死刑廃止ニュース
死刑に関する事件と世界的な廃止への動きの概要
2001年 3月
AI Index: ACT 53/002/2001 25/04/2001
死刑廃止への動き
カリブ諸国およびフィリピンにおける実際的な進展
カリブ諸国――カリブ裁判所の絶対的死刑に反対する判決
4月 2日に、東カリブ上訴裁判所は、カリブ諸国において絶対的死刑は憲法違反であるとの判決を下した。この画期的な判決によって、裁判所は、管轄下にある 7カ国 (アンチ
グア・バーブーダ、ドミニカ、グレナダ、モントセラト、セントクリストファー・ネビス、
セントルシア、セントビンセント・グレナディーンおよびアンギラ) における死刑の適用をかなり縮小させることになる。
裁判所が扱うすべての囚人に影響を及ぼすその判決は、双方とも殺人罪で死刑判決を受けていたセントビンセント・グレナディーン出身の Newton Spenceと、セントルシア出身の Peter Hughes の事件に関するものである。この事件は、ロンドンの枢密院司法委員会によって、東カリブ上訴裁判所に差し戻された。
「絶対的死刑は、取り返しのつかない刑罰を科すにもかかわらず、裁判所が彼らに下す判決について軽減事由を斟酌するいかなる機会も奪うことになる」というSaunders判事の言葉がある。
絶対的死刑を排除することで、死刑が最も重大な事件のみに科せられるようになるであろう。
フィリピン――減刑
2000年12月にすべての死刑判決を減刑し、議会で死刑法を廃止することを支持したエストラダ大統領であるが、汚職の罪による弾劾裁判からまきおこった大衆の抗議のなか、2001年 1月20日に辞職した。辞職する前に、前大統領は、最高裁判所で確定した 103人の死刑囚の減刑命令に署名した。
3月に、アロヨ新大統領は、処刑が迫っていたとされる 2人の男の判決を減刑した。さらに、最高裁判所で死刑が確定していた17人にも、処刑が迫っていると報じられていた。しかし、AFP通信によると、新たに司法長官に任命されたHernando Perezは、在任中、「最も重大な事件」を除いては、すべての死刑確定判決を減刑するように大統領に促すと言ったということである。
後に、アロヨ大統領は、在任中、議会が法律上死刑を廃止すべきか否かを決定しないうちは、死刑の執行を支持しないと言ったと報じられている。
フィリピンには、1500人以上の死刑囚がいる。
イラン――死刑に反対する者
1月27日に、テヘランの軍裁判所は、1998年の Dariush Foruhar、彼の妻であるParveneh Eskandari、 Mohammad MokhtariおよびMohammad Ja'far Puyandehの殺害のかどで 3人の国家情報省員に対して死刑を言い渡した。被害者は、政治活動家と著名な作家で、政府の改革と社会的多元主義を擁護する者を黙らせて威嚇するための疑わしいキャンペーンの一環として殺害された。イランにおいて相当に知れ渡り、メディアの論評に関心がもたれた事件は、それについてメディアで許されない論評をした者は誰でも起訴されることになると警告した裁判官によって、高度な国家にかかわる問題として考慮された。 Dariush
Foruhar とParveneh Eskandariを代理する弁護士の Naser Zarafshanは、殺人の責任についての意見を言ったために拘禁された。
Dariush Foruharは、1979年のバザルガン首班の臨時政府で労働大臣を務め、反体制派のHezb-e Mellat-e Iranの指導者であった。彼は、著名な反体制活動家である妻のParveneh Eskandariと共に1998年11月にテヘランで殺害された。1998年12月に殺害されたと思われる Mohammad Mokhtariは、作家協会Kanun-e Nevisandeganの再建に尽力している作家グループに属していた。そのグループのメンバーであるMohammad Ja'far Puyandehは、会合に出かける途中で姿が消えた。
殺害された知識人の家族は、裁判官によって出された口止め命令と、犯罪動機や高位の当局筋が関与したかどうかを示す重要な証拠を記録から排除した疑いに異議を申し立てたため、裁判にかかわることができなかった。今や、その家族は、死刑に同意したことも報復を求めたこともないと言って、秘密警察官に下された死刑判決に公然と反対を表明している。 Mohammad Mokhtariの家族の弁護士 Ahmad Bashiriは、殺人の被害者の親族は個人的な考えや信念で誰かを殺すことに反対していると述べた。テヘランの日刊紙 Dowran-e-Emrouzに、「その家族は、彼らは殺人者ではなく、不寛容な悪習を根絶したいと言っている」と、彼の話が引用されている。
イランにおいては、2000年に少なくとも75人が処刑されている。2001年の今日までにすでに35人が処刑されたと報告されており、そのなかには、薬物所持で逮捕されて 3月19日に公開で絞首刑に処せられた30歳の女性も含まれている。
ギニア――17年ぶりの処刑
Tamba Toundoufendouno 、Denka Mansare 、Ibrahima Bangoura およびMohamed Cissenoの 4人の男が、1995年に犯した殺人のかどで死刑判決を受け、 2月 5日に異なった場所で処刑された。これらの処刑は、法律上死刑が廃止されていないにもかかわらず、ギニア大統領にランサナ・コンテが就任した1984年以降、初めて行われたものであった。無名の男が、首都コナクリの東部にあるキンディアで拘禁されている。
処刑の後に、 Abou Camara司法大臣は、「今後、司法制度と政府はこのような方法をとるであろうが、彼らの処刑を決定したのは政府ではない。殺人で有罪判決を受けた者誰もが処刑されることになる」と述べた。
短 報
アフガニスタン――2月23日に、売春を行って「モラルを低下させる原因となった」 2人の女性が、南部にあるカンダハールで公開処刑された。タリバーン・ラジオ放送は、何千人という人が競技場で絞首刑に処せられた 2人の女性を見たと報じている。
バングラデシュ――3 月14日にFiroze Miaが絞首刑に処せられたが、これは、首都ダッカの中央刑務所で1977年以来初めて行われた処刑である。ダッカ・デイリー・スターが報じるところによると、Firoze Miaは、1991年に、ビー玉遊び中に口論になった彼の子どもと隣人の息子の仲裁に入ったときに、 2人の子どもを含めて 4人を殺害したということである。
カナダ――Atif RafayとSebastian Burns の 2人のカナダ人は、1994年 7月にアメリカ合衆国ワシントン州でAtif Rafayの家族を殺害したかどで告訴され、その後カナダに逃げてきたが、合衆国での裁判を受けさせるために引き渡されることになった。 3月に、カナダ政府は、裁判が行われることになっているワシントン州キング郡の検察官から、もしその男が有罪であっても死刑判決は言い渡さないという保障を得ていた。
その 2人の男は、秘密捜査員が殺人について自慢している会話をテープ録音したといわれる1995年から、ブリティッシュ・コロンビア州のバンクーバーで拘禁されている。しかし、1976年から通常犯罪について死刑を廃止しているカナダは、処刑される可能性のある自国民を引き渡そうとしなかった。 2月に、カナダ最高裁判所は、政府からその自国民を死刑にしないという保障を得られない限り、彼らを合衆国に送ることはできないと全員一致で判示した。
キング郡のNorm Maleng 検事は、「これらの男が法に照らして処断されたとわかり」、「この悲劇的事件について決着がつくこと」に関心があることのほかは、「個人的には、われわれの州内で起きた犯罪に対してわれわれの州法を適用することを、外国の政府が制限できるという考えに困っている」と 3月 9日のカナダ放送で発表した。
イタリア――3月に、死刑反対組織であるハンズ・オフ・カインは、nexta.com というオンライン会社と共同で、国連で世界的な処刑の停止について票決するように求めるインターネットによる請願を始めた。このキャンペーンには、インターネット・ユーザーの間に死刑に関する意識を高めようというねらいもある。AFP通信によると、ハンズ・オフ・カインの幹事Sergio D'Elia は、「われわれは、インターネットで、死刑の統計が国家機密と考えられている中国や、この情報が検閲されるキューバやアフガニスタンのような国々において、人権が閉ざされている国境を越えることができる」と述べたということである。
マサチューセッツ州――3月12日に、州の下院は、94対60で死刑の復活に反対の票決をした。34票という票差は、1997年に最後に死刑に関する論議がなされたときに、復活法案がたった 1票差で否決されたのと対照的である。そのいくつかの要因は、刑事司法制度に対する信頼が失われたこと、よりリベラルな議員が死刑に賛成する者に取って代わったことの結果によるものであるとされる。 3月13日のボストン・グローブによると、議会の刑事司法委員会の委員である Colleen Garry下院議員は、「われわれは、街の安全策にお金を費やし、事件後の報復よりも殺人の予防に目を向けるべきである」と述べた。Thomass Finneran議長は、全国的な傾向を反映し、「死刑から離れた異常な動き」を示した票決であるとした。
バチカン市国――2月 1日に、バチカンは新しい憲法を公布した。これは、2000年11月にローマ法王ヨハネ・パウロU世が署名して法となったもので、死刑の記載がない。憲法の改正は、バチカンがイタリア内の独立国家となった1929年から初めて行われた。
死刑は、1969年に法王パウロ六世により、バチカン市国刑法において廃止されたが、今日まで、国家の憲法からは削除されていなかった。
2000年の死刑判決および処刑
2000年に、少なくとも28か国で 1,457人が処刑され、65か国で 3,058人に死刑判決 が言い渡された。これらの数字は、アムネスティ・インターナショナルが把握したも ののみであるので、実数ははるかに多いとおもわれる。
2000年においては、すべての処刑の88パーセントが、中国、イラン、サウジアラビアおよびアメリカ合衆国で行われた。さらに、数百の処刑がイラクであったとされるが、その多くは確認することができない。