シンポジウム
「被害者の権利運動と死刑廃止運動」
全体会のシンポジウムの最初のテーマが「被害者の権利運動と死刑廃止運動」というテーマでした。
NOVAという、アメリカのいちばん大きい被害者団体があるのですが、その被害者団体から代表者が来るはずだったんですね。
MVFRというのは、被害者の団体の中で死刑廃止を訴えている団体がひとつしかないという点で、かなり特異な団体として映っているわけで、そこにNOVAの代表が来るというのは非常に画期的なことなんですね。
それですごく期待していたのですが、結局来なかったんです。
なんで来なかったのかというと、どうやらティモシー・マクベイ(オクラホマ連邦ビル爆破事件の加害者)の執行がすごく近かったということと関係があったらしいです。
このイベントの初日の5日後がマクベイの執行日だったので、政治的な判断で来なかったのではないか。代表者の方自身は参加したかったのかもしれませんが、NOVAの団体としてはそういう判断が出たんじゃないかっていうことをみんな推測しています。
被害者団体もかなり政治的な色が強くて、MVFRと同じ行動をとるということに対して懸念をしている団体も多いんだと思うんですね。
それで結局、その日のシンポジウムの中で話し合われたことというのは、ああ日本とそんなに変わらないなっていうか……もちろんアメリカは被害者団体が日本とは比べられないほどたくさんありますし、多様ですし、そういう意味では全然違うんだけれども、でもそこで問題となっていること、たとえば被害者団体と死刑廃止団体がどういうふうに付き合っていくのか、という問題は日本とも共通していると思います。
で、その中でまた出てきたのが「良い被害者」と「悪い被害者」という議論です。死刑というものがある限り、多くの被害者団体は死刑廃止団体に対して敵対的な見方をするだろうし、なかなか近寄りがたいと。
被害者団体の政治色はどんどん強くなっているので、お互いどういうふうに歩み寄るのかということについては絶望的だ、みたいな感じで終わってしまいました。
絶望的というか、おざなりな、「まあ、これからも、いままでやってきたみたいに努力し続けていくしかないね」、みたいな感じでした。

大会期間中設置されていた展示室。テーマは
“THE WAITING ROOM(死刑執行待合室)”。
写真やアーティストが造った作品が展示されていた。
シンポジウム
「報復と許しの狭間で:暴力に代わるものを考え直してみる」
で、次のシンポジウム、私自身は非常におもしろいなと思ったのですが、反応はいろいろでした。
「報復と許しの狭間で:暴力に代わるものを考え直してみる」とタイトルで、シンポジウムのパネリストにマーサ・ミノウという法学者がいました。
私自身はやっぱり当事者ではないので、こういった話、たとえば国際法との比較で「許す」とか「和解」とかいうことを捉えなおすという話は非常に刺激的だったのですが、被害者の方の中にはやっぱり遠すぎるというか、自分は自分の愛する人を殺されたのであって、そんな南アフリカの話をされてもユーゴの話をされても……っていう人もいました。
あと、この方はユーゴスラビアの女性がレイプされた話を結構具体的に話されたんですね。そのことで気分が悪くなって怒り出した被害者の方とか。
「僕たちは遺族なんだから、そんな話聞かなくても大変さはわかってる。それを傷口に塩をぬるような、そんなひどい話はしないでくれ」って。
話をするっていうことは、何をだれにどう伝えるかっていうことは難しいな、とあらためて思いました。
この学者の話の中で私自身がおもしろいなと思ったのは、国の制度を「癒し」が可能なものにすべきだと。
「許す」かどうかは被害者の人たち、サバイバーの人たちが決めること。それは彼女たち、彼らのチョイスであるんだということ。それを法や政策で強制すべきでは決してないということを言っていて、制度というのは「許し」と「報復」の間に属するものであって、そのどちらをも強要するものではないし、どちらかに偏るべきでもない。
たとえば「許す」ということで言えば、アメリカでは――アメリカだけじゃないとは思いますが――「許すか許さないか」という二者選択的議論が多い。
被害者の人たちも、「私は許した」と言い切ったり、または「許そうとしている」とか、「許す」という言葉がキーワードになっていると思うのですが、それに対してマーサ・ミノウさんは「じゃあ、犯人が見つからなかった場合、だれを許したらいいのか」とそういう投げかけをしました。
そういう意味では、聞いているほうも自分たちに問いかけ直せる場だったというふうに思います。
で、彼女は、南アの「真実と和解委員会」がある種、国として、ある「場」を――「許し」と「報復」の間の場を与えたんじゃないか、そういう意味では画期的である、と締めくくっていました。

展示室に展示されていたアーティストの作品。
死刑囚が最後にリクエストして食べたものが鉛で作られている。

ハンバーガーとコーン

この人は何もリクエストしなかったし何も食べなかった。"NONE"―「何もない」と書いてある。
スピーチ
「オクラホマシティ爆破事件の先にあるもの」
その他で、「オクラホマシティ爆破事件の先にあるもの」というスピーチが、個人的に感銘を受けました。
バッド・ウェルチさんというオクラホマシティ連邦ビル爆破事件で娘さんを殺された遺族の方が話されたのですが、本当に誇らしげに、「とっても優しいいい娘だった」と娘さんの思い出を語られるんですね。ほんとに愛してたんだな、ほんとに仲がよかったんだな、っていうことがとてもよく伝わってくる。
バッドさんと娘さんは毎週1回お昼ご飯をいっしょに食べていて、たまたまその殺された日がご飯をいっしょに食べる日で、その日も楽しみにしていたら、なにかテレビで大騒ぎしていると。
で、よく見たらそれが娘の働いているビルで、その瞬間に自分はもう崩れて、なにがなんだかわからなくなってパニックになってしまったそうです。
娘の遺体はすぐには見つからなくて数日間かかったそうなんですけれども、その期間というのはもう精神状態がめちゃくちゃだったと。
娘さんは、福祉局でヒスパニック系の貧しい人たちのためのスペイン語の通訳の仕事をしていました。生活保護をどうやったら受けられるかとか、アパートをどうやって見つけたらいいのか、とかそういうお手伝いをしていたんですね。
遺体が見つかったとき、彼女の横に被害者の人たちが仲よく横たわるようにして死んでいたという話だとか、あと、10ヶ月間、毎日事件現場に通って……いまもちょうどニューヨークのすさまじい光景がテレビで毎日放映されていますけど、ニューヨークでもそうですよね、全然関係ない人たちがやってきて、お花を置いていったり人形を置いていったり……そういうことがオクラホマでも、フェンスに花を括りつけたり写真を括りつけたり、そういうことをしにいろんな人が毎日もうわんさかと来るんですって。
その行き交う人をぼーっと眺めて、10ヶ月過ごしたそうです。
その10ヶ月間は、本当にティモシー・マクベイのことを殺してやりたいと、自分が殺して、そして死刑になったとしてもそれはかまわないと、結構じゃないかと、そういうふうに思っていたとのことです。
けれども、ある瞬間に、「娘はどう思うだろう」と考えたというんです。
とても優しい娘で死刑に反対していたと。ある日、車の中で、テキサスで死刑が執行されたというニュースを聞いて娘が「ばかげてる」と言ったことを思い出した。
そのときは運転しながら何気なく聞いていたんだけれど、それを思い出したと。娘がいまの私を見たらどう思うだろう、とか、死刑にして彼女は喜ぶだろうかと考えているうちに、違うんじゃないか、と思い至ったと彼は言っていました。

展示室で流れていた死刑囚の家族のインタビューのビデオを見る参加者。
スピーチ
「幼児性愛者に息子を殺されて」
そのバッドさんと数年前にボストンでテレビのローカルの番組で一緒になったという男性が、大会の最終日にスピーチをされました。
その番組というのは死刑の賛成派と反対派のディベートをやった番組で、そのときに死刑賛成派として出演された男性です。
ボストン出身のロバート・カーリーさんという方で、ボストンというのはマサチューセッツ州なんですけれども、マサチューセッツ州には死刑がないんですね。
息子が幼児性愛者に殺されて、その報復というか息子のためにも死刑が必要なんだ、ということでマサチューセッツ州の死刑制度復活運動に関わっていた方です。
そのロバート・カーリーさんが死刑賛成派として番組に出て、バッド・ウェルチさんが反対派として出演した。
カーリーさんはそのときにすごいショックを受けたといいます。自分が死刑賛成の意見をワーッと言っているのに、バッドさんは何も反論するわけでもなく、「娘はこんなにすてきだったんだ」とか、「死刑にしても娘は喜ばないと思う」とか、「自分は死刑では解決しないと思う」とか、淡々と語るだけ。
そのときは、カーリーさんは、自分は死刑賛成派で相手は反対派だから敵だと思い込んでいたから議論が噛み合わないんだけれども、そういうのを経て、いろいろ考えるようになって意見が変わっていったそうです。
今回のこの大会の最後の日に、ロバート・カーリーさんが舞台の上に立ったんですね。バッド・ウェルチさんがまず、「きょうは僕の友達が来てくれました。ロバート・カーリーさんです。彼は息子さんを殺されました。きょう、ぜひここでみなさんに報告したいことがあります」って紹介しました。
カーリーさんにとって、人前で「死刑に賛成ではない」という意見を言うのはこのときが初めてだったんですね。
意見が変わってきたということを、泣きながら、震えながら語られました。
会場もいっしょになってカーリーさんの悲しみとかつらさを受けとめようとしていて、会場全体で彼の悲しみを共有……同じレベルではできないけれども、遺族の方たちも会場にいらっしゃるわけで、なにかしらわかるわけですね。
ちょっと言葉にできないのですけれども、私もそこに身を置いて、いままで感じたことのないような感動というか、うまく言えないのですが、特別な、心揺さぶられる気持ちを感じました。
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