2003年2月1日(土)に明治大学リバティタワーで明治大学講師の辻本衣佐さ
んによる「日本における死刑廃止法案の歩み」と題されたシンポジウムが行われた。(主催:死刑廃止フォーラム)

今年の国会に死刑廃止議員連盟が法案を上程するにあたって、過去の日本における死刑廃
止法案がどのような経緯で国会に提出され、審議され、廃案になってきたのかを歴史
的に検証するものであった。
辻本氏の報告は2時間以上になるもので、前半は明治の帝国議会での死刑廃
止法案についての論議の話、後半は第2次大戦後に高田なほ子や羽仁五郎が、第24
回国会1956年に提出した死刑廃止法案の話であった。
以下はその要旨である。
<明治期の帝国議会での死刑廃止法案>
明治憲法発布の時に誰によって書かれたか定かではないが、「死刑廃止の意見書」が伊藤
博文に提出されたのが初めである。その後、1900年、01年、02年、07年と
帝国議会に提出され、花井卓蔵らによって4回にわたって帝国議会で死刑廃止を巡る
論議が行われた。
これらの法案は、政府が帝国議会に提出していた刑法改正案(これが現在の刑法と
なっている)の審議を契機に、当時の矯正実務家中心に展開されていた啓蒙運動に呼
応する形で、提案された。当時の西欧の死刑廃止思想が紹介され、ヨーロッパ諸国や
アメリカの一部の州における死刑廃止の動向や、死刑が残酷な刑であること、回復が
不可能であること、死刑執行数が多いことなどが主な提案理由となっていた。
しかし、1910年の大逆事件以後、死刑廃止運動は衰退していった。
<第2次大戦後の死刑廃止法案>
■1956年第24回国会での死刑廃止法案
死刑問題が国会で論じられたのは第24回国会、1956年のことである。
当時の
参議院法務委員長の高田なほ子、社会党委員の亀田得治・小林亦治・赤松常子、無所
属の市川房枝、無所属クラブの羽仁五郎、当時政府与党・緑風会の加賀山乃雄・柏木
庫治の計8名が提案者で、『刑法の一部を改正する法案』(死刑廃止法案)を提出
し、それに賛成した議員が39名いた。
その内訳は、社会党34名、共産党が1名、
無所属クラブが4名である。
法案の中身は、死刑を全面的に廃止するというもので、当時の刑法・刑事訴訟法・
監獄法・少年法などすべての法律から死刑という文言を無くすというものであった。
こういう法案が出てくる経緯は、新しい憲法の中で残虐刑の禁止を規定しているのだ
から、死刑は残虐な刑でありだから廃止すべきという、憲法論議などから出てきてい
る。
■法案の提案理由
憲法36条には「残虐な刑罰の絶対の禁止」という条項があり、ただしその関係のなかで
1948年
に最高裁で、「死刑は残虐な刑にはあたらない」という判決が出ている。
しかし、そこで
も「その残虐性の判断は時代思潮を背景とすべきものである」とされ、「国家の文化が高
度に発達して国民感情が容認しなくなれば、憲法31条の解釈はおのずから制約され
て、死刑そのものが残虐刑としてその存在を否定されることになるであろう事が示唆
される」となっていて、ここから見れば、今は死刑廃止という国民感情ができている
のではないか。
ちなみに憲法31条は、「法律による適正手続きのみが刑罰を科
する事ができる」という条項なので、刑法等に死刑という刑罰条項があればこれを適正
に行わなければいけないということにもなるわけである。
その他、
-
欧米諸国の死刑廃止の状況を紹介しながら死刑に犯罪抑止効果がないこと。それよ
りも逆に死刑があるために殺されなくてもいい人が殺されてしまう現実が増えている
こと(目撃者などが殺されてしまうということがある)
-
応報的な思想よりも加害者に贖罪的奉仕をさせたほうがいいこと。
-
誤判の場合の回復不可能なこと。
-
死刑は裁判官・検察官・警察・刑務所・拘置所を残酷にし、新聞・テレビ・ラジオ
を残酷にしていること。
-
死刑廃止は社会自身の改良と政治を良くすることに全力をあげる決意の表れであること。
■法案その後と当時の議論の特徴
法務委員会での議論が行われた後、18名の人が公聴会で発言した。判事・宗教者・
大学教授・
会社員・弁護士などの人たちが死刑廃止に賛成と反対の立場から意見陳述をした。
2
日間に渡って公聴会が開かれたが、これで会期末が来てしまい継続審議となる。
しか
し、次の国会までに選挙があり、羽仁五郎はじめ幾人かの関係している議員が落選し
て次国会では審議未了廃案となる。
法案提出時から参議院自民党・緑風会に時期尚早
論が強く、衆議院での社会党には反対する人が多数という状況で、可決される可能性
はほとんどなかった。法案を提出して世論の啓発をはかり社会情勢の転換を待つとい
う態度ではなかったかと推察される。
当時は日弁連も「死刑廃止の立法措置に対する
意見書」(1954年)のなかで時期尚早と言っている。
1955年に、死刑は憲法の平和主義と人権尊重主義に反するとして、正木亮ら矯
正実務家・学者・文化人を中心とする「刑罰と社会改良の会」による運動が展開され
ていくが、72年に正木亮が亡くなると活動が停止し、当時の死刑廃止運動も衰退し
ていったと言われる。
正木亮は当時の死刑廃止論の中心的な人物で、殺人は非合法の
人殺しで、死刑と戦争は合法的な人殺しで、合法的であろうが非合法であろうが人間
の生命を奪うものは無くさなくてはいけない、という意見を持っていた。被害者の支
援も必要であると言っている。
死刑に替わる刑として15年服役後に仮釈放が認めら
れる無期刑を考えていて、15年までは恩赦も適用なし、15年経ったら司法関係者
・学識者・世論代表・被害者代表からの仮釈放委員会で全員一致したら仮釈放すると
いうもの。その服役中は仕事をさせ、その利益を賠償金庫に入れ、それを被害者家族
や犯罪者家族の社会保障に当てるというもの。
その当時、死刑廃止論は学者が中心
で、憲法との絡みででの論議が多かった。
■憲法調査会での議論
1956年から64年まで内閣に憲法調査会が設置された。
憲法36条の残虐な刑罰
というとこ
ろで死刑の存廃論議はしているが、死刑を全面的に禁止する規定は設ける必要はない
ということで終わっている。
時期尚早という議論とともに、36条で言っている残虐
な刑に死刑は当然入っているのだからわざわざ憲法でいう必要はないというもの。
個
別の法律で対処すればいいというので、ここらは欧米との違いがある。欧米の死刑を
廃止した国では、憲法上に死刑の禁止規定を設けた国が非常に多い。死刑廃止にいた
る経過でも、憲法裁判所か何かで死刑の違憲判決が出てそれがきっかけとなって死刑
廃止に行くのが多かった。
しかし日本では、最高裁で死刑の残虐性とか合憲性が話題
になってもそれきりになってしまっている。
■国会に提出された死刑廃止法案
1968年に、「死刑確定者再審法案」というのが神近市子らの社会党有志議員によって
出されてい
る。これは日本がGHQ占領時代に死刑判決を受けた者に再審を行おうという法案
だった。適用されるのは帝銀事件の平沢貞道とか福岡事件の石井健治郎、西武雄、免
田事件の免田栄などが対象になるのではないかと法務委員会に提出されたが継続審議
となり結局廃案となった。
死刑廃止法案という大きなものは、明治の第23回帝国議会のものと、戦後の第2
4回国会のものと2つだと思われる。
現在論議されている死刑廃止法案が3回目という事になり、過去の論議をより参考に
されれば良いと思う。