原田 原田正治と言います。愛知県知多郡東浦町という、名古屋から南へ二十数キロの小さな町に住んでいます。
父親は私が小さいときに亡くなっていますので、おふくろと私たち4人の兄弟という5人家族で育ちました。私は長男で、殺された弟というのは4人兄弟の末っ子でした。
私の弟が殺されたのは、いまから約18年前、1983年の1月24日です。
京都の木津川の堤防の上でトラックを運転していて、当初は自損事故だということで連絡があり、私も交通事故だと信じていました。
弟の運転していたトラックというのは、現在名古屋拘置所に収監されている1人の確定死刑囚の経営する小さな運送会社のトラックです。弟はその会社の運転手として勤めていたんです。
それから1年して、翌年の1985年の5月3日。初盆も済ませて、もうなんとか忘れよう、忘れようとしていたところに、愛知県警の刑事が家に来ましてね、じつは昨年の交通事故は交通事故と違うんだと、これは保険金を狙った殺人事件だということを聞かされまして。最初はもう、ほんとに疑ったんです。まったく信じられなくて。
そして事件の内容をいろいろ聞かされて、今度は自分の気持ちを抑えるのに精一杯でした。
そのときに犯人の顔写真を3枚見せられたんです。そのうち2人はまったく知らない顔でしたが、1人は弟の勤めていた会社の社長の写真でした。
なぜ弟の会社の社長の顔を知っているかというと、自分の会社の従業員が交通事故で死んだということで、弟のお葬式、お通夜に、うちに来てくれたんです。お参りにです。
私は本当にそのとき、まさか彼が弟を殺すなんてことを夢にも思ってなかったんです。あくまでも交通事故だと思っていましたし、もう、死んだ者は帰ってこないからあきらめるしか仕方がない、せめてもの救いは交通事故で第三者がいないこと、それが唯一の拠り所でした。
それが1年2ヶ月……3ヶ月後ですか、こういう結果になろうなんてことは、当時、夢にも思ってなかった。
それからすぐ、1984年の7月に初公判が始まったんですけど、そのときは、第1部でプレジャンさんがおっしゃっていたように、とにかく憎くて憎くて憎くて、この手で殺したいっていう気持ちは、人に言えないくらい、表現できないくらい持っていたんですね。初公判のときに彼が入廷して来る姿を見たときは、本当に前の柵を飛び越えて行きたいくらいでした。
その当時は、そういうことをすれば自分の気持ちがおさまるだろうというふうにも思っていました。でもそれはできなかったし、ただ、せめてもの彼に対する気持ちをぶつけるのは法廷しかない、ということで第一審、第二審、公判のときは、おふくろはもちろん、兄弟つれて傍聴に行っていたんですけれども、見るたび見るたび、やはり、憎しみがわいてくるんですねえ。彼のふてぶてしいというのか、どう表現していいのかよくわからないんですけれど、そういう態度に。
彼が法廷に入って来ると、私たちは彼の顔をじっと、こう凝らして見るんですね。彼、それに気がつくんでしょうか。顔が会うとすぐ、目をそらすんですよ。私はにらむだけではおさまりがつかなくて、どうしてもやりたいと、殺してやりたいという気持ちが、本当に自分でよくわかるんです。
でも、私はまだ兄弟ですから。おふくろは僕よりも、もっともっとつらかったでしょうし、たまらない気持ちを持っていたと思います。
一審、二審を続ける間、彼からは何度も何度も謝罪の手紙が来るんですよ。私も最初は読む気がなかったんでね、もう、すぐ処分していました。封も切らずに。そういうのも含めると、100通くらいは行っているんじゃないでしょうか。捨てちゃった分については、数は確認してないのですが、でもかなりの数は来てると思います。
それからしばらくして、二審の中頃ですか、逮捕当時の誤報の問題だとかいろいろ出てきまして、それで民事訴訟を起こしたい、という相談がありまして。そのためには僕の証言がほしいんだと、そういう問い合わせというか要望の手紙が来たんですよ。その頃は来る手紙も少しずつは開封していたので、そのときも何気なく開封したら、そういう内容が書いてあったんです。
たしかに彼の言うとおり、誤報についてはこれは間違いないんですよね。だから、それについては僕は、あえて拒否するつもりもなかったし、「協力しましょう」という返事を書いて彼に送ったんです。
またちょうどその頃、いろんな人が、彼の代理として、私の家にお墓参りをさせてほしいということで、何度か来ていただいていました。
誤報の問題、お墓参り、そういうことが同じような時期でした。たしか'93年くらいだったと思います。事件から10年近く経っていたということもあって、憎しみっていうのが少なくとも10年前のときと、その'93年の時点では違ってきていたということもひとつ要因だと思うんですけれども、とにかく自分は当事者として、死刑の問題というのをもう少し知ってもいいんじゃないか、勉強してもいいんじゃないかっていう気持ちがわいていたところでした。
じゃあ、何をするのかって考えていたんですけれども、なかなかその糸口がつかめずにいたんですよ。で、よし、一度、彼に面会に行ってみよう、と思ったんです。たしかに勇気要ったんですよ。プレジャンさんが面会に行かれたときと同じような気持ちなんですね。
拘置所なんて一回も入ったことないし、あの門をくぐるなんてことはもう、以前の私は考えてもみなかったんですよね。
しかも、憎しみが、薄れてきてはいるものの、やっぱり憎しみはあるんですよ。ですから、いざ面会に行って中に入れるかどうかという自信はありませんでした。
仕事が休みの土曜日に、「行こう」と決意して家を出ました。家内に「ちょっときょうは面会に行ってくるから」って、大きな啖呵を切って行ったんですよ。で、拘置所の前まで行ったんですけれども、どうしてもやっぱり、そこから先に進めないんですよ。拘置所の周りを何度も回ったり、正門の前を行ったり来たり、行ったり来たり……。
で、いざ入ろう、って思って待合室に行ったら……休みなんですよねえ、土曜日・日曜日っていうのは。休みなんですよ。その字を見たときに、もう、なんだか、胸のつかえっていうのか、重みっていうのか、そういったものがいっぺんにすっと消えちゃったんです。これで、もう、きょうはね、面会せずに帰って来たっていうひとつの大義名分が立つじゃないですか。
―― 奥さんに(笑)。
原田 ええ(笑)。自分の意思で帰るんじゃなくて、これはやっぱり不可抗力ですからね。
そういうこともあって、なんだかほっとしたんですよ。それが6月か7月のことだったのですが、8月に会社のお盆休みが1週間から10日ほどあるんです。で、そのときに、もちろん平日も噛んでますんで、やっぱりその平日に行こうって決めまして。
……いやあ、行けちゃったんですよねえ、これが。まあ、もちろん入るときは、すごく決心が要ったんですけれども。
アポなしで入っていったんですけれどもね、いきなり彼は、会った瞬間に、もうほんとにすごい笑顔で迎えてくれたんですよ。公判で見るときの顔とは、本当に180度違うような顔で、うれしそうな表情で声をかけてくるんですよ。
僕は会って何を話そうかということを、頭の中で一応骨組みはして行ったんですけれども、彼のその明るさというか、性格というのか、そういうもので、いっぺんに考えてたことが消えちゃいました。
もちろん、彼のうれしさからか、彼からの一方的な話のほうが最初は多かったんですけれども、でも、僕にとってはすごく大きな歴史的な一歩だったと思っていますし、人生を変える一歩だったと思います。
そういう面会、手紙、民事訴訟の件、それから、彼の代理の人たちがお墓参りに来てくれたってことが、その1年間、あるいは半年の間にすごく凝縮されましてね、自分自身、すごく考える部分がありました。
それから、死刑という問題について、自分なりに考え、やっていこうって思ったんです。
その年('93年)の秋、彼は最高裁で死刑が確定しました。
私も彼の死刑確定までの間、一生懸命自分なりに死刑という問題について考えてきたつもりでいたんですけれども、その年の12月……11月だったですかね、死刑の執行があったんですね。
で、そのとき東京で抗議集会を開催されるということで、僕にも話してほしいということで依頼をいただきました。
正直言いまして、迷ったんですよ。すごく迷ったんですよ。果たして僕のような、人前で話したこともなくて、死刑のことについて「勉強」と言っても、本の1ページも開いていない、そんな状況だったし。
できるかなあ、なんて、自分では気持ちは半分……以上かな、後退気味だったんです。
そのときに相談した人が、きょうもこの会場にお見えになってるんですけれども……大島(令子)衆議院議員なんですけれどもね、あの方におんぶにだっこというようなかたちで相談にのっていただいて。ほんとに心強くね。あのときほど、うれしくてうれしくてしかたがなかったことはないですねえ。
そのほか、東京の安田(好弘)弁護士ほかスタッフの方々に支えられましてね、OKしたんですよ。
もう、とにかくあがりました。自分でも何を話したのかわからなかった。
まあ、そういうひとつの経験があって、そういう中で、死刑というものについてさらに一歩踏み込んで考えるようになりまして、痛切に考えたのは、まず、自分の体験から、被害者の救済問題、これは私どもが事件に遭遇したときに、本当にお粗末かな、なんて思ったんですけどね。
いま、たしかに全国のあちこちで犯罪被害者のための救援組織ができあがってきているんですけれども、当時は、僕、それ、なかったように思いますし……探せなかったのかもしれないんですけどもね、これがやっぱりいちばん大事かな、というふうに思うし。
被害者の救済、もちろん経済面、精神面すべてのことなんですけども、そういうことがあって、初めて死刑というものに対して前向きに取り組めるんじゃないかっていう、そういう気持ちがわいてきたんですよ。
で、自分の体験をみなさんの前でお話しして、被害者救済、救援組織っていうものを、やっぱりもっともっと考えていただきたいっていう気持ちがいまでも自分にあるんですよね。
それから、もちろん、そういう問題とともに、いま、被害者と加害者が向き合う接点っていうのがないんですよね。
もちろん未決のときは手紙での交流はありますし、面会の機会も十分にあると思います。手紙でのやりとりというのは、なかなか真意というのは伝わってこないし、面会することによって初めて相手の表情がわかるし、何を言いたいのかっていうことも少しはわかるつもりなので、それがいちばん大事かなっていうふうに最近思うんですけれど、確定しちゃうと面会すらできない。
これが民事、あるいは交通事故の場合だと、そういうことはないんですよね。加害者・被害者というのが同じラインの上に立って、それから話ができて、それから和解、あるいは話が、少なくともできる。
和解するにしても話し合う場があるってこと自体がすでに和解への第一歩だと僕は思ってますし。
そういう場が、死刑が確定してしまうと奪われちゃう。これはほんとに悲しいことだな、というふうに、面会を通して、自分自身、味わったことなんですけれどもね。ぜひ、私としては面会する場所、そういうものが少なくとも持てるようなこと、それを要求したいな、と思います。
―― どうもありがとうございました。
一言一言が心に染みるお話をしていただいたのですが、いま、原田さんにお話ししていただいたように、日本では、死刑判決が確定したあとは、死刑確定者のご家族、これもあらかじめ確定する前に申請していたご家族と、あとは訴訟を起こすための弁護士さんしか、基本的に、原則的に会えないことになっていますから、いま、原田さんがお話しになりましたように、確定後はお会いになったことはないんですね?
原田 いえ、私、最初に彼に会ったのは1993年の8月で、これはまだ、未決のとき(最高裁での確定前)なんですが、その秋に確定してからも二度、三度、会ってるんです。
―― ということは、ごくごく例外的に許可が出て、ですね。
原田 そうなんです。これは、前に手紙のやりとりがある、そういう実例があるということで、これは拘置所の裁量で許可してもらえたんですよ。
―― 「特別面会」といって、死刑確定者の心情の安定に資する、そういう人とだけは特別に許すことができる、ということになっているようですが、実際上、会ったことのある方というのはきわめて限られているというのが現実だと思います。
原田 条件付きなんですよ。死刑確定囚は国からあずかっている大事な身柄なんだ、それはたしかにそのとおりだと思います。
それからもうひとつは、面会することによって、被害者と加害者ですから、当然、もう、感情の剥き出しになることが予想されるのを懸念してだと思うんですけれども、彼らの気持ちを刺激しないように、そして、将来について未来ある話をしないでくれ、という条件付きで、確定後、面会をさせてもらったんです。
―― 要するに、「心安らかに死んで行くことができるように」しかダメだ、というわけですね。
原田 そうだと思うんですけれども。
―― きょうは原田さんのお話を伺うというのがメインのテーマのひとつなんですが、私たちを代表して、プレジャンさんのほうから、何か原田さんにお聞きになりたいことはおありでしょうか?
プレジャン ひとつ私が非常に鮮烈な印象を受けたのは、事故で弟さんが亡くなったというお話をお聞きになったときに、少なくとも誰も他の人はその事故で死んでいない、それがよかったと思ったと、そういうふうにおっしゃいましたけれども、これはやはり原田さんの人格を物語っているものだと思います。
原田さんが経験されたのは、本当に残虐で冷酷、血も涙もないような、計画的な犯罪ですね。ただ激情に駆られて誰かを撃った、というような暴力とはこれはまた違う。
保険金のために自分の会社の従業員を計画的に殺す、しかもその人が亡くなったときのお葬式には何食わぬ顔をして参列する。恐ろしい犯罪の中でももっとも恐ろしい犯罪だと思います。
それなのに原田さんはその殺人を犯した人をゆるされたわけですよね。
原田 いや、僕は、決していまでも彼をゆるしてるって気持ちは全然ないんです。ゆるすわけにはいかないと思ってます。ゆるすってことはやっぱり意味が違うと思ってますし、ゆるせるわけないと思ってます。
ただ、いまの民事の裁判での証言の件なんですけれども、これは、僕の気持ちとしては……そりゃ、たしかに相手は憎いですよ、ゆるすわけにはいかないと思ってますし、当時はまだ、ほんとに自分の手で殺したいっていう気持ちも十分ありましたし、かと言って、拒否する理由なんてないし、これは事実だと思ってますし……。
―― 当初マスメディアでいろいろなことが報道されたことが事実関係とちょっと違うことがあったと。それが出発点ですね?
それで死刑確定者の方が、事実と違う報道がされているのはおかしい、ということで民事訴訟を起こした。
そして原田さんとしては、真実はやっぱり真実なんだ、事実は事実なんだ、それは明らかにすべきだと、いうふうに考えられた、と。
原田 ええ。べつにそのことで彼を不利に……不利にというか、そのことで彼を責めるつもりなんかまったくなかったし、やっぱり、事実は事実だというふうに僕は思ってますし、それは認めてますし、事実のことを、僕は本当のことを言うだけですから。もう、ただそれだけの気持ちなんですよ。
―― つまり、原田さん自身が、正直である、ということ。これはとても大事なことだと思うんですね。
さきほどのお話の中でも、弟さんが誰かを傷つけなくてよかった、と考える。そしていまも、事実には自分は正直であろうとされている。
私たちが考えていて、なんて言うかなあ、「偉い」とかいう言葉は使うべきことではないんですけれども、「すごいな」、というふうに思ってしまう最大の理由はそこなんですね。
最初にプレジャンさんがおっしゃいましたけれども、激しい怒りの中では、その怒りの中にすべての感情が吸収されてしまって他のものが見えなくなってしまうのではないかと、第三者的に言えばそう感じるんですけれども、それが、どうしてできているのかなという……。
原田 いやあ、正直言いましてね、自分ではわからないんですね、自分の性格なんてのは。
ただ、その民事の件についても、なんとなく、彼からそういうふうに依頼を受ければ「そのとおりだよ」っていうふうに返事をするし、さきほど、プレジャンさんが講演の中でもおっしゃっていたんですけれども、1回面会に行って顔見ちゃったりなんかするとね、あるいは、そのときはまだ面会してなかったんですけど、手紙とかなんかでいろいろ話をするわけでしょう。
そうするとね、なかなかそこまで彼を追い込むことはできないんですよ。人の顔を見ちゃうとなかなか殺せないのといっしょで。なんか気持ちが、あの、こう……。
―― 顔と顔が向き合うことの大切さ、だと思うんですね。
私は法学部で法律教えている者ですから、自分としては人格的に最悪の人間だと思っているんですね。さきほどプレジャンさんのお話の中にありましたけれども、死刑執行の前に公聴会があるときにどちら側のサイドにつくか、ということをつねに求められるような状況を設定して考えます。
私たち法律家はつねに、自分は被告人の側につくんだろうか、検察官の側につくんだろうか、ということを考えてしまうんですね。どっちのサイドにつくということを中心に考えるというのが法律家のいちばん悪い癖であるし、まあ、これがないとやってられないところもあるわけなんですね。
原田さんのお話もプレジャンさんのお話もそうなんですが、どちらのサイドにもつけないし、どちらのサイドにもつける問題ってのもあるのかなあ、とさっき考えていました。
私たち、死刑に関わる運動なんかをやってきてる人間は、社会の中では、「あいつらは教条的な死刑廃止論者だ」とか言われることがあります。
それでもう、ずっと頭が凝り固まってて、「反対、反対」って言っていればいいんだっていうふうに思われているんですが、じつは、本当は心の中で戸惑っているんだけれども、いざとなってそういう場面に出るとですね、なんかこう、威張ってなきゃいけない、というか、どっちの側についてるって、怖そうな顔しなきゃいけないものですから、すぐ怖い顔になってしまうんですが、きょう、お二人のお顔を拝見していて、う〜ん、これだよな、といま思っているところなんですが。
プレジャン さっき、「顔を見たときに、やはりこの人を殺すことはできないと思った」とおっしゃいましたけれども、たしかに、人間の顔を「見る」と、そういうふうな気持ちになる。でも、その顔を拘置所でごらんになる前に、法廷で見てらっしゃるわけですが、法廷で見ていらした顔と、拘置所でごらんになった顔とでは全然違っていたと。
法廷では、彼は非常に固い、ふてくされたような表情をしていて、目を合わせようともしなかったとおっしゃいましたけれども、たぶん、そのとき彼は、やっぱり必死になって、自分のエゴというんでしょうか、守りの姿勢にあって、自分を守らなければ、というような固い感情ですっかり覆い尽くされていたんだと思います。
自分の愛する人を殺されて、それでも心が癒されて、心の平安を見つけた人というのは、人に対して愛を持っている人であると同時に、また、「真実」というものにとても敬意を払っている人、そういう人たちの場合に癒しが見つかるんだと思います。
さっき、メディアでいろいろ誤報があったから協力してもらいたいと言われたときに、「協力しないでいる理由はないなと思った」とおっしゃいましたけれども、本当に憎しみに駆られていた場合には誤報だって大歓迎だったと思いますし、彼に対しては憎しみのあまり、いろいろつらい思いをいっぱいすればいいんだと、どんどんいろんな間違ったことが伝えられたってそれでいいんだと、そういうふうに思ってしまうと思うんです。
でも、原田さんの場合は、「協力をしない理由はない、だって、新聞は真実を書いていないんだから」、そういうふうな反応をされたというのは真実への愛がとても強かったからだと思います。
だから協力をするというのは原田さんにとってはとても自然なことに思えたのだと思います。
―― あのー、原田さんは非常にナチュラルに、自然に話されるので、僕なんかが聞くとすごく大変なことをスッとおっしゃるので、そのあと何をお伺いしようかなというふうに思ってしまうんですね。
事件が起きてから10年たって、そのあともう6年くらいになりますかね、最初に確定者の方とお会いになって……判決が確定してから。その間のことをもうちょっと、原田さんの旅をもう少しお伺いしようと思いますが、そのあと、もう1人の共犯者の死刑執行がありましたよね。
そのことについて原田さんの立場からどういうふうにお考えになったのかということをお伺いできれば、と思います。
原田 当時は犯人が3人おりましてね、主犯格の人は、確定されて、いま名古屋拘置所に在監されておるんです。
1人の方は有期刑、14年の判決を受けられて、もうたぶんこの方はね、出てみえるんじゃないかと思います。
で、もう1人の方の死刑執行が2年前にあったんですけれども、ちょうどたまたまそのとき私、大きな病気がありましてね、病院のほうで手術直前……だったのかな、手術後だったのかな、ちょっと記憶ないんですけど、そういうような状況で。正直言いましてね、病院のほうまでメディアの人らが来たら困っちゃうな、とか、そういうふうに思ったんですよ。正直、直感的にそんなことを思いました。
ただ、死刑になったってことは、自分なりに何を意味するのか、ということを考えたんですけれども、共同正犯ですから、もちろん、近々の間にもう1人の人も死刑の執行に遭うんだろうな、っていう考えを持ったんですよ。
僕としてはいろんなかたちで勉強する中で、死刑はやっぱり、これはよくない、というふうに思うし、なぜ死刑がよくないかと言うと、さきほど何度もプレジャンさんがおっしゃってたように、僕も同じような考え方なんですけれども、じゃあ、かりにいま、死刑になっても、自分の気持ちが癒されるのか、おふくろの気持ちが癒されるのか、兄弟の気持ちが癒されるのか、っていうと、そんなことまったくないんですね。癒されるどころか、逆にいやな気持ちになるんですね、死刑になるっていうことは。
で、さっきも言いましたように、かと言って、じゃあゆるしたのかって言われると、ゆるす気はないし、ゆるしたつもりもないし、ましてや、釈放されて目の前歩いて来たら、そりゃ、私もまだ少しは感情ありますから、どうするかわからない、それは自信がないんですけれども……。
やっぱり出て来ちゃ困るんですよ。だけど、死刑はやっぱり、死刑になっても癒される問題じゃないし、決して自分たちの気持ちが楽になるもんじゃないと思ってますし、むしろ、彼らが生きているってことは、われわれに対して、殺された者に対しての償いの時間だというように僕は考えているんです。
償いっていうとね、いま社会に出ている人っていうのは、まずそれは経済的にいろいろな方法があるわけですけれども、彼らにはもう、そういうことはないんですよね。
ましてや、(刑の)確定を受けた人っていうのは、もう、時間もないんですね。いつ自分が執行されるのかわからない状況の中で、毎日毎日暮らしているわけですよ。
反面、彼らは、何か償いをしなきゃいけない、何かをしたいって思っているんですよね。そのひとつのあらわれが、手紙を書くことなんですよ、彼らにとっては。外に向かって発信することなんですよ。
ですから、やっぱり、そういう自由がない、ましてや遺族に対して償う気持ちがあってもそれができない、それで執行しちゃうとですね、やっぱり生きているからこそ初めて償いっていうものが、抽象的ではあるけれども、できる、っていうふうに僕は思ってるんです。獄中生活で生きていればこそ償いができるっていうふうに思ってますし、その償いはじゃあ何か、っていうと、もちろん手紙を書くことだってそうだと思うし、それぞれ、彼らが自分で償いの道を、自分ができる償いを自分で考えてやっていくということが本当の償いになる、というふうに考えます。
―― 人を殺めてしまったという事実があって、どなたかが亡くなっている。そのことを償おうと思ったとする。
あるいは最近よく言うのは、「償う気持ちがあるのか」というふうに聞かれる。で、「ごめんなさい」と謝ると、「口で謝っても謝ったことにはならない」と言われる。
じゃあ、「死んでお詫びをします」って言っても自分では死ねない……ですね、死刑確定者というのは。国が殺さなければいけない。死ぬ自由は与えられていないわけですね。
そういう中でどうやって深い罪を償っていけばいいのかということについて、プレジャンさんはどういうふうにお考えになられます?
プレジャン 原田さんにむしろ私のほうからお聞きしたいんですけども、原田さんにとっては、彼がずっと獄中にあって、自分の犯した罪に対して刑務所にいることであがなう、ということで、もう、十分なんでしょうか?
それから、きのうお話をしていたときにおっしゃったことで私がとても鮮烈な印象を受けたのは、「初めて彼に拘置所で会ったときに彼はどんな人間だったか、どうだったか」と聞くと、「そのときは彼には、人格と言いますか、品位があった。品性があった。彼には純粋なところが見えた」と、そういうふうにおっしゃったんですけれども、やっぱりそれは、彼が、かつて法廷で見たふてくされた男、それから、殺しておきながら何食わぬ顔をしてお葬式に来た偽善者、そういう人間とは違った別の人間になっていたと、人間が変わったと、弟を殺したあの人間ではないと、そういうふうに思われた、そう理解していいんでしょうか。
原田 ええ、それでいいです。法廷で見たときの彼は、たしかに自分が大きな罪を犯したということもあって、反省をしながらどうしたらいいんだろうか、というようなことでふてくされたような顔をしている。
ところが面会に行ったときは、もう、そういうものが全部、肩から降りた、荷物がとれた、ということで、彼本来の表情が見えたんですよね。
だからやっぱりそれ見るとね、あえて彼に死刑を求めるっていうのもなかなかできないし……。まあ、そういうことなんですよね。
プレジャン 私の経験から言いましても、被害者の家族にとっては、法廷に行くというのはもっともつらい、ひどい経験のひとつだと思います。
というのは、法廷では、加害者というのは、自分の命がそこにかかっている裁判を受けているわけです。だから、やっぱり非常に固い、守りの姿勢になる。改悛の念も見られなければ、思いやりや憐れみの心、そういうものも全然見えない。被害者に対する後悔も表せなければ、その遺族に対しても、見せられないくらい固い表情をしている。
それは、法廷というものが、まさに対決的な場だからです。あれは、州、つまり検察側対加害者――その加害者の命――それが対決している、ぶつかり合っている場であるからです。
ですから、あの法廷の雰囲気の中では、もう、全然「和解」などというものはあり得ない。検察側は加害者をこれから懲罰しようとしているわけで、そうなりますと、加害者の持っている人格、人間としてのあり方の最悪のところが法廷では出てしまう。で、それを原田さんは感じ取られたんじゃないかと思います。
ところが法廷を離れて拘置所で見たときには本来の彼の顔が見えた、そういうことなんだと思います。
―― 誰が悪いのかっていうと、やっぱりわれわれ法律家が悪いですよね。法廷でやっぱりそういう雰囲気をつくり出していますから。
で、その雰囲気の中で原田さんも法廷ずっと傍聴されていたわけですね。プレジャンさんのご著書『デッドマン・ウォーキング』の中では「モンスター」という言葉がよく使われていますが、法廷では犯罪者というのはやっぱり怪物のように見えたわけですか。
原田 彼の場合、「モンスター」というような暴力的な感じではなかったですね。
というのは、彼は弟を交通事故に見せかけて保険金を奪ったんですよね。それから、家のほうにお葬式、お通夜、いろんな方法でおふくろを慰めに来てるんですよ。
そういう中でね、うちの弟が会社に債務があるんだとか、それから、お金を貸してほしいとか、言ってきていたんです。
私は、弟が会社のトラックで事故起こしたと思ってますから、損害をかけたんだと、会社に迷惑をかけたんだと、仕事にも影響を与えたんだということで、お金を融通しました。
そういうことでしたから、暴力的、モンスターというよりも、本当にすごくずるい人、狡猾で騙した人という感じでしたね。
そういうのがあいまって、法廷で見る彼というのはすごくやっぱり憎いし、弟を殺しておきながら、おふくろから、私から、兄弟から、すべてを騙したんだと、搾り取ってったんだ、ということなんですね。
そういう部分があって、彼を憎いという気持ちというのは、もっともっと増幅されたんですね。
―― 犯罪後にもそういうことがあったわけですから、その憎しみはますます募ってしまいますよね。
原田 ええ。1年2〜3ヶ月の間、まるきり交通事故だと信じていて、家に彼が来るのを拒まなかったし、それから一転して保険金殺人というふうに切り替わったわけですから。
ずるくて、悪知恵がはたらいて……という印象で、暴力的ということはなかったですね。
―― 私たちの社会は、「用意周到で狡猾に計画されてなされた殺人というのは、偶然というか、激情に駆られて行われた犯罪よりも重い」と評価するルールを基本的に持っていると思います。さきほどプレジャンさんもそのようにおっしゃいました。
いまわれわれの住んでいる世界の中で、いちばん計算されて慎重に間違いなく人を殺しているシステムというのは何か、というと、プレジャンさんの著書の中ではカミュの本が引用されているんですが、それが死刑というシステムだ、ということが言われています。
本当に一分の隙もなく死刑が執行されているということが、人の死に対していかに冷厳で狡猾なものかということを、われわれは毎年、日本では6月頃と12月頃の2回、感じているわけです。
よく死刑は正当防衛だという議論がありますが、正当防衛というのは、緊急な状況で行われる行為です。しかし、死刑は冷静に常態の中で行われる殺人だということが、僕たちの心をとても傷つける気がします。これは、プレジャンさんの本の中で私が感銘を受けたところのひとつでした。
それからもうひとつ、僕からお二人にお聞きしたいことがあります。
プレジャンさんも長い旅をここまでやってこられて、原田さんは被害者のご遺族ということで長い旅をここまでしてこられたわけです。私は、第三者です。私は大学で教員をしていまして、先日、死刑の問題をテストに出しました。そうしたら、あとで1人の非常にピュアな学生がやってきて、「答案書けませんでした」と言いました。
「どうしてなの」と聞いたら、「先生はひどい」と言うんですね。で、なぜひどいかと聞くと、「人の命に関する問題を試験という場所で試されるのはたまらない」と。彼は僕を非難して、涙ぐんでいました。
そのときに彼の言っていることが正しいなという気も僕はしてしまったんですが、私たちのように非当事者である人間が、被害者の気持ちも加害者の気持ちも本当はわからないかもしれない第三者が、死刑の問題について何か発言したり、一緒に考えようとすることは許されるのでしょうか。
これがプレジャンさんに聞いてみたかったことだし、原田さんにもお伺いしてみたかったことのひとつなんですが。いかがでしょうか。
プレジャン 私たち第三者が死刑の問題を考えるというのはもちろん正しいことです。第三者がそんなことを考えていいのか、と言っていると私たち大半の人間が第三者なんですから、大半の人が考えられなくなってしまいます。
死刑の問題について、ひとつの倫理や道徳の問題として「考える」ということはとても大切なことで、そうするべきであると思います。
自分は当事者ではない、何も失っていない、ということに対して何か罪悪感のようなものを感じて、こういうことに自分は関わっていいのだろうか、そういう権利があるのだろうか、というように考えてしまうのかもしれませんけれども、この問題には私たち全体が関わっているんです。私たちが住んでいる社会、この社会がいわゆる計画的な殺人を認めているからです。死刑という形で。
ですから、私たちはこの問題を追及していく道徳的な任務がある。こういう社会を変えていくために、です。
いったい社会は何をしているのでしょうか。私たちは子どもたちに、殺人をしてはいけないと言いながら、しかし私たちが見ている社会というのは、計画的に殺人を許している、そういう社会なわけです。
もっとも悪い、考えられる限りもっとも悪い計画的な殺人をしている社会に住んでいるのですから、そういう社会で死刑について考えるというのは本当に正当性のあることです。
―― 原田さんいかがですか。
原田 そうですね。僕もそう思います。
本当に僕はもっともっと言いたいことがあるんです。なかなか時間の制約もありましてすべてを話せないのがちょっと残念なのですが、でも、これだけは、あえて言いたいんですけれども、やはりわれわれ――そう言うと他の人もということになってしまいますが――少なくとも私の気持ちとしては、いま、加害者に対して思うことは、やはり死刑になってしまうということは、私もつらいし、生きていればこそ償いができるんだと確信をしています。
もうひとつ、彼が死刑を執行されてしまうと、またさらに悲しみが増えるという部分というのがあると思うんですよね。それは彼にも家族があるわけですから、またそこでひとつの悲しみができちゃうということなんですよね。
ですから、死刑の執行によって絶対に幸せはない、というように私は思っています。精神の安定もないと思っています。癒しもないと思っています。
ですから、いま私ができる範囲で、私ができることを、いまできること、いましかできないということ、これをひとつひとつこなしながら、死刑という問題を深く考えていきたいなと思っていますし、やはり死刑は、一言で言うなら、「絶対あっちゃだめだ」ということです。
―― 僕らはいろいろなところで、死刑というのはこういうものです、とか、死刑について僕はこう考えますということを言います。
そうすると、原田さんのように、こういうふうにじかにお話ししていればいいのですけれども、ひょっとすると被害者の方も含めて、いろいろな方を傷つけているのではないかな、と心配になることがよくあるんですけれども、私たちがそういうことを語ってもよろしいのでしょうか。
原田 それは、いいと思います。ぜひ大いに語っていただくべきだと思っています。
―― 最近、日本の中では、犯罪に関する被害者と加害者が対立していて、話し合えないものだと、そういう型の中でものを考えるという傾向が少しずつ強くなっているような気がします。
プレジャンさんは自分の経験の中で悩まれて、いまのポイントに立っているわけですし、原田さんの場合には、自分の体験の中から自分の答をひとつ出していただいている。おそらく私たちみんながそれぞれのジャーニー(旅)をしているわけで、私自身も悩みながら死刑の問題を考えて来ています。
本当に難しい問題ですから、いまのお話にもありましたように、何かひとつのことで答を出してしまうのではなくて、被害者の遺族の方と加害者たちとの間で、死刑の問題をどういうふうに考えていこうか、ゆっくり考えていく、それも心を使って考えていく、このことを原田さんとプレジャンさんとが教えてくれたなあという気が私はしています。
私は法律家ですので、すぐに頭で考えようとしている傾向があるので、きょうは心で考えられてよかったなあ、というのが私の印象でした。
最後にお一言ずつコメントをいただいて終わりにしたいと思います。原田さんのほうから先によろしいですか。
原田 本当にさきほど言いましたように、いろいろいっぱい話もしたいし、いっぱいやらなきゃいけないこともあるんですけれども、本当にいまこの時間、このときこの僕しかできないことをやっていこうと、そういうふうに考えています。
本当に何度も言うようですけれども、死刑の執行によって得られるものは何もない、これだけは言えると思います。
プレジャン 原田さんは私から見ると、ガラスを通して入ってくる太陽の光のように感じられます。
とても自然で、まことの真実にあふれている。しかも、それがとても自然です。
ものごとを過大におっしゃったりということもない。ただただ、いま自分の感じていることを自分の魂や自分のいま立っているところ、それを私たちに話して共有してくださっている。そういう意味で太陽のようだと思います。
私自身、世界中で死刑廃止の運動のために努力をしているんですけれども、そういう私の努力にとっても原田さんの存在というのはとても大切です。
白い燃え尽くす火のようなそういう状況に置かれて、原田さんは憎しみや復讐といった道をとることだって可能だったわけです。自分の心の中にある痛みを癒すために、ほかの人が苦しんで痛むのを見てやろうという、そういう道だってとれたはずです。
でも、原田さんはそちらの道ではなくて、生きていく、生きるという道を選ばれた。そういうところから、私はとても大きな勇気をいただきました。そして、いただいた勇気をこれからも大切にしていきたいと思っています。
原田さんは、「自分は英雄ではない、ただ、非常にいろいろ苦しんできた一人の人間である」とおっしゃいましたけれども、本当に復讐などを選ぶ代わりに憐れみの心というのでしょうか、そういうものを選ばれた、これは私にとって本当に大きな示唆であり、勇気づけられることです。
―― どうもありがとうございました。
(敬称略)
2001年1月30日
豊島区民センターにて
第1部 シスター・プレジャンの講演へ