安田好弘弁護士(フォーラム90) 北川さんには大きく分けて2つの事件がある。全部で3件なのだが、1983年に千葉で強盗強姦殺人事件、1989年に高知で強盗強姦殺人事件、その他1件。両方について起訴され、1994年の2月に高知地裁が無期懲役と死刑判決――千葉の事件については無期懲役、高知の事件については死刑――を出した。その後、1995年、ちょうど1年で大阪高裁は控訴を棄却。5年後の2000年、最高裁が上告を棄却。 北川さんには無期懲役と死刑両方が確定していた。千葉の事件と高知の事件との間に別の事件があって懲役刑をうけたため、刑法の規定によって、千葉の件と高知の件は切り離されることになった。それで、それぞれについて審理されてそれぞれについて判決が出るということになった。 ここで、最高裁でも大変問題になったのが、高知の事件だけを捉えてみると被害者1人の強盗強姦殺人事件で、従来からすると死刑になるはずのない、あるいは死刑の可能性が極めて低い事件。たしかに千葉の事件と高知の事件を2つ合わせれば被害者2人で強盗強姦殺人事件なので死刑になる可能性が大変高いケースになってくる。しかし、さきほども言ったとおり、2つの事件は別々に刑が宣告されることになっているのだから、高知の件で死刑判決を出すのはあまりにも重過ぎる、逆に言えば、2つの事件を一度に処罰しているんじゃないかと。つまり千葉の件について無期懲役を宣告しておきながら、もう一度高知の事件で一緒にして死刑判決――つまり2回処罰をしているのではないか。二重処罰の禁止の原則は憲法で保障されている。私たちはひとつの罪について2回処罰を受けることはないという、二重処罰禁止の原則というのがある。ところが実質、千葉の事件は2回処罰されているということになるのではないか、ということで、高裁・最高裁で争われた。最高裁も意識したのか、この件については情状部分で3ページに渡って情状を書き連ねている。こういう、もともと問題のあるケースだった。通常、私どもの感覚からすれば、無期懲役と無期懲役――無期懲役がふたつ確定する事件じゃないだろうかというふうに当時も思っていたし、いまでもそう考えている。 今回の死刑執行についていうと、北川さんは40番目に死刑が確定した人。どうしてこの人が、この人だけが、この時期に執行されたのかということについて、やはり合理的な説明がなければならないだろうと思う。法務省は、なぜこの時期に、そしてなぜ彼が、ということについては全く説明をしていない。つまり説明責任さえ果たしていない。考えられるのは、彼が外との連絡を絶って孤立無援の状態にあったということが、執行しやすかったということにつながって行ったのではないか。 そしてこの時期というのは国会休会中だし、南野法務大臣は次の内閣改造では当然退任することが予定されている。こういう時期にこのようなことをやるということ自体、そこから読み取れるのは国会休会中に執行するということ、それから、死刑を執行しない法務大臣をつくらないということが今回の執行のなかで見えてくる。 ただ私ども、もう一度考えなければならないのは、仮にこの時期だとしても、なぜ彼一人だけだったのかということ。改造までの間にもう一回南野法務大臣はやるんじゃないかという危惧感を持っている。しかしもう一度、違う視点で捉えてみる必要もある。まだ私のなかでも検証できていないが、意図的に1人にとどめたのか、1人しか執行できなかったのか、ということ。それについてはしっかり見定めて行く必要があるだろうというふうに思う。 現在、七十余人の死刑が確定しているわけだが、この人たちをこれから守っていくについても、この回では1人にとどめたか、それとも1人しか執行できなかったかというのは大変重要な問題だろうと思う。 先日亡くなった後藤田元法務大臣が死刑執行を再開してもう13年、私たちはこういう抗議集会を幾度となく繰り返した。なんとしてもこういう抗議集会をなくしていきたいというふうに思っているのだが、なかなかそうはいかない。この前の選挙、あるいは社会の流れを見ると、なかなか死刑廃止は困難を極めているということは私たちも十分理解し、認識しているが、がんばっていかなければならない。 とりわけ今年は名張事件、あるいは布川事件で再審開始決定が出ている。現実に死刑事件、あるいは死刑に類する事件で誤判があるんだということが実証されたわけである。やはりこれをテコに死刑廃止の方向に向かって流れを変えて行く必要があると思う。また、議員復帰した保坂さんの復帰の第一回目の仕事が法務省の刑事局長に対する抗議の行動だった。これからがんばっていただけるだろうということが十分期待される。さらに、こういう時期にあって日弁連が大変元気である。12月にシンポジウム、来年の2月には横浜で公聴会、来年の3月には全国の弁護士を対象にして死刑事件の弁護について研修会をやろうと企画している。5月には第2回死刑事件担当弁護士の体験交流会をおこなう。したがって日弁連は大変元気であるということ。また、実現するかわからないが、NHKなどでは死刑をテーマにしたドラマをつくろうということも考えているようだし、あちこちで死刑についての記事が今年増え始めているのは、揺れ戻し現象が少し起こりつつあるのかなという感じを受ける。 また、死刑確定者の処遇法である監獄法について、「 」(かっこ)付きの「改正」がおこなわれようとしていて、従来の死刑確定者の処遇を法的に肯定していこう、つまり確定化していこうという発想がある。これについても力を入れて抗議し、止めていかなければならない。 小川原優之弁護士(日弁連死刑執行停止実現委員会) 日本弁護士連合会は死刑執行停止を求めている。「死刑廃止」ではなく死刑の執行の停止という立場。全員加盟制の組織である日弁連はなかなか全員一致とはいかない団体であるが、しかし現在の日本の死刑制度にはすごく問題があるのだと。死刑の執行が当日まで知らされないなど、死刑囚処遇のなかにはたくさんの問題がある。特に死刑に直面している人に対しては手続き上厚い保護が求められているのだが、現実にはたとえば代用監獄における取調べであるとか、弁護士の接見が十分になされない状態で、弁護権が十分保障されない状態での死刑判決にいたる道のりであるとか、さまざまな問題があって、日弁連としては、このような問題点が解決されない限りはやはり死刑の執行は停止されるべきだということを求める。 具体的な活動としては、「死刑執行停止法案」というのを日弁連でつくった。現在、議連でつくった死刑執行停止法案と日弁連でつくっている死刑執行停止法案がある。それをたたき台として、具体的な議論をしていっていただければと思う。 特に、死刑に代わる最高刑としての終身刑の問題、これも議論して行く必要があると、日弁連の中ではだいぶ話が重ねられている。ただ、多くの人たちに議論を理解していただかなければいけない、そのためには被害者遺族のみなさんとの議論の場をつくっていきたいと日弁連としては考えている。岡山県で日弁連の死刑執行停止法案についての公聴会を開催した際には、被害者遺族の団体の「あすの会」の方にも参加していただいた。その方は死刑存置を強く主張された。死刑存置を求める議論、「現在の死刑制度にはこれだけの問題があるんだ」という議論、あとまた、「すぐにも死刑は廃止しなければいけないんだ」という議論、さまざまな議論をとにかく活発におこなうことを通じて、死刑の問題についてマスコミにも多く取り上げていただき、議論を活発にして、具体的な死刑の執行停止を実現させていきたいと考えいる。 外国はどうなっているのか、――外圧というような発想が本当にいいのかどうか疑問もあるが――、ヨーロッパでどうなっているのかアメリカでどうなっているのか韓国でどうなっているのか、そういう議論もできる限り日本のなかでしていきたいと思っていて、12月には国際的な会議を開催する。成果についてもまた皆さんのほうに返していって議論を活性化させていければ、というふうに思っている。 来年の2月に横浜でまた公聴会を開く予定。横浜公聴会では被害者の問題をできるだけ取り上げたいと思っている。その会議には、できればドイツの被害者支援団体「白い輪」という団体のメンバーの方にも参加していただきたいと考えている。「白い輪」のメンバーの方は元警察の方で、われわれが8月にヨーロッパ調査をした際に、「死刑が廃止されているドイツで被害者遺族が重罰化を求めてきたら支援団体としてはどうするのか」というわれわれからの質問に対して、「被害者支援の団体というのは被害者遺族の応報感情に応えることではないんだ」というお話をされていた。それは日本における被害者支援のあり方と大きく違っており、そういうあり方も具体的に日本国内に紹介して、現在の日本の被害者問題も含めた死刑制度をめぐる問題について、議論を活発にしていって、そういうことの積み重ねの中で死刑の執行を停止させていきたいと考えている。 いま、未決拘禁者処遇をめぐって、法務省と警察庁と日本弁護士連合会で意見交換の場を持っている。この意見交換を踏まえておそらく法務省は来年にも法案を具体的に出してくる。そのなかで、死刑囚処遇の具体的な問題、なぜ当日まで執行を教えないのか、といったことに対する向こうからの回答というのが、結局は「心情の安定」に尽きる。本当にそんなことしか回答が出てこないのか、最初はまさかそれで終わることはないだろうと思っていたのだが、本当にそれしか出てこない。たとえば再審準備についてはどうなるんだとか、遺族と別れの言葉を交わしたいんじゃないかとか、そういった質問に対して具体的な回答はなくて、なおかつ「心情の安定」ひとつだけ。日弁連としては、この「心情の安定」という言葉が立法に盛り込まれるのは非常にまずい事態だと思っている。しかも法案のなかでは「死刑囚の処遇は未決に準ずる」というこれまでの立法をやめるということまで具体的に言っており、現在のひどい状況が追認されるような立法がおこなわれる恐れが強い。それがいま問題で、そこの主張も重ねている。その流れについてもまた皆さんに報告していきたい。 柳下み咲(アムネスティ・インターナショナル日本 死刑廃止担当職員) すでに死刑を廃止している国が世界中でも過半数を超えていて、最新のデータで、事実上の廃止国を合わせて120カ国になっている。ヨーロッパ中心に死刑廃止がおこなわれているのではないかという見方もあるだろうと思うが、実はさまざまな文化の国で死刑の廃止、あるいは死刑の事実上の執行の停止がおこなわれており、いまや死刑廃止は世界的な潮流であるという結論をアムネスティ・インターナショナルも持っている。 もうひとつ特徴的なこととして、死刑を執行している国が偏っているということがある。たとえば2004年には3797人の処刑が25カ国でおこなわれたが、前年から比べても、死刑を執行している国が減っている。2003年では28カ国で執行があったが2004年は25カ国。しかも3797件の執行の97パーセントが中国、アメリカ、ベトナム、イランの4カ国に集中している。二極分化というか、死刑を執行している国というのはバンバン執行し、死刑を執行する国は減りつつある。しかも死刑制度を廃止している国は増えつつある。ひるがえって日本の状況を見ると、アメリカ、中国などのようにバンバン執行しているというわけではなく、毎年ひっそりと1人か2人の執行をしているというやり方なので世界的な注目も浴びにくい、というのが問題でもある。日本はアメリカと並んでいわゆる先進国と呼ばれる国のなかで死刑を持っている数少ない国であるが、どうしてもアメリカでの死刑の状況にみな目が行きがちで、日本の状況を見ると年に1人か2人が執行され、アメリカなどに比べると非常に少ないということから、国際的な批判も日本にこない、という印象がある。 アムネスティ・インターナショナルもそういった状況を懸念して、今年6月には国際事務局からアムネスティのトップである事務総長のアイリーン・カーンが来日し、法務大臣はじめ法務省の関係者と対談し、難民等についての問題提起とともに死刑の廃止を求めるといった機会を持ったのだが、本当に、死刑のことについては法務大臣も法務省の関係者も非常に頑なで、みなさん判を押したように「国民のみなさん大多数が死刑を存置する以上は、私どもは死刑の執行をしなければならない立場にあります」ということだった。アムネスティからは「国際的な潮流として死刑の廃止があるし、人権という観点から死刑制度の廃止、少なくとも執行の停止をした上での議論をおこなってほしい」とお話ししたが、それに対しても法務省・法務大臣のほうからは、「皆様の主張はよく知っている、わかります。しかしながら日本というのは他の国とは違う部分もたくさんありますし、そのことをご理解ください」というようなほとんど説明にならないような説明があった。 さきほど安田弁護士からも法務省は説明責任を果たしていないという指摘があったが、死刑制度の存続についても、国際的なプレッシャーに対しても法務省は全く説明していない。私どもの批判に対しても、「どうぞ私たちの立場をご理解ください」と繰り返すのみで、なぜ日本が死刑を存置しなければならないのか、このときの対談でも明確な説明が得られなかった。 アイリーン・カーン事務総長来日の際には、国際事務局の日本担当の調査員が東京拘置所を見学する機会が得られた。それ自体、NGOが国会議員の紹介なく拘置所を訪問できるのは非常に珍しい機会であるが、私どものほうから刑場を見学させてほしいと希望を出しておいたのだが、その返事は当日、担当者のかたから、「きょう、中を見学していただきますが、どうか刑場のほうはご遠慮いただきたい」と。「どうしてですか」と質問をすると、「それは死刑囚のご家族の心情に配慮して、刑場を一般の方にお見せすることはできません」という答えだった。「こちら(東京拘置所)には袴田巌死刑囚も収監されているんですよね」と聞いたところ、「個別の死刑囚に対しての質問には一切お答えできません」との答えだった。 柴田幸範氏(イエズス会社会司牧センター、 「死刑をとめよう」宗教者ネットワーク) 「死刑をとめよう」宗教者ネットワークは、2003年6月に結成された諸宗教の有志によるネットワーク。できた経過は、イタリアの聖エジディオ共同体から、欧米では宗教団体が死刑廃止の世論に大きな力を持っているのに日本の宗教者は何もやっていないのか、と背中を押されたようなかたちで、アムネスティ日本に事務局を引き受けていただいた。基本的には死刑の執行まで停止して国民的議論を巻き起こして、最終的には死刑を廃止したいと活動している。 先ほど来、日本は特別だとか、心情をおもんぱかってというような言葉が出ているが、おそらく宗教者というのはそういうことこそ責任をもてなければならない立場だろうと思っている。実際に日本の宗教者も決して死刑問題に関わっていないわけではなくて、たとえば個々の死刑囚の支援だとか、宗教教誨師の立場だとか、いろんなかたちで死刑に関わっている。ただそれを社会的行為としていままでなかなか発信できてこなかった。昔からその立場でやっていらっしゃる死刑廃止キリスト者連絡会のような活動、そこにまた日本の在来宗教、真宗大谷派とか宗教法人大本とか、そういう団体も加わってまた大きな流れにしていきたい。 この2年間、昨年も今年 も8月に死刑の執行の停止を求める申し出書を出した。また、死刑の執行が危ぶまれる9月のあたまくらいに「死刑執行停止を求める祈りの集い」というのを催していて、今年も9月2日に福岡で執行停止について祈ったばかりだったので、その直後に執行があったことは非常にショックだった。 私たちの主張はいろいろな抗議声明などに書かれているが、おもに宗教者として、宗教的観点から死刑に反対する理由を3つ。 まず第1に、死刑というのは命をとるという行為がある。われわれは宗教者として「命をとる」行為には反対する。たしかに宗教においても正当防衛であるとかあるいは聖戦論など、生命をとる行為を必ずしも禁止せず、容認するケースもあることはあるが、それはきわめて厳しい状況、たとえばほかにとる方法がないとか、あるいはその方法自体が非人道的ではないとか、非常に厳密な条件を付けて許容するものである。死刑に関してはこうした厳密な条件に当てはまらないというのがだいたいの宗教において認められるところであって、たとえば私が所属しているカトリック教会では、この間亡くなったヨハネ・パウロ2世が、明らかに現代社会は死刑以外の方法で犯罪を防ぐ力があるし、そうすべきだとおっしゃった。日本のカトリック司教団も死刑は国家による人権侵害だという疑いは拭い去れないと明言している。 だから、執行に対する抗議書を持って刑事局長のところに行ったときに、刑事局長が「粛々と死刑執行します」――粛々と人の命を奪いますとおっしゃったことが非常にショックだった。人の命を粛々ととられてはならない。 2番目に、宗教というのは善人の宗教ではない。人間はどんな人間でも罪を犯す存在であって罪深い存在であるし、その結果として悪に染まらざるを得ない。ある者は罪を犯し、ある者はその罪によって被害を受ける。それだからこそ救いというものを人間は求めるのだと。だから、罪を犯した人間に対して「死んで償え」ということは口が裂けても言えないはず、生きて生きて生き抜いて、やがて神の心にかなうように、仏の心にかなうように、生き直せと。あるいは肉親を殺された人に対して「憎かろう、あだ討ちをせよ」と言うのではなく、本来その被害がなければ愛に満ちて生きていたのだから、今は苦しかろうけれどもその憎しみを乗り越えてゆるし解決されるように神仏に祈ることであり、あるいは、その神仏を信じる者が彼らに協力の手を差し伸べる。いずれにしてもそういうかたちで、あだ討ちではなく、よく生きて行けるように力を貸すべきだ。 それから最後に、第三者、一般世論に対することになるが、自分が犯罪に関係ないとしても、凶悪な犯罪が起こると、その罪を犯した者を社会から排除して安全な社会を築こうだとか、あるいは被害者ご遺族に対して同情して、犯人を死刑にすることで彼らの気を晴らしてやろう、そういう議論があるが、私たち宗教者としてはそういう議論に対しては反対したい。 人間というのはみな罪深い存在であり、だからこそ神仏はすべて人間に差別なく慈悲を与え、そして救おうとする。だから、そういう人間同士が互いに愛し合い助け合ってともに生きる社会を目指すこと こそ宗教の究極の目標であると。 そう考えると、罪を犯した者を排除し、罪の被害にあった者は犯人を罰すれば気がすむだろうというのはかなり利己的であると考えざるを得ない。こうした利己的な立場に立つたびに、さきほど申し上げたような、すべての人がともに生きる社会はできないし、平和で安全な社会などは到底実現できない。われわれは宗教者として、「最も弱い人、最も苦しんでいる人にやさしい社会はすべての人にやさしい社会である」ということばを噛みしめながら、罪を犯してしまった人には更生を支援すること、犯罪によって傷を受けてしまった人に対しては心からの支援、これをひとごととしてではなく、自分が罪を犯した者だったらどうであろうか、自分が被害にあった者であったらどうだったであろうかと、親身な立場で取り組んでいきたいと考えている。 保坂展人氏(衆議院議員) 中央選管で当選が確定した日に執行があり、いちばん最初に議員として行った役所が法務省となった。 昨年に続き執行、しかも今回、南野法務大臣が内閣改造の直前におこなったということで、私どもとしてはやはり大臣に出てきてもらってどういう趣旨で、たとえば記録をどのように検討したのか、いつサインをしたのか、どういう思いで執行したのか、しっかり答えるように、ということを要請して行った。わかりました検討します、ということだった。 もう1点、福島瑞穂議員から、死刑制度に関して、法務省と人権団体やNGOと一緒に議論して行く場をぜひ作ってほしいという要望を出した。 大林刑事局長は「検討します」ということで、一応、そういう場を持つということを、踏み込んだ発言だったかと思う。執行日に法務省に抗議に行くのはこれで通算10回以上になった。逆にいうと、前回を除き、執行された日に行かなかったことはなかったわけで、議席を取り戻してはじめて法務省に申し入れに行ったということは、やはり死刑廃止の役割をしっかりやれという天の声だろう。今回の議席獲得も計算外、こういうことも世の中あるんだとみんな感心するという獲得の仕方だった。いま死刑廃止をめぐる状況は大変厳しい。しかしこういう中で議席を獲得した私としては、初日に執行抗議という動きをしたということは、空白をおいてのスタートのひとつの命題であるというふうに受け止めている。 法務委員会に所属することになった。すぐに共謀罪等議論しなければいけない。南野法務大臣は以前、議連の申し入れをうけたとき、「刑場を見たことがありますか」という質問に対して、刑務所と刑場を間違えて「はい見たことがあります」と答えた。じつは見たことがなかったのだが、しかしそのことの不始末で彼女は刑場を見に行っている。東京拘置所に行ったのだと思うが、刑場を見て、その刑場ではなかったにしても執行をしたということをどう受け止めているのかというのを、法務委員会で、たとえ短い質問でも問いただしたいと思っている。自民党が300議席、しかも様変わりしたこの国会の中で、どのように議連が再開できるのか。死刑廃止議連自体が雲散霧消することはないと思うが、与野党が伯仲する中で、自民党のある部分を巻き込みながら法案提出を図ろうとしたという02年から03年にかけての状況からすると、だいぶやりにくくなったと思う。自民党でなければ人でない、くらいの状況が国会に広がっている。そこでぜひ、国会の外と中とつないでしっかり議論を盛り上げて行くアクションを一緒に相談しながら考えていきたいと思う。 刑務所のなかの人権侵害、あるいはこのところ相次いでいる再審決定ということとあわせて、処刑をこれ以上認めてはいけない、という世論を皆さんと一緒に盛り上げながら、法務委員会のなかで質問、質問趣意書、あるいは役所からの説明などを情報公開しながらがんばってやっていきたいと思っている。 ぜひお集まりのみなさんに知恵を貸していただき、また手も貸していただいて、今回取り戻した議席を100パーセント生かしていきたいと思う。