前日の14日に死刑が執行され、抗議の申し入れとなった。所長は緊急に会議が入って、総務部長と庶務室の課長ともう一人、3名の職員と面談した。

抗議申し入れ書をまず読み、質問について回答頂きたいと言ったところ、総務部長が「拘置所のほうとしてお答えできないこともあります」と前置きして、「質問にお答えしたいと思います」ということだった。

「なぜ、嶋崎さんが執行されたのでしょうか?」については、「それについてはお答えできません。執行されたことについても答えることはできない」との回答だった。

「では、マスコミの報道のほうが早かったのはなぜか?」と聞いたがこれについても「お答えできません」ということで、対応としては不誠実な対応であった。

嶋崎さんへの現金の差し入れが不許可とされた問題について、Tシャツ訴訟で現金の差し入れが認められていることを知っているのかと聞いたところ、総務部長は知らないとのことだった。北海道と大阪ではタンポポの会から現金を送って受領されているのだが、福岡は返されてきてしまった。

「現金の差し入れ拒否が違法である」という判決が確定しているのになぜそれができないのかと聞いたところ、そのような通知・通達は、自分は総務部長であるが見ていない、ということだった。Tシャツ訴訟については知っている、しかしその判決の中身については知らないとのこと。私たちが外で闘って勝ち取っても、なかなかそれが拘置所の職員に伝わっていない。

死刑囚の精神的なケアについてどのような対応がなされているのかについては、死刑囚の担当の刑務官が相談に乗る、そして自分で判断できないことについては所長の判断を仰ぐということを、一応、不定期ではあるがやっているとのこと。しかし、具体的に法的な手続きなどを代行するといった場合に対応しているのかについて聞いたところ、「本日は所長がいないのでわからない」。

結局、抗議に行き質問もしたけれども、「お答えできません」、「わかりません」、「後日お答えしたいと思います」といった不誠実な対応ぶりで残念だった。 もうこれからは死刑の執行がされないよう、今後も声をあげていくことで日本における死刑制度を変えていきたいと思っている。



寺中誠氏(アムネスティ・インターナショナル日本 事務局長)

こういう場で国際基準についての話をするのはもう何回になるだろうか。いくら繰り返しても日本の中にはなかなか届いていかないというのが実情である。ヨーロッパでは「欧州人権条約第13議定書」が出たことで、欧州人権条約に加盟する国はすべての犯罪について死刑を廃止することが義務になるという動きがあり、死刑執行数が多いと言われている米国についても二つの重要な動きが出ている。ひとつはニューヨーク州で、死刑だけを決定できるような陪審のあり方は違憲であるという判断が出た。もうひとつはよくご存知のイリノイ州ライアン知事の死刑執行停止〜死刑囚の減刑である。米国でもこの間、DNA鑑定等の技術が進歩するに従って多くの冤罪があったことが判明して、それにきちんと対応していくためにはいったん死刑を止めたほうがいいのではないかという声が出てきている。そのような動きは米国だけでなく、死刑を執行しているほかの国々でも出てきている。

一部の刑罰論などで、「死刑というものが人心を荒廃させる、死刑の執行がむしろ治安を悪化させている」というような説がある。何を言っているかと思われるかもしれないが、死刑の執行があったときには必ず、われわれのような団体には「てめえらも死ね」というメールや電話がじゃんじゃんかかる。今回の執行に関してはその数が特に多くて、「てめえらの家族を皆殺しにしてやる」というような電話もかかってきた。このような、人に対する悪意の素朴な発露が死刑の執行のあとには必ずついてまわる。

昨日の新聞の一面で、日本の一般の人々の調査で「治安が悪化している」と答えた人が9割だといった報告が出ていた。実際には治安が統計上悪化しているかについては、「悪化していない」。警察が実際に捕まえている検挙人員はこの20年ほとんど変わっていない。にもかかわらず、大変な事件がたくさん起きていて大変なことになっているという、一種パニック的な状況が、現在、日本のメディアの中では主流を占めているように思う。その中で執行の事実が告知され、この状況がさらに加速される。いまわれわれが一番気をつけなければいけないのはそれではないか。

9月7日に野沢法務大臣と面談した際、死刑の執行に関して「まず死刑を停止してから考えよう、死刑をやりながらではまずいんだ」ということを伝えた。執行を続けていては、こういうかたちで社会の中で悪意というものがどんどん増幅されていく。まず執行をやめ、それを少しでも落ち着かせる方向に進めなければいけない。死刑の執行停止は、治安を悪化させることではなく治安を回復することになる。「まずみんな落ち着いて考えよう」、そういう態度をとらなければ治安は悪化する方向に進むだろう。ますます警察官が増員され、数が増えればそれだけ犯罪をたくさん発見することができるわけだから発見数だけはどんどん増えていく。そのようなかたちで、死刑の執行というものがいまの日本の全体の治安状況と連動しているのではないか。今回の死刑執行の報道があってから受けたそれなりの数の反応を考えた上での感想である。

そしてこのかなりの反発は、死刑の執行のあった14日とその翌日、それも午前中あたりまでがピーク。かなり短い間でしかない。それだけ人の感情といったものが短いスパンで動くということも証明していると思う。

われわれがまずやらなければならないのは、自分たち自身が落ち着くことだし、周りを落ち着かせること。そのためには死刑の執行は絶対にやめてほしい。やめることによってようやくわれわれはある程度の落ち着きを回復することができると思う。



小川原優之氏(日弁連)

今年の6月には日弁連も会長の名前で法務大臣に対して死刑の執行をしないようにという要請を出した。9月の時点でもそれをやろうと計画し、16日の理事会で議案をかける予定だったが、その前の14日に執行されてしまった。

日弁連には、元検察官で自ら死刑の執行に立ち会った人や、裁判官として死刑の言い渡しをした人もいる。被害者支援の活動を大変熱心にしていて「被害者支援の観点からぜひ存置すべきだ」と言う弁護士さんもいる。そういう中で「死刑を廃止する」ということがすぐにはなかなか前提にはならない組織。だからこそ中で十分な議論をする必要があるわけなのだが、死刑廃止・存置いずれの立場に立つという以前に、現在の日本における死刑を巡る刑事司法手続きは非常に問題が多い。それは今回の宅間さんのケースに非常に典型的に現れていると思う。宅間さんが今回、死刑が執行されるに至るまでの不明瞭さ、いったいどういう基準で彼が選ばれたのか、確定までの弁護人とはまた別の弁護士が関わる機会がどれだけあったのか、いろいろ気持ちの変化もあっただろうし、そういう中で弁護士の支援が果たして本当に十分に受けられていたのか、等々、非常に疑問に思う。

嶋崎さんについても、一審で無期だった。それが高裁で死刑に変わる。裁判官の中でも死刑なのか無期なのかについて基準がはっきりしていない。

たとえ存置を前提にしたとしても、いまの死刑の手続きはおかしすぎるじゃないかといった死刑を巡る問題を、弁護士会のなかの存置の人も含め、とにかく議論して死刑の執行を止めていくことを現実の動きとしていきたい。熱心な死刑廃止論者だけでなく、多くの人たちに届く声を上げていかなければならない。死刑執行停止法(2002年日弁連提言)を現実にどうやったら実現していけるか、多くのみなさんとこの議論を共有していくのはどうやったらできるのか、考えていきたい。

もうひとつどうしても避けられないのが、死刑に替わる最高刑、具体的に言えば仮釈放のない終身刑の問題。終身刑ついて、抽象的な議論ではなく、たとえば恩赦を制度化していく方向や、受刑者の処遇を国際的な基準に合わせてよりよいものにしていくという方向、また、一部の人について現在の無期刑が終身刑化してしまっている事実などを具体的、現実的に考える中で、日本で仮釈放のない終身刑というものを、死刑の執行停止と併せてであるが、考えていくことはできないのか。そういう問題についても具体的に検討していきたい。

日弁連は6月に死刑執行停止の要請をしたが、今回9月の宅間さん、嶋崎さんの執行を止められなかった。これをいったいこれからどうやって止めていくのか、具体的にどうすべきなのか、まだまだわからないことだらけだし、日弁連という組織が非常に大きい組織である意味官僚化している部分もあり、死刑廃止の運動をしている皆さんからの批判もたくさんあるだろうが、一緒に問題に取り組んでいきたいと考えている。これからもいろんな批判をしていただいて、こちらからも問題提起をしていきたいと考えている。
(2004.10.11 up)


【トップページに戻る】
【各種レポート一覧へ】