坂上香さん講演会 
    MVFR第1回全国大会に参加して 
index
1.はじめに / 2.セレモニー / 3.全体会 / 4.分科会 / 5.まとめ / 6.質疑応答



4.分科会


     分科会の様子                 ワークショップで作られたアート作品


リストラティブ・ジャスティス

いちばん私が参加しておもしろかったと思ったのは、「リストラティブ・ジャスティス(Restorative Justice)」というテーマのものです。「回復的・修復的司法」と訳されます。最近日本でも少しずつ紹介されていますが、どういうものかというと、被害者と加害者が「犯罪を――起こった損害(ダメージ)を――どう回復するのか」という発想です。

加害者を単に罰するという発想とは違って、「起こったこと」に焦点を当てて被害者・加害者、ときには地域も含めて、どう解決していったらいいのかということを話し合いで解決していくという、簡単に言うとそういうことだと思うんですね。
起こったことをどう解決させるか、修復させるかという、そういう新しい司法のあり方だというふうに思います。

これが今回のワークショップでも非常に脚光を浴びていて、4日間のうち3日間は、このテーマの分科会が3〜4回連続してありました。

リストラティブ・ジャスティスの手法は、アメリカの他にニュージーランド、オーストラリア、カナダ、北欧などでも広く使われていますが、一般的に使われるのは軽微な事件で、窃盗だとか、あまり暴力を伴なわない軽い傷害だとか、ほんとに軽い犯罪に対して使われるのが一般的だというふうに考えていただきたいんですね。

この大会に参加している被害者のほとんどが愛する人を失っているわけです。こういう深刻なケースにこの修復的司法が適用されるということ自体が、アメリカでも非常にめずらしいことだと考えていただきたいのです。
中にはなかなか受け入れられない人もいて、冷ややかな目で見ている人もいるし、かと思うと、もうすでに体験して、非常にうまくいって、それをみんなに知らせたいという人もいる。関心はあるけど踏み出せないという人、これから予定している人など、さまざまなレベルでいろんな思いを抱いている人たちがいました。

修復的司法の形態としては、被害者と加害者だけが会う、いわゆる調停みたいなものだとか、家族を含んで、地域も含んでやるカンファレンスとか家族集団会議とかがよく知られています。

「サークル・センテンシング」というのはカナダで盛んなのですが、裁判長も参加し、円を描くようにして座り、ファシリテーター(司会進行役)が仲介しながら、みんなで話し合いをして解決策を探るもので、最終的には判決がそれで下りるというものです。

あと地域で委員会を設定して、「地域修復委員会」を作る。これはバーモント州で制度化されているのですが、一般市民が、「裁く」というのではなくて解決をみんなで考える。そういう取り組みをしているんですね。

これを死亡したケース、殺人事件に適用している州もあります。州ではなくてNGOのレベルで実践しているところもありますし、いろんなところがあります。ただ、さっきから言っているようにケースとしてはなかなか難しくて、たくさんの件数をやっているわけではないです。

今回、その話し合いの中で新しい呼び方を耳にして「なるほどな」と思いました。それは「トランスフォーマティブ(Transformative)・ジャスティス」という言葉です。
トランスフォームというのは変化、変わるという意味ですが、「変わり得る」とか「変わるための」司法という考え方です。基本的には同じなんだけれども、修復的司法は、「回復し得る」とか「修復し得る」というのが前提で、もう死んでしまった人に対して「命を取り戻す」ことはできないわけです。

それで、じゃあどうするかといったときに、「愛する人を失ってからの人生のあり方、新しい人生の扉を開ける可能性」みたいに考えてやったらどうかと。ある人は「自分との和解でもある」と。
その意味が私も100パーセント理解できているわけではなくて、私自身考えているのですが、自分にとって許せないこととか、自分にとって受け入れられないこと、それとどう折り合いをつけていくか、ということだと思うんですね。彼らも手探り状態で、どういうかたちでそれをやったらいいのかということも含めて、考えているということです。

リストラティブ・ジャスティスに関する分科会のパート1からパート3まで私は参加したのですが、パート3でおこなったドキュメンタリー映画の上映会の内容が非常によかった。

「希望へのわずかな光」という題名で、ミネソタ州でのケースなのですが、ある遺族が3年間かけて3回、加害者と対話をしているんですね。それを3年間にわたって記録映画にしているので、葛藤も見えるし、ふたつのケース――加害者が2人いて、ひとつはうまくいかないんですね、でもひとつはうまくいく、その全部を統括的に見せているので、うまくいったこともだめだったことも含めてちゃんと見ることができる。

じつはパート1でも、オーストラリアの「フェイシング・ザ・ディーモンズ――悪魔と向き合って」という殺人事件のケースの映画の上映会をやったのですが、長い映画で全部を上映できなくて、一部だけを見せた。前後はまったくなくてカンファレンス部分のみ。で、そのカンファレンスがあまりうまくいっているとは言い難い。

おそらく結構早い段階でカンファレンスをやってしまったケースなのではないかと思うのですが、被害者はものすごい怒りの表情をしているし、加害者のほうはシラッとしている。"I'm sorry"とか言ってるのですが、ほんとに謝罪しているのかどうかわからない。

この映画を見た参加者の中に、ご家族を殺されてまだ2ヶ月くらいしかたっていない方がいました。その映画を見て衝撃を受けて、もちろん泣くし、動揺するし、取り乱してしまって。「なんでこんなの見せるんだ! 私はもっとリストラティブ・ジャスティスって違うものだと思ってた」って怒り出しました。

その方がパート3にもいらしていたのですが、もう泣き方が全然違うんですね。
パート1のときはヒステリックに泣いていたんですけど、このパート3のときは泣き方が違って、自分の中で悲しんでいるというか……。

それで一通り泣き終わったあとに発言されて、「私はパート1のときにあんなものちっとも修復的じゃないじゃないかって言ったけれども、いまのこの映画を見て、とてもよかった」と。そして、「いますぐはできないかもしれないけど、いつかはできるようになるかもしれないという希望がわいた」と。

そこにはその映画の主人公になったご夫妻がパネリストとして来ていたので、実感として話してもらえるし、その前のこともわかり、その後のこともわかりました。で、その参加者の方もすごく納得して、いろんな質問をされていました。

ストファート夫妻という、その映画の主人公のご夫妻とは私はこの間に個人的にとても親しくなることができました。
私もこのテーマに昔から非常に関心があったので、この映画を数年前に見ているんですね。
で、わからないことがいっぱいあるわけですよ。3年間を記録してあるといっても、見ただけでは私としても腑に落ちない点がいっぱいある。そういう疑問をじかに質問することができました。






後列右:ドン・ストファートさん
前列左:メアリー・ストファートさん





内容を簡単に説明すると、娘さんが殺されて、夫のドンさんと妻のメアリーさんという方がいて、あと次女の女の子がいて、その3人をずっとこのドキュメンタリーは追っています。
殺された娘さんはレイプをされて殺された上に死体を数日間放置されて、すさまじい、荒れた状態で死体が出てくる。家族は何度電話をかけても彼女から返事がないということで数日間すごいパニックになって……という、そういう事件だったんです。

2人犯人がいて、主犯格のほうは認めないんですね、自分が主犯だってことを。で、共犯のほうはやりましたとは言うんだけれども、「でも、主犯がやったんです」と主張する。だから、最初の頃はお互いが罪をなすりつけあっている状態だったんですね。

そのうち、1人のほうは「主犯ではないけれども、でもここまでは自分も関わった」とか、そういう話をし始めます。その対話を3年にわたって3回やる。

お父さんのドンさんは大学で心理学を教えてらっしゃる方で、そういう意味では、こういう取り組みに対して非常に理解がある。もちろん娘が殺されてしんどいんだけれども、「やってみよう」と思ったらしいんですね。まわりに実際、そういうことを実践している友達が何人かいて、そういう人に相談したら「やってみたら」っていう声をかけられて、それで、家族に「やりたいんだけど」ってドンさんが持ちかける。

最初は、次女は「やるんだったらお父さん勝手にやってよ! なんで家族を巻き込むのよ!」と反発するし、妻は「私は会えない。あなた勝手に会いに行って。そんなの強制しないで」みたいな感じです。そういう葛藤が映画では丁寧に描かれています。

で、結局彼らの場合は3回目でこのプロセスが終わったのですが、それぞれ印象が違うのです。会ってみてどうだったか、許せたとか許せなかったとか、全然違うんです。
たとえばドンさんは「私は許しました」って言うんですね、そのプロセスを経て。「自分は聞きたいことも聞いたし、もう娘は帰ってこないし、私は許した」と。

妻は、「私は許せない、とてもそんな気持ちにはなれないけれども、どうしてこんなことやったのかというのはなんとなく理解はできた」と。

「絶対会いたくない、お父さん勝手にやってよ」と言っていた娘さんは、「犯人が人間なんだと、当たり前だけど、悪魔でもなんでもないひとりの人間なんだということが確認できた」と言って、この映画は終わるんですね。

この上映会に参加されていた方の中に、実際体験していた方も何人かいました。やっぱりうまくいってないケースもあるんですね。それはどうしてなのかという質問がありました。

ドンさんが言うには、深刻なケースであればあるほど時間はかかるし、1回では決して終わらないんだと。
自分もそうだったが、1回で言えなかったことが山のようにあって、2回目に聞けたこともあったし、3回目にようやく聞けたこともあった。それを1回でやってしまおうということが、被害者にとっても加害者にとってもすごく暴力的に働いてしまって、それで後味がすごく悪くなったり、反発しあったり、ということがあるのかもしれない。彼はそう言っていました。

妻のメアリーさんも、「この映画だけがすべてじゃない」と。
「この映画の前にもあとにも、何本も映画ができるくらい、それくらい癒しへの道というのは長いんです」ということを言っていました。

どうしてこんな試みをするつもりになったのかというと、ドンさんのほうは、「娘が殺されたときに希望が完全になくなった、それはいったいこの世の中のどこにあるんだろう」という問いから始まったと。
メアリーさんは、「特に将来のある若い人が殺されてしまった場合、その人の人生に意味を与えてあげることが非常に大切なんだ」と。
「娘の人生がなんだったのか考えるために、そのひとつとして、なんで彼女は殺されなくちゃいけなかったんだとか、どんなふうに殺されてしまったのかということを知ることから始めた。そしてそれを娘の人生に意味を持たせることの最初のステップにしようというふうに思った」と語っていました。

このディスカッションの中で妻のメアリーさんが言っていたのですが、「加害者と会おう」と言われたとき、最初は絶対に会えないと思ったと。会っても絶対にしゃべれないと思ったと。でも、会ったら言葉が自然に出て来て、「なんで娘を殺したの?」ということが聞けた。
2回目に、また会おうって言われたとき、もう絶対に会えないと思ったけど、でもまた行けた。
で、「結局3回とも全部私は行って、そこで話すこともできたし、相手の話も聞くことができた」と。
「許してはいないけれども、でもいままで自分がいたところとはちょっと違うところへ、先へ進めたような気がする。だから、いま、被害者の人で、加害者を殺してくれとか殺してやるとか言っている人でも、その何年後かはわからないし、自分もわからない」と。
娘さんの事件の加害者は2021年には出てくる予定で、そのことをいま考えるととてもしんどい。やっぱりどこか自分の中に許せないものがあるし、出てきて、その人たちがまた何か起こしたらどうしようとかいう気持ちもある。「ただ、そのときが来てみないと私はわからない」と。

その言葉を私は非常に重く受けとめました。



シンポジウム「死刑事件に被害者がどう効果的に関われるか」

もうひとつだけ紹介したいと思います。

「死刑事件に被害者がどう効果的に関われるか」というシンポジウムがあったんですね。ここにオードリー・ラムさんという23歳の若くて美しい女性がいました。

彼女、まだ2歳の頃にお母さんを殺されているのですが、18年後くらいにいきなり電話があって、「お宅のお母さんを殺した死刑囚の執行があります」と。
もう忘れていたというか、もちろん、お母さんが殺されたということを忘れていたわけではないけれど、考えていなかったことについていきなり揺り動かさるという経験をしたそうです。
犯人は知り合いの息子さんだったそうですが、オードリーさんとお父さんはクエーカー教徒で、そもそも人を殺すっていうことに対して、死刑も含めて反対だったと。自分のお母さんの事件については複雑な気持ちもあったけれども、やっぱり、宗教的な理由も含めて、彼女は死刑はいやだと。

アメリカには「死刑減刑委員会」というのがあります。州によりますが、執行される前に、知事を含めて委員会が設置されて、公聴会みたいな感じで討論されるんですね。
被害者はふつうはそこで意見を言う権利が与えられているのですが、彼女の場合、死刑に反対するという要望を出したがために意見を言う機会を与えてもらえなくて、それで彼女は大騒ぎしまして、大騒ぎしたがために、出て行け!ということになったそうです。

休憩時間に彼女は花屋さんに行って花を買ったそうなんですね。知事を含めて3人の委員がいて、その人たちが最終的に決めるんです。その人たちに1本ずつ花をわたして、「お願いですから話させてください」と言ったそうなんです。けれども聞き入れられなかった。

それで結局彼女はどうしたかというと、ピンク色の花を町中から1000本買って、「オードリーより」というカードを添えて、それを知事のところに送ったんですって。
「それでどうなったの?」って聞いたら、死刑の執行がそれで延期になったと。
日本ではあり得ない話なんですが、もう、あの手この手を使って彼女は、非暴力的な方法でどうやって相手の心を動かすかっていうことで動く。

それ以外にも彼女はいろんなことをやっています。メディアに訴えかけるとか、署名を集めて政治家に送ったりだとか。
それから、裁判も起こしているんですね。被害者で、死刑に反対するからってなんで発言権がもらえないんだ、おかしいだろうって。

たった23歳の若い学生さんなんです。
そのオードリーさんが言ったのは、「粘り強く、がモットーです。絶対あきらめないで。話し続けること、語り続けること。これしかないの。こんなにがんばっても死刑は執行されちゃうかもしれないけど、でも、わからないでしょ」。
その彼女のパワーには本当にびっくりしました。刺激を与えられました。
→ 5.まとめへ







index
1.はじめに / 2.セレモニー / 3.全体会 / 4.分科会 / 5.まとめ / 6.質疑応答/
坂上香さん講演会トップへ


【トップページに戻る】
【各種レポート一覧へ】